第一章「怪異への邂逅」/ 1


  

 妖魔
 雪女、河童、鵺のような妖怪
 餓鬼、牛頭馬頭のような鬼
 また、確固たる名前が与えられない異形のモノ

 その妖魔を狩るヒトを退魔師と呼ぶ。



 場所は麓に人里を持つ山奥。
 時刻は虫すらもひっそりと静まり返る丑三つ時。
 そこでは枝葉を揺るがす強風と相争う音が、いや、必死に逃げるモノの息遣いが辺りを気遣いながら響いていた。

<―――フシューッフシューッ>

 七本の脚をワシワシと忙しそうに動かし、先程一本を失った場所から逃げようとするのは体長5メートルを超えようかという大蜘蛛だ。
 この日の夕方までは近隣住人を喰い殺す恐ろしき化け物であった彼も圧倒的戦力の前には逃げるしかなかった。
 逃げる時にはしっかりと糸を吐き、追討者の足を止めている。しかし、それでも彼は不安だった。

<フシューッ・・・・・・・・・・・・>

 じっと動きを止める。そして、四方に耳を澄ませ、追手の気配を気取ろうとした。

<・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>

 静かだ。
 さすがの追討者も自動車ほどの速度で走り、木々の間を縦横無尽に駆け抜ける蜘蛛には追いつけなかったらしい。

<・・・・・・・・・・・・・・・・フシュー>

 蜘蛛の全身から力が抜けた。
 危機は去ったのだ。
 これから少し休み、山伝いに移動しようと決心する。
 同じ狩り場を使えば必ず今日のように追討者に見つかるだろうから。

<?>

 自分に近い周囲の状況を気取る余裕のできた蜘蛛は辺りが凪状態にあることに気が付いた。―――ついさっきまでは山を駆け上らんとする強風が吹き荒れていたというのに。

「―――もう、鬼ごっこは終わりか?」
<―――っ!?>

 突然目の前に発生するつむじ風。
 それが晴れた時、寄り添うようにして若い男女の追討者が現れた。

「そろそろ眠ぃから、終わりな」
「セェィッ」

 少年の巫山戯た態度とは違い、少女の方は低くしてアンダースローで手に持っていた鎖鎌の鎌部分を投げる。
 低空飛行を続けた鎌は数秒と経たずして蜘蛛の懐まで入り込んだ。そして、少女の手元で起こった変化を鎖が伝え、鎌は鋒を上に向けて跳ね上がった。

―――ドシュッ

<ギッ―――ッ!?>

「バイ、バイッ」

 鎖を、鎌を通して送り込まれた超高電圧流は易々と蜘蛛の内臓から焼き払う。

「はい、いっちょあがりっと」

 少女が手首のスナップだけで鎌を引き戻した。
 その鎖鎌にはあれだけの電流を流しながら一部分も損傷がない。だがしかし、前方には確かに黒こげになった蜘蛛の遺骸があった。

「終わったわよ」
「ああ。じゃ、帰るか」
「そうね。さすがに山の中の任務は広い上に敵が動きやすいから時間かかるわね。―――ところで、こいつの後始末お願いね」
「・・・・ああ、分かったよ」

 少女は前に来た髪を後ろに流しながらさも当然のように雑務を押しつける。
 それに少年は不平を感じつつも口には出さず、持っていた弓に矢を番えるとその鏃を蜘蛛――妖魔に向けた。

「ふっ」

 呼気と共に風が荒吹き、放たれた矢に絡みつくようにして妖魔に突き刺さる。そして、その風は鏃が空けた穴から内部に入り込み、内側から妖魔の四散させた。

「あらよっと」

 後は風がその肉片を磨り潰し、塵と化してその痕跡を完全に削除する。
 物の数分で幾人もの人間を喰い漁った巨体が跡形もなく消え失せた。

「ほい。終わったぞ」
「・・・・ホント。後片付けとかは早いのに・・・・どうして攻撃となると足手纏いかな」
「うるせえよ、俺に言うな。生来の性質って奴だ。―――ああ、そうそう」

