第二戦「翻弄されしも輝ける群雄」/ 三
「―――棚からぼた餅とはこのことか?」 火雲親家は麾下の軍勢を指揮しながらひとり呟いた。 聖炎軍団は北薩の戦いで多大な被害を被ったが、外征ができないほどではない。 聖炎国の敵と言えば、龍鷹侯国ぐらいで、北九州の雄――虎熊宗国からは養子をもらうなど、友好的な関係を築いている。また、拠点となる城がどれも金を注ぎ込んだ堅城ばかりであり、軍勢を引き返して後詰めする期日は充分に稼げるのだ。 「父上、ようやく、肥後統一が叶うのですな」 話しかけてきたのが虎熊宗国からの養子である火雲親晴である。 今回の遠征は彼が総指揮を執ることになっていた。 そんな聖炎軍団は北薩の戦いに参加しなかった阿蘇、菊池の軍勢が中心になった三〇〇〇である。 本来、龍鷹侯国に向けて放つ軍勢にしては少なかった。だがしかし、彼の国は真っ二つになって内乱の真っ最中である。 到底、援軍に来るはずがない。 「しかし、貞流公とは良い関係が築けそうですね」 ニヤリと笑う義息が言う通り、この遠征には貞流が関わっていた。 「くれるというならもらうまでだ。人吉城を包囲後、総攻撃をかけるぞ」 聖炎軍団はまさに火の出るような勢いで国境を越える。そして、守り手からすれば絶望的な攻防戦へと突入した。 人吉城攻防戦scene 「―――輸送船団が出発する。・・・・これで飫肥城の背後をつければいいが・・・・」 藤丸は武藤勢とは別に編成した討伐軍を見送っていた。 陸路よりも海路の方が早く、陸路部隊が出撃した後に編成された海路部隊はほぼ同日に飫肥地方へと到達するだろう。 「海軍が味方であるのは大きいな」 内乱勃発以後、宮崎港には海軍の艦艇が多く出入りしている。 それは宮崎港が龍鷹海軍第三艦隊の根拠地であることもあるのだが、それ以上に海軍が本格的に藤丸支援に乗り出したからだろう。 「藤丸様、早舟が参りましたぞ。使者が乗って参りましたので、どうぞこちらへ」 藤丸は帆を翻して進んでいく船団を一度だけ振り返り、すぐに代官所へと歩き出す。 「あ、お祖父様。先方は風呂も済ませ、すでに大広間にてお待ちです」 昌盛の姿を認め、きびきびした動きで少年が走ってくる。 年の頃は藤丸とほぼ同じ。 頭の良さそうな子だ。 「うむ。―――ああ、藤丸様、紹介致しましょう」 訝しげな視線で子どもを見ていた藤丸に気付いた昌盛は子どもを指し示しながら言った。 「私の孫、御武幸希(コウキ)です。年は藤丸様と同じですな」 「御武幸希です。お初にお目にかかります」 ペコリと頭を下げた少年は澄んだ声音で言葉を続ける。 「王立鉄砲鍛冶場からの使者様がお待ちです、お急ぎを」 「王立鉄砲鍛冶場? なぜ、一介の鍛冶場が?」 火砲研究所、鉄砲研究所などと呼ばれる龍鷹侯国立鉄砲鍛冶場。 種子島で産する砂鉄を製錬し、その場で作られる鉄砲は龍鷹軍団を支える貴重な武器である。 鹿児島城や海軍根拠地などでも鍛冶場が設置されると唯一の鉄砲生産地ではなくなった。だが、鉄砲生産過程の短縮や早合を発案、鉄砲戦術の考案に最新式鉄砲の開発などの技術革新の場としては最も重要な場所だった。 しかし、平時ならばともかく、戦時に動くような場所ではない。 「王立鉄砲鍛冶場の代表であらせられる武藤晴教様はかつて龍鷹軍団を代表する部将であられました」 「武藤・・・・?」 「はい、晴教様は統教様のお父上です。そして、武藤鉄砲隊を整備したのも晴教様であり、鉄砲を意識した城郭造りや鉄砲技術の多くを考案するなど、龍鷹侯国の鉄砲第一人者と言えるでしょう」 打てば響くとばかりにすらすらと言葉が出てくる幸希。 「お祖父様、そろそろ安芸からの商船が来る時刻ですよ」 「おお、そうだったな。では、行くとするか。