第九章「集まり来る戦雲」/ 7



「―――様子はどうだ?」
「・・・・はい」

 瀞の軟禁部屋の隣に位置する部屋で初音は主と話していた。

「かなり消耗なされておいでですが、気丈に振る舞われております」
「そうか。・・・・弱いと思ってたんだけどな」
「お強いお方です」

 この三週間、初音は渡辺瀞と共に過ごしている。そして、瀞は助けが一度も来ることのなかったこの三週間、一時も瞳の力を失うことはなかった。

「しかし、熾条一哉はほんとうに来るのですか?」

 あそこまで頑張っている瀞に情が移りつつあるのか、初音にしては珍しい憤りの感情――呼び捨て――が出た口調。

「来るな、間違いなく。本土ではすでに姿を消しているらしい」
「あの病院も引き払ったのですか」
「意外に冷静だったな。オレとしては策もなく、我武者羅になった奴と戦いたかったんだが・・・・」

 仕方ないとばかりに肩をすくめる。
 主――アイスマンは軽い外見に似合わず、勝負事には誠実だ。
 謀も必要だと分かってはいるが、できれば自分は使いたくないと考えている。

「奴がしっかりと準備してくるなら・・・・ここは激戦になるだろうな」
「それが目的なのでしょう? ただ勝負するだけならばわざわざここに来る必要がありませんから」

 太平洋艦隊本部が置かれる鴫島。
 十五の旧組織へと撃ち出されたミサイル発射点として二年前の夏以来となる戦雲に覆われている。
 熾条家の佐世保襲撃から本土の基地は危険と判断して集結させた軍艦に伴い、隊員の9割が滞在しているここの戦力は表の武力――軍隊の基地に匹敵するはずだ。
 そこに中東正規軍を悩まし続けた軍略家――"東洋の慧眼"・熾条一哉が攻め込む。
 目標はただひとりの少女とはいえ、緻密でいて大胆な作戦を得手とする一哉ならば必ず基地全体が混乱の渦に放り込まれるだろう。
 何よりSMOは一哉にとって自身を暗殺しようとした敵なのだから。
 実際、暗殺しようと画策したのは監査局でSMOの総意ではない。だから、SMO太平洋艦隊は与り知らぬ事である。
 事実、彼らは一哉が自分たちを敵と認識していることを知らなかった。

「ご主人様の行動が大きなうねりになってますね」
「それが狙いだからな」

 アイスマンが瀞の監禁場所をここに選んだのはその波乱を起こすためだ。

「ミサイルなんて男らしくない。武人、軍人ならば正々堂々と正面から敵に当たり、それを打ち砕くべきだ」
「はい。・・・・しかし、戦雲を生んでいるのは・・・・ご主人様だけではないようですね?」
「だなぁ。ここまで来ると『運命』って言葉を信じちまうぜ」
「・・・・普段から使ってませんか?」
「〜♪」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 叢瀬造反、渡辺瀞拉致、ミサイル同時攻撃、佐世保陥落、藤原秀胤近畿支部長離脱。
 新旧戦争勃発によって生まれた大小数個の渦はひとつの岐路に集中していた。
 その舞台になる鴫島こそが新旧両組織を繋ぐ、因縁の地。

「ま、運命でも何でもいい。オレは一哉と戦えて満足だ」
「・・・・戦えるのでしょうか? そろそろ第二次攻撃ではありませんか?」

 加賀智島への第一次攻撃が失敗に終わったのは2時間前。
 その間に日は傾き、宵と言っていい時刻だ。

「やはり、この部屋も攻撃されますでしょうか?」
「どうだろうな」

 彼らがいるのは鴫島諸島の本島――鴫島、ではない。
 監査局と太平洋艦隊が攻略しようとしている加賀智島だ。
 軟禁部屋を最奥にいくつもの扉に遮られつつも細い通路で研究所内部に繋がっている。
 電気・水道・ガスといったライフラインが通っているものの研究施設としては廃棄されたのだろう。
 来た当初は埃がかぶっていた。
 そこを初音が使えるように清掃したのだ。

