前哨戦「西海の果てに咲き誇る藤の花」/ 三



 鵬雲二年四月。
 後に「北薩の戦い」と呼ばれることになる、龍鷹侯国と聖炎国の激闘が幕開けた。
 北は南肥後人吉盆地から南は薩摩川内平野まで渡る広大な戦域で交わされた両軍の干戈は戦略にて国力差を覆した聖炎国が有利。
 人吉城の佐久軍を城に押し込め、大挙として薩摩に雪崩れ込んだ聖炎軍団は、出水城に守備隊を押し込んだ後、天草方面からの別働隊と合流して川内平野へと突進する。
 対する龍鷹軍団も集められるだけの兵力で長年準備し続けていた川内へと駒を進めていた。しかし、予想以上の兵力、速度を持った聖炎国に対し、龍鷹軍団の準備不足は否めない。
 後方に一部の兵を置いてきたとはいえ、火雲親家は鷹郷貞流の五割増しの兵力を持っていた。さらに準備時間がなかったために迎撃する龍鷹軍団の陣地は未完成であり、勝敗は白兵戦にもつれ込みそうだった。
 だが、鷹郷藤丸が行動を開始し、別働隊を率いて大口城に約八〇〇の兵力を集結させ、人吉解放へと動き出す。
 それに呼応し、海将である鷹郷実流も麾下の艦隊を動かした。
 龍鷹侯国の英雄――鷹郷朝流が倒れたことで発生した激流は川内平野と人吉盆地を中心に渦巻いて集束する。
 四月十四日、早朝。
 期せずして、双方の決戦が同日同時刻に火蓋切られた。






人吉城scene

「―――放てぇっ」

 辰の刻、人吉盆地の南にて銃声が轟いた。
 火蓋を切ったのは久七峠を一息に駆け下りてきた枕崎勢一〇〇だった。
 十数挺の鉄砲から放たれた六匁弾は朝食の後片付けをしていた敵傭兵衆を薙ぎ倒す。そして、続いて放たれた数本の矢が野営地に降り注ぐ。

「一気に踏み潰せっ」

 御年十七歳になる瀧井信輝は大身槍を振り下ろし、全軍突撃を命じた。
 相手は正規の軍勢ではなく、傭兵が集まった烏合の衆である。
 陣形は元より、鉄砲や弓といった飛び道具、長柄や騎馬、徒歩武者と言った兵種はない。
 これが他の兵種も引き連れた軍勢の中にあれば、白兵戦部隊として無類の強さを発揮しただろう。しかし、今の状態では先の兵種を全て揃えた瀧井勢の敵ではなかった。

「えいえいえいっ」

 地響きと共に進軍した長柄兵が掛け声と共に長柄を振り下ろし振り上げ、得物を手に立ち向かってきた傭兵たちを打ち据えた。
 傭兵たちが使う最長の槍でも二間半であり、三間半の長柄には敵わない。
 そこかしこで殴打された傭兵たちが悲鳴を上げて崩れていた。

「か、斯様なことがあるか!?」

 野営地を奇襲され、たった一寄せに総崩れの様態をなした自軍に混乱する組頭は蒼白になる。
 昨日まで、いや、今の今まで敵軍が迫っているなどと彼は知らなかったのだ。
 傭兵をまとめる彼は主力迎撃に全力を注ぎ、こちらには兵は来ない、と明言していた。

「お、おのれおのれぇっ」

 甘い見通しをして物見を怠った自分に憤った彼は大身槍を振り回して咆哮する。
 その闘志に足軽たちが思わず距離を取った時だった。

「撃てぇっ」

 そんな組頭目掛け、目当てを付けた鉄砲衆が放った鉛玉が次々と集中する。そして、肉厚の胴丸に穴を穿ち、その魂を刈り取った。



「―――申し上げますっ、久七峠を越えし軍勢約五〇〇。土煙を上げてこちら向けて急進して参りますっ」
「やはり保たなかったか・・・・ッ」

 組頭とは違い、しっかりと後詰めを予想していた人吉包囲軍の動きは速い。
 人吉救援軍の先鋒が傭兵隊を蹴散らした時、すでに聖炎軍は動き始めていた。
 人吉北方に布陣した三〇〇はすぐさま陣を引き払い、西方の軍勢に合流するために球磨川を渡河しようとしている。さらに西方の軍勢は野戦支度を終え、傭兵隊との戦闘で陣形が乱れているであろう救援軍向けて突撃していた。

