第十三章「第二次鴫島事変〜後編〜」/



「―――ククク」

 いくつもの爆発が水中で起き、プールの水面はまるで沸騰した湯のような有様となった。
 その威力は先程一哉が行おうとしたプールの底を破壊するという目的に充分すぎる。
 陥没して亀裂を走らせた底は続々と内に蓄えた水を一哉の狙い通りに放流し始めていた。

「カカカッ」

 だがそれでも、その目的を為そうとした一哉は爆発で吹き飛んだに違いない。
 爆雷は身動きの取れない一哉を挟み、もしくは抑えつける形で爆発した。
 それは一哉が≪クルキュプア≫戦で見せた爆発力による挟撃に他ならない。

「ハァハハッ!!! つイニ殺ったぞ」

 "男爵"は仮面の向こうで哄笑する。
 ついに宿敵である"東洋の慧眼"・熾条一哉を葬ったのだ。

「いや、貴様の存在は無駄ではナカったっ」

 ≪クルキュプア≫自体の底上げやヘレネの開発、新鋭≪カルテット≫の誕生など、一哉がいたからこそ成し遂げられた叡智は多い。
 不満と言えば、満足に≪カルテット≫の性能を試す機会がなかったことだろう。

「ふん、まあイイわ。聞けば貴様ガ助けようとシタ娘がイルという。そ奴モすぐに送ってやるワ」

 "男爵"はヘレネが娘――瀞と戦っている事実を知っていた。しかし、今の発言はそのことを忘れているように思える。

(・・・・ん?)

 "男爵"は笑いながらも水中に発生した奇妙な光に気付いていた。

(あれは・・・・なんだ・・・・?)

 歴戦の兵に相応しい観察眼がその光に注がれるも、その注意力は残念ながら低い。

「ククク、クカカカ・・・・ッ」

 笑いが止まらない。
 展開した≪カルテット≫はその能面のような表情のまま、各々の武器を構えたまま静止していた。
 主の意向を読み取り、独自で動いた≪クルキュプア≫とは違い、融通の気かなさがよく分かる。

(おかシい・・・・)

 自らの異変を訝しむ間も、その光は止まらない。
 亀裂に流れ込む水流は渦となり、その流速はかなりのものになっているというのに光の位置は変わらなかった。
 やがてその水位がなくなる。

「ム? ム!?」

 そこには意外な姿があった。

「何を驚いてるんだ、"男爵"」

 底に刀を突き刺し、鋭い視線と共に嗤う。
 全身ずぶ濡れながらも、爆雷の効果など一切認められぬその立ち姿。
 さらに発光する刀は幻想的であり、一哉自身の荒ぶる【力】を包み込むように厳然とそこにある圧倒的な【力】は、用意ならざる圧力を感じた。

「オノレ、"東洋の慧眼"、生キテオッタカ」

 仮面からくぐもった声が聞こえる。だが、それは最初よりも片言に近くなっている。
 以前はもっと流暢に話していたのだが、頭に血が上って母国語の発音が混じり出したのだろうか。

(おかしい。これは儂の声では―――)
『―――黙レ』
(―――っ!?)

 脳髄の中で響き渡ったその声に手足の感触が徐々に遠退いていく。

『コウナレバ、貴様ハ邪魔ダ。眠リニツクガイイ』
(な、に・・・・貴様は・・・・ッ)
『我ハ、皇帝陛下ノ命ヲ受ケ、貴様ノ全権ヲ負ウ』
(へ、陛下―――)

 笑顔で手を振る主人。
 無邪気は時として残酷。
 老臣――"男爵"・マディウスは怨嗟の言葉も発せぬまま、闇へと落ちた。






熾条一哉side

「さあ、再開だ、"男爵"」

 全ての水が流れ出し、ぽっかりと大きな空間となったプールの底で一哉が嗤った。そして、突き刺していた<颯武>を引き抜く。
 噴火活動を始めた鴫島の影響か、一哉の周りには常時よりも<火>が多く集っていた。

「こっちも長くは付き合ってられないだろうから、早く終わらせよう」

 柄頭を右腰に付ける体勢で視線を走らせた。
 展開する≪カルテット≫は人形らしく身動きしない。

「このくたばりぞこないめガッ」

 "男爵"の仮面が強力な魔力を展開する。

―――♪♪

 その瞬間、≪カルテット≫たちが持つ楽器が独りでに旋律を紡ぎ始めた。
 まるでテープレコーダでも内蔵しているようだ。

Animato(アニマート)』

 人形たちが一斉に武器である楽器を構え、戦闘態勢を示す。そして、それを契機に曲調が変化した。

Presto(プレスト)』
「―――っ!?」

 チェロを持ったPesanteが突撃を開始し、同時にヴァイオリンのEnergicoFeroceが飛び上がる。

(どっちを―――っ!?)

