第二戦「翻弄されしも輝ける群雄」/ 四



 大隅国鹿屋城。
 この地は龍鷹侯国において重臣中の重臣――鹿屋利直が治めていた。
 石高にして実に五万五〇〇〇石であり、一八〇〇近い戦力を単独で率いることができた。また、大隅国人衆の旗頭である鹿屋家は号令すれば近隣の国人衆を動員でき、戦時にあっては彼らをまとめて統率して軍事行動を起こしている。
 主力とは別に動く決戦戦力。
 そうした存在である鹿屋家は"翼将"と呼ばれ、聖炎国などはその動向を特に気にしいていた。
 もちろん、貞流と藤丸が始めた内乱においても地勢的、戦力的に重要な位置を占めている。
 貞流方に付けば日向に拠る藤丸を小林方面、都城方面から二正面作戦に追い込むことができる。
 藤丸方に付けば劣勢であった兵力が拮抗し、反攻作戦が採れるのだ。
 だからこそ、開戦当初から貞流は働きかけ、緒戦では二〇〇〇の大隅勢が国分城に押しかけていた。しかし、えびの高原の戦いで貞流本隊が敗北してから大隅国も空気が変わっている。
 帰陣した長男・鹿屋信直の入城を利直は拒否したのだ。
 それだけでなく、狭間からは鉄砲が突き出され、信直勢の動向を窺うように各地に国人衆が軍勢を率いてきていた。
 突然の父の裏切りに愕然とした信直は側近たちに説得され、自分たちの勢力下である高隈城に入城する。そして、大隅に早馬を飛ばしたのだ。
 結局、信直の下知に従うのは大隅国北部だけで、その内、半分は元鳴海家、武藤家の領土である。
 つまりは信直が直卒できるのは五万石弱であり、南半分を保有している利直には敵わない。
 結果、大隅では親子の奇妙な睨み合いが続いていた。

「―――父上、どうされるおつもりですか?」
「・・・・ん?」

 鋭い言葉に、茶を点てていた利直はとぼけた顔を上げる。
 そんな利直の心を問いただす者が鹿屋城にはひとりいた。

「兄上のことです。説明なしに入城拒否とは何事ですか?」

 姿勢正しく正座し、冷徹とも取れる眼差しを実の父に送る青年は鹿屋利孝という。
 鹿屋利直の次男であり、勘当寸前である鹿屋信直の実弟だ。

「ふむ・・・・」

 真剣な眼差しに利直は居住まいを正した。

「では、逆に問うが、何故利孝は兄と共に出陣しなかった?」

 信直が鹿屋城を出陣した時、確かに利孝は城内にいた。

「・・・・それは・・・・父上の判断を仰ぐべきだと・・・・」
「そうだ、それでいい」

 内乱勃発直後、利直は鹿児島城から帰還途中であった。
 利直率いる大隅勢は北薩の戦いで薩摩北部に出陣しており、その時の負傷兵たちは鹿児島城下で治療していた。
 利直は信直・利孝兄弟に主力軍を任せ、自分は負傷兵の面倒を見る一方で、国勢を取り仕切っていたのだ。
 何せ、利直は国内最大の石高を持ち、鷹郷朝流の側近だったからだ。

「内乱が始まり、大隅国は儂を欠いていたのだから、とりあえずは沈黙するか、互いの戦を仲裁するべきだった。それを・・・・」

 信直は貞流と個人的な繋がりがあり、貞流からの一方的な状況説明及び出陣要請に応じて二〇〇〇もの大軍を率いて出陣した。
 その後、国分城から北上しなかったのは評価できるが、それまでに臨界点を超えている。

「信直には今後、龍鷹侯国を動かすという家老としての心構えが足りない」
「それは・・・・」
「同時に貞流様に味方するというならば、どうして早々に都城を攻略しない? それこそ、鹿屋家が"翼将"と呼ばれた原因だぞ」

 利直は長男である信直には名門鹿屋家を継ぐには器量不足と見ているようだ。

「・・・・・・・・では、父上はこの内乱でどうしようというのですか?」

 「静観しているのは名門鹿屋家にあるまじきことではないか」と言及したのだ。

「ふ、ならば、利孝」

 そんな活きのいい息子だからこそ、利直はいじめたくなった。

「貴様に残りの大隅衆約三〇〇〇を率いる権利をやるといえば?」
「―――っ!?」

 大隅国は約二一万石だ。
 そのうち四半が鹿屋利直の指揮下にあるが、その残りを利直は掌握していた。
 それを委譲しようというのだ。

「兄に合流するか、兄と戦うか、それとも何もしないのか」

 それでいて、判断を要求した。
 鹿屋利直は今年で六一歳になる。
 信直・利直兄弟も遅くして生まれた息子だが、そろそろ家督を譲ろうと思っていた。
 家督を譲れば、自分は鹿児島に移って、友である朝流と一緒に余生を過ごすつもりだったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 利孝は沈黙して考え込んでいる。

