第十三章「第二次鴫島事変~後編~」/



 1月28日午前9時51分、稀に見る大噴火がそこ、鴫島諸島を襲っていた。
 海中では水蒸気爆発が連発し、火口からは盛大に溶岩流が溢れ出す。そして、鴫島で起こった火山噴火はやはり加賀智島でも起きていた。
 いや、加賀智島こそ噴火の原因である。
 火口で勃発した戦いが火山の【力】を活性化させた。だが、噴火というエネルギーが充填されるまで長い年月が必要である。
 それがこの日、限界を迎えたのはまた別の理由があった。
 加賀智島に封印されていた邪神――<クァチル・ウタウス>・"塵の中を歩む者"を封印していた【力】の源。
 それがこの噴火しそうな火山のエネルギーだったのだ。
 神を封じるためには莫大な【力】が必要である。
 それを当時の結界師は大自然の【力】を借りることで成し遂げたのだ。
 現在ではほとんど失われてしまった自然の【力】を使った術式。
 それが解けた時、ゆっくりと噴火への行動は始まっていた。そして、この日、火口での戦いが最後の一押しをしたのだ。
 神忌の騎士を務めた双子――鶍と鵤によって。
 彼女たちが作り出した結界は封印と同じ、火山のエネルギーを使うものだった。
 ただでさえ活性化していた火山が再び解放とは別の抑えつけに使われ、急速に多方面への圧迫が始まる。
 それは加賀智島だけではなく、鴫島諸島全土に広がった。
 今やそのほとんどの島から噴煙が上がり、海中でも噴火が続いている。
 特に鴫島では無数の火山弾が飛翔し、火口から流れ出た溶岩流が軍港向けてひた走っていた。



『―――「伍雲」被弾っ。艦前部に火災発生っ』
「本艦主砲塔被弾っ」

 鴫島の軍港に停泊する強襲揚陸艦隊は降り注ぐ火山弾によって、被害を続出しつつあった。

「く・・・・ッ」

 強襲揚陸艦『紗雲』の艦長を務める本郷業正は歯噛みする。
 最新鋭の護衛艦がまるで、太平洋戦争下のような砲撃に遭っているのだ。

「陸戦隊収容完了っ」
「よしっ」

 待ちわびていた報告が入った。

「機関始動、サイド・スラスター(艦首・艦尾機動舵)機動!」

 水を得た魚、とでも言うのか、生き生きと指揮を執る本郷に応えるように、艦員は全力で行動に出た。

「スラスター・スタンバイ・アイ!」

 排水量が九〇〇〇トンを超える『紗雲』が大きく打ち震え、最初はゆっくり、だが、徐々に速度を上げて右へと移動していく。そして、その巨体が岸から充分に離れた、そう判断した本郷は次の指示を出した。

「左舷推進器ピッチ・フル(全速)、右舷推進器ピッチ・リバース(逆転)、急速転舵っ!」

 両側の推進器を敢えて逆向きに駆動させることで、小さい半径で『紗雲』は巨体を旋回させる。
 飛行機をイメージさせる艦体の先端が湾外に向いた。
 右舷では『伍雲』も同じような動きで艦首を湾外へと向けている。
 火災が起きてはいるが、艦の行動に支障はないようだった。

「全速前進っ」

 『紗雲』が持つ、全ての推進器がフル稼働で水を掻く。そして、巡航速度45ノットという驚異的な数値を弾き出す『紗雲』は滑るように動き出した。しかし、鴫島もそう簡単には逃がす気はないようだ。
 湾外に滑り出す瞬間、直径1メートルを超える火山弾が立て続けに『紗雲』を引っぱたいた。
 衝撃が艦内を突き抜け、轟音を立てて艦上構造物が倒壊する。

「レーダーが破壊されましたっ。イージスシステムダウンですっ」
「狼狽えるな。どのみちこの状況では使えんっ」
『あ、あぁ・・・・。巨塊の火山弾、来ますっ。数、無数っ』

