第十二章「第二次鴫島事変〜中編〜」/4



「―――どういうこと?」
「あたしに訊かれても分からないよ」
「とにかく情報整理しましょう」

 加賀智島の深部――【叢瀬】の本陣には動揺が広がっていた。
 加賀智島攻撃隊の総攻撃は罠による効果的な迎撃で敵戦力を分断。
 そこに叢瀬央梛とはまた別の部隊を派遣して制圧していた【叢瀬】は突然の横槍と停電に混乱し、戦線を維持できずに後退している。
 幸い、負傷者は出たが、死者はない。
 ただ、先遣隊として敵の精鋭を潰しに行っていた叢瀬央梛との連絡が不通だった。しかし、通信の途絶は島内の全電子機器が使用不能になった今、然したる問題はない。
 それでも突出した彼の安否は気遣われる。

「姉様が無事なら・・・・」

 ちらりとこの部屋に鎮座する"銀嶺の女王"・叢瀬椅央を見遣った。
 その玉座には無数の電線に体中を取り巻かれた少女の姿がある。
 彼女こそ【叢瀬】のリーダーで彼女たち3人が命に代えてでも護るべき存在だった。しかし、女王が持つ聡明な頭脳は二度目の『電気ショック』で沈黙している。

「姉様も必死に戦っておられます。やはりここは私たちが支えましょう」
「そうだな。あたしたちがしっかりしてれば敵を防げる」
「賛成ね」

 彼女たちは【叢瀬】の女王に至る最後の砦――"侍従武官(Epuerry officer)"だった。
 数少ない異名持ちであり、その総合戦闘力は叢瀬央芒・叢瀬央葉に並ぶ。だが、彼女たちは"侍従武官"であり、椅央がいる場所に常に侍っていた。

「じゃ、他の奴らは退却させて、ここへの一本道になるとこで迎撃しよっか?」
「妥当な策ね」
「それでは後事を託し―――」

―――タタタッ、カカンッ!!!

「―――あら? 外れた? ・・・・そう、銃を使うくせに実はへたくそだったのね、私」

 天井からの声に三人娘は視線を上に向ける。
 そこには上半身だけ天井から出し、サブマシンガンをこちらに向けている女性がいた。

「「「―――っ!?」」」

 三人は弾けたように被検体着を翻して飛び退る。
 他の【叢瀬】も一斉に戦闘態勢に入った。

「ふふ、監査局特赦課序列二七位・時宮葛葉。敵わずとも、一矢報いさせてもらいます」

 どろっとその体の輪郭を失い、粘液状になった彼女はボトッと床に落下する。そして、プルプルと表面が振動し、徐々にヒトの形を取った。

「ふう、さすがに数十メートルも潜るのは大変ですね。肉体の存在概念を危うく失うところでした。・・・・まあ、私が忘れっぽいのがいけないんですけど」

 葛葉は辺りを見回し、ざっと【叢瀬】の数を確認する。

「だいたい全員集まってますね。これならばすぐに任務を完遂できそうです」

 ガシャッとマガジンを取り替え、戦闘準備を整えた。
 その音に呆然としていた【叢瀬】も我に返る。

「さあ、神忌様。あなたのお仕事、私が終わらせて上げます」
「「「みんな下がってっ」」」

 ばらまかれる銃弾と三人娘の【力】が展開したのは、全くの同時だった。






新生・渡辺宗家scene

 水術の特徴は意外にも重量である。
 地術と双璧を為す物理系精霊術である水術は対軍戦闘には秀でていた。
 敵の弾丸は厚い水の壁に阻まれて弾道が歪み、その壁から打ち出される高圧力の刃は装甲を寸断する。また、<火>や<雷>とは違い、術の元になる<水>はどこにでも水蒸気として浮遊していた。
 H2O=<水>という図式は成り立たないが、H2O≒<水>という図式は成り立つ。
 H2Oが多いところには当然<水>が豊富で、H2Oが少ないところでは同じように<水>が乏しい。だから、水術師の一族は自然とその水が豊富な地域を選ぶ。
 水術最強渡辺宗家は大和朝廷の時代よりももっと昔から琵琶湖湖畔に住んでいた。また、水無月家は富山湾や伊勢湾に注ぎ込む川たちが生まれる飛騨地方にその居を構えていた。
 つまり、水術師は極悪な環境ではない限り、戦闘能力が高い性質を持っている。
 そんな水術師にもふたつのタイプが存在していた。
 <水>に気に入られ、その術自体が神秘性を帯びる術者と、ただただ現実的な『水』という特性に特化した術者。
 当代の直系では前者が渡辺瀞、後者が渡辺瑞樹である。
 渡辺瀞のような者が扱う<水>が神秘性に富んでいる術者は退魔の方に向いていた。だから、渡辺宗家は個人が扱う術の特性から退魔用と対人用に分けて術者を育て、収集した情報に基づき、適切な人材配置で仕事をこなしてきた。
 それが崩れたのは第一次鴫島事変である。
 SMOの情報では大量の妖魔が発生していることから渡辺宗家は退魔班の出動を決断した。そして、その部隊は宗主諸共壊滅し、現在の渡辺宗家に残っている戦力は育成中の退魔班と対人部隊である。
 今回、出撃したのは対人部隊であり、そう言う面でも軍隊を相手にするには都合が良かった。

