第十章「自由への戦い」/ 2



 【叢瀬】。
 加賀智島を占拠している子どもたちをまとめているこの言葉が生まれたのは十数年前である。
 それは当時から一昨年まで計画を推進し続けた主任――黒鳳月人の発案で始まった。
 『叢瀬計画』と名付けられたこの計画は遺伝子工学を初めとした遺伝学、発生学などほぼ全ての生物学が関わっている。
 表の象徴たる科学と合体した例は他にもいくつかあった。
 その代表例として挙げられるSMO太平洋艦隊は工学と裏が合体している。
 これはSMO開発局が建造・改良を担い、"機械"が対象なことから個人武装開発の延長とされていた。しかし、裏の裏を自認するSMO監査局の計画はその対象が生物、しかも、"ヒト"だ。
 基本的人権が浸透した現代、暗黙の了解として忌み嫌われる悪魔の所業――人体実験の産物が、人工異能者――叢瀬一族である。
 そんな彼らが居を構える鴫島諸島は本州の千数百キロ南の太平洋上にあった。
 一昨年の鴫島事変以降、主な地図からは存在が消え、海図でも海の上にたまにしか顔を現していない扱いとなっている。
 それは裏世界最大組織――SMOが世界に誇る太平洋艦隊の本拠地だからだ。
 そんな大戦力が展開する鴫島諸島は小笠原諸島や硫黄諸島と同じく火山島である。
 本島の鴫島は西にふたつの火口を持つ火山を有し、東に行くほどなだらかになる地形をしていた。しかし、外縁は断崖になっている場所が多く、船が寄せられる場所は限られている。
 そのひとつに東側にある入り江が上げられる。
 ここには太平洋艦隊の主力たる護衛艦たちが停泊し、艦数だけならば本州の基地を凌駕していた。さらに北北西から南にかけて滑走路が引かれ、その周囲に格納庫が並んでいる。
 その格納庫には武器弾薬はもちろん、輸送機「霖鸛(リンカク)」や防空隊所属、局地戦闘機「霆鷹(テイオウ)」や垂直離発着艦載機「霏鳶(ヒエン)」が収納されていた。
 さすがに火山付近には主要な建物は見られないが、空いたスペースには陸戦部隊の訓練場や住居が建ち並び、島はここ2年の間ですっかり人工色に変わっている。
 各種レーダーも完備されており、海からの接近には巡視船が、空からの接近には「霆鷹」が向かう手筈になっていた。
 そう、本当ならば部外者以外は立ち入ることができない難攻不落の島なのだ。






熾条一哉side

 1月27日午後11時6分、鴫島諸島――鴫島。
 SMO太平洋艦隊の輸送機や防空隊が使用する2000メートル超の滑走路に「霖鸛」が着陸態勢に入っていた。

「―――素直に着陸するノ?」

 語尾だけ微妙に片言な声音には不満そうな響きがある。

「仕方ないだろ。まさか護衛艦の次に戦闘機が飛んでくるとは思わなかったんだからな」

 熾条一哉は誘導灯に従い、操縦桿を操作しながら応えた。

「緋は護衛艦を沈めた時に負傷してるから撃墜は無理だったし」
「・・・・ごめん」
「気にするな。護衛艦を沈めただけでも充分だ」

 両脇を固めていた「霆鷹」が翼を揺らして離れていく。
 鴫島まで護衛しながら誘導してくれた彼らは『弓ヶ浜』撃破後しばらくしてやってきた。そして、「鴫島から派遣された護衛である」と通信してきたのだ。
 その時、「霖鸛」は負傷して高々度まで帰って来れない緋を迎えるために高度を下げていた。万が一、緋が戦える状態であったとしても一哉は戦わせなかったに違いない。
 如何に緋が伝説的存在とはいえ、マッハを超える現代戦闘機を相手にするには役不足だった。

