終章「陸綜家」
「―――う〜ん、異常なし。・・・・ホントに信じらんねえな。運ばれた時は死ぬんじゃないかって思ったほどだぞ?」 「ははは。回復力は自慢の1つだからな」 3月3日、結城宗家お抱えの病院で熾条一哉は医師による最後の検診を受けていた。 「まー、いつでも来い。いろいろと実――っとと。検査するから」 「今『実験』とか言いかけやがったな?」 硬い声でツッコミを入れる。 いちいち入れておかないと大変なことになるからだ。 ただでさえ、鹿頭朝霞による完全監視態勢に敷かれ、他の入院患者から奇異の目で見られていたというのに。 「はいはい、お大事に。かわいい彼女が待ってるぞ」 「・・・・できれば二度と来たくないね」 一哉はヒラヒラと手を振る医者から逃げるように急いで病室を出てロビーへ向かう。そこには一見、年下に見える少女が荷物の番をしていた。 ここ――神居市――の隣町である音川町で門を構える統世学園高等部の制服を着ているので学校帰りということが一目で分かる。 「――― 一哉、終わった?」 「ああ。行くぞ」 いつも通り、近付いただけで一哉の存在を悟った渡辺瀞は荷物を持ち、立ち上がる。 一哉も預けていた荷物を持ち、出口へと向かった。 「う〜ん。あったかくなったね〜」 「・・・・コート着てる奴が何言うか」 「寒がりなんだよ、私は。ふふ、桜咲いたらみんなでお花見に行こうね」 瀞は一哉に向けてニコッと笑う。 それは本当に安心しきった無防備なものだった。 「はー、それにしてもよかったね、一哉」 「んあ?」 前を進んでいた瀞がくるんっと反転して笑顔を見せるが、後ろの一哉は話を聞いていなかったのか、間抜けた声を出した。 「もうっ。留年しなくてすんでよかったね、ってこと」 「ああ、はいはい」 一哉は背後にある病院を振り返る。 「ま、入院しててもテスト受けて合格すればOKってところが私立らしいよな」 「その分、春休みは補習でほとんど無いけどね」 瀞は後ろ向きに歩きながら笑みを見せた。 「転けるぞ」 「だいじょうぶだいじょ―――わきゃっ」 「・・・・どの口下げて『大丈夫』と抜かすか」 「・・・・ごめんなさい」 お約束とばかりに転けかけた瀞を救い、一哉はため息をつく。 「それでよく、ヘレネを倒せたな」 「ふ、ふん。実力だもん」 ぷいっと顔を逸らした瀞は一哉の手から離れ、そのまま先に歩き出してしまった。 「あ・・・・」 びゅうっと強い風が吹き、瀞の髪を弄ぶ。 長い黒髪は一瞬で広がってしまい、瀞は苦労してそれを抑えた。 「ふぅ・・・・北風がずっとキツイのも嫌だけど・・・・春の突風も嫌だなぁ」 「・・・・お前、髪長いしな」 一哉は上から下まで瀞を身流す。 後ろ姿だと、やはり一番目に付くのは艶やかな黒髪だった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 なんとなく、黙り込む。 「ん?」 視線を感じたのか、瀞は髪を手櫛したまま振り返った。 「なに?」 ふわりと黒髪が円を描き、夕陽を反射する。 その艶やかさに思わずため息が出そうになった。 「いや、何も」 そう言って、瀞よりも前を歩く。 「? 変なの?」 訝しげな声を背に、一哉はポケットに入れた手を握り締めた。 うごめく世界scene 第二次鴫島事変。 死者行方不明者746人、負傷者1523人という甚大な損害を出した戦いである。 この内、強襲部隊は67人の死者行方不明者を出し、182人の負傷者を出した。 約400の人員の内、その死傷者の数は実に6割。 壊滅的打撃と言っていい。だがしかし、太平洋艦隊の被害はそれに輪を掛けてひどい。 割合で言えば7割近い人員が死傷し、基地に揃えていた軍艦はそのほとんどが撃沈破された。 第三者的視線で見れば、双方ともよくそこまで被害が出るほど戦えた、と言えるが、それは孤島で行われた戦闘だったからだとも言える。 