「椅央様はどう動くのでしょう・・・・」
「さあな。オレたちがここにいるのに気付いて見逃してる奴だからなー」

 【叢瀬】リーダー――"銀嶺の女王"・叢瀬椅央は島の科学力を制御している。
 ふたりは彼女が自分たちの存在に気付いていると確信していた。

「討伐に来なかったのはオレたちを囮とするためかもな」
「・・・・なるほどです」

 この辺りは研究所の中でも奥部に位置し、入り口も封鎖されていて防御力が高そうに見える。
 初見の者が大将へ至る道と勘違いしてもおかしくないだろう。
 おそらく椅央はいつの間にか懐に潜り込んだ手練れを揉み潰すより、利用する方を選んだようだ。

「確認ですけれど・・・・もし、こちらに監査局及び太平洋艦隊の方々が来られましたら・・・・どうしましたらよいでしょうか?」
「決まってるだろ?」

 アイスマンは好戦的な笑みを浮かべる。

「畏まりました、ご主人様」

 その主に対し、初音は恭しく頭を下げた。






神忌 side

「―――戦機は熟した、というべきか」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 白いスーツを潮風にはためかせ、神忌の両脇に控える少女たちは虚ろな視線を眼下に展開する艦隊に向けていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・垣屋は本気だな」

 眼下に広がる護衛艦一隻、巡視船七隻。
 どれもが完全装備である。
 ヘリポートでは数機の攻撃ヘリ――AH64・アパッチが出撃を待ち、同じくCH-53 シー・スターリオンには陸戦部隊二小隊―― 一〇〇名が待機していた。
 関わった人員は五〇〇名を超えるであろう。
 四四名の、しかも、子供たちを鎮圧するには充分すぎる戦力だ。

(だが、あの女王様は一筋縄ではいかないだろう)

 今や加賀智島はその全土が叢瀬椅央の支配下にある。
 最善の策は兵糧攻めだ。しかし、孤立することも考え、食料生産もしている加賀智島である。島民が激減した今、自給自足状態にあるやもしれない。そして、このような辺境に監査局の精鋭を放置しておくことなど、現戦況からは有り得ないのだ。
 監査局はその威信を守るため、可及的速やかに加賀智島を制圧。及び、その研究内容を葬らねばならない。

「―――課長。全ての準備整いましたよ」
「うむ」

 矢壁十湖が声をかけてきた。
 少しイライラしているようで言葉にトゲがある。

「じゃあすぐに出撃でいいですね。暗くなるとそれだけ援護が入りにくいですから」
「暗い方が機銃の命中率は下がるぞ?」
「照明くらい持ってるでしょう」
「なら私たちも狙いやすいのでは?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 十湖は憮然としてしまった。

「まあ、すぐに島で変事が起こる。呼応して出撃しろ」
「はぁ? どうして分かるの・・・・ですか?」
「ふふふ」

 神忌は答えず、ぼけ〜としている双子たちを視界に映す。

「こいつらも一緒に連れて行け」
「・・・・課長は?」
「後ですぐに行く」
「・・・・分かりました。―――行くよ」

 十湖は神忌に怪訝な視線を送りながら双子を促した。そして、踵を返してヘリポートへと向かう。

「―――って付いてこいよっ」

 相も変わらずぼけ〜としていた双子に十湖は戻ってきて突っ込んだ。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 ふたりは揃って神忌を見遣る。

