夏祭り


 

 地下鉄音川駅内での戦いから5日。
 町は日向で警察関係者・消防関係者がひしめき、に影では黒スーツ――SMOがうろめき、凄惨な出来事だったと陰鬱にさせている。しかし、幸いにも犠牲者のなかった統世学園の生徒が臨時バスで戻り、活気を取り戻していた。
 町はいつもの、いや悪夢を忘れるような盛況さで8月の行事を遂行しようとしている。
 すなわち、祭り。
 毎年恒例――「神代祭」である。






「―――え? お祭り、ですか?」

 渡辺瀞は八百屋で野菜が包まれるのを見ながら言った。

「そうだよ。ここいらじゃ、けっこう有名な祭りだ。ほら、あそこ」

 店主はとある方角を指差す。
 その先を追い、示しているであろうものの名を告げた。

「えっと・・・・あの、山?」
「そうそう。あの中腹と山頂に社があってな。麓から山頂近くまでびっしり出店が並ぶんだ」
「社が2つ?」

 分祀はよく聞くが、すぐ近く――同じ山中にするのだろうか。

「あ〜、その辺りはよく知らねえや。ま、調べてくれや、学生さん。―――ほい」
「あ、ありがとうございます」

 渡された野菜を受け取り、お金を払う。

「ま、カレシと一緒に行ってきな」
「い、いませんよっ」
「テレるな隠すな見せつけるな。ほ〜れほれ、あそこで待ってるのは誰だぁ?」
「え?」

 視線を巡らせると守護獣である緋をまとわりつかせたまま立つ熾条一哉がいた。

「ま、見たとこ、妹分に取られたってところか?」
「いや・・・・」

 1ヶ月前を知る者ならそう見えるだろうが事実は違う。
 何故なら一哉と瀞が恋人同士だという前提から間違っているのだから。

「へへっ、嬢ちゃんかわいいから浴衣姿で悩サ――オゴッ?」
「若い娘捕まえて何言ってんだよ。―――ごめんねぇ、引き留めて」
「い、いえ・・・・」

 瀞の視線は後頭部を押さえてうずくまる店主に向けられていた。

「さあ、待たせてないで行っておやり」
「あ、はい。その・・・・ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げ、一哉向けて走り出す。
 自然に迎えられ、溶け込む様は実に微笑ましいものだった。



「―――あ? 祭り?」
「うん。あの山にある神社でだって」

 一哉が重い荷物を持ってくれているので楽だ。
 手ぶらで歩く瀞の視線は無意味に周りを走り回っている緋に向いている。
 横ポニーの髪が風に流れ、一点の曇りない笑顔は周囲に撒き散らされていた。
 そんな無邪気な緋に思わず顔が綻ぶ。そして、脳裏には祭り囃子と出店の情景が浮かんだ。

「行く、か?」
「え?」

 ちょうど行きたいなぁ、と思っていた瀞はビックリして一哉を凝視する。

「でも、バイトは?」
「休め、と言われて追い出された。3日間来るな、だと」

 肩を竦める一哉。
 そんな一哉をからかうように瀞は言う。

「ん〜、社員顔負けなくらい働くから?」

 あながち間違いではないと思うが。


 2人は話をしながらマンションへと近付く。しかし、一哉はピタリと足を止め、次の瞬間、垣根に隠れた。

「――― 一哉?」

 訝しげに声をかけるが、返事がない。

「―――んん? 瀞ちゃんじゃない」
「あ、管理人さん」

 いつの間にか緋も消え、道に1人残されていた。
 そこに声をかけたのが2人の住むマンションの管理人で1階に住む女の人だ。

「帰ってきたのね。てっきり『実家に帰らせていただきます』イベントが発生したかと思ってたのに」
「は、ははは・・・・」

 瀞は苦笑いを浮かべる。
 微妙にあっているため、間違いとは言えない。

「ん〜」
「な、何です、か・・・・?」

 上から下までジロジロと値踏みするというか、透視するように見られ、恥ずかしくて頬に朱が差した。

「ん〜、夏休み前より元気になった?」
「え?」
「さては男ね」
「はい?」
「うんうん。アイツもいい顔するようになったし」

 うんうんと勝手に納得して頷いている。

「や〜、始めあなたを連れてきた時は必死で止めたのよ? でも、アイツは無視して部屋に連れてくし・・・・嗚呼っ。いったいあの夜に何がッ!?」
「え゙?」

 確かに目覚めたのは次の日だし、寝ていたのは一哉のベッドだ。

(ま、さか・・・・一哉?)

