第八章「冷戦の暁闇」/ 4



 冷戦。
 実際に干戈を交えることはないが、互いに敵視して事ある毎に対立する勢力争いを言う。
 第二次世界大戦後のアメリカとソ連はその代表と言える。
 世界を裏返し、御伽噺や伝承が真実である世界に赴いた時、世界的で見る冷戦は聖教会と魔術協会であろう。
 聖教会とは教皇を首座と頂くキリスト系退魔組織である。そして、表の教会とは表裏一体の関係でキリスト教圏に強い支配力を持っている。
 聖教騎士団という執行部隊は魔術や霊装を駆使して魔を狩り、犯罪を起こす違法魔術師を討伐する任を負っている。
 名実共に欧米最大最強組織だ。
 それに対して魔術協会とは魔術師が所属する同盟のようなものだ。
 禁呪の管理や保存を任務とする真面目な者から魔術の探究や実践などに明け暮れる狂人まで多彩な人種で溢れている。
 これも欧米が中心だが、その他の地域にも参加する個人はいる。
 組織と言うほど確固とした支配体制はないが、横に広い組織なので誰が討たれようとも組織としての力は全く減じない。
 欧米を中心に、この二大組織は互いを牽制する冷戦状態にある。
 この教会と協会の対立以外の冷戦で有名なのは意外なことに極東の島国――日本国での新旧対立である。
 国営退魔機関――SMOという歴史の浅い退魔組織と古代より綿々と続いてきた教えや血筋に宿る【力】を持つ旧組織とひとまとめにされる綺羅星の如き勢力たち。
 彼の国が「倭」と呼ばれていた頃より、厳然とその【力】を示し、護国の役目を果たしてきた者たち。
 欧米の冷戦と違い、日本の冷戦はひとつしかない椅子の取り合い。
 ひとつにふたつはいらないのだ。
 よって必ず、どこかで境界を越えることとなる。






熾条一哉 side

 琵琶湖。
 断層盆地である近江盆地にある国内最大の陥没湖。
 竹生島、沖島などの小島が浮かび、北西岸は比良山地などの断層崖が迫って平地に乏しく、南東岸は流入する川によって湖東平野が形成されている。

「―――わー、海みたいに波があるっ」
「あんまはしゃいで着物濡らすなよ」
「だーいじょーぶーっ。乾かすから」
「そっか。・・・・って、色落ちとかするだろっ。それ俺の金で買わされたの忘れるなっ」

 水の中にダイブしようとした緋をすんでのところで捕まえ、一哉は引き摺るようにして水際から距離を取った。

「うう〜、つまんなーい」

 バタバタと手を振ると振り袖がはためき、一哉の目にはうっとうしく映る。

「ってか、動きにくいよこれ」
「お前、いつも着物だけど、膝丈だったからな」

 今の緋はしっかりと足首まである着物を着ている。因みに値段は全て合わせると4桁近くなる。
 もちろん単位は「万円」だ。
 一哉には着物の相場は分からないが、熾条一哉財政に痛烈な打撃を与えたことは確かだった。

(鈴音の奴、俺のをおごってくれたと思えば・・・・こんなところに伏兵が・・・・)

 一哉は自分の着ている物を嬉々とした感じで見繕い、決済もしてくれた妹に恨めしげな思いを抱く。

(どうせなら、こっちを払えよ。お前の趣味だろ、これっ)

 兄として、まことに甲斐性のないこと考えた。

「―――ぅわ、一哉。どうしてそんな格好なの!?」

 背後から瀞の驚く声がする。
 一哉は渡辺宗家の邸宅内では肩身が狭いので外に出ていたのだが、どうやら瀞が着替え終わって一哉の所在を誰かに訊いたようだ。

「鈴音の・・・・趣味だな」

 一哉の格好は≪炎輪に五ツ巴≫の紋付羽織袴。
 熾条宗家、それも直系の者が着る正装である。

「結婚式にはいいけどさ・・・・。なんていうか、空気読めてない格好だよ・・・・」
「・・・・俺もそう思・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は振り返り、瀞の姿を目に留めて固まった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぁ」
「え? な、なに? もしかして似合って、ない? ・・・・それどころか変!?」