 見張り要員からの報告にCICの全員が凍り付いた。

『ダメ、落とせないっ』

 サオリの悲痛な声が本郷を後押しする。

「総員、衝撃に備え―――っ!?」

 その衝撃は横殴りだった。
 その、あまりに早すぎるタイミングで多くの要員が持ち場から転がり、そこかしこで体をぶつけた。

「な、何が・・・・」

 額を打ち付け、チカチカする視界の中で本郷は呻く。

「こ、これは・・・・」

 スクリーンを覆い尽くさんばかりに迫ってきた黒点が一掃されていた。



「―――あーあー、『紗雲』に告ぐ。火山弾迎撃は俺たちが引き受けた」

 火災を発生しつつある『紗雲』の上空数十メートルに静止した結城晴輝は無線機片手にそう告げた。
 もう一方の手には神宝・<飄戯>がひとまとめに握られている。
 先程の一群は晴輝がそれを振るうことで吹き飛ばしたのだ。

「結城宗家、並び山神宗家の者たちに告ぐ」

 上昇しつつある風術師や甲板に出て迎撃しようとする雷術師を睥睨しながら、稀代の戦士――"鬼神"は告げた。

「この場にある最上位者として命ずる」

 ポイッと無線機を放り投げ、双剣を握り込む。

「―――撃滅せよっ」

 そう言い、自ら先頭を切って火山弾の群れへと突撃した。



「―――あ~あ、張り切っちゃってもう」

 晴也は『紗雲』の甲板で苦笑した。

「あんたは行かなくていいの?」
「・・・・分かって言ってるだろ」
「まあね」

 晴也の攻撃力では火山弾の群れに突入しても撃破できない。
 だとすれば、小さなものを風術師が吹き飛ばし、そこから溢れたものや大きなものを迎撃する雷術師を誘導した方が効果的だった。

「さ、照準器、働きなさい」
「扱いひどいだろっ」

 そう嘆きつつも晴也は見事な情報処理力で迫り来る火山弾の内、着弾コースを見出し、その迎撃優先度を弾き出していく。
 その速度は沈黙した『紗雲』のイージスシステムに匹敵した。
 さらに晴也は厳選した火山弾へと真空の管を繋いでいく。

「OK、やれよ」

 百を超える照準を付けた晴也は待ち構えていた綾香以下十数人の雷術師を振り返った。
 瞬間、呼応するように真空の管を雷撃が上っていく。

(・・・・で、一哉は大丈夫なんだろうな)

 爆音と轟音が響く中、ようやく捉えた友人の反応に、晴也は加賀智島へと意識を飛ばした。






再会scene

(――― 一哉)

 遠い場所へと逃げてきた私を温かく迎え入れてくれた。
 何より渡辺宗家の水術師とも、渡辺家の御令嬢とも違う、渡辺瀞というただの女の子として見てくれた。
 それでけじゃなく、水術師としての私も臆さず受け入れてくれた。
 初めての料理が怖いって言うのは、ちょっと・・・・ショックだったけど、うぅ・・・・。
 でも、危険と分かっていても、私の様子を見るためだけに来てくれた。
 ううん、それだけじゃない。
 私の我が儘をさも当然のように受け入れてくれた。
 そう。
 守る守られるじゃなくて、一緒に戦ってくれた。
 未だ戦場に立つと足が震える私と、
 満足に戦う理由を答えられなかった私と、
 我武者羅に戦うことしか知らない私と、
――― 一哉は共に戦うことを許してくれた。
 何より、"東洋の慧眼"と謳われる熾条一哉なら絶対に踏み込まないであろう危険に踏み込んででも助けに来てくれた。
 ホントは喜んじゃいけない。
 また、無茶をして、って怒らなきゃならないのに・・・・嬉しくて堪らないよ。

「・・・・ごめんね、一哉」

 硫黄臭のする中、周りよりも少し高くなっている場所で、瀞はその場に腰を下ろしていた。そして、その太腿に一哉の頭を乗せ、血が付いた頬に手を伸ばしている。
 地震は断続的に発生し、どこかで崩落音が続いていた。
 間違いなく、この研究所は壊れる。
 だがそれでも、瀞と一哉は研究所内からの脱出には成功していた。
 瀞たちがいるのは地上であり、周囲には研究所地上施設の残骸や壊れたヘリなどがある。
 瀞はその瓦礫のひとつに背を預けていた。
 地上にさえ出てしまえば、崩落したとしても島自体が沈むわけではないのだから助かる。

「でも・・・・」

 瀞は水術を起動し、降り掛かってきた火山弾を破壊した。
 すでに研究所脱出に大活躍した"蒼徽狼麗"を維持する【力】は残っていない。
 それでも文字通り、降り掛かる火の粉を振り払うだけの【力】は残っていた。だが、それだけだ。

「もう無理だよね・・・・」

 火口から流れ落ちた溶岩がヘリに到達し、ミサイルに引火して大爆発する。しかし、その爆発力も覆い被さる溶岩を押し返すことができずに呑み込まれた。
 すでに周囲には溶岩が満ち、脱出当初に溢れていた<水>を<火>が覆い隠している。
 この状態で瀞ができることは少なかった。

―――ドォォンッ!!!!!

