序章「集結の地、音川」
人は太古から自然を、抗いようのないものを神として崇めてきた 火事・洪水・台風・落雷・地震・飢饉 これらの災害が神の怒りだと判断し、祈祷・生贄などの多くの処置が施される そうまでしても治まらぬ時、人は彼らを狩る者に依頼してきた 災害を起こせし者 人ならぬ者を退治する者 厄災="魔"を滅する力の持つ者 彼らを総じて『退魔師』と呼ぶ そんな彼ら――裏の住人たちが一目を置く存在がいる 場合によっては先の災害を巻き起こせるずば抜けた戦闘力 それらを制御する強靱なる精神力 六つの厄災を司りし精霊たち <火> 煌々と闇をも照らし出し、全てを焼く尽くす紅蓮の炎を司りし <水> 渾々と湧き出る泉や地表の七割を占める碧き大海までを司りし <風> 肉眼では捉えることができず、蒼穹を駆け抜ける清風を司りし <雷> 天上より舞い落ちる腹に響く轟音と紫色を孕んだ閃光を司りし <土> 土台を成し、聳え立つ岩盤や様々なものに浸食する砂を司りし <森> 始生代以来、界門綱目科属種に連なりし全生命の息吹を司りし 神が裁きの代行者 退魔の使命を帯びた伝説の血族 一身にして景観を変え、数多の妖魔を相手に立ち回る絶対たる強者 知る者たちは彼ら、六つの精霊を統べる者を畏怖と羨望を込めて――― 精霊術師 ―――と、そう呼んでいる。 |
少女 side
「―――はぁ・・・・はぁ・・・・」 ―――パシャッ しとしとと梅雨の雨が降る住宅地は暗闇に包まれていた。 太陽はすでに沈み、空には月浮かんでいる。しかし、その光を雨雲が邪魔していた。 その闇を切り開く街灯も点いたり消えたりと頼りない。 「はぁ・・・・ふぅ・・・・」 少女がひとり、その闇に紛れるようにして住宅街を走っていた。 白かったはずの運動靴は何度も水溜まりに浸かって黒ずみ、傘も差さない体は服が張り付くほど濡れそぼっている。 「はぁ・・・・はぁ・・・・。も・・・・大丈夫、かな・・・・?」 膝に手を当て、肩で息をした。 苦しそうに顔を歪めながら身を隠した場所から辺りを見回す。 ―――バタバタンッ 「―――っ!?」 複数の車のドアが閉まる音。そして、わずかに聞こえ出す男たちの声。 少女を追う者たちが追いついてきたのだ。 「―――いたかっ?」 「いない。そっちは?」 「見つからねえっ」 「探せっ。この辺りにいるはずだっ」 ぐっと息を殺す。 半ば呼吸を止めているに近いが、気にせずじっと彼らがここを去るのを待った。 (早く・・・・どっか行って・・・・っ) 身を縮こまらせた少女はぎゅっと目を瞑る。しかし、感じるの徐々に近付いてくる足音と殺伐とした気配だった。 (あ、ぅ・・・・) ぐらっと視界が揺れる。 同時に動悸が乱れ、呼吸が荒くなった。 (う、うぅ・・・・) 追手の気配に少女は1年前の記憶をフラッシュバックさせる。 少女は知らず知らずのうちに両手で体を抱き締め、思い出したくもない、だが忘れるには強烈すぎる記憶を反芻していた。 劫火に包まれる建物や艦船。 鳴り響く銃声や爆音。 ヒトならざる者の咆哮とヒトの喊声。 潮の匂いと血の臭いを孕む風。 背後から迫り来る妖魔の恐ろしき形相。 身に纏う自分でない人の鮮血。 汗と砂に塗れ、気を抜けば止まってしまうであろう足を必死に動かして駆ける。 亜熱帯雨林を抜け、やっとの思いで本営が敷かれる海岸へ。しかし、そこには炎上する装甲車や朱に染まって倒れ伏す人間たち。 視認するや否や、全身を貫いた驚愕。 さらには巡らせた視線の中、哄笑する男とその足下に倒れた父の姿。 先を上回る驚愕が少女の足を地面と縫いつけるようにして固定した。そして、少女の足は暴風の権化が降臨するまでそこを動くことはなかった。 「―――誰だっ、そこにいるのは!?」 「―――っ!?」 怒号に近き声が少女を現実に引き戻した。 知らず知らずの内に彼らでも気取れるほど気配を出してしまっていたらしい。 