「―――何でまかせ言ってやがるか、この無責任者ッ」

 ガサッと垣根から飛び出した一哉は女性なのにもかかわらず胸元を掴む。

「『拾った物は拾った人が責任を持って面倒見ましょう』って言って有無を言わさず俺の部屋に押し込んでたのはお前だろッ」
「んん〜? そうだったかしらん?」

 顎先に指をあて、顔を逸らした管理人は「ん〜」とすっとぼけた。

「でも、私は一晩一哉の部屋にいたんだよね?」
「し、しずか?」

 信じられないものを見るかのような眸で瀞を見返す。

「うんうん。ぶちぶち文句言ってたのに一晩泊めて引き留めたんでしょ? きっとあの夜が忘れられ―――」
「黙ってろッ!」

 怒鳴られ、胸元を掴まれたまま知らん顔する管理人。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ジト目で睨む瀞。

「おいおい」
「いつの間にか私の生徒手帳持ってたよね? ・・・・スカートのポケットに入ってたやつ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は管理人から手を離し、目を逸らした。

「いぃちぃやぁ〜?」

 ジトジトした視線を送る瀞にたじろいた一哉は責任逃れのために管理人を捜す。

「うわっ、いつの間に?」

 彼女は爆弾を投下するだけ投下して撤退していた。
 爆撃機もビックリだ。

「教えてッ。私に何をしたの!?」
「何もしてないッ!」
「嘘ッ!」
「何故に即否定!?」






「―――う〜わぁ・・・・」

 神代祭当日。
 一哉は目の前の惨状を見て半ば引き返そうとした。しかし、待ち人の存在がそれを引き留める。

(かと言って・・・・)

 待ち合わせの公園は人人人・・・・の状態。
 この中から小柄な少女を見つけ出すのはちょっとした骨だ。

「―――うげっ、あれ登るの?」
「今年こそコンプリートするぜッ」
「「「オオッ!」」」「次何分?」」
「あと・・・・3分かな」
「ふぅん、次のに乗ってるといいね」

「―――なるほど。臨時バスの停留所か・・・・」

 神代祭は近隣でも大規模で例年多くの参加者がいた。しかし、今年はこの町の窓口でもある地下鉄音川駅が崩壊したため、交通機関がストップしている。だから、音川町は地域活性のために臨時バスを出して客寄せをしたのだろう。しかも、低賃金で。
 その結果、例年以上の大動員となっているのだ。

「―――さっきの娘、かわいかったなぁ」
「うんうん。・・・・誰か待ってるみたいだったけどな」
「ま、仕方ねえって。あんな可愛い娘がフリーなわけないじゃん」
「髪キレーだったよな。あれが濡れ羽色か」
「濡れ羽色?」
「えっと確か黒色のことだ。烏とかの」
「烏かよっ」

