第八章「冷戦の暁闇」/ 5
12月、今年最後の日――大晦日。 石塚山系はひっそりと静まり返っていた。 ただ、シトシトと降り続く雨と遠くからフクロウの鳴き声が聞こえるのみである。 石塚山の奥地に建つ廃墟――石塚研究所跡に駐屯する坂上部隊。 彼らの厳重な警備は外だけでなく、内にも向けられていた。 「―――のぶ、起きてル・・・・?」 相変わらず、語尾が外れる幼馴染みの声にのぶはムクリと体を起こす。 視界に入った彼女は膝を抱えた状態で寒そうに座っていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 脇に置いていたスケッチブックを手に取り、懐からペンを取り出してスラスラと走らせる。そして、書き終わるとペンライトを灯してそれを彼女に見せた。 『どうしたの?』 「・・・・うン」 彼女の背中からは小さな窓から入る月光を受け、キラキラと輝く二対の翅がある。 その翅も不安そうにふるふると揺らめいていた。 普段はお姉さんぶる彼女だが、やはり自分だけでなく全ての仲間が関わる大事を任されているのだから緊張しているのだろう。 『大丈夫』 ぽんぽんと近くまで行き、その頭を撫でた。 「のぶは怖くないノ?」 子ども扱いされたのが気に入らないのか、やや拗ねた声音で彼女は言う。 この場所は装甲車の中。 周囲には自分たちを警戒して警備に就く坂上部隊の武装戦闘員がいるだろう。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 のぶは答えなかった。 その代わりわずかに体から金色の光を噴出させ、彼女の手を握る。 その際にガチャリと鎖の音が鳴った。 「・・・・そうネ」 温かく柔らかな手だったが、わずかに汗ばんだその手に安堵の表情を浮かべる。 彼らを中心にした作戦部隊は、しかし、彼らを監視しながら今年最後の夜を待機という安全な状態で――― ―――ドガアアアアアアアアアアンンンン!!!!!!!!! 過ごすことはできなかった。 熾条一哉 side 「―――うー、さみぃ〜」 一哉はコートの襟元を寄せ、寒そうに手を擦り合わせた。 普段は手袋をしているのだが、今日は事情があって素手である。しかし、冷たい北風は人間一個人の事情如き知ったことか、と言わんばかりに相変わらず強い勢力を惜しみなく発揮していた。 おまけに天候は雨。 「冬だしねっ。それにここ、山だしっ、雨だしっ、風強いしっ」 一哉の周囲を飛び回っている緋は全く寒くなさそうだ。 相も変わらず夏はいいが、冬になると見ているこっちが寒気に襲われるような膝丈の派手な着物を着ている。 「ああ、山だな」 周囲を見渡せば闇に沈んだ森が見え、木々が途切れたところからは雨粒に邪魔をされながらも山際が見えた。 文句なしに山奥である。 ―――だが、それに相応しくないほどの光と人の気配が眼下に充満していた。 「本当にいたとはな・・・・」 一哉はズボンのポケットからクシャクシャに丸められたメモ用紙を取り出す。 そこには新聞の切り抜きを貼り付けた脅迫文書のような文字が躍っていた。 ご丁寧にその切り抜きを貼り付けた紙自体をコピーしたものなのは切り抜きを剥がされないためだ。 貼り付ける時に指紋が付着し、意外な証拠となりかねない。 差出人はさぞかし後ろ暗いのだろう。 「まー、こういう手紙を送る時点でかなりのものだと分かるが・・・・」 『―――貴殿を暗殺しようとする部隊がある。彼らは鬼族の亜種で"旧組織に相対する者に従って"いる』 この手紙を受け取り、一哉がまず行動したのはマンションのロビーに設置されている監視カメラの画像を見ることだった。しかし、事前にカメラは壊されており、その破壊状態は物理攻撃でどうやら銃器によるものと判明している。 「こいつに聞き出すのが一番早いんだが・・・・俺を殺しに来る奴らを放置するのも危険だからなぁ。それに鬼族と聞いて動かないわけにはいかない」 現在、鬼族に対する情報はゼロに等しい。 