第十三章「第二次鴫島事変〜後編〜」/



「―――あれですね、加賀智島から出てきたという船は」

 午前9時31分、加賀智島近海。
 強襲揚陸艦隊が収容してきた最後の強襲ヘリ・蜂武に乗り込んだ藤原秀胤が呟いた。
 その視線の先には波を砕きながら進む高速巡視艇がある。

「見たところ、設置式の兵装はありませんっ」
「歩兵の兵器がある。気を付けろ」

 偵察員の報告に機長は端的に答えた。
 確かにRPGなど持ち出されれば、さすがの蜂武でも落ちる。

「乗っているのは・・・・子どもですか?」
「の、ようです。人質でしょうか?」

 子どもの姿が見えてから、蜂武の機関砲は船には向いていなかった。だが、砲撃などがあれば間違いなく、CIWSが起動する。

「とりあえず、無線で呼びかけてみましょ―――」

―――ダダダダダダッ

「「「―――っ!?」」」

 曳航弾がコックピットの前を通過した。

「航空戦力!? いったいどこに!?」
「3時の方向に飛行体っ」
「部長、舌噛まないで下さいよっ」

 パイロットが叫ぶと同時に蜂武はガクリと高度を下げる。
 ローターの回転が弱まり、60度という急角度で降下を始めた蜂武のすぐ上を再び曳航弾が突き抜けた。

(一撃目は牽制として・・・・今のは当てに来ましたね・・・・)

 座席に押し付けられる圧迫感に耐えながら空を見上げる。

「人・・・・ッ」

 右手に機関銃のようなものを持ち、背中に生えた翅で自由自在にヘリを追い詰めるその存在に絶句した。

「なっ」

 こちらが反撃に出ると分かったのか、本来左手がある空間に機関銃を押し込み、そして、無反動砲を取り出してくる。

「機長、RPGだ」
「チ、まだ高度を取り戻せてねえってのにっ」

 幸い、RPGは無誘導だ。
 照準に狂いさえ生じさせれば回避することは難しくはない。しかし、敵は手慣れているのか、急機動にも怯むことなく後ろに付いてきた。

「部長、乗る前のレクチャーは覚えてるなっ。俺が『出ろっ』って声を掛けたら迷わず脱出しろよっ」
「そうしま、すっ」

 舌を噛みそうになりながら答える。
 まさか本当に緊急脱出をするとは思わなかった。

「・・・・ッ、今ッ」

 敵が射撃体勢に入った、と感じた機長は一挙動で蜂武を最大戦速へと持って行く。
 速度で狙いを絞らせないためだ。だが、敵も然る者。
 一瞬で射角を修正して撃ち放った。
 相対速度が大きくなったことで距離は離れていたが、RPGの速度はそれを数秒で補う。

「部長、出―――」

―――ドォッ!!!

 機長の声に反応し、藤原が脱出するよりも早く、RPGは爆発した。

「あ、え・・・・?」

 ただし、蜂武の尾翼5メートル手前でだ。

『―――藤原さん、危ないところだったな』
「・・・・晴也くん」

 耳元を撫でる声にはっと顔を上げる。
 そこには敵――央芒を羽交い締めにしている晴也がいた。

『味方だよ、こいつら。一哉が援護していた【叢瀬】だ』

 晴也の発言が聞こえたのか、央芒は抵抗を止める。そして、晴也を肩越しに見上げた。

『ってことだ。仲間の所に案内してくれるか、嬢ちゃん』
『その前に手を離セ、馬鹿』

 するりと晴也の腕から抜け出し、央芒が緩降下の態勢に入る。
 晴也もそれに付いて甲板に降り、警戒態勢に入っていた【叢瀬】に取り囲まれるのが見えた。

「機長、帰投します。【叢瀬】の収容準備を急がねば」
「了解です。・・・・風術師の少年はいいので?」
「飛翔中のRPGを弓矢で叩き落とす少年ですよ?」
「ああ、だから不自然な爆発を。・・・・納得しました、帰りましょう」