(さて・・・・利孝はどうか・・・・)

 普段から沈着冷静で部将たちからの評価も高い。だがしかし、その判断力に信頼が置けなければ鹿屋家を任せることはできなかった。

「・・・・まずは情報を集めます。侯王暗殺の真相、霧島神宮陥落など情報が錯綜しているので整理したいと思います」
「ほう、それで?」

 噂されている通りの冷静さを見せた次男に満足そうな笑みを向け、さらなる考えを問う。

「両軍の認識に擦れ違いがあるならば、仲裁を。それでも止めないならば・・・・止めるまでです。その過程に兄と戦うことがあるならば・・・・打ち破りましょう」

 向けられた視線は確かな信念とそれに裏打ちされる芯の通った意見だった。

「ならば、その情報を―――っと来おったわ」

 利直は廊下をものすごい足音を立てて走ってくる小姓に顔を顰める。

「申し上げますッ。隠密に調べさせていたことと、人吉城に関する情報が入りましてございます」
「よい、そのまま申せッ」

 それでも情報が欲しい故に先を促した。






人吉城攻防戦scene

「―――幸希・・・・」

 人吉郊外の藤丸本陣に姿を現したのは宮崎代官――御武昌盛の嫡孫であり、日向高鍋城主――御武時盛の嫡男である御武幸希だ。

「どうしてここへ?」

 名前で分かる通り、未だ元服していない彼が戦場に現れること自体が不可解であるが、何故この場所が分かったかが一番の疑問だった。

「簡単ですよ。鳴海盛武殿から藤丸様の性格はお聞きしていました。ですので、せっかくですから戦力も提供しようと案内したまでです。侯国領内の日向は御武家の庭。そして、藤丸様が通られた道は御武家の草の者が常時張り付いている道ですから」

 草の者とは現地に潜伏して情報を送る忍びのことであり、地生えの豪族たちや政府高官たちは独自の諜報集団を有していることが多い。
 特に御武家はその情報収集能力と情報処理能力の高さから日向を任されていたのだが、それは藤丸には知らされていなかった。

「まあ、僕が藤丸様の動向が分かったのはいいです。それよりお連れしましたよ、最強の白兵戦部隊を」
「?」

 藤丸が首を傾げると同時に数名が幔幕を跳ね上げて入ってくる。

「お久しぶりでございます」

 ドカッと片膝を付いた武将は確かに見覚えがあった。

「薩摩枕崎城、瀧井信成、ただいま参上仕りました」
「同じく、瀧井信輝です。共に戦場を駆けし人吉の地で巡り会えるとは数奇なものですね」
「た、瀧井だと!?」

 瀧井家の枕崎城は貞流の猛攻を受けたはずだ。
 それがどうしてこの地にいるのだろう。

「申し訳ございません、藤丸様。枕崎城は相川貞秀率いる討伐軍の前に陥落。薩摩の要衝が奪われました」
「そうか。いや、それは覚悟していたけど・・・・」

 予想通りの事実に頷きつつ、戸惑いを含んだ視線を幸希に向けた。

「陥落の際、海軍第一艦隊、第二艦隊の軍船及び陸戦隊が援護し、信成様、信輝様を始めとした多くの者たちを救出したんです」
「海軍が・・・・」
「海軍と共に指宿に籠もりしもよかったのですが、やはり直接下知を賜りたく、海軍に頼み、宮崎に運んでもらったのです」

 幸希の説明を信成が引き継いだ信成は藤丸を仰ぎ見る。

「枕崎より連れし兵二〇〇をお使い下さい。白兵戦においては長井勢に劣らぬ自信がありますッ」

 その自信は本物だろう。
 瀧井流槍術は霊術を発動させる暇も与えない猛攻を重視するものであり、同時に一対多でも充分に活用できる代物であった。

「佐久殿は我らと同じく理不尽に攻められしもの、是非助けたく思います」
「増援戦力は瀧井勢二〇〇に加え、宮崎港に配置されていた御武勢一〇〇です」

 必死な想いで言葉を放つ信成とは対照的に冷静な物言いをする幸希に目を向ける。

「瀧井勢は白兵戦が、僕たち御武勢は草木や町屋などの障害物が多い場所での戦いを得意とします。また、藤丸様が率いる旗本衆はどちらにも特化していると思いますけど」
「確かに旗本衆はあらゆる戦場においても戦えるように訓練している」