 わたわたと慌て始める瀞。
 それを指摘する余裕は一哉にはない。

「―――そんなことないですよ、瀞。とっても似合ってます。あなたのその姿を見て『似合わない』とか口走る奴は僕がくびり殺しますから安心してください」
「・・・・み、瑞樹・・・・」

 瀞の背後から音もなくやってきたのは新郎の渡辺瑞樹。
 瀞が宗主継承権を放棄したので名実共に次期宗主の座にいる水術師だ。

「お久しぶりです、一哉殿」

 油断ない武人の眸で瑞樹は一哉を見遣った。

「ああ」
「此度はおめでとーございますっ」

 ビッと敬礼して短い祝辞を告げる緋。

「ええ、ありがとうございます」

 ふわりと笑った瑞樹は再び瀞に向き直る。

「瀞、母上が呼んでいらっしゃいましたよ」
「え?」
「着付けが終わるなり飛び出すので行き違いになったようですね」
「あ・・・・」

 かぁっと頬を紅潮させた。

「と、飛び出した、かな?」
「ええ、着付けをした美土里が驚いていましたよ、『消えた』、と」
「あぅ。・・・・うぅ〜、宗主は母屋にいるよね。行ってくる」

 恥ずかしそうに母屋へと走り出す。
 その背中を緋が音もなく追いかけた。

「ねーねー、しーちゃん。さっき、どうしていちやが固まってたか教えて上げるっ」
「え?」

 首を傾げながら瀞は振り返る。

「あのねあのね、いちやね、あまりにも着物が似合ってたから言葉が出なかったんだよっ」

 とんでもないことを満面の笑みで告げた。
 その言葉を瀞に伝えたこともとんでもないが、その言葉を"ここ"で、もっと端的に言えば"彼の前"で告げてしまったことは命に関わる。

「あーうー・・・・ああああああぁぁぁぁぁっっっっ」

 瀞は居たたまれない気分になり、走り去った。だがしかし、それは一哉がしたい行動である。

「ふふ、ふふふふふふふっ」

 普通なら気恥ずかしさがこみ上げてくるだろうが、一哉の心を支配したのは永久凍土もかくやという冷気だった。

(逃げたい。・・・・今は脱兎の如く逃げ出したいっ)

 だが、それは奴を動かす合図となる。

「フ、フフ。溺死と圧死と出血死とショック死。どれがいいですかねぇ、フフ、フフフフフフフフフフフフッッッッッッ」

 何やら呟きながら大都市を壊滅させる津波を起こすような<水>を集める瑞樹に対し、一哉はヘビに睨まれた蛙のように立ちすくむしかなかった。
 何はともかく本日は年の瀬も迫った12月28日。
 以前より宣告されていた水術最強渡辺宗家嫡男――渡辺瑞樹と"大祓"の一族・水無月家当主――水無月雪奈の祝言である。
 鴫島事変以来、守護神討伐戦などといいことのなかった渡辺宗家が久しぶりに行う大規模な慶事だった。


 結婚式は神前だった。
 再建された湖上庭園で薄靄が周囲を支配する中、儀式は粛々と行われる。しかし、守護神はこの8月に生まれたばかりの幼神。
 つまらなそうに後ろ足で耳の後ろをかく可愛らしいものだった。
 ふさふさ、ふわふわの白い毛皮は見ているものを癒す効果を持っているようで、厳粛だというのにどこかのほのんとした雰囲気が辺りを支配する。

(―――いいのかな、これで?)

