第八章「冷戦の暁闇」/ 6



 除夜。
 一般には12月31日の夜を言い、年越しの夜のことである。
 そして、その夜から元旦に跨ぐ時間に寺で打ち鳴らされる鐘を除夜の鐘と言った。

―――ゴーン・・・・

 明かりの点いている家の多い住宅街を鐘の音が駆け抜ける。
 108回叩かれるそれは仏教で言う煩悩108個を表しているというのが通説だが、諸説がある。だが、意味はともかく108回叩かれることは事実で他に代え難い風物詩のひとつになっているのだ。

―――ゴーン・・・・

「―――はふぅ・・・・」

 鐘の音は静かな湖にも響き、夜の湖面に立っている瀞もその音を耳に目を閉じていた。
 暗い暗い湖の上、湖岸の明かりでも照らすことのできぬ湖の中央で瀞は立つ。
 すでに濃霧の聖域を超えているため、瀞は敷地の外にいた。
 船が来れば容易に見つかってしまうが、それを見越して小さな結界を張っている。
 降りしきる雨も水術師である瀞には大した問題ではなかった。

―――ゴーン・・・・

「ふわぅ・・・・」

 無意識に吐息が漏れる。
 瀞はこの鐘の後に響く残滓のような音が大好きだった。
 この鐘の音をよく聞くために寒い場所にいても苦にならないくらい。
 寒さに弱い彼女にとって寒さを押して外に出るなど、かなり希少なことである。

―――ゴーン・・・・

「一哉が意識してこれを聞くのは初めてなんだよねぇ」

 知識は先行していても実体験の少ない一哉だ。
 きっと鳴り出した瞬間、「これが除夜の鐘か」とか言ってコーヒーを口に含んでいることだろう。

―――ゴーン・・・・

 瀞は瑞樹と雪奈の結婚式から渡辺邸に帰省していた。
 本当は音川にいたかったのだが、4ヶ月前に突然飛び出したため、いろいろ面倒な雑務が残っているのだ。

「一哉・・・・元気かなぁ・・・・」

 何かとトラブルに巻き込まれる一哉である。
 きっと今頃、クラスメートと楽しく過ごしているかもしれない。

「・・・・案外、綾香に追っかけ回されてたりして、結城くんと」

―――誰と一緒で誰に、は違ったが、確かに一哉はその頃、追いかけ回されていた。






晦日の激戦 scene

「―――あかねちゃん、ロケットパーンチッ」
「当たるカッ!」

 除夜の鐘が響き渡る石塚山系の上空ではいくつもの閃光が瞬いていた。
 緋色の輝線が夜空を駆け抜け、それを躱した漆黒の影は隻腕に抱えていたショットガン――レミントン・モデル870Pポリス・ショットガン――を緋に向けて撃ち放つ。

―――ドォンッ!!!

 マズルフラッシュ(発射炎)が夜空に煌めき、轟音が大気を震わせた。
 ショットガンはとても少女が、しかも片手で撃ち放つ代物ではない。しかし、生まれてからずっと銃器に触れ続け、撃ち続けていたトンボは背中の翅を羽ばたかせて見事に反動を流し切った。

「それこそ当たらないよっ」

 途中で分離し、散弾と化した銃弾を緋は炎を放って融かし尽くす。そして、幾筋もの道を辿る火球を生み出した。

「はっ」

―――ドドンッ

 緋の炎術の才は直系レベルである。
 如何に神獣の類とはいえ、人の身に宿った状態で生まれた彼らは往来の【力】の大半を手放しているのだ。だが、その直系レベルと言っても直系平均レベルからは大きく離れ、歴代トップレベルに位置すると言うことだ。
 言い換えれば、人間でも余程の運があれば到達できる位置に、守護獣――緋はいる。