「行け」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・(コクリ)」」

 翠と瑠璃の髪と目を持つ不思議な少女たちはフラフラとした足取りで十湖の側を通過し、ヘリポートへの方向へと歩き出した。

「・・・・大丈夫なの、あれ?」

 呆気にとられたのか、敬語を忘れる十湖。

「大丈夫じゃないな」

 神忌は胸を張り、自分が世話する少女たちを評価する。

「否定しろよっ。―――って、私を置いていくのかっ!?」

 慌てて双子を追いかけ始めた。
 フラフラした足取りだが、何故か速い。

「多少不安だが、奴の作戦立案能力と戦闘力は特赦課指折り。・・・・臨機応変、とは言い難いが、貴重な参謀格だ。しかし・・・・」

 神忌は頭を振った。

「"銀嶺の女王"相手では・・・・役不足か」

 己の人選が間違っていたとは思えない。
 これだけの侵攻準備を整えられるのは十湖だけだ。

「ならばやはり・・・・私が一肌脱ぐ必要がある」

 言葉と共に一陣の風が吹く。

「―――監査局の・・・・ってあれ?」

 太平洋艦隊の隊員が神忌を呼びに来た時、彼の姿は『鴫島』にはなかった。






激闘 scene

 1月27日午後9時34分。
 鴫島―加賀智島間では第二次攻防戦の開始を指示した鴫島太平洋艦隊本部。
 加賀智島方面以外は閑静だったこの本部に激震が襲った。

「―――司令っ、烏山中継基地所属を思しき機体から救援要請入りましたっ。電信ですっ」
「何!? 正面に出せっ」

 電信士の報告と山名昌豊太平洋艦隊総司令の声で司令室に緊張が走る。
 烏山中継基地は機能に急襲を受け、連絡が途絶えていた。

「出しますっ」

 電信士の声と共に暗号解読が終わったものが正面スクリーンに映し出される。

『烏山中継基地ハ正体不明ノ敵ニヨリ陥落ス。港及ビ滑走路ハ破壊サレシ。我、敵ノ追撃ヲ受ク』

『『『な・・・・ッ!?』』』

 烏山中継基地には少なくとも一〇〇名の隊員が展開していた。だから、通信が途絶えたのは通信施設の故障だと本部は考えていたのだ。
 そうだというのに制圧されているという事態。

(いったい、敵はどれだけの戦力を動員しているというのか)

「司令、護衛艦『弓ヶ浜』より通信です。現在、『弓ヶ浜』は電信されたポイント近くを航行中であり、輸送機を視認できる位置まで移動し、敵追撃者を駆逐したいとのことです」
「『弓ヶ浜』は・・・・重対空兵装だったな。―――よし、許す。敵追撃を駆逐し、味方を救えっ」
「了解。―――本部より『弓ヶ浜』へ。貴艦の提案を許可する。至急味方輸送機を救え」

 通信士の報告でにわか本部が慌ただしくなった。

「防空隊へ連絡。輸送機の護衛に『霆鷹(テイオウ)』を2機発進させろっ」

 いくら護衛艦『弓ヶ浜』が向かったとはいえ、飛行機と軍艦である。
 スピードに難があり、護衛することはできない。
 ならば同じ飛行機を動員すればいいのだ。

「電信士はすぐに返信しろっ」
「はいっ」

 電信士はすぐさま簡潔な電文を作り上げる。

『本部ヨリ、護衛艦1隻、貴機救援ヘ。モウ暫ク耐エタシ』

 通信設備が故障しているのか、電信だったために本部も電信で返した。


 同日午後10時7分、烏山中継基地と鴫島の間に1機の輸送機『霖鸛(リンカク)』が飛行していた。
 『霖鸛』とは戦後初の国産飛行機であるYS-11の系統であり、双発ターボプロップエンジンを使用した航空機である。
 YS-11は本来、旅客機として設計されたが、SMO仕様の改良を受けた『霖鸛』は戦術輸送機としての役割を果たしていた。

「―――央葉、電信された場所を特定できたか? そろそろ進路を変えないと護衛艦が来るぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(フルフル)」

 熾条一哉は隣に座っていた叢瀬央葉は首を振りながらも無言で作業を続ける。

「追撃がないことが知られたら事だ。迎撃するしかないな。―――央芒、撃沈できるか?」
「無理ネ。わたしの現兵装は対艦じゃないワ」

 シートベルトに縛られながら躊躇なく否定する叢瀬央芒。
 その視線はこんな時でも茶を飲んでまったりしている鎮守杪に向いていた。しかし、すぐに真剣な顔で一哉に向き直る。

「クラスターは?」
「烏山で持参していたSMO製小型版は使い切ったノ。基地で手に入れた大型は砲座がないといくらわたしでも撃てないワヨ」
「・・・・そうか」

 至極真っ当な指摘に納得した。
 そもそも小型(対人・狭域)とはいえ、クラスター爆弾やロケット砲を少女がひとりで支えて撃つ方が間違っている。

「緋、やれるか?」
「・・・・うんっ」

 お呼びが掛かったことが嬉しいのか、緋は満面の笑みで頷いた。

「いちやの敵はどんな奴でもみーんな焼き尽くすよっ」

 笑顔の下に隠された悲壮な覚悟が窺える言葉。
 できるできないの次元ではない。
 一哉がやれと言うならばやるだけだ。

「じゃあ、行くよっ」

 シートベルトを外し、ドアへと歩き出した。
 敵は海上自衛隊の主要艦規模。
 その猛威は歩兵の比ではない。

―――ガシュッ

 央芒に手伝ってもらいながらドアを開けた。

「うぁっ」

 気圧差から強風が生じ、服をはためかせる。
 天然の雲がほとんどなく、上には星空が広がっている高度を『霖鸛』は飛行機雲を作りながら南へと進んでいた。
 その眼下に広がる一面の暗黒にポツリと小さな光点が見える。そして、その後ろには航跡と思しき揺らぎが続いていた。