―――藤丸様、来られているのはその、武藤晴教様ですぞ」 「え゙・・・・」 「ふぉっほっほ」と高笑いを残していく昌盛にふて腐れたような視線を向けた藤丸だが、客人を待たせると悪いので急ぎ大広間へと向かった。 「お待たせした」 藤丸は大広間に入るなり、そう言って頭を下げる。 身分的に言えば藤丸の方が上であるが、引退したとはいえ、未だ鉄砲研究の最先端を行く老人である。また、藤丸が無事に生活していられるのも、彼たちの代がしっかりと侯国を守ってくれたからだ。 「いや、戦地に行く兵を見送っていたのであらば、上に立つ者の鑑というもの」 待っていた老人は白い髭をさすりながらニヤリと笑った。 「また、噂通り、めんこい顔で儂は満足じゃ」 「・・・・ッ」 ビキリとこめかみに青筋が立つが、藤丸は何とか我慢する。 「それで、何用ですか?」 上座に座り、一座を見渡した。 武藤晴教の他、鳴海直武、長井衛勝、加納猛政など、重鎮たちが集められている。 「うむ、単刀直入に言うぞ」 晴教は姿勢を正すと平伏した。 「我ら王立火砲研究所以下、種子島、奄美大島、屋久島守備隊は藤丸様に従うべく戦力を率いて宮崎に集結致します。現在、海軍の輸送艦を待ちし軍勢は約八〇〇。火砲研究所も儂が手塩に掛けた子飼いの部隊を率いてきます」 畏まった物言いに、広間が厳粛な雰囲気に包まれる。 「南方の守備はいいのか?」 「海軍の第二艦隊が哨戒しておる」 「・・・・武藤鉄砲隊の増強と鉄砲の増加、か。兵力差を埋めるのには必須だな」 (それに、龍鷹軍団の長老的な御仁が味方なら、心強い) 今、貞流方には貞流の子飼いの部将や側近たちが多く集まっている。そして、藤丸方には朝流の側近たちが多く集まっていた。 これはまるで、世代交代の折に起きる権力争いのようだ。 新当主は前当主の影響をできるだけ排除したからこそ、前当主の側近たちを遠ざける。 それがあからさますぎ、内乱に発展した例は戦国時代では数え切れない。 「―――藤丸様、火急の報せです」 強力な味方を得、おもわず緩んでいた空気に低い声がかかった。 「茂兵衛か、どうした?」 「南方の脅威は鳴りを静めていますが、北方より来ました」 「北方・・・・聖炎国かっ!?」 直武が膝を打つ。 「御意。聖炎軍団約三〇〇〇が国境を踏み越え、人吉城へと侵攻を開始しました」 「内乱に乗ずるか・・・・っ」 卑怯とも言えるが、隙を見せる方が悪いのだ。 「佐久勢は?」 「北薩の戦い以前に被った損害は回復していないので、やはり籠城戦を選ぶようです」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 聖炎軍団三〇〇〇とは飫肥討伐軍を抜いた藤丸が持つ戦力とほぼ同等である。そして、人吉城へ行くには貞流方の大口城を通過する必要があった。 「貞流兄さんは援軍を出すかな?」 いくら内乱中とはいえ、国土を侵そうとする敵がいれば迎え撃つであろう。しかし、貞流がそう考えているとは思いがたい。 (貞流兄さんは聖炎国を格下だと見ている) だからこそ、北薩の戦いでも無理に野戦を挑んだのだ。 本当に格下というならば、龍鷹軍団は容赦なく聖炎国を踏み荒らし、国土としているというのに。 「とりあえず、そっちも注意して情報を届けてくれ」 「御意」 声と共に茂兵衛の気配がかき消えた。 「晴教殿。集結の日、場所は後日伝える故、とりあえず今日のところは・・・・」 「心得ておる。気張るのじゃぞ、若き総帥よ」 期待に満ちた視線を受け、藤丸は戦意が向上するのを感じる。 「貝を吹けっ。軍勢を集めろっ」 直武が大音声で指示する中、藤丸は武者震いする拳をゆっくりと握りしめた。 二日後、人吉城を巡る情勢は悪化を辿っていた。 