「ふん、地上じゃあ避けられないわネッ」

 360度から迫る火球の大軍を睥睨したトンボは真下向けて急進し、爆発の衝撃を利用して緋に躍りかかった。

「うわ!?」

 炎の閃光が目眩ましとなり、一瞬だけ央芒を見失っていた緋は突然、目の前にコンバットナイフを引き抜いた央芒を見つけて瞠目する。
 そんな隙を逃さず、央芒は突進の勢いを利用してナイフを投げた。
 闇を裂いて走る銀光は完全に緋の不意を衝く。

「―――っ!?」

 しかし、彼女の周囲を護る熱風によって弾かれた。

「・・・・ふぅ」

 緋は一息つき、己を追い詰めた少女を見遣る。
 正直信じられない。
 炎術師であり、守護獣である緋は絶大な攻撃力と飛行能力を存分に発揮してきた。しかし、今戦っている少女も条件は同じだ。
 次々と取り出す銃器、空を自在に飛び回る二対の翅。
 それでも彼女と緋の戦力差は絶対だ。
 それを埋めているのは他でもない。
 彼女自身の戦い方だ。

「馬鹿げてるね・・・・」

 少女の細腕一本で大の大人が両手を使って扱い銃器を多彩に使いこなしているのだ。
 それも恐ろしき演算能力の高さで状況把握して使い分けている。

「はっ、そっちこソッ」

 今度は対物理ライフルが出てきた。

「どこにしまってるのっ!?」

 当然出てきた疑問は砲音に掻き消され、同時に放たれた火球と接触。
 一時だけ、眼下の森を照らし出す。
 そこに投げ捨てられたかのように落下していく爆弾を発見した。

「あ!?」

 その爆弾は空中で分解し、数多の子弾となって眼下の森へと落下していく。

「ま、まさか・・・・」

 さっと音を立て、顔から血の気が引いた。

「忘れタ?」

 ニッとトンボは作戦成功とばかりに笑みを浮かべる。

「―――私たちの目的ヲッ」
「いちやあああぁぁぁぁっっっ!?!?!?!?」

 緋の絶叫を余所に眼下で幾つもの花が咲いた。


「―――はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 一哉は朝から降り出している雨でぬかるんだ山道を必死に走っていた。
 敵陣撃破の後、把握できていなかった残存戦力の急襲を受け、一哉と緋は撤退を決意。
 緋は空で対空戦力と戦っているが、一哉は正直戦っている状態ではない。
 10人ほどの坂上部隊――それも訓練度から精鋭だと思われる――も問題だが、それ以上に木々の枝や幹を足場に跳躍を繰り返す性別不明の子どもが厄介だった。

―――ジャラッ

「―――っ!?」

 目の前を黄金色の閃光が駆け抜け、進行上の障害物を貫通していく。

(ああ、くそっ。マジで厄介だな、コイツッ)

 一哉は殺気に敏感でスナイパーの殺気も自分に向けられれば気付くことができる。
 それは戦略上ではともかく、実戦で不意を衝かれることが少ないということだ。
 誰しも攻撃する時にはそちらに気が向く。
 スポーツではそれを覆い隠すことができるが、戦闘――中でも本当の殺し合い――となれば無理だ。
 相手を殺そうという強い念は殺気となり、経験者からすれば分かりやすい者となる。
 隠すことはできても完全に消し去ることができない感情のうねり。

「うお!?」

 背後から数条の光が飛来。
 一哉の太ももをかすって前方に消えた。
 光は射線上以外で余計な破壊をすることはない。
 つまりは周りに必要以上の打撃を与えぬ故、とても静かなのだ。

(くそ、『風林火山』を修得してるのか?)

