第八章「冷戦の暁闇」/ 7
狭山市。 埼玉県南部に位置し、武蔵野台地の一部を占めて入間川が北流する地である。 12月31日、午後11時43分。 航空自衛隊入間基地にSMO高官――山名昌豊とその側近たちの姿があった。 「―――やれやれ、年明けはむさ苦しい男どもに囲まれて、か」 彼はネクタイを緩めながら呟く。 「そうはいいましても、初日の出は空。きっと素晴らしき景色でしょう」 「ただの日の出と一緒だ」 苦笑と共に繰り出された言葉を山名はバッサリと切り捨てる。 「それなら年越しもただ日が変わるだけじゃないですか」 「・・・・まあ、そうだな」 見事に切り返えされ、山名は苦笑を向けた。 そこにいるのは1年前から、いや、それ以前から苦楽を共にしてきた朋友だ。 上下の関係ではあるが、気楽なものである。 「ようやく・・・・ようやく成し遂げられましたな」 ひとりが会心の笑みを浮かべた。 「ああ、あとは座標を打ち込み、ボタンを押すだけだ」 「大半の座標はすでに打ち込み済みでしょうに」 「ははっ、確かに。司令はただ本部でボタンを押すだけ。後は自ずと奴らは消え去りましょう」 「うむ。『ボタン戦争』、まことにいい例えだ」 笑いが彼らの間に満ち渡る。 その笑みには達成感がありありと浮かんでいた。 ―――ピーピーピーッ 「ん?」 突然の電子音。 それは鼠が警戒網に引っ掛かった音である。 「掛かったかっ。功刀の言う通りだったなっ」 山名の周囲で護衛に付いていた隊員の半数が動き出した。 彼らは監査局第三実働部隊と情報統合局第二実働部隊だ。 SMOが誇る二大情報機関が有する戦力はSMOを探ろうとする者を削除するものだ。 外国の諜報機関員などが主なターゲットだが、稀に他の情報部隊とぶつかることがあった。 それが今、山名の周囲を張っていた忍びのような連中である。 「餌になってやったんだ、逃がすなよ」 この場に残ったわずかな情報統合局員にそう告げ、山名たちは太平洋艦隊が保有する輸送機「霖鸛(リンカク)」に乗り込んだ。 <識衆>の奮戦 scene ―――タタタタタタッッ!!!!! 詳しくは分からないが、サブマシンガンの咆哮が倉庫の壁に傷をつけていく。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 そんな中、自衛隊の制服を着て変装していた鰈(ガレイ)は無言でSMO隊員たちの言葉からキーワードを探り出し、それを暗記していく。 (成し遂げる・・・・座標・・・・ボタン・・・・ボタン戦争・・・・) そこから導き出される答えはひとつだ。 一団を統率する鰈は頭として自らが操る糸で仲間に命令を下した。 『―――蜊(アサリ)組は帰還せよ』 『了』 返答が糸を震わせて伝わる。 同時に蜊を組頭とする4人が交戦を中止し、撤退に動いたのを確認した。 (山名昌豊・・・・SMO太平洋艦隊司令) 鰈の脳裏には彼のプロフィール情報が浮かび上がる。 防衛大学卒業後、海上自衛隊に所属。 その後、太平洋哨戒中に海洋妖魔と遭遇。 果敢に応戦し、SMO太平洋艦隊の救援まで自艦を生き残らせた。 この件をきっかけに数名の同志と共にSMOに入隊し、太平洋艦隊に所属。 昨年の鴫島事変では主力である護衛艦の艦長として参戦し、多くの海洋妖魔を駆逐する戦功を立てる。そして、その功績が評価され、事変後に空席となった司令の座を手に入れた傑物だ。 それ故に大した異能は持ち合わせていない。 そもそも、海洋妖魔の討伐自体、異能に裏打ちされた科学力を頼っているために個人の武力はそう必要ないのだ。 (彼は・・・・"どこ"へ向かおうというのだろう) さすがに彼らには輸送機を追いかける術はない。 発信器や盗聴器は科学の物なのでSMOの方が詳しく、また対策にも手慣れている。そして、彼ら――<識衆>にはそれらを可能にする異能はなかった。 (こればかりは仕方ありませんね) 山名一行は輸送機に乗り込んだ。 後は輸送機が倉庫――中に乗る人物を見られないようにするため――から出て、滑走路に到達。