第一戦「噴き上がる戦火の燎原」/ 四



「―――そうか、家教が・・・・」

 加治木城陥落、武藤家教討ち死にの報は三日の深夜に、霧島山南麓に敷かれた藤丸の本陣に届けられた。

「武藤統教殿は脱出されたのだな?」

 藤丸の本陣を固める旗本衆頭目――加納猛政が問う。
 本来、忍びの者が直接、報告することはないのだが、藤丸は速度を重視し、その慣例を打ち破っていた。

「左様に御座います。統教様以下四〇名は搦め手より血路を開かれましてございます」
「統教に伝えろ。国分ではなく、東郷に集結せよ、と」
「はっ」

 黒嵐衆の忍びが一礼するなり、風となって陣所を飛び出していく。
 その様を眺めた藤丸はすぐに猛政に視線を向けた。

「攻め手の最中に軍を返したと言うことは後詰めに向かわせた長井勢に気付いたみたいだな」
「はっ。向坂勢は五〇〇。四〇〇の長井勢とは互角でしょう」
「・・・・国分は、無理だな」

 藤丸はそう見切ると立ち上がる。

「直武を大口に向けてよかった」

 藤丸勢の主力たる鳴海勢は全軍を上げて大口城方面へと向かっていた。
 大口城が植草勢に急襲されて接収され、肥後・日向への交通の要衝を抑えたとあっては、貞流の目的が国分城を包囲しての攻防戦であることは必至である。
 このままでは兵の進退の自由さえもらえずに敗亡する。
 そう判断した藤丸は国分城の放棄を念頭に入れ、軍勢を動かしていた。

「されば、行かれますか?」
「そうするかな。―――長井衛勝へ伝令っ」

 藤丸は伝令の若武者に考えを伝え、最前線となった長井勢へと走らせる。

「出撃するぞッ。旗を揚げよぉっ」

 藤丸本隊三〇〇は一斉に旌旗を翻し、戦場とは逆方向へと北上していった。


 五月三日を皮切りに藤丸勢と貞流勢は各地で干戈を交え始めた。
 加治木城で武藤家教が玉砕し、その後詰めに出ていた長井衛勝が兵をまとめ、急進してきた向坂由種を迎え撃つ。さらに大口城を落とした植草憲正の兵を撃破するため、主力である鳴海勢が北上していた。
 加治木城の陥落は戦場を大きく東に動かし、その全てが霧島から見下ろせる範囲で行われる局地戦へと発展する。
 次に激突したのはいち早く国分へと進出した向坂勢とそれを迎撃する長井勢だった。






隼人の戦いscene

「―――鉄砲組折り敷けぇっ」

 采配代わりの大身槍が旋回し、軍勢が手足のように動いた。
 大隅国隼人。
 国分城から西に二里弱の場所に長井勢が布陣する。

「申し上げますっ。急進せし向坂勢五〇〇。五町先を土煙隠すことなく突撃して参りますっ」

 物見に就いていた若武者が自身が流した血を拭うことなく報告した。
 すでに両軍の物見同士が激突し、干戈交えているようだ。

「さもあろう。向坂由種と申せば、貞流殿の家中で勇猛を知られた男、相手にとって不足なしっ」

 勇猛果敢な部将を相手するというのに衛勝の口元には笑みが広がっている。

(遮二無二の突撃しか知らぬ猪武者など散々に打ち払ってくれるわ)

 最先鋒で戦ってきた衛勝は猛将の名に恥じぬ武勇を誇っているが、それはただの攻撃力のみで語られているものではない。
 彼の戦い方は訓練された精強な長柄隊で敵を防ぎ、わずかな裂け目を見つければ騎馬隊を打ち込むという防御を前提にした粘り強い戦いを得意とする。だが、その騎馬隊は精強無比であり、いざ突撃となれば敵中で暴れ回るだけの戦闘力を持っていた。
 衛勝が他の猛将と違う点は、戦力の使いどころを心得ていることにある。

「鉄砲衆は伏せて隠れておけッ。竹束を前に出し、敵の矢玉を防ぎつつ、長柄隊は膝を付き、槍も伏せよッ」

 衛勝の一見奇妙に思える命令を訓練された兵たちは何の疑いもなく実行した。
 本来、膝撃ちで訓練された鉄砲隊は腹ばいとなって低い位置から銃口を敵に向ける。
 その後方で長柄隊が膝立ちとなり、地面に長柄を寝かした。
 ずらりと前に竹束が並んでいるので、伏せている長柄隊は見えにくい。
 それ以上に敵の位置からは翻る数々の軍旗に目を奪われつつあった。