「―――っ!?」

 爆音が大気を引っぱたき、火山噴火の音を掻き消した。

「な、なに・・・・あ・・・・」

 視線の向こうには黒煙を噴き出しながら沈んでいく大きな軍艦がある。
 軍港内に侵入した溶岩流が防衛型護衛艦『玖雲』の艦腹に突入したのだ。
 そこには対艦ミサイルによって大穴が穿たれており、艦内へと侵入した高温の溶岩がVLS内に残っていたミサイルや燃料に引火、大爆発を起こした。

「あ、ああ・・・・」

 基準排水量が二万トンを超える大型艦は爆発の衝撃で艦底を破られ、湾内に着底する。そして、海面に突き出した部分が盛大に燃え出した。
 他2隻の大型艦は湾外に脱出したようだが、火山弾の猛攻を受けているのか、時折着弾の火炎が見える。
 向こうに展開していた者たちも自分たちで必死のようだった。
 辺りを見回せば、この島の火山噴火も活発化している。
 火口からは噴煙が上がり、山腹に生じた亀裂からは新たな溶岩流が溢れ出していた。
 その流れは間違いなく、この平地に向かっている。

「ここまで、かな・・・・」



「―――ん、んぅ・・・・」

 頬を撫でられるくすぐったい感触に一哉の意識は浮上した。

「起きた?」
「・・・・ああ」

 優しい声にゆっくりと目を開ける。

「・・・・がんばって、まあ」

 ボロボロの瀞を見て、口元がほころんだ。そして、血潮が飛び散った頬へと手を伸ばす。

「ん? ―――ふにゃっ!?」

 血を拭い取ってやり、引っ張った。

「にゃ、にゃにひゅるにょっ」
「いや、特に意味は」
「な、なんなのよ、もう」

 少し赤くなった頬をさする瀞。

(うん、瀞だな)

 当たり前のことを確認し、一哉は身を起こす。
 激痛が走ったが、体は動いてくれた。

「ふぅ・・・・」

 瀞の隣に背を預け、周囲を見遣る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 火口から盛大に噴煙が上がり、山腹の亀裂では小さな爆発によってマグマが吐き出されていた。
 その流れ出た溶岩に籠もる莫大な【力】には何かの意志が宿っている。
 炎術師だからこそ分かる、何かを燃やし尽くしたいほどの怒り。

(無理だな・・・・)

 精霊術師は「神が裁きの代行者」と他の能力者から呼ばれる。
 だから、分かる。
 近いからこそ、"遠いことが分かる"のだ。
 人は所詮、自然――神には敵わない。

「ごめんね、私のために」

 瀞の声が聞こえ、一哉は横に向けていた顔を瀞に戻した。
 瀞は甘えるように、そして、怪我をした肩を庇うように一哉にもたれ掛かる。そして、上目遣いに一哉の顔色を窺っていた。

「別にお前のためだけじゃない」
「そう、だよね。・・・・でも、少しでも私のためであるなら・・・・」

 瞳の色が陰る。

「やっぱり、ごめん」

 そっと哀しそうに目を伏せた。

「謝られてもなぁ」

 一哉の言葉を受け、瀞の目が言葉を探るように彷徨う。

「えーっと、じゃあ・・・・ありがとう?」
「いや、そう言う問題でも・・・・」
「それじゃあ・・・・」

 背筋を伸ばした瀞の顔が近付いてきた。

「え・・・・?」

 ついに溶岩流が瓦礫の山を越える。そして、遂に溶岩流がすぐそこまで達した。
 瓦礫の山が燃え上がり、辺りは赤一色に染め上げられた。
 さらに追撃とばかりに火口からは膨大な数の火山弾が放射される。

「これ、かな?」

 顔を離した瀞がぺろっと小さく舌を出し、悪戯っぽく微笑んだ。

「・・・・顔、赤いぞ」
「う、うるさいなぁ」

 ぷいっとそっぽ向く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「え・・・・?」

 その赤く色づいた頬に手を伸ばし、こちらを向かせた。
 そのままじっと見つめるとさらに赤くなる。

「瀞・・・・」
「ぁ・・・・」

 名前を呼ぶと瀞の瞳が潤み出した。そして、再びふたりの顔が近付いていく。
 そんなふたりを覆い尽くさんとばかりに炎上して降り掛かる火山弾が―――


―――ゴォッ!!!