 少年はそっと少女を抱え、思い出したように言った。

「何よ?」

 抱えられることが自然なのか、腕を上げて抱えられやすくした少女は先を促す。

「何でも<水>で一波乱あったらしいぜ。方々に通達が行ってかなりの数が動員されたらしい」
「へえ、あそこ去年に大打撃受けてから大人しかったのにね」

 ふわりと浮き上がり、木々を足下に見ながら飛行する2人。

「うちみたいに屋台骨がいねえからなぁ。まあ、こっちまでその手が及ぶなら干渉させて貰うけどさ」
「あたしは勘弁ね、他人事だし」
「冷てー。それでも長年連れ添ったコンビか?」
「うっさいわね。あたしはあたしん家を巻き込みたくないのっ。分かった?」
「へいへい。どうせ、対応決めんのは姉貴たちだから勝手もできねえよ」

 2人は雑談に興じながら夜空を駆って仕事場所から帰還した。






熾条一哉 side

「―――っ!?」

 階段を駆け上がっていた少年が背後からの殺気に反応し、咄嗟に頭を押さえて廊下に身を投げ出した。
 その頭上を通過した数本の"チョーク"が進行上の窓ガラスを粉砕する。

「避けるなっ。当たらないじゃないかっ」
「死ぬわっ」

 たったひとつであの威力。
 そんなチョークを放った女性に叩きつけるように返し、少年はまた階段を上り出した。そして、そんな彼を負うべく彼女も教師にあるまじき行為――廊下を走り出す。

「教師が廊下を走っていいのか?」
「そんなことを言ってたら、廊下を走る生徒は捕まえられんっ」
「無茶苦茶だぞ」
「勝てば官軍、いい言葉だな」
「ああ、それには同感」
「同意を得られたところで熾条、登校が5時間目というのはどういうことだ?」
「ちょうどバイトの納入日だったんだ」

 ズドドッと男子生徒とその担任教師が放課後の2階廊下を疾走していた。
 かなりのスピードだというのに両者とも息切れせず、普通に会話している。
 放課後と言えどまだまだ校内に生徒が満ちていた。しかし、誰もその様につっこめない。
 ただ、乱舞するチョークを躱すのに必死だった。
 その方法は様々で廊下に滑り込む者、盾を用意する者、辺りの教室に飛び込む者、さらには窓から飛び降りる者など多彩である。
 それ以外の者は不運にも流れ弾によって倒れていった。

「高校生がバイトするな」
「・・・・家賃払えず路頭に迷えと言うのか」

 彼らの通過した場所には死屍累々と生徒が倒れ、放心してまるで台風のような2人を振り返る者がいる。だが、彼らは嫌なものを見たとでも言うように目を逸らし、ついでとばかりに失神している者――特に男子――を文字通り踏み越え、先を急いだ。
 こういうのは"割と日常的"なので彼らは強かに対応する。だから、攻防戦を繰り広げる2人も気にすること――余裕がないとも言う――はなかった。

「くっ、ヤバイな。このままじゃ追い詰められる」
「もちろんだ。まだまだ2ヶ月しかいないヒヨッコを追い詰められないとでも思ったかっ!?」
「っていうか、普段から追い込んでるのかよっ」

 普段の態度から考えられないことに少年がツッコミを入れる。
 生死の境というのはその者の性格も変えるのだろうか。

「ってか、もう職員会議の時間じゃないのか?」

 一応、「教師」という肩書きを持つ者には大切なことのはずだ。
 男子生徒の名は熾条一哉。
 この春、この統世学園高等部に入学した1年生である。

「狩人というのは始めたら止められないのだっ」

 追うのは彼のクラス――1−Aの担任である橘冬美。
 "白矢の悪魔"と異名を持つ猛者教師だ。
 彼女が放つチョークは廊下の端から端まで届くとされ、また威力、命中力共に絶大。
 調子に乗った生徒鎮圧に最適な教師なのだ。

「戦闘狂か!?」

 逃げる一哉もただ者ではない。
 入学から2ヶ月で、1年生史上最強と謳われまでになったA組の中でもトップクラスの戦闘力を示し、さらには知謀の高さを持っているのだ。
 そのスペックから来る判断力で背後から迫るチョークを次々と躱し、障害物と化している生徒間を縫っていった。

「―――ようっ、一哉っ。お前も追われてるのか?」

 突然角から現れた一哉より少し身長の高い男子生徒。
 彼は額に汗を浮かべ、やや焦った面持ちをしている。

「お前もって・・・・まさかっ!?」

「「「―――待てぇっ! 結城晴也っ! 今日という今日は捕まえさせてもらうぞぉ―――ってぎゃああああああああ!?!?!?!?」」」

 ズドドッと彼の出てきた角から各々の武器を振り上げた男女数名が出てきた。しかし、それはチョークの軌道上に乗っただけ。
 身の毛のよだつ打撃音を轟かせ、彼らは狂戦士を阻む塁となる。