「―――もしかして?」

 賭けてみる価値はあった。
 一哉は彼らがやってきた方向へとその足を進める。

「―――ねぇ、いいじゃん、行こうよ」
「あの、えと・・・・だから、人が―――」

 浴衣少女のひとりの男に言い寄られていた。

「いいっていいって。後で一緒に謝ったげるからさ」
「そ、そういう問題じゃ―――ぁあ!?」

 手を掴まれ、驚いた声を上げる。
 振り払えばいいのに少女は手と男を交互に見て、困ったように身をすくませていた。

「あ、あの・・・・離し―――」
「さあ、行こうぜ」

 抗議を無視し、強引に連れて行こうとする。
 それを当然、許すはずもなく―――

「―――おい、そこの馬鹿」
「ぁあ!?」

 男は容易に憤慨してこちらを向くが、一哉の視線は縮こまっている少女に向いていた。

「あぅ・・・・」
「お前な、この程度投げ飛ばすか、殴り倒せ」
「で、でもぉ・・・・」

 浴衣少女――瀞は情けない光を灯した瞳で一哉を見上げる。

「こういう時は加害者でも被害者だ」
「それも違うような・・・・」

 瀞はやや苦笑気味に言った。

「―――ってかさっきから何だテメェッ」

 未だ瀞の細い手首を掴んだまま2人の間に割り込む男A。因みに何故Aかというと周りにB〜Eまでいるからだ。

「俺たちのお楽しみをジャマしやがってっ」
「お約束すぎて実際に見るとは思わなかった」

 一哉はため息をついて首を振った。
 全く畏れる様子は――当然だが――ない。

「「「「テェメェッ!!!」」」」

 それが火に油を注いだのか、B〜Eは一斉に襲いかかった。だが、乱舞する拳の嵐は一哉を捉えることができない。

「統世学園の生徒に喧嘩売るのか・・・・。しかも、学園最強クラスのこの俺たちに・・・・。蛮勇だなぁ」

 必要最小限の動きで躱していた一哉がしみじみと呟いた。

『え゙?』

 A〜Eの5人が動きを止める。

「社会的に抹殺されても文句は言えないよな?」
『―――っ!?』

 5人はニヤリと笑った一哉を見て慌てて遁走した。

「お、覚えてろーっ!」

―――お約束の言葉を残して。

「―――あ、ありがと・・・・」
「いや。でも、瀞は他人の前だと微妙に猫被る?」

 傍まで寄ってきた瀞に言う。

「猫!? ち、違うよっ。人見知りなだけ」

 パタパタと両手を振って否定した。

「でも、一哉こそ仕掛けてきたのに戦わなかったんだね」
「めんどうだからな」
「ふふっ。それでも踏み潰すのが一哉でしょ?」
「踏み潰す、って・・・・まあ、そうか・・・・。ホントに気が向かなかっただけなんだが・・・・」

 一哉は山に向かって歩き出す。
 周りの集団が移動し始めたためだ。

「それはいい兆候だと思うよ」

「何か言ったか?」
「ううん。何でもないっ」
「うおっ?」

 後ろから駆け寄るなり、一哉の腕を抱いた瀞は満面の笑みを見せる。

「一哉、お祭りの経験は?」

 腕に伝わる柔らかく優しい感触と暖かい体温を気にしつつも一哉はいつも通りの態度を装った。

「中東で一度」
「へぇ、どんなだったの?」

 知らない外国の祭りの話に瀞は期待する。
 それに一哉はニヤリと笑って答えた。

「さあ? 開始数分でパレードを見てたVIPを吹っ飛ばしたからな」
「えぇッ!?」


「―――うわ、ゆかり!? それ俺のっ」
「ふふん。政くん、世の中弱肉強食なのですよ」
「そうか。―――ならば俺も貴様のを奪ってもよいのだなッ」
「はわ!? そ、それは!?」
「ふ、世の中は弱肉強食なのだよ、ゆかり君。ハグハグ」
「うぅ〜。理解しましたぁ」

 楽しそうに中学生であろう一組の男女が歩いていく。
 心配なのか、少年は少女の手を握り、少女は握り返しながらはしゃぐ。
 時折奇行に走って少年を呆れさせたり、大胆に迫って慌てさせたりしていた。

(これが・・・・祭りか)

「―――ほらっ、一哉あれっ」
「はいはい。とりあえずたこ焼きを落とさないようにな。―――はむっ」

 一哉はとある出店を指し示すのに使った爪楊枝の先についたたこ焼きに食いつく。

「あ」

 瀞はその尖った先を見つめ、やや頬を朱に染めて小さく言った。

「お、落とさないもん」

 その後、もうひとつ刺し取り、小さな口に入れる。
 柔らかな頬が丸く膨れるのはおもしろい。

「ソースで浴衣汚すなよ」
「普通の娘よりも着慣れてるから大丈夫だよ?」

 実に良家の子女っぽいことを口にし、ニコッと笑みを向けてきた。しかし、口の端にソースと青のりがついていては説得力は皆無だ。

「ソース、ついてるぞ」
「なっ!?」

 瀞は咄嗟に袖で口を拭おうとする。

「うお!? 早速かいっ」

 慌ててその腕を取った。

「離してぇ〜、見ないでぇ〜、うわぁん」

 言ったそばから起こした行動が恥ずかしいのだろう。
 涙目で顔を真っ赤にしている。

「俺は悪者か!?」

 クスクスと笑い声がしたりして、それなりに注目されているようだ。しかし、いい感じのものばかりではない。
 あからさまな好奇心やまるで「嫌がる少女の手を掴んでいる少年」を見るようにヒソヒソと話しながら一哉を見る集団、はたまた明らかに不審者を見る視線。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あうぅ・・・・」

