第一章「怪異への邂逅」/ 2
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」 畳と障子、襖を兼ね揃えた書院造りの部屋は、沈黙と気まずさが充満していた。 部屋を照らすのは四隅に置かれた行灯のみで、電気が普及した現代とは思えない。しかし、それがこの部屋の雰囲気と調和し、ひとつの世界を作り出していた。 「―――もう一度、言っていただけますか?」 上座に座る女性の静かな声。 「は、はっ」 彼女の視線に晒されている男は緊張感に汗を浮かばせ、喉の渇きが頂点に達している。しかし、彼に水が与えられることなく、女性とその側に控える青年の視線を受け止めるしかなかった。 「・・・・お、お嬢様を見失いました。現在、現地諸家と共に全力で捜索していますが・・・・いっこうに・・・・」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 「か、必ずや見つけ出して見せますっ」 男は平伏するとすぐさま部屋を出て行った。 バタバタと廊下を走る音と彼の部下の声が聞こえたが、すぐに聞こえなくなる。 「―――母上」 「何です?」 「何故、このようなことを?」 顔を合わせず、横目の視線を寄越す息子に母は首を振って言った。 「・・・・それはまだ言えません。・・・・いえ、知れるようになるには、あなたの宗主継承が決まった時です」 その答えに青年は悔しそうな表情を見せ、母に向き直る。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何も、教えてくれないんですね? あの戦いから母上は―――」 「黙りなさい。例え息子と言えどもそれ以上は許しませんよ」 「―――っ」 母の周りに浮かび始めた水滴は急速にその温度を下げ、小さな結晶となった。 「申し、わけありませんでした・・・・」 息子は頭を垂れ、謝罪する。 勝てないわけではなかった。しかし、身内で争うなど馬鹿げている。 ―――そう、逃げた、家出した従姉妹を追うなどと。 (・・・・無事に、逃げ切ってくれても構いませんよ。この家は・・・・僕が背負います) 青年は心に誓い、部屋を後にした。 渡辺瀞 side 「―――すぅ・・・・すぅ・・・・」 少女は6月というのに布団をしっかりかぶっていた。 「んぅ・・・・」 閉じられたまぶたの上で震える長い睫毛。 どうやら覚醒が近いようだ。 「―――ん・・・・」 少女は朝日を顔に受け、まぶしさで目を覚ます。そして、体を起こして辺りを寝ぼけ眼で見回した。 「ん〜?」 いつもと違う風景と言うことは分かる。だが、寝起きの頭はその理由を深く考えない。 そのままのろのろとベッドから降り、側に置かれていた自分の鞄に手を伸ばした。 (ん〜、とりあえず、着替えて、髪の毛を――ってッ!) まるで”家出セットのような荷物”を漁っていた少女が固まる。 「ここ、どこッ!?」 少女――渡辺瀞は今の状況を端的に表す悲鳴染みた声を出した。 再度、見回した部屋は今まで自分が寝ていたベッドとコンピュータがパッと目に付くだけで何もない。しかし、自分以外の誰かの生活空間であることは明らかだった。 (何? 何がどうなって―――っ!?) 「あああああッッ!?!? と、とりあえず、身だしなみを整えてみたり!?」 混乱しつつもいつの間に着替えさせられていた寝間着を脱ぎ、旅行鞄から私服を取り出す。そして、現状確認をしようと立ち上がった。 着替えたことでやや冷静さが戻り、ゆっくりと足音を潜めてドアに迫る。 部屋自体は普通のフローリングの部屋で家具が少ない以外は何の印象も抱かなかった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ゆっくりとドアノブを回し、ドアを押し開ける。そして、そっとその向こうを見遣った。 「〜〜♪〜♪」 リビングがあり、その向こうにあるダイニングキッチンでエプロンをつけた女性が鼻歌を歌いながら料理をしている。 芳しい香りが瀞の空腹に響いた。 (うぅ・・・・) 思わず俯き、お腹を抑えた瀞は再びドアの向こうに視線を向ける。すると、ちょうど料理を並べるために振り向いた女性とバッチリと目が合った。 「あら、起きたの? ちょうどよかった。朝食にしましょう」 「え・・・・っと、あの―――きゃあっ!?」 「は〜い、1名様ごあんな〜い♪」 やや体重をかけていた扉を開けられる。そして、素早く手を取られた瀞は笑みを浮かべる女性に引き摺られるようにしてリビングに出た。 「はい」 「っと」 またまた強引にイスに座らされる。 目の前のテーブルでは目玉焼きが乗ったトーストとサラダ、それに香りの原因であるスープが並んでいた。 「う・・・・」 「く〜」と可愛らしい音と共に瀞は顔を赤らめて俯く。 女性は一層笑みを深め、「食べましょうか」と言ってトーストに口を付けた。 先に食べてくれたので若干遠慮が取り払われ、瀞も口を付ける。 サクッとした感触をもくもくと粗食し、ようやく口を開いた。 「あの―――」 「分かってるわ」 ―――すぐに遮られたが。 「とりあえず、あなたの制服はあそこに置いてあるから」 女性はソファーを示す。 「あ、はい。ありがとう・・・・ございます?」 「で、現状だけど・・・・」 自分で話を逸らし、自分で戻すとは忙しい人だ。 「昨日ね、この部屋の住人――熾条一哉って言う高校1年生に拾われたの」 「シ、ジョウ・・・・」 ポツリと漏らすように呟いた。 反比例するように心臓が忙しくなる。 「ん? 知り合い?」 女性の瞳が妖しく光った。 「え!? あ、いえ・・・・違い、ます・・・・」 (そうだよね、よくある韻だもんね・・・・) 瀞は自分に言い聞かせるように何度も頷く。 一度早まった鼓動はなかなか収まらず、無意識に胸元の生地を掴んでいた。 「話、続けていいかしら?」 「あ・・・・どうぞ」 「それで―――」 女性の話の概要はこうだ。 公園で眠って――ものすごく恥ずかしい――しまった瀞を少年が運び、このマンションの管理人――目の前の女性――がそのまま風呂に入れて着替えさせた後――ここで起きようよ、私・・・・――、少年の部屋に人知れず放置。 その後、少年が発見し、仕方なく彼の部屋のベッドに寝かせたらしい。 「―――で、その少年は今朝早く学校に行ったわ。あ、因みに今午前8時ね」 フォークでサラダを食べつつ彼女は言う。 「あれ? でも、ここ・・・・管理人さんの部屋じゃないんじゃ・・・・」 「管理人の部屋はこのマンション全ての部屋よ」 胸を張って言い切った。 (変な人だっ) しかし、その変な人に助けられたのには変わらない。 本来ならば野宿か夜を徹して走っていた瀞に優しく接し、また、気絶した瀞を介抱してくれた。 (・・・・でも、それはものすごく危険なこと・・・・) 自分を追う者たちは生半可な公的機関では追い返せない。そして、その背後に控える勢力はそれらを鼻で笑って押し返すほどの戦力を持っている。 一般人が自分を匿っていると知られれば皆殺しの憂き目に合うことは、ないとは言い切れない。 「あの、私―――」 「だ〜め。あなた、まだあいつに会ってないでしょ? 別に伝言も何も残されてないけど・・・・帰るまで待つのが礼儀だと思うな」 「うっ」 痛いところを突かれた。 「部活やってないからそんなに遅くないでしょ。―――じゃあね。私はそろそろお店に行くから、何かあっても下にはいないわよ〜」 ヒラヒラと手を振って管理人は出て行く。 「ああ、そうそう。あいつに『冷蔵庫に魔窟を作るのは止めなさい』って言っといてね」 「あぅ・・・・」 礼儀を持ち出され、おまけに伝言を頼まれたからには、この部屋を去るわけにはいかなかった。 「とりあえず、制服を片付けよう」 ソファーの上には上下の制服がきっちりと畳まれ、制服の中に入っていた物はその上にビニール袋に入れられて置いてある。 「あ、あの人にお礼言うの忘れてた・・・・ってあれ?」 荷物のチェックをしていた静はとある物がないのに気付いた。 「あれ、おかしいな。・・・・生徒手帳がない」 熾条一哉 side 瀞と管理人が朝食を食べていた時、一哉は統世学園の正門近くにいた。 