第十三章「第二次鴫島事変〜後編〜」/



 1月28日午前8時50分、鴫島諸島をM4.2の地震が襲った。
 その揺れは危険な状態で積み上がっていた瓦礫を崩壊させ、破壊を助長させる。しかし、揺れる大地の上で戦う人間たちはその活動を止めることなく、果てしなき同士討ちに明け暮れていた。
 むしろ、異変があったのは海底である。

(―――あ・・・・ぅん・・・・)

 海中数百メートルにわたって拡散していた意識が海底より深いところ――地中にて活性化した<火>を呼び水として集まってきた。
 海底近くの水温が上昇し、その表面に気泡が現れる。そして、わずかにだが、地面が盛り上がりつつあった。
 水中の生き物たちが異変を感じ、皆逃げ去った中、光の粒子のようなものが急速に集結してくる。

(うぅん・・・・)

 それは少女の形を取ると、ふわりと地面へと寝転んだ。

(暖かい・・・・)

 自分を包む、自分と同じ因子。
 その存在に抱かれた少女はゆっくりとその海底で瞳を開ける。

(ここ・・・・は?)

 周囲は真っ暗の空間だった。
 はるか上空にぼんやりとした光が見える。

(そうだ・・・・)

 気怠い体に鞭打ち、水中で体を起こした。
 二度三度、手を握り込んで感触を確かめる。

(うん・・・・やっぱり・・・・)

 ほとんど感覚はない。

(はぁ・・・・)

 常人ならば火傷を負うだろう地面に手を置き、水面を見上げた。

(もう少し・・・・)

―――【力】を蓄えてからでも遅くないよね、いちや。






熾条一哉side

【―――無駄ナ抵抗は止セッ】
「無駄かどうか、お前らが証明してみせるんだなっ」

 日の光が入らない地下の一室で"東洋の慧眼"・熾条一哉と"男爵"・マディウスの激戦が続いていた。
 双方、軍勢を連れた不正規戦を得手とするが、一哉の方は軍勢がなく、単身である。
 故に戦いは大軍が一人に群がる、怒濤の如き白兵戦となっていた。

「せっ」

 突き出された穂先を躱し、打刀・<颯武>を大上段から振り下ろす。
 布や綿、歯車を砕く感触を残して真っ二つになった赤自動フランス人形――Rossoの向こうから白い影が見えた。

「うおっ」

 まるで警官隊の盾のように押し寄せてきたそれを横っ飛びで躱し、待ち受けていた白自動人形――Biancoの足を起き様に切断する。

「らぁっ」

 支えを失って倒れた人形を敵に向かって蹴飛ばしながら、飛び掛かってきたRossoに炎弾を撃ち込んだ。
 炎弾は着弾と同時に爆発し、その火の粉もまた、地面に落ちた瞬間に燃え上がる。
 一撃で戦場を火の海に変えた一哉はその奔流を以て敵の大軍へと叩きつけた。

―――ドォッ!!!!!

 爆炎が一哉の頬を撫で、破片や瓦礫がそこら中で燃え尽きていく。
 これが炎術最強熾条宗家の直系。
 異能力の発火能力や他の炎術師では真似できない、単純な【力】としての攻撃力だった。だが、敵もそれくらい分かっている。

「むっ」

 炎の向こうでゆらりと影が揺れ、次の瞬間には3体のRossoが得物を振り上げ、飛び込んできた。

「・・・・ッ」

 間髪入れずに<颯武>が閃き、炎を超えてきた1体の首を跳ね飛ばす。そして、その首が地面につく前にもう1体と距離を詰め、その得物である長巻を殺した。
 左から右へと一文字に胴を両断されたRossoを踏み越え、突き出されたレイピアを回避。
 伸びきった腕を斬り飛ばし、返す刀で左脇下から右肩上まで斬り上げる。
 その間、わずか2秒。
 白兵戦に自信のない一哉だが、機械的に襲いかかってくるならば対処の仕様があるというものだ。

「―――っ!?」

 殺気。
 背筋が粟立つ感覚に従って振り返る。

「うぐっ」

 振り返る動作で回避できたが、斧の刃が左腕を切り裂いた。
 それだけでなく、血飛沫が目に入り、激痛とどろりとした不快感を同時に与える。

「くそ、このっ」

 それでも冷静に、一哉は斧を叩き飛ばし、脳天唐竹割でRossoを仕留めた。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 たった3体でこれだ。
 炎の向こうには未だ百以上の≪クルキュプア≫が控えている。