少しでも現状打開の情報が欲しかったのだ。 よってカメラ確認後、すぐに一哉は緋を派遣。 石塚山系に展開する謎の武装集団を発見する。 上空からそれらを観察した緋は復命し、その情報を一哉に流した。 「さて、最初が与えられた情報だというのが気に入らないが。・・・・こいつはこの部隊が邪魔なのか、俺を試しているのか、はたまた両方か。・・・・分かりはしないが、部隊にもこいつにも舐められてることは確かだな」 一哉は腰に佩いた打刀――<颯武>の柄頭を撫でる。 この国でおける戦友に位置づけられている名刀は熾条宗家の宝刀だという。 ならば何か炎術の効果が付随されていると見て間違いないだろう。 ―――カチャリ 何かと謎の多い愛刀を引き抜いた。 銀色の鋼にわずかに混じる蒼。 それが幻想的な輝きを放ち、闇夜に映える。 まさに闇で活躍することがその存在意義というような輝きを放つ<颯武>は充分、使い手を魅了するという妖刀の類に属していた。 「緋」 「うぃっ」 ピースサインを返した緋は一哉の横に並び、掌を突き出した状態で合わす。そして、その先に<火>が渦巻くように集結した。 「始めるぞ」 紅蓮の煌めきは眼下の駐屯地からも見えるであろうが、敵に気付いた様子はない。 「いちや、後悔はしないよね?」 緋にしては落ち着いた静かな声。 「ああ、全く。っていうか、俺の半生はいつも"コレ"だ」 「そっか。そう言えばそうだねっ。今更だねっ。よっ、国際的犯罪者っ」 「褒めるなよ。・・・・それに俺は・・・・」 コートを脱ぎ捨てた一哉は刀身をだらりと下げたまま崖へと歩き出した。 その銀色に輝く刀身にも紅蓮の炎が灯る。 「―――組織ってヤツが、大嫌いなんだよっ!」 崖下へと身を投げながら横薙ぎに振るい、その強大な火力を眼下へと叩きつけた。 緋の物見によって敵の正体は簡単に判明した。 黒塗りのBMWを持ち、黒のスーツを着た人間が歩き回っている。そして、装甲車には知る人ぞ知る紋章が描かれていた。 表の護国――自衛隊は日の丸から光が放たれるという華々しいものだが、この装甲車に書かれる≪血輪に三剣≫は裏の護国――SMOの証拠。 つまり、一哉を殺そうとしているのは国家機関。 思い当たる節はいくらでもある。 中東諸国からの殺害要請。 8月の地下鉄事件の重要参考人としての削除。 はたまた、鬼族討伐隊襲撃の犯人にされ、報復攻撃か。 熾条一哉は熾条宗家の出身だが、今は出奔者扱い――フリーの退魔師である。 ならば、後ろ盾に気兼ねすることなく、国家機関――坂上準率いる坂上部隊は消しに来る。 どうせ、避けては通れぬ道ならば――― ―――ドガアアアアアアアアアアンンンン!!!!!!!!! 避ける努力などせず、敢えて自ら踏み込んで見せよう。 「―――緋は待機だっ」 一哉と緋の炎は装甲車数台を吹き飛ばした。 余波と鉄くずを受け、薙ぎ倒された敵――SMO所属坂上部隊員の数は十数人に及ぶ。 総数の約4割の人間が一時期でも無効化された。そして、奇襲――夜襲のために立っていた見張りの者以外、完全武装の者はいない。 奇襲とは敵の隙を衝き、その陣地へと侵攻して混乱に陥れる襲撃のことを言う。 小手調べや前哨戦として決戦の戦機が熟すまでの士気低下阻止などの戦略的目的がある。しかし、それが寡兵が大軍向けて行われた場合、それは乾坤一擲の大勝負となった。 戦国三大奇襲と呼ばれる戦いがある。 天文十四年(1545年)、反北条連合軍VS北条氏康軍による河越城の戦い。 弘治元年(1555年)、陶晴賢軍VS毛利元就軍による厳島の戦い。 永禄三年(1560年)、今川義元軍VS織田信長軍による桶狭間の戦い。 この全てが寡兵が奇襲を仕掛け、敵に反撃の余地も与えず打ち破っている。 不意を衝かれたという精神攻撃は多勢であればそれだけ威力も大きい。 最悪、同士討ちが起こることである。 そのためにはもっと恐怖心を煽り、理性という心の鎧を剥がさなければならなかった。 