 手慣れた動作で蜂武を旋回させ、機首を『紗雲』に向ける。しかし、連絡船に乗る【叢瀬】全員が心配そうに加賀智島を見たまま動こうとはしなかった。






【叢瀬】scene

「―――う・・・・?」

 椅央は頬に水滴を感じて目を開けた。

「ここ、は・・・・?」

 キョロキョロと視線を動かし、己の状態を把握する。

「は、はは・・・・。悪運の強い女だ」

 玉座は崩落したが、椅央は運良く助かったようだ。
 玉座の下に広がる空間で椅央は横たわっている。
 彼女を縛り付けていた電線は瓦礫に挟まれ、大半が千切れ飛んでいるが、いくつかのものが複雑に絡み合いながら今も尚、彼女を拘束していた。

(これでいい)

 どこかで水漏れでも起きているのだろうか、断続的に水滴が落ちてくる上を仰ぎながら目を閉じる。
 耳を澄ませてみれば、チロチロと水が流れる音も聞こえた。

(皆、無事に脱出しただろうか・・・・)

 正直、時宮葛葉――鯒のような者がいて良かったと思う。
 連絡船は所詮、哨戒艇レベルの大きさしかない。
 航続距離はとても本州まで届かないし、給油してくれる存在もない。
 手助けしてくれる者がいなければとても【叢瀬】は存続できないのだ。

(央芒なら、間違いなく導いてくれるだろう・・・・)

 これより【叢瀬】は激流に揉まれることになろう。
 それならば、自分よりも陣頭指揮が執れる央芒の方がリーダーに相応しい。

「はぁ〜・・・・」

 冷たい床の感触が気持ちいい。
 長い銀髪が床の上に広がるが、気にしない。

―――ピチャッ

「・・・・?」

―――ピチャ、パシャ、パチャ

(足音、か? 誰だ・・・・?)

 首だけでなく、体を起こした。

「痛ッ」

 少なからぬ銀髪が瓦礫の間に挟まり、電線以上に椅央の動きを縛る。

―――パシャパシャパシャッ

 涙目になった椅央はぼやけた視界の向こうから駆けてくる人影を認めた。
 その人影は悪い足場をものともせず走り、急速に大きくなる。

(あれは・・・・)

 すっと涙が引くと同時に頭上で破砕音が響き渡った。

「あ・・・・ッ」

 動けない椅央は折れた鉄骨が自分に向かってくるのを見上げることしかできない。
 徐々に大きくなってくる赤黒いそれは―――

―――ズガガガガガッッッ

「え・・・・」

 横合いから伸びてきた目映い光によって残らず駆逐された。

―――パシャ・・・・

 足音が椅央の傍で止まる。
 その小さな足を見て、椅央は呆然と視線を上に上げた。

「あ、ぁあ・・・・」

 それだけしか言葉にできない。

「の、のぶ・・・・?」

 そこには【叢瀬】最強――"金色の隷獣"が無表情で、しかし、肩を上下させながら立っていた。

「おまっ。どうして引き返してきたっ」

 一度認識してしまえば、言葉は火を吐くようにして飛び出す。

「外はまだ危険だぞっ。お前がみんなを守らずして何とするっ」

 だが、非難の言葉を浴びせられる央葉は痛痒も感じないとばかりに無表情で片膝をついた。そして、椅央の体に怪我がないか調べ出す。

「おい、こらっ、聞いているのか!?」

 椅央から言わせれば、央葉の方がボロボロだ。
 着ている服はずぶ濡れな上、ところどころ破れている。
 その生地の下には少なからぬ傷があるようで、血が滲んでいた。

「早くみんなの下へ・・・・ッ」

 椅央は電線を通して命じる。
 すぐに反応した壁が反転し、その向こうから昨日活躍したブローニングM2重機関銃がその銃口を央葉に向けた。

「行けっ」

 迷いなく椅央は引き金を引き、央葉の足下を撃ち抜く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 弾丸は当たらずとも、床の破片は確かに央葉を傷付けた。しかし、央葉は動かない。
 ただ、無表情に、だが、雄弁な表情で椅央を見ていた。

「どうしてだ? どうして余を助けようとするっ」

 顔面を蒼白にして叫ぶ。
 椅央は主任であった黒鳳の指示もあり、研究に協力的な姿勢だった。
 その結果、3桁近い【叢瀬】が命を落とし、残った者にも何らかの後遺症が残っている。
 【叢瀬】からすれば、耐え難い裏切りのはずだ。
 だから、椅央は【叢瀬】を解放することと、自身が消えることによってせめてもの罪滅ぼしにしようと考えていたのだ。