 結果―――

「―――第二防衛ライン突破されましたっ」
「くそ、何なんだってんだ。俺たちは正面の装甲車部隊だけで手一杯って言うのにっ」

 ミサイル基地守備隊は混乱の絶頂にあった。
 寄せてきた歩兵部隊は重機関銃がハリネズミのように配置された陣地で撃退。
 その後に兵力を再編してきた反SMO部隊は装甲車とともに雷術師もおり、第一陣は瞬時に壊滅。
 その後、第二陣で激戦を展開していた。
 装甲車は予想通りだったが、雷術師は予想以上の戦力でトーチカの銃眼を撃ち抜く正確さとそもそもトーチカ自体を破壊してしまうような一撃でこちらの抵抗力を奪う。
 それでも攻撃の一つ一つが派手なだけに攻撃が集中し、電撃戦ができないでいた。
 地道に侵攻されてはいるが、守備隊の兵力からすれば充分押し返せる圧力だ。しかし、それが狂ったのは思わぬ攻撃を受けたからだった。

「奴ら、水術師か!? 畜生、ミサイルで全滅したんじゃないのかよっ」

 司令部第三防衛隊の隊員が狂ったようにアサルトライフルの一種である89式5.56mm小銃をフルオートで撃ちまくった。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 軽快な射撃音と硝煙が辺りに満ち、その標的となった敵は穴だらけになって沈黙したように見える。

「こ、これで・・・・奴らも―――ごふっ」

 煙を上げる銃口を下ろした時、彼は腹に水の塊を受けて吹き飛んだ。

「あ、アァ・・・・ッ」

 臓腑が破壊されたような痛みに口から血を流して悶絶する。

「―――そうですよ。ミサイルで宗主や長老衆といった歴々の方々が戦死なさいました」

 痛みに薄れる視界の中、朝霞を纏って歩いてくる影を見た。

「だから、これは歴とした報復」

 傍までやってきた少女――水無月雪奈は守護神を胸に抱えたまま膝を折る。

「水は隙間がある限り、どこまででも浸透する。あなた方の防衛線は気づかぬうちに水没してしまったのよ」

 トン、と首筋を叩かれ、彼の意識は闇に落ちた。

「さて、ここも制圧したかしら」

 雪奈は銃声が少し遠退いたことを確認し、息をつく。
 【渡辺】の戦力はミサイル基地守備隊が陣を敷いていた場所の背後から襲いかかっていた。
 瑞樹が現れた上級妖魔を押さえている内に侵攻した彼らは瞬く間に敵の背面防備隊を蹴散らし、司令部に迫っている。
 水のように侵入した【渡辺】はまるで薬品を溶かすかのように敵を孤立させ、じわじわとその数を減らしていた。だが、その進行速度は速い。
 水術は雷術のように派手ではないが、その攻撃力は人間相手ならば匹敵する。
 雷術の攻撃力を100としたならば水術を70くらいだ。だが、人間を打倒するのに50必要ならば両方とも飽和し、条件を満たしていた。
 だから、隠密性に優れた方が早いのは自明の理である。

「さ、もうひと仕事して瑞樹くんの手伝いに行こうね」

 腕の中で大人しい守護神に笑いかけた。
 守護神も無垢な瞳を雪奈に向け、トッとその腕から抜け出す。

「え?」

 突然の行動に雪奈は目を見張り、そして、嫌な予感を抱いた。

「何かあったの?」

 守護神の視線が向いている方向には瑞樹が戦っている場所がある。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 雪奈は目を閉じた。
 脳裏には目まぐるしく変わっているであろう戦況がある。

