第一章「怪異への邂逅」/ 4


 

「―――フフフ、これが次の標的、ですか」

 深夜、街灯が頼りない光を放ち、どうにか道を照らしていた。
 それでも、いや、それ故に生まれてしまう影から言葉が紡がれる。

「今回は満了まで・・・・時間がかかりそうですね、フフ」

 夕暮れに一哉と瀞が足を止めた祠の前にひとつの影が立った。

「・・・・さすがに厳重。・・・・フフ、しかし、甘い」

 影が手を前にかざすとその手首を回るように赤光の円が生じる。
 それは徐々に回転速度と大きさを増しながら手のひらの前までやってきた。すると一瞬で紫光に代わり、レーザー光線のように祠向けて放たれる。

―――バシッ

 レーザー光線は不可視の壁に弾かれ、見事に霧散した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フフ、見た目以上に強固なようですね、フフフフフ」

 思惑を外され、声音にやや不満が滲み出る。
 沈黙の長さがプライドの傷付けられ次第を語っていた。
 仕切り直しとばかりに影はズボンのポケットから皮のグローブを取り出し、右手だけに装着する。そして、祠に向き直ると注意しつつ距離を詰めた。

「こういうことがあろうかと、持ってきて正解でしたね・・・・」

 親指以外の指を立てるような形にした手を手のひらが水平になるようにして引く。

「フッ」

 影の手刀が見えない何かの中に潜り込んだ。
 ズブリという効果音を発しながら、見えない壁の中に押し込まれた腕は外から歪んで見える。
 途端にのし掛かる重圧や弾き返そうとする圧力は、確かにそこに彼の手を阻むものが存在する証拠だった。

「フ、フフ・・・・。なかなか、に・・・・強い、ですね・・・・」

 えぐり込むように回転させ、徐々に何か――防護結界へと着実に沈んでいく右手。
 その右手に纏われるグローブは"結界貫入"の印が刻まれた宝具である。

「忙が、なくては・・・・なりませんね・・・・」

 結界に干渉した瞬間、何かが何処へ飛び立った感覚がした。
 おそらくはこの結界を仕掛けた術者の元に危険を知らせたのだろう。
 その者が駆け付けるまでに終わらさなければならない。

「こ・・・・いうこと、なら・・・・部隊を配、置し・・・・おくべきで、したね」

 すでに肩まで結界の中に突っ込んでいた。しかし、手は祠に届きそうにない。

「フフ、やや強引ですが・・・・仕方ありませんね、フフ」

 中に入れた右手をピストルのように象った。そして、その人差し指に魔術を発動させる。
 ボゥッと勢いよく紫色の光が灯り、綺麗な球体となった。
 それは内に巻き込むように回転し、力を凝縮していく。しかし、後から後から溢れるようにして生まれる力と拮抗し、全体的な大きさは変わらなかった。

「弾け飛んでください」

 指先から勢いよく光球が発射される。
 余波なのか、一部の光が放射状に広がって消えた。
 光球は空気に力を吸い取られるようにしてどんどん小さくなるが―――

―――ゴガッ!!!!

 消え去る直前に祠の観音開きを破壊、その奥へと消える。

―――・・・・・・・・ドオオオオオオオオオッッッッッッッ!!!!!!!!!!!

 一瞬後、祠の屋根を吹き飛ばすような劫火が生じ、バラバラと破片が辺りのアスファルトを打った。

「フフフ。どんなに堅牢な守りであろうと・・・・内からの攻撃は防げませんね」

 満足そうに笑い、長居は無用とばかりに踵を返す。

「フフ、まず一ヶ」

 彼は不気味な笑みを残し、さらには炎上する祠の残骸を残して闇へと溶けた。






熾条一哉 side

「――― 一哉、朝だよ」
「・・・・んぅ?」

 遮光カーテンが開かれる音がした。そして、遮る物がなくなった日光がこれ幸いと部屋の中を照りつける。―――といっても梅雨なので曇天だが。

「い〜ち〜や〜」

 ユサユサと体が揺さ振られた。しかし、間延びした声とどこか優しい声音に覚醒しかけた意識は再びその深層に誘われていく。

「も〜、起きてって、ばっ」

―――ズビシッ

「おぅっ」

 額に衝撃を受け、一哉は何事かとうっすら目を開けた。

「あ、起きた起きた」

 満足そうな声をすぐそばから聞こえる。
 布団で寝るという安眠感で未だぼやぁっとした視界。
 そこに前屈みになっているために流れてくる後ろ髪を右手で抑えた瀞がいた。

