第八章「冷戦の暁闇」/ 8
1月2日、東京SMO本部。 年末から慌ただしい彼らは方々に隊員を派遣、武器弾薬の調達、各方面への根回しなど、まるで大規模な戦争前の軍隊のようである。 過去にこの本部がここまで大掛かりの戦闘準備に入ったのは一昨年の8月、あの忌まわしき鴫島事変のみ。しかし、今回はそれ以上の騒がしさだった。 「―――もうすぐだ」 監査局長――功刀宗源はまたひとつ地下駐車場から出発したBMWを見下ろしながら呟く。 「ようやくか、待ちくたびれたぞ」 「そういうなドノヴァン、用意なくして勝てるものか」 「ふん、分かっておる。しかし、裏でこそこそするのは性に合わんだけじゃ」 功刀がSMOに内緒で保有している直属戦力のふたりだった。 2人とも西洋人で日本人では出せないオーラを噴出している。 「それももう終わりだ」 功刀は振り返り、大柄な壮年の男――ドノヴァンを視界に収めた。 ドノヴァンは幾多の戦場を渡り歩いた豪傑でその戦歴は全身の痣と隻眼が物語っている。 「鎮守家が管理する結界を壊して彼らを挑発した。思い通り、結界師は四方に散って多くの他家と渡りをつけた」 スカーフェイスを筆頭とした戦力が結界を破壊し、結界師の対応で未だ戦力を有して結界師に協力できる旧勢力を洗い出した。 「そして、朋友の隼人が鬼族によって孤立した場所を襲わせる・・・・」 「だが、そこで問題が生じた」 ミシェルは功刀の言葉を引き継ぐ。 いくつかの小勢力を滅ぼし、隼人たちの仇敵――鹿頭家を滅ぼすまでは順調だった。しかし、さすがは諸家の精霊術師と言えど、一時は"東の宗家"と謳われるほどの栄華を誇った鹿頭家を全滅させることはできず、彼らの脱走は眠れる獅子を呼び覚ます結果となった。 地下鉄音川駅事件の主犯格にて優れた戦略家である熾条一哉。 血筋の上では熾条宗家当代直系長子であり、何故か旧組織の代表格たちの関係者たちが通う私立・統世学園高等部の生徒。 彼が動けばその優れた戦略に"浄化の巫女"、"風神雷神"が動く連鎖を生むという、大戦を望むSMOにとっては鬼門的存在。 鹿頭討伐を強行した隼人は鬼族自慢の四鬼の内、水鬼と隠形鬼が討たれるだけでなく、隼人部隊も大打撃を受けるという大敗を喫した。 「隼人たちの傷はもう癒えたらしいが、人手不足だけは否めないらしい」 その戦では結城宗家も動き、鎮守家の令嬢も参戦、さらには一哉の妹――"火焔車"・熾条鈴音も加わって鬼族を迎撃するという稀に見る激戦だった。 「むぅ、儂も出張りたかったな」 悔しそうにドノヴァンが呟く。 いつかはぶつかるであろう強者たちが揃っていたのだ。 剛勇でなるドノヴァンには惜しくて仕方がないであろう。 ―――コンコン 『―――局長、神忌です』 「入れ」 「はっ」 書類などを胸に抱いて入ってきた神忌は部屋に揃っているメンバーを見てわずかに目を張った。 「どうした?」 「【叢瀬】の件です」 「・・・・奴らか」 誤算はまだあった。 開戦後、SMO――監査局の主戦力として活躍するはずだった【叢瀬】シリーズの造反。 虎の子とも言える対精霊術師部隊の裏切りは功刀の計画を遅らせる結果となることは明白だった。 「鴫島諸島に浮かぶ加賀智島は現在、音信不通です。調査に赴いた監査局員の生存反応も20分前に消失しました」 潜入した監査局員の死。 それは【叢瀬】の造反、そして、加賀智島の占領を如実に表している。 「生存している【叢瀬】四四名。内戦闘に耐えうる戦力を有しているのは一七名です」 そこで書類を一枚めくる。 「そして、本州に上陸している叢瀬随一の戦力――"金色の隷獣"及び"迷彩の戦闘機"は未だ逃走中。・・・・これは人手不足ですね」 今の監査局に動かせるまともな戦力は第二実働部隊のみ。 元々少数精鋭が売りだったため、人海戦術に繰り出すことは無理なのだ。 