「ええいっ」

 炎の向こうに無数の人影が見えた瞬間、一哉はその炎を爆発させた。
 もちろん、爆発の衝撃は指向性を持たせて外側に向いている。
 その爆発力に襲いかかろうとしていた≪クルキュプア≫たちは堪えようがなく、大きく吹き飛ばされた。

「チィッ。分かってはいるが、鬱陶しいな」

 ざっと見たところ、2、30メートル向こうに布陣する≪クルキュプア≫に欠員はないように見られる。

(圧倒的な耐火性、か・・・・)

 しかし、それも高位の炎術師の前には無意味であろう。
 炎術師が燃やすのは、精霊の意志である。
 それを阻むことは不可能である。
 問題は術者が如何に精霊の【力】を引き出せるかにかかっている。

(術式を使うのか・・・・?)

 術式を使えば、今より効果的に数を減らせるだろう。
 本体――"男爵"を狙う手もあったが、あの男のことである。
 安易に首を狙いに行けば返り討ちにある可能性が高い。
 最も遠回りそうだが、≪クルキュプア≫殲滅が最もの近道なのだ。

【死ねぇぃっ】

 一斉にNeroが引き金を引く。
 数百の銃声が重なり、同じ数だけの弾丸・砲弾がその銃口から吐き出された。
 拳銃、ショットガン、サブマシンガン、無反動砲、重機関銃などなど、無秩序に集められたそれらは統一された色を持つ人形によって使用される。
 銃器――さらにそれから派生したもの――を使うNeroは小さな身体でも反動に負けることなく、しっかりと照準を合わせていた。
 故にその力量はプロの兵士に匹敵する。

「―――――――――――」

 目の前に広がる無数の死。
 それを回避するために移動するための機敏さはすでに一哉にはなかった。

「くっそぉっ」

 発砲の轟音と共に一哉の全身から炎が噴き出す。
 足下の床をドロリと融解させたそれは一哉の盾になるようにして燃え広がった。

「・・・・ッ」

 拳銃弾のような小さなものはいい。
 炎に触れたと同時に溶解していった。だが、その他のものは違う。
 著しく威力は減退されたが、それでも薄い炎を突き破って一哉へと食い込んでいく。

「ぐふっ」

 喉の奥に塊がのし上がり、鉄錆の臭いが漂ってきた。

「ゲフッ」

 耐え切れずに吐き出したそれは床に大輪の華を咲かせ、炎に焼かれて蒸発する。

(くぅ〜、この1ヶ月、科学にやられっぱなしだな・・・・っ)

 大晦日はショットガンの弾丸を喰らった。
 その次に単装速射砲を喰らった。
 そして、今、数え切れない弾丸の欠片を喰らった。
 当代一と言ってもいい"気"の保有量を誇る一哉も辛い。

「・・・・くっ」

 グラリと揺れた視界の向こうに、得物をしごきながら接近してくるRossoたちが見えた。しかし、それよりも前に一哉は火勢を上げる。

「よし・・・・」

 今度の斉射はなんとか燃やし切った。

【覚悟ォッ】

 そんな炎のカーテンを突き破って突撃してきた刺突を<颯武>で打ち払い、二の太刀で1体を両断する。さらに突き出されたレイピアを引き戻した刀で弾き、繰り出した刺突で串刺しにした。
 もちろん、人形なので串刺し程度では行動を停止しない。

「らぁっ」

 だから、一哉は後続に向けて思い切り刀を振り払った。
 味方が弾丸のように飛んできて、Rossoは弾けるようにして分散する。
 その内の1体に距離を詰め、瞬時に斬り倒した。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 白兵戦は得意ではない、と評価されているが、それはあくまで退魔師としてだった。
 一般人からすれば、円滑な"気"の運用術にて裏打ちされた速度は理解しがたく、また、師匠であった時任蔡は"気"や<気>を使った戦闘術を一哉に叩き込んでいる。
 一般格闘術の延長上にある戦闘ならば、一哉も充分に猛者と言えるのだ。だが、己の能力を生かせない。
 熾条流炎術を修得していれば、≪クルキュプア≫など恐るに足らぬ戦力でしかないだろう。しかし、それでも一哉は炎術なしで生きてきた期間が長すぎた。
 すでに確立した戦法と新しき炎術が融合し、新戦法が生まれるまでは、まだまだ四苦八苦の戦いが続くと予想される。
 つまり、今の一哉は独自の戦法に迷いがあるのだった。