―――横合いから光の突撃を受け、飛来する数百もの火山弾が一瞬で燃え尽きた。

 燃え尽きる。
 まさにその言葉に尽きる炎上。
 一切の燃え滓も残さず、全てを灼き尽くす絶対的な炎。

「―――いちやは・・・・いちやは殺らせないよっ」

 その炎が集結し、ひとつの人影を作り出す。
 赤と黄色の鮮烈なまでに「炎」を想起させる膝丈の着物に、横ポニーでまとめられた緋色の髪。

「―――はぁ・・・・はぁ・・・・」

 中空に静止し、あかねはいちやたちを見下ろした。
 ふたりともボロボロで常人なら気を失っているであろう怪我をしながらも驚いた顔をしている。
 しーちゃんはともかく、いちやまでもそんな状態と言うことは諦めていると言うこと。

(そんなこと・・・・させないっ)

 覚悟を新たに、あかねはいちやたちを庇うように火山に向き直った。
 あかねの体からはキラキラと火の粉が舞い散るが、あかねは怯まない。

(あかねには分かるよ・・・・)

 緋は荒ぶる火の神――火山を見て思った。
 得体も知れない邪神を封じることに勝手に使われた【力】。
 それが取り払われたというのに、今回、再び使われた苛立ち。
 さらにそれを叩きつけるかのように返されたことによる激昂。

(だって、あかねたちは―――)


―――全てを壊し、燃やし、坩堝へと叩き落とす、災神なんだから。


 単純な【力】勝負では負けるだろう。
 封印で【力】を奪われ続けていたとはいえ、噴火する【力】を奪われていただけ。
 言わば噴火の後押しとなる1%の【力】を常に使われ続けていただけなのだ。
 今の鴫島諸島を構成する火山の【力】は彼らが持てる最高の値である。
 対してあかねが持つ【力】は存在できるギリギリのレベル。
 まともに撃ち合えば勝負にもならない。

「いちや・・・・」

 ふわりといちやの傍に降り立ち、その手を握る。

「遅れて・・・・ごめんね」
「いや、無事で何より」
「そうだよ」

 いちやとしーちゃんは笑ってくれた。そして、しーちゃんは「えらいえらい」と頭を撫でてくれた。
 だけどもう、あかねにはその優しい掌の感触は感じられない。


―――緋の体は崩壊が始まっていたのだ。


 渡辺宗家討ち入り、地下鉄音川事件、鬼族戦、年末より続く戦闘。
 その全てがあかねにとって、消耗戦だった。
 本来なら、お互いの絆を深め、より強い協力関係を結んでいたであろう幼少期。
 それをなしにして、大きな戦いを短期間に経験したことは元々少ない【力】を次々と減らしていく結果になった。
 それでもあかねは後悔しない。
 いちやは小さいころに苦労したと聞いたから。
 まだまだ弱い主を守るはずの守護獣がいなかったから、あかねがいなかったから、いちやは多くの傷を負ったのだ。
 それが、あかねがいちやに感じる、もうひとつの負い目。


「頑張るから。いちやの役に立つからね」
「緋、お前・・・・」

 何かを感じたのか、力を込めようとするいちやの手からするりと逃れ、踊るように火の粉を振りまいて振り向いた。
 視界に広がる圧倒的な【力】の権化。

「まけないよ」

 強い意志に同調し、周囲に<火>が集まり始める。
 それと同時にあかねの輪郭が薄れ始めた。


 守護獣とは宗家の守護神の眷属である。
 熾条宗家の守護神は炎龍。
 あかねはその眷属で、緋龍だ。
 そう。
 龍なのだ。


「緋、お前何する気だっ」

 高まる【力】と弾ける光の向こうからいちやの声が聞こえる。
 それに応えず、【力】を込めた声が大気を震わせた。
 そうすることで、あかねはいちやたちの声から意識を遠ざける。