「それにしても・・・・」

 一哉はため息混じりに去っていく「霆鷹」を見遣る。
 さすがの一哉でも太平洋艦隊が戦闘機を所有しているとは考えていなかった。だが、改めて考えてみれば基地の存在を隠すため、艦には艦を、航空機には航空機を当てるのは当然だ。そして、海洋妖魔が水中にいるとは限らない。
 太平洋の無人島にいる空を飛べる妖魔などは確かに戦闘機が当たれば安心だろう。

(太平洋艦隊について・・・・深く考えなかった俺が悪いな。護衛艦も予想外だったし・・・・)

 おかげで緋と叢瀬央芒(ススキ)という空軍による空襲は中止せざる終えなかった。よって、今の一哉たちに採れる方策は大人しく着陸するしかない。

「・・・・どうする?」

 伝説VS現代兵器という激闘でも声を発さず、静かにお茶を飲んでいた鎮守杪が喋った。
 それだけで機内の空気が張り詰める。

「そうだな。・・・・とりあえず―――っと」

 車輪が地面に触れ、そのクッション性を生かしてうまく着陸した。
 その事実を認めた一哉が途切れた言葉を紡ぐ。

「委員長は委員長なりの参戦理由があり、好きにやりたいだろうが・・・・もうしばらく俺に付き合ってくれ」
「ん」

 杪はコクリと頷き、窓から基地を見下ろした。

「お前らふたりはちょっと輸送機に隠れてろ。それからは、作戦通りにな」
「分かったワ。―――行くワヨ、のぶ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 央芒は叢瀬央葉の手を引き、機体の後方へと歩いていく。

「緋には・・・・もう少し働いてもらうぞ」
「・・・・うん、任せて。絶対にしーちゃんを攫った奴はあかねが討つよ」

 負傷の痛みと疲労があるだろうが、やはり揺るがぬ決意で参戦意志を示す緋。

(さあ、俺は隠れはするが逃げはしないぞ)

 一哉は満天の星空の下、島々のどこかにいるであろう誘拐犯に語りかけた。

(最初で最後の死合いをしようじゃないか、メイド持ち)

 物騒なことを考えている内に輸送機は完全に停止する。

「―――ふたり、か・・・・?」

 「霖鸛」が停止したので中に乗り込んできた隊員たちは揃って首を傾げた。
 乗員たちがまだ子どもである一哉と杪しかいないこと――緋は一哉以外不可視モード――を怪訝に思ったのだ。

「パイロットは?」
「俺ですよ」

 簡潔な質問に込められたいくつかの疑問。
 その全てに一哉は簡単に答えた。

「・・・・お前が?」

 太平洋艦隊を示す紋章どころか私服姿でいる少年がパイロットとはとても思えない。しかし、一哉がパイロットの席に座っていたのは事実だった。

「・・・・お前、何者だ?」

 再び複数の問いを含む言葉には警戒も加わっている。
 リーダーとして話をしている男のそれを悟ったのか、後ろの隊員が四肢に力を入れていた。

「・・・・キーンアイ」
「―――っ!? コードネーム!?」
「お前、監査局の!?」

 コードネームから常に味方を見張っている監査局のエージェントを思い浮かべたようだ。

「チッ、ついてこい。山名総司令がお呼びだ」

 彼は顎でふたりを促し、踵を返した。

「班長、いいんですか?」
「仕方ねえだろ、詳しく訊いてエージェントに目ェつけられたいか?」
「い、いえ、申し訳ありませんっ」

(あいつらの言った通りだな)

 監査局のエージェントは彼ら末端にとっては鬼門なのだ。

「さあ、行くぞ。・・・・シーラー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん」

 シートベルトを外し、一哉と杪は彼らに続いて外に出た。
 因みに「キーンアイ(keen eye)」とは和訳すると「慧眼」、「シーラー(seeler)」とは「封印者」である。
 "東洋の慧眼"と"封印の巫女"というふたりの異名に由来すると言う非常に安易なものだった。

