第二章「生きる伝説と狂神」/ 9
<火>・緋色。 <水>・蒼色。 <風>・無色。 <雷>・黄色。 <土>・褐色。 <森>・碧色。 このように精霊には色がある。 過去に、そんな決まった色を変化させることができた術者がいた。 彼らは精霊の変色――より強く精霊を支配下に置くということ――を実現した天才と後世に名を残している。 そんな彼らの術を<色>と呼ばれていた。 普通の術者は精霊を従わせると言うより、力を借りている。しかし、<色>の使い手は文字通り、魅了して従属させるのだ。 その感応力により、個々の精霊術の意味に準ずる能力を引き出せる。 反則と言っていいのだが、精霊術は"気"と精霊を制御するという精神力の消費が激しい。だから、より深く精霊につながっているということはその消費もより激しいのだ。 つまり、長続きしない。回数に限りがある。 完全無欠の切り札的存在。 それが<色>である。 そして、水術の<色>は『蒼』から『白』に変わるので、<白水>と呼ばれていた。 熾条一哉 side 湖の上では守護神の角と一哉の<颯武>が鎬を削っていた。 守護神は首を動かすしかないので動きが制限されているが、防御結界を突き破った一哉にその制限はない。ただ、攻撃の場所が頭部に限定されているだけだ。 それぞれが守護神の頭部を激しく揺らす莫大な"気"が込められた一撃。しかし、相手は世の理に法られない神、ダメージはわずかだ。 <―――グォッ> 咆哮と共に叩きつけられる力の奔流。だが、それは一哉を守る緋の炎と一哉自身が纏う炎に退けられる。 すでにこの攻防は数回繰り返していた。 どうやら、今の守護神に敵戦力を分析する知性はないようだ。 瑞樹を相手にしていた守護神はまだ理性があった。 それは守護神に自分を慕う者に攻撃ができないという理性。 しかし、一哉は他属性。 言わば宗教の派閥のような違いで守護神は一哉を傷つけることに躊躇はなかった。 その思いが角より全身に回る邪気と統合し、強い力を得た代わりに理性や知能を失い、宝の持ち腐れ状態に陥ったのだ。 最初は角だけが異質だったのに、今の姿は甲羅も禍々しく隆起し、頭部に至っては目が血走って口から牙が生えている。さらにはその踏みしめる水面が毒々しく黒ずんでいた。 扱う<水>も邪気に満ち、とてもではないが、生粋の水術師の操る<水>と同質とは思えない。 <―――ガァァァッッッ!!!!> 守護神全体に力が満ちる。それは大がかりな精霊術――術式の発動予告。 「―――そおれっ、召し上がれッ」 ―――ボボンッ しかし、それは甲羅で爆ぜた炎によって中断された。 「よし。―――ハッ」 一哉の体が残像を引く速さで守護神の角の前に到達する。 「フッ」 右からの横一文字はガインッ、と堅そうな音と共に反対側に抜け――― 「ハィッ」 <グゥッ> 驚異的な速さで切り替えされた二の太刀は左横一文字。 未だ初撃の衝撃が抜け切らない内の攻撃は全ての力を角内に封じ込める。 それらは一瞬出口を求め、飽和状態の角内を蹂躙して抜けた。 <―――ギャアッ> その効果は角に傷をつけ、中から邪気を溢れさせるほど強力なもの。 (これなら、行けるか?) 後は傷ついた傷の内に炎を流し込めばいい。それだけで内から焼かれた角は消滅するはずだ。 「ハァァァッ」 一哉は再び<颯武>に炎をまとわりつかせる。 その光景は刀を中心にして蜷局を巻く蛇のようだった。 守護神も一哉の総攻撃を悟ったか、力を迸らせ、両者の下に空気が歪んで見えるほど高密度の精霊が集結する。 「いっけぇぇぇ―――ッッッ!!!!!」 <グ、アアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!> 一哉と守護神の咆哮が重なり―――大爆発が湖上に発生した。 さて、生じた爆発を科学的に述べてみよう。 激突したのは膨大な量の炎と水。 つまり、水は炎に熱されて水蒸気に変わってしまう。相殺されたならばその全部が水蒸気に変化したことになる。 そこで体積の問題となる。 質量はどんなに状態が変化しようとも質量保存の法則というので一定であるが、固体・液体・気体のような三態ではその体積が異なるのだ。 液体と気体では同じ質量ならば気体の方が体積が大きいということになる。 今回の守護神の攻撃は数トンの水を凝縮したのと同じ。