第一章「怪異への邂逅」/ 3
「―――素直でいい娘だな」 厳一はマンションを見上げ、満足げに呟いた。 雨が降り出しており、着ている服の色がどんどん黒くなっていく。しかし、厳一はその手にある傘をしばらく差すことはなかった。 「さて・・・・大見得を切ったのだから・・・・頑張るとするか」 厳一はやや急ぎ足で歩み始める。 それは管理人に出会いたくないからもあるが、自分がここに来ていることを知られたくない者たちがいるからだ。 「瀞さん、任せなさい。伊達に二つ名持ちではない」 最後にもう一度、息子と少女が住まう部屋を見上げ、傘を差した。 わずかに雨足が強くなってきている。 黒い傘で闇に潜みつつ、厳一は自信に満ちた呟きを漏らした。 「必ず、説得して見せよう」 体の輪郭が淡く発光し出す。 「一哉、次会う時はもう少し、マシになってろよ」 厳一が歩き出した時、彼の体を濡らしていた水分は消え失せていた。 お買い物 scene 「―――で、何を買うんだ?」 厳一による同居宣告を受けた翌日、一哉は音川町の玄関口――地下鉄音川駅に来ていた。 当然ひとりではない。 隣には歩いている新同居人――渡辺瀞が歩いていた。 彼女は今、人相を隠すために黒い帽子を目深にかぶっている。 それでも一哉と会話するために顔を上げた。 「んー、タンスとかベッドはありましたし・・・・。小物とかでしょうか?」 瀞はこれから寝起きする部屋を思い出しながら言った。しかし、若干疑問形なのが気になる。 地下鉄音川駅には地下商店スペースがあり、様々なテナントが入っていた。 そのラインナップの多さに迷っているようだ。 「あれいいな・・・・。あれも・・・・ああ、あそこも・・・・」 「う〜ん」とやや俯いて考え込むと後頭部が見え、帽子から黒髪が生えて背中に流れていくのが分かる。 因みに瀞の髪に釣られ、先程から何人もの女性が羨望の眼差しを向けていることには気付いていないだろう。 「小物ってさっぱり分からないぞ、俺」 「あ、そうですね。それは私がちょくちょく買うことにします。じゃあ、やっぱり・・・・食器や調理具、ですね」 「ふむふむ」 その辺りならば少しは分かる。 ―――彼の腕を知る者がいれば即座に顔面蒼白で首を振ったことだろう。 「熾条くんは料理しないんですか? 圧倒的に調理具が足りませんでしたけど・・・・」 「ああ、どうやら俺に料理は先天性で禁忌らしい」 「はい?」 いきなり突拍子もないことを言い出した一哉に瀞は疑問の声を上げた。 「この前、卵焼きに挑戦してみたが、何故か鍋が爆発した」 「爆発!? ・・・・って卵焼きに鍋?」 そのおかしさに首を捻るが、一哉は更に続ける。 「その後、俺に火傷などの怪我はなかったが、壁が大惨事になってな。管理人に『あなたは金輪際料理禁止ッ!』と言われてしまった。どうやら、あいつは自分のマンションから餓死者を出したいらしい」 「・・・・・・・・・・・・」 回りくどく、食は全般に任せた、ということらしい。 納得した瀞は一哉には料理はさせてはいけないと深く深く決心した。 (私、頑張るっ) なかなか良好そうに見えるが、2人が出会ってからまだ2日。同居するとなってからはまだ一日しか経っていない。 昨夜、一哉の父――厳一の爆弾発言から始まった同居会議は数時間に及ぶ壮大なものだった。 「―――いや、待て。どこからその突拍子もない言葉が出るのか説明しろ」 厳一からの宣告を受け、一哉は呆れたため息をつき、ソファーに座った。 「ふむ。まあ、結論だけで納得しろとは言わない。―――で、だ。お前はどこまで理解している?」 探るような、というか試すような口調と視線。 「こいつがお金持ちのお嬢様で通学を装って家出したところまで」 チラッと瀞を見れば驚愕を顔に張り付かせたまま固まっている。 「根拠は?」 「制服がお嬢様学校のものだったのと、通学鞄と運動部の用意に使いそうなスポーツ鞄を持っていたから」 淀みなく一哉は口にした。いちいち目を見開いて驚く瀞を気にも留めない。 「うむ。―――瀞さん」 「は、はいっ」 ビークンッと大げさにビクついた瀞はやや裏返った声で厳一に答えた。 「部活動は、何を?」 「え、えっと・・・・いちおう陸上、です」 「短距離? 長距離?」 「長距離、です」 確かにこの身長では走り高跳びやハードルには向かないだろう。 