まさに生存戦争の壮絶さを持っていた戦闘は第三者の介入で加速的に損害を増やし、火山噴火によって太平洋艦隊は致命的な打撃を受けたのだ。 鴫島事変の詳細は各国の諜報機関によって曝かれ、日本の裏で大規模な抗争が起きていることが明らかになった。 それでも、政府にはもう、それを止める機関は存在せず、走り出した歯車の両者も、止める気はさらさらなかった。 「―――鴫島上空だ。レーダーに反応はないが、よく見張れ」 『飛び立つ巣は岩の下だぜ?』 「油断すると・・・・また、墜ちるぞ」 『・・・・へいへい』 第二次鴫島事変から1ヶ月。 笹波賢悟は列機と共に再び鴫島へとやってきた。 あの暁闇に交わされた空中戦では笹波が率いた「霸鷹」編隊は6機中2機が撃墜されている。 笹波の左後方にピタリと張り付く列機の新垣雅人も撃墜されていた。だが、脱出に成功して後遺症もなかったので、部隊に復帰している。 「こうして見てると・・・・未発ってのが信じられないな」 『・・・・あれで未発なんだから恐ろしいぜ、体験した身としてはな。・・・・ああ、思い出しただけで鳥肌が立つぜっ』 (そうか、こいつは体験したんだったな) 新垣は強襲揚陸艦隊旗艦――強襲揚陸艦『紗雲』に救助されていたので流れ出る溶岩、降り注ぐ火山弾を知っているのだ。 『ほれ、「玖雲」を見てみろよ』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 鴫島の湾内には流れ込んだ溶岩が火山岩となって軍港を押し潰していた。 その結果、強襲部隊が放置した防衛型護衛艦『玖雲』は岩の中に取り込まれている。 艦腹から流れ込んだ溶岩によって着底した『玖雲』の上部は高温で炙られた痕が痛々しい。 基準排水量が二万トンを超える堂々とした艦体だけにその光景は自然の猛威をまざまざと見せつけられた気分になる。 「これを"未発にする"とはどれだけの【力】が必要なんだろうな・・・・」 笹波もSMOに属していた歴とした裏の人間だ。 自分自身には異能はないが、知り合いには幾人も異能者がいる。だが、彼らの能力を目の当たりにしようと、"火山噴火のエネルギーを全て吹き飛ばす"ほどの【力】など想像も付かない。 (これだけ危険ならば、SMOの言い分も分かる・・・・) 笹波は首を振り、考えを振り飛ばした。 「まあ、難しいことはお偉方が考えるさ。俺たちは必要とされる時、必要とされた力を発揮すればいい」 『末端の性だわな。いやぁ、下っ端は辛いねぇ』 「うるさいぞ」 新垣の軽口を封じ、笹波は無線機を通して基地へと報告する。 「鴫島基地は完全に沈黙。太平洋艦隊の壊滅を確に―――」 『お、おい、賢悟っ、あれを見ろっ』 「報告の途中、ってか、あれとか言われても―――っ!?」 眼下を見下ろした笹波は思わず息を呑んだ。 『―――01? どうしました?』 基地が報告の途中で黙り込んだ笹波を気遣い、声をかけてくる。だが、その耳元の声にも気付かないほどのインパクトが眼下で起きていた。 断続的に海中で起きる爆発に水柱が立ち、火口から噴き上がる噴煙は瞬く間に高空に上ってくる。 火山灰など、ジェット戦闘機にとって鬼門でしかない。 「報告、火山噴火っ。海中での水蒸気爆発及び火口より火山砕屑物の散布を視認した」 『おいおい、マジでヤベェぞ、これっ』 『こちら管制塔。偵察任務を終了し、帰投してください』 「了解。―――雅人、帰るぞ」 『おーけぇいっ』 ただ旋回するだけだった機体に新たな命令が送り込まれ、空の覇者は機敏にその進路を転じた。 強襲部隊に参加していた組織たちは共闘関係を解消し、独自に動き出してた。しかし、まずやることは共通している。 残敵掃討・戦果拡大・組織強化である。 藤原秀胤率いる反SMOは被害が半数に及んだことから戦力を集中する一方、組織化に動き出していた。 熾条宗家は熾条鈴音の部隊を沖縄に派遣し、太平洋艦隊の拠点やSMO支部を制圧させ、九州地方を完全に掌握する。 