第十三章「第二次鴫島事変〜後編〜」/



 1月28日午前9時34分現在、鴫島諸島における戦闘は佳境に入っていた。
 制空権は結城晴輝率いる結城宗家が完全に掌握し、強襲揚陸艦隊や未だ収容されていない第二歩兵中隊、さらに【叢瀬】が乗る連絡船上空に待機している。
 さらに結城晴也による広域索敵も同時に行われており、レーダーでは捉えられない空間事象を警戒していた。
 強襲途中に太平洋艦隊と揚陸部隊を横撃した上級妖魔は空間転移によって送り込まれたのだ。
 晴輝が神忌を破った瞬間、晴也と戦っていた霊落獣、綾香と戦っていた禍飢、瑞樹・雪奈と戦っていた昏流は相次いで転移して撤退した。
 撃破したわけではないので再び現れないかを索敵能力トップの晴也が見回っている状態だ。また、もし敵が来た場合、実際に迎撃するのも彼や同じ風術師の面々である。
 強襲揚陸部隊は地上施設を占領したものの被害は甚大であり、雷術師や炎術師では戦場に到達するまでに時間がかかる。

「―――ま、それ以外の理由だけどな・・・・」

 上空で旋回する晴也は眼下に広がる諸島の一部――火口を見遣った。
 高度一〇〇〇メートル付近からでもはっきり分かるふたつの火口。
 それは鴫島と加賀智島のものだ。
 晴也は上空にいるので感じることはできないが、旗艦である『紗雲』の計器はわずかな震動を記録していることだろう。
 計器を震わす原因は火山の下でマグマの移動に伴う震動――群発地震だった。
 これが示す意味はただひとつ。
 鴫島諸島の火山たちが目覚め、噴火しようと活発化しているのだ。

「大丈夫なんだろうな、一哉」

 未だ一哉や瀞の気配を捉えていない。
 この辺りを全て抑えた晴也ですら知覚できないと言うことは、加賀智島内部の研究所に留まっていると言うことだ。
 研究所内はおそらく、上昇するマグマの熱量とそれに伴う震動によっていろいろがたが来ていることだろう。

(お前は耐えられても・・・・渡辺さんは無理だろ・・・・)

 晴也が上空待機しているのは、いつでも一哉たちを救出できるようというのもあった。

「ん?」

 索敵範囲内を急速に侵していくものがある。

「っておいおい・・・・」

 振り返った晴也が見たものは―――

「マジか。・・・・初めて見たぜ・・・・」

 盛大に噴煙を上げる鴫島の火山だった。






対ヘレネ戦scene

(―――これでいい)

 後ろで瀞が不承不承ながらも手当に動いたことが分かった。
 瀞は自分では気付いていないだろうが、かなりの間戦っていたに違いない。
 一騎打ちという極限状態を数十分続けた瀞の集中力は限界だったろう。そして、一騎打ちにおいて体力などない自動人形を相手にすることは不利にも程があった。

―――ドンッ

 砂塵の中から槍が飛んでくる。だが、予想していた杪は先程と同じようにして軌道を逸らした。
 派手な爆音が轟くが、杪は意に介さず土埃の向こうに視線を向ける。

「―――やりますね・・・・」

 生じた砂塵の中からヘレネが姿を現した。
 さすがにダメージを負った様子はない。

「超絶とも言うべき懐刀捌き、咄嗟の戦術判断。・・・・あなたですね? 鎮守家が作り上げたという私共"本物"も真っ青な代物とは」

 ヘレネは意義を正し、右手を左胸に当てて一礼した。

「お初にお目にかかります。"戦技の形代"・・・・いいえ、"戦闘人形"」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 "戦技の形代"。
 これが"結界の巫女"・鎮守杪につけられた、もうひとつの異名だった。
 「戦技」とは「戦闘行動に直接必要な技術」のことであり、「形代」とは「神事の際、神の代わりとして据えられるもの」のことだ。
 ずばり、込められた意味は「軍神」である。しかし、「形代」とは「人形」の意味もある。
 神の代わりであろうとも所詮は人形。
 "戦闘人形"とは杪の性格や表情を伝え聞いたものを中心に語られる、蔑称だ。