「ごはんできてるから着替えたら来てね」

 そう言うと艶やかに輝く黒髪を翻し、扉向けて歩き出す。

「・・・・え?」

 一哉はようやく覚醒し、"何故かこの部屋にいた瀞"を愕然とした面持ちで見つめた。

(おいおい。・・・・"どうして俺が気付かなかった"!?)

 寝ているとはいえ、相手が隠そうともしない扉の開閉音や気配に気付くはず。というか、接触される前に覚醒するはずだ。

「―――ん?」

 瀞はその視線に気付いたのか、小首を傾げながら振り返った。

「あ、制服?」

 瀞は前の高校の物と比べ、やや短い赤色のスカートの裾を引っ張りながら訊く。

「えっと・・・・変じゃ、ない・・・・かな?」

 恥ずかしそうに、そして、不安そうに俯いた瀞はそれでも気になるのか、おずおずと上目遣いにこちらを見てきた。

「い、いや・・・・大丈夫」

 「何が大丈夫なんだよ、おいっ」とらしくなく慌てている自分にツッコミ――(←慌てている証拠)――を入れる。

「よかった・・・・」

 ほっと息をつき、安堵した瀞はふわっとした柔らかな笑みを浮かべた。

 統世学園高等部の制服は男子は黒の学ラン、女子は白と赤を基調としているセーラー服だ。
 デザインへの力の入れ方に関しては男女で雲泥の差がある。
 男子はデザイナーが「男子の制服なんぞ考えても面白くないッ!」と声を大にして叫んだという逸話があるように何の変哲もないただの学ラン。
 女子は白地の上衣に赤いスカーフ。セーラーと袖口には学年を示す色のラインと縫い目。スカートは赤いプリーツ加工のもので後ろで結ぶ帯のようなものがある。
 色や袖口、スカートの帯などはデザイナーのイメージ――巫女装束から来ているらしい。
 まさに趣味仕事合体の作品と言えよう。

「ところで・・・・なかなか起きてこなかったけど・・・・大丈夫なの?」

 笑顔を引っ込め、こちらを窺うような視線の下、瀞は尋ねた。

「何が?」
「時間」

 さっと指差される置き時計。
 8時30分。

「ああ。・・・・遅刻だな」
「・・・・え?」
「とりあえず・・・・着替えるか」

 今更、遅刻などどうでもない。
 一哉の一週間での一時間目出席率は40%。つまりは5日中2日だ。
 この状況に痺れを切らせた担任からこう言われた。

『熾条、1週間に2回以上遅刻したら・・・・覚悟しろよ。私が作った地獄を見せてやる、ククク』

 教師として致命的だろう昏い笑みと共にだ。
 だがしかし、ここは権力には屈せず、必ず来るであろう地獄に敢えて立ち向かってこそ蛮勇と言えよう。

(まあ、別に蛮勇でなくてもいいんだが・・・・)

 単に面倒なだけだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」

 気怠げに動き始めた一哉は動かない瀞を見遣り、寝間着に手を掛けたまま言う。

「こういう時って、出て行くものじゃないのか?」
「・・・・か」
「あ?」

 何かを呟いたようだが、小さすぎて一哉には聞こえなかった。
 もう一度、言ってもらおうと疑問の声を上げ、心持ち耳に意識を集中する。

「バカァッ!!」
「おぶっ!?」

 寝間着に手を掛けていたために両腕が塞がっていた一哉は投擲物を防げなかった。
 置き時計は見事に一哉の下顎にクリーンヒットし、床に落下する。そして、ゴドッと音がし、秒針の音が途絶えた。
 相打ちである。

「お、おぉ・・・・」
「転校初日から遅刻なんてぇっ! うわぁぁぁんっっ!!!!」

 微妙に痙攣しつつ手を伸ばす一哉を無視し、瀞は泣きながら走り去っていった。




―――キーンコーンカーンゴ・・・・ッ

「―――あ、チャイム壊れた」
「マジ? ってことは次からは教師連の声なんじゃねえ?」
「へー、暇ね、先生たち」
「いやいや、録音してあるのが自動的に流れ出すんだと」
「・・・・はぁ?」
「しかも、教師連の精鋭――体育教師たちだそうだぜ」
「うげぇっ」