「来たっ、鉄砲隊、準備はできてるなっ」

 傭兵隊を宣言通り一息に踏み潰した枕崎勢は後方に下がり、再編を急いでいる。そして、代わりに前に出たのが、救援軍で最も兵力を有している小林勢であった。
 その四〇〇は枕崎勢に比べれば大軍のため、未だ敵軍一二〇〇を迎え撃つ準備ができていない。

「敵は魚鱗の陣にて遮二無二押してくるようにござりますっ」
「分かった。―――皆、疾くと駆けよっ」

 小林勢はそんな物見の報告を受け、戦準備もせずに一斉に北へと走り始めた。

「な、なんじゃと!?」

 この行動に驚いたのは包囲軍だった。
 従来なら敵軍の突撃を鉄砲や矢などで速度を遅らせ、長柄などで防ぐものである。しかし、小林勢は無防備に横腹を見せて人吉城へと走っていた。
 それに呼応するように人吉城の城門が開き始めている。

「いかんっ、敵は城に入るつもりぞっ」
「ええい、城門が開くなら好機っ。付け入って攻め落とせっ」

 思わず矛先を逸らされた部将たちは口々に叫びながら兵を指揮して速度を速めて追走した。
 本軍からは人吉城に攻め寄せず、ただただ封じ込めよとの命令だったが、彼らも武人である。
 敵が隙を見せたとあらば攻めずにはいられなかった。
 包囲軍は自然と円を描き、人吉城へと突進していく。また、野戦から城攻めへと移行したために円居同士の連携が疎かになり、数百ごとの集団で進んでいた。
 その円居ごとに狙いを付けると次々と鉄砲が咆哮する。
 それは小林勢の最後尾を走っていた足軽十数人を叩き伏せたが、走る小林勢を留める効果はなかった。
 彼らは続々と城門を越え、城内に浸透していく。

「付け入れ、急―――」

 最前線で槍を取って下知した部将が言葉途中に鞍から吹き飛んだ。
 それを皮切りに突撃していた兵たちがバタバタと斃れ伏す。
 それは人吉城からの銃撃であった。

「盾をっ、竹束を―――ギャッ」

 城門目掛けて走っていた包囲軍は城内から浴びせられる矢玉に混乱する。
 本来の城攻めならば多くの盾や敵の鉄砲を封じるための鉄砲隊などが配されているが、押っ取り刀で駆けつけたものだから、それらの支度ができていなかった。
 だから、徒に敵の有効射程距離に飛び込んでしまったのだ。

「ギャッ!?」

 人吉城の鉄砲狭間で赤い閃光が弾けるごとに胴丸を撃ち抜かれた兵たちが倒れていく。
 同輩の壮絶な死に様を目の当たりにした足軽が立ちすくむが、次に飛んできた銃弾がその蒼白の顔面を打ち砕いた。

「く、しまった・・・・ッ」

 付け入りとは敵が城内に入る時に城門を閉じさせずに自分たちも突撃することを言う。
 この場合、城兵が攻撃を仕掛け、城に戻ることが多い。
 だから、このように城からの攻撃は少ないのだが、今回は違う。
 城へと入っていくのは後詰めであり、城勢は最初から臨戦態勢で待ち構えていたのだ。

「撃て撃て撃てッ」

 城兵は取り囲まれて手も足も出なかった鬱憤を晴らすために撃ちまくる。
 その一呼吸ごとに増える損害に耐え切れず、大将は退き陣の指示を出した。
 ドーンドーン、と間延びした太鼓の音と共に使番が各円居に駆けつけ、撤退の指示を伝えていく。

「退け、退けぇっ」
「返せ返せっ」

 前線の部将たちにとって、それは待ちに待った命令だった。
 そこかしこで物頭や組頭の下知に従い、それまで城門に取り付こうとしていた兵が踵を返す。

「な!?」

 しかし、そこで彼らが見たものは己の本陣の後ろから突撃してくる新手と久七峠に翻る数千に上る紺地の軍旗だった。
 迫り来る敵先鋒は一〇〇余程度の円居ふたつと三〇〇弱の円居がひとつであるが、その背後に控える「救援軍本隊」は少なくとも二〇〇〇には達するはずである。