「思った通りだ。敵はそのまま寄せてくるぞッ」

 この地に布陣した長井勢は三〇〇。
 向坂勢は二〇〇の兵数差を以て押し潰す気らしい。

「やはり、猪武者は目先のことしか考えられぬな」

 だからこそ、然るべき戦場を用意してやらなければならないのだが、それを考えるのはもっと上の人物だ。

「せっかく欠けた戦略。ここは散々に打ち破り、家教の無念晴らしてくれるわッ」

 その瞬間、百町まで迫った敵鉄砲隊が膝を付くなり、目当てを付けて発砲した。
 五〇挺を数える鉄砲が一斉に咆哮し、灼熱した鉛玉が長井勢の陣地に殺到する。しかし、そのほとんどがズラリと並べた竹束に弾き返され、陣地に飛び込んだ銃弾も虚しく空を切った。

「まだだ、まだ撃つなよッ」

 長井勢最前線で指揮を執る一番隊物頭――小幡虎鎮は応射しようとする鉄砲隊を抑える。

「合図があるまで撃つなよっ」

 左右に展開した敵鉄砲隊の間を敵長柄隊が足並みを揃えて進軍してくる。
 鉄砲によって牽制し、その間に距離を詰めようというのだろうが、その鉄砲自体が全く意味がないことに気付いていない。
 二〇〇を超える兵が疾走する震動は腹ばいになった鉄砲隊に響く。だが、彼らは引き金に手をかけたまま必死に耐えた。

「逸っているな、向坂は」

 向坂勢の長柄がキラキラ光り、その寄せる姿は長井勢本陣からはよく見える。
 時折、頭上高くを鉛玉が飛翔するが、衛勝は大身槍を握り締めたまま身動きひとつしない。

「今だ、放てぇっ」

 そんな衛勝が信頼する小幡は敵勢が三〇間を超えたと判断した時、敵勢の喊声に負けない大声で下知を下した。
 その瞬間、草むらが火を噴いた。
 伏せ撃ちの態勢で目当てを付けていた鉄砲隊が一斉に引き金を引いたのだ。
 五〇余発の弾丸が次々と向坂勢に吸い込まれ、鉄を穿つ異音と共に悲鳴が上がった。
 額を撃ち抜かれて倒れる足軽の横で、別の足軽が胸に弾丸を喰らって吹き飛ぶ。さらには後方で指揮を執っていた騎馬武者に数発が集中し、地響きを立てて崩れ落ちた。
 突然の一斉射撃に向坂勢の先鋒で混乱が起きる。
 そこに弓衆が放った矢が降り注ぎ、混乱が助長された。

「長柄隊、起こせぇっ」

 小幡の槍が旋回し、伏せていた長柄兵が長柄を持って突撃を開始する。
 精強で鳴る長井勢長柄組の突撃は容赦なく、混乱した向坂勢に打ち込んだ。

「む、迎え撃てッ」
「槍を立てよッ」

 突然現れた長柄隊に仰天した向坂勢の足軽が同じ長柄で対抗しようとそれを構える。だが、長柄槍とは集団で使ってこそ意味のある武器であり、単体ではむしろ長いだけの邪魔な武器だ。

『『『えいっ』』』

 だからこそ、踏み止まって抗戦の気概を見せた向坂長柄隊は振り下ろされた圧倒的多数の長柄に打ち倒された。

『『『えいえいえいッ!』』』

 叩いては振り上げ、また叩くを繰り返し、長井長柄隊は前進を止めない。
 瞬く間に向坂長柄隊を打ち負かした長柄隊はそのまま敵の第二陣へと突入する。そして、鉄砲隊は再装填を終え、味方撃ちを恐れて援護射撃できない敵鉄砲隊へと照準した。

「撃てぇっ」

 小幡の指揮の下、再び銃口が火を噴き、命令を出すかどうか迷っていた鉄砲物頭以下、敵鉄砲隊を薙ぎ倒す。

「騎馬隊寄せよッ。乗り崩しだぁっ」

 緒戦を取ったと判断した衛勝は自ら大身槍を振るって戦場に向かうべく、馬腹を蹴った。そして、それに続くべく、長井勢本陣も旗を翻して突撃する。
 邪魔な鉄砲隊を壊滅させた長井勢は総攻撃に入ったのだ。