そして、離陸するだろう。 鰈は自嘲気味に笑い、せめて輸送機が向かった方角を確認しようと機体を見遣る。 「―――覚悟っ」 足止めの鱆(タコ)を突破してきたのか、軍用タガ―を逆手に持った男が襲いかかってきた。 ちらりとスミレの紋章が見えたことから監査局員のようだ。 「頭ッ」 彼の背後から女の声がし、次の瞬間に監査局員は脂汗たっぷりで崩れ落ちる。 「無事ですか?」 ふわりと笛を持った少女が心配気な顔を向けてきた。 少し茶色がかった長髪の半ばをリボンで止めているため、振り返った時にリボンから上が拡散することはない。 実際、その背中から首筋にかけては鰤(ブリ)の名が示す通り、毒が塗られた針がびっしりと隠されていた。 鰤は出世魚のブリの方が一般的だが、毒魚という意味もある。 「大丈夫」 力強く頷きながら鰈は胸ポケットから拳銃を取り出した。そして、ふっとしゃがみ込んだ鰤を見遣る。 彼女は絶命した男の首筋から一本の針を抜き取ると己の髪の中に隠した。 「蜊組は?」 「切り抜けたようです。ここにいるのは鱆組と私たち本隊つきの四組だけです」 基地内に鳴り響く銃声はすごい数だ。 これまで裏で何度も激突し、少なからぬ仲間が討たれた両部隊を相手にしている自分たちは敵からすればかなり少数にしか見えないだろう。 すでに包囲されていると見て、間違いなかった。 「?」 鰈は訝しげに周囲に視線を走らせる。 銃撃が止んだ。 それが意味するのは包囲が完了し、再編成後に総攻撃という勝勢に見られる常套手段である。 「・・・・頭、どうします?」 いつの間にか近くに鱇(コウ)がいた。 彼はかぎ爪を構えながらじっと頭の判断を待つ。 <識衆>は今回、敵――SMOのお膝元である関東圏での作戦と言うことで大戦力を用いて入間基地に展開していた。 その展開した<識衆>を包囲する形で情報統合局・監査局のエージェントが展開している。 このままいれば、全滅は免れない。 誰かが生き残るには大将首――自分が囮になって戦力を散らさねばならなかった。そして、薄くなったところを部下たちが突破。 これが一番賢い方法だろう。 「よし、じゃあ―――」 「野暮なこと訊くもんじゃねえぜ、鱇」 「そっか。そうだな」 防衛ラインの縮小か、迎撃に出ていた鱆たちも姿を現した。 荒縄を武器とする鱆はうねうねとそれらを動かしながら言う。 「さ、とっとと突撃命令してくださいよ。これだけ暴れられる環境なんだ。しかも、敵は大軍さん。腕の見せ所じゃねえかよ」 「お前たち・・・・」 鰈は自らも死地に飛び込もうとする彼らに驚きの声を上げた。 「頭に死なれたら、<識衆>は終わりですよ」 「そうそう。まさかあたしたちの行動がバレてこれだけの戦力集めるなんて、よっぽどのことをしでかす気だろうし」 「そうそう、<識衆>を効果的に動かせるのは頭のみ。ここで一番死んじゃいけない人間」 「いっちょ派手にやろうや、みんな」 各々の得物を見せながら、笑ってみせる部下たちに鰈は一瞬だけ飛行機雲を作りながら南へと飛んでいく輸送機を見遣る。 「そうだな・・・・」 山名氏はまるでここで自分たちが全滅するのが当たり前のように言ってくれた。 それだけの戦力を傾注した作戦なのだろう。 彼らの言う作戦では誰がどう生き残るか分からないが、諜報部隊である自分たちが罠にはめられた。 その汚名を挽回するにはそれしかないかもしれない。 「よし、じゃあ―――」 ―――ドオオオオオオッッッン!!!!!!!!!!! 『『『『『―――ッ!?』』』』』 突然の爆音に忍びたちが慌てて飛び退き、戦闘態勢に入った。 包囲していたはずの敵の動きが騒がしくなる。 「な、なんだ?」 騒ぎはどんどん大きくなり、乱れが生じているようだ。 「か、頭」 「う、うん」 今がチャンスだ。 <識衆>は騒動につけ込み、退却を始める。 その音のない移動はさすがと言えた。 (でも、いったい何が・・・・) 「あ・・・・」 思わず、<識衆>は溶け落ちたフェンスの前で立ち止まる。 紅蓮の炎を従えた男の姿を見て、鰈の疑問はすぐに解決された。 