「はぁっ」

 炎が弾け、Rossoを押し返す。そして、その時に生じた割れ目に押し込んだ一哉は獅子奮迅の働きを見せた。
 <颯武>が闇を裂き、いくつもの影を斬り立てる。
 その撤退につけ込んだ戦闘は確実に≪クルキュプア≫に打撃を与え、それ以上に一哉の体を蝕んだ。

「く・・・・」

 一哉の動きが鈍った瞬間、Biancoが前面に展開し、防御陣を築き上げる。
 同時にNeroが半円の包囲を完成させていた。

(チッ、俺が前に出たから包囲網にはまったか・・・・)

 朦朧する意識の中、周りを見回して行動を評価する。
 今までの一哉の位置取りでは簡単に包囲されないように配慮を加えていた。だが、それが注意力散漫によって崩壊してしまったのだ。

(どうする・・・・?)

 状況はかなり不利だ。
 あちらはまだまだ百を超えるだろう戦力。
 こちらは手負いのひとり。

「うっ」

 カクッと力が抜けた膝が崩れて床に片膝を付く。
 倒れそうになる体を刀で支え、一哉は決断を下した。

(撤退だな)

 いくつもの戦場を渡り、いくつもの死線を越えてきた歴戦の本能による判断。
 悔しいが、完全に待ち戦の態勢を整えていた"男爵"に敵う手立てはない。だが、古今東西、撤退戦は難しいことで有名だ。

(さて、如何様にするか・・・・)

「―――さすがノ貴様も・・・・数の前には無力のヨウだナ・・・・」

 暗闇から車いすに座った"男爵"が姿を現した。
 本隊とでも言うのか、2、30体の≪クルキュプア≫がその周囲に傅いている。

「そうかな? 精霊術師ってのは一対多を得意とする能力者だぞ」

 軽口を返すが、実はと言うと喋るのも辛い。
 そろそろ出血量が馬鹿にならなくなってきた。
 激しい動きのために傷口が開いたのもあるが、≪クルキュプア≫の激しい攻防戦に無傷とはいられないためだ。
 大小様々の傷が疼くように頭痛もする。
 やはり一哉の体は限界点に達しているのだ。

「一対多は術式ノ強サニある。貴様、それヲ使オうとせんではナイか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 使おうと思えば使えるが、そうすれば確実にこの空間が崩壊する。
 一哉自身、屋内の戦いは苦手ではないが、"炎術師"としては苦手だった。
 未だ、細かい制御ができず、建物の基盤を焼き尽くしてしまうからだ。

「クック、あれカラ進歩してイないようと見えル。名を上ゲたと言うテモ、それは戦略家としてヨノ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 拳を握り込む。
 確かに戦闘能力の面では一哉は炎術師として覚醒したという以外、然したる変わりはない。
 はるかに格下の者ならば、その出力だけで圧倒できるが、一定以上の輩を相手にすれば途端に戦術面で綻びが出る。
 言ってしまえば、一哉は精霊術師としては素人なのだ。
 如何に文化祭以降で特訓していようと、常の精神でいられない戦場で効果が表れるなど、まだまだ先だろう。

「その様デは泉下の師範も哀しかロウの」
「―――っ!?」

 一哉の体から殺気が放射され、反応したNeroが一斉に銃口をこちらに向けた。
 一触即発の空気が生まれ、一哉はそれに逆らうことなく四肢の力を適度に抜く。

(落ち着け・・・・言葉に惑わされるな・・・・)

 持っている情報量は明らかに向こうの方が上。
 ならばなし得る限り、その情報を引き出す必要がある。

「お前の探シてイる女は今、ヘレネと戦っテイる」
「・・・・なに?」

 "男爵"はこともあろうに、一哉が一番欲していた情報を簡単に口にした。

(ヘレネだと・・・・!?)