(大丈夫。あの人たちは対人用に訓練されたプロ。私なんかよりもずっとヒトには強い)

「案内してくれる?」

 雪奈の言葉に守護神が頷き、その体を前線とは逆方向に走らせた。

(ごめんなさいね、瑞樹くん)

 心の中で夫に謝り、雪奈は疾走する。

(指揮を頼まれたけど・・・・やっぱり私はどちらかというと退魔系の術者なのよ)

 水無月雪奈は戦線離脱し、木々の奥へと姿を消した。



 上級妖魔・昏流。
 全長は1.8m。半漁人の形で紋様の入った仮面と腰巻き、背中と手足にトラハゼのようなヒレがある。
 意外に長い舌や頭上の大きな泡から繰り出される水球の中距離戦闘。
 水かきのある手の爪や腕を変質させた鋏で素早い連撃の近距離戦闘。
 甲殻類を思わせる殻を局所的・随意的に作り出して装甲とするなど、多彩な戦術を見せる妖魔だ。

「―――ふっ」

 繰り出された鋏を回避し、腕の伸びきった右脇腹へと水をまとった掌を叩きつけた。

―――ガギンッ

 やたら硬そうな音と共に掌が停止する。

『コココッ』

 視界の端にキラリと光る爪。
 それを昏流の腹を蹴ることで回避した。そして、そのまま沼地となってしまった地面を走る。

『コッ』

 こちらの予想進路に繰り出される長い舌を急停止することで避け、掌を向けて水球を撃ち込んだ。

「くっ」

 弾ける水飛沫の向こうから飛んできたお返しの水球を水球で相殺してさらに距離を取る。
 距離にして20メートル。
 そこでようやく昏流の攻撃が止んだ。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 戦いが始まってすでに一時間が経過している。
 人並み外れた体力を持つ精霊術師と言えど、これは長時間だ。

(はぁ・・・・よく、武士たちは重い甲冑を着けて数時間戦っていられましたね・・・・)

 渡辺瑞樹は対人戦闘班として教育されてきたため、長期戦には慣れている。だが、相手にするのは妖魔だ。
 渡辺の直系に生まれた以上、双方の戦闘もこなさねばならないが、正直、上級妖魔を相手にするのは初めてだった。

「はぁ・・・・ふぅ・・・・ふぅ・・・・」

 だからといって、任せられる人物も、任す気もない。
 辺りに満ちる霧は<水>に働きかけて作られたもの。
 ならば水術師ならば退けることができるはず。だが、変質されたこれらは瑞樹の血筋と実力を持ってしてでも正気に戻すことはできなかった。

(あの娘ならやってしまうんでしょうね・・・・)

 年下の少女を思う。
 当代、いや歴代で見てもあれほど<水>に愛されている術者は【渡辺】の開祖と伝わる、初代"浄化の巫女"・渡辺志津(シズ)以来だろう。
 事実、彼女たちに共通するのは<白水>の使い手と言うことだ。

『コーコココココ』

 不気味な鳴き声が木々を振るわせ、濃密な霧が昏流の居場所を隠す。

(参りましたね。普段なら霧は僕たちのテリトリーだというのに)

 <白水>は無類の浄化能力を持つ。
 彼女がいればこのような霧。
 一瞬で浄化して敵の刃を奪うだろう。しかし、瑞樹にできることは昏流の猛攻を擦り抜け、その急所に攻撃を浴びせることしかなかった。

『―――コッ』
「くっ」

 突然は以後から現れた昏流の爪を少々無理をし、体の回転だけで回避する。

『コッ』
「―――っ!?」

―――ドグッ

 当然、体勢は崩れているのだから次の一撃には対応できなかった。
 瑞樹の体はすくい上げるような鋏の峰で殴られ、高く舞い上がる。

「ぐ、う・・・・っ」

 食い縛った歯の隙間から苦悶の息が漏れた。
 咄嗟に"気"を集中したおかげで骨折はないが、間違いなく痣ができた腹を押さえる。

「か、は・・・・っ」

 横隔膜が麻痺したのか、うまく呼吸ができないが、視覚は正常に働いて落下地点で待ち構える昏流の姿を捉えた。
 左腕の鋏に、右腕の爪を伸ばした昏流の表情は仮面に包まれて分からない。だが、何故か嘲弄しているように思えた。