「ほぅ・・・・」

 滑走路から迎えの来るまでの距離で軽く観察し、そのきびきびとした動きに感心する。
 そこに何度か基地上空を旋回した「霆鷹」が着陸した。するとすぐに整備班が駆けつけ、格納庫へと移動していく。
 一哉たちが乗ってきた「霖鸛」も簡単な点検の後、格納庫に収容された。

(奴らはもう脱出したかな・・・・)

 叢瀬央芒は"隠蔽色生成能力"を持っているので肉眼で見つかることはないだろう。そして、管制塔が支配するレーダーも地表をカバーしていない。
 鴫島に上陸することを考えれば、「霖鸛」からの脱出など至極簡単なことだった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は打刀・<颯武>に変じることができる腕時計を見遣る。
 午後11時21分。

(さて・・・・まずは現在の加賀智島を知る必要があるな)

 滑走路に入る時、上空から見た叢瀬本拠――加賀智島は数隻の艦艇に囲まれていた。そして、研究所屋上に敷かれているヘリポートには輸送ヘリが着陸している。
 つまり、加賀智島は攻め込まれ、現在は島内戦を行っている証拠だった。

(あいつらふたりは行きたくてうずうずしてるだろうが、ここは確実に情報を掴まないと・・・・痛い目遭うからな)

 無計画な後詰めはさらなる混乱を生むだけだ。
 一哉は年の割に長い戦歴からそのことを知っていた。

「ここでしばらく待っていろ」

 隊員たちは管制塔の一室にふたりを入れると次々と部屋から出始める。

「待てよ。このまま司令室に行くんじゃないのか?」
「まさか。俺たちのような下っ端は司令室の場所なんか知らねえ。ここで憲兵隊に引き渡す」

 あまり一哉と話したくないのか、早口で彼は語った。

「・・・・へぇ」

 その名と言葉に隠れた畏怖から憲兵隊とは司令部お抱えの精鋭なだけでなく、SMOでの監査局と同じ役割を持っているのだろう。

「それと空から見たんだが、ひとつの島を何やら攻撃したり、救助艦が出動していたりと忙しいな。・・・・訓練か?」
「・・・・ッ。ああ、そうだよっ」

 何とも分かりやすい反応を返してくれた。

(ふむ、【叢瀬】の親玉もやるもんだな)

 焦りや嘘から加賀智島を攻撃していることを知られたくないことが分かる。
 それはつまり、苦戦している証拠。

「も、もう何もないな。行くぞ」

 隊員たちは焦りながら去り、無機質な扉が閉じた。

―――コポポ

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん」

 杪はどこから出したのか、早速茶を入れている。

(・・・・緋)

 部屋の椅子にちょこんと座っていた緋に呼びかけた。

【・・・・なあに?】

 やはり辛いのか、気怠げな返事。
 視線を向ければ、大きく肩が上下している。
 対艦ミサイルの威力は確かに緋を蝕んでいた。

(央芒、央葉に連絡だ。返事があり次第攻撃。加賀智島善戦中、だ)
【うん、分かった】

 傷ついた姿に心痛むが、こればかりは緋に任せるしかない。

【優しく・・・・丸くなったね、いちや】

 姿に似合わない包容力に溢れた笑みを咲かせた。

(何?)
【だって・・・・8月の地下鉄の戦いだったら、そんなこと思わなかったでしょ?】
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 否定できない。
 緋は強大な戦力を有しており、一哉の切り札のひとつと考えていた。しかし、いつの間にか、その身を気遣う―――

「いちや」

 見れば緋が実体化して立ち上がっている。
 しっかりと両の足で床を踏み締め、弾けんばかりの笑みを見せていた。―――いつもの純真無垢で無邪気な笑みを。

「あかねは・・・・いちやと一緒に戦えて・・・・嬉しかったよ」






熾条鈴音&鹿頭朝霞side

「―――まずは私の無謀な作戦に賛意を示していただき、ありがとうございます」

 一哉が鴫島に降り立ったのとほぼ同時刻。
 強襲揚陸艦『紗雲』の作戦室でひとりの青年が頭を集った者たちに下げた。
 彼の名は藤原秀胤。
 SMO近畿支部長にて反SMOを掲げる無名組織の長だ。