 渡辺宗家の前守護神は8月に邪気に乗っ取られて暴走した。
 実際は瀞の生まれた16年前に取り憑かれたようだが、さすがは神と言うべきか、今年まで耐えていたのだ。
 その先代が亡くなり、その後には卵が残された。
 それを宗主から育てる任を負ったのは新婦である雪奈だ。

(水は流れ、変遷するもの、か・・・・)

 瀞は円らな眸で雪奈を甘えるように眺める守護神を見て思う。
 先代の形状は亀だったが、今代は差し詰め、ホワイトタイガーと言ったところだろうか。
 愛くるしさが先に立つため、神としての威厳はないが、神気の象徴であるこの靄が出ている辺り、それなりの【力】を持っているようだ。

(まだ、先代の霧までは言ってないけど)

 ふっと辺りを見回すと靄の向こうで一哉が緋と遊んでいるのが見えた。
 親族でない彼は結婚式に出席することはできない。
 彼が呼ばれたのは結婚披露宴なのだ。

「ちょっとかわいそうかな」

 ふふっと笑って瀞は美しく着飾った雪奈を見遣る。

(はぅ〜、ホントに大人っぽいよぉ)

 悲壮とも言える覚悟を決め、渡辺宗家の存亡を賭けた戦いで外様ながら最前線にいた雪奈。
 あの時の雪奈は凛とした、確かな決意が醸し出す雰囲気を纏っていたが、今は守護神を育てる母親のような包容力溢れる女性となっていた。

(瑞樹も・・・・なんか別人みたい・・・・)

 最愛の雪奈が最前線に出ることに納得できなくともそれ以外に方策がないことを悔やみ続けていた瑞樹。
 雪奈を退け、湖上に姿を現した守護神に単身で果敢に戦った彼は今、次期宗主という地位にある。そして、激動の時代で名門・渡辺宗家を率いるリーダーとして申し分ない器量を備えていた。

(・・・・当主、宗主。みんなすごい人だよね)

 家出して数ヶ月という短時間で幾多の勢力のトップと親交を深めている。
 "戦場の灯"という現代最強戦術家――熾条厳一。
 旧組織を代表する最強コンビ――"風神雷神"こと結城晴也・山神綾香。
 皇家御用達だった結城宗家の宰相――結城晴海。
 結界・封印の大部分統括する結界師集団――鎮守家次期当主・鎮守杪。
 "東の宗家"、炎術最大諸家にて復讐者である鹿頭家当主――鹿頭朝霞。
 西海の地に炎の帝国を築かんとする熾条宗家次期宗主――熾条鈴音。

(そして、何よりも・・・・)

 生まれ持った術を封印されしも、中東軍事機関を震撼させた戦略家――"東洋の慧眼"にて、精霊術師の世界に語り継がれる伝説――守護獣を従える熾条一哉。

「私も・・・・少し変われたかな」

 ポツリと呟き、祝い酒に口をつけた。


「―――雪奈ぁ、おめでとーっ」
「おめでとーっ」
「ありが―――ぅわ!? ちょっと2人とも!?」

 披露宴というか、ただの宴会になると渡辺宗家の大広間も人で埋まった。
 瑞樹や雪奈の友人や諸家などが大挙として訪れ、一族だけで行われた婚儀と打って変わって賑やかなものになっている。

「・・・・うむ、なかなかおいしいな」

 そんな中に埋没しながら、一哉は振る舞われる酒や料理に酔いしれていた。
 一哉も名門の出だが、物心つく前に出奔したためにこうした純日本高級料理を口にするのは初めてである。
 一応、鈴音からのプレゼントである紋付き袴を汚さないように注意しつつ料理を次々と平らげる一哉に、諸家と思わしき術者たちは戦々恐々とした視線を送っていた。
 彼らからすれば熾条宗家の家紋をつけた少年がいるのだから仕方がない。そして、一哉もそれを分かっているが、気にせず料理を口に運び続けていた。
 いつも側にいる緋は雪奈の友人に捕まり、大量に酒を摂取した瀞と楽しそうに笑っている。