 藤丸に代わって答えたのはやはり旗本衆をよく知っている猛政だ。

「そこで、こういう作戦があるんですが、聞いてもらえますか?」


 一方、人吉城攻防戦は戦場を本丸に移していた。
 三ノ丸は兵力を撤退させ、二ノ丸は兵力に押されて陥落している。しかし、本丸は人吉勢の最後の砦である。
 当然、頑強な抵抗を見せ、二度ほど寄せ手の突撃を跳ね返していた。

「少しでも戦える兵は残れっ。防衛線に穴を空けるなッ」

 そう指示する部将も腕から血を流しているが、簡単な消毒と後は霊力を使った<水>属性の霊術で止血している。だが、それは霊力量が大きい士分だからできることであり、足軽たちは物理的な処置で戦闘配置に付いていた。

「充分に戦える兵は三〇〇を切ったか・・・・」

 死傷者の数は六割を超えており、佐久勢は壊滅どころか全滅の危機に瀕している。
 これでもまだ戦えるのはこれが籠城戦であるからに他ならない。
 もしこれが野戦であれば、備が機能せずに崩壊していただろう。

「聖炎軍団も無理な攻め方のためか、そうとう兵を損耗したでしょうね」
「そうだな。国王の火雲親家ではなく、その嫡男が采配を振るっているのだったか・・・・」

 もし親家ほどの器量を持たないのならば、聖炎軍団は龍鷹軍団にとって脅威ではなくなるかもしれない。

「まあ、それでも二〇〇〇は戦いに投入できよう」

 つまり、佐久勢は兵力の割に聖炎軍団に打撃を与えられただけで、負けることは決まっていた。

「ただ、北薩の戦いで受けた傷、そして、この人吉で受けた傷を癒すには時間がかかる。内乱への介入は抑えたと言うべきかの」

 そう呟いた時、二ノ丸と本丸を繋ぐ城門が異音を立てて突破される。
 途端に城門前に配置していた白兵戦部隊と寄せ手が交戦状態に入った。

「よし、最期の働き場ぞッ、皆励めぇっ」
『『『オオッ!!』』』

 死を覚悟した城兵は強い。
 眦を決した足軽が突き出した穂先が鎧武者を突き倒し、滅茶苦茶に振るわれた打刀が敵足軽を圧倒する。

「く、案外に手強い」

 本丸での攻防戦に苦戦中という報告を受けた火雲親晴は歯噛みした。

「父上、敵も進退窮まり、死に物狂いのようですな」
「ああ、さすがは龍鷹軍団を代表する闘将じゃ」

 満足そうに城を眺める親家から余裕の表情が崩れない。

「・・・・父上、敵を褒めるのはよろしくないかと」
「何を言う。敵味方以前にあっぱれな部将に敬意を払えぬとあれば武士として恥ずかしかろう。武士とは斯くもありたいものじゃ」

 聖炎軍団の本陣は人吉城南西に位置している。
 一応、球磨川を気にしつつも、主力軍と距離を開かぬように配慮されていた。だが、前線とは距離があり、その報告が届くまでに時間がかかる。

(まだまだ、親晴は戦場心理というものを分かってはおらぬな)

 こればかりは経験を積むしかない。
 親家は跡取りと目している親晴の心の成長を促すために今回の指揮を任せていた。だからこそ、いつもしているような戦略的なことは意図的にしていない。ただ、戦略的な欠点を戦術的に挽回できるようにだけは手を打ってある。
 よって、この人吉城攻防戦は負けることはない。


―――ただ、それが完勝であるかどうかは分からないが。


「―――ぅわぁっ!?」

 異変が起こったのは城の東側だった。
 二ノ丸確保のために置かれていた部隊が突然攻撃を受けて壊滅したのだ。

「この場所を死守しろッ」

 数十人を一瞬で蹴散らしたのは猛政率いる二五〇人の旗本隊だった。
 鉄砲兵も一応いるので備としての軍勢だが、やはり強みは白兵戦だ。
 急を聞きつけて駆け寄せてきた敵軍と交戦に入ると、霊術の煌めきや爆音が響き渡り、本丸攻防戦に匹敵する激戦が展開された。

「な、何だ・・・・」

 また、二ノ丸ほど派手ではないが、本丸でも異変が起こっている。
 敵の圧力が緩んだことに気が付いた頼政は槍を振って貫いていた鎧武者を落とす。そして、辺りを見渡した。