(この・・・・っ)

 瑞樹の眸が激情に燃え、その身から絶大な【力】が湧き上がる。そして、視点は昏流の上に鎮座する水泡に移った。
 全身から溢れ出す【力】を手に収束させる。
 空中にあるため、体重を掛けることはできないが、相手は泡だ。
 物理的な力はさして必要ではない。

「せっ」

 瑞樹を呑み込もうと近付いてきた泡に空中で腕を一薙ぎした。
 それはとてもではないが、腕の届く範囲ではない。だが、その軌跡から放たれた水流は膨大な"気"によって収束され、その高圧力の水は紙細工のように泡を切り裂いた。
 同時に同じものを昏流にも放って落下地点から退け、瑞樹は両足でしっかりと地面に着地する。
 昏流の影響か、沼地で足を取られやすいが、この水は変質を受けた度合いが小さいらしく、まだまだ水術師を呑み込むほどではない。
 弾けた泡からはまるで雨のように水が降り注ぎ、冬の寒さの中で瑞樹はびしょ濡れになった。
 それは本来ならば体温を奪う最悪な環境となるが、瑞樹には関係ない。

『コココッ』

 一度仰け反ってから伸ばされる舌。
 それは木の幹を貫通する威力を持っていたが、最早見慣れてしまった。
 冷静に軌道を見切り、急な変換があったとしても躱せる場所に移動してから意識を逸らす。そして、爆発的な瞬発力を見せて距離を詰めにかかった。
 舌を伸ばした状態で白兵戦ができるほどこの妖魔は器用ではない。

「セェッ」

 対人用に隠密性を高めるために修得した水剣を思い切り振り抜いた。
 ウォーターカッターはものすごく小さな穴から水を噴出させ、その圧力で物体を切り裂く、吹き飛ばすものである。
 その要領で作られた瑞樹の剣はとてつもない破壊力を有し、その程度を込める"気"や集める<水>によって変換できるという利点を持っていた。
 瀞が"雪花"というオリジナルの術式を持つように、瑞樹もこの水剣――"沙廉(イサユキ)"という術式を持っているのだ。

―――ドパァッ!!!

 まるでダムが決壊したかのような水流が力の向きとは逆に噴き出す。
 "沙廉"に込められていた水が<水>を制御する【力】が弱められ、本来の体積を思い出したのだ。
 作用反作用の法則に従い、水の向きとは逆――つまり、昏流の方――に絶大な物理的力が働く。
 従来の水剣では昏流の装甲を貫くことはできなかった。しかし、この爆発力は効いたようだ。
 装甲にヒビを入れた昏流は大きく飛び退さって霧の中に姿を隠した。

「決して不利ではない・・・・」

 退魔において決してしてはいけないと言われる長期戦。
 精霊術師はどれだけ身体能力に優れようと人間である。
 妖魔に体力で凌駕することは不可能であり、精神面でも妖魔にはアドバンテージがある中、長期戦は鬼門、ということだった。
 それでも瑞樹は1時間、昏流を相手に激戦を繰り広げている。
 水術や体術を駆使した戦闘は穏やかではなく、消耗戦という名の戦だった。しかし、瑞樹は渡辺宗家宗主という誇りと<水>を変質させるという精霊術師からすれば許されることのない所業への怒りで支えられている。

(全く・・・・)

 落ち着こうと、ずれてもいない眼鏡をいじった。
 瑞樹を戦闘へと駆り立てるものはそれだけではない。
 最愛の従妹を救いに行くことはできず、みすみす奪われて救出すべき存在にも会えていない苛立ちに支配されていたのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ」

 瑞樹は心の内に貯め込んだ一哉への罵声をどうにか呑み込み、それをため息として一気に排出する。

(冷静にならなければ。戦場で冷静さを欠いた者が倒れるのです)

 修羅場は潜ってきている。
 この一年間、渡辺宗家の仕事を支えてきたのは自分だという自負もある。そして、滅亡の危機にある宗家を甦らせるには、この戦で名を上げ、かつての栄光を取り戻す他ない。
 上級妖魔撃破とミサイル基地制圧はその術としては理想的だった。