「まもなく本艦は出航し、先行した『伍雲』と『玖雲』を追いかけます」

 『紗雲』の外見は上から見れば漢字の「山」という世間一般でいう「船」という概念を超越している。しかし、その性能は極めて高かった。
 巡航速度は約45ノット(時速約83.25km)という脅威的な速度を誇る快速船である。
 旧日本海軍連合艦隊旗艦――戦艦『大和』は約27ノット、海上自衛隊所属のこんごう級護衛艦――通称、イージス艦――は約30ノットからしてその速さが群を抜いていることが分かるだろう。
 今も700km離れた場所を朝駆けするため、前日の午後11時に出撃するという非常識さである。

「嘉月主任」

 藤原は白衣を着た老年の男に向き直った。

「このような素晴らしき艦を預けていただき、ありがとうございます」

 視線を合わせてから丁寧に頭を下げる。

「おかげで作戦が発動できました」
「なに、軍艦というものは戦うためのものよ。戦場がなければ『紗雲』も悲しむわ」

 高速性に加え、様々な性能を宿すこの強襲揚陸艦隊の旗艦はSMO太平洋艦隊の命で建造された。

「それに『紗雲』が無事に海に出れたのは、そこの熾条の嬢ちゃんのおかげよ」

 本来ならば太平洋艦隊旗艦・重巡『此隅』、航空母艦『久松』に並ぶ太平洋艦隊の顔になったことだろう。しかし、就役前に造船所が陥落していた。そして、熾条が保有するドックで完成したのが、この艦隊なのだ。

「使えるものは使う主義ですの」

 九州の古豪――熾条宗家が持つ表の顔は造船業を始めとした重工業を手掛ける大企業だ。

「熾条グループ、なんて聞いたことないけど?」
「当然ですの」

 その企業は熾条の息が掛かった一般人が経営している。
 熾条宗家はそれらの大株主なのだ。

「忍びは表に出ませんの。まあ、分家や諸家の多くはそこに就職してますけど」

 熾条鈴音は内状を表に出さぬようにして辺りを見回した。

(それにしてもそうそうたる顔ぶれですの)

 熾条宗家次期宗主である鈴音の右隣には、その側近と目される熾条の【鬼】――旗杜家次男・旗杜時衡が座している。そして、反対側の席は対鬼族音川戦で勇名を馳せた鹿頭家当主・鹿頭朝霞が占めていた。
 ここからは元SMO近畿支部の幹部たちや他支部の造反者をまとめる者たちが続く。

「集めたなぁ・・・・。いえ、集まった、と言うべきかしら」

 同じことを考えていたのか、朝霞が呟いた。

(確かに。それだけミサイルが脅威だ、ということですか・・・・)

 先に述べた者たちは鴫島に攻め込む理由がある。
 鈴音や朝霞のそれは渡辺瀞救援だった。
 その他は自らの存在意義を示すことだ。

(歴史のない新興組織は主張に則った戦を起こし、勢いを示さねばなりません。ですが、彼らのような名門には不要)

 鈴音の前に列席する名門は四家。
 千年以上前から京鎮護を掲げ、それを成し遂げた風術最強結城宗家。
 「正義」を重んじ、武威で北陸地方に鎮座する雷術最強山神宗家。
 琵琶湖の水運を担い、湛然と近江にあった水術最強渡辺宗家。
 封印・結界を司り、東北を中心に全国に広がる結界師連合の盟主である鎮守家。

「旧組織の皆さんも少し前まで対立していたというのに大人数を連れてきていただき、感謝しています」

 居並ぶ能力者は結城晴輝、結城晴也、山神綾香、山神景堯、渡辺瑞樹、水無月雪奈、坂庭昭敏、富成弘充の8人。
 四家を代表する者たちがそれぞれの一族を連れて参戦している。

(まさか、"鬼神"が動くとは・・・・ってえ?)

