第二戦「翻弄されしも輝ける群雄」/ 七



「―――藤丸は動かんの」

 六月十日、鹿児島城。
 鷹郷貞流は集結した軍勢をもてあましていた。
 元々、侵攻してくるであろう藤丸勢を迎撃するためにかき集めた決戦戦力である。だがしかし、藤丸が動かぬ以上、使い道などない。
 この軍勢の扱いは奇しくも貞流勢は藤丸勢同様困っていた。

「宮崎に潜入した透波が掴んだ情報によれば―――」

 呼ばれていた霜草久兵衛が発言する。

「藤丸は床に伏せているようです。そのために軍勢の指揮を執れぬのかと・・・・」
「・・・・そうか。思えば、昔から体が弱かったの」

 貞流はふっと天井を見上げ、懐かしそうに呟いた。

「なれば、今こそ好機ッ。鹿児島に集結した軍勢を宮崎に向けましょうぞ」

 末席近くに座る実戦指揮官たちは色めき立っていた。
 特に植草憲正、向坂由種という貞流子飼いの部将たちは闘志を漲らせている。
 植草は鳴海直武に、向坂は長井衛勝に翻弄された恨みがあった。
 決戦となれば先の両勢は主力として立ち向かうはずだ。

「そう簡単にはいかない。地に足をつけていない相手を追い込み、決戦に持ち込むのは難しい」

 貞流の言葉に有坂秋賢、相川貞秀が頷いた。
 御武幸希が睨んだとおり、貞流勢は侵攻戦を危険と考えている。
 藤丸勢と違うのはどうにか不利な侵攻戦に藤丸勢を追い込もうということだけだった。

「弘綱、お前はどう考える?」
「は、されば・・・・」

 まだ年若い青年が顎をさすって考え始める。
 武勇の士であった父と比べ、戦場よりも後方の仕事を得意とする佐々木弘綱はえびの高原の戦い以来、貞流勢の軍師的存在になっていた。

「藤丸はおそらく、一見有利に動いて見える情勢を利用し、我が軍の切り崩しを画策するはずです」
「調略か」
「はい。内応を取り付ければ、それを足がかりに侵攻してくるはず」

 敵に内通者を作り、それを下に侵攻することは兵法の常道である。
 これが異民族国家を相手にする時などには通用しないだろうが、同じ文化圏の者同士で戦闘に及ぶ場合、この手順を踏めば、比較的安全に目的を達成できるからだ。

「我が軍は兵の数こそ藤丸勢を上回りますが、指揮官としての部将たちは見劣りするでしょうね」
「何だと!?」

 弘綱の言葉に実戦指揮官たちは色めき立った。

「静まれ」
「し、しかし・・・・」

 貞流の言葉に反論したそうに呻く部将たち。

「貴様らは鳴海直武、長井衛勝、武藤統教、鹿屋利直に匹敵する部将だといえるのか? 五〇〇ほどを本隊に数千の軍勢を手足のように扱う侍大将たちと」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 それでも続いた言葉には沈黙せざるを得ない。

「弘綱の言いたいことは敵に戦場選択の自由を与えた場合、我が軍の苦戦は必至と言うことか?」

 沈黙したことを確認した相川が質問した。
 彼こそ、弘綱の作戦に従い、枕崎城を陥落させた部将である。
 彼の頭脳を認めていた。

「はい。えびの高原の戦い然り。敵に主導権を与えてはいけません」
「しかし、えびのの折は当初、こちらが主導権を握っていたぞ? どこでひっくり返ったのだ?」
「・・・・おそらく、加治木城攻防戦だろう」

 有坂の発言に諸将は驚く。
 加治木城攻防戦とはえびの高原の戦いの前哨戦であり、貞流方が藤丸方と最初に激突した戦いとも言える。

「この戦いで我が軍の主力は止められ、国分城にいた藤丸方主力を捕捉できなかった。そして、次に捕捉したのがえびの高原。・・・・これはやはり、加治木城での遅延が致命的だったというべきだろう」
「なるほど。秋賢のいうとおりだな。今度の戦いは絶対に負けられない。兵力の集中はもちろん、敵に主導権を与えないようにせねば」