 瀞もそれに気付いたのか、力なく俯いてしまった。
 手に取った腕からも力が抜け、離せば重力に従ってもう一方の手と同じように収まるだろう。

「行くぞ」

 一哉は手を引いて歩き出す。
 瀞はもう片方の手にハンカチを持ち、口元を拭った。

「・・・・ごめん」
「いい」

 一哉は短く答える。―――それが瀞を余計に落ち込ませる羽目になっているとは知らずに。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 拭き終えた瀞は先程までの明るさを潜め、顔を俯けたまま歩く。すっかり、意気消沈していた。



「―――あ〜あ、何やってんだかっ」

 鎮守の森の枝で緋は呟いた。
 緋は両膝の裏で枝にぶら下がっている。髪の毛が重力に引かれ、下方に向かっていた。
 見ようによってはかなり危ないのだが、緋には関係ない。

「せっかく我慢して2人にしたのに・・・・」

 そういう緋の傍の枝には無数の空きパックがある。どうやら祭りで調達した食料の成れの果てのようだ。

「ここは・・・・外因的刺激、っていうんだっけ。・・・・まあいいや。それを入れなきゃねっ」

 ぐるんと反動をつけて枝の上に登った緋は笑みを浮かべて射程を計る。しかし、それを邪魔する者がいた。

―――トッ

「―――化生、次は中てるぞ」

 ギリリと弓弦を引き絞る音。
 緋の頬の横十数センチを射抜いた少女は巫女服を着ていた。
 それだけではない。
 様々な装飾品を付けており、容易にこの祭りのメイン――神楽を踊る神楽女だということが分かった。
 どうやら緋を妖魔だと勘違いしているようだ。

「あかねは化生じゃないよっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・っ」

 バシュッと勢いよく矢が飛んでくる。
 今度は緋の体に中るコースであり、すぐにもう1本飛んできた。

「ふ〜ん、連射なんて・・・・やるじゃん♪」

 緋は避けもせず、その自身を貫くであろう矢を見つめる。

「でも、あかねには通じないんだよっ」

 矢に向け、掌をかざした。

「ハッ」

 掌から出でた炎は寸前で二本の矢を焼き溶かし、地面に落ちた鏃はその熱で土を煙を上げさせながら焦がす。

「あかねはいちやの守護獣だよっ。妖魔じゃないよっ。だから、逃げないよっ」

 不退転の意思を紅の輝きを放つ瞳に込め、現れた少女に向き直った。

「・・・・確かに妖気は、ない。・・・・悪かった」

 少女は弓を下ろし、頭を下げる。

「ふん。ごめんですめば警察はいらないんだよっ」
「むぅ。では、どうすれば?」

(・・・・律儀ぃ)

 どうやらこの人物は自分が間違ったことをすればちゃんと償う人のようだ。

(あ―――)

 緋は名案を思いつき、ニンマリとした笑みを浮かべた。

「そ〜れ〜な〜ら〜、にひひ。お願いがあるんだよね♪」

 緋はその笑みのまま歩み寄る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 少女は不気味な緋の笑みに多少引きつつも話を聞いてくれた。






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 階段はあるが、祭りには使われていないところを歩いていた。だから、辺りは闇に包まれている。
 瀞はそっと顔を上げ、上目遣いで気付かれないように一哉を見た。
 こういう行為は不本意ながらかなり得意だと思う。
 案の定、一哉は瀞が見ていることに気付いていない。
 見る限り、表情の変化はなかった。しかし、無言でどんどん歩いていく。

(やっぱり・・・・怒ってる、よね・・・・?)

