第十一章「第二次鴫島事変~前編~」/7



「―――ふん、来たか」

 神忌は突然、目の前に現れた存在を驚きもせずに迎え入れた。

「久方ぶりで御座います、"侯爵"様」
「ヘレネ、だな。主がその有様ではさすがに減らず口は叩けないか」

 地下で始まった死闘は認識している。
 今も部下である特赦課の人間が死の淵に立っているだろう。

(些細なことだがな)

「何か用か?」
「はい」

 ヘレネは車いすから離れ、傍まで寄ってきた。

「熾条一哉。彼の居場所を教えて貰おうと」

 そっと囁かれた内容。
 それを聞き、神忌は"男爵"を見遣る。
 彼は車いすに腰掛け、ガックリと頭を垂れていた。

(なるほどな。奴の名前を聞かせたくなかったか)

「残念だが、知らんな」
「知らない?」

 ヘレネの眉が跳ね上がる。

「あなた様はずっとここで戦況を監視していらっしゃったのでしょう?」
「ああ」
「それで知らない、と?」
「ああ、知らないな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ジト目で見られた。

「おいおい、職務怠慢とか言うなよ?」

 「知ってるのはなぁ」と前置きし、神忌は実際に見たことを端的に説明する。

「熾条一哉は強襲ヘリ『蜂武』に乗り、巡視船の攻撃を受けて加賀智島の断崖に激突。そして、トドメとばかりに単装速射砲を受け、機体は海に沈んだ。それからは見てないな」
「・・・・本当ですか?」
「嘘ついてどうする」
「・・・・・・・・分かりました。ならば部隊を島全土に広げて探索するのみです」

 ヘレネは車いすを押し、神忌の前から去ろうとした。そして、いつの間にか辺りに展開していた≪クルキュプア≫もぞろぞろと移動する。

「生きていると思ってるのか?」

 単装速射砲の命中だ。
 その兵器は人の殺傷ではなく、人が使う兵器を潰すためのものであり、その破壊された兵器に乗っていた人間など「死傷していて当たり前」ともいうべき威力を持っている。

「あなたは知らないかもしれませんが・・・・」

 ヘレネは振り向き、神忌を視界に収めた。

「あの方は己に仇なす者の期待という期待をことごとく裏切る人なんです。それが積み重なったからこそ、"東洋の慧眼"という名を得たのですよ」
「・・・・違いない」

 素直に認める。
 相対したことはないが、監査局長――功刀宗源が危険を感じ、暗殺を命じた人物だ。
 あのまま冥府に旅立ったとは思えない。―――実際にそれを見ていなければ。

「・・・・信じる信じないはそちらの自由だ。とにかく奴はそれから姿を見せてない」
「・・・・分かりました。万が一、あなたの前に現れた場合は私たちのことをお教え下さい」

 そう言い残し、ヘレネはその場を去った。
 鴫島の方面から爆音やら何やらいろいろ聞こえてくるが、加賀智島の『地上』は静かなものだ。
 ふ、と海風が吹き、辺りの木々や神忌の髪を揺らした。

「ふん、人形と化した主を支える人形、か」

 赤い眸をヘレネたちが去った方向に向ける。

「皮肉だな」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 嘲りの笑みを浮かべる神忌の後ろでは双子がぼーっと明るくなった空を見上げていた。