渡辺宗家は渡辺瑞樹・水無月雪奈によってミサイルで破壊された屋敷跡に新たな屋敷を建て始めていた。 結城・山神宗家はますます同盟を強化し、結城晴也と山神綾香という"風神雷神"を先鋒に用いて東西から金沢へと侵攻を開始する。 鎮守家は東北の能力者と協力し、ひたすら防御を固めている。 政府に見放されたSMOは長官が指導力を失い、その後釜として幹部であった監査局長――功刀宗源が指揮を執っていた。 『―――SMOは再編で忙しく、北陸へ効果的な援軍が送れないようだ』 「ええ、予想通りです」 音川町を走る1台の高級車。 その後部座席で老婆が携帯電話で話していた。 老婆と言ってもきっちりと着物を着て座る姿には気品が溢れ、まだ英気を失っていない。 『鯒がいなくなり、功刀が指導者になったから情報はどうかと思ったが、なかなかに入るな』 「潜入した<識衆>は鯒ひとりではありませんからね。それに再編で透波狩りどころじゃないんでしょう」 老婆は朗らかに笑って見せた。だがしかし、次の瞬間、鋭い顔つきに変わる。 「だから、今の内にこちらも動かねばなりません」 『・・・・本当にやるのか?』 「当然です。あの子はここで腐らせるには惜しい」 『・・・・それは認める。だが、やりかたというものが・・・・うん』 モゴモゴとはっきりしない。だが、言いたいことははっきり伝わった。 「男は叩いて育てる。これが我が家の伝統でしょう?」 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』 電話の向こうで震えているであろう姿を想像し、ニヤリと笑みを浮かべる。 それから、ゆっくりと息を吐き出し、吐息の中で呟いた。 「この娘のこともありますし、ね」 老婆は己の膝に小さな頭を預ける少女を見下ろしていた。そして、その夕陽に輝く髪を梳く。 『・・・・分かった。もう何も言うまい』 「ええ、あなたは安心して態勢を整えなさい」 老婆がそう言った時、車が停止した。 場所はとある児童公園の脇だ。 「鰈(ガレイ)」 携帯電話を袂にしまいながら虚空へと呼びかける。 運転手は返事をしないので、独り言のように思われた。しかし、聞こえるはずもないのに、応えるように車の外に人影が立った。 それに視線も向けずに先程と同じ大きさの声を放つ。 「瀞という娘は気配に敏感だそうです。事前に気取られぬよう」 「御意」 くぐもった声を残し、車外の人影が現れた時と同じように消えた。 「さて・・・・」 老婆は背もたれに背を預け、目を閉じる。 「"東洋の慧眼"、その眼力、見せてもらいましょうか」 その口から溢れた異名に、膝の上の少女が身じろぎした。 「―――はい」 「ん」 一哉は瀞から缶コーヒーを受け取り、プルタブに指をかけた。 隣では瀞が缶紅茶に悪戦苦闘している。 「うー」 カチカチと爪が音を立て、支える手は熱そうに缶を持っていた。 「開いた開いた」 コクコクと幸せそうに紅茶を流し込み、一息つく。 (見ていて、飽きないな・・・・) 瀞を見ながらぽけっとする。 「一哉? 飲まないの?」 小首を傾げ、こちらを不思議そうに見上げてくる視線。 さらっと髪が流れ、瀞の飲む紅茶を急襲した。 「うわたたたっ」 髪の毛が汚れないように慌てて払う。 「何やってるんだよ」 「うぅ・・・・」 恥ずかしそうに頬を染めた瀞はそっぽ向き、ポツリと呟いた。 「覚えてる?」 「あ?」 ざあっと風が吹く。 今度は慌てることなく、瀞は髪を手で押さえた。 「ここ。この公園のこと」 「ここが・・・・?」 一哉はベンチからぐるりと周囲を見回す。 それだけで全体が見えてしまう、住宅街にある小さな公園だった。 車が止まっており、運転手が出ていった道が通学路なので、記憶にあるけれども、瀞の意図が分からない。 「もう、ここは私たちが初めて会った公園だよ」 「・・・・ぁあ」 思い出した。 