その巨大な敷地を迷うことなく歩き、ある一角の建物へと入る。 堂々と、しかし、慎重な足運びで角を曲がり――― 「―――不法侵入とは頂けねえな、一哉」 視界の端を閃光が駆け抜けた。 それはタンッと音を立て、弓道場の壁に突き立つ。 「・・・・毎度のことながら、お前の気配は分からない」 「ったりめぇだ。弓兵が気配を悟られちまったら勝ち目がねえだろう?」 背筋に流れた嫌な汗を無視して振り返った先には弓道着姿の晴也がいた。 時間的に朝練なのだろう。 「で? 何の用だよ、こんな朝早くから。遅刻の常習犯さん」 一哉の1週間の1時間目の出席率は5分の2である。 「晴也、お前は滋賀県の高校について詳しいか?」 一哉は言い返す必要のない事実には触れず、単刀直入に本題を切り出した。 彼は卓越した情報処理力と情報網を持っているのだ。 ことに噂話ならば彼に訊けば大抵の事実は判明する。 「・・・・? いや、弓道での知り合いがいるならば多少は分かるけど・・・・。役に立てるかどうかは分からねえぞ」 「いい。この高校だ」 一哉は奪った生徒手帳――意外にも一哉と同い年――に記されていた高校名を伝えた。 「ふむ。名前は聞いたことがあるな。結構名門な私立校だったような気がすんなぁ。いや、名門というか、お嬢様学校だったけか」 晴也はやや上を見ながら首を傾げる。 「お嬢様?」 「ああ。良家の子女とかを際限なく集めてたと思うぞ。―――んで、それがどした?」 顔を戻した晴也の眸は厄介なことにキラキラと好奇心丸出しに輝いていた。 「いや、役に立った。ありがとう」 「だからそれがどう―――」 「うん。たすかった。もつべきものはやはりトモだな、ハハハ」 「セリフが棒読みだぞ」 「じゃ」 晴也の硬い声のツッコミを無視し、一哉は手を挙げて弓道場を後にする。 「って逃がすかよっ」 やはり、そう簡単に逃がしてはもらえなかった。 一哉の後を追うように何本も矢が飛んでくる。 「ぬんっ」 鞄を振り回して命中コースの矢を叩き落とし、数十メートル先の校舎に駆けた。 「くっそ、逃げんじゃねえっ」 弓矢の最大射程距離ギリギリまで、ほとんどを命中コースで射かけた晴也には感服するが、射程外に逃げれば安心。 いくら晴也が非常識――完全に自分は棚上げ――だとしても、朝練中にここまでは追ってこないはず。 「はぁ・・・・はぁ・・・・。久しぶりに嫌な汗を掻いた・・・・」 昇降口の壁に背を預け、滑るようにして床に腰を落ち着けた。 まだ早い時間だからか、ガランとして遅刻していないのに遅刻した気分になる。 「無茶苦茶だろ、あいつ」 「―――いや、全部叩き落とすお前ほどでもねえよ」 「・・・・え?」 ギギギッと音が鳴りそうなほどぎこちなく振り返る一哉。 「やぁ、獲物くん。正義の鏃(ヤジリ)に掛かって足を止めたまえっ」 ご丁寧にも訓練用のゴム鏃のついた矢を矢筒のたくさん入れた晴也が昇降口のガラス扉の向こうに立っていた。 「―――っ!?」 慌てて立ち上がる一哉に晴也が素早い動きを見せ、矢を番えてみせる。 「覚悟っ」 「趣旨変わってんぞ、晴也ぁっ」 「ふんっ」 特注の極細の箆(ノ)――棒の部分――を生かし、ドアの隙間を通過させ、一哉の足下に着弾させた。 (待て待てっ。何て命中力っ!?) 足下への攻撃に当たっていなくとも体勢が崩れる一哉。そして、傾いた身体と晴也の間には先程の隙間がある。 「―――っ!? しま―――」 「仕留めたァッ」 不覚に表情を歪める一哉に喜色にそれを歪める晴也。 一瞬の停滞後、矢は――― ―――バゴッ!!!! ―――後頭部に命中し、"晴也"の意識を刈り取った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 バタリと倒れたきり動く気配のない晴也のはるか後方で、弓を左手に持った弓道部スタイル――白衣に行灯袴――の女性が右手を振っている。 「・・・・ははっ。恐るべし弓道部」 明らかに常人の域を超えた射撃能力に一哉は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。 