「スカーフェイスは・・・・そうか、新第一実働部隊、望月部隊は編成中か。スネーク・アイズとローレライが従うはずもなし・・・・」 それらの名前はSMOの他部署に潜伏させているエージェントたちのコードネームだ。 「そうだ、アイスマンがいるだろう」 彼は功刀の計画に賛同し、多くの穢れ役や重要な仕事をこなしている。 「・・・・奴は・・・・従者を伴い、いずこかへ消えました」 「・・・・くくく」 「局長?」 「くははははははっ!!」 功刀は一瞬だけぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに大笑した。 「おもしろい、この世の歯車は回すことは簡単だが、操ることは難しいかっ」 功刀は困惑する神忌を無視して笑い続ける。 アイスマンは坂上部隊をけしかける時、珍しく自己主張――熾条一哉暗殺に名乗りを上げていた。 隠してはいるが、なかなか武断的な性格である彼は隼人と戦った一哉に興味を持っていたのだろう。 おそらく、今頃は邪魔されずに一騎打ちできる策略を巡らせ、その策に従って行動しているに違いない。 どちらにしろ、熾条一哉は討たねばならない。 ならばアイスマンに任せてもいいだろう。 「アイスマンは放っておけ。本州の【叢瀬】も大将であるあの小娘を討てば脅威でもなくなるだろ」 【叢瀬】シリーズのトップ――"銀嶺の女王(Bright Empress)"はそれほどまでの存在なのだ。 「分かりました」 総髪にしている白髪を払って神忌は一礼し、ドアノブに手をかけた。 「そうそう、局長」 「ん?」 「【叢瀬】討伐は、私自ら指揮を執ります故、しばらくここを離れることになるでしょう」 そう言って真白い顔に妙に紅い唇を歪めて不敵な笑みを浮かべ、薄闇に炯々と光る双眸を功刀に向ける。 「・・・・そうか、貴様なら安心だな」 背筋に走った嫌な感覚を振り払うように功刀は手を振り、神忌の出陣を認めた。 「では」 神忌が去った部屋は何とも言えぬ微妙な雰囲気を孕んでいる。 「あの男・・・・」 ドアを見たままでミシェルが呟いた。 「何を裡に飼っている?」 同意するようにドノヴァンも首を縦に振る。 監査局特赦課課長――神忌。 本名は不明だが、その敏腕でいくつもの裏切り者を血祭りに上げていた。 監査局長である功刀よりもSMO隊員に恐れられる監査局の汚れ役である。 「何を飼っていようと奴は側近中の側近。有用であることには変わりない」 警戒しつつも遠ざける気がない、と態度で示す功刀も内心気になってはいた。 神忌が時折見せる禍々しい紅い眸。 (神忌、いずれお前を始末する時が来るやもしれんが・・・・それまでは精々働いてくれ、大義のために) 「―――ご主人様、いいのですか? 今は大事な時期なのですよね?」 メイド姿の少女――初音がパタパタと追いすがってきた。 背後にはSMO本部がある。 そのどこかの窓から下界を睥睨している功刀宗源がいるはずだ。 「いいさ。難しいことは神忌や望月に任せとけ」 アイスマンは金髪を掻き上げ、雑踏に歩き出した。 「ですがっ」 金髪碧眼の少年と銀髪メイドのコンビは目立つ。しかし、雑踏の誰もが彼らに視線を向けることはなかった。 ひょいひょいと人混みを擦り抜けていく主を初音は追う。 女性の平均より少し高い身長に艶やかな銀髪が流れ、ヒラヒラのメイド服がはためいた。 普段、大人しく落ち着いた雰囲気の彼女には珍しい姿だ。 「"侯爵"様のご命令は―――」 「あいつの部下はあの双子の騎士たちだろっ」 「―――っ!?」 思わぬ怒気に触れ、初音は泣きそうな顔で凍り付いた。 「くそ、気に入らねえ。暗殺なんて冗談じゃねえぞっ」 SMO本部を睨みつける。 そこに殺気が渦巻き、"何も感じない"はずの一般人が何故か後退った。 