 風林火山。
 孫子の一文で『疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山』というものだ。
 つまりは風のように早く、林のように静かで、侵掠――攻撃する時は火のように、動かない時は山のように動かない。
 ここから生み出される戦術はただひとつ。
 隙を見つけ、一気呵成に攻めるだけだ。

「―――っ!?」

 幾条もの光線が至るところから飛び出してきた。

「くぅっ」

 一哉は全身に炎を纏って迎撃する。だが、衝撃だけは如何ともし難く、打撲のような青痣が体に増えていくのが分かった。

(炎、じゃ駄目だな。・・・・<火>とは熱と光を司るもの・・・・)

「はあっ」

 <颯武>に炎を集め、それを集束させる。
 刀身は普通なら何らかのダメージを受けるはずだが、そのような気配はなく、逆に美しさが増していくような感覚を与えた。
 やがて、炎は不安定な揺らめきが無くなり、ただの赤い熱源までに集束される。
 その間、一気呵成に攻め立てる黄金色の閃光も【力】を増し、一哉を護っている炎を吹き散らし始めていた。

(対炎術師どころか、これは対精霊術師だな・・・・)

 黄金色の光はただただ力で炎を押しのけているのではない。
 精霊術の根幹――<精霊>たちを戦かせることで道を譲らせているのだ。

「何てカードを持ってるんだよ、SMOはっ」

 一哉は<颯武>を振りかぶる。
 敵は絶えず移動しているようだが、幾度も攻撃を受けたためにその動きの法則性を見出していた。

(・・・・分からないな)

 あの子どもには全く殺気というものがない。
 姿を捉えること自体は簡単である。
 光線を発する前に自分の輪郭が同色の色を放ち、動く度にジャラジャラ鳴る鎖が子どもの位置を教えてくれていた。
 言い換えればそれがなくなれば彼を知覚する術が完全に断たれると言うことだ。

「セッ」

 一哉は勢いよく刀を振り下ろす。
 その軌跡に沿った赤い閃光が弦月型で雨粒を蒸発させながら進んだ。
 さらに一哉は斬撃を続け、縦横斜めの計4つの紅線を子どもの予想地点に木々をも両断する【力】の塊を叩き込む。

―――ドゴンッ

 山中に轟音が響いた。
 焼き切られた部分を焼失させた木々がバランスを崩し、上部をぶつけ合いながら倒壊する。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ」

 動く気配はなかった。
 いや、元々気配はないのだが、あの不気味な黄金色や鎖の音は全く見えないし、聞こえない。

「殺った、の―――ッァ!?」

 とりあえず当面の危機は去ったとし、わずかに体から力を抜いた一哉の大腿部にじわりと赤い染みが広がった。
 攻撃の瞬間、一条の光が炎を貫通して一哉の太腿を射抜いたのだ。
 "気"を集中させ、止血に勤しむが、傷が傷なのでそう簡単には止まらないだろう。

(やれやれ、病院は無理だろうし。・・・・どうしたものかねえ)

 痛みに顔を歪めつつ、呑気なことを考えた。しかし、まだこれからやることがあるので治療はまだまだ先だ。

(さて、奴らは―――)

―――タタタタッ

「チッ」

 一哉の足下の土が跳ね上がった。

(追いついてきたかっ。・・・・できればこちらから攻撃したかったんだがな)

 一哉は意識を対銃器保持者戦闘モードに切り替える。
 性別不明の子ども――クサリを相手にしている内に速度が鈍り、追いつかれてしまったようだ。
 殺気が一〇。
 見事な陣形で崖を背にする一哉を半円で包囲している。

「死ね―――アア゛!?」

 タイミングを見計らって出てきたであろう敵に炎弾を叩きつけた。
 着弾と爆発の衝撃で後方に跳ね飛ばされた彼は木の幹に激突し、その木をへし折る。だが、それでも彼は数秒の後、立ち上がった。

「化け物どもが・・・・」

 無意識に呻きを漏らす。

―――タタタッ

「くっ」

 別の方向からサブマシンガンが火を噴き、その数発が一哉の脇腹をえぐるように通過した。

「ぐあ・・・・っ」

 燃えるような激痛が全身を駆け巡る。
 弾丸はアサルト弾だ。
 殺傷に秀でているため、さすがにかすっただけでもかなりの衝撃が伝わった。

「くそっ」

 <火>に意を通し、自分の周りに炎のカーテンを降ろす。
 間一髪で発砲音が重なり、数十の弾丸が炎に叩き込まれ、磨り潰されて消滅した。そして、そのカーテンからお返しとばかりに炎の触手が伸びる。
 辺りの枯れ木に燃え移りながら隠れているであろう場所に押し寄せた炎は凝縮、爆発してそのエネルギーを敵向けて解放した。