どんどん近付いてくる気配がした。 (も・・・・ダメ・・・・。―――やるしかないっ) バッと勢いを付け、陰から飛び出す。 「「―――っ!?」」 すぐそこには驚きの表情で凍り付いた2人の黒服の男がいた。 「セッ」 「い―――ぎゃっ」 何か言う前に右手の内に生じさせた"水"を顔面向けて放つ。そして、突然の冷水に怯んだ隙にもう1人の携帯を持った男に接近した。 「ヒッ」 「はっ」 少女は大柄の男の丹田に己の掌を当てる。 ―――ドゴンッ 音とともに男の体が吹き飛び、アスファルトの上に転がった。 「くっそ―――」 怯んでいたもう1人が気を取り直して少女に掴み掛かる。 くるんと身を翻して避けた。 その行動に長い髪が半円を描いて背中で踊る。 「ふっ」 「むがっ!?」 "氷点下の水"に全身を一気に冷やされ、意識が刈り取られた男はガックリと膝をついて倒れる。 そうして闇の中での一瞬の攻防後、身にひとつの傷を付けずに勝利した少女の立ち姿だけが残った。 「はぁ・・・・はぁ・・・・」 一見圧勝したように見える少女の息は荒い。 「う、わっ」 足から力が抜け、ペタリと地面に座り込んだ。 まだまだ追手はいる。しかし、慣れない土地や感覚。 朝から続ける逃避行などは少女の余裕と体力を奪い去っていた。 「でも、逃げなきゃ・・・・」 ―――みんなが危ないから。 ゆらりと逃避行で薄汚れた体を少女は気丈にも立ち上がらせる。 疲れ果てた姿でも艶やかに輝く漆黒の長髪は一切の乱れもなかった。ただ、その小さな背を覆い、凛とした空気を作り出す。 そんな濡れ羽色は見る者を魅了する、確かな存在感を備えていた。 ―――く〜 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うぅ〜」 先程の空気はどこへやら少女はお腹を押さえ、ふらふらと歩き出す。 夜闇を照らす頼りない街灯の中、長い黒髪と真っ白い肌、汚れた衣服という様は幽鬼を彷彿させた。 ??? side 「―――フフフ、何でしょうね、この騒ぎ」 少女がその場から去った後、あの攻防が見られた家屋の屋根で不気味な笑みが起こった。 口元に張り付いた笑みは笑い声と雰囲気共にピッタリなのだが、何故が嘘くさい。 「<風>、<雷>に続き・・・・<水>、ですか・・・・。フ、フフフッ、やりにく―――っ!?」 棒手裏剣が屋根に突き立った。 一歩足を引かなければ足の甲が縫い止められていただろう。 「これは・・・・いけませんね。フフフ、さらばです」 バッと影がその場を飛び退き、あっという間に遁走に移った。 その躊躇ない行動には感嘆の息しかない。だが、その程度で諦めきれるようならば最初から攻撃などするはずがなかった。 「―――止めておきなさい。彼は一筋縄ではいかないような気配がしました」 下の道路に停まっていた車から降り、絣の着物を着た老年に入った女性は首を振る。 逃走した人物の代わりに屋根の上に降り立っていた黒装束の者はそれを見て追撃を止めた。 「これで全てが集まりましたね」 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 女性の言葉には応えず、黒装束の者たちが女性を守るように展開する。しかし、その黒装束たちのリーダーは違った。 「これから、どうなさるおつもりですか?」 屋根から下り、女性に訊く。すると、女性は黙考に入った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、様子見しましょう。・・・・・・・・これからはさすがに私でも予想ができませんから」 女性はしばらく考えた末の判断を下し、その視線をふっととある方向に流す。 それを追えば、闇の中、わずかに光を灯して辺りを俯瞰する烽旗山の姿があった。 「特に・・・・この因果の地――音川では」 |