陸上部で長距離が一番妥当だ。 「よし。一哉、合格だ。鈍ってはいないようだな」 「・・・・それで、まさかこいつは親父の知り合いなのか?」 「似て非なるものだな。お互いを知ってはいたが、会うのは今日が初めてだ」 「ふぅん」 (数ヶ月前まで俺と一緒に海外飛び回っていた奴がこの国に、ねえ。やっぱり年には勝てないか・・・・) 一哉と厳一は3月下旬まで世界中を飛び回っていた。 それは12年前から始まり、一哉は日本国籍を持っていながら日本で過ごした期間は3年という短さしか持っていない。 「じゃあ、家を知ってるんだな。厄介事は面倒だ。とっとと追い返せ」 「え・・・・」 ショックを受けたようだが、家出娘を匿う謂われはない。 「いや、もう手遅れだ。瀞さんが家に帰ったとしてもお前が拾い、一晩泊めたと言うだけであの過保護な青年が黙ってはいないな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「まだ彼が人を使えば生き残る術はあるが、今のお前ではあの者単体で来られれば死ぬしかない」 幼少ながら異彩を放った一哉に言った。 「・・・・どんな物騒な家なんだよ?」 「渡辺家には法というものが通用しない、こともある。特に刑事事件ではな」 「・・・・裏、か?」 表の機関――警察・軍では裁けない、侵し得ない領域――裏。 一哉はこれまでの経験上、一歩裏に踏み込んだ生活をしていた。しかし、それは表裏一体と言えるべく情勢の中故に触れ得たものだ。 「この国の裏は深い上に広い。一哉個人で対抗できぬほど、な」 「完全に分離している故に裏には裏の不文律がある、か。ならば、俺は表の人間だ。裏の人間が手を出していいのか?」 これは特に有名なものだ。 裏の人間は表の人間に手を出さない。そして、機密を漏らさない。 「いや、渡辺は裏の中でも特に力を持つ家のひとつでな。事故として処理するのは造作もないだろうな、うん」 (無茶苦茶だ・・・・) 要するに持てる戦力を全て自分に集中されるのだ。 確かに生き残れはしないだろう。 「って、俺どっちにしろ死ぬ運命だろ」 「今のまま、ではな。私は今から渡辺に行く。トップと会談し、首脳部を抑えて見せよう」 「そ、それはっ!?」 瀞が切羽詰まった声を出した。 どれだけ危険か分かっているのだろう。 「本家に行くんですか!? 殺されちゃいますよ!?」 「なに、戦いに行くのではない。少々、犬は噛み付いてこようが、主人は分別のある方だろう」 顔面を蒼白にさせる瀞とは対照的に厳一は涼しい顔をしている。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな・・・・」 フラリとよろめいて瀞は一哉の隣に座った。 「上は抑えるが、末端はどう動くかは知らん。だから、頼んだぞ」 「・・・・分かった。ちょうど平和すぎる日常にも飽きてきたところでな」 だいたい納得した一哉は姿勢を崩し、軽く受ける。 「ほう、統世はなかなかに非常識な場所だと聞いたが?」 「人死が出ない。充分に平和だろ」 それからしばらく2人は雑談――聞く者にとっては顔面蒼白もののネタもあったが――に興じ、厳一が渡辺家に行くためにお開きとなった。 (―――いいのかなぁ・・・・) 瀞は商品を見ながら、内心で首を傾げた。 転がり込んだ自分が言うのもなんだが、一哉の立場は非常に危うい。そして、厳一はと言うと渡辺・熾条双方から刺客が放たれてもおかしくない。 一哉は「無知」故に不問にされるだろうが、それでも渡辺の急進派が先走ることも充分に考えられるのだ。 「―――あの、重いんですが・・・・」 後ろから一哉の声がする。 見れば一哉は両腕に抱えきれないほどの荷物を持っていた。 「ぅわっ、ごめんなさいっ」 調理具を買うだけだったが、考えてみれば今は6月。 夏物を買わなければならないため、2人は夏布団や衣服を購入していたのだ。 思わぬ品揃えの良さに知らず知らずの内に狂喜乱舞していたらしい。 「いや、持ちにくいだけで重量自体はまだ許容範囲だが・・・・金はあるのか?」 『家出少女だろ、お前』という視線を受け、瀞は恥じ入りつつもハンドバックから封筒を取り出す。 「なぁっ!?」 口から見えたのは札束だった。 優に百万は行くだろう。 「家出してすぐに銀行で引き下ろしたんです。