 ゾワリと殺気が身を打ち据えた。

(どこ・・・・っ)

 接近する敵から一時的に目を離す。そして、一哉はただひとり、動かずにいたGraziosoと目があった。
 Graziosoは緩やかに右手を掲げている。
 表情が動くわけがないのに、一哉にはGraziosoが笑ったように感じた。
 咄嗟に火の壁を展開し、一哉は横っ飛びする。

「・・・・ッ!?」

 受け身を取ったが、衝撃は確実に体に響いた。
 思わず片目を閉じながら振り返った一哉が見た光景は壁を貫通する弦。
 さらにチェロを振り回すPesante、飛び込んできたEnergicoFeroceたちである。
 一哉の炎術は全く≪カルテット≫に通用していないことを示す光景だった。

(新兵器なだけあって、≪クルキュプア≫よりも耐火性は上かッ)

 Energicoが放った軽機関銃の弾を炎の帯で焼き尽くす。そして、その間に迫っていたFeroceのヴァイオリンを迎撃した。
 ネックを持って振り上げるなど、音楽関係者が卒倒しそうな乱暴な扱いで叩きつけられたヴァイオリンは<颯武>の刃に当たろうとも砕けない。

「らぁっ」

 宙に浮いて無防備なFeroceを力の限り斬り飛ばした。
 本体は軽いので結構なスピードで飛翔するFeroceを炎弾で追撃しようと"気"を練り上げる。

「―――っ!?」

 頭上よりわずかな音を捉え、<颯武>を掲げると共に用意した炎弾を打ち上げた。
 着弾の爆音が聞こえるが、仰ぎ見た視界には振り下ろされるチェロがある。

「・・・・ッ」

 ミシミシィ、と全身の骨が軋みを上げるが、何とか支えきった。
 もちろん、<颯武>にも刃こぼれはないが、衝撃は凄まじい。
 轟音とともに押し込まれる圧力に一哉の足が滑る。だが、やはり魔力か何かで強化していたのか、打撃力を放出した後は楽器の重みしかない。
 そうならばFeroceにしようとした攻撃をそっくりそのままこのPesanteに当てはめればいい。

Capriccioso(カプリチョーソ)』

 と思ったら、いきなり首が落ちた。
 テンテンとプールの底を転がったそれは、無機質な瞳で一哉を見つめる。

「いや、これな―――ぅうお!?」

 本体に視線を戻せば、首からアームに支えられた巨大なハサミが突き出ていた。そして、それはシャキンと試し切り。

「ヤバッ」

 慌てて頭上を守るために<颯武>を掲げ―――

「―――カハ・・・・ッ」

 Pesanteの腹から出てきた木槌が一哉を打ち、数メートルほど吹き飛ばす。
 そこにEnergicoFeroceが頭上から強襲してきた。
 両者はヴァイオリンを背負い、その手先はドリルへと変形している。

「くっ」

 耳障りな金属音を発しながら突き出される鋒を刀で逸らしつつ、足下から炎を噴き出した。そして、それを爆発させることによって大きく押し返す。

『Perdendosi(ペルデンドシ)』

(こいつら・・・・)

 僅かな攻防で一哉は≪カルテット≫の本質を垣間見た。
 要するに、彼女たちは殺戮機構を埋め込んだ戦闘人形なのだ。

「厄介だな・・・・」

 一哉はあまり白兵戦が得意ではない。
 もちろん、常人よりは速度・威力共に優れている。
 "気"の運用方法についても一般術者よりは得手だろう。だが、やはり白兵戦の実戦経験が少なく、知識を生かし切れていない気があるのだ。

(委員長なら、同レベルで戦うんだろうな・・・・)

 後方で静止していたGraziosoの口から飛び出したロケット弾を半ばで撃墜し、振り回されたチェロから飛び出した爆弾を逆に爆発させる。
 突撃してきたEnergicoとFeroceに身構えるも寸前で両者は互いを蹴って左右に展開。
 後方からチェロのヘッドを突き出して照準を定めていたPesanteが轟音と共に砲弾を撃ち出した。

「大筒かっ」

 初速は大砲に比べると遅いが、それが見事なフェイントとなる。
 それを撃墜しようと行動を起こせば、左右に展開したヴァイオリンふたつが猛攻に出ることは分かっていた。

(ならば・・・・ッ)