 脱出に成功していたことも驚きだが、それ以上に"男爵"の最大戦力が一哉ではなく、瀞に振り分けられているとは思わなかった。

(・・・・なるほど。瀞は生粋の精霊術師。下手に≪クルキュプア≫をけしかけても返り討ちにされるか)

 彼女ならば、一撃で数十体からなる≪クルキュプア≫軍団を氷漬けにしていてもおかしくはないだろう。
 だとすれば、強い一体を差し向ける方が効果的である。

(狂ってはいても、さすがは戦術家だな)

 相手の評価を改めた一哉に"男爵"は言葉を続けた。

「・・・・お前ハ矛盾してオルノ」
「狂ってるテメェに言われたくないね」

 何故か馬鹿にされた気がして、一哉は視線を鋭くする。

「貴様は【叢瀬】ト"浄化の巫女"を助ケるタめにこの地に足を踏ミ入れタ」

 「ククク・・・・」と喉の奥で笑う"男爵"。

「だとイうのに、お前はコウシテ私と戦っテいる。おかしくはないか?」
「・・・・何が言いたい?」

 腕から流れ落ちてきた血が掌に付着し、刀を滑らせた。
 それを一哉はわずかに炎を顕現させることで、血を焼き尽くす。

「目的ト行動が食い違ってイルということダ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 目的=瀞奪還。
 行動="男爵"と戦闘。

(なるほどな)

 目的を達成するにはいち早く瀞と合流する必要がある。しかし、一哉はこの加賀智島に入ってからは"男爵"との戦闘に明け暮れ、一向に瀞を探そうとしていなかった。そして、一哉自身、瀞を拉致したのは"男爵"ではないと薄々感じている。
 となれば、一哉が"男爵"と干戈交える意味はないのだ。

「貴様、いったい何ノために戦ってオるのだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 相手を撹乱するための話術だと、分かってはいたが、その言葉に一哉の心が揺れた。
 戦う意味。
 それは一度、瀞に問うたことがある。
 彼女はそれに悩みはしたものの結局は「一哉の敵と戦う」だった。

(ならば・・・・俺の敵とは誰だ?)

 今ならば、目の前の"男爵"だ。しかし、ここに来た理由は"男爵"打倒のためではない。
 目標がない一哉は迷走するしかないのだ。

「"東洋の慧眼"と褒め称エられヨうと、所詮は行き当たりバッたりの小僧ヨ」

 "男爵"の体から膨大な魔力が溢れ出す。

「大戦略モなく、戦術も稚拙。目先ノ戦略だケ多少の才がアル、ただの餓鬼が我ラが野望の邪魔をスルでナいワッ」

 その言葉は明確な理由を持たない一哉の心を貫いた。






渡辺瀞side

「―――はぁっ」

 青い残像を残し、<霊輝>が闇を裂いて振るわれた。

「くぅっ」

 同じく闇を裂いて飛来した槍がその刀身を削り取る。しかし、それでも逸らすことはでき、槍は背後の壁に突き立って爆発した。

「さあさあ、もっと踊りましょう?」

 すぐにヘレネは槍を引き抜き、投擲体勢に入る。
 対する瀞は初手で受けた傷が響き、右手一本で<霊輝>を握っていた。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 ポタリポタリと床を塗らす血は全て瀞のもの。
 その量は彼女が初めて体験するほどだ。

「粘りますね。ここまでの力量とは正直思いませんでした」

 あれだけあった槍も、今は半分ぐらいに減じている。
 それだけの数を防いできた瀞は防戦一方と言っても賞賛に値する戦闘力だった。だが、戦いとは攻めに転じなければ決して勝てない。

「でも、次です。これは躱せますか?」

 ポイッという感じで放り投げられた槍はくるくると回転しながら放物線を描いた。
 まるでロケット花火に火を点けて投げたような無作為さ。
 次の瞬間にはロケット推進でどこに飛ぶか分からない危うさを孕む投擲だ。

(これは・・・・ッ!?)