「ご、ご主人様・・・・」 幼少より付き従っている初音には主の気持ちがよく分かる。 我慢の連続であった半生、ようやくその憂さ晴らしに格好の相手となると彼自身が判断した少年を暗殺などと言う卑劣な所行で失いかけたのだ。 「一哉は誰にも殺させねえ」 主――アイスマンと"似た"境遇の人物である熾条一哉。 「一哉を殺すのは・・・・このオレだ」 彼は西を見遣る。 その方向には難攻不落の地――音川があった。 援軍要請 scene 『―――玄関に三人。その他の入り口には誰もいないワ』 小型無線機――受信専用――から警備状況が送られてきた。 『警備って言うか、見舞いのついでに立ち話―――』 「―――って感じがするわネ」 わずかな羽音と共に茜色の物体が隣に着地する。 「どうすル?」 着地後数秒で下の色に戻った少女は判断を仰ぐために見下ろしてきた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 顎に手を当て、少し考え込んだ。 目標は入院を必要とする手負いではあるが、生まれながらにしての戦士である精霊術師はいかなる時でも油断してはならない。何より――― 「そういや、あの守護獣、どこかに飛び立ったわヨ」 ―――ゴンッ 「ちょ、のぶ!?」 重要な情報を黙っていた少女を貯水槽に打ち付けた額を抑えながら睨んだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「う・・・・っ、そんな無表情で睨まないデ。コワイかラ」 腰が引け、微妙に翅が震えている。 そんな少女に一歩近づき、きゅっとその手を握った。 「え? ・・・・あ、行く・・・・ノ?」 コクリと頷く。 「分かっタ。屋上でいいわネ?」 「・・・・(コクリ)」 「よシ」 ―――ブンッ 二対の翅が振動を始め、ふわりと2人の体が浮き上がった。 時は宵。 薄闇は広がる冬空はどんどん闇に侵蝕される。 そんな中、保護色を纏い、周囲とどうかした彼らはゆっくりと己が使命を果たしに出撃した。 「―――状況は?」 面会時間ギリギリ。 その時間に病室には倒れた一哉の代わりに事後処理を担当している朝霞が訪れた。 「芳しくないわ。陣地だった場所は爆発であらかた吹き飛んでたし、生存者もゼロ。初めて知ったわ。全滅って最大戦果じゃないのね」 はふぅ、と中学生には有り得ない仕事疲れのため息をつく。 「今分かってるのは彼らが正規のSMO隊員だってことくらいね」 「やはり鬼族はSMOに匿われていたのか」 一哉は常人では未だ集中治療室にいなければならないほどの怪我を負っているが、持ち前の回復力で一般病棟に移っていた。しかし、仮にも暗殺され掛けた身のため、一応個室を宛がわれている。 「【結城】からは、何か言われたか?」 「・・・・ええ、一応、【結城】もあの山で戦闘があったことは感知してるらしいけど・・・・」 一度、言いよどんだ朝霞は言葉を整理して端的に告げた。 「結城宗家の分家の代理人って言う人が来たわ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 認知はしたが、優先度は低いと言うことだ。 高いならば術者が来るだろう。しかし、代理人という一般人――但し、切れ者であることは間違いない――を寄越すと言う理由はそれ以外に思いつかない。 「それに・・・・訊いてくるってことは"風神"から連絡もなかったのかしら? あの人の性格だと入院したあなたをこれ幸いとばかりに笑いに来そうだけど」 確かに晴也ならば笑いに来るという理由で見舞いに来るだろう。 そういうところは抜け目ない奴のことだ。 「来ない」ならば「来れない」理由があるはず。 例えば結城宗家の上層部が動かねばならないほどの大事とか。 「何が起こってる・・・・?」 