 と、平和な会話が交わされるホームルーム前の統世学園1年A組。
 一哉は遅刻しつつもちゃんと自分の席に座っている。

(―――あれから、ずっと不機嫌だったしなぁ、瀞)

 いつも通り、窓の外を見てぼけぇ〜としていた一哉は朝の出来事を思い出していた。
 無意識に未だヒリヒリしている顎をさする。

「―――熾条、今気付いたけど・・・・」
「んあ?」

 綾香がちょいちょいと自分の顎を指差して言った。

「顎どうしたの? 赤くなってるわよ?」
「いや。朝に・・・・ちょっとな」

 カバンを机に起きながら返事する。
 あれから地図を持たせて送り出し、管理人に瀞の件を伝えに行っていたために登校が昼休みになっていた。

「で? 山神はどうして俺と話してるんだ?」

 誤魔化す一哉を訝しげに見ていた綾香は一哉の前――晴也の席に横向きに腰掛けている。

「悪い?」
「いや、文句を言ってるわけじゃないが・・・・」

 普段、一緒に行動しているが、それは間に晴也という潤滑油がいてこそ成り立っていると思っていた。

(案外普通に話せるな)

 楽しい会話かともかく、一緒にいて苦痛ではないのは確かだ。

「晴也は?」
「さあ? 何か職員室に行ってたけど」
「・・・・止めなくていいのか?」

 晴也が至極真っ当な理由で職員室などに行くわけがない。

「別に何から何まで止めるわけじゃないわ。質の悪い冗談で済まないレベルになって初めて止めに行くのよ。・・・・行動がほとんどそれに当てはまるんだけど、ね」

 綾香は前に流れてきた髪を耳にかけた。そして、高校1年生とは思えない深いため息をついて窓枠に背を預ける。

「弓道関連ならただの優男なんだけどな」
「あ〜、大会行くと勘違いした女の子がいっぱい寄ってくるわね・・・・」

 結城晴也という名は中学弓道界では有名人だった。
 中学2年の時、個人戦で全国大会に出場し、これを制す。そして、3年では団体戦でも活躍し、個人は当然ながら優勝した。
 それだけでも騒がれるのに武勇に容姿良し、家柄――京都市内に屋敷を持つ名家の息子――良しと来れば人気が出ないわけがない。

「いつ知り合ったんだ?」

 綾香と晴也は幼馴染み、までは行かないが、かなり古くからの知り合いらしい。

「さあね。小学校中学年くらいじゃない? ・・・・まだ、10年は経ってないわ」
「ふうん、その頃から弓道少年だったのか?」
「・・・・そうね。あいつの屋敷に行くと・・・・胴着着て弓矢持ってるのが、一番多かったかもね」

 少し昔を思い出すように遠い目をする綾香。

「それで今はあの命中力か」
「ホント、迷惑なことだわ」
「お前の鎖鎌も同じぐらい迷惑だけどな」

 この少女は校内で鎖鎌を振り回すという一面を持ち、それが公認されている。

「正義のためには仕方ないわ」

 さっぱりと言い切った綾香はポツリと呟いた。

「それに、任務一辺倒じゃないわよ。あたしだって・・・・悪ノリに付き合うことくらいは・・・・あるわ」
「へえ、どんな時だ?」
「どんなに質の悪い冗談で済まないレベルでも、あたしが必要だと認めれば、ね。あたしは進んで協力するわ」

 その時綾香が浮かべた笑みを見て、ゾワリと一哉の背が泡立つ。

(うわ、こいつ本気だ・・・・)

 校内でトップレベルの戦闘力が愉快犯の王者とも目される晴也の智力・行動力に加われば敵なし、とまでは言わないが、限りなくそれに近くなるだろう。

「―――今日来る転校生の詳細、分かったぞっ」

 一哉がそんな感想を抱いた時、騒々しくドアを開けた晴也が入り口から大声でクラス中に言った。
 それにクラスメートは沸き立ち、当初から決めていたかのようにやってくるであろう教師に対しての防衛陣を組む。
 なにせ晴也が持ってきた情報とは職員室から盗み出してきたものなのだから。