 もはや、貞流勢に圧倒的有利と考える部将たちはいない。
 確かに戦力では貞流勢が圧倒的だが、未知数とも言える藤丸の頭脳がある。そして、正しく使われれば絶大な戦力を持つ藤丸方の部将たちもいた。
 彼らが自由に戦えない状況にすれば、貞流勢の兵力がものを言う。
 要はそう言う状況に追い込めばいいのだ。

「藤丸が動けない以上、向こうから仕掛けてくることもないでしょう。でしたら、こちらは敵が押し寄せてくるよう、罠を張るのです」
「どんな?」

 貞流が素朴な疑問を素でぶつけた。

「い、いや、それは・・・・この場ではすぐに考えつきません」

 弘綱がそう答えたのは当然だろう。しかし、この答えが有坂や相川を除く実戦指揮官たちの失笑を買った。

(く、くそ・・・・)

 その態度に弘綱は歯噛みする。
 武勇の目立った父とは違い、弘綱はあまり戦闘指揮が上手くなかった。しかし、決戦への道筋を付ける確かな戦略眼を持っている。
 貞流はその点を評価して弘綱を軍議に呼んでいたが、他の武将は親の七光りと判断していた。

(お前ら、俺がいたからまだ生きてるんだぞ・・・・)

 ギリッと奥歯を噛み締める。
 そんな心の中に暗い感情が吹き荒れた時、弘綱は何かが耳の奥で鳴っていることに気付いた。

―――シャン、シャン

(なに・・・・鈴・・・・?)

 音色を判断したところで、ストンと心にその音色が落ちる。
 瞬間、それまで心を支配していた暗さが置き換えられた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 沈黙する弘綱を蔑みの視線で部将たちは睥睨する。しかし、弘綱は全く表情を変えなかった。

「・・・・・・・・貞流様、ひとつお聞きしてよろしいですか?」

 部将たちに一瞥をくれ、弘綱は続ける。

「鹿屋信直殿は如何なされるつもりで?」

 鹿屋信直は鹿屋利孝に敗北して以来、福山の廻城に引きこもっている。しかし、その戦力は放棄するには惜しい戦力であった。

「我が軍勝利の際、利直殿を隠居させて信直殿が鹿屋家の家督を継ぐという方法がありますが・・・・」

 弘綱は言葉を濁して貞流を仰ぎ見る。
 実質、信直は貞流派の人間だが、貞流の指示を受けたことはえびの高原の戦い以来なかった。

「ふむ・・・・確かに北大隅をまとめているのは信直だな・・・・」

 貞流は一瞬だけ顔をしかめる。だが、それがすべてを物語っていた。
 貞流は信直のことが嫌いなのだ。

「・・・・・・・・ならば、磨り潰しても構いませんね?」
『『『―――っ!?』』』

 あまりに容赦ない言葉に諸将が絶句する中、貞流は特に動揺もせずに弘綱を見つめた。そして、数秒だけ無言で視線を交わしていた弘綱は平伏することで視線をそらす。

「失礼致しました。失言です」
「次はないと思え」
「はっ」

 座り直す弘綱を諸将が不気味な目で見つめる中、有坂はひとり、心の中でため息をついた。
 彼ひとり、先ほどのやりとりの真意を見抜いていたのだ。

(貞流様・・・・それでは人の上には立てませぬぞ)

 貞流は信直を捨て石にする戦略を認めたのだ。だが、それを公言しては貞流勢の結束に亀裂が入る。
 それを避けるために咄嗟にふたりで芝居を打ったのだ。
 また、弘綱も先ほどの発言をすることで、自分が発案した作戦を軽んじられるようなことがないようにした。
 誰もが捨て石にされたくはないのだから。






