緋という少女



 守護獣。
 それは精霊術師の中でも高貴な血筋を持つ者が極稀に保有する神獣である。
 その神獣は彼の家の守護神が眷属であり、膨大な精霊を従えていた。そして、その守護獣は主人である術者に絶対服従である。
 魔術師が持つ使い魔によく似ているが、魔力で従わせているわけではない。
 魔術師と使い魔の間で交わされる契約に相当するものが存在しない術者と守護獣の関係は退魔界における謎のひとつだった。
 日本に集う六宗家の始祖はそのほとんどが守護獣を従えていたという。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 少女はぼんやりした瞳で空を見上げていた。
 彼女が座るのは縁側で、時間が時間なら気持ちのいい日差しが注いでいるだろうが、今は夜だ。
 ここから見える景色は雲に覆われつつある半月だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」

 少女は月を見ていた視線を下ろし、姿煮に合わぬ疲れたため息をつく。
 彼女の出で立ちが赤や黄色の膝丈の着物という派手なため、その暗さは余計に引き立てられた。

「―――どうしたですの?」

 そんな少女の背後にもうひとりの少女が立つ。
 彼女も着物を着ていたが、座っている少女よりは落ち着いた色合いだった。

「すーちゃん・・・・」

 そう呼ばれた少女――熾条鈴音は優しい笑みを浮かべながら少女――緋の隣に腰掛ける。

「戻っていたのですね」
「・・・・うん」

 緋は月の1回ほど、一週間ほど外出する。
 この、結界に守られた熾条邸はそう簡単に出入りできないので、緋も出ていけば誰かが帰ると共に帰ってこなければならない。

「今日も・・・・やはり?」
「うん。いつも通りだね・・・・」

 力なく笑い、緋は再び空を見上げた。

「どこにいるのかな、いちやは・・・・」
「全くですの」

 鈴音は同意し、そっと緋の手を取る。

「でも、大丈夫ですの。きっと見つかりますの」

 にっこりと緋に向けて微笑んだ。

「―――た、大変です、鈴音様ッ」
「・・・・なんですか、騒々しい」

 バタバタと足音高く駆けてきた旗杜時衡に憮然とした表情で振り向く。

「もう少し礼儀作法に―――」
「そんなことはどうでもいいんですっ」
「ど、どうでも!?」

 頭ごなしに否定された鈴音の頭に血が上った。

(すーちゃん、冷静に見えて激しやすいよね)

 だからこそ、強大な炎術師なのだが。
 自分より20センチ近く高い青年の襟首を掴み上げる鈴音を見ながら、緋は力ない笑みを再び浮かべた。

「げ、厳一様・・・・鈴音様の御父様が御帰参なさいました」
「「え!?」」
「そして、神速の勢いを以て入院されました・・・・」
「「はい!?」」

 緋は今度こそ鈴音と共に混乱する。だが、この報告こそ、主を失った緋に再び潤いを与えた出来事の始まりだった。






「―――ねえ、いちや」
「あん?」

 7月30日。
 緋は一哉の背中に問い掛けた。
 今いるのは一哉の寝室で、緋はベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせ、一哉は仕事机でパソコンに向かっている。

「今日もお仕事?」
「ああ」
「えー、つまんないよー」

 口をとがらせ、横ポニーを揺らしながら緋は足をバタバタさせた。
 一哉は先日の渡辺邸討ち入りで大けがをして以来、食糧を買いに行く以外で外出していない。
 そもそもあれほど血だらけになったというのに病院にすら行っていなかった。
 精霊術師の基準を大きく上回っている"気"が回復を早めているとはいえ、病院に行かないのは危険だ。だがしかし、一哉は日が経つごとにその身を癒し、今では日常生活には何ら支障のないレベルまで回復していた。

「じゃあ、ひとりで遊びに行けばいいだろ」
「飽きたっ」

 即答で返した緋はそのままの勢いで一哉の背中にダイブする。

「うぉっ」

 背もたれで隔てられているが、両腕はしっかりと一哉の体に回され、幼い体が一哉にまとわりついた。

「ねーねー、どこか行こうよー。夏休みだよー。いちやと一緒にどこか行きたいよー」

 椅子のキャスターが揺れ動き、ぐらぐらとふたりの体が揺れる。

「あー、もう。分かった分かった。とりあえず、商店街にでも行くか。いろいろ買う物も・・・・行けば思い出すだろ」
「うんっ」

 緋は明るい笑顔を浮かべ、一哉はその頭を苦笑しながら撫でた。


「―――蒸し暑いな・・・・」

 一哉は手をかざし、容赦なく降り注ぐ日差しを遮った。しかし、日本の夏とは日差しもさることながら湿度も影響している。
 中東の暑さに慣れて・・・・はいないが、経験している一哉からすれば、日本の夏はその空気自体が不快だった。

「そだねー。でも、これこそが日本の夏ッ。花火大会とか、盆踊りとかねっ」

 外に出れらて嬉しいのか、ずっとニコニコしている緋はくるくると回りながら話す。
 あまり周囲の目を気にしない一哉でも、さすがに恥ずかしかった。だが、それを自覚して行動するのも癪なので放置している。