あまりに大金を引き下ろしたせいで家出がバレちゃったみたいですけど」 ペロリと舌を出す瀞。 少しずつ気軽になってきていた。 これからしばらく一緒に住むのだからその方がやりやすいだろうと勝手に思う。 「ふむ。確かに充分だな。・・・・でもな、せめて2人で持てる量にしてくれ」 「ご、ごめんなさい。・・・・じゃあ、今日はこれを買って終わりにしましょう。明日は学校ですから」 「・・・・ちょっと待て」 何かおかしなことを言ってしまったのか、表情を変えながら制止を呼びかけられた。 「はい?」 レジに持って行こうとしていた瀞はその声に振り返る。 その仕草で長い黒髪が弧を描き、周囲の人たちを魅了した。 「どこの学校に行くって?」 「え? 同じ高校、らしいですけど?」 疑問を露わにする一哉を前に瀞は急激に不安になった。 「聞いてないぞ。それは親父が言ったのか?」 「・・・・はい」 「んー、ってことは、隠してたな、アイツ」 「えっと、迷惑ですか?」 恐る恐る上目遣いで一哉を見上げる。 「いや、別に。わずか一日で編入の偽装を成す手際に感心しただけだ」 思っていたのと違う答えに瀞は分かりやすくほっとしたように顔を綻ばせた。 「ふむ」 そのふんわりと笑みを象った顔に手が伸ばし、そっと柔らかな頬を摘む。 「―――え?」 ビクリと体を震わせ、固まった瀞に一哉は意地の悪い笑みを浮かべながら言う。 「糸屑付いてるぞ。さっき意気込んで衣服の中に吶喊した時のだろ」 摘み取った糸屑を見て、瀞は俯いてしまった。 黒髪から覗く耳たぶは赤くなっているのが見える。 (ふははははっ。おもしろいかも) 一哉は自分が穏やかな気分になっているのに気が付いた。 「おもしろい」とはそれも含めた二重の意味で、である。 一哉は確実に統世学園が持つ校風に染められつつあった。 それから数時間後・・・・ 「―――はぁ、ちょっと買い過ぎちゃった・・・・」 やや途方に暮れた眼差しを夕焼けに向ける瀞。 「『ちょっと』か・・・・?」 一哉は両腕に多大な不可をかける荷物を見遣る。 「あ、あはは・・・・はは、はぁ」 渇いた笑い声で誤魔化そうとする瀞を長々と見据えた。 「・・・・ごめんなさい」 すまなそうに身を竦める瀞に答えず、一哉は歩き出す。 「早く帰るぞ。夜は危険だ」 「あ、はいっ」 タタタッと走り寄ってくるのを待った。 (ふむ・・・・) 規則正しく歩みを進めながら一哉は考える。 どうも瀞相手には穏やかな思いで自然と優しい態度が取れていた。これはどういうことだろうか、と。 「―――くん」 結論一、瀞が自分に危害を加える要因がない。 却下、いつどのようにしてそれが生まれるか分からない。 「―――うくん?」 結論二、自分が緩んできている。 微妙、確かに緩んできている節もあるが、それは日々の警戒であって態度に出るものではない。それ以前に『瀞に』という意味が説明できない。 「―――じょうくんっ?」 結論三、一目惚れ。 そんな馬鹿な、あの馬鹿クラスの空気に確実に汚染されている。 「―――熾条くんっ!?」 「ぅお!?」 一哉は珍しく不意を衝かれ、声の方に振り向いた。 そこには無視され、不安を孕んだ表情の瀞がいる。 「疲れました? やっぱり」 しゅん、と俯き、力なく肩を落とした。 どこかで『女の買い物に付き合い、疲れ果てる男』という言葉を聞いたような気がする。 確かに疲労感はあるが、困憊とまではいかないので「別に」と答えた。 「ホントごめんなさい。久しぶりだったから・・・・」 「いや、元々道案内と護衛兼荷物持ちのつもりだったからな。・・・・久しぶり?」 「はい。・・・・その、恥ずかしいことですけど・・・・家には御用達の店があって、あんな風に買うのは友達と行くくらいしか・・・・」 どうやらお嬢様学校でも指折りのお嬢様らしい。 「ま、楽しかったんなら、それでいいだろ」 どんどん鬱に入っていきそうだったので一哉はとりあえず前向きなことを言ってみた。そして、前を見て歩き出す。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、お〜い」 かなり離れてから瀞がいないことに気が付いた。 瀞は道の端に建てられた小さな祠を凝視している。 「どうした?」 あまりに真剣な表情だったので一哉は反転し、側まで寄った。そして、それにも気付かない瀞に問いかける。 