人吉城を取り囲んだ聖炎軍団と佐久勢が激戦を展開する中、貞流勢二〇〇〇が小林城方面へと進軍を開始したのだ。 それは人吉城の無視であり、大口城に残った守備兵の様子から貞流方と聖炎国の間に何らかの取引があったと思われた。 つまり、貞流は人吉城を渡し、肥後全土を聖炎国の領土にする代わりに内乱に手を出すな、と言うのだ。 それは貞流が早馬によって召集を求めた結果、各部将の反応を以て決められていた。 人吉城主――佐久頼政は聖炎国と国境を接しているために内乱には加わらないという中立明言し、同じく国境を接している出水城の村林信茂は参加したいが、聖炎軍団を警戒している、という保身に走っていた。 結果、貞流は出水城兵を欲しいばかりに心情的には藤丸に近い人吉城を捨てたのだ。 「許せないな・・・・」 藤丸は自室で一緒にお茶を飲んでいた鳴海盛武に愚痴った。 盛武はえびの高原で受けた傷を癒し、ようやく軍勢の指揮を執れるまでに回復している。 「若はもしかして抑えの兵を蹴散らし、人吉を助けるつもりで?」 明日の早朝に鳴海直武率いる二〇〇〇が小林城へと向かう。 その一部将として数えられている盛武は自分がいない間に藤丸が暴走しないか心配だった。 「あまり、加納親子に迷惑をかけるもんじゃないよ」 ふたりの時は砕けた口調である盛武は優しい笑みを浮かべる。 「分かってる。・・・・でも、佐久頼政は失うには勿体ない・・・・」 「まあ、人吉城で踏ん張っているあの人はすごいけどね・・・・」 そっと視線を落とした盛武は首を振りながら言った。 「諦めるしかないね、人吉城は」 まさか、この発言から藤丸が何かを思いつくとは思わなかった。 「藤丸様、たった今、海軍第一艦隊の輸送艦が・・・・あれ?」 それから二日後、船団到着を伝えに来た幸希が藤丸の部屋を開けた時、そこはもぬけの殻だった。 「???」 疑問符を浮かべた幸希はとりあえず、祖父に連絡するために屋敷を辞す。だが、この後、藤丸がいないだけでなく、屋敷自体が無人であることに気付いた幸希は大慌てで祖父の下へと駆け出した。 「―――とりあえず、凌いだか・・・・」 五月二六日、肥後国人吉城。 聖炎軍団の猛攻を跳ね返し続ける、龍鷹侯国にとって肥後に打ち込んだ唯一の杭だった。 北側と東側には川が流れ、天然の堀となっている。 そのために攻撃は西側と南側からなされているが、兵力を集中している佐久勢は頑強に抵抗していた。 鉄砲を撃ち、矢を放ち、石を落とし、熱湯を流す。 乗り越えてきた敵がいれば斬り倒し、突き倒し、叩き倒した。 「・・・・いつまで・・・・」 血で血を洗う籠城戦はいつまで続くのだろう。 本来、籠城戦とは後詰めが来るまで耐えるものである。しかし、どうやら本国は内乱に集中して後詰めは来ないか遅れるようだ。 それでも頼政たちは戦うしかない。 「殿、各曲輪とも損害率はなんとか継戦可能なものだそうです」 「・・・・そうか」 さすがに北の要衝として役目を果たしている人吉城が数日で陥落してはいけない。 出水城は小規模であるが、人吉城は数千が一度に入れる規模を持つ。 (だからこそ、守備兵が少ないと守りにくいのだがな・・・・) 今でも東側と北側の曲輪には十数人の見張りしかいない。 それ以外は敵主力に向けて交戦していた。 佐久勢は最近までの戦いで多くの兵を失っていたが、各地の守備隊を引き寄せれば、それでも八〇〇を集結できた。だが、これは通常動員数を遙かに上回っており、この戦いで多くの兵を失えば向こう数年、大規模な動員はできなくなるだろう。 そのためか、戦力差――三倍を少し超える程度にまで減らしていた。 (まあ、奴らも兵力に余裕はあるまい) 城攻めには籠城兵の三倍、攻城兵が必要という。 その通説を満たしてはいるが、彼らからすれば四倍以上の戦力差を予想していたに違いない。 