「―――よぉ、<識衆>。迎えに来たぞ」 コートのポケットに手を入れたまま立つ伝説は気軽に声をかける。 その周囲では初陣の緊張に取り憑かれた新兵たちが動いていた。 どうやら、電子系を弄ってトラブルを起こしているらしい。 誰も戦場に出ず、戦場を撹乱していた。 「しょ、将軍・・・・」 「さ、帰るぞ。せっかく誰も戦死してないんだからな。とっととこの場からおさらばだ」 戦死者ゼロ。 そう、彼の率いる部隊の特徴はこれだ。 『死が内包された闇の中で活動する兵たちの明かりにならんことを』 これが彼の戦闘理念。 故に彼は伝説を築き、畏怖される。 彼こそが死界から生還の道を照らす唯一の灯。 熾条宗家が誇る伝説の戦術家――"戦場の灯"・熾条厳一である。 熾条一哉 side 石塚山系。 世間では音川町の名家――村上家がその大半を保有していると言われているが、実はその五割は大日本帝国時代末期から国有地となっている。 その事実はSMO情報統合局によって封じられ、役所レベルでも村上家の土地だった。 公私ともに誤魔化されている土地の保有権は国の裏と言うべきSMOが独占し、石塚研究所を建てる。 その研究所自体は巨大なヘビの妖魔を研究していたが、"風神雷神"を攻撃、返り討ちにあった。 建物は半壊。 重要な研究内容は結城の調査の前に持ち去ったのか、結城方は抑えることができなかったが、SMO関連の施設であることが判明。 この事実に結城宗主が敢然と京都支部に抗議を行い、高度な腹の探り合いが結城邸で行われている真っ最中、議題の山系は戦雲に包まれていた。 ―――タタタタタッッ!!!! クサリを無効化した一哉は変わらず山の中を走っていた。 少しずつ強くなっていた雨の中、幾つもの火花が散り、土や草を跳ね上げていく。 「くっ」 綿密な銃火は一哉を追い詰め、少なからぬ傷をその身に刻みつけていた。 「はぁ・・・・はぁ・・・・」 銃火をかいくぐり、追撃をかけようとする坂上部隊に炎を叩きつけ、森に紅蓮の炎を散布する。 炎が雨を押し返して木々を燃やし、辺りは山火事さながらの状況になっていた。 もし、緋がトンボとの戦いを終えていなければ、この地に結界が敷かれることなく、本当の山火事になっていただろう。 「くそ、奴らのタフさは本気で鬼族と一緒だな」 坂上部隊の精鋭。 あれはどうしたことか、鬼族のなり損ないだ。 完全に鬼族化することはできないが、一部を変化させて特性を受け継いでいる。 身体能力とその耐久力。おまけに対精霊の肌まで持つとは、先程のクサリほどではないが、明らかにSMOは精霊術師を敵視していることが分かる。 「はぁ、ふぅ」 一哉は光を反射するから納刀したままの<颯武>を見遣った。 この刀で接近戦を仕掛ければ勝機はある。 敵は鬼族の亜種とはいえ、銃器に慣れた戦いをしているし、SMOが対刀用の戦闘術を訓練しているとは思えない。 「―――いたっ」 「―――っ!?」 右手から現れた敵は迷うことなく引き金を引いた。 奇襲で壊滅させた他の部隊が気にした同士討ちは全く考慮していない。 アサルト弾でも鬼族の体力を計算に入れられた装甲は貫けないと言うことだろう。 視認するより早く、殺気で行動していた一哉の半瞬前までいた場所をアサルト弾は蹂躙した。 「チッ」 弾が切れたのか、慌てて弾倉を取り替える敵に爆発的な踏み込みを見せて攻め掛かる。 「クソッ」 弾込めは無理と判断したのか、FN F2000を振り上げて接近戦へと変更した。 「ただの鉄くずがっ」 ―――カシュッ 「・・・・え?」 <颯武>が闇を走り、途中にあった銃身を両断する。そして、呆然とする彼に肩から思い切りぶつかって地面に転がした。 「くっ」 うまく受け身を取ったのか、上を取られるのを避けるため、ゴロゴロと転がって起き上がる。しかし、それをも予想済み。 例え、一挙動でサバイバルナイフがその手に握られていようともナイフと日本刀でのリーチ差は明白だった。 一哉はわざと一呼吸置き、攻撃してくるのを待つ。 「セッ」 彼が選んだのは鋭い刺突。 