「初見参ですけど・・・・なるほど、この名前は言い得て妙ですね」
「杪ちゃんはそんなんじゃ・・・・ッ」

 激昂しかけた瀞を視線で黙らせる。
 "このようなこと"で回復を止められては堪らない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 まるで能面のような無表情のまま、杪は一枚の呪符を取り出した。そして、懐刀の鋒を指の腹に走らせ、血の滴を取り出す。

「・・・・御霊降ろし・"式王子"」

 バサッと紙であることを示す音を立て、その呪符は広がった。

「式神、ですか? 人形が人形を使うとは・・・・」

 ヘレネの揶揄をも聞き流し、杪はその"式王子"に"袖を通した"。
 同時に展開された呪符が次々と"式王子"の表面へと張り付いていく。

「・・・・完了」

 双子戦でも見せたことのなかった、鎮守杪の完全装備だった。

「ハッ、どちらが本当の"戦闘人形"か、思い知らせてやりましょうっ」

 ヘレネが槍を振りかぶると同時に数十本の槍が浮かび上がる。そして、それは号令一下、杪向けて突撃を開始した。
 その様は中世の槍隊が槍衾を組んで突撃するような武威がある。
 対して、杪の武器は己の身体能力とそれを発現する懐刀が一振り。
 単純に見た目の戦力差は歴然だった。

―――ドガガガガガガガッ!!!

 刃渡りわずか二〇センチ弱の懐刀にズシリとロケット推進で得られた圧力がかかる。しかし、手首のスナップをきかせて回転させた鋒に従い、槍は轟音を立てて明後日の方向へと飛んでいった。

「さすがに精密ですねっ」
「―――っ!?」

 奮迅の向こうからヘレネの声が聞こえる。
 十数の槍の全てがいなされたヘレネは超絶技巧を見せている間に接近していたのだ。

「はぁっ」
「・・・・ッ」

 突き出された鋼鉄の盾と懐刀が火花を散らして衝突する。
 普通なら折れるところを絶妙なタイミングで力を流したことによって回避。さらにストンと体を落とし、素早い足払いを繰り出した。

「―――っ!?」

 盾の死角からヘレネの両足を薙ぎ払わんとした蹴撃は回避されたが、ヘレネの上体は宙に浮く。
 杪はそのまま右足を回転させ、左足一本で飛び上がった。
 今の状態ではヘレネに背を向けた形となっている。だが、そうすることで背後から飛んできた槍を迎撃するのに都合がいい。

「んっ」

 空中では少し力がいったが、狙い通り槍の軌道を修正する。
 石突の炎が産毛を焼くほど近くを通過したが、槍は狙い違わず重装甲の盾へと直撃した。

―――ドゴンッ!!!

 鉄筋コンクリートを貫通してその内部で爆発する槍は徹甲弾と変わらない。
 その威力はヘレネを吹き飛ばし、爆風によって杪も大きく吹き飛ばされた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ゴロゴロと転がる間、杪は背中に痛みを感じたが、無視する。
 戦闘に支障がなければそれは怪我でない。

「ふ、ふふ・・・・やりますね・・・・」

 自らが放った攻撃で瓦礫の山へと飛び込んだヘレネは瓦礫に引っ掛かったメイド服を躊躇なく引き裂いた。

「まさか、私の攻撃を利用するとは・・・・」

 服の向こうに見える布地はところどころ焼け焦げ、その奥の機械が見えている。
 どれだけ精巧に作られようとも、ヘレネは自律型自動人形なのだ。

(・・・・小破。敵、戦闘能力に支障なし・・・・)