「どれも知らないな」
「そうなの? あかねはいろいろ行ったよっ」
「九州のか?」
「それもそうだけどー・・・・」

 顎の下に人差し指を当て、記憶を探る緋。

「全国花火競技大会、土浦全国花火競技大会、長岡祭りとかぁ・・・・」

 因みに日本三大花火大会である。

「府内戦紙に山鹿灯籠祭り、火の国祭り、やっさ祭り、祇園祭、竿燈祭り、ねぶた祭り、さんさ踊り・・・・・・・・」
「ちょっと待て。全部祭りか?」

 指を折りながら数えていく緋に問う。

「んぅ? だって、あかね、お祭り好きだもんっ。あ、お祭りと言えば・・・・不特定多数の方のお祭り・・・・戦場、かな? まあ、とりあえず、『こみけ』ってのにも行ったよっ。なんかめちゃくちゃ写真撮られたけどっ」

 一哉は思わず電柱に頭を打ち付けた。

「・・・・全国各地、だな。それは【熾条】の仕事でか?」

 「お前が行ってどうする?」という疑問を封じ込め、物理的と精神的双方から来る頭痛に耐える。

「ううん。緋はお仕事なんてしないから」
「仕事しない・・・・?」
「うん。だって、それだと【熾条】に仕えてるみたいじゃない」

 緋は首を捻る一哉を見上げた。

「あかねの御主人様は・・・・いちやひとりだよ?」

 緋の主は一哉のみ。
 ならば、一哉の益にならぬことをするつもりもないし、強要されるても従う気もない。
 確かに熾条宗家は緋の生まれた家でもある。だが、緋は熾条家の守護神――炎龍の眷属だ。
 崇められこそすれ、疎まれる謂われはない。

「あかねは・・・・あかねはいちやが死ぬまでずっと傍いるよ」

 そう言って、もう離れないとばかりに抱き着いた。






「―――どう思いますか、綾香さん」
「・・・・どうでも、いいんじゃない」

 楽しげな少年に感想を求められた少女は見ていた光景から視線を逸らして言った。

「とかいいつつ・・・・俺と一緒に隠れてるじゃねえかよ」
「うっ」

 仲睦まじく見える一哉と緋を電柱の影から覗くふたりの高校生。

「ふっふ、夏休みというのに学園に来てみれば・・・・おいしいネタが転がってるじゃねえか」
「・・・・ゲリラ的にばらまかれる号外の元締め、やっぱアンタだったのね」

 呆れたため息がつかれるが、結城晴也は気にしない。

「それにしても、一哉の奴・・・・まさか町中で堂々と和服幼女と練り歩くとは・・・・人生捨てたか?」
「まともな奴と思ってたんだけど・・・・やっぱり統世に入るだけはあるわねー」

 ふたりはそう会話しつつ、一哉と緋からはつかず離れずの距離を置いて尾行していた。
 因みにふたりがここにいる理由は今日――7月30日が山神綾香の誕生日だからだ。
 いつも通り部活に勤しんでいた晴也をそれが終了するなり拉致していろいろおごらせようという計画だったらしい。
 その計画も拉致まで成功したところで、幼女に懐かれる一哉を発見し、若干趣旨が変わっていた。
 観察すること数分。
 一哉は幼女に手を引っ張られ、しぶしぶと帽子屋の中へと消える。

「・・・・なんかデートっていうより、休日に子どもの面倒を見る父親、って感じがするわ」
「ああ。でも、一哉のそんな姿が見られるとは・・・・貴重じゃね?」
「そうね。―――って、ハッ。あたし今洗脳されてる!?」
「チッ、気付いたか」

 店内で少女は一哉に帽子をねだっているようだ。そして、一哉が帽子を持ってレジへと向かう。

「ホント父親みたい」

 レジには一哉ひとりで行ったようだ。
 その間、少女は―――

「「え?」」

―――どこにもいなかった。

「う、嘘。あんなところで見失うはずない・・・・ッ」

 さっきまで少女がいたのは店の外からでも展示がよく見えるように工夫されたガラスの店側だ。
 あれだけ目立つ外見をした少女がどこかに移動すれば分かる。

「そうだ、晴也―――」

 「<風>はどう?」と訪ねようとした綾香は晴也の顔を仰ぎ見て硬直した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そして、同じく硬直していた晴也の視線を追う。

「―――ねえ」

 綾香と晴也、ふたりの服の裾を小さな手が掴んでいた。

「ふたりは何してるの?」

 まるで逃がさないとばかりにしっかり掴んだ手の主はにっこりと笑う。しかし、その細められた目の奧に輝く緋色の瞳は全く笑っていなかった。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 ふたりの背筋に冷たい汗が流れる。

―――いったい、どうやって・・・・?