 
一哉は"気"を利用した急加速で左へと飛ぶ。
 そこには突撃のタイミングを窺っていたEnergicoがいた。
 一哉がいた場所を弾が通過するまで片割れのFeroceは攻撃できない。
 狙うは各個撃破。

「せっ」

 あらぬ方向で爆発を起こし、牽制を入れた一哉は大上段からEnergicoに攻撃を繰り出した。
 それを平然とヴァイオリンで受けたEnergicoは口を開ける。

「・・・・ッ」

 口の中に火炎放射器でも仕込んでいたらしく、飛び出たのは炎。
 襲いかかる高温に怯むことなく、一哉は全身全霊でもう一撃、斬撃を見舞った。
 耐火性があるならば、それを超える出力で焼き尽くせばいいのだが、それを実行するには溜が必要である。更に言ってしまえば、許してもらえるわけはない。だから、炎術ではなく、斬撃で勝負に出たのだ。
 <颯武>は名刀であるし、切れ味も絶品に違いないと繰り出したのだが、予想は見事に裏切られた。

「なッ」

 鋼糸鉄線で作られているのか、火花を散らしながら刃をいなす弦。
 ヴァイオリンとして最悪な音色を奏でつつ、見事に耐え切る。そして、Energicoは再び口を開けた。

「痛ッ」

 飛び出た刃は辛うじて躱した一哉の首を切り裂く。
 深くはないが、決して浅くもない傷が新たに刻まれ、一哉は血を流した。
 もう、いくつ目になるか分からない傷が服に新たな紋様を描き出す。

「こ、の・・・・ッ」

 振り切った刀をすぐさま斬り返した。
 刀の軌道はEnergicoの首を断つコース。

『Prestissimo(プレスティッシモ)』
「あ・・・・」

 必中と見えた斬撃は虚しく空を切る。
 一哉が刀を引き戻した時、Energicoは十メートル近く離れていた。

(急機動の前にあった、あの声・・・・)

「―――っと」

 後ろからの攻撃を躱す。
 Feroceが拳を飛ばしてきたのだ。

「・・・・チッ」

 ヴァイオリンの2体はお互いを蹴り飛ばしたり、壁を蹴り飛ばしたりして急機動にて一哉の周りを旋回している。

『Con fuoco(コン・フオーコ)』

(これだ・・・・ッ)

 一哉は爆発音と共に飛翔してきたPesanteを迎撃するために四肢に力を入れた。
 所詮、一哉には杪や鈴音が得意とする機動戦はできない。
 地に足を付けた堅実な戦法こそが、時任蔡に教わった接近戦闘だった。

「・・・・ッ」

 叩きつけられたチェコは木でできているとは思えぬ重量を発揮して<颯武>と衝突する。
 Pesanteは≪カルテット≫の中でも最も大型だが、1.2メートルくらいしかない。だが、その大上段から繰り出される打撃力は最適な位置で<颯武>とぶつかったのだ。
 その破壊力はコンクリートですら粉砕する。

「なっ!?」

 耐え切ったと思った瞬間、すでにPesanteはチェロを振り上げていた。

(まさか―――)

―――ガンガンガンガンガンッッッ!!!!!

 火花が両者を照らし出す。
 繰り出される乱打の嵐に一哉は軌道を察知して<颯武>を用意するしか打つ手がない。
 ヴァイオリンと違って、一撃一撃が重いので、炎術を起動する時間がなかった。
 いや、本当ならば、精霊術とは思うだけで発動するのだが、やはり幼少期に離れていたせいで感覚で理解する部分がまだまだ未熟だったのだ。

『Stringendo(ストリンジェンド)』
「ガッ」

 更に速く、そして、強くなった。
 支える腕はとうに痺れ、柄を握っている指に限っては感覚はない。

「くぅ・・・・」

 ここで挫ければ、瞬く間に一哉は叩き潰されるだろう。しかし、乱打は巧妙に脱出を阻むだけでなく、無理な動きをするであろう一哉をハイエナの如くヴァイオリンたちが待ち構えている。

(ん? もう1体・・・・)

 確かもう1体、白を基調として所々に黒が交ざる衣装を着た人形がいたはずだ。しかし、気配を探った限りではいない。

『Grave(グラーヴェ)』
「―――っ!?」

 一瞬だけ索敵で気を抜いた一哉を襲う重圧。
 それは今までの比ではない。
 アスファルトですら陥没させそうなその一撃は隙を衝かれた一哉を押し潰した。

「ぐ、ぁ・・・・ッ」

 両腕の感覚がなくなり、手から<颯武>がこぼれ落ちる。

(マズ―――)