 今までの攻防はヘレネにとって無闇に槍を放てなくするものだった。
 目的は達成されたと言えるが、未だ正面から迫る槍の脅威は取り除くことはできない。

「行きますよっ」

 ブーツを履いた足で人には不可能な加速をしたヘレネはその勢いのまま盾を突き出してきた。
 その禍々しい盾が迫る姿は機動隊の突撃のようだが、その隙間から次々と槍が飛び出す様はガトリング砲のようだ。しかし、それは飛翔するものではなく、ヘレネの白兵戦技術のようだった。
 回転する穂先の分だけ、かつて一哉と戦った時よりも威力を増している。

「はぁっ」

 間合いに入った瞬間、これまでとは比べものにならない速度で穂先が突き出された。だが、杪も同様の速度で迎撃し、激しい火花が両者の姿を映し出す。

「ふっ」

 数合打ち合った後、ヘレネが大きく盾を突き出した。
 ここで杪は再び超絶技巧を見せつける。
 避けれるタイミングではなかったので、杪は一点を探り当てて懐刀にて迎撃したのだ。

「せっ」

 そんな技量を見せられようともヘレネは怯まない。
 グルッと回転した盾に鋒が滑り、杪は体勢を崩された。

「はっ」

 その杪の中心を貫く軌道で穂先が突き出される。
 見事な白兵戦術であり、ただの退魔師ならば為す術もなく貫かれていたことだろう。しかし、白兵戦に特化した杪は簡単に討たれはしない。

「発」

 身に付けた呪符の一つが効力を発揮し、杪の体が高速で真横に移動した。そして、穂先は何もない空間を通過し、今度はヘレネが体勢を崩す。
 それを見て、杪は跳ねるようにして体を起こし、その懐刀を繰り出した。

「カハッ」

 懐刀の鋒は胸の真ん中に突き刺さり、ビクンとヘレネの体が跳ねる。
 胸の中心であり、確実に心臓を貫くコースだった。

「なんてね、ですっ」
「―――っ!?」

 横合いから迫った盾はまともに右半身を強打し、杪を数メートルも吹き飛ばす。

「・・・・ぐっ」

 脳が揺れている状態では受け身も取れず、杪は硬い床に叩きつけられた。

「おや? 人形が痛いんですか? おかしいですね、私なんて胸の中央に穴を空けられようと平気なのに」

 スポッと深々と刺さっていた懐刀を引き抜くと、ヘレネはそれを遠くに放り投げる。

(刺突が効かない・・・・)

 杪が使っていた懐刀は名はないが、一応退魔用の武器である。
 その鋒には破魔の力が宿っているのだが、やはり魔力で動こうが人形であるヘレネを停止させるには役不足だったようだ。

「実際、恐ろしいですよ、あなたは。戦闘状態の精霊術師と白兵戦を展開して一蹴する結界師なんてあなたくらいでしょうね」

 結界師とは決して戦闘系の能力ではない。
 封印や聖域の維持やそれに関連した汚れを払うこともあるが、退魔活動などほとんどない。
 同じ学問系能力である修験道や陰陽道と比べてもその戦闘能力は低いのだ。
 だというのに、杪が能力者最強と謳われる精霊術師と互角の戦闘能力を有しているのは、彼女が育った環境が関係していた。
 今から十年前、東北を震撼させた出来事――凜藤宗家全滅事件がまずそれだ。
 凜藤宗家は森術師であり、戦闘系統の能力ではないが、精霊術師であることから水準以上の戦力を有していた。
 それが一夜の間に生き残りゼロという壮絶な壊滅を遂げる。
 そんな事件が鎮守家の本拠――多賀とは目と鼻の先である白神山地で起きたのだ。
 その事態を重く見た鎮守家当主――杪の父――は戦闘部隊を組織する傍ら、6歳になる跡取り――杪への英才教育を決定する。
 金に糸目を付けず、あらゆる格闘家や符術、軍人を招いた当主は娯楽を許さず、ただひたすら戦闘訓練を続けさせた。
 友だちは愚か、家中の同年代の子と会うことは禁止された。
 小中学校は「不登校」となり、通信制にて小中学校以上の知識を求められた。
 ただひたすら強く、賢く、冷静にを重視された教育は並みの人間なら耐えられないであろうが、杪は天賦の才を示してそれを耐えた。