【我、炎龍が眷属に連なるものなり】


「・・・・ッ」

 ヘリ甲板で火山弾を防いでいた"結界の巫女"が加賀智島を見遣った。


【灼き尽くし、燃やし尽くし、全てを灰燼に帰する炎神なり
 されど、全てを改め、再生させし炎神なり】



「ちょ、あれって」
「ああ、何かヤベェぞっ」

 空を駆る"風神雷神"が警戒心を露わにする。


【見る者には鮮烈を。
 触れる者には感嘆を。
 敵対する者には消滅を】



「瀞・・・・」
「瀞ちゃん・・・・」

 心配そうに呟くふたりの間で水神はじっと加賀智島を見つめていた。


【『緋』は『非』より全てを拒絶し、己を貫き、『糸』が如く包み込む】


「緋っ」

 一哉には分かる、緋が何をしようとしているのかが。

(いちや―――)

【等しく容赦なく抱擁し、全てを無に還さん】


(―――ばいばい)


【我、炎龍が眷属――緋龍・緋なりっ】


 瞬間、閃光と轟音が世界を支配する。
 それはまさに世界の破壊であり、それが止んだ時、火山噴火は嘘のように沈静化していた。
 流れ出る溶岩はもちろん、たった今まで飛翔していた火山弾、上空高く立ち上っていた火山灰といったもの全てが消え失せている。

「あ・・・・」

 代わりに島を支配した炎の粒子がキラキラと舞う中―――

「あか、ね・・・・」

―――健気で猛々しき龍の姿はどこにもなかった。






祗祇-アラヤ-

「―――ここは・・・・ッ」

 神忌は己が地面の上に寝かされていることに気付き、跳ね起きた。
 辺りは地下特有の空気が満ち、先程までいた空ではないことが分かる。
 それだけではなく、身に感じる寒気から鴫島のような南方ではなく、ずっと北の地に移動したと判断された。

「―――起きた?」

 幼子特有の高い声にビクリと肩を震わせ、弾けるように振り返る。そして、信じられないものを見たかのように大きく目を見開いた。

「こ、"皇帝"・・・・陛下」
「うん」

 ほわほわと柔らかな笑みを浮かべた"皇帝"は高台から飛び降りる。

「"侯爵"、無事で何より」

 ゆっくりとした足取りで神忌の前に立った。
 その後ろには物静かに護衛の女が付き従っている。

「やっぱり、"鬼神"は強いね」
「・・・・お助け、頂けたのですか・・・・?」

 雌雄を決しようとしたあの時。
 神忌の放った決死のレールガンはガラス細工のように粉々に砕け散った。そして、神忌の体をも砕こうと迫った術式を前にして、神忌の意識は途絶えている。

「双子も助けておいた。数少ない"騎士"、失うのは辛いからね」

 辺りを見回せば、俯せの体勢で倒れている?と鵤がいた。
 見たところ外傷もなく、結界だけ無効化された敗北だと見て取れる。

「他の妖魔も空間転移で撤退させてる。今回の戦いで僕たちの被害はゼロだよ」
「そう、ですか・・・・」

 被害はゼロでも、神忌の胸裏には感情のうねりがあった。
 武勇で負けたのはまだいい。だが、その後処理として"皇帝"の手を煩わせたことがプライドの高い彼には許せないことだった。

「お手を煩わせて申し訳ありません」
「ううん。気にしなくていいよ」

 "鬼神"と戦い、その圧倒的戦闘力の前に敗れたが、それはむしろイレギュラーな出来事だ。
 彼の得意である謀略では負けていない。

「今回はただの顔見せ。・・・・"男爵"は残念だったけど」
「戦死、したのですか?」
「期待してたのになぁ」

 神忌は問うてから悟る、"皇帝"の笑みの真意に。

「処分、なされたのですか?」
「うん」

 その笑顔に一点の曇りもなかった。
 浮かべる者の正気を疑うべき、「純粋」の一言で語れる、笑み。
 そして、"男爵"を失ったというのに「被害ゼロ」と言い放つ冷酷さ。
 その両方に、神忌は気温とは違う寒気に襲われた。

「五爵も"子爵"、"男爵"が抜けて3人になっちゃったね」
「・・・・その分、我らがより一層の働きを致しましょう」

 神忌は改めて己の主に恐怖し、言葉を紡ぐ。

「期待してるよ、"侯爵"」
「はっ」

 "皇帝"は頭を垂れる"侯爵"から視線を逸らし、目の前に君臨する巨大な門扉を見遣った。

「ようやく、これを開ける時が来たんだね」










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