(あれだねっ)

 間違いなく、あれは有りもしない追撃者を打ち破るための護衛艦だ。

「緋」
「んぅ?」

 両手で壁を持ち、緋は踏ん張りながら振り返った。

「頑張れ」

 操縦桿を握っていない手で一哉は親指を突き上げる。
 その眸には緋の奮戦への『期待』が窺えた。

「・・・・・・・・う、うんっ」

 緋は両手の親指を突き上げる。

「キャハッ」

 瞬間、支えを失った緋の体は突風に攫われた。
 高度二万五〇〇〇フィートの空域へと放り出される。そして、地球の重力に引かれ、自由落下を開始した。

「さあ、これぞ新旧戦争。・・・・絶対に後悔させてやる」

 獰猛な笑みを浮かべた緋は武者震いを起こしながらスーパーマンのようなポーズで落下する。
 眼下の護衛艦『弓ヶ浜』は大急ぎで戦闘準備を始めていた。
 対空砲の多くが空へと砲口を向け、全ての電子機器が目標に向けて稼働する。
 本来、太平洋艦隊に所属する艦艇の多くが対潜・対艦武装を施していた。
 それは仮想敵が海中を移動する海洋妖魔なためである。そのため、水測機器や水雷兵器は充実しているが、対空ミサイル兵器などの対空防備は軍隊のそれと比べては心許ない。
 その関係で太平洋艦隊に所属する艦艇は高価な高精度の対空レーダーはない。よって精度の悪いレーダーは急降下する緋をノイズと認識させるはずだった。
 しかし、今回派遣された『弓ヶ浜』はSMO太平洋艦隊対空作戦斑所属の重対空兵装の護衛艦という例外だった。
 Mk-41 VLS(垂直発射装置)といった対空ミサイル発射装置が艦橋の前と後ろに備え付けられている。また、主砲――76mm単装速射砲が艦首に設置されているので攻撃機を初めとした低空を行く軍用機にも有効だった。
 つまり、『弓ヶ浜』は上空から急襲する緋に対し、充分な戦力を備えているということだ。

―――カンカンカンカンカンカンカンッ

 警報器が鳴る。
 海上自衛隊所属むらさめ級護衛艦のSMO製改造版である『弓ヶ浜』が緋に気付いたのだ。そして、一哉の乗る『霖鸛』と『弓ヶ浜』の中間にまで落下した時、艦橋前と艦尾にあるMk-41から艦対空ミサイルが立て続けに発射された。
 2セット、16セルという全弾発射。
 熱源探知で得られたエネルギーからの判断であり、それだけ緋が膨大な精霊を従えていると言うことだ。

「その程度・・・・ッ」

 緋は重力を無視し、中空に急停止する。そして、自身に迫る二斉射分――16発のミサイルたちを睥睨した。
 確かにミサイルというものは脅威である。しかし、所詮は目標に最短距離を以て進もうとする意思なき機械だ。
 自ずと迎撃方法も導き出される。

(こんなもの・・・・ッ)

 そう、さらなる火力を持って駆逐すればいいのだ。

「"燦燬―――」

 空に縫い止められたかのように停止する緋の周囲に降下直後から用意していた八つの紋炎が灯った。
 炎は回転しながらその中央から光を出す。そして、その光は甲を上にして突き出されていた緋の右掌に集った。
 九つ目の炎は燦然とした輝きを放ち、その光量は完全に下りていた夜の帳を吹き飛ばす。

「―――玖龍"ゥッ!!!」

 再び八つに分かれた光線はまるでビームのように直進する。
 最早光としか言えない超高温の炎。
 それは大気の熱拡散を無視し、そのままの熱量を誇ったまま途中にあった実弾――ミサイルと交差した。
 ミサイルも巡航ミサイルを叩き落とす対空ミサイルだ。
 世界有数の攻撃力を誇り、科学の粋を集められた精鋭だった。
 正確に用途に沿って使用された場合、個人がどうこうできるレベルではない。
 持続攻撃力最強の炎術が放った高位術式と速度・威力共に一級品という現代兵器。
 そのオカルトと科学を代表するもの同士が繰り広げた刹那の死闘。
 それは閃光が夜闇を裂き、轟音が海面をも震わせた。