一哉はシーツを握り締め、窓の外へと視線を飛ばす。 結城宗家の未確認だが、高い確率での上層部の動き。 SMOが突然、牙を剥いてきた行動根拠。 「・・・・手足はあるが、頭がもがれるとはな」 裏世界の大元――少なくとも大勢力の動き――を把握することは一哉にとっては必要不可欠のことである。 大戦略や戦略を得意とする一哉にとって情勢などの情報は生命線なのだ。 組織は嫌いであるが、中に生まれる派閥争いや妬みや嫉みといった濁ったものさえなければ、一哉もその有用性を認める。 情報収集力が個人とは桁外れだからだ。 「【結城】が今のところ敵になる謂われはない。優先すべきはSMOだ」 「そうね。例え鬼族の後ろ盾が国家権力でも私は契約通り、鬼族を滅ぼすまで止まるつもりはないわ。むしろ、相手にとって不足なし、と言ったところかしら」 右耳につけたイヤリングを指で弾きながら朝霞は決意を示した。 「もちろんだ。俺もここで手足を手放すつもりはない。SMOの内部情報などが揃えばすぐにでも反撃に出るぞ」 首脳2人は互いの不退転の意志を確認する。しかし、意志を確認したからといって打開策が浮かぶとは限らない。だから、2人はしばらく、いい方策がないか考え込むことになった。 『―――その、内部情報、わたしたちが持ってる、と言ったラ?』 「「―――っ!?」」 ―――カチャ 病室のドアが開き、2人の人間が入ってくる。 「お前―――っ!?」 一哉がひとりの顔を見て血相を変えた。 それを見た朝霞がこの2人があの夜に戦っていた手練れだと気付き、慌てて立ち上がって戦闘態勢を取る。 「何の用かしら?」 朝霞は冷静に返しつつも戦場の不利を悟っているようだ。 この病室は得物である矛――<嫩草>を扱うには狭すぎる。 『大丈夫』 小柄な方がスケッチブックに文字を書き綴った。 「戦う気はないワ。あるなら、ロケットランチャーで病室の外から撃てばいいしネ」 「・・・・なるほど。―――朝霞、とりあえず、その殺気を仕舞え」 「・・・・分かったわよ」 相手に殺気がないのが分かったのだろう。 朝霞は不承不承に返事し、丸椅子に再び腰を落ち着けた。 「で?」 それを確認し、一哉が先を促す。 ベッドで半身を起こし、痛々しい体を晒しつつもその表情は代表者としての知性に溢れていた。 「我が女王陛下から"東洋の慧眼"への言伝でス」 妙に畏まった言い方。 隻腕の少女と小柄な少女は揃って一哉を観察するように見遣る。 「女王?」 あからさまな視線に動じることなく、首を傾げる一哉に小柄な少女が近付き、A4版の茶封筒を渡した。 『手紙、速読』 「分かった」 口を開け、中身を覗いた一哉が固まる。 そこには欲しいと思っていたSMOの組織形態や幹部の名前や各支部の位置などが事細かに標されていた。 「これは・・・・」 『ほんの一部。前金のようなもの』 スケッチブックを見せながらそろそろと後退る。 「いや、大したものだ・・・・」 SMOは国内最大組織であり、米国のCIAなどと同様の諜報機関――但し、主に防衛――でもある。 そんな情報防衛に長けたSMOを相手にこれだけの情報を仕入れ、また、それを序の口だという。 「裏切りか?」 防御の堅い城を落とすには内側から崩すのが常道。 SMOも内部の者ならばある程度の情報を仕入れるのは容易いはずだ。 「そういうところネ。わたしたちからすれば奴らに与したことなんて一度もないんだけド」 『成功の暁には各支部に配備されている能力者や兵器の詳細―――』 「も調べたげるワ」 必死にペンを走らせ、長文を書いていた者の後を次ぐ少女。 その瞬間、ペンを握り締めて肩を落としたのは気のせいだろうか。 「・・・・それで? 散々餌を散らつかせておいて、私たちに何をさせるつもりなの?」 