「・・・・転校生?」

 ひとりだけ状況を理解していない一哉はクラスメートに習って戦闘準備を始めた綾香に訊いた。

「あ、そっか。熾条は遅刻したから知らないのね。―――先生曰く、転校生が来るはずだったらしいんだけど・・・・ホームルーム開始までに到着しなかったそうなのよ。で、昼休みを早めに切り上げて臨時のホームルーム、ってわけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・へ〜」

 転校生の情報収集。
 これが綾香にとって晴也との利害一致らしい。

「―――Search and Kill」

 委員長の命令に防御についた生徒たちは首肯し、目を凝らした。

「こら、結城っ。個人情報を盗む―――のわぁぁっっ!?!?」

 廊下一面に転がったパチンコ玉に教師が足を取られ、転倒する。さらに追い打ちをかけるかのように生徒たちが襲いかかった。

「お前ら―――おおぅっ!?」

「―――これも新しい仲間を友好的に迎えるためなんです」「だ・か・ら、許してね♪」「こうしてお互い分かり合おうと努力してるんですよ」「転校生がみんなを知るのは大変ですけど・・・・」「ひとりを知るのはこういうことで簡単なんです」「あくまで表面ですけど・・・・」「何もないより、友好的に迎えられますよね〜」「「「「そぉれ、パチンコ川をどんぶらこぉ♪」」」」

 あっという間に簀巻きにされた教師は言いくるめようとする生徒に翻弄される。
 さらに言動が一致していないことも指摘できず、嘘みたいにばらまかれたパチンコ玉に乗って廊下の端まで消えた。
 「ふぎゃっ」と廊下の奥の壁辺りで悲鳴が上がるが、誰も意に介さない。

「委員長、任務完了しました」

 さっと跪いた生徒の報告に眼鏡をかけた少女は重々しく頷いた。そして、晴也の方を見遣り、短く命じる。

「情報公開要求」
「おうよ」

 晴也は職員室での暗躍を語るために壇上へ移動した。さらに、バッと晴也がポケットから書類と思しき紙束を取り出す。
 そこには転校生の個人情報が赤裸々に綴られていることだろう。

―――ガシャァンッ、ドゴォッ

「―――ぐはぁっ!?」

『『『『『―――っ!?』』』』』

 生徒たちは持ち前の条件反射を以て机の下に避難した。
 側頭部をチョークで撃ち抜かれた晴也が地面に倒れるよりも早く、全員が避難完了という偉業は日々の経験によるものだ。

「―――結城ぃっ。内の若い者、騙して個人情報奪ったろっ」

 荒々しく教室に入ってくる我が担任を一哉は唯一イスに座ったまま迎えた。

「おはよーございます」
「むっ。お前、遅刻したな」

 ゲシッと晴也を踏みながらこちらを睨みつけてくる担任の視線を受け流す。
 担任の注意が一哉に逸れたため、クラスメートたちは危機を脱したと判断した。

「―――皆の者ッ、我らに新たな同士が加わるッ! このまま生徒会まで突入し、A組の旗を掲げるのだッ!」「おおうッ!」「ってか、A組の旗ってなんだ?」「知らないわよ、ノリよノリ」「何だノリか」「じゃあ、乗らない手はないな」「「「うおおおおおッッッッ!!!!」」」

 倒された晴也などもはや眼中にない。
 晴也によって今朝の「転校生が・・・・来るかも」という状況から確実に「来る」と分かっただけでも想像――妄想という――を膨らませるのに充分だった。

「―――お前ら、静かにしろ」

 当然、担任教師の制止の声も聞こえない。

「―――どんな奴かな?」「さあ? でも、かわいいといいな」「馬鹿、まだ女子と決まった訳じゃないでしょ」「分かってないなぁ、『転校生』=『美少女』は王道だぞッ」「何の王道よ、それ」『さあ?』「言ってる本人たちも首傾げているし(汗)」「まあ、そんな気分だ」「気分じゃ仕方ないね」「「「納得するのかよッ!?」」」