「―――で? 一哉、今朝は何だったんだよ?」 「あー・・・・?」 「とぼけるなよ。俺はこんな目にあってんだから」 晴也は痛む体に表情を歪めながら振り返った。因みに見事に朝のSHRに遅刻し、担任による制裁を受けたのだ。 「―――そーいえば今日は遅刻しなかったわね。何だ、朝から晴也に用事だったの」 言葉の主はクラスメートの山神綾香。 身長は160センチは超えているだろう。 運動をしている者特有の引き締まった体躯に快活さを備えた雰囲気でさっぱりした性格を窺わせた。 肩を少し越すくらいの少し茶色い髪質と簡素なカチューシャと切れ長の瞳が印象的だ。 晴也とは高校入学以前からの知り合いらしい。 「別に大したようじゃないからその手にした武器を仕舞え」 「チッ」 綾香は手にした鎖鎌をどこかへと仕舞った。 因みに綾香は風紀委員のような委員会に入っていて、武器は常に持ち歩いている。 「・・・・おい、今あからさまに舌打ちしなかったか?」 「気のせいよ。っで? 何だったの? ホントに晴也との打ち合わせじゃなかったの?」 「おいおい、いくら俺でも白昼堂々そんな計画は練らねえぜ?」 「現在進行形で考案中のアンタが何を言うか」 晴也は統世学園が誇る"愉快犯"で有名だ。 さらに言えばその計画実行中に必ず綾香以下の抑止力戦闘部隊と激突するのでかなりの人気があった。 全校的特徴としてお祭り気質の生徒が大半を占める学園は日夜、そんな乱闘に明け暮れている。 「ホントにたいしたことなかったんだよ。ちょっと気になることがあったが、もう解決したからな」 「ふ〜ん、あたしとしてはぁ、昨日の件をじっく〜り、ねっと〜り、聞きたいんだけどぉ」 すっと綾香の目を細められ、一哉の背筋に冷たい汗が流れた。 「ま、熾条に前科はまだないから、表に出ない限りは潰さないわ。あたしが潰したいのは―――」 肩にかかる髪を後ろに払い除けながら、綾香がくるりと振り返って晴也を見る。 「で? どこに行くのかな?」 「え? いや、ちょっとトイレに・・・・」 「ふうん。もうすぐ授業だけど、ね?」 ジリジリと間合いを計るように摺り足になる2人。 周りのクラスメートは「また始まったよ」的発言をしていたが、誰が「退避」と言うと蜘蛛の子を散らすようにして散開して様子見に走った。 相変わらず団結力というか、妙な結束力のあるクラスだ。 「さて・・・・」 6月の空を眺める。 窓際の席なの何の邪魔もなく青い空とやや灰色の雲を見渡せた。 (お嬢様、ね) そう心で呟いた一哉の眸は先程までの「男子高校生」の光ではなく、獣のように炯々とした光を放っている。 クラスメートでそんな一哉の変化に気付く者はなかった。 「今日こそ不正委員会の詰め所に来てもらうわよっ」 「誰が好き好んで地獄に行くかっ」 ―――教室で始まった乱闘に夢中で。 渡辺瀞 side 「―――ふふ〜ん♪ ふ〜ん♪ よし、綺麗になった」 瀞はぞうきんを片手に満足そうな笑みを浮かべた。 今の瀞は掃除スタイルとして長い髪を後ろで束ねるポニーテールにしている。 この数時間の業績としてキッチンは見違えるほど綺麗になっていた。 掃除というものは時間を忘れさせる魔力があり、ついつい張り切ってしまう。 家では自分の部屋以外させてもらえなかったので、かなり新鮮な気分だった。 「あぅー・・・・少し、喉渇いちゃった」 喉を押さえ、独り言を呟いた瀞は悩む。 (冷蔵庫のやつ、貰っちゃうか、それとも外に買いに行くか) 前者は遠慮から、後者は恐怖と危機から二の足を踏んでいた。しかし、いい加減喉の渇きをどうにかしなければならない。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よしっ。買いに行こうっ」 昨日と格好も変わってるし、髪型も変えれば大丈夫だろう、と考えた瀞は回れ右をした。そして、くるんと弧を描いた黒髪が華奢な背に収まると同時に、体の動きがピタリと停止する。 動揺を表す瞳の揺れだけが窺える唯一の動き。 それを楽しげに見遣る男が、ソファーに座っていた。 「―――気にすることはない。