「はぁっ」 容易く陣地に侵入する。そして、着弾点から比較的遠くにいた見張り向け、炎弾を打ち込んだ。 対一哉用に相応の装備をしてきたらしく、直撃を受けたというのに死んではいないらしい。だが、それでも衝撃までは無効化できなかったようでピクリとも動かなくなった。 直撃を受けて昏倒レベルの耐火、そして、耐衝撃装備。 それは一哉が計算していたダメージを初撃で与えられていないという事実に行き当たる。 「―――っ!?」 殺気を感じ、横っ飛びにその場から遠離った。 ―――タタタッ 「チィッ」 思わず舌打ちしてしまう。 一瞬前までいた空間をフルオートで打ち出されたアサルト弾の団体が通過した。 ゴロゴロと着地の衝撃を逃しながらも弾を避ける一哉を包囲するように坂上部隊は訓練された動きで奇襲で乱れた態勢を整えていく。 (やけに回復が早いなっ) 一哉迎撃の第一陣は見張りについていた者が出た。 完全武装であるため迎撃の先鋒になっているのだろう。 続いて武装が整いし者から順次、包囲に加わっていた。 「落ち着け、敵はひとりだっ」 「しっかりと視界に入れて行動しろっ」 「逃がすなよぉっ」 声を掛け合うのは大切だ。 寡黙さは敵に不気味さを与えるが、それは自分たちに余裕がある時に限る。 思わぬ事態でも声を掛け合えば、「味方」という精神的支えが存在することで有効手段を選択できる。しかし、攻撃する時だけの利点を考え、掛け合う習慣がなければ、窮地に陥った時、そのピンチ以上の状態を自らで引き起こす可能性があるのだ。 (見事だ。・・・・だが―――) 「―――包囲は間違いだったなっ」 ズダン、と地面に靴跡が残りそうなほどの踏み込みを見せ、一哉はとあるひとりへと距離を詰めた。 「な―――ぐぅっ!?」 "気"を纏った<颯武>が夜闇を裂き、敵を装甲越しに打ち据える。 精霊術師随一の"気"が込められた一撃に装甲が軋みを上げて陥没した。 ―――タタタタタタッッ 十数の銃口が火を噴き、一哉を仕留めんとその威力を発揮する。しかし、"気"で強化された身体能力で戦場を駆け回り、炎で牽制してくる一哉を捉えることはできなかった。 「くそっ、速いっ」 せっかく落ち着いたのに、早くも焦りが部隊に伝播する。 鈍器として使用された<颯武>に刃こぼれはなく、たった一撃で機動隊を遙かに上回る装甲を纏った者が無効化された。 その事実は衝撃として部隊を駆け抜け、一哉の行動が困惑を広げる。 『『『うっ!?』』』 一哉を追い、銃口を素早く移動させた隊員たちが呻きながらその動きを止めた。 「だから、言ったろ?」 味方に照準を合わせてしまった敵を一哉は口を歪めるようにして嗤う。そして、銃口を彷徨わせ、必死に一哉を捕捉し続けようとすることで精神を保っていたひとりの目の前へと舞い降りた。 「ヒッ!?」 「はっ」 ―――ドゴンッ 「ガッ!?」 "気"が衝撃となって装甲ごと腹を突き破り、その背中へと消える。 その威力の前に装甲は刀を半ば飲み込むようにして破壊された。 「ゴブッ」 口元から朱い液体を吐き出す体を引き抜いた刀で払い除け、再び一哉は移動に移る。 「―――包囲は間違いだったな、と」 『『『―――っ!?』』』 坂上部隊が使っている銃。 それは元々、彼らが攻撃側になる予定だったので突撃銃――アサルトライフルという小銃の一種だった。 その中でも彼らが使うのはベルギーのFN社が製作したFN F2000。 ブルパップ――グリップとトリガーより後方弾倉や機関部を配置する機能形態――方式のライフルだ。 全長694mm。 口径5.56mm。 銃身長400mm。 装弾数30発。 重量3.6kg(グレネードランチャー未装備時) 発射速度毎分850発 下部にグレネードランチャーを装備することも可能な一品だ。 左右どちらでも構えることのできるという人間工学も使われ、その関係で生じる弾詰まり対処も簡単にできるようになっている。 