『私は人形。人形はいかなる痛苦でも耐え凌ぎ、その原型を留め得る』

 合い言葉のように紡がれる哀しい言葉。
 それでも、杪にとって刷り込みに近いその言葉は確かに支えとなっている。

「く、ぅ・・・・ッ」

 カリカリと爪が床をひっかく。
 初陣以来、初と思われるまともな打撃はその支えを吹き飛ばした。

「あなたは人間ですよ。殴られれば痛いし、刺されれば血を流す。所詮は生物の中では脆弱なヒトでしかないんですよ」

 ヘレネの辛辣な言葉が突き刺さる。

「その程度の耐久性で"戦闘人形"の名を語ろうなど、片腹痛いです。まあ、私は痛みなんて感じませんけどね」

 ヘレネがここまで言うのは同族嫌悪とも言うべきものだろう。しかし、ヘレネはその「同族」を否定する。

「ヒトはヒトらしく、その無力さを悔やみながら死ねばいいんです」

 すっとヘレネが手を挙げた。
 その動作に従い、床に投げ出されていた槍が一斉に浮き上がる。

「せめてもの情けです。勘違いしたイタイ人は文字通り消し飛ばして上げます。死体になっても『人形だと勘違いした哀れな人』と蔑まれることはありませんよ」

―――ギュィィイインッッッ!!!!

 先端のドリルが高い金属音を発して旋回を開始した。

「さようなら、エセ人形さん」

 石突から炎を発し、全部で十三本の槍が疾走する。
 さっきまでの杪ならば超絶技巧を駆使してやり過ごしただろう。だが、そのための体勢も武器もない状態ではとても無理だった。

(私は・・・・)

 杪は人形のように動かない。
 せめて、"身動きしないことで人形らしくあろう"とでも言うように、瞬きすらせずに回転する穂先たちを見ていた。
 そこにあるのは諦観。
 所詮、"本物"の戦闘人形には勝てなかったのだ。

(瀞、綾香・・・・ごめ―――)

―――ドォォォッッッッ!!!!!!!!!!

 数本の槍が相次いで爆発し、杪の姿が硝煙の向こうへと消えた。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

 目を瞑っていた杪がきょとっとした雰囲気で瞬きを繰り返した。

「・・・・しず、か?」

 そろっと見上げてくる視線に微笑みを返し、瀞は掲げていた右手を下ろす。
 それと同時に亀裂の入っていた氷たちは四散した。
 爆発力はその氷に全て吸収されていたのだ。

「杪ちゃんは人形じゃなく、人間だよ。それは事実」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「でも、人形と思い込んで錬磨した技術は無駄じゃない。だって私は助けられたからね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ありがとう。ここからは任せてね」