「いけぇっ!!!」

 直撃を受けてくの字に折れる物、余波に煽られて弾頭を逸らす物問わずして敗者たるミサイルは爆発する。
 その爆音と爆風は衝撃波を伴い、辺りの雲を蹴散らした。
 双方の激突は半径140kmの海上からも確認できたろう。―――見る者を圧倒し、そして、驚倒させる、季節外れの花火として。

―――ドォォッ!!!!!

 勝者となった高位術式は一切の邪魔を受けることなく、『弓ヶ浜』周辺の海へと突き立った。
 水蒸気爆発による八つの水煙が高く舞い上がる。
 十数秒後、数十メートルに達した水柱から分離した飛沫が『弓ヶ浜』へと驟雨の如く降り注いだ。
 そんな中、『弓ヶ浜』は次なる攻撃方法として砲熕兵器の砲塔を旋回させる。
 その砲口はピタリと緋を捉え、射程距離に入るのを待っていた。

「ふふんっ、爆発する奴で緋たち炎術師を倒そうなんて―――」

 涙ぐましい努力を睥睨し、緋は再び急降下を開始。

「無知にも程があるのぉっ」

 今度は自由落下ではなく、加速しながら『弓ヶ浜』の前方からまるで空母に着陸する軍用機のように突撃する。
 その突撃に艦首の単装速射砲だけでなく、機関砲も咆哮した。
 そのマズルフラッシュに艦影が映し出され、その壮絶な覚悟を彩る。

「あははっ、すごいね、最近の兵器はっ」

 数千発という砲弾に狙われながら緋は不敵に笑った。
 海上数メートルという低高度で緩急自在に空を駆け、時には炎を撃ち出してそれらを躱していく。
 緋を追撃するそれらは切れ目なく、遠目からには線のように見えた。
 一発でも当たれば緋の体など一瞬で砕け散る威力を有しているそれらはその一発のために数千の仲間を海中に没させる。
 これら最新鋭の兵器はコンピュータやレーダーが搭載されている。そして、火器管制装置から独立し、全自動で艦に接近する敵を駆逐するのだ。だが、緋は熱源を多く生み出し、その波長を乱させていた。
 その誤差が緋への射撃を鈍らせ、徒に波間を騒がせる結果になっている。

「あはっ。いちやはすごいなぁっ」

 太平洋艦隊を相手にする時の迎撃方法は全て一哉の考えだった。

「うぐっ!?」

 方向を変えた緋の耳元を76mmの弾が通過し、激しい衝撃波を緋に叩きつける。だが、緋の輪郭を覆う<火>たちがそれらを駆逐した。
 緋の鋭角方向転換に弾幕が一時鈍る。

「そろそろ・・・・黙れぇっ」

 その隙を逃さずに緋の右腕が艦に突き出され、手がピストルを模した。

「"陣火穿孔"ッ」

 限りなく熱量を収束した光線――"陣火穿孔"が『弓ヶ浜』の艦橋後部に設置されていた機関砲――ファランクスCIWSの砲口を溶解させながら貫通する。

―――ドゴンッ!!!

 術式本来には爆発能力はないが、どうやら溶解した金属が火薬に触れて爆発したようだ。そうして艦尾に緋が制御することのない炎が煌めいた。
 『弓ヶ浜』は後部に煙を生じさせ、必死に艦を反転させようとする。
 警報機が鳴り響き、自動消火装置が作動した『弓ヶ浜』の戦傷はファランクスの破壊だけでは済まなかった。
 後部のファランクスが沈黙したことで後方に致命的な死角を生んだのだ。

「はぁ・・・・はぁ・・・・ただの金属の分際で・・・・ッ」

 だが、緋もまた、度重なる死線や術式行使に疲弊している。そのため、緋は敵艦にもう一撃与えられるチャンスを見逃し、体力回復ともうひとつの術式構成に当てた。―――全ては勝負を決めるために。

「・・・・ッ」

 前方の機関砲の射程に緋が入る。
 途端に火を噴くファランクスから逃れるため、体をばらばらにしそうなGに歯を食い縛って急降下した。
 頭の上を弾の束が走り抜けるような感覚と共に緋の体が水面ギリギリまで落ちる。そして、そこからまるで軍艦に雷撃する攻撃機のように低空飛行で接近した。