 鈴音は鴫島事変で大活躍した結城宗主をもう一度見ようとして固まった。

「おや? ・・・・晴也君、晴輝殿はどこへ?」

 一年半ぶりに裏世界の表舞台へと姿を現した"鬼神"の姿が忽然と消えている。

「あー」

 質問された晴也は困ったように頭をかいた。
 そんな晴也をその場の全員が注視する。

「SFに出てくる戦艦みたいだから、鑑賞してくるって・・・・外に」
『は?』

 唖然としてそれ以上ものも言えない術者たちとは違い、晴也は「兄貴だから仕方ねえよなぁ、はっはっは」と笑っていた。

「ええい、笑うようなことかっ」
「うおっ」

 綾香は立ち上がっていた晴也の手を下にぐいっと引っ張り、その体勢を崩させる。そして、ぐらりと自分の方に倒れてきた晴也の額に己のそれをぶつけた。

「ぐぁっ」

 鈍い音と共に晴也が崩れ落ちる。

「さっさと呼んできなさいよっ」
「ぐあ〜、頭・・・・割れ、る・・・・」
「あ、あの綾香君、今は作戦会議じゃなくて顔見せだから気にしないで下さい」

 余り時間を掛けたくないのか、藤原は無理に晴輝を呼ぶことを止めた。

「晴輝殿はそれを分かっておいでだったのでしょう」
「いや。それは買い被り―――モガッ」

 綺麗にしようとした藤原の言葉に異議を唱えようとしたが、綾香に阻まれている。

(はぁ・・・・何なんですの。あまりの顔ぶれに緊張した私が馬鹿みたいですの・・・・)

「それでは・・・・先程、太平洋艦隊の通信を傍受したところ―――」

 結局、会議は晴輝無しのまま終了した。



「―――あなたはこれからどうするのかしら?」

 退室して伸びをした朝霞はくるっと振り返った。

「どうする、とは?」

 質問の意味がいまいち伝わらなかったのか、鈴音は首を傾げる。

「明日、決戦でしょう? 作戦の確認とかいろいろあるんじゃないかしら」
「それは大丈夫ですの。先程の集まりの内容は時衡が知らせに行ったのですのよ」

 納得いったのか、鈴音は朝霞と共に与えられた士官用の部屋へと歩き出した。
 鈴音はこの艦に旗杜時衡を始め、10人の炎術師を連れてきている。

「私は義父様から三〇名の術者を与えられていますの。彼らは歴戦の戦士。いちいち確認などせずとも大丈夫ですの」

 30人中10人。
 それはきっと厳選し、この作戦に精鋭を率いてきたに違いない。対する朝霞も厳しい戦況に耐えうる術者7人を連れてきていた。
 残りは音川町で屋敷を守っている。

「鹿頭もきっと香西という僧がうまいことまとめているですの」
「まあね。香西家は代々鹿頭の執政だから」
「なるほど。意識的に従いやすい、ということですの。それもひとつの経営ですのね」

 うん、と頷いた鈴音はごく自然な流れて言葉を放った。

「乙女の寝室までついてくるつもりですの?」

 自分たちがさっき曲がった角に話しかける。

「―――あなた方が、瀞を助けようと動いてくれている方たちですね」

 角から姿を現したのは眼鏡を掛けた少年――雰囲気的には青年――だった。

「ええ、瀞さんにはお世話・・・・に?」

 鈴音は言葉を切り、腕を組む。

「どうしたの?」

 訝しんだ朝霞が訊くと鈴音は「そういえば戦場で助けられた、とかお兄様との仲介を為していただいた、とかではないですの」と言った。
 つまり、鈴音は何の恩も瀞にないのだ。