「主任がいなくなる前の3年、ほとんどの研究を提示したのは私だ・・・・」

 晩年、とでもいうのか、黒鳳は明らかに狂い出していた。
 【叢瀬】の研究にも興味を失わせ、研究者たちの暴走を引き起こしていたのだ。そして、それに気付かず、椅央は求められるままに演算を繰り返す。

「お前から、声や表情を奪ったのは私だぞっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ピタリとこちらに来ようとしていた央葉の足が止まった。

「そうだ、それでいい。そのまま背を向けて出口へ急げ。まだ時間はあるはずだ」

 すでに椅央が把握できる研究所内は断片的になっている。だが、港は最も強度のある作りだ。
 きっと大丈夫に違いない。

「さあ、早―――」
『一緒』

 見せられたスケッチブックの文面を見た瞬間、涙が出そうになった。

「だから―――」

 必死に説得しようとした椅央の目に目映い光が差し込む。

―――ジャラリ

 央葉が実力行使しようとしていた。
 あまりの出力に【力】を抑えるために鎖に縛られる央葉。
 その鎖を作った者の援護をしたのも椅央である。
 その思いは暴走で命を落とさないように、ではあったが、央葉を拘束していることには変わりない。

(そんなことよりも・・・・っ)

 今更引き下がる気はない。
 ここは椅央のテリトリー。
 戦い方次第では最強にも太刀打ちできるはず。

「―――っ!?」

 視界から央葉が消えたと感じた瞬間、重機関銃の銃身が吹き飛んだ。
 思わず視線がそちらに向き、鋭利な断面を見せるそれを視界に置く。
 一目見ただけで直径数センチにもなる光の束が横合いから叩きつけられた結果だと分かった。

(これが最強・・・・)

 一瞬にしてこの出力を弾き出す央葉に恐怖する。
 いや、恐怖はこのまま負け去ってしまう己の弱さだった。

「く・・・・ッ」

 このまま、自分が決めたことも達せずに果てるものか、と視線を巡らせて央葉を探す。しかし、姿を見るよりも己の首筋を撫でた閃光を視認する方が早かった。

「―――っ!?」

 自慢の銀髪が圧倒的な物量にて空を舞った。それと同時に感覚の全てが失われていく。

(く、所詮これはまやかし・・・・ッ)

 三度目になる電気ショックに唇に歯を立てて耐える。
 ぶつりと犬歯が唇を裂き、全身に激痛が走った。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 痛みが神経を駆け巡ったことで電気ショックを乗り切った椅央は床に手をついて荒い息を繰り返す。

「のぶ・・・・貴様・・・・」

 床に手をつく。
 それはつまり、椅央を拘束していた電線が全て切断されたことを意味していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 央葉が椅央を抱き起こし、背負おうと動く。しかし、椅央はそれを制し、震える足で立ち上がった。
 今ここで死ぬことはどうやら無理そうだ。
 ここで央葉を巻き込めば死んでも死にきれない。

「分かった、のぶ。ここから脱出―――っ!?」

 諦めの境地で央葉を見遣った椅央はギクリと体を強張らせた。しかし、次の瞬間、弾かれたように央葉を突き飛ばす。

―――ダァンッ!!!

 コロンと央葉が床に転がると同時に腹に灼熱感を覚え、椅央は後方へと吹き飛ばされた。

「―――チッ、余計なことを。・・・・でもいっか。とりあえずひとりね」

 戸口から女の声。

「・・・・ッ、ア」

 脂汗を流す椅央は首を巡らせ、何とか声の主を捜す。

「さあて、ようやく見つけたわよ。【叢瀬】最強。あたしから逃げたこと、後悔させて上げる」

 妖魔の返り血や戦闘の余波でボロボロになった衣服を纏った彼女――矢壁十湖はギラリと目を輝かせた。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 殺意の奔流を浴びせられた央葉はゆっくりと後方を振り返った。
 そこには赤い水溜まりの面積を広げていく少女がいる。
 先程まで頑なに死にたがっていた少女。
 ようやく説得に成功し、脱出するだけになったというのに、ピクリとも動かない。

「大変だったわよ〜。あんたがどっか行ってから人形は襲いかかってくるし、妖魔はウジャウジャ。それに情けないことに部下の死体まで見つけちゃってまあ・・・・ってちょっと、聞いてる?」

 半眼で睨んでこようがどうでもいい。
 戦闘に関すること全てに英才教育を施された『最強』は己の中に存在していた箍が外れるのを自覚した。
 かつて、あまりにも大きな出力のため、研究所の一角を破壊せしめた能力。
 "金色の隷獣"という異名に込められた畏怖の念。
 出力を抑えて尚、『最強』である事実。

「むかつくわね。人の話聞きなさ―――キャァッ」

 黄金色の閃光が空間を埋め尽くす。
 盛大にがなり立てる鎖の音すら威圧に使い、央葉は拘束されたまま君臨した。

(敵武装は拳銃と軍刀。中・近距離戦闘タイプ)

 掌を無造作に突き出す。

「―――っ!?」

―――ドォッ!!!