「い、いつの間に・・・・」

 奇しくも包囲軍総大将は傭兵隊の指揮を執っていた部将と同じ心境にあった。
 突然現れた大軍に色めき立ち、指揮どころではない。
 一二〇〇の軍勢も各円居ごとにあたふたするだけだ。

「急報ですっ」

 そんな立ち尽くす部将の下に顔面蒼白になった伝令が馬から飛び降りた。

「如何した・・・・ッ」
「城内に逃げ込んだ四〇〇が大手門から突出。北方より急ぎ合流しようとしていた軍勢の横合いを突き申した」
「なっ!?」

 部将だけでなく、周りの兵たちも思わず硬直する。

「現在、必死に槍合わせに及んでおりますが、奇襲された影響少なからず、このままでは退路が危ぶまれますっ」
「―――っ!?」

 ポロリと部将の手から軍配が落ち、その瞬間、彼ら本隊に枕崎勢と大口勢、鹿児島勢が鯨波の声を上げて襲いかかった。



「・・・・うまく、行ったな・・・・」

 木々に隠れ、二〇余人に守られた少年――藤丸はほっと息をついた。
 包囲軍は隊列を乱し、旗が揺れに揺れている。

「小林勢、敵を球磨川に追い落とし始めており申すっ」
「人吉勢、城から打って出申したっ」
「加納殿、枕崎勢、大口勢を両翼に敵本隊に打ち込み申しました。敵軍旗揺れ多く、動揺隠せぬものと心得ますっ」

 次々と知らされる物見の報告に藤丸は床机に座したまま頷いた。

「どうやら、被害はそう多くないままに終われそうだな」

 押し返したのではなく、完膚無きまでに叩き伏せた。

「それもこれも、若の策のおかげですな」
「偶然うまくいっただけだよ」

 傭兵たちを蹴散らすことは簡単だが、その戦闘から続けて包囲軍と戦うことは難しい。だから、小林勢は敢えて戦わず、人吉へと駆けたのだ。
 後詰め戦となったことから、北方の敵勢は必ず南方へと陣を移す。
 そこで人吉城の守備兵は一斉に南へと移動し、小林勢を迎え入れる行程で、全火器や弓矢によってバラバラと追撃してくる敵勢を狙い撃つ。
 敵勢は打ち倒され、ただでさえ進軍で乱れた陣形を乱し、完全に城へと向き直ったために後詰めが現れた久七峠に背を向ける形となる。
 この時、合戦が始まってから峠で用意していた旗を一斉に揚げ、こちらの軍勢があたかも二〇〇〇ほどいるように見せると共に枕崎勢、大口勢、鹿児島勢が突撃する。また、城内を駆け抜けた小林勢は西側にある大手門から打って出て北方にいた敵を蹴散らし、球磨川を占拠しようと動く。
 完全に背を向けていた敵本隊は寡兵に手間取り、退路を断たれるという精神的重圧から瓦解する。
 それが藤丸の立てた策だった。
 敵軍の虚を突き続ける目まぐるしい戦場支配にて訳も分からぬうちに撃破する、という電撃戦。
 この作戦の正否は各部将が疑問を抱かずに命令を執行し、結果を残すことにある。
 一歩でも踏み止まれば、敵軍に捕まってしまうからだ。

「今回の最功労者は絢瀬だな」

 絢瀬勢は四〇〇という藤丸が持つ兵力のほぼ半数を持つ主力であった。
 彼らが敵軍の前面に展開しなければ、とてもではないがあそこまで敵軍を惹きつけることができなかったであろう。

「申し上げますっ、敵軍は潰走っ。球磨川を押し渡り、ひたすら下流へと駆けていきまするっ」
「よし、勝ったっ」

 藤丸は床机を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、思わず手を打ち合わせた。

「追撃は各々の裁量に任せる。ただ、日が暮れるまでには人吉城へと帰還せよと命じろ。―――茂兵衛、お前の手の者にこの戦勝を川内へと届けよ」
「はっ」
「馬を曳けっ。人吉城へと入城する」

 未だ合戦は追撃戦として続いてはいる。だがしかし、人吉を舞台にした局地戦は龍鷹侯国の圧勝で幕を閉じたのだ。






川内川scene

「撃てぇっ」

 鳴海軍の鉄砲組が一斉に折り敷き、目当てを付けるや鉄砲を轟発する。
 彼らはとにかく戦場を駆け回り、同士討ちの危険性のない場所に至ると発砲するのだ。
 鉄砲組は二〇〜五〇人で構成され、今回は最少人数である二〇人が駆け巡っている。
 彼らは突撃していく長柄隊の横っ腹を撃ち抜いたり、指揮を執る士分を狙い撃ちしたりと奮戦していた。