「あっはっはっは、ほーら、ぐるぐる〜」
「あはははっ、ぐるぐるぐるぐる〜」

 2人は双方の腕を掴み、強固な結びつきを発揮しながら畳の上で回転を始めていた。
 その回転は瀞が緋を回しながら円を描いていくのでまるで瀞が地球で緋が月のようだった。
 当然、中心となる太陽があるのだが、それは酒が入って気持ちよさそうな表情を浮かべている雪奈以下御姉様たちである。

「あはははは〜」
「にゃははは〜」

 遠心力でか、身長差もあるので緋の足が畳から離れている。

「・・・・何やってるんだ、あいつら」

 独楽のようにぐるぐる回っている2人に呆れた息をつき、逃げるようにその場から遠離ろうとする。

「―――まあ、待ちなさい」

 ガシッと意外に力強い手によってそれは失敗した。

「祝いの席です。まずは飲みましょう」

 瑞樹だ。
 その手にはしっかりと一升瓶が握られている。

「未成年じゃないのか?」
「そういうあなたは僕より年下ではありませんか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「さあ、飲みましょう」

 一哉は仕方なく、お猪口ではなく升を受け取った。そして、2人で特に何を言うこともなく口に含む。

「ほぅ。・・・・よかった」

 吐息とともに蕩けそうなほど優しい視線を瀞に送る瑞樹。
 明らかに酒気以外に安堵が含まれていた。

「あの娘が笑っていて・・・・本当に良かったぁ」

 その言葉だけで瑞樹が瀞をどれだけ大切にしているかが分かる。だから、一哉は瀞のことを話す気になった。

「学園でも楽しそうにしてる。山神・・・・"雷神"や鎮守家の令嬢とも仲良くしてるしな」

 先日行われたクリスマスパーティーのことを思い出す。
 一哉が結城たちとの会談を終え、会場に戻った時、さっと綾香を鎮守杪と共に攫っていったのだ。そして、ニコニコと笑っていたのを覚えている。

「そうですか。・・・・友だちも、ちゃんといるのですね」

 何度も頷き、自分の祝い事だというのに瀞の近況に喜んでいた。

「何か、人を安心させるんだろうな、あいつは。俺の妹や、最近抱え込んだ娘も懐いてるし」
「あなたの妹・・・・というと、あの"火焔車"ですか」
「知っているのか?」

 "火焔車"は鈴音の異名だ。

「ええ、彼女は有名ですよ。確か、同年代の諸家の術者を統率し、いくつかの事件を解決しているはずです」
「諸家を使ってか?」
「ええ。真相の調査などではなく、退魔などにも関わらせています。そのようにして場数を踏んだ術者は血筋にかかわらず、手強い存在になりますね」

 鈴音自身、個人戦闘力は目を見張るものがある。そして、今の話からすると戦術や戦略も一定水準に達しているようだ。

(偉大な妹だねぇ)

 経験で負けるつもりはないが、この国が抱える暗部の深いところまで彼女が理解していることは確か。
 そういう方面から鬼族を調査してくれている彼女は実に頼もしき友軍と言えた。

「あはははー」
「にゅふふふー」

 近くを瀞たちが回っていく。

「ふふ、本当に良かった」

 溢れるような笑みを漏らし、瑞樹が一哉に顔を向けた。

「もし、瀞が笑っていなければ、どんな犠牲を払ってもあなたを討つつもりでした。こちらから伺う手間を省くために本日、呼んだのですよ」
「な・・・・っ!?」

 さらりと漏らされた招待の理由に一哉は絶句する。
 確かにここは暗殺するのに最適な場所と言えた。

「ですが、瀞は笑っていた」

 暗殺を考え、その旨を告げたとは思えない表情で瑞樹は続ける。

「あの娘に笑顔を戻して頂き、ありがとうございました」

 礼と共に頭を深く下げた。

「え、と・・・・うーむ?」

 困惑するしかない。
 瀞の笑顔が戻った原因が自分だとは思えないからだ。

「間違いなく、あなたの功績ですよ。直接ではなくとも、あなたに出会い、動き出した事態は確実に瀞の心を癒してくれた。ならば、その起点となったあなたに礼を言うのは当たり前です」
「そ、そういうものか・・・・?」