狙いは命中率重視で胴のようだ。 「ハッ」 充分に引き付けた後、体を開いて躱す。 その際に胸の生地が裂かれて肌に一本の傷が増えたが、一哉は気にせずに左斜めから刀を斬り上げた。 ―――ザシュッ 「ぎゃあああああああああ!?!?!?!?!?」 どんなに強い装甲でも関節部は動きを阻害しないために薄くなる。 一哉は刺突で伸びきった右腕の付け根――脇下に思い切り斬撃を見舞ったのだ。 "気"での破壊力と名刀故の切れ味でさすがの装甲も防御力の限界を超えたのか、高々とその腕が宙を舞う。 「―――っ!?」 奇声を上げる敵の頭を潰そうと大上段に<颯武>を振り上げた時、側面にいきなり殺気が湧いた。そして、殺気が一哉に届くと共に銃声がし、数個の弾丸が一哉の体に叩き込まれる。 「ガハッ」 ポロリと手から刀が落ちた。 腕に二発。脇腹に二発。太腿に一発。 合計五発で脇腹に命中した物は見事に肋骨をへし折っている。 「―――っ!?」 激痛に耐え、一哉は地面に身を投げた。 「ガァッ」 さらなる激痛に苛まれる頭上を先程以上の弾丸が通過。 未だ踏ん張っていた坂上部隊ひとりを崖下へと転落させる。 (同士討ちを恐れないってか!?) 「まだいるぞっ」 「確実に仕留めろっ」 「守田の仇だっ」 声から感じ、地面の震動から感じることから彼らは全員揃っているようだ。 「はぁっ」 気合を入れて起き上がり、一哉は木々の途切れる場所まで何とか移動した。 右側はとても上れそうにない崖。 左側は落ちたら無事では済まない傾斜の崖。 どうやらここは木々が育たないからできた空地。 大きな崖がわずかに平坦になっている場所のようだ。 雨と冬の風が容赦なく重傷の一哉を攻め立てた。 「もう、逃げられないぞ」 もちろん、前は断崖絶壁。 三方を自然の立地に塞がれた一哉を追い詰めるように銃口を向けてくる隊長である坂上準を入れ、一〇人の坂上部隊。 彼らも木々の合間から姿を現し、各所に鬼族化しているであろう隆起が見える歪な格好に装甲を纏った異形を見せつける。 「そうみたい、だな・・・・」 (ヤバイな。予定より傷を負いすぎた) ―――ピ、ピ、ピ。 暗闇の中、彼は音とともに時を刻んでいく。 現在、12月31日23時59分9・・・・10・・・・11秒。 正確に奏でられる時は確実に進む。 「まあ、我が坂上部隊を相手にここまで戦ったんだ。胸を張れ、少年」 ズイッと装甲を身に付けていないリーダー格の男が言った。 どうやらこいつが坂上らしい。 「事前に俺たちのことを知っていたことには驚いたが、単騎突入とは己の力を過信したな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 脳裏に師匠――時任蔡の死が甦った。 あれも一哉が自分自身の戦闘力を見誤ったために引き起こされた惨事だ。 あの件だけじゃない。 一哉は多くの似たような経験をしてきていた。 「ふっ」 「? 何がおかしい?」 だから、今の一哉は笑うことができる。 ―――ピ、ピ、ピ。 彼らは無限に増え続ける。しかし、減る時間もある。―――残り時間という、時間が。 『―――47・・・・48・・・・49・・・・』 『・・・・13・・・・12・・・・11―――』 増える時間の下で減る時間がある。―――己の破滅までの時間を計るために。 「生憎な、俺は学ぶ人間でね」 常人なら気を失っているはずの血を全身から垂れ流し、脂汗でびっしりの顔で笑みを作った。 その笑みは蒼白な顔色でも分かる、ニヤリとしたものである。 『『『―――っ!?』』』 嫌な予感を感じたのか、彼らは一斉に銃を構えた。 『57・・・・58・・・・59―――』 『3・・・・2・・・・1―――』 増える時間、減る時間。 全く相反する時が相見えることがある。それは―――― 『『0』』 ―――ドオオオオオオォォォォォン!!!!!!!!!!! 『『『『『―――ッ!?』』』』』 崖の上から轟音と閃光が届き、坂上部隊は揃って上を見上げた。 「釣り野伏せ、ってな」 怒濤の如き奔流が襲いかかってきた。 