「―――父上、敵勢の勢い、減じているように見えます」
「うむ、武藤兄弟は父と同じく、鉄砲の得手だな」

 鳴海直武は右翼の本陣にて頷く。
 確かに敵の旗を見れば、戦いているように見えた。
 事実、最前線の指揮を執っていた物頭が十数発の弾丸を集中され、一時的にせよ、指揮官がいなくなったのだ。そして、そこに鳴海軍の最前線で戦っていた部将が騎馬武者による乗り切りをかけた。
 鹿角の兜をかぶったその部将は当たる触る敵兵を打ち倒し、敵勢を押し返す。そして、その敵軍との隙間に走り込んだ鉄砲隊が一斉射撃にて敵を雑兵、士分関係なく数十人撃ち倒した。

「さすがは"槍の弥太郎"だ。しかし、余り押し返してしまって中央を攻め立てている軍に腹背を衝かれかねん」

 直武は顎に手を当てて唸ると顔を上げて言葉を放つ。

「誰か、弥太郎の陣へ行き、攻め手を控えるように申せ」
「御意っ」

 若武者はヒラリと馬に飛び乗ると馬首を巡らせて前線へと向かった。

「・・・・左翼も、よく堪えているな」

 直武は本隊の左方にて奮戦している有坂軍を見遣る。

「む、寄せて参ったかっ」

 伝令の声が届いたのか、鉄砲を撃ちつつ後退した先鋒を追いかけるように再び聖炎軍が突撃してきた。

「鉄砲でできるだけ防ぎつつ、その隙間を弓で埋めよっ。容易に槍交ぜをしてはならんぞっ」

 前線から三町ほど後ろにいるというのに、彼の声は最前線まで届く。

「ひたすらに耐えよっ。耐えれば我らの勝利ぞっ」

 人吉城下にて龍鷹軍団の勝ち鬨が響き渡っていた時、両軍の主力は激戦の最中にあった。
 聖炎軍は龍鷹侯国の飛び道具に苦しみながらも盾を押し並べて先鋒が川内川を渡河し、白兵戦に持ち込むことに成功する。そして、数にものを言わせ、半途撃つを実行していた龍鷹軍団を川岸から引き剥がし、今や主力も川内川を完全に渡河していた。
 龍鷹軍団は最前線に位置していた両翼――鳴海軍と有坂軍が繰り引きをして主力が布陣する陣城付近へと撤退している。そして、本隊を加えて必死の防衛戦を展開していた。
 鳴海軍は鳴海直武を総大将にして、最前線で大身槍を軍配代わりに指揮を執る長井衛勝、鉄砲隊を指揮する武藤家教などが代表格として奮戦している。
 彼らは一万石強の部将であり、麾下の兵は三〇〇前後。
 鳴海軍は七〇〇であり、それらが集まることでひとつの軍隊を形成していた。

「鉄砲組下がれ、長柄組前へっ」

 敵軍との距離が半町を切った時、長井衛勝は大身槍を旋回させて下知する。
 最後に一斉射撃を叩きつけた鉄砲組はバタバタと斃れる敵兵に目もくれず、長柄隊の隙間を縫って後退した。

「放てぇっ」

 三間半の長柄を持って前進した両軍が激突する瞬間、鳴海軍から数十の矢が聖炎軍の最前線に降り注ぐ。

『『『エイッ』』』

 穂先が乱れた瞬間、長井勢の長柄が叩きつけられ、聖炎軍兵は頭蓋を叩き潰される者、肩や腕を殴打される者が相次ぎ、隊列に乱れが生じた。

『『『エイッ』』』

 小さな混乱状態に陥った敵軍に引き戻された長柄が今度は突き出される。

「ギャッ」
「グェッ」

 武器としては脆くも、先端は鋭い長柄槍は粗末なお貸し胴丸を貫通し、柔らかな腹をえぐる。もしくは喉を貫かれ、大量の血を吐き出しながら転倒した。

「突撃ィッ」

 衛勝自身、馬腹を蹴り、今日幾度目か分からない乗り切りを開始する。
 主将に遅れまじと長井軍の騎馬武者や徒歩武者が敵長柄隊を蹴散らし、敵軍の武者へと突きかかった。
 援護するように武藤勢に属する鉄砲隊が敵を撃ち抜く。そして、前線の指揮を受け継いだ武藤家教が矢継ぎ早に軍勢を整えていった。