 <颯武>がカシャンと音を立てて落下した。そして、それを武器殺しのつもりか、Pesanteが踏み締めてチェロを振りかぶる。さらに様子を見計らっていたEnergicoとFeroceが飛び掛かってきた。

「くっ」

 "気"を練り上げ、
<火>をありったけ掻き集める。
 結果はどうあれ、猛攻から一時的に解放され、今は
<火>の数が普通よりも桁違いに多い。
 瞬く間に普段の数倍の数が集ったが、とても術に構成して顕現している時間がなかった。

(くそっ)

 目の前にはチェロを振り上げるPesanteが迫ってくる。
 後方が空いているには空いているが、飛び退くには一哉の体勢は乱れきっていた。そして、肉弾戦を挑むには一哉の体は傷を負いすぎている。

(せめて・・・・手元に<颯武>があればな・・・・)

 観念した一哉の頭上より唸りを上げ、チェロが振り下ろされる。
 その瞬間―――

「・・・・お?」


―――蒼い影がPesanteに体当たりした。


「お、お?」

 完璧な横撃にPesanteは耐えることができずに押し倒される。そして、影はその首元に食いつき、激しく揺さ振った。

「お、狼だと・・・・?」

(いや、違う。これは・・・・)

 首から綿を出し、首がもぎ取られる。しかし、Pesanteは全く動じることなく、胴回りから機械鋸を出して狼の腹を裂いた。
 その一撃に耐えられずに狼は水へと還る。
 その間に一哉は窮地を脱していた。

(瀞・・・・)

 素早く視線を四方に走らせる。
 あの狼は瀞の術式――
"蒼徽狼麗"に違いない。

「いない・・・・」

 見渡す限りでは瀞の姿はなかった。だが、ここまで
"蒼徽狼麗"が届いたと言うことは、瀞はこの辺りにおり、尚も健在であると言うこと。更に言えば、術式を使える状態にあると言うことになる。
 つまりはヘレネと戦っても生存していると言うことに他ならない。

(無事なんだな、瀞・・・・)

 だというならば、救援に来た方がくたばるわけにはいかない。


 思えば、渡辺瀞とは熾条一哉にとって不思議な少女である。
 6月のあの日、梅雨入りの数日前。
 一哉と瀞はマンション近くの小さな公園で出会った。
 一哉は担任との死闘から生還し、瀞は実家の追手から逃れていた。

 何の偶然か、自販機で当たりが出た紅茶が手にあった。
 何の気まぐれか、一哉は見知らぬ少女に声をかけた。
 何の悪戯か、瀞はそれから一哉の家で暮らすようになった。

 一哉は海外でのゲリラ生活から送れなかった日常を謳歌する。
 朝一緒に登校し、一緒に授業を受け、仲の良い友人と会話し、放課後共に買い物をし、一緒に食卓を囲む。
 一人でいることが多く、ひとりに慣れていた一哉に訪れた日常。
 それは尊くも儚く、また、偽りに満ちたものだった。
 一哉は
"東洋の慧眼"として多くの人命を奪った過去は消えない。
 この穏やかな生活は自分には相応しくはないと思いつつも、抜け出すことは考えられない心地よいものだった。
 だが、その生活も瀞の追手が一哉を襲うことによって変化する。そして、瀞は実家へと帰るも、一哉は明らかに望んだ結果ではないであろう決断に納得せず、渡辺宗家へと討ち入る。そして、そこで瀞がもう大丈夫と見届けて音川に帰還したのだ。
 そこ
に"男爵"という中東で干戈交えた敵がやってきた。
 その戦いに巻き込まれ、人がたくさん死ぬ現場を目撃したというのに、瀞は一哉の元にいた。
 自分自身には戦う理由がないというのに、「一哉の敵と戦うよ」と言った。
 その時、自分は何と答えたのだろうか。

「よろしくな、相棒さん」

 と、確かにそう答えたはずだ。
 数年に及ぶ戦歴の中でも一哉と対等の立場で共闘した人物などいない。
 だというのにあっという間に一哉は瀞を受け入れた。
 それはあたかも瀞自身が隙間に流れ込む水であるかのような自然さで行われたのだ。


「ふぅ・・・・」

 大きく息を吐き、いろいろ貯め込んでいたものを吐き出した。そして、拾い上げた<颯武>の感触を確かめる。
 人形たちは突然の横槍に、周囲を警戒するためか一度距離を取っていた。
 一哉はその間に、全てを切り替える。

(瀞は俺の気付薬か何かか?)