渡辺瑞樹 side

「―――この辺り、ですね。雪奈、足下に気を付けて下さい」
「分かってるわ。私、一応山育ちだから山道には慣れてるわよ」

 渡辺瑞樹は妻である水無月雪奈の手を取りながら山の斜面を降っていた。

「反SMOの歩兵部隊は入り口で敵の激しい反撃に遭ってるよう。銃声がまだまだ遠い」

 偵察に出ていた術者たちが茂みを掻き分けながら帰ってくる。

「そうですか。やはり、ここは重要拠点なのですね」

 木々の切れ目から瑞樹は目的の場所を見下ろした。
 切り開かれた大地に造られたミサイル発射施設。
 今月初め、日本列島を襲った15個の準中距離弾道ミサイルはここから発射されたのだ。
 2本は結城邸、山神邸上空で撃墜されたが、残り13本は目標に落ちた。そして、その威力を遺憾なく発揮している。
 一撃で軍ではなく、国に大打撃を与えるだけの威力を持つ弾道ミサイルはたったひとつの屋敷と人間を吹き飛ばすに充分だった。
 老若男女問わず、何が起こったのかも分からない間に五体を砕かれ、器を失った御霊は常世へと旅立つ。
 その解放された威力と戦ったのは渡辺宗家だった。
 渡辺宗家には結城晴輝のような歴代の宗主の中でも突出した実力を持つ術者がいなければ、山神宗家のように屋敷自体を要塞化していたわけでもない。
 宗家の歴史は古いが、所詮は豊かな琵琶湖の湖畔に居を構え、平和な時世を続けてきた一族だった。
 危機にあったのは戦国時代、織田信長の干渉を拒否した時ぐらいである。
 信長は自らの能力を売り物にしていた伊賀・甲賀に侵攻するなど、裏の血脈にとって危機的存在だった。しかし、その時は渡辺宗家が長い歴史の中でも最も勢力を蓄えていた時であり、安土城築城にも貢献したことから征討は免れている。
 傑出した能力者を輩出したのは奈良時代末期を始め、数えるほどであった。
 そのためにミサイルを撃墜できる者はなく、対抗=死を意味する戦いとなる。

(母上、各分家当主・・・・)

 瑞樹は拳を握り締めた。

(必ず、仇を討ちます)

 "先代宗主・渡辺真理"以下前幹部、長老衆はミサイルによって命を落としている。
 先も述べた通り、結城・山神宗家とは違い、渡辺宗家はミサイルを迎撃するだけの力はなかった。
 勢力を超えた暴力に対し、真理は全ての人間を湖上庭園に避難させることを決める。
 湖上庭園は水無月雪奈によって育てられる新守護神の【力】によって外敵への防衛力が上がっていた。
 先代が神秘性を重視したのに対し、今代は実用性を重視したようだ。
 流転する水の通り、守護神毎に聖域の様子が変わる湖上庭園は今回の事態に対して打って付けの避難所だった。しかし、渡辺邸そのものを消し去ろうとしたミサイルの猛威は湖上庭園にも迫るだろう。
 それを認識していた真理や分家当主、長老衆など渡辺を指導する立場にあった者たちが湖畔にて迎撃。
 湖上庭園への爆風を押し止める代わりに討ち死にしたのだ。
 渡辺邸は灰燼と帰したが、残された瑞樹たちはそこに現れた者に従って姿を眩ませる。そして、今日、報復のために戦場に舞い戻ったのだ。

「瑞樹くん・・・・」

 きゅっと雪奈が手を握ってきた。

「・・・・はい」

 強く握り返し、居並ぶ術者を見回す。
 そこにいるのは誰もが一族を失った者たちだった。
 渡辺宗家が抱える最後の戦力。
 総勢十三名の水術師が新たな宗主の言葉を待っている。

「ミサイル基地攻撃隊はどういう進路で進むのでしたか?」

 すぐに答えが返ってきた。

「はい。装甲車数台が敵防衛線を突破。その後、歩兵連隊にて挟撃して基地内に雪崩れ込む手筈でした」
「しかし、その攻撃に使う装甲車を積んだ『玖雲』が炎上したために計画は頓挫。現在、装甲車なしにて歩兵連隊が突撃しています」
「結果はごらんの通り、敵防衛線に阻まれ、苦戦中です」

 渡辺宗家の軍勢がミサイル基地を目指したことは藤原以下反SMOは知らないだろう。
 何故なら、瑞樹たちはミサイル基地への道を通らず、未開拓の森林を駆け抜けていた。
 地図を見ればこの進路の方が敵の妨害に遭わず、基地を攻撃できるのだ。
 その事実には藤原たちは気付いていたであろうが、山道は装甲車はもちろん、武装した兵では進めぬほどの悪路である。
 精霊術師が持つ身体能力を示して初めて走破できる侵攻路だったのだ。

「さあ、行きましょう」

 瑞樹は腰に佩いた太刀を確認し、敵陣を見下ろした。

「我々は・・・・一ノ谷の戦いで鵯越を敢行した源軍なのです」

 少数精鋭と言えば聞こえは良いが、今から突撃する場所は弾丸が飛び交う、本物の戦場だ。
 これまでに渡辺宗家は重火器を大量に装備する組織との戦いを経験したことがない。
 渡辺宗家はあくまで退魔組織であり、その仕事の内容は対魔がほとんどだった。だから、このような戦闘は初めてなのだ。