「そこな大将、長井弥太郎殿とお見受けするッ。いざ尋常に勝負っ」

 散々に打ち込んだ長井勢を切り抜け、一騎の騎馬武者とその郎党と思しき数名の徒歩武者が駆けてくる。しかし、そんな血路も衛勝までは繋がっていなかった。

「下がれ、下郎ッ」
「殿の槍はお前のような葉武者相手には勿体ないわッ」

 数名の馬廻が迎撃し、瞬く間に葬り去る。
 常に前線にあり、龍鷹侯国の主要合戦に参加してきた長井勢の戦闘力は龍鷹侯国随一を誇っていた。
 その中でも精鋭で鳴る衛勝直轄軍はひとりひとりが鬼神の如き強さを持っている。

「おいおい、お前ら。俺にも槍を振るわせてくれよ」

 頼もしいのはいいが、自ら踏み込んでも敵が来ないのでは意味がなかった。

「そうはいきません」
「そうです。万が一、殿が戦い始めれば辺りは嵐になります」
「そんな中で戦うのは御免です」

 長井勢の兵士たちは主君相手でも臆せず言葉を話す。
 その連帯感こそが強さの秘訣とも言えた。

「ふん、ならば自ら手に入れてみせるわ。―――押し崩せぇっ」

 長柄隊が敵の徒歩武者を突き倒し、騎馬武者が敵足軽を馬蹄に掛ける。
 戦場全体で優位に立ちつつある長井勢。だが、やはり二〇〇の兵力差は斬っても斬っても敵がいる感覚が兵に浸透しつつあった。

「む、いかんな」

 兵たちの進撃速度が鈍った、と感じた衛勝は眉をひそめる。そして、それは各部隊同士の進撃速度に差が生まれ、最も士気の高い部隊が敵中に孤立する可能性があった。

「伝令っ。『各部隊長に告ぐ。兵をまとめ、今在りし場所にて踏み止まれ』と伝えよ」
「「「「はっ」」」」

 本隊付の武勇に優れる若者たちが爽やかに返答を返し、馬首を巡らせる。

「伝令、伝令ですッ」

 そんな若者たちとすれ違うように最前線からひとりの若者が駆けてきた。

「おう、俺はここだぞっ」

 味方の進路を開けるように徒歩武者たちの槍が引かれ、衛勝までの一本道が出来上がる。
 その道を駆け抜けてきた若者は衛勝の前に来るなり、馬から下りて片膝をついた。

「我が主、一番物頭――小幡虎鎮より意見具申です。『敵本陣まで防ぎに出ており、兵力差が生まれつつあり。ここは眠りし兵を起こすべき』とのこと」
「さすがは我が一番物頭。目先だけでなく、戦局をよく見ておるわ」

 獅子奮迅の働きで向坂勢を押し返す小幡虎鎮を頼もしげに見遣り、衛勝は己の霊力を練り上げる。
 そんな時、ちょうど各部隊も乱れつつあった自軍をまとめて戦い出していた。
 戦場の真っ直中で陣形を整えるなど、統制の取れた軍勢でしか為し得ない。
 そんな難易度の高いことを成し遂げた長井勢は必死に突き出される向坂勢の鋭鋒を逸らし、各部隊は向坂勢の陣形に深く食い込んだまま徐々に内部から食い尽くし出していた。

「申し上げます。安野芳輝様、御討ち死にっ」
「長井勢乗り崩し部隊、食い込んだまま退きませんっ。各所で塊り、防戦しています」

 向坂勢本陣もその乗り崩し部隊の対応に追われている。しかし、総大将である以上、向坂由種は全軍の采配も振るわねばならなかった。

(何故だ、何故退かないッ)

 乗り崩しは確かに効果的だった。
 すでに向坂勢の第一陣は壊滅。
 第二陣もちりぢりになっており、第三陣と本陣が辛うじて隊列を組んで抗戦している。しかし、辛うじて抗戦できていると言うことは乗り崩し部隊の突撃を受け止めたと言うこと。
 そうなってしまえば早く離脱しなければ、包囲殲滅各個撃破だ。

「くそ、退けよッ」

 退けさえすれば、敵軍が態勢を立て直している間、こちらの態勢も整えられる。

―――ドンッ!!!