目論見が外れた指揮官たちに戸惑いが見られる以上、兵たちの動きが鈍くなるのは当然だった。 「しかし、明日には破城鎚が出来上がる頃合いか・・・・」 「―――そうでしょうね。聖炎軍団は城を軸に物事を考えるはず、ならば攻城兵器などもお手の物でしょう」 「百花・・・・」 ひとりの武装した侍女を伴い、頼政の正室がやってきた。 「それに人吉城は最北端の城というのに出水城のように改築されていません。相当の情報が敵に流れているでしょうね」 百花の言う通り、人吉城は数十年前に改築されてから縄張りや作事に大きな変化はない。だが、直轄地扱いである出水城はここ十年の間で大きく変わっていた。 「聖炎国の目標は『肥後統一』。それさえ成せば、肥後五一万石を領すことになりますから」 百花は頼政の隣まで来ると、篝火を焚く敵陣を見下ろす。 「城内戦では私たちおなごも戦います。霊術を使えるものや弓矢などもありますから」 「ダメだ。おなごは号令一下で動くことを知らん」 「しかし・・・・」 石垣を主体に改修された近代城郭ならば多聞櫓があるだろうが、人吉城にはそんなものはない。 だからこそ、号令で兵が進退しなければ効果的に次の曲輪への撤退などが行われず、白兵戦で兵力を消耗する可能性が高かった。 「いざとなれば、百花たちは脱出し、佐久家の家名を残してくれ」 頼政は振り返り、長年連れ添った彼女に頭を下げる。 「分かり・・・・ました」 それは落城を覚悟していると言うことであり、自分は逃げないということだ。 その姿を辛そうに見た百花は視線を逸らしながらそう答えるしかなかった。 「―――放てぇっ」 五月二七日、頼政の予想通り、攻防戦に攻城兵器が登場した。 西側と南側に布陣した聖炎軍団から進み出てきたのは五つの投石機だ。 それも弾力を利用したものではなく、錘を利用した長距離射程のものである。 速射は利かないが、安全な場所から敵を攻撃できる。 「大手門、破壊されましたッ」 「む、うぅ・・・・」 頼政は拳を握り締めた。 数日間、城外と城内を仕切っていた城門が為す術もなく破壊された。 その歯がゆい事実に怒気が迸る。 「物見櫓から降りろッ。次はそこを狙ってくるぞッ」 声と同時に次弾が放たれ、大きく弧を描いた巨石は城内へと落下した。 木が砕かれる異音と共に物見櫓の支柱が折れ、轟音を立てて南西の物見櫓が崩れ落ちる。 指示は行き届かなかったので、四名の足軽が数丈の高さから地面に叩きつけられて絶命した。 外れた石たちも待機していた足軽の隊列に突っ込み、数名を轢き殺す。 鉄砲狭間に張り付いていた鉄砲足軽が投石機向かって射撃するが、二町近く離れた投石機に命中することはなかった。 例え命中したとしても六匁ごとき弾丸では破壊することは不可能だ。 結局、鉄砲隊は組頭に射撃中止を命じられ、沈黙する。 反撃できないことで、人吉城兵の士気は急降下していた。 「三ノ丸から兵を撤退させよ。あの投石機は固定式だ。二ノ丸で敵兵を支えるぞ」 一方的な攻撃に蒼白になっていた使番は転げるように三ノ丸の部将へ伝えるために駆けていく。 空を舞う巨石が城内に墜ちる度に轟音と悲鳴が響いていた。 敵を受け止めるはずの塀が崩れ、白兵戦部隊の隊列を乱していく。 「非戦闘員は城の東側へ移動せよッ」 「殿、兵も少し下げては? 動揺が広がっています」 「ダメだ。ここで下がれば総崩れになる」 「ですがっ、敵弾は本丸まで届いていませんッ。兵たちに不信感を抱かせてはいけません」 不信感とは首脳部だけ安全な場所にいて、自分たちはどうして危険な場所にいるのか、という思いだ。 不信感はやがて不満に代わり、厭戦気分が漂うだろう。 そうなれば白兵戦でも勝てず、陥落してしまう。 「ダメだ、こちらが兵を退けば敵は必ず攻めてくる。