「くっ。お前ら退けっ」
「ぐはっ」

 それは見事に役目を果たしたようで、2人はその隙に2階の窓から飛び降りた。




「―――助かったぜ、一哉」
「ぜはぁ・・・・お前、まさかこれ、計算済みだったのか?」
「もちろん、視界の端でお前が先生に追われてるのを捉えてちょっとスピード調節した。はっはは、チョロいぜ」

 あっけらかんと偉業を語る男子生徒の名は結城晴也。
 一哉のクラスメートで席替えで前の席に座ることになった友人だ。

「ったく、今日は何で追われてたんだよ」

 こそこそと昇降口で靴を履き替え、グラウンドに出る。

「何、ちょっと科学部のところに、な」

 晴也は統世学園が誇る(?)愉快犯であり、入学早々目を付けられていた。因みにだんだんその嫌疑が自分にも掛かりつつあることも知っているが、それはよしとしよう。

「んじゃ、俺部活だから」
「道場まで張り込まれないのか?」

 晴也は弓道部員であり、その実力は全国区だ。
 その実績と容姿端麗さで人気を集めているが、愉快犯という悪癖といつも一緒にいる少女のおかげで浮いた話は聞かない。

「ははっ。そんなことしたら弓道部員の的にされるぞ、本物の鏃(ヤジリ)で」
「冗談に聞こえないぞ。―――ま、そんじゃ、先生に見つかる前に帰るわ」
「おぉ、明日は遅刻すんなよ。標的が俺になるからな」

 そう言って2人は別れた。
 校舎からは彼らを捜す者の声が聞こえるが、一切顧みない。そして、他人のふりをして逃げ果せることに成功した。



 私立・統世学園。
 学園の目標である「世を統べる人材を育成せよ」が校名に刻まれた中等部、高等部が存在する学園である。
 音川町唯一の高等学校であり、大学顔負けの設備と烽旗山全体が敷地という広大さを持っていた。
 普通科・工業科・商業科・特選科の4つのコースからなり、それぞれ4クラス。1学年に計16クラスあり、それが3学年。
 総計――48クラス。
 その生徒数から、一般生徒ではまず把握できない数の部活・愛好会・同好会が活動しているのだ。そして、地元生よりも各地からやってくる生徒の方が多いため、この音川町は下宿用のアパートや、寮が点在していた。その様はまるで「学園都市」となっている。



「―――疲れた。・・・・授業が終わってからの生死を賭けた鬼ごっこは・・・・無意味だ」

(いや、鬼ごっこ自体無意味だとは思うが)

 そんな疲れた体が自然に自動販売機に吸い寄せられるのは仕方ないとしよう。そして、何気に好きなコーヒーを買ったのも良しとしよう。さらにルーレットか何かで当たりが出たのも良しとする。―――だが、

「・・・・・・・・普通こういう時って買った物と同じ物がオマケとして付いてくるんじゃないのか?」

 思わず独り言を呟いてしまった。
 その手には缶コーヒー(ブラック)とミルクティー――嫌がらせのようにミルク増量中――が握られている。
 言葉から分かる通りに彼は甘いのが苦手ではっきり言ってオマケは処理に困るそれでしかない。



―――だからだろうか、住んでいるマンションの前にある小さな公園で憔悴した少女に声をかけたのは。



「―――よう」

 一哉はタイヤを半分ほど地面に埋めた遊具に腰掛ける少女に声をかけた。

「・・・・え?」

 俯いていた少女が顔を上げる。

「えっと・・・・私、ですか?」

 中学生だろうかと思ったが、着ている制服は近隣の中学のものではなかった。―――やや高級感が漂う制服だが。

「ああ、お前だ。―――いるか?」

 何気なく声をかけて紅茶を差し出す。
 普通なら見知らぬ人に声をかけられたならば警戒するだろうに、余程疲れていたのか、少女は素直にミルクティーを受け取った。
 一哉もその前でコーヒーを開ける。そして、一口含んでこれからのことを考えた。

(ふむ。気分で声かけたけどこれからどうするんだ?)