「どわっ!?」
「ぐぅっ」

 ゴロゴロと幾人かが山道の傾斜を転がっていく。
 もちろん、それを逃す一哉ではない。
 追撃の炎を手の中に生み出して射出した。
―――が、

「―――させんっ」

 間に飛び出した、ひとりだけ装甲を纏っていない人間がその人ならざる腕を炎に叩き込む。

―――ドパンッ

「ゲッ」

 素手で炎を蹴散らした。
 その所行で一哉は例の手紙を思い出す。

『―――貴殿を暗殺しようとする部隊がある。彼らは鬼族の亜種で"旧組織に相対する者に従って"いる』

 鬼族の亜種。
 つまり、純鬼族ではないが、それに準ずる【力】を有していると言うこと。

「はぁっ」

 彼がもう片方に持っていた拳銃――デザートイーグル――を水平にしてこちらに向けた。

「―――っ!?」

―――バンッ

 咄嗟にしゃがんだ一哉の頭上を弾丸が通過し、背後の木に穴を穿つ。そして、左右から殺気を感じた。

「うっとおしいっ」

 左右に掌を向け、炎弾を撃ち放つ。
 迸った業火は途中の草木を炎上させ、敵を吹き飛ばした。しかし、衝撃だけで自動車を潰してしまえる炎弾を受けても平然と立ち上がる。

(キリがない・・・・)

 殺気の見えないクサリと不死身級のタフさを持つ坂上部隊。
 この二者に一哉は徐々に追い詰められる感覚を味わっていた。

―――ゾワッ

「―――っ!?」

 突然、全身の産毛が逆立つ感覚に襲われる。
 一哉は本能に従い、窪地になっている場所へと飛び込むと同時にできるだけ表面積を小さくして濃密な炎を周囲に展開した。

「―――いちやあああぁぁぁぁっっっ!?!?!?!?」

 上空からの緋の絶叫。

「な!?」

 空を見上げた一哉が見たのは無数の子弾たちが目に入る。

(ク、クラスター爆弾!?)

 驚愕に目を見開いた一哉を轟音と閃光、さらに衝撃が包み込んだ。

 クラスター爆弾。
 それは対人・対戦車の空対地爆弾であり、非常に広範囲を攻撃できるという利点がある。だが、不発弾問題があり、地雷などと同じく論争激しい爆弾だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 クサリはそろっと爆心地に近付いた。
 トンボはできるだけ低空飛行して爆弾を散布したのでそう広範囲に散っておらず、着弾と共にリモコンで全弾に爆発命令を出したため、不発弾もないと思われる。

―――ジャラッ

 投下予告を受け、離れていたクサリは一哉を見失っていた。しかし、遠目で転がり込むのを見ているので、その窪地はだいたい測定できている。
 因みに坂上部隊は何の警告もなかったが、彼らがクラスター爆弾如きで死ぬとは思えないので放置しておいてもいいだろう。
 問題は暗殺対象である熾条一哉。
 "東洋の慧眼"と謳われるほどの戦略家で鬼族首領――隼人との一騎打ちで生き残った猛者。
 伝説であった守護獣を従え、熾条宗家を物ともしない言動と実力はたかが近代対人兵器で潰せるほど低くはないはず。

―――ジャリ

 体を取り巻く鎖は己の見に宿る制御しきれない莫大な【力】を封じるため。
 いや、自分自体は制御できるかどうか試したことはないが、クサリを管理する側が万が一に備えて封じているのだ。
 先程の一哉からの攻撃はクサリを吹き飛ばしはしたが、直撃を受けなかった。
 受けていればその部分は見事に斬り取られ、消滅していただろう。
 攻撃がもう少し早いと移動パターンを変える前で直撃を受けていたはず。