冷蔵庫の物を飲みなさい。私にも入れてくれると、嬉しいがね」 壮年の男性は己の両膝に両肘を付き、口元で両手をまるで拝むかのように握っている。しかし、その双眸からは油断できない光が放射されており、瀞を貫いていた。 (ど、どうし・・・・て?) 瀞は気配察知には自信がある。 その敏感さは野生動物に匹敵すると評価されていた。 それをあっさり覆され、瀞は驚きから自己を否定させられるショックを受け、その場で固まっている。 「どうしたのかね―――"渡辺瀞"さん?」 ゆっくりと紡がれた己の名に瀞は弾けるようにして後退った。 その柔らかな頬に一筋、汗が流れる。 唇も震え始め、それは次第に全身に広がっていった。 「どう、して・・・・」 「ふっ。何、ちょいと情報収集をしたまでだ。息子もいろいろ動いてるらしいが、学生の身であり、この国でのコネは皆無と来てる。まず、君の・・・・"この世界"での正体には辿り着かんよ」 「―――っ!?」 瀞は反射的に自らの命に従う"モノ"たちを召集する。 「・・・・渡辺の巫女君は非好戦的と聞いたが、間違いか? ここが戦いに向いていないことくらいは・・・・分かるだろう?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 無言で瀞は従うもの――精霊を散らした。そして、体の力を抜く。 どうやら、ここで争うつもり――― ―――ゾワッ 「―――っ!?」 突然の殺気に瀞は目を瞑り、身を竦ませた。 「ふむ。あまり騙し合いには揉まれておらぬ、か。ふむふむ」 一瞬で殺気を霧散させ、顎に手を当て何度も頷く男性。 それを恐る恐る目を開けた瀞は見遣る。 男はとても寒気がするような殺気を放った者とは思えぬ慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。 「・・・・・・・・・・・・あなた、何なんですか?」 きっと男が本気であったならば、警戒を解いた瞬間殺されていただろう。。 「私か・・・・。そう言えば愚息の名は聞いたとしても私の名が連想されるわけではないのだな。私の名を聞けば、自ずと母の名が刻まれるというに・・・・」 ぼそっと呟かれた内容は瀞には届かなかった。 「私の名は熾条厳一。・・・・まだ、これで私を分かってもらえるのかな?」 自嘲気味に言われた後半部分を瀞には聞こえない。 先程とは違って瀞が前半部分で全ての五感を一瞬だけ停止させたからだった。 「熾条・・・・厳、一」 「ああ。分かるみたいだね。よかった、まだまだ現役復帰できそうじゃないか」 戯けるように言うが、静の耳には入らない。 (嘘・・・・。だって10年以上前に失踪したってっ!?) 熾条厳一。 この名が世界に与える影響は大きい。 史上最強と呼ばれる今の熾条宗家を作り上げた女傑の息子として彼は数々の戦いに部下を率いて勇戦。 誰ひとり、戦死どころか重傷すら負わせずに勝利した。 だが、彼は12年前に謎の失踪を遂げる。 追撃した、かつての部下たちと派手に戦闘を繰り広げたらしいが、追い散らされた元部下たちの体には傷ひとつ無かった。 昨年勃発した鴫島事変。 多くの死傷者、行方不明者を出したこの戦いに彼が出陣していれば、その犠牲は半数以下になったであろうとも言われる伝説の戦闘指揮官だ。 彼を知る者は畏敬とそれ以上の神聖視を持って、"戦場の灯"と呼ぶ。 「―――それで、息子とは話したか?」 はっとその声に我に返った瀞は再び思考を開始した。 息子とは誰なのか、と。最近聞いたシジョウという名で――― 「ってこの家の人!?」 確か昨日の少年の名前は熾条一哉。 (まさか、本当に『熾条』だったとは―――って) 「ここ九州じゃない・・・・」 彼の家の本拠は九州であり、その他の参加勢力も全て九州に結集させている。 間違っても近畿には来ないはずだ。 「ああ、私はともかく息子は熾条を出奔している身でね。まあ、止むに止まれぬ事情というやつさ」 肩を竦めた。そして、厳一は再びその双眸に油断なき光を灯して言う。 「さあ、少し話をしようじゃないか、瀞さん?