さらに一哉もその辺の森林火災級の熱量を放出した。 よって膨大な水蒸気が瞬時に発生したことになる。 つまりは爆発的に体積が増え、その荒れ狂う水蒸気=水分子は外へと飛び立っていく。 内に蔵された力が外へと放出される現象。 これを爆発という。 水蒸気が原因で起こる爆発。それは火山などで起こる「水蒸気爆発」というものだ。 これは爆発と言っても文句なしの<水>の領域であった。 「―――ぐぅぉぉっっ!?!?」 水蒸気爆発により、十数メートルの飛行を体験し、炎のない水面に着陸。後に沈没した一哉は激痛に苛まれながらも相手を睨みつけて硬直した。 開戦当初と比べものにならないほど汚れきった守護神に立ち向かうひとりの少女。 悪しき者を滅するに最良の光を纏い、青白い刀身の剣を振るう姿は未だ燃え盛る炎の中で幻想的な風景となしていた。 (真打ち、登場、か・・・・) 角にダメージを与えた。一哉のできるのはここまで。 後は切り札に任せよう。 (がんば、れ・・・・と言っても通じるわけな、い―――) 急速に薄れ行く意識の中、思ったことは――― 「―――言伝だよっ、一哉ががんばれ、だってッ!」 忠実な守護獣――緋によって伝えられた。 渡辺瀞 side (―――行けるッ) 瀞は生涯初めてのとも言えるひとりでの戦闘で高揚感を味わっていた。 <―――ガアアッ> 守護神の攻撃。 一哉との戦闘前ならば何をしても退けられなかったそれは迎撃する白い輝きを放つ水球にて祓われる。 「今、楽にして上げますッ」 体勢を低くして全速力で水の上を走った。 十年近くの間、邪気に蝕まれ続けても尚、渡辺宗家を守り続けてきた守護神から与えられし神宝――<霊輝>の使用者としての資格。 その責任を胸に抱き、瀞は一哉たちの残す炎の中に迷わず踏み入れた。 見事なもので緋の支配下に置かれた炎は瀞の邪魔にならないように脇に退ける。 (まだ、一緒に戦ってるッ) 一哉と共に戦場にある。 そんな心強さに背中押され、瀞は力を<霊輝>に注ぎ込んだ。もはや、直視できるレベルの輝きではない。 曰く付きの霊場数個を丸ごと浄化してしまいそうな【力】の奔流に守護神――邪気は怯え、その巨体をわずかに後退らせた。しかし、そんな自分を鼓舞するように全身を震わせて咆哮する。 <オオオオオオオオォォォォッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!> 全方位攻撃。 それは瀞にも一哉にも湖岸にも社跡にも同等の攻撃力を持って襲った。 ダムの放水の上を行く、限界まで貯まったダムが決壊するのと同じくらいの、もはや水術と言えない、純粋な【力】の暴走。 湖岸では宗主の防御結界を貫き、防波堤粉砕する。 社跡では跡形も残らぬほどの破壊の限りを尽くす。 一哉へ向かったものは緋が全身全霊の、それこそ主人を守る時に見せる必死さを以て軽減した。 火事場の馬鹿力。 精神力にその威力を任せる精霊術だからこそできる芸当に各方面は壊滅的な打撃を受けていく。―――だが 「―――"雪花・防"ッ」 水術とは水。 つまりは氷もその範疇。 特に瀞は氷の扱いに秀でていた。 今の渡辺宗家では瀞しか習得していない、というか瀞オリジナルの術式――"雪花"。 中でも「防」は文字通り、防御術式。 「くぅっ」 強力無比の浄化能力が付加された"雪花"の前に邪気だらけの力は全て浄化される。 まるで火事で焼け野原になった地域にたった1つだけ、無傷に建つ建物のようにあるような状況になった。 (一哉が、邪気を表に出さなければやられてた・・・・) 疲弊した身体に鞭打ちながら、先程の攻撃を省みる。 以前の守護神は氷も使っていた。だから、先ほどの防御も軽々貫いたに違いない。しかし、今は邪気が強すぎて<水>も守護神を認めることが出来ない。 (勝てるッ) 大技の後の反動で動けない守護神に瀞は示現流の達人もかくやという歩幅で詰め寄り、その禍々しく聳え立つ角へ袈裟斬りを繰り出した。 ―――カシュッ 確かな手応え。 <霊輝>は完全に振り抜かれている。 「やったっ。―――ってええっ!?」 角が守護神の体から離れると同時に漏れ出した光に瀞は何の抵抗もできずに呑み込まれた。 <・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・> (―――ん? 