 一哉はあまり同世代の女子と話したことがない。だから、今更ながら何を話せばいいか分からないのだ。

「―――あ、ありがと・・・・ございます」

 物思いに耽っていた一哉に少女は小さな声で礼を言い、そろそろと紅茶を口に含んだ。

「おいしい・・・・」

 ポツリと小さな声を発した喉は一瞬後、コクリコクリと音を立てて動く。
 余程喉が渇いていたのか、一気に近い速さで缶を空にしてしまった。

「あ〜、それならよか―――っと」

 ふらぁ〜、っと力を失って倒れかけた体を危うく支える。

「お〜い」

 一哉はすぐ側にあるタイヤの遊具に缶を置き、両手で少女の肩を掴んで揺さ振った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 カクカクと首が上下するだけで反応なし。

「困った・・・・」

 このまま放置するのも手だが、ここまで関わってしまった以上、後に退けない。
 もし警察沙汰になれば少女から一哉の指紋が検出されるかもしれないし、頭髪が発見されてDNA鑑定にかけられる可能性も否定できない。
 警察に関わりたくない理由のある一哉には絶対に避けたいことだ。

「おい、起きろっ」

 今度はペチペチとその柔らかな頬を叩いてみるが、返ってくるのは心地よい弾力と安らかな寝息だけ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仕方がない、よな?」

 もはや、手はひとつしかない。
 一哉は少女を横抱きにし、ついでに彼女の荷物を肩にかけた。そして、自分の住むマンションに向けて歩き出す。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 1階にある管理人室――ただ管理人が住んでるだけ――のチャイムを押さず、敢えてドアを蹴り―――

「―――おいッ、この怠け管理人ッ。テメェの敷地で人間拾ったぞッ」

 日頃から何かとちょっかいを出してくる管理人に復讐のために叫んだ。
 敢えて呼び鈴を押さないのがミソだ。
 しばらく待つとガチャリと鍵が開く音がしてにゅっと隙間から顔だけ出てきた。

「―――あら? 人攫い?」
「違うっ」

 開口一番がこれなのだから、一般的な人ではないことが分かるだろう。

「大変。このマンションから人攫いが出たなんて知れたら入居者がなくなっちゃうわ。ってことでバラして埋めなきゃ」

 困ったように頬に手を当てた。

「人攫いよりレベル上がってるぞ」
「犯人を、よ」

 ビシッと鼻先に指を突きつけられる。

「埋められるの、俺かよ・・・・はぁ」

 一哉は脱力してため息をついた。
 因みに未だ顔だけしか出していない。
 いったい扉の向こうではどういう体勢でいるのだろうか。

「そんな、見えない私の体を妄想しないで」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 トン、と扉を押し、挟んでみる。

―――バンッ

 「トン」どころの音ではなかったが、気にしたら負けだ。

「ぐぇっ」

 喉に喰らったのか、奇妙な声を上げて地面に首が落ちる。もとい、体自体崩れ落ちた。

「ひ、ひどい・・・・」

 よよよ、と泣き崩れる。
 未だ扉から出ようとしないので抱えている少女を押し付けることができない。

(まさか、分かってる?)

「ええ」
「思考を読むな」
「んぅ、相変わらず冷めてるわね。普通、統世学園の生徒ならツッコミの嵐で酸欠起こしてるか、見事な切り返しで私と鎬を削っているはずよ」

 そう言いながらガチャリと彼女はドアを開けた。

「ほら、その娘貸して。そんなに汚れてちゃかわいそうだわ」
「ああ。・・・・どうやって運ぶ気だ?」

 一応、女の身なのだから軽いと思う少女でも辛いのではないのだろうか。

「大丈夫、背負うわよ。私の部屋が見たいなんて言ってもダ〜メ♪」
「ほら、さっさと背負え。そして、視界から消えろ」
「ひどっ。・・・・まあ、いいわ。・・・・・・・・これから部屋に戻るのよね?」
「ああ。さすがに疲れたからな」

 ひらひらと手を振って一哉はエレベータへと歩き出した。




「―――ふぅ〜・・・・疲れたな、ホントに・・・・」

 一哉はこの5階建てのマンションの最上階にひとりで住んでいる。
 家族は長い海外放浪から共に帰り、以後姿が見えない父のみ。
 それ以外は知らない。
 物心ついた時から父ともうひとり、師匠と言うべき人間と行動していた。
 このため、一哉は純日本人だが、日本での記憶は高校入学直前の帰国からしかない。