「"燬熾灼凰"ッ」
<ケーッッッッッ!!!!!>

 緋の背を守るかのように大きく翼を広げた火の鳥が顕現する。
 炎術の最高峰に位置する具現型高位術式――"燬熾灼凰"。
 それは緋と共に第二次世界大戦末期、旧日本軍が設立した特別攻撃隊のように『弓ヶ浜』への突撃を仕掛けた。
 上空からは闇夜に燦然と輝く大鳥と単装速射砲と機関砲の輝きは映える。
 機関砲だけでなく、さらに威力の高い単装速射砲でも炎術最高峰に位置する"燬熾灼凰"の火力を貫き、術者――緋に命中弾を与えることができなかった。

「ふ、ふん。・・・・そんなもので―――って!?」

 高位術式の維持という負荷から冷や汗の噴き出た緋の顔が引き攣る。
 艦橋の左右に装備されていた90式艦対艦ミサイル(SSM-1B)が立て続けに火を噴いたのだ。
 本来ならば敵艦を追撃して撃沈するそれは緋が海上飛行高度ギリギリにいるため、そして、その爆発力で"燬熾灼凰"を粉砕するために発射される。
 "燬熾灼凰"はミサイルを撃墜するだろう。だが、その時に生じる爆発力は術式を構成している<火>の隊列に影響を与えることが予想された。
 もし、一哉がこの対決を間近で観戦していたならば感嘆の息をついただろう。
 敵艦長は窮地に陥ろうとも錯乱せず、尚且、戦意を失わずに敵を撃墜する策を考えて執行したのだから。

「わ、悪足掻きをッ。全部焼き尽くせっ」
<―――ケーッ!!!!!!!!!!!!!!>

―――ドムッ

 着弾。
 最終決戦用とも謳われる"燬熾灼凰"が内で発生した爆発に悶え苦しむ。

「くぁっ」
<―――ケーッ!?!?!?!?!?>

―――ドォォォォッッッッ!!!!!!!!

 翼を広げた炎の鳥は『弓ヶ浜』の寸前で形を失った。しかし、ただの<火>の群集に戻ろうとも圧倒的火力を有していたそれらは甲板部を吹き飛ばす。
 紅蓮の劫火が『弓ヶ浜』に喰らいつき、その猛威を遺憾なく発揮した。
 76mm単装速射砲、高性能20mm機関砲(ファランクス)が火焔に包まれ、四散する。さらにMk-41 VLSを通って艦内に延焼した。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 けたたましい警報器と爆音が耳朶を打ち、心地よい熱源たちが緋を覆う。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 だが、それでも緋の呼吸は収まらなかった。
 "燦燬玖龍"、"陣火穿孔"、"燬熾灼凰"。
 三つの術式を立て続けに使った反動は如何に守護獣でも避けられない。なにより、最初と最後は本来、個人で行使するものではなかった。

「はぁ・・・・はぁ・・・・ッ」

 ずきりと背中に痛みが走る。
 どうやら対艦ミサイルの一斉射撃は効果があったらしく、火の鳥だけでなく緋をも傷付けていた。
 もし、迎撃距離がもう少しでも長ければ緋は甲板に不時着することができず、撃墜されていただろう。

(兵器も・・・・やるもん、だね・・・・)

 自覚すれば気が遠くなるような痛みを発する背中。だがしかし、緋はゆっくりと燃え盛る甲板に立ち上がった。
 真っ黒な爆煙は天高く上り、前後をそれで囲まれた艦橋は孤立しているように見える。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一瞬だが、艦橋のガラスから視線を感じた。
 おそらくは伝説を相手に最期まで勝利を信じて戦った猛者たちだろう。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 ならば自分は最後まで伝説であり続けなければならない。

(あかねはまだ、こんなところじゃ終われないんだから!)

―――ドガァンッ!!!!!

 緋の背後――VLSから火柱が上がった。
 どうやら延焼した炎がかなりの速度で『弓ヶ浜』を蝕んでいるようだ。

「ぁぁああああああああッッッ!!!!!!!!」

 緋は重ね合わせた両手を突き出した。そして、そこから炎の奔流が飛び出し―――

―――ドガアアアアァァァァッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!