「―――黙れッ」

―――シュピピピピッッッ

『―――ギャアアアアアアアアアアッッッッッッ!?!?!?!?!?!?』

 先生の手から無数に放たれたそれらは余さず、指示に従わなかった者たちを問答無用で打ち据えた。

「馬鹿な奴ら」

 どさくさに紛れて飛んできた数個のチョークを弾き返し、一哉はドアの前で硬直している転校生の少女を見遣る。
 それはやはり瀞だった。
 瀞は一哉の姿を認め、やや安心したように表情を綻ばせるが、硬さは取れない。

(まあ、無理もないか)

 徐々にではなく、いきなりこういう"日常"に放り出されれば困りもするだろう。

「あ〜、転校生だ。みんな仲良くするように。―――とりあえず、自己紹介な」
「あ、は、はいっ」

 やや慌てて入ってきた。

「え・・・・っと、渡辺瀞です。突然転校になりまして、この辺りのことも全然知らないですが、どうかよろしくお願いします」

 机に倒れ伏した生徒たちに頭を下げる。
 普通なら反応が返るなど、考えられないのだが、転校生の顔見たさで大半が意地で復活した。

「―――おおっ」「女神だっ」「この世に未だ女神が生きておられたっ」「「「「うおおおっっ!! 我ら騎士団、一命に変えましてもお守りいたしましょうっ」」」」「ささ、こちらへ」

 男子たちが一斉に立ち上がり、とある空間を空けて瀞を誘い込もうとする。しかし、その空間は男子の合間を縫って滑ってきたイスによって破壊された。

「―――黙ってな、異性」「そうそう。こういうタイプはまず同性で優しく包んで上げるものなの」「ってわけで」
「うわわっ」
「髪綺麗だよね〜」「やっぱり手入れしてるの?」「うわ、ちっちゃいけど、スタイルはいいわね。ちょいちょい」
「きゃっ。ちょっ、くすぐった―――」
「サッラサラ〜」「うん、触ってて気持ちいいね」「羨ましいなぁ」「肌もすごくキレー」

 手を引かれ、あっという間に女子の中に消えた瀞は揉みくちゃにされ、どんどん憔悴していく。
 代わりに女子たちの血色がどんどん良くなっていくような気がした。

「吸収してるのか?」

 いつの間にかこちらまで撤退していた晴也が疲れたように席に座るなり呟く。

「そんなわけないでしょ」

 教室の床を滑ったため汚れてしまった晴也の制服を迷惑そうに叩く綾香。

「堪能してるのよ」
「いや、それもどうかと・・・・」

 晴也は力ないツッコミを入れた。しかし、5時間目、開始のチャイムと共に担任が「じゃあ、私は次の授業に行くから、ほどほどで切り上げろよ」と言って出て行った時、キラリと目を光らせる。

(あ〜あ、こいつまた何かやるな)

 そう思いつつも一哉は傍観者であり続けた。






渡辺瀞 side

「―――者共っ。新しき同志に我らが通う学園のことを教えてやろうではないか!?」

 先生が去るとすぐに一哉の近くにいた男子生徒が立ち上がり、声を大にして叫んだ。

「おおっ、なるほど」「転校生は何も知らないに違いない」「このままでは学園に巣くう悪魔たちの生贄になるわ」「そう、私たちは哀れなスケープゴートを救うのよ」「ああ、何ていい人なんでしょう、わたくしたちは・・・・(ポッ)」「守りきるが、最低限の知識は必要だな」

「え、え!?」

 何故か全員が乗り気で教室の机はひとつを残し、大部分が壁際に追いやられ、一部がバリケードに使われた。そして、バリケード裏に守備に就いた数人以外は興味津々に辺りに散る。
 壇上には先程の男子生徒と数人の生徒。
 残ったひとつの机には瀞が座らされ、黒板には何かが綺麗な字で書かれた。

「・・・・『明解・統世学園』?」

 瀞はその題名を見て、首を傾げる。

「委員長、準備は?」
「万全」

 眼鏡をかけた委員長と思しき人物がチョークを持って簡潔に答えた。

「よし、とりあえず―――統世学園には3つの権勢があるんだ。ひとつは学園を経営する理事会。次に理事会に従属し、教育と行事日程決定権を握る教師連。最後に委員会・部活連を統率し、日常生活の上で実質的覇者として君臨する生徒自治会だ」