上方で起きた爆発により、長雨でぬかるんでいた地面が地滑りを起こしたのだ。 一哉は奇襲の前、予め爆弾を仕掛けていた。 それは1月1日午前0時に爆発するようにし、奇襲で討ち取れなかった敵を誘導して地滑りに巻き込ませるためである。 「ぐわ!?」 「うぉ!?」 「ああ!?」 足下から滑っていく感触の下、さすがの坂上部隊も土砂に巻き込まれた。 どんなに強い建物でもその地面が揺らげば弱い。 それは地震と同じで、ここではそれのミニチュア版が起きていた。 坂上部隊は10メートル近い崖下へと転落していく。そして、そこには一哉の持てる戦力を投入していた。 「殺れ、朝霞っ」 「―――待ちくたびれたわっ。てっきり殺られちゃったのかと思ったじゃないっ」 土砂が平地に叩きつけられる音がし、その地点で幾つもの閃光が走る。 一哉は宙に浮いた緋の手を掴み、地滑りから逃れていた。 眼下ではボロボロに傷ついた坂上部隊と鹿頭家が激戦を繰り広げている。 「・・・・訓練され、たっ、部隊は・・・・本当に強いな、ふぅ・・・・」 一哉は戦況を見て、荒れる息を吐きながら呟く。 体は無事でも装甲や武器のほとんどを失った坂上部隊は持ち前の膂力と耐久力で何とか戦線を支えている。だが、坂上部隊は一哉と雨、闇、山道という悪条件で戦いを続けてきた。 その疲労はかなりのもので、いくら訓練でも戦闘というものが持つ精神へのダメージ、そして、そのダメージが肉体に影響することを抑えることはできない。 戦況は徐々に鹿頭に傾いていくことだろう。 「・・・・それより、緋」 「はな?」 「あの、トンボみたいな奴、は・・・・どうし、た?」 「・・・・うん、逃がしちゃった」 「そう、か」 残念そうに答えた緋に一哉はそれ以上何も言わなかった。 「あかねが追おうと言うところにバラバラって爆弾ばらまくんだもんっ。追撃速度が鈍って鈍って仕方なかったよっ」 撤退戦も見事、ということだ。 緋がもっと猪突猛進型だともしかすれば撃破されていたかもしれない。 それほどまでの戦上手。 「一哉こそ、あのピカピカ光る奴、倒したのっ?」 「"燬熾灼凰"を・・・・叩きつけ、たん・・・・ぞ? はふぅ」 「生死は確認できてないんだねっ」 そっと崖下の鹿頭の後方に降ろされた。 「ちょっと、あなた大丈夫かしら!?」 すでに追撃戦に移っていたのか、鹿頭家の半数が出払っている。 一番の戦力である朝霞は家宝である<嫩草>の穂先を血で濡らしながら一哉に駆け寄った。 「あなたらしくないわね。こんなボロボロ・・・・」 側に座った朝霞はグローブを外した掌に炎を生み出し、一哉に押し付ける。 その炎は肌や服を燃やすことなく、付着した血だけを燃やした。 「お前・・・・いつ、の間にそんな・・・・ぎ、じゅつを?」 燃やしたい対象だけを燃やす技術は高位者でなければ身に付けることのできないものだ。 「馬鹿ね。私如きの炎であなたを傷付けられるわけないでしょう? まあ、万が一に備えてグローブも<嫩草>も手放してるけど。・・・・って何か悔しいわ」 朝霞は上位と言って差し支えのない炎術師だ。しかし、一哉は間違いなく最高位の炎術師。 その差は大きく彼女の何気ない炎は一哉やその服すらも燃やすことが敵わない。 血が燃えているのも一哉自身がそれを『熾条一哉』と認識していないからに他ならないのだ。 「いくつ、殺った?」 「・・・・七よ。今、三を追撃中。あの坂上って奴には四人、他のふたりにはふたりずつ追手を向けてるわ。文句あるかしら?」 「・・・・いや、充分だ。はぁ・・・・坂上を、追ってる・・・・は香西だろ、う?」 香西とは朝霞を除けば鹿頭最強術者である。 「ええ、私は指揮を執るから」 文化祭時の朝霞なら迷わず自ら追ったであろう。 鈴音と自身を比べ、一族を率いる者としての自覚が芽生えたようだ。 「あー・・・・とりあえず、俺を病院・・・・運んでくれ、な? 結城宗家・・・・経営し、ていると・・・・こだと嬉し、い」 だんだん瞼が重くなってきた。 さすがにあの2人の子どもはイレギュラーだ。 