大演習scene

「―――折り敷けっ」

 走っていた鉄砲隊が一斉にしゃがみ込んだ。そして、照星を用いて狙い付ける。

「目当てつけ、撃てぇっ」
『『『・・・・ッ』』』

 鉄砲組頭の言葉を聞き、鉄砲足軽は一斉に引き金を引いた。
 黒色火薬が一瞬で燃焼し、生じた爆発力は六匁弾を弾き出す。
 そう、本来だったら。
 撃ち出されたのは空砲であり、銃口からは硝煙は出ようとも弾丸はなかった。
 だとすれば、誰が押し寄せる軍勢を押しとどめるのだろう。

「そこの足軽三名っ。そんなに竹束から体を出していたは先ほどの銃撃で討ち死にしておるぞっ」
「そうだ。後方に四半刻下がっておれっ」

 騎馬にて両軍の陣地を駆け巡っている武者たちにそう言われ、三名の敵足軽は渋々と後方へと下がった。
 その間にも両軍の間には空砲の轟きが交わされており、そんな中で数十騎の騎馬武者が霊術を使って『討ち死に』と判断した者たちに退場を命じている。しかし、永久退場ではないのはいずれ戦線に復帰し、先ほどの経験を生かすためであった。

「長柄組前へっ」

 両軍の先鋒を率いる部将が同時に采配を振るい、鉄砲組が下がって長柄組が出てくる。そして、号令一下、相手を叩き始めた。

「ふむ、混戦状態になると戦果通達にもなかなか苦労するようだな」

 ここは日向国佐土原地区。
 今日――六月十五日は藤丸方の主力軍が行う大演習の日だ。
 昨夜に布陣した両軍は早朝から激しい戦闘を繰り広げている。
 両軍併せて四〇〇〇は一週間の訓練成果を出そうと必死だった。

「申し上げます」

 監督係の統括をいている鳴海直武の下に伝令が駆け込む。

「前線の被害状況ですが、やはり武藤勢を従える御武勢は強く、長井勢に大きく打ち込んでいます。ですが、長柄組の戦闘では長井勢の方が強く、徐々に劣勢を押し返しています」
「元々長井は粘り強い戦いをする。それを支えるのは兵の訓練度だが、なるほど、藤丸様が傭兵の訓練を長井に任せた理由がよく分かる」

 長井勢は戦力の上では藤丸勢最強である。だが、宮崎に入ってからは長井勢の武者たちはそれぞれ傭兵の訓練にかり出され、軍勢としてのまとまりはなかった。
 その効果が今現れているというのだろう。

「全軍の訓練度が向上している。・・・・だが、これは武藤勢に組み込まれた白兵戦部隊も同じ・・・・」
「前線指揮官の違いでしょう。長井殿は本隊とは分離した支隊を先鋒として用いています。確か、小幡・・・・」
「小幡虎鎮か」

 直武は話しかけてきた加納猛政を振り向いた。

「羨ましそうだな」
「なっ・・・・な、何を言うのですか」
「きっとあそこで戦っていると思っていたんだろう?」

 直武は年に似合わないニヤリとした笑みを浮かべている。

「そ、それは・・・・」

 もごもごと口の中で言葉を呟くが、当然直武に聞こえるはずがない。

「大丈夫だ。お前が武勇を示す時はきっとある。そう、旗本が『旗本』であらねばならぬ時よ」
「?」

―――ダダーンッ!!!

「―――っ!?」

 突然の銃声に郁の肩がびくりと震えた。
 あれはぶつかり合っている両軍の銃声ではない。
 明らかにこの近くで撃ち放たれたものだ。

「敵襲!?」

 ハッとして思わずとある方面を見た猛政は全身を硬直させた。

「な、な・・・・」

 数十騎の騎馬隊が馬上槍を小脇に抱えて突撃してくる。
 馬は分速約三町の速度で駆けることができた。
 発見してからあっという間に距離を詰め、彼らは一撃で旗本衆が張った防御霊術を吹き飛ばす。
 騎馬の衝突力と霊力を穂先に込め、騎馬隊の先頭を駆けてきた青年が信じられない一撃を放ったのだ。
 訓練用の模擬刀を構えた旗本衆が必死に応戦する中、同様に模擬刀を構えた敵が押し込む。しかし、不意を衝かれた旗本衆はその間を縫うように進軍した騎馬兵を止められなかった。
 本来、騎馬隊の突撃には密集隊形を組み、その機動力を潰すことが常道である。また、他に足を止めるには弓、鉄砲の飛び道具、長槍などの直接損害を与える方法があったが、どちらにしろ、懐に飛び込まれてしまっても騎馬の機動力は死ぬのだ。だからこそ、最初の衝突力で撃破するだけ撃破した彼らは下馬して刀槍を振るうのだ。