「ふんっ」

 ワラワラと群がってきた徒歩武者を大身槍の一薙ぎで殴り倒す。
 衛勝が扱う大身槍は石突きまで一本の鉄芯が入っている。
 つまりは鉄の棒を振り回しているのと同じなのだ。

「らぁっ」

 暴風のように群がる兵を吹き飛ばす衛勝を認めたのか、数名の騎馬武者が駆けてくる。
 そのうち幾人かは衛勝の馬廻りが受け止めたが、それでも三人ほどは槍をしごきながら寄せてきた。

「そこな騎馬武者は姶良郡蒲生城城主、長井衛勝殿とお見受けするっ」
「多人数でかかるは武士として心苦しいなれど、"槍の弥太郎"となれば不足はござらんだろうっ」

 ぶぅんと大身槍を一振りし、穂先についた血を薙ぎ払う。

「よかろうっ。かかってこいっ」
「「「いざっ」」」

 両者は馬腹を蹴り、急速に接近した。


 人には霊力というものがある。
 西洋ではそれを魔力と呼ぶこともある。
 これは様々な事象をこの世界に及ぼすことが可能だが、ほとんどの人間はそれを起こすほどの量を持っていなかった。しかし、身体能力の向上などは大抵の人間が訓練を積めば成し遂げられる。


「はぁっ」

 衛勝は右手一本で地面に槍を突き刺し、すくい上げるようにして土砂を敵騎馬武者に飛ばした。

「―――っ!?」

 まともに受ければ鞍から引き剥がされそうな一撃を敵も槍を横合いから一薙ぎすることで防御する。
 その際に旋風が吹き荒れ、周囲で戦っていた足軽たちがたたらを踏んだ。

「うらぁっ」

 先手を取った衛勝が槍を振り下ろす。
 それは先程の旋風を真っ二つに裂きながら落下し、咄嗟に構えられた槍をへし折った。
 木の破片の中に少なくない鉄の破片が衛勝の具足に突き刺さるが、彼は気にせず顔を引き攣らせている敵へと穂先を繰り出す。

「うぐっ」

 火花を散らして胸の具足を貫通した穂先は敵の背中から飛び出した。そして、衛勝の勢いそのままに鞍から引き剥がされる。

「せいっ」

 串刺しにした騎馬武者を剛力で敵足軽隊に叩きつけつつ、衛勝は残った二騎に向き直った。


 ただ、士分の者たちは生まれた頃より霊力の強化を目指している。
 それは霊力をとある事象として顕現することはできずとも、霊力をただの力として解放することは可能だからだ。
 つまり、霊力量に何かを掛けることで数倍にできることを顕現とするならば、ただの力をそのままイコールで使用するならば、元々の総量が多ければ多いほど絶大な力を発揮できる。


「「覚悟っ」」

 彼らは示し合わせたように衛勝の両斜め前方から襲いかかってきた。
 速度を衝突力に変えた騎馬突撃だ。

「・・・・ッ」

 衛勝も馬腹を蹴り、両者の間合いは急速に縮まる。そして、間合いに入るや否や電光石火の如く穂先を繰り出した。
 敵が目指すは衛勝の胴であり、それを迎撃する衛勝は馬首を左に巡らせての横殴りの一撃である。

「らぁっ」
「・・・・ッ」

 大身槍の刀身が右敵の槍に触れた瞬間、衛勝の霊力が爆発した。
 中心に鉄が入っていようが関係なしに衛勝の霊力は右敵の槍を粉砕し、その破片は隣から突きかかっていた同輩に襲いかかる。