 十湖が身の危険を感じて横っ飛びすると同時にまるでビーム砲のような光が一瞬前まで十湖が存在した空間を薙ぎ払った。
 それは先程、重機関銃を破壊したものの比ではない。だが、それに反応した十湖もただ者ではなかった。

「いいねいいねっ」

 横薙ぎ振るわれた右腕から相次いで火閃が煌めき、数発の弾丸が必殺の意志を込めて飛翔する。
 初速350m/sを誇る弾丸を見切り、央葉は見事な回避行動を見せた。
 ただ避けるだけならば、素人にでもできないことはない。だが、「見事」というのはカウンターを叩き込むという、次の動きに繋がる回避行動のことを示していた。
 急所にばらまかれた弾丸のひとつを光で破壊し、その空間に全身を割り込ませることで無駄な動きを節減する。そして、その開けた一線に光を叩き込んだ。
 央葉が操る閃光は光の速度とは言わないものの、攻撃系異能力としては最速の部類に入る。
 撃たれる前から回避行動をしていなければ回避できない、正真正銘の一撃必殺なのだ。

「ふんっ」

 予想外とも言える央葉の行動も十湖は反応して見せた。
 元々、彼女は後方で戦略を練るタイプだが、それが破綻した時、前線に飛び出して解決してくる武闘派である。
 この話を聞くと、作戦指揮能力に問題有りと言われかねないが、まず、作戦が必要な戦いを単身で解決する戦闘能力に着眼できるだろう。

「はぁっ」
「・・・・ッ」

 遠距離戦では互角と見た両者は必然的に距離を詰め、白兵戦へと突入した。
 拳銃は白兵戦にも使えるし、軍刀はそれ専用である。
 つまり、白兵戦こそ十湖が最も得意とする戦闘方法だというのに何故央葉がそれを挑んだのか。

「はいはいはいっ」

 流れるような動作で繰り出される斬撃に銃撃、またまた蹴撃。
 そのことごとくを流す躱す受けると見事に捌いていく央葉。

「・・・・ッ」

 棒術の要領で突き出した光を戻す際に長さを調節し、刀の間合いにする。そして、それが躱されると再び間合いを伸ばして追撃した。
 変幻自在を地で行く央葉が最も得意とするのも白兵戦である。
 有形無形の能力が紡ぎ出す猛攻はいつしか、十湖を圧倒した。
 光の鋒がコートを貫き、肌を裂き、十湖のプライドを傷付ける。

「このぉっ」

 振り下ろされた軍刀の一撃をわずかに首を傾けることで躱した。
 頬に一筋、血のラインが築かれるが、構わず央葉は踏み込む。そして、引き絞った掌打を十湖へと叩き込んだ。

「甘いわッ」

 命中の瞬間に回避する。だが、掌打の威力はその後に発揮された。

―――ドゴンッ

 十数メートル離れた重機関銃が轟音と共に消滅する。それだけでなく、格納式の空間全てを吹き飛ばした。
 もし、その間に十湖の体があれば、瞬時に蒸発していたことだろう。

「すごいわ、あんた。最っ高よっ」

 攻撃力の差は歴然。
 それでも十湖は嗤っていた。

「ふふ、楽しい。ねえ、あたしの刀の能力・・・・覚えてる?」

 刃に付着した鮮血を舐め取り、うっとりとした笑みを浮かべる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その笑みを央葉は膝をついた状態で見上げていた。
 ダクダクと流れ出る血。
 それは左太腿から滴っている。

(・・・・止まらない)