「くそ、奴らを止めろッ」

 押っ取り刀で旗本衆たちは飛び出していくが、それを回避するように騎馬は駆け、どうしても躱せない時は一部を分離して主力はこちらに向かってくる。

「チィッ、鳴海殿、これがあなたの言う、旗本が旗本である時、か」

 旗本とは大将直属の戦力である。
 言わば最後の壁なのだ。

「絶対に押し負けるな・・・・おぉっ!?」

 直武と話していたからか、いつの間にか騎馬隊は目の前にいた。
 分離させたためにその兵力は十数人にまで減っているが、それでも十分な戦力である。

「貴様か、瀧井信成ィッ」
「おお、私だ、猛政ァッ」

 下段から振るわれた大薙刀と上段から振り下ろされた大身槍が激突し、込められた霊力が爆発。
 幔幕をはためかせた。

「隙だらけだったぞ、猛政。このような有様では藤丸様をお守りするなど笑止千万」
「ええい、奇襲しておいて大きな口を叩くな」
「奇襲の何が悪いッ。劣勢を覆すは敵大将を討つのが一番よ。それを阻止すべき旗本が警戒していなかったとは言わせぬぞッ」

 痛いところを突かれた猛政は霊力の打撃を受けて吹き飛ばされる。
 周囲の旗本も信成の馬廻と激突しており、周囲は霊力や霊術が吹き荒れる乱戦になっていた。
 とても訓練とは思えぬ激しいぶつかり合いだが、両者とも霊力で肉体を強化している。
 ちょっとやそっとの打撃では致命傷にならなかった。
 ただ、さすがに軍事大国の旗本に選ばれる猛者たちだ。
 霊力の総量や霊術の熟練さでいえば旗本衆が勝っている。だが、瀧井勢は瀧井流槍術という霊術ではない、武術で対抗していた。

「・・・・狂戦士か、こいつら」

 慌てて幔幕の中から逃げ出した直武は同じく難を逃れてきた鳴海家の者と共にため息をついた。

「しかし、これで猛政たちも野戦においての身の振る舞いを感じ取るだろう」

 直武はえびの高原で全軍の采配を振るった嫡男――盛武からの報告で、旗本衆の欠陥を見抜いていた。
 旗本衆は個人の力は大したものである。
 戦場に出れば、一騎当千の働きをするだろう。だがしかし、戦は個人の力だけでは勝てない。
 兵の進退や駆け引きなど、戦術に左右され、その戦術もさらに大きな戦略に支配される。
 大局的に見れば、旗本衆を壊滅させるなど簡単なことなのだ。

「旗本衆はわずか三〇〇。藤丸様が侯王になられ、いざ戦場に出られた時、今の旗本衆では奇襲を受けると、援軍が来るまで持ちこたえられない」

 旗本衆――加納家は少なくとも同数程度の円居が攻め寄せてきても軽く押し返せる戦力を備えてほしいのだ。

「変われるでしょう、猛政殿ならば」
「・・・・昌盛殿、あなたも逃げ出したので?」

 数名の兵を連れてやってきた御武昌盛に直武はからかいの声をかける。

「はは、さすがに暴風雨の中で端然と座っていられるほど悟ってはない」

 そう昌盛が言った瞬間、幔幕が内から弾け飛ぶようにちぎれ飛んだ。

「・・・・おい、奴ら楽しんでないか?」
「・・・・・・・・あそこまで至った者たちならば、きっと本気を出してやり合える者や、そもそもそんな事態にすらあまり陥らないのだろう。だからこそ・・・・」
「・・・・楽しんでいる、か」