 男子生徒の言葉に委員長が黒板に絵を描いて、図解とする。
 今、黒板には先の三者を頂点した三角形が描かれていた。

「まあ、理事会・教師連はとりあえず、一生徒には無害だから後回しにするとして―――」

 さっと黒板消しで削除。

「じゃあ、この昨年発表された『学園史研究会広報誌特別版――明解・統世学園』に基づいて説明するから」

(オ、オリエンテーションの資料なんだ・・・・)

 男子生徒は視線を書類に落とし、朗読を始める。

「―――私立・統世学園が【世を統べる人材を育成せよ】をモットーにして開校したのがー・・・・・・・・ちょい前に20周年があったな、うん」

 正確には覚えてはいなかったらしい。

「そして、6年前に当時の生徒会が教師連に対し、クーデターを起こして始まった新体制は―――」
「は?」

 ポカンと瀞が口を開けた時だった。

―――ドガァッ!!!!!!

「―――HAHAHA!!!! 温いワッ。コレシキでワタシが止めラれるトォッ!?」

 廊下の端からバリケードが弾け飛ぶ音と算を乱して逃げ回るクラスメートの足音が響いてきた。

「報告。ジョン(仮称)はバリケードを突破。食い下がる級友を物ともせず、こちらに向かってきます。如何致しましょう?」
「・・・・村上武史」
「分かった」

 委員長の短い指令に長身の男子生徒が立ち上がる。

「じゃあ、行ってくるぜ。俺も一度、あのムッキムキ英語教師と語り合いたかったんだっ」

 バッと学ランを脱ぎ捨て、廊下へ走り出る村上武史。

「ジャン、俺が相手だぁっ」
「OH! ブドーの師範代、ですカ!? 受ケて立ちマショウッ」

 そうして拳打の音が聞こえてきた。
 英語教師の進撃が止まったことにクラスメートは満足そうに頷く。
―――因みに後で知ったが、英語教師は名前を気分で呼び変えているので、何と呼ばれようとも気にしない人だ。

「迎撃完了。続行」
「了解。さすがは武史だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 とてつもなく、ツッコミを入れなければいけないような気がしたが、それは何故か泥沼に踏み込みそうで二の足を踏ませた。

「新体制で生徒を取り巻く環境はすっかり変わったな。元々、学園紹介に書かれるようなバカみたいな学校だったけどな」

(・・・・ホント、前の学校よりもすごいよ)

 瀞はこの時間までに渡された学園紹介パンフレットの内容を思い出す。
 部活動の数とその功績は抜群で工業科・商業科などの就職率、また就職先での活躍などはとても高卒には思えないものがあった。
 前の学校も良家の子女や社長令嬢などがゴロゴロいたが、本人たちがすごいわけではないのだ。

(もう少し経てば・・・・名門って呼ばれるんじゃないかなぁ)

 そう思うぐらい、彼の言う「くーでたー」――現実逃避のため平仮名記述――後の実績はすごかった。

「まあ、部活に入るならそこでまた暗黙の了解、みたいなルールは聞くだろうから。今回は一般生活を送るに当たって、ということにする」
「ナイス短縮」

 委員長から讃辞の声とともにペチペチと気落ちする柏手。

「どもども。―――で、戦国社会、分かる?」
「え? えーっと一般知識くらいは・・・・」

 いきなりなんだというのだろうか。

「まあ、いいか。とりあえず、ここに書いてあることを読み上げるぞ。っていうか、これ書いたの戦国研究会の会員だったんだよな」

 はっきりした声で読み上げられる文章。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞はまるでエラーが生じたコンピュータのようにフリーズしたまま、ただの韻として言葉を脳に取り入れ、蓄積していく。
 それは一哉に「何があっても"受け入れ"ろ。質問なら後で納得・・・・は無理か。・・・・とにかく、気が済むまでは付き合ってやるから」と言われていた結果だった。

(絶対・・・・ぜぇーったい、付き合って貰うんだからっ)

 瀞は不思議と一哉に遠慮を感じない心地よさとどこまでも受け入れてくれる幸福感への照れ隠しに、やや乱暴に思考を働かせる。
 そんなことも露知らず、一哉は窓際でポケ〜ッと外を見ていた。










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