「あの時、疲れて座ってた私に一哉はこの紅茶をくれたんだよね」 手の中の缶を示し、はにかむ。 そう言えば、そうだったかもしれない。 「と言っても、あれはオマケだしなぁ」 「い・い・の。私はすっごく助かったんだから」 そう言って紅茶を口に含んだ。 「うん・・・・そう、助かってるんだよ」 深く落ち着いた、しかし、それ故に陰のある声音。 風が止み、長い黒髪は乱れなく、瀞の背へと戻る。 「一哉」 「うん?」 「私、やっぱり忌み子なのかな?」 缶を両手で持ち、視線は地面に固定したまま瀞は続けた。 「今回も私のせいでいっぱい人が死んじゃった・・・・」 「別にお前のせいってわけじゃ―――」 「ないよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 言葉を冷静に遮られ、一哉は黙り込む。 「うん、そこまで己惚れてない。あの戦いはある意味必然だったの。・・・・でも、一哉たちが参戦した理由は紛れもなく私が原因。私もまた、第二次鴫島事変を引き起こした張本人なんだよ」 それは事実だ。 瀞が拉致されなければ、一哉はあの場になく、一哉が引き連れた様々な要因は起こりえなかった。 (でもな・・・・) 中継基地を壊滅させ、強襲部隊の前に夜襲を敢行したのは他ならぬ一哉だ。そして、それを手引きしたのは鎮守杪であり、要求したのは【叢瀬】である。 一哉が来た理由に瀞があったとしても、引き起こしたことにまで責任はない。 (でも・・・・それも分かってるんだろうな・・・・) 瀞は賢しい娘である。 そんなことは分かっているだろう。 瀞にとって、あれほどの戦いの中枢近くに"関わっていた"こと自体が問題なのだ。 (性格だな、うん) 幼い頃から身内の不幸を立て続けに体験してきたことがそれを作り出したのだろう。 「ごめんね」 だから、瀞は謝る。 「ホントなら、こんなに長い間入院することも・・・・」 ぎゅっと缶を握り締めた。 「緋が・・・・消えることもなかったんだよっ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 一哉は何も言うことができない。 1ヶ月、お互いの間に暗黙の了解とばかりに避けていた話題だった。 思えば、裏世界についてのことも、ふたりは随分知りつつも放置していたという過去がある。 ふたりの間に流れるぬるま湯のような関係が心地よく、決定的に何かが変化することを嫌うかのように、一哉と瀞は表面上を振る舞ってきた。 「ねえ、緋はやっぱり消えちゃったの?」 縋るような眼差しと、震える手。 左手が一哉の服を掴む。 目尻には涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうだった。 答えは分かっているが、どうしても一哉の口から聞きたい。 そんな想いに溢れていた。 「ねえ、どうなの?」 この問題は一哉もずっと考えていたことだ。 だから、正直に答えることにした。 「―――分からん」 「・・・・え?」 「分からないんだよ、俺にも」 ポカンと口を開け、信じられないように目も見開いている。 そんな瀞から視線を放し、空を見上げた。 瀞の追求するような視線を感じつつ、言葉を選びながら言葉にする。 「緋が俺の元に来てから、どこに旅に出ようとも俺はあいつの存在を感じていた」 そう、近くにいればだいたいの場所が、遠くにいようとも「存在」していることは分かった。 「それが・・・・今は何というか・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞は一哉の言葉を待つ。 「遠い」 「・・・・とお、い?」 「ああ。いる・・・・んだと思う。だが、それは前みたいなはっきりしたものじゃない」 漠然とした感覚。 それが強くなったとでも言うのだろうか。 この状態ならば、例え近くにいたとしても五感が捉えぬ限り知覚できぬに違いない。 