 大の大人がはしゃいで戦っているのをみて、さらに年を重ねたふたりは大きなため息をつく。

「お、もう一組、はしゃい・・・・ちがうな、本気で戦っている奴らがいるぞ」
「お? どれどれ?」

 すっかり観戦気分に落ち着いた直武と昌盛もまた、端から見れば十分楽しんでいた。



「―――はぁっ」

 加納郁が振り下ろした大斧槍は空を切って大地を叩いた。
 その瞬間、凝縮された霊力が爆砕し、クレーターのような大穴が空く。
 模擬戦である以上、郁が持っている大斧槍も切れはしないのだが、元々の質量で押しつぶすことはできる上に、彼女の霊力は全身の骨をバラバラにしてもあまりあるほどの衝撃を作り出していた。

「ちょこまかと・・・・ッ」
「大きい得物を持ってる奴と真正面からやり合うなんざ、正気の沙汰じゃないんでね」

 普通の槍を握った少年と青年の狭間にある武芸者が縦横無尽に走り回り、大きな得物を持って小回りのきかない郁を翻弄する。

「だぁっ」
「ぅお!?」

 鬱陶しくなったのか、郁は故意に地面を破砕して武芸者の動きを制約した。そして、一瞬だけ動きを止めた武芸者へと突撃する。

「もらったぁっ」

 丸みを帯びた穂先が霊力を纏って突き出された。
 それは車仕掛けの竹束を粉砕するほどの威力であり、通常の人体に命中すれば五体が四散する。だが、郁も我を忘れてはいない。
 この武芸者がそんな直撃を受けたとしても大した怪我を負わないことは分かっていた。だがしかし、この一撃が躱されることは分からなかった。
 コツン、と武芸者の穂先が大斧槍の柄を叩く。

「あ、あら?」

 たったそれだけで、郁の体勢は崩れ、結果的に穂先が大きく逸れた。そして、その穂先とは反対側に体を移動させた少年の足だけは残っており、見事に郁は足を払われる。

「あ、ウッ!?」

 くるんと体が反転し、背中からドサリと落ちた。
 小柄の体には不釣り合いな鋼の装甲がズシリと身をむしばみ、その衝撃に目尻には涙が浮かぶ。

「く、ぅぅ・・・・ッ」

 それでも身をひねることで続く衝撃を流しきり、ころころと転がって勢いをつけて起き上がった。

「な、何を・・・・?」

 先程されたことが分からない。

「力押しじゃ、俺には勝てないぞ。まあ、そんな形じゃ、力に憧れるのも分かるがな」
「―――っ!? 女と言うことを馬鹿にするのか!? 力で勝てないのは貴様だろう!?」
「・・・・・・・・お前こそ、男だから力が強いとか決めつけるなよ。確かに霊力云々なしでなら、お前に負けるつもりはないけどな」

 武芸者はくるくると槍を回しながら言う。

「『男だから力が強い』とかいう偏見は霊力を無視して言ってくれ」
「偏見・・・・?」
「そうだ。お前が『女』として見られることに偏見を感じるなら、俺もお前に『男』として見られることに偏見を感じるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 武芸者――瀧井信輝の言葉を聞き、郁は黙り込んだ。

「武芸者なら、ひとりの『人間』としての物言いをしろよ。じゃねえとせっかく鍛えた霊力に対して、侮辱だぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「さあ、来いよ。今度は力押しじゃなく、な」