「―――っ!?」

 轟音に顔を上げれば、この本陣向かって火球が飛んできていた。

「敵の霊的攻撃ッ」

 その火球は本陣手前に落下するなり、大爆発を引き起こす。
 直撃こそしなかったが、数名が爆風で薙ぎ倒された。

「怯むなッ。このような大規模な霊的攻撃は乱戦では無意味だッ」

 そう、火球の応酬などといった戦いは火縄銃の普及と共に廃れつつあり、その攻撃範囲の広さから味方撃ちを恐れ、槍合わせが始まってからは使えない代物だ。
 今でも霊的攻撃が有効なのは城砦攻防戦ぐらいである。
 事実、死者は皆無であり、土を盛大に跳ね上げたぐらいだった。

「なっ!?」

 それでも音は凄まじく、自然とその方向に視線を奪われていた脇大将が驚愕の面持ちで固まる。

「どうし・・・・っ!?」

 向坂自身も思わず言葉を飲み込んだ。
 向坂勢の横合いに旗指物が屹立していたのだ。そして、それは立ったままではなく走り出す。
 その兵の奔流は辛うじて形を保っていた第三陣に横槍を付け、踏み潰していく。

「な、な・・・・」

 自軍が為す術もなく崩れていく様を呆然と見ていた向坂は敵の新手に度肝を抜かれた。
 翻る旗印は長井勢と同じ≪茶褐色に黒柊≫。
 一斉に襲いかかった伏兵は迎え撃った一隊を鎧袖一触の勢いで粉砕する。
 その瞬間、向坂は己が罠にかかったことを悟った。
 初めから伏兵が潜んでおり、先程の火球は合図。
 自分たちは初めから死地にいたと言うこと。

「あ・・・・あぁ・・・・」

 長柄を必死に引き戻し、新たな敵に向き直ろうとする長柄隊に徒歩武者隊が襲いかかり、手当たり次第斬りかかる。
 間合いを殺された長柄隊は右往左往する中、続いて突撃してきた騎馬隊に蹂躙された。
 これまで必死に防戦していた部将たちが名もなき足軽たちに囲まれて首を上げられる。
 そんな光景が各所で起こり、踏み止まっていた長井勢本隊も進軍を開始した。

「ええい、退け、退けぇッ」

 ここまで崩れては勝ち目はない。

「後陣は殿として前に出ろっ。一度、後方に下がり、貞流様の本隊と合流するのだッ」

 向坂は一度決めれば行動は早かった。
 本陣付の鉄砲隊に敵向けて銃撃をさせ、できるだけ多くの兵を戦線から離脱させようとする。
 勝利を悟った長井勢が猛攻を掛ける度に殿の部隊は磨り潰されるが、彼もまた兵を率いて戦った。

「攻撃の手を緩めよッ。奮戦する敵を相手にするは愚の骨頂だ」

 衛勝は向坂の姿を目に収め、滾る血を感じるが、このまま戦い続ければ貞流本隊に捕捉されてしまう。
 今が潮時だった。

「退き太鼓を叩けっ」

 衛勝の指示に太鼓判がバチを振り、長い太鼓の音が戦場に響き渡る。

―――ドーン、ドーン、ドーン

 それを聞いた長井勢は一斉に武器を降ろし、整然と退却を始めた。しかし、戦いを止めぬ者もいる。
 退却する兵を撃ち抜こうと前に出てきた向坂鉄砲隊をいち早く見つけた鉄砲隊が引き金を引いたのだ。
 十数発だが、確実に命中して消耗激しい向坂鉄砲隊を血飛沫の向こうに押し返す。
 その援護に後押しされるように長柄兵、騎馬武者、徒歩武者が潮が引くように陣地へと帰ってきた。

「負傷者に手を貸せッ。金瘡医を呼べッ」

 最前線で戦っていた小幡はそう指示するなり、馬を走らせて衛勝の下へとやってくる。

「殿、如何なさいますッ」

 敵の矢玉に体を晒していたというのに傷ひとつなく、返り血のみで真っ赤になった豪傑は熱の籠もった息を吐きながら言った。

「もうすぐそこまで敵本隊の先遣隊は来ているだろう。陣を引き払う」
「では、天降川を越え、国分城へ?」

 向坂勢の損害は死傷者一〇〇以上と大きいが、長井勢は三〇人にも満たない。
 すぐに行動に移せるだろう。

「いや、藤丸様は正式に国分城放棄を決めたようだ。だから、この地より北上する」
「・・・・集結点は?」

 当然の問いに衛勝は口の端を歪めた。

「敵が追撃を諦めれば辿り着けるかもな」

 それは藤丸方の殿として戦い続けることを宣言している。また、敗れて捕虜になったとしても藤丸が避難した場所の情報は隠すことができる。

「鳴海の親父が植草を撃破すればなんとかなるさ。それまでの時間は俺たちが稼ぐぞ」
「はっ」

 戦闘目的を明らかにした長井勢は激戦の跡が色濃く残る陣地を引き払い、北方へと駆け出した。



「―――長井勢が隼人の地で向坂勢と激突。大損害を与えて押し返したそうです」
「武藤統教殿と繋ぎが取れました。合流地点に向かうそうです」
「霧島神宮、難民の受け入れを承諾しました。現在、騎士団に難民を預けた護衛部隊がこちらに急行しています」