 十湖の回避行動と共に繰り出された斬撃は苦し紛れだったにしても突撃した央葉の足を深くえぐった。だが、水溜まりができるほどの傷ではないはず。

「いい匂い・・・・」

 まるで血友病患者のように血を流す央葉の顔色はどんどん蒼白くなっていく。しかし、央葉は変わらぬ無表情を貫いた。

(一定範囲内において、自身が傷付けた傷に対し、人体の外傷対策を無効化する魔剣・・・・)

 事に戦力が拮抗している場合、その天秤を一方的に引き寄せるアイテムだ。しかし、一度戦場を離脱してしまえばその効力が失われる。
 さっきもそうして傷を治療したのだ。

(でも・・・・)

 チラリと倒れたままの椅央に視線を向けた。

(今度は・・・・逃げない・・・・っ)

「・・・・ッ」

 歯を食い縛って立ち上がる。

「へぇ? まだやるの?」

 嗜虐的に十湖の口の端が持ち上がった。

「たった一撃でボロボロじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そのようなことは関係ない。
 必要なのはただ不屈の魂と、打倒する戦闘力。

「いいわ。そんなに死にたいというなら殺して上げる」

 目を瞑り、ただただ内に働きかけた。
 かつて、一撃にて研究所を半壊させた【力】。
 未知数故に名前すら与えられなかった能力。
 移植実験の果てに共存することとなった"それ"に覚醒を呼びかける。

―――ドンッ

 突然、央葉が立っていた床が陥没した。

「なっ・・・・」

 その光景に十湖が思わず後退る。しかし、すぐに闘志を奮い起こし、戦士としての感覚を信じて銃口を央葉に向けた。
 その視線を受けた央葉はその瞳に浮かぶ色を経験的に認識する。

「なによ、あんた・・・・っ」

 それは未知の存在に対する恐怖であり、生理的嫌悪でもあった。

―――ジャラジャラジャラッ!!!

 溢れ出る【力】を抑制しようと鎖ががなり立てる。しかし、その鎖自体は央葉の体にはなかった。
 それは研究者側にいた能力者によって施された「限界」である。

「何なのよぉっ」

 央葉から発せられる光は閃光となり、十湖の視界を奪った。
 恐怖に支配された十湖は目を見開いたまま、銃口を彷徨わせるしかない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 己が己でなくなりそうな感覚の下、央葉が目を開いた。
 瞳孔が極限まで細くなり、その形は鳥獣のような縦。
 きゅぅっと細まったその瞳は人間ものではない。だが、央葉の変化はそれだけではない。
 頭部から生える二本の耳。
 臀部から生える一本の尻尾。
 そのふさふさの毛に覆われたそれらは光と同じ金色であった。
 "金色の隷獣"とは、この状態の央葉を表す異名である。

「狐憑き!?」

 光が弱くなり、ようやく央葉を視認できた十湖は戦士としては致命的なこと――驚きに銃を下ろした。

「・・・・ッ」

 それを好機とばかりに央葉は踏み込む。そして、その閃光に包まれた手が十湖の喉を掴んだ。






渡辺瀞side

「―――せっ」

 瀞は頭上に水の膜を張り、頭上から襲い来た槍を絡め取った。
 それでも迎撃しきれなかった一部が着弾し、先端のドリルで床をえぐって爆発する。
 その余波を先程と同様の膜で防ぎながら瀞は反撃の水球を投じた。
 膜から分離するように放たれたそれは正確にヘレネに突撃する。だが、その威力は彼女が掲げた盾によって相殺された。

「うふふ・・・・物理攻撃は私には効きませんよ」

 続いて飛来した水球を一突きにしてからヘレネが笑う。

「そう、かな・・・・っ」

 飛沫となって四散した水に再び干渉し、瀞は無数の氷の飛礫を顕現させる。
 流れるような連携。
 これが「流転」の水術師の戦い方だった。

「行けっ」

 雹となって射出された氷は下手な装甲を貫通する威力がある。だが―――

―――カカカカンッ

 人の体などズタズタに引き裂ける攻撃も回転する盾に弾かれた。

(ダメ、正面からは押し切れない・・・・ッ)

 それでも正面から戦わざる得ない。
 瀞とヘレネの高低差は実に五メートル。
 圧倒的な高所に陣取ったヘレネはロケット推進という速度とドリルという攻撃力、爆発という広域性の攻撃で瀞を追い詰めていた。
 対して瀞は反撃するものの視界が限定されているため、攻撃は単調になる。