 信輝の挑発に郁はキッと顔を上げるなり、大斧槍を構え直す。そして、信輝の背後で集束した霊力が爆ぜた。

「―――っ!?」

 後方での爆撃に耐えるために思わず重心を低くした信輝向け、突進する。そして、大斧槍を振り上げた。

「ちょ!?」
「力押ししか知らなくて悪かったなぁーッ!!!」

 離れた場所で戦っていた旗本衆が思わず顔を向けてしまうほどの轟音が鳴り響き、土煙がその音源を覆う。

「死ぬっ。死ぬからっ」

 そんな土煙を破って信輝が悲鳴を上げながら飛び出した。

「ええぃ、死ねぇっ。すぐ死ねぇっ」

 そのすぐ後ろを大斧槍を振り上げて追いかける郁。

「でりゃぁっ」
「ひょいっとな」

 背後からの斬撃を横によけ、信輝は反転する。そして、突進してくる郁を受け止め―――

「どわぁっ」
「きゃぁっ」

――― 一緒になって転がった。

「おうおう・・・・」

 打ちつけた額に痛みを訴えつつ、信輝は組み討ちの技術を使って相手を抑え込む。
 もはやそれは条件反射に近い行動であり、チカチカしていた視界が元に戻った時、郁の身体に馬乗りになっていた。そして、両手は武器を手放した彼女の腕を押さえ付け、完全に組み敷いている。
 何らかの霊的付加価値があったのか、大斧槍を手放した彼女の力は先程より弱い。
 必死に抵抗するも、技術に裏打ちされた信輝の拘束から逃れることはできなかった。

「う、うぅ〜・・・・」

 結局、信輝の身体の下で呻くしかなく、郁は完全に敗北する。

「ぜぃ・・・・ぜぃ・・・・なんつー力だ。霊力関係なく、男に勝てるんじゃねえの?」
「だから、女扱いするなと―――」
「無理に決まってるだろ? どう見ても女なんだから。ほれ、この首のか細いこと、片手でへし折れそうだぞ」

 信輝は片手で郁の両手を抑え、すすっと首をなで上げた。

「ひぅっ!?」

 ビクッと身体が跳ね、顔を赤くさせる。

「ん? 待てよ? 組み討ちに勝ったと言うことは・・・・」

 信輝は今の状況を客観的に想像し、嫌な予感を抱きながら周囲を見渡した。

「? どうした?」
「・・・・・・・・・・・・・・ほら、ね。どう考えても女に襲いかかってる図として見てるでしょ?」
「は? ・・・・・・・・・・・・あ」

 赤くなっていた顔色が一気に蒼くなる。
 近くにいた旗本衆と瀧井勢は全員戦闘を止めており、彼女たちに注目していた。そして、郁が視線を巡らせると一斉に視線を外す。

「ひ、ぃ〜っ!?」
「だぁっ」

 信輝はまた暴れ始めた郁を慌てて抑えつけた。

「な、何で抑えつける!?」

 先程よりも赤くなった顔をし、涙目で信輝を睨みつける。

「・・・・いや、何となく?」
「はぁなぁせぇっ」

 それから銃声や喊声が響く中、ふたりは誰がどう見ても仲良くじゃれ合っていた。




 佐土原にて藤丸方の主力が大演習に明け暮れる中、宮崎は一時の沈黙に包まれていた。
 実際に言えば、上方からの物資が届き、また、上方に物資を送り出す、といういつも通りの光景は賑やかなのだが、民衆にとっていつも通りとは大切である。
 藤丸方の軍勢が駐屯するようになり、これまで予備戦力敵扱いだった日向が最前線となった。しかし、主力が移動したことで、その喧噪がなくなっている。

「―――茂兵衛」

 そんな中でも渦中の人物は宮崎代官所に留まっていた。

「いないのか?」

 熱が下がった藤丸はまだ布団から出られないが、体を起こして話をすることはできる。
 確実に快方に向かっていた。

『おります』
「姿を現せ。話がしたい」
「はっ」

 一瞬で部屋の隅に霜草茂兵衛が平伏する。

「"例の件"、進んでるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 例の件とは、茂兵衛が藤丸に付けられた原因となった事件の調査のことだ。
 つまりは鷹郷朝流暗殺未遂事件。