 恥ずかしかったからとはいえ、瀞のした行為は一哉が悪く見られることだ。
 何の謂われもないのに悪い目で見られれば誰でも気を悪くするだろうし、さっきのは完全に瀞の不注意だったのだ。
 一哉の斜め後ろを歩きながら鬱々と思考に沈んでいく。だからか、一哉が立ち止まったのに気付かなかった。

「―――わふっ」

 思い切り一哉の背中で鼻を打つ。しかし、一哉は反応してくれなかった。
 ただ、前に立つ少女を見るだけだ。

(誰、だろ・・・・)

 少女は白衣に緋袴、後ろ髪は背中でまとめられ、横髪は長く下ろされている。
 一般的な巫女のイメージと違うのはいろいろと煌びやかに飾り立てられているところだろうか。いや、それ以前に左手に弓を持ち、背中に矢筒を背負っている時点ですでにおかしい。

(あ、だから、一哉は微妙に臨戦態勢なのか・・・・)

 一哉は微妙に膝を曲げ、かかとを浮かしている。
 いつでも飛び出せる状態だ。

「誰だ?」

 一哉はややトゲのある言葉を出した。それにビクリと瀞は反応する。

(うわーっ、いらついちゃってるよぉ)

 巫女服の少女は眉間にしわを寄せ、緊張しているようだ。
 無理もない。
 一哉の敵意を受けているのだから。

「この神社の―――」

 神社はもちろん退魔勢力の一種である。
 境内自体が一種の聖域で辺りを囲む鎮守の森は城壁の役目をする。
 もしかしたらここは入ってはいけないところだったのかもしれない。だから、この神社の人が撃退しに来たとすれば―――

(いけないっ。戦いになっちゃうっ)

 勝敗云々の前に始まった瞬間、少女は業火に包まれる。
 昂る<火>を感じ取り、慌てて撃墜用の術を密かに練り始めた。
 水術は隠密性に向くとは言えないが、炎術よりはマシだ。
 経験が浅く、性質で劣る一哉は気が付いていないだろう。

「―――御神体は知っているか?」

 ズル(×2)

 一哉と瀞は一瞬で構成していた術を手放した。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 呆然と少女を見つめる。

「知らないようなので説明―――」

 呆けたままの2人を置き去りし、少女は険しい表情のまま早口で話し出した。


 神代神社の成立は平安初期らしい。
 何度も本殿を改築しているが、敷地自体は今とほぼ変わりない。
 明治維新の激動も乗り切り、大きな敷地を保有している。
 そんな壮大な神社の御神体。
 今では祭神自体、氏神を筆頭にいろいろ明治以後入れられたが、それらは全て分祀した中腹の社に奉られているらしい。
 よって山頂の本殿に奉られているのは元々、神代神社の存在意義と言ってもいい神だけ。
 名前はないらしい。
 神、と言っても八百万の神がいる日本だ。
 記紀に出てくるような神でなくとも、大きな木や石、山なども神として奉られる。

 この神代神社には宝珠が奉られているらしい。
 ずっと倉入りでレプリカも精製されていないので実在しているかどうかは彼女にも分からないようだが、それは彼女の一族にとって命よりも優先しなければならないものらしいかった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞は真剣にものを考えていた。

 おそらく、宝珠は実現するのだろう。
 それは見せてはいけない物。
 それは見られてはいけない物
 それはあってはならない物にして、なければならない物。

 そういう物を取り扱う能力者の集団を何と呼んだのだろうか。
 瀞は気まずさを忘れるために話を終え、どこかに視線を向けて毅然と踵を返した少女を見送っても黙考し続けた。



(―――結局、何がしたかったんだ、あの女)

 一哉は巫女が消えた方向と逆方面に進路を変えながら思った。
 何故かセリフも早口だったし、話慣れていないので内容を把握するのに時間がかかる。それに最後に放った視線の方向。

(あの先には・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・緋がいたんだよな)

 主従の関係は近ければお互いの所在が分かる。

【お節介】
【―――いちやが変なことで不機嫌になるからだよっ】

 離れたところにいるのに返事が来た。
 これが2人の絆でもある。

【・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だってなぁ】

 渡辺瀞という少女は人目を引く。
 それはもう問答無用とばかりに。
 そんな彼女が着飾り、そして、腕を掴む相手を涙目で拒んだのだ。
 周囲から浴びせられた感情は生々しいものばかりだった。そして、ドロドロとしたものや粘着質なものが圧倒的に多く、耐えることなどできなかった。

【リフジンな視線に怒ったのは分かるけど・・・・いちやって思ってるより態度に出るし、感情の変化にしーちゃんは敏感だから、ね・・・・】
【それに変な意味で拒絶に慣れてるしなぁ】

 勝手に悪い方向に思考が進んでいってもおかしくない。

【じゃあ、がんばってねっ。帰ってきてまだしーちゃんが落ち込んでたら、家を燃やしちゃうぞっ】

 洒落にならない一言を残し、緋は去っていった。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それからしばらく歩いていくと喧噪が近付いてきた。そして、一哉はすぐ傍を人が通るようなところまで来ると一哉は隣を見下ろす。
 そこには小さな頭をやや下に向けている少女がいた。
 俯けているためにその表情を窺い知ることができない。

(やっぱり、落ち込んでるのか?)