「これは・・・・?」

 見覚えのない一団が見事な槍捌きで敵を押し返している。
 それは戦場で覚えた介者剣術ではなく、本物の武芸者のものだ。

「瀧井信成!?」

 そんな一団の中に顔見知りを見つけた。

「おう、頼政殿。勝手ながら、助太刀致すぞッ」

 会話混じりに佐久勢の武者を幾人も血祭りに上げていた部将が貫かれる。
 組頭を失った足軽衆は追い立てられるように頼政の視界から消えていった。

「何だというのだ・・・・」

 佐久勢本陣の兵たちも首を傾げる。


「―――時間がないから手短に説明するぞ」


 そこに背後からかかる少し強張った声。

「―――っ!? まさか・・・・ッ」

 それに驚いた頼政が振り返った先には数十人の護衛を連れた少年が立っていた。

「藤丸、様・・・・」
「助けに来たぞ、頼政」

 甲冑姿の藤丸は濡れている。

「まさか・・・・球磨川を越えられたのですか?」

 西側は球磨川を天然の堀としていた。
 そこを藤丸たちは越えてきたに違いない。

「ああ、多良木で筏を造り、そのまま流れに乗ってやってきた。城内にいた黒嵐衆が縄ばしごを下ろしてくれてな」

 そこまで言うと恥ずかしそうに頬を染める。

「まあ、俺は途中で落ちたんだけどな」

 だから、ひとりだけずぶ濡れなのだろうか。

「筏はまだ留めてある。その筏で対岸に渡って日向に退くぞ」
「・・・・お言葉ですが、藤丸様。自分はそれに従えません」

 頼政は片膝を付くことなく、立ったまま首を振った。

「自分は肥後に打ち込まれし軛です。人吉を失うというのに自分が生きているなどと許せません」

 龍鷹侯国が人吉城を落としてから数十年、守り続けてきた一族の血が流れている。

「ですが、助けに来た藤丸様の顔を立てるため、嫡男とその他の者たちを預けましょう」

 百花と共に嫡男の子――孫も脱出している。だが、藤丸を立てるならばすぐにでも戦場に立てる佐久家の者が必要だ。

「ですから、ここは早くお退き下さい」

 それだけ言うと頼政は歩き出し、戦場へと向かおうとした。

「お前ら夫婦は同じことを言うんだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 言われた内容に思わず足を止める。

「百花に会われましたか」
「うん」
「ならば、これが国境にある城将の気持ちとお知り下さい」

 いつでも最前線であり、危険な場所を預けられたという信頼に応え続けなければならない。もし、武勇拙く破れることがあれば、信頼を破る償いにせめても寄せ手の一人でも道連れにすることこそ、国境の守護者である。

「分かってる。でも、それは逃げだぞ、頼政」

 ピタリと歩き出していた足が再び止まった。

「一度の失態如きで死んでいてはあまりに勿体ない。失敗したというならば生きて、もう一度、取り戻せばいいじゃないか。この人吉城奪還作戦の総大将はお前に任ずると俺は決めてるんだ」

 如何に援軍が奮戦しようと、聖炎軍団を止められるものではない。
 ならば、彼らは何のために戦っているのか。

「俺の顔を立てるんだったら、お前自身が来い。そして、可能な限り兵を脱出させろ」

 頼政の側まで歩いた藤丸は返り血に染まる逞しい腕を掴んだ。

「帰るぞ、佐久」

 名字で呼ぶことにより、数十年間佐久家が背負ってきた重責から解放することを宣言する。

「・・・・・・・・御意」

 力なく肩を落とし、絞り出すような声で応じた頼政に藤丸はほっとしたように息をついた。そして、ふらりと体勢を崩す。

「―――っ!? 藤丸様!?」

 思わず支え、返り血で藤丸が汚れたことに躊躇した頼政は困ったように周囲を見渡した。

「やっぱり倒れたね」

 仕方ないとばかりに加納郁が寄ってきて藤丸を支える。

「大丈夫なのか?」
「おそらく。藤丸様は体が余り強くない。だというのに日向・肥後の国境を強行軍で突破、その後に球磨川に落ちたんです。それにあなたを説得できるかという極度の緊張まで加われば、緊張から解放された瞬間倒れてもおかしくない」