「とりあえず、メシを用意するか」

 と言っても料理するわけではない。
 一哉の料理は管理人から禁止令、家庭科教師から調理実習室不入令が出されるほど壊滅的なのだ。
 簡単な食事を摂っている間に風呂を沸かし、食事を終えてからすぐに入る。
 もう面倒だから寝てしまえと思っていた。

(明日は何もないし、いいだろ)

 髪を拭きながらリビングへ通じる扉を開ける。そして、そこには―――

「―――すぅ・・・・すぅ・・・・」


―――先程の少女が寝ていた。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「んぅ・・・・すぅ・・・・」

 ソファーの寝心地が少し悪いのか、もぞもぞと体を動かす。

 その体はきれいに洗われ、服もクリーム色の寝間着らしきものに一新していた。

「いやおいちょっと待てっ」

 珍しく取り乱す。

(―――何故、この娘がここにいるのだろうか?)

 そこで管理人の別れ際の言葉を思い出した。
 最初からこのつもりだったのだろう。

「マスターキー、か。・・・・プライバシーの侵害だろ」

 そう言って一哉はソファーの前に置かれたテーブルに視線を走らせた。

「メモ・・・・?」

 拾い上げてメモ用紙にボールペンで書かれた文字を読み上げる。

「『拾った物は拾った人が責任を持って面倒見ましょう』」

 ガクッと首を垂らし、大きくため息をついた。そして、無防備に眠りこける少女を見遣る。

「くぅ・・・・すぅ・・・・」

 よほど疲れていたのか、熟睡していた。
 この様子なら寝ている間に風呂に入れ、着替えさせたのだろう。そして、寝間着のところを見るとそのまま寝室で寝かせろ、ということなのだろう。

「ここで追い出したりとかしたら、俺が追い出されるんだろうな」

 やれやれと首を振り、一哉は再び少女を抱き上げた。

「うわ、やっぱ軽いな、こいつ」

 柔らかな感触と温もりが腕から伝わる。
 少女の黒髪がさらっと流れた。

(ふむ。やりこめられるのは久しぶりだけど・・・・なかなかいいものと感じるのは・・・・マズイか? ―――って、ん?)

 新鮮な想いに浸っていると少女が腕の中で身じろぎし、一哉の胸の生地を握る。

「んぅ・・・・はふぅ・・・・」

 満足そうな吐息。

「よっと」

 器用にドアノブを回し、一哉は自室に入った。
 電気は点けなくていいだろう、と判断して直進し、ベッドの上に少女を下ろす。
 それからなんとなく柔らかな寝顔に視線を落とした。

(どうしてこんなことになったんだっけ?)

 今更ながらそう思う。だが、答えは出なかった。

(まあ、いいか)


―――"ここでは全てを把握する必要なんかないのだから"


「とりあえず・・・・」

 そっと細い指に己のそれをかけ、ゆっくりと解いていく。
 ベッドに下ろしたのはいいが、掴まれたままだったので覆い被さる形になっていたのだ。
 いい加減、腰が痛くなっている。

「明日でさようなら、は無理だな」

 管理人はしつこく経緯を聞き出すだろうし、平凡だった日常にやや退屈さを感じ出していた。
 初めこそは目新しさが先に立ったが、2ヶ月経てば慣れる。

「刺激が欲しいなんて・・・・俺も平和ボケしたもんだ」

 少女に布団を掛け、ベッドに腰掛けた一哉は後ろ手をついて天井を見上げた。

「うぅ・・・・」
「ん?」

 苦しそうな声に視線を向ければ、少女が自身の髪に鼻先をくすぐられている。
 その感触が気になるのか、呻きながら眉間に皺を寄せていた。

「・・・・ぷっ」

 思わず噴き出してしまう。そして、そっと払い除けてやった。
 すると、ほっとしたのか柔らかな笑みを浮かべる。
 無防備で、無邪気で、純粋な笑み。
 少女は一哉が知らない種類の笑みを浮かべていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ほとんど衝動的に少女の頭に手をやり、撫でてやる。



―――もしこの時、それぞれを知る者がこの場にいたら失神確定の出来事だっただろう。










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