 藤丸は移動しながら黒嵐衆の報告を受けていた。
 藤丸が率いる兵は三〇〇だが、明日の午後には武藤勢に護衛部隊が合流して五〇〇弱になる予定だ。

「鳴海勢、所定の場所に布陣。植草勢を迎え撃つ準備整いました」

 今、藤丸がなすべき事は半径数里に渡る広大な領域で起こっている戦闘経緯を整理し、的確な判断を下すことである。
 実戦指揮は部将に任せ、得意の戦略だけに頭を使った彼の戦いは今のところうまくいっている。
 正規の伝令に頼らず、それを超える速度で駆ける黒嵐衆の存在が大きかった。

「なんとか目的は達成できそうか・・・・」

 長井勢が北方に向かったことはそう簡単には分からないだろう。
 普通、加治木城以上の難攻不落である国分城に兵を集め、手詰めの戦に挑むことこそ、貞流が考えている藤丸の行動である。

「鹿屋信直殿、二〇〇〇を率いて鹿屋城を進発。国分城に迫る由に御座います」

 だからこそ、その後方である大隅衆に働きかけているのだ。

(あいにく、俺はあんたの掌に収まるようなガキじゃないんでねっ)

 藤丸勢の常軌を逸した行動は貞流勢には理解できまい。
 その見解の一致がもたらす効果は時間の確保である。

「ふぅ・・・・」

 藤丸は己の双肩にかかった重責に思わず、ため息をついて額の汗を拭った。
 ただでさえ、藤丸は体が丈夫とは言えない。
 一年の内、両手で足りないほど体調を崩すのだ。

「大丈夫ですか?」

 隣にいた郁が手拭いを手渡してくれる。
 彼女自身は重い甲冑を着ても汗ひとつ掻いていなかった。
 因みに倭国の軍勢は敵と遭遇する可能性の低い行軍では甲冑は鎧櫃に入れて行動する。
 これは見た目以上に軽いとはいえ、やはり甲冑を着て長時間行動することは、無駄な体力を消耗するからである。
 だから、今の藤丸勢で甲冑を着ているのは即応班と郁くらいのものだった。
 また、馬に騎乗している者も指揮官だけで、その他の騎馬武者は手綱を引いて行軍している。
 これも人を乗せたまま長時間移動することは馬を潰してしまう可能性があるのだ。

「さすがに疲れたんじゃないですか?」

 確かにまだまだ骨組みの整わない子どもの身で強行軍は疲れた。
 オマケに頭脳も酷使している。

「いや、少しでも距離を稼がなくちゃ。迎撃準備をしている絢瀬家もいることだしな」

 汗みずくになった顔でニカリと笑ってみせた。

「・・・・辛くなったら言って下さいね」

 強がりをさせてくれた郁に感謝し、藤丸は再び思考に沈む。
 絢瀬家。
 それは日向の最西端に位置する小林城を居城とする一族だ。
 戦力としては武藤家や長井家と言った大名たちと同等だが、それでも日向へ続く要衝を握っていることは大きい。

(とりあえず、今は逃げる)

 敵軍は自軍に対すれば大軍だが、藤丸の手元には龍鷹軍団にて双璧をなす戦術家――鳴海直武やその先鋒を長く務めていた長井衛勝の軍勢がいる。
 同数で敵軍とぶつかれば、負けはしない。

(決戦までにその兵力を消耗せず、前哨戦でできるだけ敵戦力を削ぐこと)

 藤丸は力強く手綱を引き、東郷の地へと急いだ。






霧島神宮scene

 五月四日。
 藤丸方の長井衛勝が向坂由種と隼人の地で激突し、わずか一刻の戦いで大損害を与えて撃退した。しかし、長井勢は敗走する向坂勢を追いかけず、合流地である東郷向けて進軍する。
 同じ頃、貞流勢は敗走してきた向坂勢を迎え入れ、大隅方面から進軍してくる鹿屋信直との繋ぎを重視していた。
 急激な進撃は敵軍の激しい迎撃を受けることから、軍勢の足並みを揃えて国分城を包囲するつもりなのだ。だが、軍勢再編と意図的な減速は国分城近辺への圧力が緩むことに繋がる。
 それこそが藤丸が目的とした空白だった。