―――ジャラリ

 戦略面だけでなく、戦術面でも優秀なようだ。

『―――クサリ、こっちからは見つけられないワ』

 高速でお互いの立ち位置を入れ替える空中戦にクサリがしてやれることはないが、トンボは緋と戦いながら上空探索を行っているようだ。
 主人はともかく下僕の戦術は容姿通り拙いらしい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『そう、気を付けて』

 クサリは話せない代わりに上空向けて発光信号を送った。
 因みに【叢瀬】共通の暗号式に当てはめてあるので叢瀬以外にはただの点滅としか分からない。

―――ジャラッ

 クサリは木々を抜け、見事に薙ぎ倒されてひどい有様になった元・森の中を見渡した。
 クラスター爆弾の爆発でそこら中の木々が壊滅的な打撃を受け、向こう数ヶ月で全てが死に絶えるであろう爆心地の窪みに―――人影はない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 やはりというべきか、その窪地は高温に晒されて半ば溶解している部分もある。
 地面を溶解させるほどの炎が爆風を焼き尽くしたのだ。
 殺気さえ感じればこの通り、的確な防衛策を採ることができる。
 言い換えれば一哉を追い詰められるのは小細工など笑い飛ばすほどの戦力か、クサリのように殺気を発せぬものということだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 目を閉じて考える。
 自分が一哉なら敵から姿をくらまし、どういった反撃方法を採るかを―――

「―――っ!?」

―――ドドォォッ!!

 背後から光源と熱源が近付いてきたのを察知したクサリは金色の光で迎撃すると共に余波から逃れるためにできるだけ大きく横へと飛んだ。そして、考え得る限りの場所に数条の光を飛ばす。
 クサリは全身から溢れ出る黄金色の光を操ることができる。
 光粒子を飛ばすのではないため、あいにく光速ではないが、かなりの速度を以て射出することが可能だ。

「―――ッ」
「―――っ!?」

 さらに背後――先程までの前方――から殺気と共に斬撃が襲い来る。

―――ガギィッ

 一哉の刀と光の剣が一瞬だけ鬩ぎ合った。しかし、すぐに刀は退かれ、続いて掌が突き出される。そして、掌から放たれた炎は剣と激突し、互いの力を相殺し合いながら両者の間合いを離した。

「末恐ろしいな、お前ら」

 一哉が口を開く。

「緋を抑えながらこっちも攻撃した」

 言葉を聞きながらクサリは先程の奇襲を検証していた。

「お前はあの奇襲も完全に防いで、俺に手傷まで負わせたしな」

 一哉はポタポタと血が滴る腕を見せる。
 奇襲方法の答えはすぐに出た。
 思い返せば最初の背後での爆発はクサリに向かったものではなく、その場所で炎が爆発的に顕現しただけ。
 最初から一哉は前――崖にしがみつきながら隠れていたのだ。
 初撃に対し、クサリは全放射に攻撃を放った。
 それが偶然に一哉の腕をかすめたのだろう。

「だが、どうしてかな?」

 一哉はいっこうに反応を見せないクサリから何かを聞き出そうとしているようだ。
 それに付き合うほど馬鹿ではない。

「いや、訊くまでもない、なっ」

 精霊術師特有の身体能力を発揮して距離を詰める一哉。
 その手に握られし白刃をクサリも生み出した剣で受け止めた。

「―――俺を殺すつもり、ないだろ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おっと」

 クサリは刀を押し返し、再び森へと踵を返す。そして、その途中にトンボに向かって信号を送った。

『合格・・・・と、あいヨォッ』

 うまく緋を誘導し、一哉の頭上に陣取ったトンボは構えたロケットランチャーを一哉向けて撃ち放つ。
 言うまでもなくクサリが森に入るまでの時間稼ぎだ。
 すでにクラスター爆弾も投下している。
 子弾放出まで後3秒。
 ロケット弾着弾まで後4秒。