 一哉は自分で考えたことだというのに苦笑を漏らした。そして、狼が作った水溜まりを見遣る。
 荒んでいた、曇っていた智恵の鏡が晴れ渡っていた。
 それは師匠の墓前で泣いた時と同じである。

(ま、似たようなものか)

 遭遇戦にてなし崩しに乱戦となり、落ち着く暇がなかった。
 決戦を決意したが、それはただの決意。
 戦術も何もない。
 ただの力攻めしか考えていなかった。

(これは俺の戦い方ではない)

 熾条一哉は、中
東にて"東洋の慧眼"と正規軍を震撼させた戦略家は、ただひたすら敵の裏を掻き続けた。
 戦略とは戦場に彼我の戦力を展開させるまでだという。
 戦略家とはそれまでに勝敗を決しておくものである。しかし、一哉はそれを戦場に持ち込んだ。
 戦略において最も必要な敵作戦の看破は成し遂げているくせに、その対応は戦場でするという非常識なものだったのだ。だが、それは応用が利く。
 例え、遭遇戦で敵の戦略が事前に察知できていない状態であろうとも、戦場での敵の動きからある程度推察できる目を養えた。
 それは、現場の指揮官に最も大切な、臨機応変の対応力を養ったに等しい。

「さて・・・・」

 魔術師が魔術を使うために呪文を唱えるように、陰陽師が術を使うのに印を組むように、一哉はゆっくりと呟いた。
 それは意識の切り替えを促す。
 大晦日から続く激動の日々で傷ついた体が蓄積させたあらゆる感情をとりあえず抑え込んだ。
 発散するのではなく、内に蔵したのだ。

(思えば、初めてだな)

 覚醒以来、無意識に使っていた炎術。
 それを見つめ直すのは初めてだ。
 一哉は戦略家である。しかし、同時に炎術最強熾条宗家の当代直系長子としての能力が今はある。
 だから、一哉は全ての情報を握るため、己の内を探り始めた。

「ふぅ・・・・ふぅ・・・・」

 目を閉じて呼吸を調える一哉の傍には先程集めた
<火>の他に、激情に反応してきた<火>に溢れている。
 顕現もしていないというのに、あまりの密度にそれらはキラキラと光り出していた。
 その圧倒的な【力】の前に、"男爵"以下、≪カルテット≫も手出しできない。

「すぅ・・・・はぁ・・・・」

 そして―――

「ム!?」

 
<火>は徐々にその輝きを失っていった。そして、音もなく、闇にそれらは燃え広がっていく。

「やはり、貴様ガ・・・・ッ」
「・・・・ふん」

 一哉は目を開け
、"男爵"が驚愕している光景を目に収めた。

 蒼い燎原。

 一言で表せばそれで終わる、異常。
 それを前にしても、一哉はニヤリと不敵に嗤ってみせる。

「面白いことになってるな」

 呼応するように<颯武>は発光し
、"蒼い炎"が燃え上がった。






目覚めし少女side

「―――ッ」

 海底で一人の少女が弾けるように身を起こした。

(はっ・・・・はぁっ・・・・)

 きゅっと胸の前で小さな拳を握り締める。

(はぁっ・・・・ふぅ・・・・)

 大きく息をつき、辺りに視線を巡らせた。
 膨張した海底には亀裂がいくつも生じ、その隙間からは水泡が立ち上っている。
 他の海域の平均水温よりも明らかに高い。
 移動できる動物は姿を消し、植物たちは上昇する温度と硫黄濃度に翻弄されていた。
 人間ならば死に至るであろう環境にありながら、少女はキラキラした瞳を海面へと向ける。

(いちや・・・・)

 さっき、確かに感じた。
 少女――緋の主である熾条一哉の【力】を感じたのだ。

(ふふ・・・・)

 それが嬉しくて堪らない。

(あはは・・・・)

 もう、【力】が回復していないなんて関係ない。

(あかねはいちやの傍にいる)

―――それが、守護獣というものなのだから。

(待ってて、いち―――)

 ボコリと背中が触れる地中で何かが動いた。
 はるか地下からやってきたそれは自らの出口を探し、己が持つエネルギーを放出し続ける。そして、それはひとつの出口へと達したのだ。
 爆発。
 そのエネルギーは海面まで達し、数十メートルにも及ぶ水柱を起立させた。










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