 ふっと中空の槍に視線が吸い寄せられた瀞は視界の端で炎が弾けたことを認識した。

「・・・・ッ」

 反射的に振るった<霊輝>が槍と激突する。
 <水>でできた刃は削り取られようと刀身であり続け、不意打ちだった槍を逸らした。しかし、生じた爆発の衝撃で瀞は吹き飛ぶ。
 受け身も取れずに壁に叩きつけられ、壁に背を預けて崩れ落ちる。

「ゲホッ・・・・ゴホッ・・・・」

 衝撃で息ができなくなり、苦しそうに胸を抑えた。
 片目を辛そうに閉じながらも、ヘレネからは視線を逸らさない。

「あれに反応できる・・・・。本当に予想外です」

 瀞と視線を合わせたヘレネがパチパチパチと小さく拍手した。
 感心しているようだが、それは高みから見下ろされているのと変わらない。しかし、それも仕方がなかった。
 所詮、瀞は逃げ回るだけで、一撃もヘレネに与えていないのだ。

(情けないね・・・・)

 実は少しだけ、自分の戦闘能力に自信を持っていた。
 戦うことへの恐怖さえ克服してしまえば、どうにでもなる、と。
 事実、瀞は精霊術師に匹敵すると言われた鬼族との戦いで、見事に敵を撃退した経験を持っている。

(一哉よりは強いと思ってたんだけどなぁ・・・・)

 朦朧としてきた意識の中で考える。
 一哉は余り白兵戦は得意ではない。
 その理由としては一哉の場合、敵を真正面から撃破する、という考えが根本的にないことが挙げられる。
 故に正面からの戦いになると、意外に脆いのだ。

(ほんとーに、情けない・・・・)

 ピクリとも動かせない左腕を見ながら思う。
 一哉が弱いのならば、それより強いから何だというのだろう。
 問題は下を見ることではなく、上を見ることだ。
 自分の近くには一哉とは――もちろん、瀞とも――比べものにならないほどの武勇を誇る者たちがいた。
 それを目標に置かず、「一哉よりも強い」という観念の上に胡座を組んでいた自分が情けなくて情けなくて。

(いつも無理する一哉を助けるために戦おうとしたのに・・・・私は攫われちゃうし・・・・)

 思考がどんどん鬱になっていく。
 一哉が虎児を得ようとして虎穴に入るのが止められないように、瀞も自嘲の気があった。

「やはり、私がこちらにいて正解でしたね。"東洋の慧眼"も≪クルキュプア≫相手に苦戦している」

 新たに手槍を地面から引き抜き、十分に注意しながら距離を詰めてくる。

「一哉、いるの?」
「ええ、今は御主人様と戦っておいでですよ。戦う前からボロボロですがね」

 いくら人のように動けても、ヘレネは所詮人形だ。
 魔力を供給されなければ動けない。
 故に供給源――"男爵"から何らかの情報を得る術があるのだろう。

「やっぱり、一哉が来てるんだ・・・・」

 瀞にとって大切だったのは、加賀智島に一哉がいるというただ一点だった。
 いくつかの状況証拠はあったが、こうして確証が得られたのは初めてである。
 【叢瀬】からは昨夜までの情報を得ていた。しかし、この乱戦になってから瀞はずっとひとりだ。
 与えられた無線機は何故か不通になってしまったし、それ以後の戦闘で落としてしまっていた。
 このある意味、孤立無援な状態は戦い慣れていない瀞の精神を蝕んでいる。
 そんな中で得られた光に感じられた。

(一哉が・・・・いる)

 瀞の戦う理由は「一哉の敵と戦う」だ。
 それは即ち、「一哉と共に戦う」ということである。

「・・・・じゃあ、しっかりしないとね」

 戦う理由を再確認した瀞の瞳に光が戻った。
 朦朧としていた意識は晴れ渡り、しっかりと視界の中心にヘレネがいる。

「・・・・どうかしましたか?」

 気配にも敏感な人形など、この広い世界を探してもそういないだろう。
 一歩だけ後退り、盾に自分の体を隠した。
 それを見ながら、瀞は体を起こそうと重心を前へと移動させる。

「―――っ!?」

 瀞の動向に注意していたヘレネが弾かれたように盾を左へと向けた。

―――ドゴンッ

「ぐっ」

 歯噛みし、ずるずるとブーツが床の上を滑る。
 鋼の盾にトン近い衝撃が加わったのだ。
 さすがのヘレネでも、衝撃を逃がしきることはできない。
 瀞が紡ぎ出した術式――"蒼徽狼麗"の狼は直撃と同時に姿を消したが、この戦いで初めて、瀞が攻めに転じたものだった。