「二度も喰らうかっ」

 一哉が<颯武>を横薙ぎに払い、殿(シンガリ)のように放たれた光線を斬り裂いた。

「緋、できてるなっ」
「うんっ」

 それだけで緋も同じく片手間にトンボと戦っていたのだと知る。
 そう言えば先程言ったように小細工を打破するには圧倒的戦力が必要。
 守護獣である緋はそれを有して余りあった。

『チッ、クサリ。わたしは退却するワッ』

 身に迫る危険を感じたのだろう。
 トンボはもうひとつロケットランチャーを取り出して緋向けて発射。
 その反動を利用して最大速で戦線離脱を図った。

「「―――"燬熾灼凰(キシシャクオウ)"」」

<ケーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!>

 雨粒を即座に蒸発させる熱源が夜空の浮かび上がる。
 炎術最高術式のひとつ――"燬熾灼凰"。
 火の鳥が咆哮し、顕現時にその空間にあった拡散前のクラスター爆弾とロケット弾を焼き尽くした。そして、その燃え盛る翼で中空を一度羽ばたき、くちばしを森の中に入り込もうとするクサリに向けられる。

「喰らい尽くせ」

<ケーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!>

 火の鳥は創造主の言葉を快諾し、その身を特攻させた。

―――ドガアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!!