「じゃあ、緋は無事なんだ・・・・」 「以前通り、と言うわけではないが、少なくとも失われてはいない。・・・・守護霊とかになってなければ」 「・・・・最後のは、意地でもなりそうで怖いなぁ〜」 大きなため息をつく瀞。 「安心したか?」 「・・・・うん、ちょっとね」 胸の支えが取れたのか、目を閉じて本当に安堵した表情を見せる。そして、そのまま体を傾け、己の頭を一哉の肩に乗せた。 「お、おい」 ふわりと香る髪の香りと温かさに鼓動が跳ねる。 「よかったぁ」 全身を弛緩させ、体重を預けてくる瀞は一哉の動揺に気付かなかった。 ただただ、緋の無事を喜んでいる。 「今の姿を見たら、緋も同じことを言うだろうよ」 「?」 「あいつは・・・・あいつはずっと、瀞が攫われたことに責任を感じていたからな」 攫われたことに気が付かされた時、緋が誰と何があったのかは知らない。しかし、その出来事はおそらく、緋が一哉なしに生きてきた12年間に関係しているだろう。 (みんな、いろんな過去があるな・・・・) 一哉は裏と表の境界付近で育ち、戦闘が日常だった。 瀞は一族の怨みと己の悔恨に苛まれ続けてきた。 緋は一哉を探し回り、主とは別の何かと過ごしてきた。 (変な組み合わせだなぁ・・・・) 「ていっ」 瀞が掛け声と共に飲み終えた缶を投擲する。だが、腕の力だけで投げられたそれはゴミ箱には届かず、2、3メートル手前に落下した。 「ありゃりゃ」 パタパタと駆けていき、今度はちゃんとゴミ箱に入れる。 「やれやれ」 お気に入りの真っ白いコートと自慢の黒髪に飾られた少女は、とても凄惨な過去を乗り越えてきた娘には見えなかった。 「う、わっ」 投げられた缶の復讐か、ものすごい突風が瀞を襲う。 寒がりのくせに晒された生足を容赦なく打ち据え、黒髪を弄ぶ。 「ぷっ」 「あ、ひどいっ」 一瞬でボサボサになった瀞は頬を膨らませた。 「ほれ」 「ふぇ?」 文句を言うために戻ってきた瀞の眼前に、文庫本くらいの木箱を突き出す。 瀞は突然目の前に出されたそれを仰け反るように見た。 「何、これ?」 「今日、お前の誕生日だろ」 「・・・・ッ」 驚きに息を詰め、目を見張る瀞から視線を逸らす。 「あ、開けていいかな?」 「・・・・ああ」 ごそごそと木箱の中を漁る音がした。 「あ・・・・」 瀞が箱から取り出したのはひとつの髪飾り。 どこか民族風が漂う木の作り。 金属光沢こそないが、それ故に温かみのある一品である。 「バレッタ・・・・」 「そう。これなら簡単にまとめられるし、跡も付きにくいんだろ? だったら作業時にでも付ければいいだろ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 一気にまくし立てた言上を聞いているのかいないのか、瀞はじっと掌のバレッタに視線を下ろしていた。 「ちょっと持って」 瀞は一哉に木箱を押し付けると、両手を頭の後ろへと回す。 「こう、かな・・・・?」 風が吹き、瀞の髪を弄ぶが、これまでのように乱れることなく、素直に背中に集まった。 バレッタの効果は確かにあり、瀞が微笑んでみせる。 「あー・・・・」 ポリポリと頬を掻き、一哉は視線を逸らした。 まともに瀞の顔を見るのは恥ずかしすぎる。 「ん?」 そこで見つけた。―――公園の遊具にもたれ、笑みを持ってこちらを見つめている、長髪の女性を。 「―――くす、青春ね」 女性は艶然と微笑み、予備動作なしで何かを放つ。 完璧な不意打ち。 だが、一瞬だけ放たれた殺気に反応した一哉は瀞を突き飛ばした反動で回避した。 「棒手裏剣っ!?」 瀞が驚愕と共に結界を展開し、一哉が一歩踏み込んで炎弾を叩き込む。 轟音と共に遊具が吹き飛んだ。 (チッ、逃がしたか・・・・っ) 「一哉っ」 今度は瀞が水術を起動し、横合いから迫り来た数本のナイフを絡め取る。 「その思い切りの良さ、実に結構」 その投擲点にいたのは中年の男だった。 