 そう言い、瀞は優しく微笑んだ。

「出ましたね」

 ヘレネが槍を構え直す。

「まるで、化け物扱いだね」

 かつて、そう扱われることに怯えていた少女はクスッと笑った。
 その笑みは力強く、とても負傷しているとは思えない。

「間違っていないでしょう?」

 ヘレネの言葉は刃となり、瀞をえぐりにかかる。

「その左腕は少なく見積もって1ヶ月は使い物になりませんよ。そんな"ヒトならば戦闘不能"の怪我でまだ戦える。そんなもの"化け物"以外の何物でもないでしょう?」

 瀞の左腕はダラリと垂らされていた。
 出血も続いているのか、ポタリポタリと血が滴っている。

「し・・・・っ」
「大丈夫だよ、杪ちゃん」

 首だけ後ろに向け、杪に微笑みかけた。

「準備もできたし、私に向いた・・・・ううん、私の戦い方が分かったから」

 「一哉もこれに屈服したんだよ」と笑う。

「それは楽しみですね。逃げ回るだけではなくなったのですか?」
「うん。動けないからね」

 すでに瀞には白兵戦などの激しい動きは不可能だ。だが、動けないなら、"動かなければいい"。

「動くのは・・・・あなただよ」
「―――っ!?」

 瀞の足下から放射線状に氷が広がっていく。

「<白水>以外にある私の能力・・・・」

 渡辺宗家の直系女子のみに受け継がれる能力。

「"雪花・場"」

 術式を声にすると、まるで呼応するように氷の浸食が早まった。

「くっ」

 槍が迫り来る氷に突き刺さる。
 その爆発は床をえぐると共に氷を四散させた。

「大丈夫。これはただ単にこの場所を塗り替えてるだけ。敵にも味方にも実害はないよ。一哉の使う、"炎獄"と一緒だよ」

 戦場での精霊数を増やす補助術式のひとつである。
 直接的攻撃力はないものの、地の利を得ることで攻防力が増すのだ。

「今のを防げたくらいでいい気にならないで下さい」

 ヘレネから魔力が膨れ上がった。
 ドリルの回転速度が増す。
 傍目から先程とは比べものにならない威力を内包していることが分かった。だから―――

「"蒼徽狼麗"」

―――先手を打つ。

「―――っ!?」

 背後から飛び掛かった狼はヘレネの持つ槍に貫かれて四散した。

「このような攻撃―――」
「まだ、だよ」
「な!?」

 飛び散った水は氷となり、無数の飛礫となってヘレネを襲う。
 威力としては拳銃よりも弱い。しかし、それはヘレネを怯ませた。

「っ、この・・・・ッ」

 頭上から氷塊が落ちる。
 槍がそれを砕く。
 破片が布地を裂く。
 飛んできた槍が次々と狼と共に消し飛ぶ。
 氷の槍が飛翔する。
 槍が飛翔する。
 両軍が激突。
 爆炎と氷の欠片が光を反射するという幻想的な風景を描き出す。

「・・・・やりますね」

 ヘレネは飛び散った氷の猛攻を盾で凌ぎ切った。
 衣服がズタボロになり、ところどころに中身が覗いている。

「全く、メイド服は御主人様の研究費を横領するとして・・・・」

 自らの腕を掲げた。

「・・・・治せますかね・・・・」

 哀しそうに呟く。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 余裕そうなヘレネとは対照的に、瀞は青色吐息だった。
 "蒼徽狼麗"は具現型の術式なので"気"の消費が激しい。また、氷も<水>の変則顕現であり、これもまた、激しかった。
 瀞は直系における"気"の平均保有量を上回ってはいるが、無尽蔵ではない。

「瀞・・・・」

 話せるまでは回復したのか、はっきりとした発音だった。

「大、丈夫。心配しないで・・・・」

 攻めきれなかったというのに瀞の口調に悲壮感はない。
 その瞳の光は強かった。

(杪ちゃんが稼いでくれた時間・・・・無駄じゃなかったんだよ・・・・)

 かつて、瀞は自らが渡辺宗家に降り掛かった厄災の元凶だと思って家出した。
 それは逃げに他ならないが、我ながらいい決断だったと思う。
 家中のことしか知らない箱入り娘が触れた初めての外。
 それは怖くも物珍しいものだった。
 与えられたものではない、自らが動いた結果に得られた生活。
 初めて得られた友人たち。

『無事で・・・・よかった・・・・』

 瀞を心配し、自らを乱戦の家中へと躍り込ませる友人の存在。
 そんな友人たちがくれたものを少しでも返す方法。

「私・・・・戦うから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ちゃんと自分の足で立って・・・・戦うから」