誰?) ふわふわと漂うような感覚に瀞は眠気を誘われていた。しかし、そんな瀞を覚醒させようと誰かが何かを話している。 次第に漂う感覚はそのままで意識がはっきりしてきた。 だから、声に耳を傾けてみるとしよう。 <―――巫女ヨ・・・・> (?) 威厳を伴う声。 「んん? うぅ〜・・・・ひゃッ!?」 飛び起きた。 それは目の前に守護神の姿があったからだ。 「あ、あわわ・・・・」 抵抗できないような近距離。 その手に<霊輝>を握っていることすら忘れて後退る。 <礼ヲ言ウ。巫女ヨ。余ノ与エシ剣ヲ持ツ資格ヲ有スル者ヨ> 「あ、う?」 おかしなことに気が付いた。 守護神に角がないのだ。 あの、一哉との戦いで禍々しくなった姿でもない。 まさに言い伝え通りの姿だった。 「あの、もしかして・・・・正気に戻られましたか?」 <ウム。コノ身ニ巣クウ邪気ハ皆祓ワレタ。サスガダナ、巫女ヨ> 「えーっと、それで・・・・ここは?」 瀞と守護神がいるのは湖の上ではない。どこか白い靄に包まれた世界だ。 (空間、世界?) 空間世界とは術で作られた幻の世界のことである。 技術的に精霊術では難しいが、森術師は得意な術である。 <似テ非ナルモノ。ココハ精神世界。余ノ今際ノ世界ダ> 「今際・・・・それじゃっ?」 <ウム。些カ以上ニ邪気ガ体内ニ浸食シ、アノ炎術師トノ戦いで構成因子マデ侵入ヲ許シテシマッタ。ソシテ、ソナタノ浄化デ制圧サレタ部分ノ因子マデ消エ去ッタ。最早コノ体ヲ保テン> 「そんな・・・・それじゃ、私が―――」 ―――殺したみたいじゃないか。 <ソノヨウナ事ハナイ。全テハアノ男ノ奸計ニカカッタ余ガ悪カッタノダ> 「あの男・・・・?」 <ソレヲ・・・・探セ。ソレガ余カラ、ソナタラ一族ヘノ最後の使命ダ―――――――> 「守護神様ッ!?」 辺り一面、白い光に包まれて再び意識を失った。―――その腕に確かな重みのものを受け取って。 Epilogue 「―――ずか。・・・・瀞、起きなさい」 「あ・・・・ん、んぅ?」 ユサユサと揺すられて瀞は覚醒する。 ふっと目を開けてみれば心配そうに覗き込む瑞樹の顔があった。―――ただし、血まみれの。 「うわっ、瑞樹ッ。血、血ィッ」 「ああ、これは大丈夫です。多少破片が額に刺さっただけで」 「刺さったッ!? どこが多少!?」 「落ち着きなさい。今の【渡辺】ではこのような傷は軽傷です」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 守護神(邪気)の悪足掻きは確実に渡辺宗家の実戦部隊に痛撃を与えていた。確かに意識があり、話せるならばそれは軽傷と言えるだろう。 「みんなは・・・・?」 「死者はいません。しかし、半数は入院が必要ですね」 「でも、瀞ちゃんが無事でよかった」 「雪奈さん、気が付いたんですね?」 雪奈は守護神にやられた脇腹に包帯を巻いた以外に負傷箇所は見受けられない。 「うん。咄嗟に瑞樹が水の中に沈めてくれたから。まあ、そのタイムラグで瑞樹は怪我しちゃったんだけど・・・・」 雪奈がすまなそうに縮こまる。だからだろうか、手に救急箱を持って瑞樹の額の傷を治療したいのか、チラチラと視線を送って瑞樹にしゃがむように促していた。 「いえいえ。雪奈が無事で何より。湖岸も母上の尽力で何とか保ちましたから。それに壊滅と言っても負傷兵は帰ってきます。死んではいなのですから」 ようやく気が付いたのか、瑞樹は体勢を低くしながら瀞に告げる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あッ」 ガバリと身を起こし、慌てて周囲を見回した。 そこには傷つきながらも安堵の息をつく渡辺宗家の術者の姿ばかり。 目当ての者は見当たらない。 「一哉っ、一哉は!?」 「・・・・さあ、分かりません。我々が気づいた時にはすでに姿がありませんでした」 瑞樹の話では守護神の攻撃からすでに30分が経過しており、瑞樹が目覚めたのはほんの1、2分前だという。 その時には一哉の姿も緋の姿もなかったそうな。しかし、湖の藻くずになったことは否定されたので生きていることは確かだ。 (ホントに、何の挨拶もなく行っちゃうの・・・・) 元々、一哉は瀞に頼まれたから参戦した。 