「―――どう考えますか、巫女姫」

 五月四日夜、藤丸が去った後、霧島は臨戦態勢を取っていた。
 騎士団が各部署に配置され、物見として走り出す。また、神官長を中心とした官吏も主要な部署に散り、万が一の強奪などに備えて宝具を隠していた。

「どう、とは?」

 そんな喧噪に包まれる中、巫女姫――紗姫と神官長、騎士団長は国分城や錦江湾を見下ろせる頂に立っている。

「あの藤丸という少年、傑物で御座います。私は貞流殿にもお会いしたことが御座いますが、あの少年は貞流殿を上回りましょう」

 神官長が過去を思い出すように言った。

「惜しむべくは・・・・持てる兵力の少なさ、か・・・・」

 団長が国分城から避難してきた難民を見下ろしながら呟く。

「間違いなく、藤丸殿の軍勢を指揮するのは鳴海殿。彼の御仁の手元に後一〇〇〇あれば、縦横無尽の働きができたであろうに」
「それが分かっているからこそ、貞流殿も自軍が整わぬ内に追討をかけたのよ」

 紗姫は並みの部将ではなかなか見ることのできない大局からそう判断している。そして、自分と同年代ながらも同じ視点を持っている藤丸の目を思い出した。

「・・・・藤丸殿はまだ諦めていない。その消えることのない闘志の灯、この霧島に賭けようと今回訪問したのでしょう」

 紗姫はまるで昔を懐かしむかのように目を細める。

「おそらく、この戦いで決着は付かない。ということは内乱に今回の戦いに参加しなかった諸将の動向が今後の鍵を握りますね」

 その最たる者と考えられるのは肥後人吉城の佐久頼政、日向国高鍋城の御武時盛などの一〜二万石近い武将たちだ。
 龍鷹軍団の兵力は三万弱。
 その内、今回の戦いに参加している軍勢は二割ほどであり、その動向が今の兵力差を引っ繰り返す可能性もあった。

「この戦、長引きますね」
「ええ、どちらかが滅ぶまで続き、それもどちらが滅ぶか分からない」
「霧島としてはどちらにも味方するわけにはいきません」

 古来より、宗教集団が国政に関わっていいことはなかった。
 かつて、平城京で起きた政争も背景に仏教勢力があったことは明白であり、欧州では新教徒と旧教との間で戦争が起きているという。

「宗教が国政に関わらない、か・・・・」

 紗姫は己の手を見て、最後に空を見上げた。

「私は思いきり関わってますけど」

 龍鷹侯国の侯王を決める存在。
 それが紗姫だ。

「巫女姫はいいのです。あなたはただの宗教者ではありません」

(だからこそ、辛いんだけど・・・・)

 自分をかけ、双方が必死の戦いを繰り広げる。
 そんな御伽噺に憧れる市井の乙女の気持ちが分からない。
 そんなもの、自分のせいで何人もの人が死に、多くの人の人生を終わらせるだけでなく狂わせる存在など、好き好んでなるものではない。

(所詮、私の気持ちは私しか分からない・・・・)

「とにかく、無駄に市民を巻き込むわけにはいきません。この霧島は中立地域であることを宣言し、避難民や脱走兵は武装解除の元で保護します」

 心の中のもやもやを吹き飛ばし、毅然とした態度で宣言する。

「即刻、取りかかりなさい」
「「はっ」」

 紗姫は短く指示を出すと、本殿への道を歩き始めた。

「―――申し上げますッ」

 そんな紗姫の前に突然、甲冑姿の騎士が跪く。

「ど、どうしました?」

 いささか驚き、目を丸くした紗姫に向け、騎士は一息に言上を述べた。

「西口より軍勢が乱入しましたッ。防ぎの騎士たちは押し切られ、その兵は神宮を侵しつつありますッ」
「「「なっ!?」」」

 霧島神宮における重鎮たちは揃って息を呑む。
 龍鷹侯国が建国されて以来、いや、霧島神宮という歴史が始まって以来初めて、軍勢が霧島神宮を攻撃した。
 その事実は激震を以て霧島神宮を駆け巡る。
 その速度よりも早く、乱入した軍勢は数百年の歴史を誇る神宮内部を蹂躙し始めていた。










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