その時に本丸だけでは支えきれない」 「ですが・・・・」 まだ不満そうだが、彼は引き下がった。 ここで口論することこそ、兵に不信感を与えてしまう。 「皆、耐えろッ。敵の石も無限ではないぞッ」 励ますように大声を上げた頼政だが、その大声を掻き消す勢いで立て続けに塀が崩壊した。 球磨川との境を走る三ノ丸はそれほど大きな被害ではない。だが、南側に広がる二ノ丸は甚大な被害が生じていた。 「敵主力、南側へと移動しまーす」 見張り兵が叫んだ通り、西側に布陣していた軍勢が南側へと走っていく。 「三ノ丸から兵が退いたのを悟ったか・・・・」 三ノ丸から突撃し、聖炎軍団の退路を断つ戦法が採れないと判断した敵軍は主攻勢を南側に移したのだ。 反撃密度が増したが、それを効果的に発揮するための防御機構が大きく破壊された二ノ丸では白兵戦になるだろう。 「敵の攻撃が始まれば、女子どもは護衛をつけて東側から脱出させろ。多良木までは追ってこないだろう」 多良木には五〇名ほどの兵が駐屯している。 そこからどうするかは百花にでも考えてもらえばいい。 「白兵戦には・・・・俺も出るぞ」 槍持ちから槍を受け取り、素振りをくれた。 城を枕に討ち死にする部将としての誇りに満ちた表情で頼政は思う。 (加治木城に散った武藤家教もこのような気持ちだったのだろうか・・・・) いや、違うだろう。 武藤家教は武藤家の命運や龍鷹侯国の行く末を藤丸に託して散った。 だが、頼政はただ自分の意地のために死に行くのだ。 (次に生まれた時は何かに命を懸けて散りたいものだ・・・・) 投石機の攻撃が終わり、聖炎軍団の総攻撃が始まったのは午の刻のことだった。 「―――申し上げますッ。人吉城は日が落ちても合戦の真っ最中であり、佐久勢は劣勢の模様ッ」 馬を飛ばしてきた若武者は下馬するなり、一息で大勢を口にした。 「頼政様らは本丸に兵を退き、城門にて敵を受け止めております」 「三ノ丸、二ノ丸が陥落しているか・・・・」 本陣の幔幕内で床机に座っていた少年がポツリと呟く。 「少し、遅かったかな、猛政」 「・・・・ですが、ここまで来た以上、戦わない選択肢はないですな」 「はぁ・・・・」とため息をつく偉丈夫は加納猛政。 藤丸方において、藤丸を守護する旗本部隊の大将であり、勇猛さでは龍鷹軍団を代表する武将である。 また、個人の武術だけでなく、霊術もお手の物であり、あらゆる攻撃から藤丸を守る守護神だ。 「だが、どうするか・・・・」 藤丸は鳴海勢が出撃するとほぼ同時に旗本だけを連れて肥後へと走ったのだ。 道は赤木山東方を抜け、多良木に至るもので、かなりの強行軍だった。しかし、少数であり、兵たちも龍鷹軍団を代表する精鋭である。 彼らは弱音を吐くことなく、しっかりと人吉城を見据える場所に布陣していた。 「―――佐久様の奥方様をお連れしました」 「・・・・会おう」 加納郁が連れてきたのは脱出していた佐久百花だ。 彼女たち一行は郁率いる先遣部隊に発見され、保護されていた。 「お初にお目にかかります。佐久頼政が室、百花でございます」 陣中であり、屋外であるにもかかわらず、彼女は平伏する。 「藤丸だ。内乱中であり、少数の後詰めしか出せずに迷惑を掛けた」 「いいえ、こうしてきて頂いただけで当家が見捨てられたのではないことが分かりました」 その言葉を受け、藤丸は眉をひそめた。 彼女の言葉は事実であり、貞流は佐久家を生贄にしている。 「見捨てるものか。佐久家は龍鷹侯国の北の守り。何より攻め寄せている聖炎軍団は当家の宿敵だぞ」 藤丸の言葉は百花に向かって放たれたが、意識は鹿児島城にいる兄に向けられていた。 佐久家は代々、人吉城で聖炎軍団と戦ってきている。 