 脳裏を占める疑問と怖気の走る殺気に翻弄され、"風神雷神"は一歩も動けなかった。

「ずっと後をつけてたよね? いちやに何か用かな?」

 可愛らしく小首を傾げる。
 そう言えば、この少女は常にふたりと一哉の間にいた。
 今思えば、ずっと前からふたりに気付き、どんなアクションを起こしても一哉を守れるような位置にいたのではなかろうか。
 そして、一哉を店内に引き込み、守るだけでなく、攻めに出た。

(何、こいつ・・・・)

 綾香の頬を暑さが原因ではない汗が伝う。
 視線だけで晴也を見遣れば、彼も同様のようだ。
 ここは路地の入り口だ。
 三人以外の人影はなかった。
 ましてや結界を張れば、その中で何が起ころうとも周囲には伝わらない。

「―――あ、いた。ったく、店出るのはいいけど、もう少し見つけやすい場所に―――って、ん?」

 ふたりが緊張で動けなかった背後から声がした。
 それは一哉のものであり、同時に一哉もふたりに気付いたようだ。

「何してるんだ?」

 手に帽子の入ったと思われる紙袋を下げ、不思議そうに見てくる一哉。

「あ、いちやっ」

 パッと少女はふたりの衣服から手を放し、やや強引にふたりの間を突破する。そして、親が迎えに来た幼子のように抱き着いた。

「帽子は?」
「ほら」

 少女にせがまれた一哉は少女に紙袋を渡し、改めてふたりに向き直る。

「で、こいつに何かされたか?」
「い、いや、何も・・・・」

 晴也が少しかすれた声で返事した。

「? まあいいか。それにしても、夏休みなのに部活か?」

 一哉は歯切れの悪い晴也に違和感を覚えたようだが、さして気にしない。そして、目についた晴也の荷物へと視線を向けた。

「・・・・というか、夏休みだからこそ部活してんだよ。夏の大会があるんだよ」

 ため息をつき、さらに咳をして喉の調子を整えた晴也が言う。

「あー、あれか、『最後の夏』とかいう」
「俺は一年だから最初だけどな。まあ、今日は綾香の誕生日だから買い物に付き合ってるんだけど」

 晴也と一哉が話し出す中、綾香の視線はずっと少女に向いていた。
 少女は紙袋の中から麦わら帽子を取り出し、それを小さな頭にかぶせる。
 緋色の髪の毛が隠れ、つばによって少女の瞳も隠れた。

「ってか、この娘、誰?」

 さりげなく、晴也は疑問を口にする。

「あ? あー・・・・こいつは・・・・」

 一哉は言葉を選ぶように空を見た。しかし、そんな一哉を置いて少女は一哉の腰に抱き着きながら満面の笑顔で言う。

「緋はね、いちやのしゅ―――ムゴムゴッ!?」
「余計なこと言うな」

 素早い動きで緋と名乗った少女の口を塞いだ。

「こいつは親戚だよ。夏休みだから遊びに来てるんだ」

(親戚・・・・そう、じゃあ、こいつも【熾条】の)
(【熾条】ってことは・・・・さっきの<風>を誤魔化したのも忍びの術ってか・・・・?)

 歴戦の兵であり、良家の子女であるふたりは考えを表情に出さず、先程の不覚について分析する。
 実は熾条宗家には謎が多い。
 最大の謎としては本家の位置が分からないことだ。
 北九州地方に熾条宗家があるとされる理由が、窓口となっている事務所が福岡市にあるからである。そして、その事務所自体は使い捨てらしく、かつて襲撃された際、事務所ごと爆発させて敵を追い返していた。
 一度戦場に出れば派手なくせに、それまではひたすら存在をひた隠す。
 隠密行動に向かないくせに隠密行動が得意な炎術師たち。

「ねえねえ、邪魔しちゃわるいし行こうよ」

 くいくいと緋が一哉の裾を引っ張った。

「ん? ああ、分かった。じゃあな、晴也、山神」
「お、おー・・・・っ!?」

 背を向けた一哉。
 それに続こうとする緋が一瞬だけ振り返る。
 その緋色の瞳はまるで、爬虫類のそれのように縦に細まっていた。






「―――ねえねえ、さっきのひとたちって誰?」

 緋は両手で麦わら帽子の位置を弄りながら訊いた。

「ああ、クラスメート」
「ふーん、名前は?」
「? 男が結城晴也で、女が山神綾香だけど? それがどうした?」
「ううん、別にちょっと気になっただけっ」

 緋はニパッと笑うとそのままテテテッと走り出す。

(ふうん、"風神雷神"、かぁ)

 緋が晴也を誤魔化し、背後に回ったのは炎術は関係なかった。
 ただ単に"一哉以外に見えない"状態となり、店を出て後ろに回ったのだ。
 一哉は緋が店から出たのは見えていたから何の違和感も感じなかっただろう。

(いちやの正体に気付いて尾行したのかなぁ?)

 追いついてきた一哉に頭を鷲づかみにされ、声を上げる緋はそれでも笑顔だった。

(いいもん。いちやはあかねが守るもん)










第二章第九話へ 蒼炎目次へ 第三章第一話へ
Homeへ