 彼女は藤丸の襟首を掴んで顔を覗き見た。
 その臣下にあるまじき行動に頼政は顔を歪めるが、郁は至極当然のように観察する。

「蒼い顔してても・・・・安心した表情ね。大丈夫、すぐ目覚めるでしょ」
「―――佐久様ッ、敵は一度退いて態勢を整える様子。退くなら今です」

 瀧井信輝が前線の状況を知らせ、判断を請うた。

「・・・・全軍撤退だ」

 絞り出すように言葉を出せば、後は一人でも兵の命を救おうとする有能な指揮官が顔を出す。

「火を放てっ。それを目眩ましに球磨川を渡り、多良木へと退却する。その後は藤丸様に助力するために日向へ行くぞッ」

 主将の意志を使番が転げるようにして戦線に伝えた。
 やがて、全ての兵に伝わり、その答えは鬨の声となって闇夜を震わせる。

「道中の戦術はすでに練ってあります。あなたは急ぎ兵をまとめ、多良木までひた走って下さい」
「・・・・分かった」

 ここにまさに血路を開く脱出戦が始まった。
 態勢を立て直す一瞬の隙を衝いた霊術攻撃で前線を崩壊させた佐久勢は本丸から搦め手へと兵を向ける。
 その道は旗本衆がしっかりと確保しており、旗本衆と戦っていた聖炎軍団は挟撃されて破壊された。しかし、二ノ丸から球磨川へと降りるのには苦労した。
 事前に用意されていた縄ばしごでは手間取り、少なくない足軽が川へと落下する。
 それを船で拾い上げる暇はなく、彼らは独自の判断で戦場から離脱した。
 それでも一〇〇近い兵は脱出に成功する。
 火雲親晴は脱出に対して四〇〇の追撃隊を組織し、本隊から派遣した。
 彼らは騎馬の比率が高く、あっという間に追いつくことが期待された。

「―――来ました、敵部隊です。騎馬兵一二〇、距離三町」

 幼い指揮官の声に数名の鉄砲兵がそっと茂みから銃口を突き出す。
 同時に騎馬兵に見られないように旗が振られ、いたるところから銃口が突き出された。
 彼らは追撃兵が進むであろう道の左右に展開している。

「距離半町」

 伏せている兵士たちの腹に響く馬蹄の音が周囲を圧する中、静かに紡がれた数値を聞いた瞬間、鉄砲兵たちはそっと指先を動かした。

『・・・・ッ』

 黒色火薬が一瞬で燃焼し、爆発力にて弾き出された六匁弾が空気を裂いて飛翔する。
 それらは暗闇を松明で照らして駆けていた騎馬兵たちに集中した。
 異音を立てて甲冑が貫通され、馬の胴に命中する。
 衝撃手放された松明が宙を舞い、傷を負った馬の悲しげないななきが木霊した。

「伏せ撃ちかッ」

 直撃を免れ、思わず手綱を引いて停止した騎馬兵向け、さらなる攻撃が繰り出される。
 すぐ近くの茂みから槍が突き出され、鋭い穂先が鎧の合わせ目を貫いた。
 動きを止め、周囲に視線を配っていた彼らは足下から伸びてきた槍にことごとく傷つけられる。

「ぬっ」

 その攻撃すらも運良く免れた者たちは松明を投げ捨て、武器を手に取った。
 投げ捨てられた松明が周囲を照らし、たった二撃で三割近くが死傷した追撃隊を照らし出す。

「はぁっ」

 騎馬兵の槍が茂みを貫き、潜んだ槍兵を焙り出そうとした。だが、その時にはその槍兵たちは撤退している。
 自然と穂先は空を切り、彼らは密集したまま空回りした。
 そこに降り注いだのは鉄砲の間隙を埋める矢の雨だ。
 鉄砲は火炎によって闇夜でも位置が特定される。だがしかし、弓矢はその射点を突き止めることは難しかった。

「固まっていては討たれるだけだッ。散れッ」

 生き残った者たちは馬から下り、散開する。
 馬から下りたのは機動力が封じられた騎馬兵など歩兵の餌食になるだけだからだ。
 これで足は潰した。
 そう判断した伏兵たちは山道を疾走して徒歩となった敵から逃げ出した。
 こうして、聖炎軍団の追撃は見事に空振りする。だがしかし、龍鷹侯国が肥後に打ち込んだ楔であり、薩摩防衛上に必要だった人吉城は陥落した。
 これまでは鉄壁を誇っていた人吉城のおかげで出水城方面しか気にしなくて済んだ龍鷹侯国だが、人吉城陥落により二方面を気にする必要が出来た。
 さらに最前線となる大口城は薩摩―大隅―日向を繋ぐ要衝であり、その城が戦渦に巻き込まれるだけで物流の流れは一気に悪くなる。
 それは内乱以上に龍鷹侯国の屋台骨を揺るがす要因だ。
 これを機に今まで沈黙を守っていた侯国最後の群雄が動き出した。










  第二戦第五陣へ