 瀞は濃紺の生地に大輪の華が咲いた浴衣に黄色の帯をしていた。そして、いつもは下ろしている腰辺りまである黒髪を頭上でまとめている。
 後ろに流れる髪の量が激減したため、普段見えないうなじが見え隠れしていた。

「ホレ、いい加減に復活しろ」
「あぅっ。か、髪が乱れるぅ」

 一哉が頭を弄ると慌てて押さえにかかる。

「俺に日本の祭りを教えてくれ。これじゃまるで食い倒れだ」

 そろそろと顔を上げた瀞は安心したような笑みと共に苦笑いを浮かべていた。

「ん?」
「・・・・え、と。今日の日本人には祭事の意味は二の次かも」
「・・・・まさか食い倒れが目的?」
「ううん」

 違うよ、と瀞は首を振る。

「お祭りの極意は―――」

 きゅっと一哉の手を握り、にっこりと微笑んだ。

「―――楽しむことだよ」

 そう言って手を引く。
 そんな瀞は誰から見ても楽しそうだった。






 山頂から祭りのざわめきを縫って山全体に神楽太鼓・神楽笛などで奏される神楽囃子が聞こえ出す。

「―――カンナ、出番だよっ」

 本殿にある神楽殿で神代祭の本当の祭事――里神楽が行われ始まったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 カンナと呼ばれた神楽女の少女はゆっくりと舞台に上がる。
 そのままふっと観客に目を向けると―――"彼女"がいた。

「―――っ!?」

 ぴょんぴょんと跳び跳ねて存在をアピールし、両手を挙げたまま笑顔で『あ・り・が・と・っ』と大きく口で表す。そして―――ふっと消えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「―――カンナ」

 背後から巫女服を着た老婆が声をかけてくる。

「失敗するんじゃないよ」

 仇を見るような視線を受け止め、押し返すように返した。そして、踵を返し、神楽を始める。
 神楽女の霊力が乗せられた神楽鈴の音が御帥嗣山(ゴスイシ)に響き出した。



「―――ねえ、一哉」

 少し前を歩いていた瀞がくるりと体を反転させる。ふわりと乱れたために解いた長い黒髪が半円を描き、再びその背にさらりと流れた。


 今、2人がいる神代神社の祭事――神楽とは祭神に捧げるものだ。
 岩戸隠れの段でアメノウズメ神がかりして舞った日本書紀が起源だとされている。だから、神楽は神を喜ばせるもの、もしくは慰めるもの。


「何だ?」

 一哉は髪を追っていた視線を瀞の顔に向ける。
 そこには笑顔ながらも少し緊張した表情が浮かんでいた。


 しかし、この神代神社での神楽――宮中で行われる御神楽と区別し、里神楽という――は違う。
 里神楽には巫女神楽、湯立神楽、獅子神楽、採り物神楽などに分類されるが、ここのはどの流派にも当てはまらない。
 さながら、「神代神楽」と表されるだろうか。
 その特徴としては『神を喜ばせ、慰めるものではなく、押さえつけること』


「―――今、ね・・・・」

 夜店から漏れる強烈な光の中、瀞はじっと一哉を見上げていた。


 神社の成立以後、幾度も繰り返した儀式。
 変わりない音が幾重もの鎖となり祭神を絡め取る。しかし、そんなことは確かに常人には分からないし、分かっても意味のないこと。
 ならば、楽しむということは確かに極意かもしれない。―――日常の憂さを昇華し、再び日常を生きるために。


「――― 一哉は楽しい?」
「・・・・ああ。楽しいかな」
「えへへ。・・・・よかった」

―――夜店の明かりを背景ににっこりと微笑む瀞ははっと息を呑むほど綺麗だった。










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