 一瞬だけ今夜を支配する雨と闇に反抗する熱と光が発せられる。

「へっ、どんなもんだいっ。あかねといちやが揃えば無敵だよっ」

 一瞬の支配の後、焼け爛れた大地とそれを成し遂げた主従が残った。






渡辺瀞 side

「―――雪奈さん、どうしたんですか、こんなところに?」

 目を閉じ、鐘の音に聞き入っていた瀞は近付いてくる者に背中越しで問い掛けた。

「・・・・すごいわよね、ホント」
「違いますよ。今回は気配に気付いたんじゃありません」
「じゃあ、"これ"」

 雪奈は自分の頭の上を指差す。

「そう、"それ"です」

 瀞も大真面目に頷いた。

「きゅ?」

 雪奈の頭に腹を乗せ、ダラーと引っ掛かっていた守護神がきょとんとする。

「それだけ大きな【力】が来たら気付きますよ」
「そうよね」

 雪奈はひょいっと頭の上から守護神を抱き上げ、それを胸に抱いた。

「きゅ〜♪」

 嬉しそうに目を細める姿はとても神には見えない。

「ふふふ」

 優しく微笑む雪奈の左薬指には銀色に輝くリングがあった。

「雪奈さん、学校にもそれして行くんですか?」
「ええ、うん。そうよ」

 ほわっと幸せそうに笑う雪奈も高校生だ。

「みょ、名字とかはどうするんですか?」

 今は水無月雪奈で在籍しているが、新学期になれば渡辺雪奈になるのだろうか。
 ちょっと結婚指輪に見とれながら訊く。

「えーっと、私、まだまだ瑞樹くんとは籍を入れないわよ?」
「え? えぇ!? ど、どうしてですか!?」

 籍を入れるから結婚式を挙げたのだと思っていた。

「確かに私は渡辺宗家次期宗主――渡辺瑞樹の妻だけど・・・・同時に水無月家当主でもあるの」
「あ・・・・」

 水無月家本家の血筋は雪奈だけ。
 姓を変えれば水無月家は断絶してしまう。

「私が瑞樹くんと籍を入れるのは・・・・2人目が生まれたらかしら。相続権がどうのとかあるけど・・・・宗家は分家が認められるほどの例外だしね」

 それはかなり先のことではなかろうか。

「じゃあ、どうしてこんなに早く?」
「ん〜、それはこの神様に訊いて」
「え?」
「きゅ?」

 守護神を持ち上げ、瀞と対面させる。
 両者はきょとんとして首を傾げた。

「私はこの神様の育ての親でもあるけど・・・・巫女でもあるの。だから、一応、従わないといけないからね」

 雪奈の話ではどうやら神託があったらしい。
 縁起担ぎのためや守護神の見せ場のためという理由もあり、結婚式が執り行われたという。

「ま、結婚式はいいじゃない。もう、一緒に住んでるし、何もこれまでと変わらないわよ」
「そうですね」

 瑞樹が心変わりするとは思えないし、雪奈も同じだ。
 2人なら籍がどうとかは関係のない話に違いない。

―――ゴーン・・・・

「わきゃっ!?」

 上を見上げた雪奈の目に雨粒が飛び込んだのか、彼女にしては変な声を上げた。

「うー・・・・。瀞ちゃんは、年越しはいつもここだって聞いたけど、理由とかあるの?」

 こしこしと目をこすりながら言う。

「そう、ですね」

 確かに水術師だからと言って雨の中、外に出てまで来る必要はないだろう。

「瑞樹くんに訊いても、分からないって」
「はは、ホント、大した意味はないんですけどねぇ」

 瀞はゆっくりと辺りを見回した。
 雨粒が湖面に無数の波紋を作り出し、それを掻き消すような闇が湖面を覆っている。
 いつ、何かが大口開けて下から跳ね上がってきてもおかしくはない世界だった。

「ただ、昔、お父様とお母様に訊いたんです」
「ご両親に?」
「うん。『2人はどうやって出会ったの?』って。考えてみれば親戚同士で初対面なんて記憶にないはずなんですけどね」

 当時の渡辺宗家の状態は母方の祖父――宗主・守静――が亡くなった直後だった。
 父の宗主継承は決まっており、その報告に父が母の病室を訪ねた時期だ。
 幼き娘の問いに2人は苦笑いをしながら教えてくれた。

「ふふ。・・・・『除夜の鐘が鳴る中、同年代の親戚と馬鹿騒ぎをしていた静昌が何となく外に出てみれば白を基調とした服を着た女の人が湖の中央に立っている』」

 瀞は目を閉じ、物語を思い出すように語り出す。

「『気になって近くまで行くと、それはまるで湖全てを従えているかのような莫大な<水>とともに鐘の音に聞き入っている従姉妹の真穂だった』」

 雪奈に背を向け、瀞は続けた。

「『気になって、「こんなところで何をしてるんだ?」と訊くと、真穂は「別に。・・・・ただちょっと」と意味深な言葉を返す。そして、「ねえ、静昌くん、暇だったらさ、一緒に―――」』」

 瀞は母譲りの黒髪を翻しながら振り返る。

『「除夜の鐘の音を聞きませんか?」』

―――ゴーン・・・・

 タイミングを見計らったかのような鐘の音。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぷっ」」

 しばらく、2人はお互いの顔を見ていたが、同時に耐えられないとばかりに噴き出した。

「あは、あははっ。こ、こういうのって・・・・」
「女の子同士で話すことじゃないですね」

 湖面に華やかな笑い声が響く。

「ははっ。じゃあ、瀞ちゃんは両親の馴れ初めの場を体験するために?」
「ふふ、そんなものかもしれないですね。―――2人を感じることのできる、唯一の瞬間ですから」

 記憶の中で両親が仲良くしている場面は少ない。しかし、この思い出の中では親子三人、母の病室ではあったけれど、普通の、裏世界の者ではなく、ただ親子としての時間だったと思う。

「じゃあ、瀞ちゃんは毎年ここで声をかけてもらうのを待ってるってわけね」
「え!?」
「ふむ。そう言えばあの少年も湖の上で戦ってたらしいわね。闇を照らす炎の中、除夜の鐘に聞き入るっていうのもなかなか乙ね」
「な、ななななな!?!?」
「プッ、瀞ちゃん真っ赤っか」

 くすくすと笑う声には闇の中で蠢く者たちとは違う温もりが満ちていた。










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