「それでは・・・・行きますっ」

 慣れぬ戦場で不安だろう術者たちに先立ち、瑞樹が急斜面に身を投げる。そして、斜面のわずかな出っ張りを足場にし、重力加速度を弱めつつ―――落下していた。

「誰もいな・・・・」

 柄に手を掛けながら辺りを見回す。

「ん?」

 そこで十数メートルの崖を降った瑞樹はその場に漂う霧に気付いた。

「これは・・・・?」
「―――瑞樹くんっ」
「―――っ!?」

 霧を切り裂きながら飛来した物体を刀の峰で逸らし、自らも地面に倒れ込みながら避ける。

「はぁっ」

 瞬時に水球を構成、物体の起点向けて撃ち放った。

「・・・・外しましたか」

 手応えはなく、朝靄が立ち籠めるこの空間で無意味に水分を散らせるに終わる。

「宗主、ご無事で?」

 次々と崖から飛び降りてきた分家たちが瑞樹を取り囲んだ。

「皆さん、気を付けてっ」

 身の毛のよだつ感触を受け、瑞樹は警告を発す。

「「「うわぁっ」」」

 その声と前後して飛来したもの、それは<水>だった。
 太い水柱に殴られた数人が吹っ飛ばされ、木々に体を打ち付ける。
 水術師を殴り倒した水柱は霧散することなく、まるで打ち寄せた波が海に帰るようにして戻っていった。

「姿を現しなさいっ」

 胸に守護神を抱えたまま、雪奈が叫ぶ。すると反応した守護神が自らのテリトリーにある靄を取り払う。

「・・・・ッ」

 さぁーっと消えていく靄の向こうに佇む影。
 それは太平洋艦隊の部隊ではなかった。

「・・・・結城と同じく僕たちも虚仮にされたようですね、雪奈」
「そうね。本当に趣味が悪い」

 雪奈の表情も険しい。

「雪奈、ここは僕に任せて先に行って下さい」

 瑞樹は敢えて前に出た。

「でも・・・・」

 不満そうに言葉を発する。

(それはそうでしょうけど・・・・)

 目の前の異形。
 それは長身の男と同じくらいの背丈で紋様の入った仮面を被り、腰巻きだけの衣装。そして、それは背中と手足にハゼのようなヒレを持つ半魚人の形だった。

「行って下さい。水術師としての・・・・水術最強渡辺宗家としての意地は僕・・・・宗主自身が果たします」

 確固たる意志を込めた視線が雪奈を射抜く。

「ですから、雪奈は僕の名代として渡辺を率い、必ずミサイル基地を破壊して下さい」
『コーコココココ・・・・』

 半魚人――昏流(コンル)がまるで嘲弄するかのように嗤った。
 それと同時に爆音が響き、人間同士の戦いの熾烈さを示す。

「行って下さい」
「・・・・分かったわ」

 雪奈は直系ではないのでその他の分家と同じくらいの強さだ。しかし、曲がりなりにも瑞樹の妻である。
 部隊を指揮する権利はあった。

「皆さん、行きましょう」
「しかし・・・・」

 術者たちも憤りを感じているのだろう。
 それは痛いほどに分かった。

『コッ』

 こちらが行動を起こさないのに焦れたのか、昏流から動く。

「―――っ!?」

 十数メートル離れた位置からの攻撃。
 それは何と舌だった。

「くっ」

 慌てて水壁を展開し、圧力で舌を受け止めた。

「・・・・ッ」

 手だけでなく、腕までも痺れる感じ。
 それは速度だけでなく、材質の硬さも関係しているようだ。

「とにかく、行って下さい」

 この妖魔は間違いなく上級だ。
 噴出される妖気や戦闘能力は中級や低級に追従を許さないものがあった。
 言いたくはないが、分家の術者では役不足である。

「瑞樹くん」
「?」

 名を呼ばれ、視線だけで応えた瑞樹は次の瞬間目を見開いた。

「頑張れ」

 そう言い残すと雪奈は先頭切って妖魔を迂回し、基地へと下りる道へと進んでいく。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そっと頬に触れた。
 そこに残る感触を噛み締め、毅然とした態度で相手に臨む。

「僕は渡辺宗家宗主。水術師の頂点に立つ者としてあなたの存在を認めるわけにはいきません」

 妖魔ながらも精霊を扱うという存在を認めるわけにはいかない。

「僕らの友人を・・・・返して貰いますっ」

 全水術師の言葉を代行した瑞樹は瞬時に<水>を呼び寄せ、怒濤の奔流として妖魔向けて叩きつけた。






熾条鈴音 side

「―――これは・・・・」

 パチパチと小さな火がその場にあった物を焼き尽くそうと藻掻いていた。
 鉄筋コンクリートの瓦礫や重火器の破片、ここに籠もっていた、もしくは攻め寄せていたであろう人間の肉塊。
 動く者はなく、全島が戦闘状態にあるというのに、ここだけはもう「古戦場」である。
 時折、崩れ落ちる瓦礫や火花を散らす炎だけがこの世界の音を構築していた。