 一哉の困惑を余所に瑞樹は杯を傾ける。いや、余所にというか、それを肴にしているかもしれない。

「「―――ふわぁっ!?」」

 ぐるぐるくるくると勢いをつけながら回っていた2人の結束が遂に遠心力に敗北する。
 弾けるように離れた2人の内、瀞は踏み止まった。そして、それがいけなかったのが、逆の方向にバランスを崩す。
 対して、緋はというと―――

「やほーっ」
「ぅお!?」

 スーパーマンのような格好で、しかし、足を先頭にすっ飛び、その強力な遠心力によって弾丸と化していた。
 すんでのところで顔を傾け、その弾を避ける。
 緋はそのまま障子を突き破って宙に浮いたまま縁に出た。そして、勢いを減じることなく屋外へ飛び出し、湖面をまるで石切をしているかのようにして飛んでいく。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 思わず、2人は闇の湖面をじっと眺めた。
 遠くの方でぼんやりと紅い光が迸る。
 どうやら、あの辺りで止まったようだ。

「はれれ〜? 世界が回っているよぉ〜」

 瀞は見事な千鳥足で踏ん張り、体勢を崩しと忙しい。しかし、揺れる視界で一哉を見つけたのか、何やら呟きながら寄ってきた。

「しょ〜じぃ、弁償だぞぉ」
「って俺なのか!? そして、しなだれかかるな、酔っぱらい」

 もたれかかってきた柔らかな体を押し返そうとする。

「えー、い〜じゃなぁい」

 瀞の目は完全に据わっていた。
 一哉は瀞の向こうでニヤニヤとした笑みを浮かべる雪奈以下女子高生を見遣る。

「「おめでとー」」
「ありがとー」

 視線に気付いた彼女たちは白々しく乾杯に移った。

―――ゾクッ

 背後から受けた冷気に背中が粟立つ。

「勘違いしないでくださいよ」

 ダン、と音を立て、机に酒瓶を置いた瑞樹は凄まじい眼力で一哉を睨みつけた。

(・・・・さすが、一家を背負う武人だ)

 眼力だけで気圧されるなど、そう経験したことのない。

「まだ、僕は認めたわけではありませんから」
「・・・・?」

 言っていることが分からず、一哉は首を傾げたが、瑞樹はその反応に殺気を募らせるだけだった。

「わ・か・り・ま・し・た・ね・?」

 一音一音に殺気を込め、はっきりと告げられる。

「・・・・あ、ああ」

 将来、間違いなく大物になるであろう勇士の気迫に一哉は訳も分からず戦慄した。






首脳会議 side

 東京都新宿区に建つ防衛庁管轄のビル。
 公表されている設計図では地上部21階、地下3階という高さと約20万平方メートルの敷地を持つ同庁有力施設のひとつである。

「―――揃っているようだな」

 扉が開き、部屋に白い蛍光灯の光が差した。

「うむ、うむ」

 初老の男が上座につきながら何度も満足そうに頷く。そして、小太りの体躯から虚しい威厳を振り撒き、ぎょろりと達磨のように大きな目で居並ぶ幹部たちを見回した。

「始めよ」

 SMO長官――磯野啓介。
 防衛大学出身で防衛省に就職。
 いろいろな部署を回り、昨年の鴫島事変後に長官に就任する。
 戦後処理や部隊の再編などを命じ、その予算を防衛省長官に掛け合うといった功績を残していた。
 その辺りでは決して無能ではないのだが、どこか品に欠けるというか普段の態度に問題があり、隊員からはあまり好かれていない。

「では、私が司会を務めましょう」

 立ち上がり、手元のキーボードを操作し始めたのは裏の情報を集め、もしくは表に流れないように操作するSMO情報統合局の局長――横沼健人。
 流れるようなキータッチによって青白い光で部屋の光源となっていたテーブルに内包された液晶に立体画像が立ち上がった。
 これだけでどれだけの光学技術が用いられているかが分かる。
 この機能は隊員の特殊武装や兵器、その他の装備品などを創作するSMO開発局の局長――山辺美嘉のチームが創り上げた自慢の一品だった。