予想以上の大けがを負ってしまっている一哉は朝霞がしっかりと指示を出している以上、用済みもいいところである。 「はいはい。分かったわ。あなたは病院で寝正月を過ごしてきなさい。・・・・ってこんなとこで寝るなっ。ったく、運ぶのが面倒じゃない」 呆れたような口調を耳に一哉は意識を手放した。 傍観する者 side 「―――フ、フフフ。さすが"東洋の慧眼"。見事ですね、フフ」 奇襲から崖崩れ、そして、坂上部隊の滑走までの一部始終を余さず見ていた監査局員極秘エージェント――スカーフェイスは一哉を誉め称えた。 極秘エージェントとは監査局員だとは公表されず、他の部署に紛れ込んでいる諜報者のことだ。 彼らはその部署の仕事をこなしつつ、何かあれば監査局に知らせる。その知らせを元に公式の調査員が調べ始めるのだ。 これが監査局の検挙に冤罪などがほとんどない所以である。 「フフフ、あれだけのヒントで監査局第一実働隊を壊滅させ、あまつさえ叢瀬の実験体を押し返すとは・・・・」 「―――だが、お前が動かねば為す術もなく討たれていたのではないか?」 「―――っ!?」 スカーフェイスの肩が跳ねた。しかし、動揺をすぐに覆い隠し、貼り付けたような不気味な笑みで振り返る。 「これはこれは特赦課長殿。このようなところに・・・・何を? フフ、入間基地で指揮を執られているのでは?」 「何、こちらの方が気になってな。得体の知れぬ敵諜報部隊・・・・忍びか? それを相手にするよりも管理職としてはこっちを優先しなければ、な」 じっとりとスカーフェイスを睨めつけた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 嫌な汗が背中を伝う。 スカーフェイスがした行為は裏切りと言っていいのだから。 目の前の、白いスーツに白髪を総髪の髪型にした男――神忌は監査局の実働部隊を束ねる職にある。そして、監査局長――功刀宗源の側近で人事権を有していた。 「・・・・まあ、いい。これからの働きに期待する」 「? 処罰はないのですか?」 スカーフェイスは上官を怪訝げに見遣る。 この男は一切の容赦なく、妥協なく、無慈悲にその身に宿る能力で任務に忠実であった点では尊敬さえしていたのだから。 「これより始まる乱世、貴様の知謀と戦力は入り用。・・・・そうだな、陳腐な物言いだが、言っておくのもいいだろう」 眼下の森中では時折、閃光が走っていた。 未だ坂上部隊の、鬼族亜種の残党が抵抗戦を繰り広げているのであろう。しかし、それは儚きものでしかない。 「―――二度目はないと思え」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 スカーフェイスが沈黙する中、緋色の閃光に紛れる形でとある一角に黄金の輝きが走った。 「・・・・なに?」 驚く神忌を尻目に今度は石塚研究所跡が轟音と爆炎に包まれる。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 最初に感じたのは驚きだった。しかし、彼らは次第に理解し、最後は皮肉げに表情を歪ませる。 「同胞の血を糧に生き、残した想いを受け継ぎ、孤島にて堪え忍んてきた叢(クサムラ)が遂に急流――瀬に姿を現したか・・・・」 神忌は愉快そうに笑った。 「坂上部隊は全滅ですね、フフ」 黄金色の光は逃走する坂上準を討ったクサリの異能。 跡地を焼き払ったのはトンボが繰るクラスター爆弾。 「さて・・・・」 神忌は踵を返す。 「さすがにこれを赦すわけにはいかんな。だが、あの女傑が自らの同胞にその指令を与えたのだ。燎原には相応の戦力を連れて行かないとな。とりあえず、お前も来い。就任の手続きをしなければならないからな」 スカーフェイスの産毛が逆立つような【力】が働き、神忌はスカーフェイスを連れてこの場から消失した。 ―――ゴーン・・・・ 荘厳な音が雨音だけ響く山系に響き渡る。 年をまたいで打ち鳴らされる最後の鐘の音。 しかし、それは最初の鐘の音でもあった。 |