「先遣隊は全滅ですの。・・・・敵と共に」

 声を失う反SMO部隊の代わりに鈴音が断ずる。
 ここにいた人間は誰一人生き残ることなく、"目の前の妖魔"に打ち砕かれたのだと。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 太平洋艦隊が揚陸部隊に抗するために作り上げた陣地を物の数分で沈黙させた妖魔たちはこちらを感情のない目で見つめていた。
 ただ立っているだけで圧倒される妖気。
 それは―――

「・・・・上級妖魔」

 突然の大物登場にぎゅっと鉄扇を握り締める。

「上級・・・・これが・・・・?」

 あまりの妖気に朝霞は顔色を失う。
 それは仲間を殺されたはずの部隊員もそうだった。
 退魔組織に所属する身だが、あまりにレベルが違いすぎる。

「2体、ですのね」

 鈴音はこちらの動向を窺っている上級妖魔を観察した。

(炎は・・・・こいつのようですの)

 大禍津日。
 赤銅色の肌に左右非対称の体で左半身は粒々とした筋肉で覆われ、時折痙攣するかのように隆起する。そして、右半身は手足も細く弱々しいが、大きな盾を持っていた。
 何より、この妖魔は<火>を従わせている。
 <火>の正気を失わせ、狂気を宿した忌むべき姿に変質させた状態で、だ。
 先程の<風>を操っていた妖魔――霊落獣と同じようなタイプだ。

「どうやら、黒幕とやらは・・・・精霊術師に喧嘩を売っているようですの」

 精霊を扱う妖魔の存在は精霊術師として赦されない存在である。
 それを保有するだけでなく、精霊術師にぶつけてくること自体、精霊術師全体への宣戦布告だった。

「まずは尖兵を叩き潰してやりますの」

 <星火燎原>で空気を叩くようにして開き、"気"を使って<火>を呼び集める。
 実際、そんな行動をせずとも戦闘に移れるが、これは復讐に囚われかけている後方の者たちに対する演技だ。

「藤原部隊の皆さん、こいつらは私たち、炎術師が責任を持って打ち倒します故、どうか先へお進み下さい」

 相手との力の差を感じたならば、次に鈴音たちとの力の差を感じてもらえば、無駄な衝突もなく、この戦場は鈴音たちだけになるだろう。

「時衡、他に妖魔が出てくるかもしれません。彼らの護衛を」
「・・・・しかし」

 時衡は鈴音の護衛だった。
 旗杜家は常に直系の傍に控えている。
 現旗杜家当主は宗主護衛の総指揮を執り、次期当主の兄は熾条厳一を護衛している。
 言わば旗杜家は近衛なのだ。

「私は大丈夫ですの」

 駄々をこねる子どもに言い聞かせるような優しげな声。だが、それは聞く者には威厳が感じさせる不思議な音程だった。

「この作戦は数が必要ですの。その数を保有しているのは藤原部隊。ならば私たちは彼らが手に負えない敵を駆逐するのが仕事ですのよ」

 SMOの任務は裏の技術や能力を使った"人間"の討伐がメインである。故に純粋な退魔は高位能力者が担当していた。
 当然ながら高位能力者の数は少なく、SMOの1割もいないと言われている。
 9割は組織壊滅や人間を社会的に追い詰めるなどして事件を解決していた。
 SMOは退魔組織と言うよりは裏での警察的組織というのが旧組織の代表たちが考える意見だ。だから、退魔は自分たちに任せておけ、という意識が生まれていた。

「それで・・・・」

 鈴音は朝霞を見遣る。

「私はこいつを貰いますけど?」

 大禍津日を鉄扇で示しながら微笑んだ。
 その笑みには「一緒に戦う勇気があるのか」というニュアンスが含まれていた。

「・・・・ふん、私はこいつってわけね」

 手に持った鉾に素振りをくれつつ、朝霞は沈黙する敵を視界に収める。

「肉弾戦っぽいし」

 八十禍津日。
 脚がなく、浮遊する体は水晶のように透明な光沢を放つ物質でできたオブジェのようだ。
 表情は硬化し、唯一蠢く長い尻尾がある。
 大禍津日に比べて脆弱そうな体だが、あの尾を使うであろう攻撃には要注意だ。