「では、こちらから行―――っ!?」

―――ドクンッ

「ガ、ハ・・・・」

 "沙廉"が掻き消え、ぎゅっと胸を掴んで膝を付く。
 胸が熱く、呼吸が圧迫されるように辛い。
 滝のように汗が出て、体の自由が効かない。
 心臓が胸の皮膚を貫きそうなほど激しく脈動し、血管を突き破りそうなほどの勢いでちが行き来していた。
 <水>が心配そうに辺りを乱舞するが、体内で起こった以上には関与できない。
 その浸食されていく様を表すかのように霧の濃度が高まり、一寸先も見渡せなくなった。
 まるでどろりとした液体にまとわりつかれているようで気分が悪い。

『コーココココココココッ』
「う、くぁ・・・・」

 その隙に伸びてきた舌が瑞樹を拘束した。
 万力の如き力で締め上げられ、全身が軋みを上げる。

(これは・・・・毒? いつの間に・・・・)

『コ、コ、コ』

 愉悦を含んだ鳴き声が届き、霧の中から昏流と思しき影が動いた。

(霧・・・・そうか、霧かっ)

 水分に溶けた毒性分が霧の中から体内に取り込まれ、微量の遅効性の毒が体を徐々に蝕んでいたのだ。

(不覚。まんまと敵の罠に掛かるとは・・・・)

 戦場を独自の術式で支配する妖魔だと気付いていたはずなのに、どうして毒の可能性を考慮しなかったのか。

『コッ』

 ブンッ、と放り投げられ、瑞樹の体が泥を跳ね飛ばして盛大に転がった。
 意識せずとも彼を受け入れていた沼地の水が今度は牙を剥き、ズブズブとその体を沈めていく。
 このままでは呑み込まれると分かっても、痺れて言うことの効かない体ではどうしようもない。

「・・・・ッ」

 今になって昏流の戦法などが濁流のように頭に流れ込んできた。
 予め、霧を発生させて辺りを沼地化させる。そして、その沼から発生した毒素が霧の水に吸着して大気を漂い、そこで戦う者の呼吸に合わせて体内へと送り込む。
 霧を媒介するので毒が回るまで時間が掛かり、効果も薄い。しかし、近・中距離戦闘に秀でた昏流ならば充分に時間を稼げる。
 もちろん、その戦闘力だけで敵を凌駕することもあるだろう。だが、瑞樹のように長期戦になっても倒せない敵にはこの遅効性の毒が効いてくる。また、敵が大軍だった場合でも布陣した敵兵を丸ごと麻痺させることが可能だ。
 本来ならばもっと効果は早く出ているはずだろう。しかし、毒の媒体が水である以上、瑞樹への影響が遅れたのも無理はない。

(つまり、僕が一番、この妖魔に勝機があったというのに・・・・)

 単純に毒が回る前に昏流を打倒すれば良かっただけのこと。

『コーココココココココッ』

 心底嬉しそうにヨタヨタと歩いてくる昏流。
 その動きは完全に瑞樹を侮っていた。
 両手を鋏に変換し、二度三度と閉じて確認する。

(首切り、ですか・・・・)

 今の瑞樹は腰辺りまで沼に埋まり、まるで処刑を待つ囚人のようだった。

(討ち死にする者には相応しい末路かもしれません)

 瑞樹は目を閉じる。
 すでに勝敗は決した。
 ここで足掻くのは潔くない。

(すみません、瀞)

 宗主継承権を拒否したというのに結局、彼女にその権利を押し付けることになってしまった。だが、彼女ならば家中をまとめ、この乱世を生き抜いてくれるだろう。

(雪奈・・・・)

 祝言を挙げてまだ1ヶ月。

(短い間でしたが、あなたを妻とでき―――)

「―――きくんっ」

―――ドパァッ!!!!!

 視界の端から生まれた津波が濃密な毒霧や瑞樹の動きを縛っていた泥を、昏流ものとも洗い流した。
 当然、瑞樹も土と共に大きく流され、草の上に痺れる体を横たえる。

「ぐ、ごほっ」

 油断していたのところの一撃で喉の奥に水が流れ込んだ。
 水術師と言えど、気管に水が入れば苦しい。

「瑞樹くん、無事!?」

 パタパタと走ってくる足音。

「え、あれ?」

 その主をパチクリとした眸で迎えた。

「うわ、ビショビショじゃない」

 濃密な霧を拡散させ、後退させた少女と生物は瑞樹の前で止まる。そして、身を屈めてこちらを覗き込んできた。

「ゆ、雪奈・・・・」
「うん、雪奈ですよ」

 すっと手を差し伸べられ、柔らかな指が手を握る。

「さ、立って」
「で、ですが・・・・あれ?」

(体が楽になっている?)