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲み物持ってきます」 踵を返し、キッチンに入った瀞は厳一に見えないところで深呼吸した。 「よしっ」 きりっと表情を引き締める。 覚悟を決め、伝説と対峙することを決意した。 熾条一哉 side 「―――ふぅ・・・・」 一哉は話を聞かせろとうるさい2人にジュースを奢って黙らせ、誤魔化してさらには追撃を振り切って無事、帰還を果たした。 時刻はすでに7時を回っている。 実に3時間近い逃避行だった。 (晴也に情報を求めたことが悪かったな) 己の失策を思う。 考えればあの愉快犯が興味を持たないはずがなかったのだ。 反省しながら一哉は靴を脱ぎ、廊下に上がってリビングに通じる――― 「―――お帰りなさ―――」 ―――ガンッ 目の前に星が散る。そして、鼻頭がかぁーと熱を持ってズキズキと激痛を訴えた。 「え? あ〜・・・・だ、大丈夫ですか?」 声の主は昨夜拾った少女のもので、先んじて扉を開けたのも彼女だろう。 「大丈、夫だ。・・・・それより」 「? はい?」 小首を傾げて訪ねてくる少女に一哉は動揺を押し隠しながら聞いた。 「いつからそこに?」 「玄関が開いた時からですよ?」 (・・・・・・・・俺ってそんなに平和ボケしているのか?) 全く警戒をしていないとしても扉の向こうに、しかも、ドアを開けるという動作をも気が付かないとは弛みすぎている。 「遅くまでお疲れ様です。クラブですか?」 「いや、部活には入ってない」 少女は生徒手帳をスられていたことに気付いていないようだ 「そうなんですか。じゃあ―――生徒手帳、返してくれます?」 それはなかったようで逆に安心した。 ジト目と共に差し出された小さな手に、胸ポケットから小綺麗な生徒手帳を取り出して乗せた。 「まあ、とりあえず・・・・」 一哉は生徒手帳の中味を確認する少女の肩を押して脇に退かせる。そして、リビングのソファーを我が物顔で占領してくつろいでいる輩を指差して冷ややかな声で告げた。 「お前、どうしてここにいる?」 「お前とは随分な言いぐさだな、仮にも父親だぞ」 厳一は威張るように踏ん反り返る。 なまじ威厳だけはある男なので似合っていた。 「本当に"仮"であってほしいな。そう言う可能性はないのか?」 「さあ? 私は知らんが、お前の母親は知っておろう」 「はっはっは、悪いがその母親自体俺は知らん」 一哉の無表情と厳一の威厳を捨て去ってニヤニヤした表情で対峙し、やや険悪な雰囲気になる。 「・・・・で? どうしているんだ、不法侵入者」 「父親が息子の家に訪ねるのがどこが犯罪だ。第一、かわいい余所様の娘さんを連れ込んでいる現行犯はお前だろう?」 「管理人も共犯だ」 「ってか、犯罪者ってところは否定しないんだ」 後方からのツッコミは無視。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 火花が散るほどに睨み合う。しかし、男同士で睨み合うことに嫌気が差したのか、一哉は壁に背を預けて厳一に改めて訊いた。 「いい加減、どうしているか話せよ」 話が脇道に逸れまくるため、今度は流されないようにする。 隣で少女がオロオロしているが、完全に意識外に持って行った。 「・・・・ふむ。たまにはお前の顔を見ておこうと思ってな。お前は私の顔を忘れかねんし」 ようやく話し出す。 「このタイミングで来たのは偶然だぞ。まあ、私がいてよかったではないか?」 「はぁ? 何が?」 思わせぶりなことばかり言うので少しイラついた。 普段は冷静なつもりだが、厳一を相手にするとムカつく。 どうしても敵わないのが分かっているからだ。 その上、戯けられては不機嫌にもなろうものだ。 「今後の彼女のことだ。少しは考えたか?」 「いや、皆目」 「・・・・全く、そうだと思ったがな」 厳一は少女に向けていた視線を一哉に戻した。 「すでに瀞さんには話を通しているんだが―――」 珍しく真顔の厳一は神妙そうな口調で言う。 「――― 一哉、瀞さんと一緒に住め」 それはとんでもない問題発言だった。 |