使っている弾は5.56mm×45 NATO弾。 文句なしのライフル用弾薬で発射される銃弾だ。 テロ鎮圧などの制圧を目的として使われるピストル用弾薬とは違い、ライフル用弾薬で飛ばされた弾丸は殺傷力が高く、閉所での射撃で跳弾も起こりやすい。 ("東洋の慧眼"とか言って、戦略面だけ評価されてるが・・・・) 陣地に少数の侵入を許した場合、迎撃側が採るのは古今東西問わず包囲殲滅作戦だ。 包囲された、という精神的打撃と実際の武器を使っての一気呵成の攻勢。 それが包囲殲滅作戦の強みだが、侵入者――熾条一哉の動きと坂上部隊の装備が全て台無しにしていた。―――照準が合わせられないほどの俊敏さと敏捷性、耐火性に優れた対炎術師用装甲、そして、その装甲を"撃ち抜いて"しまえるアサルトライフルが。 「ふっ」 ピタッとお互いの銃口を向け合い、固まった部隊の中を駆け抜ける。 一哉が接近戦を選んだのは全てこのため。 訓練された兵士は自分の使っている銃弾の効果と発射すると起こりえることを明確に予測する。そして、同士討ちを避けるために咄嗟に射撃を中止することもできるだろう。 しかし、それは予期せぬ事態故、どんなに訓練しても行動の遅滞は避けえない。 (戦術も"戦場の灯"と謳われる、親父譲りなんだよ) 「緋ッ」 「はいッ」 一哉は転がるようにしてその場から離れた。 後には円上に包囲網を敷いたまま硬直している坂上部隊が残される。 一哉奇襲からわずか数分、再び石塚研究所跡に炎が落ちた。 ―――ドゴオオオオオオォォォォォ!!!!!!!!! 上空に待機していた緋は一哉によって誘い出され、規則正しく整列した者たちに力一杯炎弾を叩きつける。そして、それは着弾と共に爆発し、そのエネルギーをも制御して容赦なく彼らを蹂躙した。 坂上準 side 「―――くっそ、何て化けモンだ、あいつらっ」 坂上は少し離れた位置に止めてあった特殊装甲車の前で呻いた。 目の前で、わずか数分で手塩に掛けた部下の四班全てが全滅するという事実に坂上は歯噛みする。 坂上部隊の班構成は五人で一班。 実に二〇名がこの短時間で戦闘不能に陥ったのだ。 「・・・・隊長、どうします?」 この場にいるのは一〇名。 誰ひとりとして錯乱していない。 彼らは特殊装甲車に収容された者を監視していた部隊だ。 同時に坂上部隊の精鋭でもある。 「まだだ、まだ戦えるぞ、おい。―――作戦通りだ、【叢瀬】を出すぞぉっ」 「「「はいっ」」」 元々、坂上部隊は一哉と戦うために来たのではない。 彼らは戦場を整え、戦う者の戦闘データを収集する技術者だ。しかし、戦場なのでいつ流れ弾が来るか分からないので戦闘専門部隊がその位置にいるだけに過ぎない。 自然を司るとも伝えられる精霊術師の高位者であり、熾条宗家関係者を相手にするには坂上部隊如きの装備では心許ない。 熾条宗家は北九州に盤石を築いていた忍び集団の元締め。 日本古来の諏訪や大陸から伝わった伊賀とも違う系統の忍び集団はその両方の特性を持っていた。 幻術ではない、本物の炎を操る術――炎術。 "気"に裏打ちされた伊賀も真っ青の体術。 そして、それらを運営する戦略に戦術。 戦国大名に与力する一派ではなく、自力で下剋上の暴風が吹き荒れる乱世に存在した光。 (冗談じゃねえぞ、炎術師・・・・) 今、この世に君臨している熾条宗家直系の炎術師の多くが、優れた戦術家・戦略家である。 能力者最強と謳われる【力】を過信せず、ヒトという種がこの星に生まれてからずっと繰り返すことによって編み出し、学び取ってきた戦争学――軍事学を修得しているのだ。 生半可な戦力で潰せるとは思えない。 それ故に坂上部隊とは別にこの作戦の要ともなるべき戦力を用意していた。 それが【叢瀬】。 来たるべく旧組織――精霊術師との戦争のために用意された対精霊術師用戦力である。 その第一陣たる存在がこの場にいる。 未だ世間では冷戦中であるが、この戦いはいざ戦争が始まった時の緒戦と称されてもおかしくない。