「今日、皆様方に集まっていただいたのは、他でもありません。最近、再び跳梁し始めた旧組織の行動に対する我々の方針を決するためです」

 横沼は集まったSMOの重鎮たちを見回す。
 太平洋艦隊司令――山名昌豊。
 監査局長――功刀宗源。
 整備局長――松葉尚毅。
 孤児局長――大谷梨里子。
 衛生管理局長――糸井友則。
 鴫島事変後のSMOを支え、立て直してきた傑物たちだ。

「まず、近況報告をしましょうか。山名殿は鴫島におられ、未だ把握できていないこともあるでしょうから」

 太平洋艦隊とは広い日本の太平洋領海に出没する海洋妖魔の討伐に当たる軍艦を保有している部隊である。
 海中を自在に泳ぐ海洋妖魔を退治するその能力は表の軍事力を遙かに凌駕する時もある。だから、その本部――鴫島は常に他国の諜報員を寄せ付けぬため、厳戒態勢が敷かれていた。

「8月に国有地の研究所が破壊されました。ここは功刀殿が管理されている監査局の建物です」

 監査局とはSMO内部に目を配り、情報漏洩や組織犯罪を取り仕切る治安部隊だ。
 独自の部隊も有しており、局員が身に纏うスミレの紋章が入ったガウンは畏怖の対象である。

「【結城】は最近になって我々の情報操作を突破。あそこがSMO関連施設だと言うことに気付いた模様です」

 整備局とは各地方に点在するSMO施設を管理し、その能力を最大限に引き出すための兵器や武装を考案し続けている。
 SMOが抱える莫大な装備品をさばいているため、各隊員からは畏敬の念を抱かれる。

「次に10月の東名高速。本部が抱える第三特務隊全滅の件です」

 孤児局とは異能を有した子どもを抱える養護施設を運営する機関である。
 現在は戦力として活躍している学生エージェント――SAもこの機関出身者や未だ所属している者たちである。

「情報局や監査局の調査では、旧勢力の強大な攻撃力を持つ能力による一撃と判明しました」
『『『―――っ!?』』』

 衛生管理局とは異能による体調不良や怪我など、裏の事情を知る医師団の集まりだ。
 全国に病院を完備し、少しでも軽い怪我に、そして、人死を減らすために日夜努力する衛生兵である。

「その他にも旧組織からの敵対行動と思われる事例が最近多発しています。小さいものまで数えれば切りがありません」

 横沼の発言にその重鎮たちが眉間に皺を寄せて唸りを上げる。
 訪れる沈黙。
 誰もが次に発言することが、これまでの施策を変更させることになると分かっているからだ。
 軽々しく発言はできない。しかし、ここに集まったメンバーの心境を表に出せば、自ずとひとつの結論に辿り着く。
 歴代の幹部たちが常にそれを頭に置き、数十年という長い年月をかけて熟成させてきた気運。
 その間に日清・日露戦争があった。
 彼らが主と仰ぐ明治天皇・大正天皇の崩御。
 満州事変・日中戦争から始まる長く、辛い大東亜戦争。
 この歴史の裏にははるか昔から続いていた鬼族との闘争。
 入ってきた国外の異能者たちとの諜報戦。
 戦争で乱れる体制の必死な維持。
 巨大故に揺さ振られる外交問題。

「―――長官、私はもはや我慢の限界であります」

 山名は顔を赤くし、挑むような視線を磯野に向けた。

「う、うむ・・・・」

 殺気さえ孕んだその視線に脂汗を滲ませる磯野は曖昧な相づちを打つ。

「旧組織討伐・・・・御決断を」

 その一言を功刀は無表情で、しかし、内心ニヤリとしながら聞いていた。










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