 『弓ヶ浜』の艦橋を跡形もなく吹き飛ばした。

(すぐ行くよ、しーちゃん・・・・)






硫黄島 side

 1月27日午後10時30分、硫黄列島主島――硫黄島。
 大戦末期の「硫黄島の戦い」の舞台は現在、自衛隊の基地が設営されていた。
 隆起運動が激しいために港が作ることができず、海上自衛隊の船舶は駐留していない。しかし、滑走路があり、そこを利用して陸海空自が軍事訓練を行える貴重な島である。
 そんな硫黄島沖に海上自衛隊ではない艦影が闇に浮かんでいた。
 それは就航間もない綺麗な外装をしており、新型艦と一目で分かる代物である。

「―――大したものですね」

 眼鏡を掛けた少年が艦上から周囲に集う味方戦力を見渡して呟いた。
 もし、戦国の軍勢ならば色取り取りの旗指物が乱立していることだろう。そして、その数的主力となっているのは先日まで冷戦を続けていた者たちだった。

「僕でこの激動の時代を乗り切れるでしょうか・・・・」

 長年敵対していた組織の一部が味方となり、敵味方があやふやな今、ひとつの行動が己を孤立させかねない。
 その難しい判断を未だ20歳になっていない自分が為さねばならないのだ。
 そう考えると背中に何かがのし掛かったかのような圧迫感と息苦しさが生まれた。

「この重圧。・・・・そうですか、これが家長というものですか・・・・」

 同年代で同じ役割を果たしている少女はいる。しかし、彼女はあくまで代理。
 本当のトップではない上に少年と置かれている立場が違いすぎた。

(そもそも僕は・・・・私怨なしで判断できるでしょうか)

 感情に左右されれば選択を間違う。
 そんなことは分かってはいたが、いざその状況に立つと理性が保たれるかどうか分からなかった。
 離反者を出したとはいえ敵の組織は健在である。また、その組織は少年の家を瓦礫に変えていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 4週間経った今でも明確に思い出せる。
 あの日、猛威の到来を報じられていた少年の家は他家のように猛威を退ける力はなく、他家と同じ名声を得ているからこそ、逃げることができないというジレンマに陥った。
 そこで家長であった母は後事を若い者に託し、迎撃を決意。
 猛威を半ばで撃墜することを諦めた母と長老、幹部たちは湖畔にてその怒濤と激突する。
 その背後、湖面に浮かぶ彼らが神の社を護るために行われた戦い。
 それは現代社会に生きる大部分の者には理解できない無意味な戦いで、同じ『世界』に生きる者たちにとって尊い戦い。
 彼女たちは「命を惜しむな、名を惜しめ」という言葉を実践した。
 結果的に敗れようとも、彼らとその一族が後ろ指を指されることはない。
 反って残された者には教訓と誇りを与えていた。だが、親しい者の死というものは個人差はありしも必ずとある感情を抱かせる。

「母上、仇は必ず・・・・」

 それは憎悪や復讐と呼ばれる負の感情。

「・・・・ッ」

 少年を中心に莫大な【力】が展開した。
 周囲の物がギシギシと音を立てて軋み、湿った空気が渦を巻く。そして、強く握り締められた手と食い縛った口元からは鮮血が流れ、地面をわずかに染色していた。

(必ず、この手で奴らを―――)