「あっ。・・・・な、何でもないです」 はっと我に返った瀞は誤魔化すように、というか誤魔化した。 じーっと見ていると瀞は劣勢を悟ったか、「さ、早く帰りましょうっ」と逃げ出してしまう。 (何か、あるのか・・・・?) 一哉は祠を観察してみるが、材木自体は古いが、よく手入れされていてなかなかに頑丈そうだという印象以外、どこもおかしな点はなかった。 「―――熾条くーんっ」 少し行ったところで今度は瀞が呼ぶ。 先程、自分が呼んだ手前、無視するわけにはいかず、渋々とそこから離れて瀞に合流した。 (少し、調べてみるか・・・・) 「熾条くんは今日の夜、何が食べたいですか?」 「え?」 考え事をしていた一哉は瀞の問いに問い返す。 「夕御飯です。この荷物を置いたら食料品を買わないと。・・・・冷蔵庫がスッカラカンでしたから」 「ああ、なるほど」 そう言えば最近食料を買い足した覚えがない。そして、買った物を使った覚えも。 「ってか冷蔵庫、生きてたか?」 「・・・・・・・・・・・・手遅れでした。でも、私が蘇生させましたから」 「なるほど。―――で、何でも作れるのか?」 食べたい物を言っても作れないなら意味がないからした質問だった。 「う・・・・。こ、これを機にレパートリーは増やすつもりです。ですからどんと言って下さい」 (『逝って』じゃないだろうな) わずかに頬を伝う汗を見て一哉は思う。 「じゃあ、商店街行ってから決めるか」 「商店街? もう一度駅前に行くんじゃないんですか?」 小首を傾げながら言う瀞。 「ああ、学校の麓近くに昔からある商店街があってな」 音川町の中心に位置する烽旗山に視線を移しながら思い出すようにして言った。 「再開発されてなかなか古豪っぽく生まれ変わって、駅前と争ってるんだ。だから、食料品は一気に買えないが、随分安いらしい」 「ふうん。じゃあ、案内して下さいね、熾条くん」 ニコッと笑みを向けてくる瀞。 朝とは違ってかなりリラックスしている。 ならば変な遠慮もなくなっていることだろう。 「おい」 「はい?」 (さて、どう言ったらいいか・・・・) 話しかけたはいいが、切り出しが分からなかった。だから、しばらく無言で歩く。 「何ですか、熾条くん?」 視線を瀞に向ければ言葉の続きがないのでやや不安がっていた。 「それだ」 「どれですか?」 お約束の返答をする瀞。 「その『熾条くん』ってのを止めてくれ、あと敬語も。俺のことは『一哉』でいい」 「え・・・・?」 名前を、それも呼び捨てでいいということはその存在を好意的に受け入れるということだ。 一哉としては瀞に敬称(+敬語)で話されるのは他人行儀――必要以上の――を感じずにはいられない。 すでに瀞はそこまで一哉に入っていた。 そう、まるで水が砂利の間を擦り抜けるような速やかで静かな浸入。 「あ・・・・うんっ。じゃあ私のことも『瀞』って呼んでね、一哉」 ぱぁっと満面に笑みが広がる。 「さあて、とっとと荷物置いて行くぞ。今から商店街は戦場になるからな、瀞」 現時刻4時31分。 夕飯食材争奪戦が最も熾烈を極める時だった。 熾条厳一 side 「―――お待たせいたしました」 厳一は声に反応し、閉じていた目を開ける。 ちょうど和服に身を包んだ気品漂う女性が襖を開け、こちらに向かってくるところだった 「渡辺宗家の宗主を務めます、渡辺真理です。そちらは熾条宗家の厳一殿でよろしいですか?」 「ええ。お忙しいところ突然の訪問、申し訳ない」 厳一は素直に頭を下げた。 「いえいえ。"戦場の灯"――厳一殿がお見えになったとなれば会わぬわけにはいきません。それに部下がよくやってくれているので最高権力者というのは暇なものなのですよ」 ふわりと安心させるように微笑む真理。 会話から分かる通り厳一は瀞の実家――渡辺宗家にいた。そして、前に座るのがこの一族の長である。 「いやいや、忙しいでしょうに。―――姪御殿が家出しているのですから」 「―――っ!?」 厳一が本題を切り出すと渡辺宗主は浮かべていた柔和な笑みを引っ込め、警戒心露わに厳一を凝視した。 「・・・・どこでそれを?」 押し込めた負の感情から殺気が漏れ出し、隣の部屋で待機していた彼女の腹心がそれに反応する。しかし、真理はそれをトンと畳を軽く叩くことで己と彼らを制し、厳一を促した。 (さすが分別のあるお方だ) 厳一は感心するしかない。 機密事項が漏れ、それを指摘されつつもすぐに襲いかかってくることがないとは。 「いやなに、偶然愚息が夜の公園で途方に暮れているお嬢さんを見つけてね。しかも、その場で眠り出したとか何とかで一晩泊めたらしい、いやいや―――」 「はっきりと言って頂けますか?」 渡辺宗主は視線を鋭くして言った。 周囲の気温がやや下がった気がするのは気のせいではないだろう。 「今、彼女は息子の家にいる。帰りたくないらしく、息子の家に住まわすことにした。それを言い―――」 「巫山戯るのも大概にして下さりますか? 大事な姪っ子を若い男が1人で住む家に住まわすなど考えただけで鳥肌が立ちます」 (ほう、頭は悪くないようだ) 1人暮らしだと判断したのは「息子の家」という辺りからだろう。 「では、訊きますが、何故家出を?」 「・・・・他家に干渉されたくはありません」 当然のことだが、冷たく拒絶された。そして、彼女は立ち上がると厳一を見下ろしながら続ける。 「これから連れ戻しに行きますわ。黒服ではなく、数人の分家の者を向かわせます。結果、御曹司に何があろうと―――」 「戯れ言を。私の息子ですぞ?」 挑発に対し、余裕の笑みを以て答えた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」 とりあえず、静かに激昂し始めていた彼女を冷静に戻す。 「彼女が家出した理由はおおよそ理解しているつもりです。息子にも『そういうことがあったかもしれない』と思って―――」 「12年間の逃亡ですか?」 笑って頷いた。やはり知っていたようだ。 「はぁ・・・・。本当に大した方です。私には真似できません。息子の安全のために家を捨てた・・・・宗主としては否定しますが、1人の親として尊敬いたしますわ」 「御嫡男は今?」 「瀞のふたつ上――17歳です。とりあえず、私よりも器量が上なのは間違いないですね」 真理は律儀に逸らされた話に答え、次に続くであろう厳一の戯れ言よりも先に話を戻した。 「あの娘に対して理解のある方ならばあの娘を刺激はしないでしょう。結果的にそちらでの生活があの娘にとって、いいことであるかもしれません」 一瞬、母親のような穏やかさを表に出す渡辺宗主。 「それはよかった。儂も息子にはあのようなお嬢さんとの交友が必要だと思っていた。これで双方がいいように転ぶ」 厳一は心底安心したような表情を浮かべるが、彼の威名を知っている者からすれば胡散臭いことこの上ない。 「同居は認めます。しかし、我らが姪の力を必要とする時、御曹司が姪に何かした場合、私は躊躇なく術者を差し向けます」 「いいでしょう。当分の不戦協定が結べれば結構です。―――あ、それと」 「はい?」 わずかに首を傾げた仕草が瀞に酷似し、血の繋がりを感じさせた。 「今日、私がここに来たことは他言しないでいただきたい。もし、熾条の者に知られれば厄介なことになり、彼女も危険に晒されかねない。そうなるというならば―――」 「はい。間違いなく、渡辺・熾条間で戦争が起きるでしょうね」 「では、今後とも、よしなに・・・・」 そう言ってもう話すことはない、というように厳一は席を立つ。 (後は、一哉・・・・自分でな) 会談が終わって外に出た厳一は玄関までの広い庭を歩いている最中、太刀を片手に歩いてくる青年を見かけた。 青年は一礼するとすぐに歩き出す。 その背筋はピンと伸び、わずかに気品を漂わせていた。 (あれが宗主の息子・・・・。確か渡辺瑞樹、だったか。時代が時代ならば良い武者ぶりだったろうな) 結城のように圧倒的武勇にて治めるか、熾条のように一歩引いたところで全体を俯瞰する人物か。 そのどちらかが渡辺に必要な人物だ。だが、あの青年はどちらでも中途半端。 冷酷になりきれない甘さがある。 良き側近を置かねば渡辺に繁栄はない。 「まあ、まだ若いしな」 とりあえず、首脳部のトップである宗主の説得は成功し、瀞の心配事は当分は解消された。 厳一は今の渡辺で次席に座る青年の後ろ姿から目を逸らし、吹っ切るように首を振る。 (過保護、と聞くが・・・・まさか宗主の命令を無視して動きはしないだろう) 彼にしては珍しく断定できない思いを抱いたまま渡辺家を後にし、そのまま音川町に戻ることなく、再び一哉の前から姿を消した。 |