朝霞は巨大組織から離れ、自分たちのような小さな集団に何を求めているというのだろう、という疑問からわずかに警戒していた。 「・・・・朝霞、急かすのは交渉術じゃないぞ」 「黙っててくれるかしら? 分かる? 私たち鹿頭家が先約なの、鬼族を殲滅するってね。その作戦に必要な情報を仕入れることができるとしても、戦力を提供してこの子たちの要求をクリアしなければならない。"東洋の慧眼"、その時あなたは私たちを戦力として使用するでしょう?」 「む」 確かにそうだ。 何となくだが、一哉に彼女らの要求は読めている。 それに必要なのは戦力――鹿頭家だった。そして、鹿頭家の指揮権は一哉ではなく、当主である朝霞が持っている。 「確かに依頼人としては気になるわな。―――話してもらえるか?」 『分かった』 スケッチブックを置いた少女が懐から一通の手紙が出された。 「詳細はここニ。後、わたしたちからの要求はただひとつ」 少女たちはまっすぐに一哉と朝霞の目を見る。 「わたしたちが起こす、いえ、起こしている戦の後詰めを御願いしたいノ」 『緊急援護』 (やはり、か) 一哉は再び戦場に赴くことを決意し、詳細を知るために手紙の封を開けた。 誘拐 scene 「―――ああ、もうっ。やっぱり一哉は無理をしてっ」 瀞は慌てて渡辺邸を駆け出した。 必要な荷物は送ってくれるように頼んであるため、手ぶらだ。 先程、部屋でくつろいでいた時、何者かが部屋に飛び込んできた。 『ちょ、なにご・・・・』 『うわぁん、しーちゃぁんっ。いちやが、いちやがぁっ』 『・・・・え?』 それが結界を破って侵入してきた緋だった。 わんわん泣く緋を宥めるのに時間が掛かり、ようやく一哉が大晦日の夜に重傷を負って入院したことが明らかになったのだ。 因みに今日は2日。 緋がまる2日使ったのは渡辺邸を探していたためだろう。 上空からは広大な敷地も大半が木々に覆われて見えなかった。 迷っても仕方がない。 「でも、SMOが一哉暗殺に動くなんて・・・・」 瀞はわずかな荷物の入ったリュックを背負い直しながら真っ青な顔で呟いた。 確かに一哉は中東諸国から見れば国家を騒がせた大罪人である。 国家諜報機関であるSMOが処理に動いてもおかしくはなかった。 (でも・・・・それを突っぱねることだってできるはず・・・・) 基本的に一哉は残虐行為に及んだことはない。 国民を虐げる特定の軍人や政治家を粛正していただけで国民の評価は高かったらしい。 別にその国に従属しているわけではないので、すでに帰国している人間を殺す必要はないのだ。 「・・・・・・・・一哉、大丈夫だよね・・・・?」 瀞は不安を胸に夜の街を走っていた。 正月気分で浮つく町中を血相を変えて走る瀞はさぞ目立つであろうが、寒い中に外に出る者はいないらしく、人影はない。 因みに緋は瀞が出発する直前、真剣な顔になってどこかへ飛んでいった。 鹿頭の面々が第二次攻撃に備えているが、安心はできないのだろうか。 「はぁ・・・・はぁ・・・・」 本来なら送ってくれるのだろうが、今の【渡辺】は慌ただしかった。 緋が来る前にどこからか来客があり、それからまるで戦前の城のように物々しい気配と闘志、さらには怒号が飛び交うという状況である。 気になったが、すでに渡辺宗家の楔から逃れた身、宗主や跡取り、分家当主が出席する首脳会議には顔を出さなかった。 「・・・・本当に何が、起こってるの・・・・?」 瀞にはこれが一哉襲撃と【渡辺】騒然が繋がっているような気がしてならない。 「・・・・・・・・・・・・え?」 不安で視界が狭まる中、瀞はようやく"それ"に気付いた。 「・・・・何、この気配・・・・?」 足を止め、辺りを警戒して見回す。そして、"視"つけた。 「そこに、いるの・・・・?」 闇の中、ひとりの希薄な気配が元の、人ひとり分のそれへと浮かび上がる。 