「―――駄目よ」

 周囲を威圧する【力】を凛とした声が貫き、寄せてきた清らかな【力】が解きほぐす。

「御義母様はあなたにそんなこと、望んでないわ」

 胸に神を抱える最愛の少女。

「私でも分かるんだから、あなたにははっきり伝わっているでしょう?」

 雨乞いの【力】を持ち、また、縛り戒めることで祓う巫女は包み込むような優しい笑みで立っていた。

「・・・・ええ」

 その信頼に満ちた微笑みの向こうに決意を見取った少年はふっと笑みをこぼす。

「分かっていますよ」

 己が家長ではなく、陣代だと繰り返していた母が自分に幼い頃から言い伝えてきた言葉があった。

「『水は千変万化にして綿々と続くもの』」

 雄々しく、悠然という様々な顔を持つ水。
 それこそが少年が、母が、いや、過去・現在・未来の血族が求めし彼らの在り方である。

「僕はこの一族の歴史と誇り、そして、高潔さに泥を塗らず、この家を物理的・精神的障害から守り抜きましょう」

 そう宣言した少年にはもはや陰はなく、確かな意志を持つ指導者の光を放っていた。



「―――いいなぁ」

 強い【力】を感じた鹿頭朝霞は1階下で睦まじく寄り添う二人を見て脱力した。そして、安心して己を預けられる人がいることに純粋な羨望を抱く。

「―――ならば見合いでもして早く伴侶を決めればいいですの」

 背後から来た濃紺の着物を着た少女――熾条鈴音は朝霞の隣から夫婦を見下ろした。

「・・・・私があなたと同い年だと言うことを忘れたのかしら?」
「あら、そうですの? 私、どうでもいいことは覚えない質ですの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 バチバチと両者の間で火花が散る。
 鹿頭家と熾条宗家は講和したはずだが、それでも両家の代表たちの関係は変わらなかった。

「・・・・はぁ、でもよかったわ。瀞さん、本当に喜んでいたもの」
「ええ。自分のことのようでしたの」

 ふたりは同時に睨み合っていた目を逸らし、改めて夫婦を見た。
 笑顔ではいるが、その笑顔のために少なくない犠牲がある。
 それは彼らのこれからのいい意味でも悪い意味でも糧となるだろう。

「無事ってわけじゃないけど・・・・最悪の結果じゃなくて良かった、ってところかしら」
「それは・・・・同意見ですの」

 珍しくふたりの意見が一致した。

「・・・・でも、あの人たちが参戦するとは思わなかった」
「そうですの? 私は確信しておりましたの。あの方の瀞さんへの想いは並大抵ではないですのよ?」

 会ったことも、近しい者からも聞いたことはずがないはずなのに事実を知っているとはさすが熾条の者である。

「予想以上ってことよ」

 私事なのだからてっきり個人、もしくは夫婦で来るのかと思っていた。

「まさか、残存戦力全てを投入するなんて」

 一度、滅亡の淵に立った朝霞でなくとも彼の決断は危ういものと分かる。
 一歩間違えば今度こそ滅亡するだろう。

「あら、死地から甦ったあなたは分からないですの?」
「?」
「確かに守りに徹すれば、今の情勢では滅亡はないでしょう。しかし、それは現状維持ですの」
「・・・・なるほど」

 朝霞は納得したように頷いた。
 現状維持に努めることは確かに滅亡はしない。しかし、かつての威勢はなく、再興することはないのだ。
 言わば植物人間。

「人は強く猛き心と弱く脆い心を持ち合わせているですの」

 一度でも現状に満足し、安寧を得てしまえばその安穏とした生活をかなぐり捨てるのは難しい。しかし、安寧を得る前――底辺にいると思っている時ならば再び這い上がるために乾坤一擲の勝負を仕掛けることは簡単である。

「あなたは見事、勝負を掛け、そして、勝利したですの。その点は評価しておりますの。例え兄の手助けがあったとしてもあの夜に戦ったのはあなたたちですから」

 生き残りに過酷な試練を強い、後夜祭で鬼族の大軍を打ち破った。そして、鹿頭家を再興するどころか"東の宗家"と謳われた時以来の威勢を築き上げた現当主――鹿頭朝霞。
 彼女の名は鹿頭家中興の祖として語り継がれるであろう。

「あの人は名門と最強の名を護るため、そして、命を賭して自分たちを護ってくれた者たちに報いるため・・・・戦うのね」
「・・・・ええ、様々なものを背負い、しかし、その荷を軽減してくれる伴侶がいる。・・・・確かに羨ましいですの」

 鈴音はいつか、熾条宗家を率いることとなる。
 戦闘員一〇〇強という宗家は一族体系の組織では最大級だった。
 頼りになる側近はいるが、主筋としては弱いところは見せにくい。

「「はぁ・・・・」」

 家名を背負うふたりの乙女はどちらかというと夫よりも妻を見ていた。
 幼少より当主であり続け、神の母として選ばれたふたつ上の少女だ。

「「羨ましい・・・・」」

 羨望の眼差しの中、彼女は重責の中で幸せそうに微笑んでいた。
 そんな彼女たちの上空を6つの機影が通過し、硫黄島の管制塔と互いに交信して着陸態勢に入る。
 それはここに集う、鴫島強襲部隊の先鋒――戦闘攻撃機『霸鷹(ハオウ)』だった。










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