「な・・・・ッ」 「いっけぇっ」 驚く一哉を尻目に瀞は出現させた水を氷の槍へと換えて撃ち放つ。しかし、それも虚しく空を切った。 「まだまだ荒削りだね」 怒濤を躱しきった"少年"は帽子の下でニヤリと笑う。そして、その頭上に炎の弾が生じた。 「え!?」 「退けっ」 放たれた特大の火球を瀞が迎撃する前に一哉が前に出る。 「はぁっ」 しっかりと彼我の熱量を計算し、相殺できるだけの威力を放った。 覚醒から9ヶ月、だいぶ扱いに慣れてきている。 「なっ」 だが、相手の方が一枚上手だった。 着弾の瞬間、火球は真っ二つに分かれ、その間を一哉の炎弾が通過する。そして、分かれたふたつの火球は弧を描きながら一哉に着弾した。 「大丈夫!?」 轟音と共に吹き飛ばされた一哉を水で受け止めた瀞は走り寄ってくる。 「つぁ〜・・・・効いた」 左右に首を振ってダメージを流しながら一哉は敵を見遣った。 今の形態は最初に現れた時と同じで、その四肢には身体能力強化と思われる呪符が貼り付けてある。 「さあ、休んでる暇はあるのかしらっ」 まるで霊魂のように周囲を漂っていた火球が次々と攻勢に出た。 「瀞、頼むっ」 「うんっ」 同じだけの水球を生み出した瀞は次々と絡め取るようにして火球を迎撃していく。そして、その隙間を縫うように一哉は疾走した。 その手には打刀・<颯武>が握られている。 「・・・・ッ」 女性は白兵戦に備え、数々の兵装を取り出したが、それが一哉の狙い。 「はぁっ」 「―――っ!?」 組み上げた術式――"燬熾灼凰"を顕現し、すぐにそれを飛翔させた。 タイミングをずらし、距離も近い。 <ケーッ!!!> 炎と水が鬩ぎ合う中、火の鳥は咆哮しながら爆音を轟かせ、動きの固まった女を目指し―――通過した。 「え!?」 驚愕の声は瀞だけだ。 一哉は冷静に、火の鳥が目指す公園脇に止まる車を見ていた。 ―――ドゥッ!!! 着弾と同時に爆音が周囲を叩き、炎がアスファルトを融かす。 公園と道を仕切っていた植木は焼滅し、車へと続くぽっかりとした空間を縁取っていた。 「チッ」 舌打ちし、不用意に近付いた距離を大きく開ける。そして、臨戦態勢で炎の向こうから姿を現した無傷の車を凝視した。 「―――ふむ、なるほど」 ドアが開き、そこから老婆が出てくる。 彼女は腕の一振りで燻っていた<火>を鎮め、支配下に置いた。 「どうして、私がここから炎を操っていると?」 着物姿の彼女は威厳に満ちた口調でそう話しかけてくる。 「簡単だ。精霊術師は呪符による身体能力向上は行わない」 「あ・・・・」 今気付いたとばかりに呟く瀞は無視。 「それに何となく違和感を感じたんだよ。・・・・今思えば、そいつに"気"はない」 「お見事」 老婆の側に寄った襲撃者は黒装束の姿でくぐもった声を発した。 「ふむ、それが分かったと悟らせず、奇襲に使うとは・・・・"東洋の慧眼"の名は伊達ではないですね」 そんな異名を持つ一哉を前にして、老婆は朗らかに笑う。 「で? お前は誰だ?」 と訊きつつも、一哉は相手が所属する組織に見当を付けていた。 一哉の術式を"燃やし尽くす"などと言うことができる者は彼の家の者に違いない。 「ええ、お察しの通り、熾条宗家の者です」 それを聞き、瀞が臨戦態勢を解いた。だが、一哉は未だ鋭い視線を注いでいる。 「畏れ多くも永遠に消えない炎の名を頂いていますよ」 「それって―――っ!?」 解いた途端に驚愕に身を強張らせる瀞に微笑みかけてから、老婆は手を前で組んで深々とお辞儀した。 「―――いちやぁっ!!!!!!!!!!!!!!」 「ぅおわぁっ!?!?!?」 その背を跳び越え、弾丸のように飛翔してきた物体に一哉は吹き飛ばされる。 「熾条宗家前宗主――"悠久の灯"・熾条緝音(ツグネ)と申します」 老婆――緝音は幼女に押し倒されて悶絶している一哉を見下ろして微笑んだ。 「一哉、おばあちゃんですよ」 |