「―――さすがです。陰行術を解いた瞬間、私にお気付きになられるとは」 街灯の光に照らされた彼女はメイド服を着た銀髪の少女だった。 「・・・・誰?」 「お初にお目にかかります、瀞様。私・・・・アイスマン様の従者で初音と申します」 「初音、さん。・・・・私に何の用? 急いでるんだけど、長くなるなら後にして、私を通してくれないかな?」 半ば無理だと思いつつも聞いてみる。 もしかすれば、ということもあり得るからだ。 「残念ですが、それは無理です。貴女には私と一緒に来てもらわなければならないのです」 ―――ヒュォゥ 初音を中心に冷気の渦が湧き起こる。 「・・・・ぇ?」 瀞は愕然とした表情で初音の周囲を見遣った。 「う、うそ・・・・」 氷雪系の異能は確かに存在する。しかし、それはあくまで氷を操るだけで気温を下げるなどの世界に影響を与えるレベルではない。 それが許されるのは渡辺直系の中でも女性のみ。 「少々痛い目に合ってもらいます」 「―――っ!?」 ―――ドガガガガッ!!!! アスファルトを貫き、地中から氷柱が突き立った。 慌てて瀞は脇に退け、その怒濤を躱す。 「くっ」 攻撃と同時に結界は張られていた。 防音機能がついているそれのおかげで町中というのにもかかわらず誰も気付かない。 「いきなり何を―――ってええ!?」 初音の姿が消えた。 闇に溶けるようにすぅっと消えた彼女は瀞の気配察知能力を持ってしても捉えられない。 (うそうそ・・・・) 先程から仰天することばかりで全く頭が回らなかった。 もし、もう少し冷静ならば文化祭で陰形鬼と戦った経験を生かせたというのに。 「さすがの"浄化の巫女"も、戦闘は素人ですか」 「―――っ!?」 首筋にピトッと冷たい感触と背後に気配が浮かぶ。 「おやすみなさいませ」 耳朶を打った声を最後に膨大な冷気が体を支配し、瀞は呆気なく意識を手放した。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 初音は意識を失った瀞を支え、ゆっくりと移動を開始した。しかし、如何に瀞が小柄とはいえ、脱力した人間ひとり運ぶのは辛い。 「はぁ・・・・このような任務、初めてです」 「―――悪いな、無理させて」 「・・・・ご主人様」 暗がりから初音の主――アイスマンが姿を現した。 瀞を見て、わずかに眸を揺らめかせたが、すぐに氷のような表情に戻る。 「貸せ。オレが運ぶ」 「はい」 アイスマンは瀞をお姫様抱っこで抱き上げるとそのまま背を向けて歩き出した。 「どうやら、気付かれたみたいだな」 「・・・・はい」 ふっとアイスマンと初音が空を見遣る。 近付いてくる膨大な【力】の権化。 視る者が視れば闇に流れ星のような閃光が走っている状態だった。 「あのガキは、主に全く似てないな」 アイスマンは苦笑し、顔を初音に向ける。 「オレは帰るが・・・・しっかりな」 「分かりました」 すぅっとアイスマンの気配が消え始めた。 初音が瀞相手にしたように完全に溶け切まではそう時間はかからない。 「さて・・・・」 初音は再び冷気を発動し、臨戦態勢を整えた。 「―――っ!?」 ―――ドォォォン!!! 轟音と共に閃光が初音の聴覚と視覚を刺激する。 結界外からとてつもないスピードで何者かが降ってきた。 その衝撃はアスファルトを粉砕するだけに飽きたらず、その下の土をも飛び散らせる。 「あはっ、あははっ」 歓喜が弾けたような笑い声が土のカーテンの向こうから聞こえた。 ―――ゴォッ!! 舞い上がる砂塵が一瞬で炎上する。そして、その炎の向こうから強烈な眼光を初音に向ける一匹の龍がいた。 対する初音も大人っぽい顔立ちに怜悧な表情を貼り付け、傲然と彼の龍を見下ろす。 両者の鋭い眼光に乗せられた【力】が中間で鎬を削り、火花と暴風が生まれた。 