「以前、藤丸様が指摘してくださったことを調べに、手練れ数名を鹿児島城に送り込みましたが、誰ひとり帰って参りません」
「殺られたか」
「・・・・はい」

 如何に手練れであろうと、鹿児島城は言わば黒嵐衆の総本山である。
 茂兵衛を頭目とする一部は藤丸に従っているが、大部分は貞流方の久兵衛に従っていた。
 情報収集力は頭目と言うよりもその頭目に指示する藤丸と貞流の戦略眼の違いに現れているが、単純な戦闘力で言えば、貞流方に大きく傾く。

「証拠がなければどれだけ筋が通ろうと民衆はついてこない。せめて、真偽のどちらかがはっきりしないと」
「分かっています。ですから、此度は私自ら乗り込もうと」

 突風が部屋の中を駆け抜けた。
 思わず目を閉じた藤丸はゆっくり目を開けながら言う。

「なんていった?」
「私自ら、鹿児島城に乗り込み、証拠を掴みます」
「・・・・黒嵐衆の指揮はどうすんだよ? 確かに父上の件は重要だけど、貞流の動きが読めないと、戦略に支障を来すぞ?」

 もっともな物言いである。
 藤丸が貞流に勝つためにはより早く敵の行動を掴み、その意志を砕くために行動を起こすことである。そのためには茂兵衛以下黒嵐衆が素早く藤丸に情報を届ける必要があった。

「その程度のことならば、御武殿にお任せします」
「御武に? ・・・・昌盛のほうだよな?」

 御武といえば、文官の気質が高い御武昌盛と日向衆でも指折りの戦術家である御武時盛がいる。

「はい、昌盛殿は朝流公の側近であり、器量もあります。なのにどうして宮崎代官などと言う職に落ち着いていたのでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 茂兵衛の言葉に熟考した。
 御武昌盛は朝流の側近であった。
 他の側近は鳴海直武、鹿屋利直といった面々であり、前者は戦術、後者は戦略に秀でている。
 その関係であれば、昌盛は政略だろう。
 事実、宮崎は中央との交易で栄える貿易都市だった。
 龍鷹侯国の商業の中心と言える。

(ん? 『中央』との交易・・・・?)

「まさか・・・・」
「お気づきになられましたか」
「御武は中央の情報が集まりやすい宮崎にいて、中央だけでなく、列島全体の情報を集めていた・・・・?」
「左様。我ら霜草家は元々、昌盛殿を頭にしておりました。しかし、昌盛殿は民草の中で交わされる何気ない言葉から情報を整理することが得意でした」

 黒嵐衆はどちらかと言えば、荒事を担当する集団である。
 大名の内情を探り、その秘事を暴くことが仕事だ。しかし、昌盛はどこで誰々が何をした、どこでどの軍勢が合戦に及んだ、などの噂話から大名家の内情や戦略を組み立てて報告していた。
 そのためには最も情報が集まる商業都市の方が仕事がしやすい。

「父上は西海の果てにありながら・・・・本家、朝廷を見据えていらっしゃった・・・・?」

 鷹郷家は数十年前、朝廷が都周辺を防衛するために近衛衆を組織した際、有力な家臣をその一員として送り出すなど援助している。
 鷹郷家は皇族。
 その意味を再確認させられた気分だ。

「・・・・俺が侯王になったら、朝廷に使者を送る必要があるな」
「でしょうね。今上天皇もこの内乱を聞き、心を痛めていることでしょう。・・・・ただ、朝流公は貞流様を跡取りと扱っていらっしゃいました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ですから、貞流様のところには帝から使者が向かっている可能性があります」

 「到着している」と言わないのはもし、到着しているならば、貞流はそれを隠し立てせずに大義名分にして藤丸方の切り崩しを図るはずだからだ。

「その跡取りと言われていたことを翻し、帝に兄上が相応しくないという事実を見せつける必要がある」
「はい。できるだけ早く、だからこそ―――」
「お前が・・・・行くか・・・・」
「御意」

 茂兵衛はただ頷くだけ。
 その姿に不退転の意志を感じ取った藤丸は許可する以外に採れる道はない。

「無事でいろよ・・・・」

 そっと呟いた藤丸は再び筆をとり、どこかへ送る書状を書き始めた。










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