 前に戦場へと望む覚悟を示した時と同じように、戦闘での覚悟を示す。
 守られる・助けられるではなく、守る・助ける。
 つまり、守勢から攻勢へ戦闘スタイルへの変化。

「はぁ・・・・ふぅ・・・・」

 そのためには水術を最大限に生かせるミドルレンジから繰り出される連続攻撃。
 かつて嫌いだったもうひとりの自分――渡辺宗家当代直系次子、"浄化の巫女"・渡辺瀞としての戦い方。

「ふぅ・・・・ふぅ・・・・」

 目を閉じて呼吸を調える間に術式の展開は終了していていた。
 今やこの戦場は極寒の様態をなし、全てが凍り付いている。

「もう、終わりだよ」
「何がです? 私はまだ戦えますよ?」
「だったら攻撃してみてよ。どうなってるか、分かるから」
「減らず口をっ」

 ヘレネは先程まで必死に逃げ回っていた瀞が余裕を見せていることに苛立ったのか、激昂して突撃してきた。
 それと同時に槍が飛翔するが、瀞の前面に展開した"雪花・防"の前にことごとくその威力を散らす。
 "雪花"は瀞オリジナルの術式であり、"場"を気体、"攻"を液体、"防"を固体という三態の概念を当てはめるというものだ。
 これは"場"が広範囲に展開し、流動的な"攻撃"、集中的な"防御"と三態の原子移動速度に則った術式である。

「くっ」

 それでも膨大な魔力を保有する"男爵"から供給を受けるヘレネの打撃力は絶大だった。
 魔術もまた、汎用性の高い能力であり、その筋を極めれば全距離の戦闘が可能という代物である。

「はぁっ」

 その白兵戦に富んだヘレネが手に持った槍がその防御を突き崩した。
 氷の破片が盛大に飛び散り、ヘレネと瀞を打つ。

「シッ」

 突き出された槍は次の瞬間には引き戻され、大きく振りかぶられていた。そして、瀞を叩き潰さんと力が込められる。
 それを許すほど、瀞は戦術的に呆けていない。
 神宝・<霊輝>の長所である、刀身の長さを決められるという、白兵戦における絶対的な利点。
 叢瀬央葉の能力と同質のものが<霊輝>には宿っている。

「―――っ!?」

 顔へと伸びてくる青白い光に回避行動を起こしたヘレネは瀞を捉えるタイミングを逸した。

「仕上げだよ」

 間合いが操作できる武器は打撃点がふたつある長柄武器よりも攻撃速度が速い。
 引き戻す手間すらいらず、<霊輝>は振りかぶられていた。そして、足下から狼が飛び出して逃亡を阻む。

「な、あ・・・・ッ」

 スカートの裾に噛み付かれ、動きの止まったヘレネに青白い刀身が袈裟懸けに走った。
 妖魔ならば浄化を、人ならば昏倒を促す<霊輝>の一撃は確かにヘレネに吸い込まれ、刀身は右脇腹へと抜ける。