薩摩からは国見山地を越えなければならない以上、後詰めはどうしても遅れる。 そんな中でもしっかりと龍鷹侯国の旗を掲げ続けていたのは佐久家の武勇のおかげだった。 (それを容赦なく切るとは・・・・) 貞流は一時だけ人吉を任せ、国内を掌握した後に大動員を掛けて聖炎国に攻め込むつもりなのだろう。しかし、聖炎軍団はそれほど甘い敵ではない。 「藤丸様はこれより聖炎軍団に攻め寄せるおつもりですか?」 「? ・・・・ああ、そのつもりだよ?」 小首を傾げてみせる藤丸に厳しい視線を注いでいた百花は背筋を伸ばして言い放った。 「それはなりません。このまま兵をお退きあれ」 「はぁ!?」 藤丸は驚きに目を見張る。 もっとも、これには居並ぶ諸将も驚いていた。 自分たちを助けに来た軍勢に向かって、戦わずに退けとは何事だ。 「説明していただけるか?」 憤懣を抑え込んだ猛政が低い声で問う。 そんな並みの者では卒倒してしまう圧力を受けても百花は揺るがなかった。 「人吉城はもう保ちません。このままこの軍勢が戦いを仕掛けても、聖炎軍団は余裕を持って迎撃するでしょう。侯国の次代を背負う軍勢を道連れにするわけにはいきません」 「負けるというか・・・・」 「では、逆に問いましょう。勝てますか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 兵力差は約十倍。 その大半が城内に突入しているとはいえ、聖炎軍団本陣は堅固な陣形を敷いていた。 それは先の攻防戦において、寄せ手は奇襲されて壊滅したからだ。 同じ轍は踏まないとばかりに臨戦態勢でいる本陣を寡兵で打ち破るのは不可能だった。 「俺は嫌だぞ。・・・・見捨てるなんてできない」 「駄々をこねるものではありませんよ、藤丸様」 百花は優しい眼差しで首を振った藤丸を見遣る。 「貞流様は当家を見捨てたのは当家が内乱に中立であろうとしたからでしょう。大戦略を見られず、独自の戦略眼でしか彼我の戦力を図れない貞流様は侯王に相応しくない」 しずしずと歩み寄った百花は藤丸の手を握った。 「だからこそ、この内乱を制して下さい。その折に佐久家の家名が残っていることが私たちの願いです」 家名の存続。 それは武家に生まれた以上、最も気にしなければならないことだ。 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 百花の真摯な思いに諸将たちは言葉を発することができなかった。 それは猛政も同じであり、彼は判断を仰ぐように藤丸を見遣る。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 藤丸は歯を食い縛っていた。 佐久勢約八〇〇は今でも本丸に籠もって抵抗している。 それは龍鷹侯国を守る戦いであり、同時に貞流には必要のない戦いだった。 そんな虚しい戦いだというのに、いや、だからこそ彼らは意地になって武器を振るっている。 (俺は・・・・忠臣ひとりも救えないのか・・・・) 脳裏に加治木城を枕に玉砕した武藤将士が浮かんだ。 別所川の対峙で見た彼らは本当に自分のために命を捨てて戦ってくれた。 「・・・・俺は・・・・・・・・・・・・」 周りを見渡し、注目されている事実を確認する。そして、絞り出すように判断を口にした。 「それでも俺は・・・・助けたい」 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 大人顔負けの戦略眼で劣勢の勢力を率いてきた少年が漏らした本音。 そして、それを受け、最も早く動いたのは――― 「―――ならば、助けるとしましょう」 ―――少年だった。 「遅くなりました。御武幸希、増援部隊を案内してたった今到着致しました」 |