「危険ですのよ。あれを見たですの?」

 鈴音は八十禍津日にやられたと思しき装甲板を示した。

「・・・・ふん、当たらなきゃいいのよ」

 装甲車のそれを超える強度を誇った装甲が見事に貫通されている。
 八十禍津日の尾は徹甲弾もかくやと言う貫通力を有しているのだ。
 もし、人体に命中すればあの直径からして串刺しとなり、一撃で絶命する可能性があった。

「要は長柄の刺突でしょ? ならいなしてみせるわよ」

 鹿頭家は伝統的に長柄を好む。そして、そういう一方に長じた者たちはその弱点も知っているのだ。
 対長柄の戦術は修得済みだった。

「そうですの。ならば私からは言うことはありませんの。精々私の邪魔にならぬよう、心懸けて下さいですの」
「それはこっちのセリフよ」

 言い返してきたが、軽口はここまでだ。
 ショックが抜けきらずも動き始めた部隊を援護するため、そろそろ戦いを始めなければならない。

「とりあえず、撃破ですの」
「ええ、分かってるわ。―――香西、周囲にまだ敵がいるかもしれないから注意して。上級妖魔に従う下級妖魔がいるかもしれないから」

 良い判断だと思った。
 部隊の援護は集団での戦闘になれている熾条方で充分だ。
 鹿頭は対鬼族戦を念頭に鍛錬された部隊。
 援護や戦場警備などはおそらく、兄の指示によって訓練しているに違いない。

(まずは現状把握を・・・・)

 現状把握第一。
 この辺りが鈴音と一哉が兄妹だと感じさせる一因だった。

(敵の攻撃力・防御力は現代兵器を物ともしないレベル)

 素早く周囲に視線を走らせれば、数十人の完全装備に身を固めた人間が蹴散らされ、蹂躙され、殺戮された情景が甦る。
 瓦礫で足場が心許ないが、そう警戒に値する物でもない。
 夜は明けきり、太陽の光が戦場を照らし、辺りに舌を伸ばす炎も自分にとっては味方も同然だった。

(戦場に不利な点は見られないですの)

 上級妖魔を相手にする場合、最も気を付けなければならないのは目に映らない周囲の状況である。
 毒を噴出するものなどまだマシな方で厄介なのは高位結界を発動し、その場を自分の有利なものに作り替えるものだ。
 中級と上級の違いはまるで結界の種類の違いのようだと思う。

「戦場操作をしないなら状況は五分。ならば焼き尽くしてやりましょう」

 どうやら相手は力で押してくるタイプのようだ。
 それならば全力で、真正面から打ち勝って見せよう。

(格の違いを見せつけてやるですのっ)

 右手に大きな鉄扇を、左手に小さな鉄扇を広げて持ち、鈴音は不揃いな前髪を揺らして大禍津日を睨んだ。
 どこかで見ているなんて保証はないが、見ていなくても無様な姿は晒したくない。
 集団というものを相手にした戦いでは残念ながら、年季の違いもあって一哉には敵わない。だが、熾条宗家という炎術師最高峰の家に生まれた者として退魔の術だけは負けたくなかった。
 一哉は出身は熾条宗家だが、育ちは違う。
 だから、退魔の修行はほとんど受けていないに違いない。しかし、鈴音は物心ついてからそれに明け暮れてきた。
 ここで結果を出せないならば、これまでの人生を否定するようなものなのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 チラリと横を見れば、朝霞が意識を集中しているのが分かる。
 <嫩草>の穂先がゆらりと揺らめき、【力】を発していた。

(へぇ・・・・)

 11月とは比べものにならないほど【力】を使いこなしている。
 さすがは村で「神童」と呼ばれているだけはあった。

(かつての鹿頭は旗杜と双璧をなしていたそうですからね)

 この様子ならばあちらのフォローは考えなくて済みそうだ。

(この頃は部隊指揮と修行ばかりでしたから・・・・実戦は久しぶりですの)

 <星火燎原>に"気"を注ぎ込む。
 周囲の炎が一斉に小さくなる中、熾条宗家当代直系次子――"火焔車"・熾条鈴音は攻めに転じるため、業火を従え地を蹴った。






神忌 side

「―――4体中3体が直系とぶつかった、か・・・・」

 神忌はヘレネが去った後、空間転移を駆使して鴫島で偵察をしていた。そして、加賀智島東南部に聳える丘陵部に戻る。
 付近に空いた洞穴の奥には鶍(イスカ)と鵤(イカル)が座っているだろう。