「ぐわぁっ」

 槍を突き出していた腕に次々と破片が突き刺さって左敵は思わず槍を取り落とし、右敵はバランスを崩した。そして、両者がすれ違った瞬間、二騎はそれぞれの理由で落馬する。

「首は打ち捨てぇぃ」

 駆け寄った従者は衛勝の言葉を聞くと、立ち上がろうと藻掻いていた敵に槍を突き出すだけで、兜首を取らずに次の敵へと駆け出した。

「はぁ・・・・ん?」

―――どーん、どーん、どーん

 殺気立った戦場に轟く、テンポの遅い太鼓の音。
 それが意味することはひとつ。

「馬鹿な、退き太鼓だと!?」

 速ければ寄せ太鼓、遅ければ退き太鼓と、後方に位置する指揮官が前線にいち早く指示を伝えるために簡素化された合図だ。

「申し上げますっ」

 群がった敵足軽たちを瞬時に切り崩し、血霧の只中を突っ切った伝令が思わず馬を留めていた衛勝に向き直った。

「そなた、鳴海殿の・・・・」
「はっ、直武が一子、盛武と申します。此度は父の名代として長井殿に連絡がございます」

 衛勝は乗り切りを掛けたために最前線に近い位置にいる。
 それに単騎で追いついてきたというのは本当にすごいことだった。

「先程の退き太鼓、間違いではございません。扇の要、つまりは貞流様の陣は動揺激しく、崩れおる様子にござります」
「何だと!?」

 鶴翼の陣の時、中央部は敵に晒されて危険になる。だから、それよりも早く翼を閉じて敵を包囲しなければならないのだ。だが、敵軍は翼を正面から攻めると共に敵中央軍から分離した数百の円居を翼軍に打ち込んでいた。
 たかが数百ではあるが、二方向に敵を構えて尚かつ寡兵である翼軍は自軍が崩れないだけで必死だったのだ。

「父上、及び有坂殿は自軍をまとめ、退き陣にかかっております。殿は後陣が引き受けるとのこと。長井殿も急ぎ兵をまとめ、鹿児島への帰途へお就き下されっ」

 盛武は言うだけ言うと馬首を翻した。そして、来た時と同じように敵足軽を蹴散らすと一直線に鳴海軍本隊へと向かっていく。

「・・・・ッ」

 思わずそれを目で追った衛勝が見たのは本陣で燦然と起立していた侯位継承権第一位の鷹郷貞流の馬印が突撃する光景だった。



「―――何故だ・・・・何故、こうなった・・・・」

 幔幕の中で床机に座し、十数名の護衛に守られた貞流は蒼白な顔でそう呟いた。
 つい数刻前まで数十人の武士が詰めていた本陣だが、彼らも刀槍を振るって戦っているために閑散としている。しかし、その喧噪はすぐ前で起こっていた。

「作戦は完璧だったはずだ・・・・」

 力なく垂らされていた拳が再び強く握られる。
 白兵戦に突入するのは分かっていた。だが、それまでに優勢な鉄砲にて敵を撃ち減らすことで敵の勢いを削ぐ。
 その思惑は成功し、槍交ぜが始まってすぐに敵先鋒は被害続出のために後方に下がった。
 一〇〇〇ほどが左右中央からそれぞれ撤退すればそれは三〇〇〇。
 そうすれば兵力差などなかったことになる。
 単純な兵の強さでは龍鷹軍団の精鋭部隊を集めた薩摩勢が優勢なはずだった。

『撃てぇっ』
「―――っ!?」

 その声と共に轟音が響き、数発が幔幕を貫通する。そして、一発が貞流のすぐ傍をかすめた。

「申し上げますっ」

 たった今傷ついた幔幕をはね除け、ひとりの武士が入ってくる。
 彼は返り血に塗れた凄惨な姿で片膝を衝くと、己の使命を全うするために言葉を紡いだ。

「敵の先鋒は旗本隊と激しく揉み合っております。旗本隊は奮戦せるも多勢に無勢。まもなく、突破されると思われますっ」
「むむむむ・・・・ッ」

 状況は悪すぎる。
 未だどの円居も潰走はしてはいないが、それも時間の問題だった。

「佐々木弘章様、御討ち死にっ。先鋒、崩れましたっ」
「―――っ!?」

 確かに喊声の圧力が増した気がする。

「殿、もはやこれまで。早々に退き陣いたし、鹿児島城へ後退しましょうぞっ」

 疾風のように駆けてきた黒嵐衆頭目――霜草久兵衛が耳打ちしてきた。

「すでに鹿児島城には鹿屋衆を中心に四〇〇〇の軍勢が集結しています」
「ぐっ」

 その事実が戦略という分野で兄や弟に及ばなかったことを痛感させる。

「・・・・致し方なし。ここで命を散らすは無駄死にだな」

 だが、それでもこの決断の早さはひとつの作戦を実行にまで持ち込んだ軍才を感じさせるものだった。そして、倍近い敵を支えてきた戦術家としても大成しつつある才能を見せる。