「くっ」

 左手で起きた爆風が左半身を叩き、その衝撃が激痛となって瀞の身に降り掛かった。
 思わず、左肩を押さえてしまう。

「う、うぅ・・・・っ」

―――ポタタッ

 赤黒い血が床に落ちた。

「苦しいですか? 早くトドメをさして上げますから抵抗しないで下さい」
「・・・・遠慮、するよ」

 そう意地を張るが実は挫けそうだ。
 左腕は力なくだらりと垂らされている。
 出血量も左肩だけでなく、左半身の生地が真っ赤になるほどだった。
 一哉と知り合ってからいくつもの戦いを経験しているが、このような大けがを負ったのは初めてだ。

(痛い・・・・)

 全てを投げ出して泣きたいくらい痛い。
 "気"で止血と鎮痛をしているにもかかわらずに、だ。

(でも、これがないと痛みで気絶してるかも・・・・)

 これこそが精霊術師。
 他のどのような能力者よりも戦闘に特化している、能力者最強の所以である。

(一哉も・・・・大けがで頑張ってる・・・・)

「・・・・どんどん、来ていいよ」
「随分強気ですね。ビックリです。あなたは非好戦的な術者と調査しましたが」
「戦いは嫌いだよ」

 瀞は肩から手を離し、右手を一振り。
 瞬間、その右手から青白い刀身が伸びた。

「でも、負けるわけにはいかないんだよ」

 ここで瀞が死ぬと一哉は自分を――おそらく――責めるだろう。また、命は助かっても二度と戦いには関わらせないに違いない。

「一哉と共に立つために・・・・絶対に退けないんだよ」

 決然とした瞳をヘレネに向けた。
 その意志に呼応し、膨大な<水>が周囲で踊る。
 その様は幻想的で神々しかった。

「・・・・お熱いですね」
「・・・・え?」
「まさかお二人がそのような関係とは・・・・」
「え? え?」
「愛する者のためには危険も厭わない。・・・・そんな意味を含む急進だったのですね、"東洋の慧眼"はっ」

 ヘレネは夢中なのか足下の槍を蹴ってしまう。
 その槍はコロコロと転がって瀞のいるフロアへと落下した。

「まさに『恋は盲目』っ」
「えぇーっ!?」

 瀞が声の限り絶叫する。
 先程までの神々しさは霧散し、そこにはただ、頬を真っ赤に染めた少女がいるだけだった。

―――ドンッ

「―――っ!?」

 轟音にて我に返った瀞は音の方へと反射的に水の壁を展開する。しかし、ヘレネの槍はそんなことでは止まらなかった。
 その地を這うような突撃を仕方なく飛び上がって避ける。

(あれってさっき落とした奴だよね・・・・)

「はっ」

 空中にありながら、キッとヘレネを睨んだ。

「さっきの話ってこれのため―――って、えぇーっ!?」

 言葉途中で抗議は驚きの声に変わった。
 ヘレネが槍を振りかぶっている。
 それだけでなく、周囲二十数本の槍が浮遊し、その穂先を瀞に向けていた。
 空中にあるため、回避行動は不可能。
 全てが身動きの取れない瀞に殺到することは間違いない。

(あ・・・・)

 防壁を展開しようとするが、間に合わないことは分かり切っていた。

(すべては、このため・・・・?)

 ヘレネはこの詰めの攻撃のために、会話によって油断させ、槍を超低空にて侵攻、飛び上がる回避方法を選択させたのだ。
 常に相手の先を読み、その先に手を打つ。
 これが戦術。
 行き当たりばったりの瀞とは根本的に戦いに対する格が違う。

「・・・・ッ」

 充分に狙いを付けられた槍が飛翔を開始した。
 対して瀞も数発の氷弾を撃ち出す。

(ダメ・・・・ッ)

 氷は4つまでの槍を弾いた。しかし、残りの十数本が絶望的速度を以て飛翔する。
 鋭い穂先のドリルは瀞の柔肌を引き裂き、続く爆発は肉を四散させるだろう。
 ひとつとしてまともに食らえば致命傷を負うというのに、あれだけの数となれば瞬時に肉塊となる。

―――ギュルルルルルッッ!!!