―――すでにSMO自体が戦争に向け、精力的に動いているのだから。 「―――ふうン。見事にやられてるみたいネ」 彼我の距離を正確に測るという狙撃には必須の機能を備えた片眼鏡を右目につけ、闇に溶け込むような漆黒の髪と衣装。そして、数多の重火器を従えた少女が最大の皮肉を坂上に放つ。 彼女の名は"迷彩の戦闘機(Fierce Dragonfly)"――通称、トンボ。 異能・"隠蔽色生成能力"を下に触れた物をその時に応じた色に変化させる能力を持つ【叢瀬】だ。 その能力だけでは戦闘に向かないが、後付けされた特殊部隊用の戦闘術とあらゆる銃器を操り、反動を抑えることのできる隻腕を持っているというならば坂上部隊ほどの戦力を有すだろう。 「よいっしョ」 ―――ブンッ 予め服の背中に空けてあった穴から二対の翅が飛び出した。そして、すす――トンボは状態を確かめるように数回それを羽ばたかす。 「うン。こっちはいいヨ、の・・・・クサリ」 『ん』 ガシャリと鎖の音を響かせ、スケッチブックを前に出しながらもうひとり、クサリが出てきた。 トンボよりも低い身長で可愛らしい顔たちをしている。だが、その貌に表情はなく、ただ冷たい光を灯す瞳はまっすぐと爆炎を発する戦場に向けられていた。 初陣だというのに、歴戦の兵を思わせる態度に坂上は感嘆の意を抱く。 "金色の隷獣(All-round Chain)"――通称、クサリ。 扱う異能には名前などないが、叢瀬随一の戦闘力を有しているらしい。 異能の名前がないのはただ、つけられなかっただけ。 どんな名前もその能力を表すことができなかったから。 「こっちはあの空を飛び回ってる奴を相手にするワ」 大の兵士が両腕で抱える対戦車砲を隻腕で持ち上げたトンボが言う。 「クサリは・・・・あいつヨ」 コクリと頷いたのぶ――クサリは炎上する陣地に傷ひとつなく佇む標的に視線を向けた。 そこに殺意はない。 自身に向けられる殺気にひどく敏感な一哉には相性の悪い、無感情だけがクサリを包み込んでいた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 スケッチブックを脇に退け、ゆっくりと掌を向ける。そして、全身に黄金色の光を纏ったクサリは殺気もなく、その光線を―――撃った。 熾条厳一 side 「―――もう、今年も終わりか・・・・」 熾条厳一は天守閣の回廊でポツリと呟いた。 すでに年末恒例の番組や行事が始まり、それも終盤になっているような頃合いだ。 「何を黄昏れているのですか?」 隣に老婆が立つ。 若作りをしているわけではないが、何故か年よりもかなり若く見える彼女に厳一は考え事をしていた内容を告げた。 「今年・・・・いろいろあったな、と」 「・・・・ほんに、そうですね」 昨年の鴫島事変より、何かの歯車が回り出した、と退魔界の重鎮と呼ばれる者たちは感じているだろう。 「一哉は、どうです?」 「鹿頭を吸収し、緋を手駒として置いている以上、退魔界でも異質だが、戦力を持っている認識になるな」 「あなたなら、どう"使い"ますか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 息子を道具扱いされ、わずかに眉をひそめる。しかし、嘲っているのではなくただ単に『熾条一哉の保有する戦力をどう運営するか』という問いなのだ。 「儂は戦略家ではなく、戦術家だ。戦場で奴をどう生かすかを訊かれれば答えられるが、情勢定かでない世界で奴をどう動かすか、などさっぱりだ」 お手上げとでも言うように両手を挙げる厳一。 「そうですか。・・・・では、好きにさせましょう。ですが、どうにか情報を流したり、支援する方法を考案しませんと」 「情報と言えば・・・・鰈(ガレイ)は?」 「あの者は今頃、SMO本部で行われた首脳会議の結果を知るために<識衆>を率いて東京にいます」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それって、情報戦真っ直中ってことか?」 