「これで直系の幾人か倒れてくれれば僥倖なのだが」

 「そう、うまくいかんだろうな」と頭を振りながら呟き、神忌は洞穴に入ろうと踵を返した。

「―――待てよ、俺と遊ぼうぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 頭上から掛かった声。
 見上げた神忌は赤い眸を細め、やや驚きに震えた声でその名を呟く。

「・・・・結城、晴輝」
「おうよ」

 緩やかな風をまとった青年がポケットに手を入れたまま地面に降り立った。

「どうした? 衣服が濡れてるが?」
「海に落ちたからな」

 ぷるぷると頭を振り、晴輝は滴を飛ばす。

「何か用か?」
「さっき言ったろ? 遊ぼう、って」

 そう言った晴輝の目は爛々と輝き、来る戦いに驚喜していた。

「・・・・結城宗主が軟禁されている噂が出る理由。そして、お前の異名が"鬼神"と呼ばれている理由、分かった気がするな」

 首だけ向けていたのを体ごと向き直り、神忌は続ける。

「狂気を孕んでるな、お前」
「お前程じゃねえよ、SMOに潜んだ獅子身中の虫」
「・・・・ほぉ?」

 神忌も胸を反らし、射るような視線を真っ向から受け止めた。

「情報屋だった一族は何代経っても情報に明るい、か」
「そりゃあね。京都は首都ではなくなっても一〇〇〇年の王城。いろいろな情報が手に入る。そして、結城の蔵にはその辺りの資料がごまんとある」

 両者とも薄っぺらな笑みを貼り付け、【力】を高めていく。

「ならばその情報力を以て判明した私は何だ?」
「ああ、それはな・・・・」

 晴輝が手を天に掲げた。

「俺たち、『結城』が滅亡の淵に追い込まれつつも斃した―――」

 気流が変わり、辺りの木々がざわめく。

「怨敵なんだよっ」
「―――っ!?」

 晴輝の足下から跳ね上がるように飛んできた空気の散弾を神忌は紙一重で避けた。

「へぇ、陰謀だけじゃなく、白兵戦もできるってか」
「お前も意地汚い攻撃をするな・・・・」
「戦場で使う詐術は全て兵法なんだよ」

 暴風を支配に置く当代一の風術師。
 "鬼神"・結城晴輝は悠然とそこにありながら、全てを威圧している。
 大気とは誰も気にしないが、とても重要なものである。
 この地表で生物が生きていられる一因でもあるし、雄大な大洋ですら敵わない量が地球上を覆っている。
 大したことないから目に見えないのではなく、本当にすごいものだから知覚できない。
 それが大気というものだ。

「これが・・・・真の風術師というものか・・・・」

 人が大気の恐ろしさを知るのは台風や竜巻と言った気圧変化に伴って起こる災害だろう。
 この男は自分でその気圧を変化できるのだ。
 数立方メートルなどではない。
 軽く単位は立方キロメートルを超える広範囲を緻密に制御し、自然災害を引き起こす精霊術師。
 太古より、自然災害は神の怒りとされ、その許しが得られなかった場合、鬼の仕業とされる。
 そのために付けられた"鬼神"という名。
 神であり、同時に鬼である存在。

「よかったな、俺が<翠風>じゃなくて」
「全くだ」

 第一次鴫島事変で見せた雄姿を見せつけられた神忌だが、全く臆してはいなかった。
 彼も組織では一応、幹部に属する身である。

「さあ、あっちの島みたいに上級妖魔を出してこないのか?」
「ふん、どんな上級妖魔もお前には役不足だろう。ならば私が相手するまでだ」

 暴風にはためくスーツと髪を自らの【力】を放出することで落ち着けた。

「・・・・じゃあ、とりあえず、サクッと逝ってもらおうか。親父の仇だしな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「痛めつけるのはあの世の一族たちに任せるわ」

 暴風が吹き荒れているというのにその中心にいる晴輝の衣服に乱れはない。
 両者、吹き荒れる風などものともしない威風に満ち、その立ち振る舞いに余裕が見えた。

「ふむ、ならば・・・・」
「やるかっ」

 双方が前屈みになった時、ふたりの姿は常人では捉え慣れない速度で動き出す。そして、まるで竜巻かのような閃光を孕んだ上昇気流が生じた。










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