「はぁっ」

 無数の氷塊がヘレネを打ち、大きく跳ね飛ばした。
 瀞は宣言通り、一歩も動かずヘレネを押し返したのだ。
 それでも、いや、やはりヘレネは立ち上がる。

「・・・・やっぱり、あなたは強いね・・・・」

 さっきの一撃は装甲車を破壊する自信があった。

「私は戦闘人形です。私が戦いを止める時、それはあなたが倒れた時でしょう」

 もう戦闘前に持っていた精巧な姿はない。
 そこには己の存在意義を示そうとするガラクタ一歩手前の人形があった。

「水術の利点はね・・・・」

 その悲壮感漂う出で立ちに感銘を覚えつつも、失血で朦朧としてきた意識を支えるために声を発する。

「比較的集めやすい精霊で、比較的物理攻撃力の高い水で、飽和攻撃を仕掛けられることなんだよ」

 単純攻撃力で言えば、炎術と雷術が双璧である。だが、水術は密度1g/cm3という水を主戦力とする。それはg/cm3という単位を少し弄れば1000kg/m3となる。
 つまり、1辺が1メートルという水の立方体が持つ重量は1トンに達する。
 瀞が使う"蒼徽狼麗"は実は1トン弱という重量があったのだ。
 もちろん、<水>と水は違う。しかし、水は<水>の性質を受け継いでいるので、水術が持つ物理攻撃力は侮れないものとなる。
 そんなものが飽和攻撃を仕掛けてくれば、いくらヘレネでも盾と槍では防ぎようがない。
 これまでヘレネに瀞が苦戦した理由が戦いの主導権を握られ、水術を起動させる暇が与えられなかったことに他ならない。しかし、自身が主導権を握る正面からの戦いにおいて、瀞は能力者最強という称号に恥じぬ戦いぶりを発揮した。

「それと同時にね、神秘性において・・・・森術の次に来るの」

 水術が持つ浄化能力は神秘性の最たるものである。
 戦闘能力が最弱である森術はその分野に限り最強。しかし、そこでも水術は高い能力を示していた。
 つまり、水術とはどの分野でもトップを取れない代わりに、どの分野でも好成績を修める恐ろしき二番手なのだ。
 平均能力が著しく高い水術は汎用性に富み、どんな戦法をも自在にこなす。
 これこそが、地球上において水が持つ変幻自在を真に表現した特徴だった。

「だからさ、さっきから言ってる通り、もう終わりなんだよ」
「何がどう終わりなんですか?」

 ヘレネは尚、槍を構えて臨戦態勢だ。

「気付かない?」
「もったいぶった物言いはもうたくさんです。いい加減、黙りなさい、このくたばり損ないめッ」

 ヘレネは再突撃を開始しようと槍の穂先を回転させようとする。

―――ギュルルル、ルル・・・・・・・・

「・・・・は?」

 回転が止まった。
 それは同時にヘレネが持つ魔力が尽きたことを意味する。

「まさか、御主人様が・・・・?」
「たぶん違うよ。もしそうなら、魔力だけじゃなく、あなたの行動は完全に停止するはずだから」
「な、何をした・・・・?」

 ヘレネは驚愕の面持ちで問い掛けた。

「簡単だよ」

 これまでの戦闘で空気中に飛び散った氷は氷霧を形成している。
 その氷たちが戦場を僅かに照らす光源を反射していた。
 それらを従える瀞は震えるほど神々しい。

「"雪花・場"の【力】でこの一帯における"【力】の流動を凍結"させたの」

 つまりはこの戦場以外からの魔力供給を途絶させた。

「"雪花・防"で遠距離攻撃を封じて白兵戦を挑ませる」

 つまりはヘレネを近付かせた。

「<霊輝>で斬ったよ。浄化能力を乗せてね」

 つまりはヘレネの中に蓄蔵されていた魔力を浄化した。

「さて、どういうことかは分かるよね」

 瀞は笑った。
 自らが考案し、実行した初めての"戦術"が成功したことに笑った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ヘレネにはもう、言葉はない。
 今の状況はガス欠に陥った自動車に他ならない。

「もう、いいよね? 一哉を迎えに行かないと・・・・」

 そっと瀞が右手を掲げた。

「"雪花・攻"」

 "雪花・攻"は瀞の持つ術式の中では最強である。
 それも"雪花・場"を展開した状況下でのそれはかつては鬼族の部隊を撃退した威力を持っていた。

「何のぉっ」

 ヘレネは巨大な盾に身を隠し、身を守ろうとする。だが、着弾の瞬間、左右後方の三方から襲いかかった狼たちがその防衛策を打ち破った。

「な、ぁあ―――――――」

 自らの策が効を奏する寸前にそれを砕く。
 これこそ、"東洋の慧眼"・熾条一哉が最も得意とした戦法。
 それにはまった敵は態勢を立て直すこともできずに崩壊する。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 ドサッと音を立て、瀞は床に倒れた。
 全身に虚脱感がまとわりつき、指一本動かすことも億劫だ。