「そうですね」 <識衆>とは彼らが保有する諜報集団だ。 『識る』ための部隊という率直な名前で呼ばれる戦闘集団でもある。 鰈とは彼らの長であり、直々に動いていると言うことは<識衆>本隊が動いていると言うことだ。 今頃、東京の裏では大規模な諜報戦争が行われていることだろう。 (鰈・・・・。相も変わらずお前は使われてばかりだな) 哀れむが、だからといって助けてやることはしない。 今の組織にある三衆の中で動けるのは<識衆>のみだ。 この組織が絶大な影響力を有するには彼らが多忙であるのは不可欠なことなのだ。 その証拠にすでに一哉がSMO監査局坂上部隊に奇襲を掛けたことは伝わっている。―――未だ彼らは戦闘中だというのに。 「―――何を呆けておるのです?」 ―――ポカッ 小さな拳骨が厳一の頭を叩いた。 「あなたも出陣準備をなさい」 「?」 意味が分からなくて首を傾げた。 「如何に<識衆>と言えど敵の膝元では苦しいでしょう。あなたはここにある戦力を率いて出陣。<識衆>を迎え入れなさい」 「いいのか?」 誰もが旧組織の者と認識している熾条厳一が指揮し、SMOと戦っている者の支援をすれば、それは旧組織と新組織の武力闘争――戦争に発展する。 一哉と坂上部隊の戦はいくらでももみ消せる小規模のものでしかないのだ。だが、熾条厳一が動き、東京を守護する部隊と激突すればもはや言い逃れはできない。 大義名分はSMOに奪われ、国家機関に反逆したという烙印を押されかねない。 「いいのです。すでにこの戦、回避できません。そして、きっかけを・・・・どちらが仕掛けたなど勝てばいくらでも操作できましょう」 彼女が口にしたのは言わば「勝てば官軍」である。 大義名分が成り立つのは彼らに支配される者、もしくは友軍になりそうな者に有効なのだ。 「我々は旧いか、新しいかのどちら。そして、表では我々が先に動いたことになっても裏でSMOが動いていたことも事実。ならば―――」 ニヤリと策を思いついた一哉と同じ笑みを浮かべる老婆。 「こそこそとちょっかいを出し、正々堂々と戦ってこない輩に我々が正面からぶつかった、というのは、どうです?」 詭弁だった。 だがしかし、誇り高い旧組織の重鎮たちを納得させ、参戦させるには充分な理由である。 「・・・・相変わらず人が悪い。我慢できなくなったのは、あなただろう?」 「ええ。もはや腹の探り合いは終わりです。―――全ての情報を各家に流し、私は戦いの準備を整えましょう。あなたは―――」 「誰ひとり、欠けることなく"凱旋"させよう」 厳一はそう宣言すると、天守閣回廊の階段を下り始めた。 「厳一」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 階段の途中で振り返ることなく彼は聞き耳を立てる。 「世間で、あなたは伝説となっていますね?」 「・・・・そうらしいな」 「伝説とは『語り継がれる過去の話』です。・・・・ですが、あなたは生きている」 「・・・・?」 言葉の意図が分からず、厳一は振り返った。 「―――証明なさい。崇められている戦歴があなたの全てではないことを」 鋭い眼光が彼を射抜く。 彼女はこう言っているのだ。 伝説を上塗りするほどの偉業を成し遂げろと。 「いいですね、"大将軍"」 「・・・・御意、"総主"」 慇懃に一礼し、今度こそ厳一は階段を下った。 こうして、両勢力の大御所的存在がひとつの箍を取り外した。 流れ出た物はゆっくりと、しかし、着実にそれは世界に浸透し、劇的な変化を起こして荒れ狂う。 それは留まることなく、堰き止める物があらば食い破り、流れを変えようとする物を呑み込み、抗うことすら許さず蹂躙するだろう。 彼らに干渉できる者はただひとつの能力を有する者たち。 戦を略ることのできる者。 それを―――戦略家という。 |