戦いが終われば帰るだけだ。しかし、それはあっさり過ぎないだろうか。 「まだ、お礼言ってないのに・・・・ってあ?」 俯いた瀞は自分が何かを大切そうに抱えていることに気が付いた。 「何? これ?」 「卵、ですね・・・・」 「何のかしら?」 三者は首を傾げる。 いつの間にか腕の中にあった卵はダチョウのそれよりも一回り大きかった。 「―――それは次代の守護神様の卵では?」 「「「は?」」」 喉元に包帯を巻いた宗主が水の上を歩きながら言った。 「伝承では守護神がその最期を悟った時、現れるそうです」 「ってことは・・・・守護神はまた現れるのですか?」 「少なくとも、ここ――【渡辺】の神はそうですね。元々水とは空から地上に降り、また空へ戻る。永遠にそれを繰り返すのですから尽きることはないのでしょう」 「はぁ・・・・。そういうものですか・・・・?」 安心したように胸に手を宛てて一息つく瀞。 (よかった。ホントに殺したわけじゃないんだ・・・・) 「なのでしょうね。―――それで、この卵の世話ですが・・・・第一功労者に任せたいと思います」 「・・・・えっと、宗主。具体的に言うと瀞ちゃんですか?」 雪奈が発言。 確かに守護神の暴走を最終的に止めたのは瀞だ。 「いいえ。確かに勲章ものです。しかし、今日の戦いだけで決めるのは早計だとは思いませんか?」 「・・・・じゃあ、誰が?」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 瀞には分かった。おそらく、瑞樹にも。 「常日頃から一番危ない場所にいて、弱音も吐かずに今日まで持ち堪えてくれた方です」 「え? それは―――」 宗主はにっこりと有無を言わせない笑顔の下に宣告する。 「そう、あなたです。ですから、この卵はあなたに預けます。立派に育て上げてください」 「えええええええええええええええッッッッッッッッッッッ!?!?!?!?!?!?」 こうして渡辺宗家は滅亡の危機を脱し、十数年前からの悪夢に終止符を打った。 負傷者が多く、すぐに戦闘できる者は数えるほどしかいないが、宗主を含めた直系3人がその中に入るので致命的ではない。さらに言えば一族の至宝の復活で負傷者が合流した際にはさらなる戦力向上が見込まれる状況となっていた。 「―――いいの? 何も言わなくて」 「今の姿じゃ、重荷になるだけだろ」 一哉は意外と力強く浮く緋の肩を借りながらよろよろと歩いていた。 「いつつ・・・・」 「大丈夫?」 傷の痛みに堪える一哉を心配する緋もかなり消耗している。 守護神の最期の攻撃。 それは緋の炎によって軽減され、一哉の"気"を通すことによって全体の8割を相殺されていた。 それでも規格外の攻撃は2人を上陸させるほど吹き飛ばしたのだ。 「見事のボロボロだね」 「ああ、散々な初陣だった」 一哉は額を切り、その血は眉間を通って顔を真っ二つに走っている。その他、軽傷ではあるが、治療しなければならない程度の怪我を多数負っている。 間違いなく瀞が見れば責任を感じ、泣き出しかねない姿だ。 「さて、これからどうしようかね・・・・」 日常生活もいいが、このような命のやりとりも捨てがたい。 何より頭が切れる瞬間が好きなのだ。 「熾条宗家・・・・九州に帰る?」 「いや。ああいう家に属すのは・・・・嫌だな。思わず潰したくなる」 「・・・・・・・・・・・・そ、そっか」 冗談ではない宣告に緋はわずかに冷や汗をかいた。 「まあ、つまらなくなったら、警察署にでも・・・・いや、自衛隊の基地にでも襲撃かけるさ。世界最高水準の兵器を持ってるんだから楽しめるだろ。ククク」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 完全な本気の一言に今度は沈黙する。 「あ〜、今何時だ? 昼はとっくに過ぎてるだろ?」 「うんっ。あかねの空腹時計はあまりの空腹に刻まなくなってしまったっ」 一転、現金にもうれしそうに緋は顔を輝かせた。 それに一哉は意地悪く笑う。 「刻まなくなったなら食わなくても大丈夫だな、うん」 「エエエエエエエエエエェェェェェェェェ―――――ッッッッ!?!?!?!?」 午後の熱い日差しの中、辺り一帯に驚愕と絶望を孕んだ悲鳴が響き渡った。 |