「そうね。あいつの後ろで柔らかく微笑んでただけかも」

 その意見に朝霞も同意した。
 確かに鹿頭のために戦ってくれたが、その動機が一哉と戦うためというならば、鹿頭家当主としては恩を感じずとも良い。ただの利害の一致だ。

「瀞は性格的に戦いに向きません」

 角からふたりの元へと歩いてきた瑞樹は思い出すように話し始めた。

「術のタイプも対妖魔。・・・・人のような戦いをする者には自分のことで精一杯でしょう。あの娘は心が優しすぎる」

 瀞を的確に表した言葉。

「でも・・・・そんな人があいつを信用してたから・・・・私も、信用しようと思えたのかも」
「ですの。私もあのような方が傍にいる者が悪い者とは思えなかったですの」

 ふたりは瀞が持つ、無意識のものに気付いた。

「何と申しますか・・・・」
「瀞さんの笑顔を見ると・・・・」

 鈴音と朝霞は顔を見合わせ、互いに言わんとしていることを認識した。

「「毒気を抜かれるのよ(ですの)」」
「そうですか・・・・」

 言葉を聞き、本当に優しい笑みを浮かべる瑞樹。

「やはり、瀞は"浄化の巫女"。自然体ならば無意識に相手を包み、癒しますか」

 満足そうに、嬉しそうに何度も頷く。

(本当に大切なのね・・・・)

 朝霞はそんな瑞樹の姿にどこか他人事のような感想を抱いた。しかし、瀞という少女は自然と相手を解きほぐす空気を持っている。
 思えば一哉のような難物の傍に居続け、また、居続けることを許されている時点でその偉業は窺えた。
 結城晴也や山神綾香のように強い意志を持ち、厳然とそこにあるのではない。
 渡辺瀞は押しては引く、まるで流水のような有様で傍にいるのだ。
 簡単に言えば瀞の傍は居心地がいい。

(そっか。だから、取り戻すのに必死なのね。―――瀞さんがいる、安息の日々を)

 朝霞は足並みを揃えない無理な戦略を立ててまで行動を急いだ一哉の心情を理解した。

「ところで・・・・」

 彼は一頻り喜ぶとキリッと表情を改める。

「熾条一哉はどこに? 僕はてっきり彼がこの作戦を主動しているものと思っていましたが」

 瑞樹の憤りが伝わってきた。
 どうやら、瑞樹は瑞樹なりに一哉を信頼していたらしい。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 朝霞と鈴音は顔を見合わせた。
 病院脱出以来、一哉はずっと音信不通だ。
 その間に朝霞は一哉が望んだであろう強力な援軍を組織することに成功している。しかし、そのことをこちらから相手に知らせる術はないし、逆に向こうが何をしているのか知ることもできなかった。
 彼らは今、打ち合わせ無しの一発勝負をしようとしているのだ。

「残念だけど、私たちはあいつが何をしてるのか知ら―――」
「お兄様ならば今頃、鴫島にいるですの」

 朝霞の言葉を遮り、鈴音は一哉の所在を告げた。

「ほぅ・・・・」

 瑞樹は目を細め、鈴音を見遣る。
 明らかに朝霞が知らないのに気付いているので、鈴音の言葉の真偽を疑っているのだ。

「詳しいことは部屋で話しましょう」
「乙女の寝室なのでは?」
「借宿ですから問題ないですの」

 鈴音は疑いの視線を意に介すことなく踵を返し、瑞樹もその後に続く。

「あ、えと・・・・わ、私を置いてかないでくれるかしら!?」

 慌てて朝霞がふたりの背中を追いかけた。そして、3人は士官用の部屋へと入り、鈴音の話に耳を傾けることにする。

「まず、思い出していただきたいのは・・・・先程の会議での報告ですの」

 簡単に用意した飲み物で喉と舌を潤した鈴音が話し出した。

「えーっと、確か烏山中継基地って言う敵の基地が陥落したんだっけ」
「それと、主力である護衛艦が一隻、その基地を攻撃した者たちに沈められたとか」
「そう、それですの」