 回転する穂先の音が聞こえてきた。
 迫り来る絶対的な「死」にぎゅっと目を閉じる。
 その一瞬前にヒラリと舞う一枚の紙切れを見たような気がした。

―――ドゥッ

 爆発が起き、床を圧倒的な熱波にて焦がす。だが、それは瀞のはるか手前のことだった。

「なに・・・・?」

―――シャランッ

 目を開ける前に聞こえる鈴の音。
 同時に誰かが前に降り立つ気配。

「・・・・っ」

 目を開けた先に広がる光景に言葉を失う。

―――チャキッ

 爆発の影響か、7本まで減少した槍。
 揺れる短い髪と構えられた懐刀の煌めき。

「―――ん」

 わずかな呼気と共に右手が神速と化した。
 ドリルの回転に合わせ、そっと添えられる懐刀。
 最低限の力でベクトルを狂わせ、軌道を逸らす。
 それを7回、瞬きの間に7回。

―――ドォォンッッ!!!

「あ・・・・」

 ようやく声が出たのは背後で爆発が起きた時だった。

「え? 杪ちゃん・・・・?」

 腰が抜けてへたり込んだ瀞はポケッとした視線で助けてくれた少女――鎮守杪を見上げる。

「無事?」
「・・・・うん」

 まだ放心状態だが、立ち上がって血や汗、埃などでドロドロの服を払った。そして、言葉なく、少し上にある杪の瞳を見つめる。
 そこにはいつも通りの光があり、幻覚ではないことを物語っていた。

「熾条じゃなくて残念?」
「って何言うの!?」

 突然の言葉に真っ赤になって慌てる。

「一哉はそんなんじゃなくて・・・・って、なに?」

 ぽんぽんと肩を叩かれた。

「無事で・・・・よかった・・・・」
「杪ちゃん・・・・」

 表情こそ無だが、そこには確かに温かみがあった。

「感動の再会は終わりました? そろそろ私のことを思い出していただきたいのですが。・・・・のの字書いていじけますよ?」
「大丈夫」

 杪がキラリと眼鏡を光らせて向き直る。

「忘れてない」

―――ドゴンッ

 ヘレネの足場にて爆発が起きた。
 その力は崩落で弱っていた床の限界を超えさせる。
 強度を失った建材は己の重量を支えられずに自壊、崩落を始めた。

「あ〜れ〜」

―――ガラガラガラ、ズズンッ

「あ・・・・なるほど」

 高低差が邪魔ならば、無理矢理なくしてしまえばいい。―――足場を崩すことによって。

「休んでて」
「・・・・でも」

 傷を押して戦いよりも治療して戦う方が強いに決まっている。
 一般の能力者には無理だが、精霊術師ならば僅かな時間で回復できるだろう。しかし、ここで休むことは心が受け付けなかった。

「止血」
「う・・・・」

 そんな想いが分かるだろうに、杪は無表情にて一刀両断した。

「戦略的判断」

 トン、と額を小突かれる。
 たったそれだけの衝撃で、一度気の抜けてしまった瀞はへたり込んだ。

「あ・・・・」

 情けないことに手足が震えて立てない。
 こんな様では良い的にこそなれ、とても戦うことなどできないだろう。
 戦略とか戦術とかは分からないが、それだけはよく分かる。
 今の瀞は「役立たず」だ。

「ダメだよ、杪ちゃん」

 それでも瀞はゆっくりと頭を振った。

「これは私の戦いなんだよ」

 瀞が攫われたことによって起きた戦い。
 無論、事実はそれだけではないのだが、瀞はそれ以外の理由など知らないだろう。
 ただ瀞が攫われ、一哉が助けに助けに来たから"ヘレネとの戦い"が生じたのだ。
 簡単に他人に委託できない、してはならない、「渡辺瀞」としてあるための絶対防衛線。
 それがこの戦いだ。

「何より、あの"人形"は一哉の敵なんだよ」

 初めて共に戦ってくれた。
 己に戦う理由がなくとも共に戦いたいと願った。
 彼の敵と戦うと誓った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 あの時と同じ、強い意志を持って杪を見遣る。

「座ってて」

 そう言い残して杪は背を向け、未だ砂塵の晴れぬ崩落区域へと歩き出した。
 その周囲には無数の呪符が浮かび上がっており、言うまでもなく戦闘態勢だ。

「杪ちゃん・・・・」

 瀞は聞き入れてもらえなかったことに涙し、不甲斐ない自分を責める。
 こうなった以上、杪の言う通り、止血と体力回復に励む以外なかった。

(うぅ・・・・惨めだ・・・・)










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