「まさか、さっきと同じ目眩ましを―――っ!?」

 瀞を跳び越えるようにしてまた1ぴき、狼が現れる。
 それは先程と同じように突進すると思いきや、着地することもなく<水>へと還元された。

「せっ」

 その飛沫となった滴は瀞の"気"に触れると瞬く間に水の槍と化す。

「くぁっ」

 咄嗟に引き戻された盾の表面に怒濤の如く槍が殺到した。
 一撃一撃が破城鎚のような破壊力を伴うそれは、圧倒的な物理量を以てヘレネを押し戻す。

「よっと。アタタ・・・・」

 チラリと左肩を見遣る。
 血は止まりかけだが、やはり重傷としか言いようのない傷が肌に刻まれていた。

(うぅ〜)

 考えると痛くなってきたので見ないことにする。
 今はまだ、"気"で抑えているのでどうにかなっているが、戦闘でその"気"を消耗すれば危ないだろう。

(まあ、病院行きは変わらないから・・・・いいかな)

 多少投げやりにだが、目の前のヘレネに集中することにした。

「飽和攻撃とは・・・・さすがは<風>の次に多い、<水>ですね」

 盾は彼女の体よりも小さい。
 故に水槍は容赦なく、盾の防御が及ばない範囲――四肢の端や服の裾などはズタズタに切り裂かれていた。しかし、さすがは人形。
 人のように痛覚がないので動きには支障がなさそうだ。

「この服、高かったのに。御主人様の食費や雑費から引き抜いて仕立てたというのに・・・・」

(・・・・何てメイドだ・・・・)

 右手一本で<霊輝>を構えながら、瀞は距離を測る。
 瀞は典型的な精霊術師だ。
 中距離戦闘は術で行い、接近戦も武器を使って行えるという汎用型。
 それ故に他の能力者とも互角に戦えるのだ。

「"蒼徽狼麗"」

 ゆっくりと呟かれた術式の名に反応し、瀞の周囲が揺らいだ。

「ほぉ・・・・」

 ヘレネも周囲に槍を現出させながら感嘆の息をつく。
 水の波紋が広がるように空間が震え、それが治まった時には4体の狼が姿を現した。
 単身で戦うことを恐れた瀞が修得し、渡辺宗家出奔以降に磨きを掛けた具現型術式――"蒼徽狼麗"。
 "気"の消費は維持だけでも馬鹿にならないのだが、貴重な戦力には変わりない。
 魔術師で言う、使い魔的存在なのだ。

「行って」

 短い指令に、狼たちは機敏に反応した。

「所詮は水ぅっ」

 ロケット推進にて急進した槍が轟音を立てて爆発する。
 その奔流に巻き込まれた1ぴきが抵抗する間もなく四散した。

「水だよ。でも、水ってのは離散集合ができるんだよっ」

 瀞が"気"を送り込むと同時に散らばった精霊たちが集合し、再び狼を象る。そして、その狼は牙を剥き出しにしてヘレネに襲いかかった。
 ドンッと衝撃を持って水と鋼がぶつかり合う。だが、ヘレネも人ではない。
 普通なら跳ね飛ばされそうな衝撃でも、足を踏ん張って耐えて見せた。

「ふんっ」

 盾と槍を振り回し、ヘレネは4ひきの狼を相手に獅子奮迅の働きを見せた。
 これではただの消耗戦だ。
 瀞は傷の手当てに"気"を残したいところなので、この戦いは望ましくない。

(一気呵成、ってのは無理かな・・・・)

 ヘレネを充分に押し返したと判断した瀞は唐突に狼たちを<水>に戻した。

「・・・・次は何ですか?」

 ヘレネは警戒した面持ちで槍を構え直す。
 瀞が剣術で向かうよりも、強大な水術師として戦う方がヘレネには脅威に感じられるのだ。
 それも無理はない。
 瀞は天性とも言える、水術の才がある。
 それが戦いに活かせるかという点では未知数だが、基準値が高いことは言うまでもない。

「"雪花―――」

―――ズズンッ

 足下で響く轟音。

「え? えぇ!?」

 ぐらりとバランスが崩れ、足下の感覚がなくなった。










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