 眉間に手を当てて思い出した朝霞とは対称的に瑞樹はすぐに応じる。
 あの会議では太平洋艦隊の動きが慌ただしいことを察知した、というものだった。
 烏山中継基地が陥落し、その調査のために護衛艦『弓ヶ浜』が派遣されたこと。
 基地の生き残りが輸送機「霖鸛」に乗って敵の追撃を受けつつも逃走中なこと。
 敵追撃部隊と『弓ヶ浜』が激闘を繰り広げ、相打ちになったこと。
 「霖鸛」は局地戦闘機「霆鷹」の護衛で鴫島に向かったとのこと。
 『弓ヶ浜』の代わりに巡視船『明徳』、同『観応』、同『応永』、同『明応』、同『天文』の5隻を派遣。彼らは北上して烏山中継基地を目指していること。

「それこそ、お兄様の仕業ですの」

 朝霞と瑞樹の言葉に鈴音は大きく頷く。

「嘘ぉっ!?」
「基地攻略の説明はいりませんね?」

 鈴音は朝霞の声を無視し、瑞樹に話を振った。
 熾条一哉は名の売れたゲリラ指揮官だ。
 正規兵がいる基地を陥落させることは確率はかなり低いが、不可能ではないだろう。また、叢瀬央葉・叢瀬央芒の戦闘力を考えればその確率は跳ね上がる。

「ですが、護衛艦は無理でしょう。確かに結城・山神はミサイルを撃墜しました。しかし・・・・普通、能力者と言えど現代兵器に太刀打ちできません」

 瑞樹は的確に無理な理由を述べた。

「水上、水中最強を誇る我々でも沈めることは不可能でしょう。・・・・残るは空ですが・・・・」

 ならば空中からどうか。
 叢瀬央芒とは飛翔能力を持つ異能者である。

「はい。叢瀬央芒は基地爆撃という点では絶大な威力を誇るでしょうが、戦闘態勢の軍艦を相手にしては撃墜されるのが落ちですの。・・・・しかし、お兄様の最大戦力は違いますの」
「最大戦力・・・・ってまさか!?」

 朝霞が思い当たった人物は無邪気な笑みを浮かべていた。

「守護獣、ですか」

 瑞樹が8月のことを思い出しながら呟く。

「確かに伝承通りならば護衛艦とも戦えるでしょう」

 この世界において守護獣の【力】は絶大だった。また、強力な精霊術を繰り、天地を自由に駆け巡れる存在は守護獣しかいない。

「護衛艦と戦える緋に追撃された輸送機が生き残っていますの」
「それに追撃していたと相殺って言ったのよね」
「有り得ないことですね」

 三人は強い眼差しのまま視線を交わした。

「「「本当に、その輸送機に残存した基地要員が乗っていたのならば、ね」」」

 簡単な話だ。
 護衛艦を撃沈できる戦力が何の戦力を持たない輸送機を撃墜できないはずがない。
 空を飛べなかったのでは、という問題は生じない。
 輸送機は高々度を取り、船では追いつけない速度を出すことができた。
 それを追撃するならば同じく高々度を取れる飛行物体であるはず。
 その飛行物体が緋であった場合、ますます護衛艦とぶつかるまでの間に撃墜できなかったことがおかしい。

「結論はこうですの」

 鈴音は飲み物を口に含んでから告げた。

「お兄様は持ち前の軍略で烏山中継基地を殲滅。その後、基地にあった輸送機で南下を開始し、護衛艦を緋によって沈めました。この役割は輸送機の乗員が中継基地と護衛艦を沈めた者の目撃者であると太平洋艦隊の上役に印象づけるためでしたの」
「そして、その上役は事態究明のため、輸送機を鴫島に呼ぶ」
「こうして大戦力が展開するはずの鴫島に無傷で着陸することができる」

 朝霞、瑞樹と受け継ぎ、一哉の戦略を解明する。

「・・・・とんでもないわね、あいつ」
「さすが、幾つもの正規軍と戦ってきた猛者ですの」

 ふたりの少女はため息をつき、背もたれに背中を預けた。

「それでは今頃、鴫島は大変でしょうね」

 瑞樹が窓の外を見遣る。
 そう、熾条一哉はいち早く、渡辺瀞救出のために敵中に躍り込んでいた。










第十章第一話へ 蒼炎目次へ 第十章第三話へ
Homeへ