「瀞、大丈夫?」

 瞬間はともかく、持続するダメージでは杪の方が軽い。また、戦い慣れていることからその回復も早かった。
 瀞は駆け寄ってきた杪に抱き起こされる。そして、霞む視界の中に無表情な少女を認めた。

「やったよ、杪ちゃん・・・・」

 チラリと視線を向ければ、ヘレネを象っていたであろう様々な部品が散乱している。
 間違いなく、ヘレネを破壊した。

「ん、よくやった」

 ポンポンと頭を撫でられる。

「あー、血が足りなーい・・・・」

 くらくらと瀞の脳が揺れ始めた。
 意識を留める理由を失った理性は急速にその活動を停止しようとする肉体に呼応する。

「―――ってダメダメ。一哉迎えに行かないと」

 自分を迎えに来たというのに、どこに寄り道をしているのか。

「杪ちゃんは先に地上に行って。狼に乗ればすぐだと思うし」

 杪はおそらく自力で動くのは無理だろう。
 精霊術師ではない杪は回復力においては一般人と同じである。だから、ただ一度の攻撃で戦闘力を失う。

「でも・・・・」
「私なら大丈夫。杪ちゃんが思ってるよりずっと精霊術師は頑丈なんだよ」

 そう言って狼を呼び出した。

「上で待つ必要はないよ。救助が来たらすぐに助けてもらってね」

 狼は杪の襟首を咥え、ポイッと背中に乗せる。

「護衛と索敵に後3びきつけようか」

 床から飛び出すようにまた狼が現れ、杪を乗せた仲間を守るように動いた。

「またね、杪ちゃん」

 何か言いたそうにしたが、狼が疾走を始めたので杪はその背にしがみつく。そして、瀞も十数の狼を召喚し、研究所内へと放った。
 目指すは一哉と"男爵"が干戈交える戦場。

(一哉、待っててね)






熾条一哉side

(・・・・ん?)

 一方、一哉は違和感を感じて目を開けた。
 爆雷が引き起こした水流は未だに荒れ狂っている。しかし、それは一歩手前でのことだった。

(膜、か・・・・?)

 ぼんやりとした光が急流域と一哉を隔てている。
 絶大な【力】が展開し、それは確かに何かを顕現させていた。

(どこから・・・・?)

 【力】の原点を探る視線がとある一点で止まる。
 床に突き立てた<颯武>が展開するものと同色の光を発していた。

(こいつ・・・・)

 握る力を強めれば、まるで答えるかのように光を発する。
 思えば<颯武>は不思議な刀だった。
 全長二尺五寸(約75cm)の打刀であり、その刀身には僅かに蒼色が染み込んでいる。そして、一哉の出力でも溶けることがなく、むしろそのすごみを増させていた。
 まさしく、炎術師が振るうに相応しい名刀と言える。
 ただ、これを緋と共に送付してきた父――熾条厳一の真意がまだ読めていなかった。
 確かに刀が欲しい、と言ったことがあったが、これほどの名刀は熾条宗家でも重宝されているはず。
 それを帰参してまもなくの厳一が好きにできるとは思えない。

(ま、今はそんなことどうでもいい)

 視線を上に向けると、水位が下がってきたことが分かった。
 耳に轟く音も徐々に小さくなり、体にかかる圧力も減少していく。
 プールの水が抜けきった時、戦闘は再開されるだろう。

("男爵"、今度こそ決着をつけるぞ)

 今日こそは"男爵"を首級に変える。
 攻撃してこない辺り、爆雷でこちらを制圧したと考えているのだろう。
 一哉は闘志を膨らませ、それに呼応するかのように点滅する光。
 ひとりの炎術師と刀が意思を統一させ、宿敵との対決を改めて決意する。
 此度は中東、音川、加賀智島初期と続いた遭遇戦ではなく、両者が望んで激突する決戦だった。










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