 まだ手足に痺れが残っているが、呼吸に障りはなかった。
 ぐっと足腰に力を入れれば、ちゃんと体が持ち上がり、その場に立つことができる。

<―――キュ>

 足下から満足そうな鳴き声が聞こえた。
 見下ろしてみれば一仕事終えたような感じで耳の裏を掻いている守護神様がいる。

(そうか、御神様が・・・・)

 <水>の特徴はとにかくその静謐なる浄化力である。
 水術師では瀞の独壇場だが、彼女にその【力】を授けた先代守護神の子どもであるこの小さな神にとって、この毒は浄化できるものに違いない。

「戦場支配がないというならば、条件は五分」

 話ながらでも襲いかかってきた敵の水球は撃墜できた。
 霧は守護神の性質のひとつでもあり、昏流と支配権の争奪戦を繰り広げている。

「<水>を使い、同じ近・中距離戦闘タイプならば負けるわけにはいきません」

 その手に"沙廉"を召喚し、それを両手で握り込んだ。そして、鋭い視線と研ぎ澄まされた殺気を昏流に叩きつける。

「無名ながらも僕が水術師最強術者なんですから」

―――あくまで、戦闘ではですけど。
 心の中でそう呟き、まずはとばかりに数十の水球を撃ち出した。






熾条一哉side

(―――あ・・・・)

 少年の意識が数時間ぶりに表層まで浮上した。

(俺、は・・・・?)

 まるでまどろみの中にいるような気分で走馬燈のように年末からの出来事が思い返されていく。
 大晦日に勃発したSMO監査局第一実働部隊――通称、坂上部隊との戦闘。
 その戦闘で重傷を負った年始から病院に放り込まれた。そして、一週間強の療養の後、鴫島強襲に向けての下準備に入る。
 前哨戦として中継基地を制圧し、鴫島までの移動手段を確保した。
 同時に得た協力者の存在は後に強大な援軍との連動を可能にする。
 援軍との共闘作戦の一環として行われた鴫島夜襲で敵のレーダー網をズタズタに引き裂いた。さらに敵の対地航空戦力を殲滅し、加賀智島へと向かうも艦隊に出くわし撃墜される。
 偶然、突っ込んだ断崖には窓があり、機体が落下するまでにその中へと飛び込んだのだ。だが、やはりその後の単装速射砲が機体に命中した衝撃で重傷を負ってしまう。
 それが引き金となり、騙し騙し使っていた身体が悲鳴を上げ、彼の意識を容赦なく刈り取ったのだ。

(・・・・俺、何してたんだっけ・・・・?)

『―――違う。それじゃない。私は"武器も使わず、指一本動かさず"、ヒトを殺すことができる【異端者】なのっ!』

 『日常』に喘いでいた自分に非日常を運んできた少女。

『ごはんできてるから着替えたら来てね』

 同時に本当の日常を教えてくれた少女。

『私のことは忘れてください。もうあなたはこの世に関わることはないはずです。知らない方がいい、ということもありますから』

 危険から遠ざけるために身を張ってくれたこともある少女。

『前に一哉が私に言ったよね、「お前は誰と戦うんだ?」って』
『答えるね。私は―――"一哉の敵と戦うよ"』

 何より、初めて熾条一哉と共に戦うと、傍にあると誓ってくれた少女。

「しず、か・・・・」

 ぎゅっと指先が動いた。

「・・・・ッ」

 激痛がその身を貫き、防衛本能に則って意識を奪おうと襲ってくる。
 それを必死に耐えながら、その指先は何かを探るように蠢いた。

―――カチャ

 指先に当たったもの無意識に握り締める。

「・・・・ッ」

 突然、その体に"蒼い炎"が立ち上った。そして、その身に刻まれた傷の痛みを和らげる。
 それと同じ炎が彼の打刀・<颯武>からも発せられていた。
 <火>とは「破壊と再生」の意味を持っている。
 <颯武>とは熾条厳一が勝手に蔵を開け放って送りつけてきた家宝だ。
 そのふたつの意味を知るには、一哉は自分を知らなすぎた。










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