「氷・・・・やっと、やっと見つけたっ」 満身から膨大な【力】を放出し、緋は莫大な<火>を従える。 その姿は主である一哉が驚くほど豹変していた。 いつもののほほんとした無邪気さの欠片もない、獰猛な獣そのものの荒々しさは炎龍の眷属としての威厳を遺憾なく発揮している。 「初めは・・・・【渡辺】かなって思ってたけど・・・・違った」 「・・・・宮内庁書陵部襲撃のことですか?」 ―――ドォッ!!! 両者の間で炎と氷がぶつかった。 「認めたね。じゃあ、殺されても文句は言えないねっ」 ただでさえ大きかった炎が結界を焼き切らんばかりに火勢を強める。 「宮内庁が捜査していると聞きましたが・・・・熾条一哉様の守護獣であるあなたがどうしてこの件を捜査なされているので? 一哉様にはそのような挙動は見受けられませんが?」 正直、不可解だった。 「ふんっ。あかねの半生にもいろいろあったってことだよっ。もし、あの時、あの方がいらっしゃらなかったらあかねは消えちゃってたんだよぉっ」 「なるほど。主たる一哉様だけでなく、他にもお仕えしている方がいるということ。・・・・不忠者ですね」 「―――っ!?」 「差し詰め、私の気配を察知し、飛び回っておられたようですが・・・・」 初音は冷徹な表情を浮かべたまま先程瀞から盗っておいた荷物を見せる。 「そ、それは!?」 「真に一哉様にお仕えしているならばこのような不手際、起こるはずがありませんよね?」 「くっ」 緋が歯噛みし、一瞬だが猛攻の気配に揺らぎが生じた。 「瀞様の身柄は預からせていただきました。取り戻したければこの紙に書かれている場所にいらっしゃってください」 ピッと紙幣を緋に投げつける。 「最も、その場所はすでに違う用件で招待されていましょうが・・・・その方がその用件にも力が入るでしょう」 「ま、待って―――」 「お返しします」 「ぅわっ、たっ?」 放り投げた荷物を緋は落とさぬように慌てて受け止めた。 「それでは、失礼します」 敵であろうとも礼儀を正し、優雅に一礼する。そして、すぅっと初音は世界と同化し、緋の前から消失した。 「あ、ああっ!?」 同時に結界がゆっくりと消え、砕け散ったアスファルトも元に戻り始める。 やっと見つけ出した怨敵の痕跡は緋の手にある一通の手紙だけとなった。 「せっかく・・・・せっかく見つけたの―――えっ!?」 緋の本能とも言うべきものが警鐘を鳴らす。そして、その警鐘は発生した結界の存在を告げていた。 (まだ、戦いが・・・・ッ) 結界の方向――渡辺邸がある方角を見遣る。 「―――っ!?」 緋は思わず瀞の荷物を落としてしまった。 「嘘だよ・・・・何で・・・・どうして!? あかねが・・・・あかねが中途半端だからこうなるの!? ねえ、誰か教えてよっ」 守護獣として圧倒的な力を有するというのに何もできない歯痒さに愕然とし、緋は呆然とその方角を見つめる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【渡辺】が、陥ちた・・・・」 突然発生した防音と不可視だけの簡易結界はすでに解け、彼の名家はただただ炎上するだけだった。 1月2日。 退魔界は蠢動を次第に大きくしながら時を進めていた。 SMOは各支部に檄を飛ばしながら各方面に手回しを始め、旧組織も何やら不穏なものを感じ取って警戒を強めている。 退魔界の蠢動とは即ち、戦支度。 明治維新以後、小競り合いがあっても全面衝突に陥ることがなかった両勢が初めて行う戦争。 その先駆けとなる物がはるか南より大気を切り裂いて飛来し、大八洲に幾つもの大火を招いた。 正月に突如、降り立った悪夢。 一族郎党諸共、爆炎に呑まれ、煙になる者も少なくない。 それらの煙はまるで開戦の烽火のように天高く上っていった。 |