「各円居ごとに集まり、繰り引きいたせっ」

 貞流は床机を蹴倒すように立ち上がった。

「後陣へ伝令、『殿を任す』と。各々伝えぃっ」
「「「はっ」」」

 幔幕の外で敵と対峙しながら待っていた使番の若者たちは颯爽と馬を走らせ、先の指示を全軍に行き渡らせる。

「後陣が準備を終えるまで時間を稼ぐぞっ。どうせ捨てる本陣などいらぬ。一度攻めるぞっ」

 ヒラリと彼も馬上の人となり、従者から槍を受け取った。
 彼も乱世に生を受けた武人である。
 いや、彼ほどの武術を身に付けた鷹郷一門はいない。
 父である朝流は兵の駆け引きこそ英雄の域だが、ひとりの武人としてはそこまでではなかった。だが、貞流は違う。

「寄せぇぃっ」
「「「「「応ォォォッ!」」」」」

 貞流の馬印が前進し、それに伴って本隊全軍が前に前にと歩み始めた。



「―――むぅ、やりおるわ」

 火雲親家は本陣を捨てて突撃してきた敵本隊の勢いに舌を巻いた。
 先鋒を指揮するのは正室の兄にあたる名島景綱。
 隈本城に次ぐ堅城――八代城を居城とし、八代衆を指揮する勇将である。
 敵先鋒であった佐々木弘章を鉄砲と弓をうまく使い、丸裸にしたところを騎馬武者の突撃で葬り、敵第二陣、第三陣と激戦を展開していた。しかし、彼の指揮する兵も二刻も戦い続ければ疲れてくる。
 そこに鷹郷貞流が率いる精鋭部隊が突撃したのだ。
 さすがは侯位継承権第一位の部将が率いる軍団である。
 恐ろしいまでの白兵戦闘力を見せつけ、名島勢の足軽を追い立てた。そして、防ぎに出た名島勢の武者衆と血みどろの戦いを演じている。

「翼もしぶとい・・・・」

 倍近い兵力を左右斜めから叩きつけた敵両翼だが、さすがは西海道に名を馳せる有坂秋賢と鳴海直武である。
 押し潰せるはずの戦略を練ってきたというのに龍鷹軍団の意外な粘りに焦れる親家は、いっそ本陣も突撃しようかと思い始めていた。しかし、そこに名島勢から伝令が駆けてくる。

「申し上げますっ」

 伝令の若者は馬から飛び降りるなり片膝を着き、淀みない口調で言い切る。

「敵本陣より後陣へ使番が向かいました。並びにそれぞれの翼をまとめし部将の元へと同様の使番が。その直後、後陣の動き慌ただしく、翼をまとめし部将も麾下の円居へ早馬を出しました。主人――名島景綱はこれを退き陣の支度と見て申すっ」
「む、ならば敵本陣は何故寄せて・・・・」

―――どーん、どーん、どーん

「ん?」

 敵本陣があった場所に出てきた後陣の陣より打ち鳴らされる太鼓の音。

「退き陣かっ」

 親家は思わず床机から立ち上がった。
 太鼓の音に合わせ、敵軍は鉄砲の一斉射撃を叩きつけ、それぞれの円居が協力して撤退する――繰り引きにて後方へと下がっていく。そして、そんな部隊を尻目に騎馬武者を中心とした一団が鹿児島方面へと疾走を開始した。
 それは先程まで本陣に屹立し、さらには突撃まで敢行した敵総大将の馬印だ。

「勝った。追い打ちじゃっ、馬を引けっ」

 古今東西、最も戦果が期待できるのは追撃戦である。
 ここは敵の領土なので少々危険だが、伏せ撃ちに使う兵力がいるのであれば、それは野戦に投入しているであろう。
 龍鷹軍団と言えば野戦決戦に勝機を見出すことで有名なのだから。

「先鋒は下がれ、第二陣より打ち出すぞっ」

 敵が繰り引きしている間はそう簡単に戦果は期待できない。しかし、それが崩れれば討ち放題だ。だからこそ、一度仕場居を開ける。
 龍鷹軍団も聖炎軍団が再編成に移ったのを機に、一気に流れるように撤退に移る。

「今だっ。一気に押し寄せぇっ」

 親家の軍配が弧を描き、撤退する後陣向けて振り下ろされた。










第一会戦 前哨戦第二陣へ  前哨戦第四陣へ