第八章「冷戦の暁闇」/ 3



 京都市。
 京都府南部の京都盆地北半と丹波高地東部を占める政令指定都市。
 古くは秦氏、鴨氏などの渡来人が居住する地だったが、延暦十三年――794年、時の帝・桓武天皇が平安京造営を開始する。
 それから慶応四年――1868年、東京遷都までの1000年を越える長い間、この国の政治はともかく祭事の中心だった。
 現在、この都市は表の世界では豊富な文化財を誇る観光都市になっている。
 だが、裏の世界では違った。
 長い歴史の中で帝を護るためや文化の中心だったために集った退魔勢力が旧家などで残っている。
 そのため、未だ陰陽師各氏、仏教各派、神道各社などが拠っている大退魔都市として名を馳せていた。
 中でも彼らの筆頭的存在が能力者最強と名高き精霊術師の一派――風術を修めし名家。
 奈良後期からこの地を護る血族にて風術師最強一族の名を恣にする、学問・宗教集団ではない戦闘集団。
 日々の過ごし方ではなく、人の導く道でもない。
 彼らはただひたすら、妖(アヤカシ)を狩るためのみに存在していた。

「―――皆、忙しい中、よく集まってくれたな。俺も久しぶりに日の光を浴びれて嬉しいぞ」

 ひとりの青年が頭を下げる者たちの真ん中を歩き、部屋の上座へと向かう。
 堂々とした仕草には上に立つ者としての存在感が溢れていた。

「宗主、久方ぶりです」
「よく、戻られました」
「先日のアレを見た時は眩暈をしたものです」

 結城宗家。
 鴫島事変で宗主を失うも、その戦いで"鬼神"の異名を受けた一族最強術者――結城晴輝が宗主を継ぎ、長女――結城晴海が政務を取り仕切る。
 次男――結城晴也は同盟家――山神宗家の令嬢・山神綾香と組み、"風神雷神"の異名を持つ退魔界最凶ペアとなっていた。

「確かにあの時はこれまでで一番の埋もれっぷりだったからな、兄貴」
「ええ、ですが、これから・・・・しばらくは・・・・その心配はないわね」

 その結城宗家本邸は幾度も戦乱に包まれた京の都において絶対的不可侵を保ち、今でも名家としての威圧感と歴史の深さを抱かせる外観をしている。
 今日、その屋敷は厳戒態勢で各風術師一族の長たちが総じて集まっていた。

「では、これより結果報告を始めます」

 この1年。
 上座に座り続けていた晴海が脇に退け、ほとんど公に姿を現すことのなかった晴輝がそこにいる。
 晴輝はこの一年間、屋敷の地下にある聖域に籠もっていた。
 何をしていたかは彼以外は知らない。だが、書類を漁っていたのだから、結城宗家が誇る一〇〇〇年以上にも及ぶ退魔歴を洗っていたことは確か。
 聖域は書庫とも言える造りなのだ。

「まず、この大規模調査の発端となった戦いを説明しましょう」

 8月下旬。
 音川町石塚山系に足を踏み入れた統世学園の生徒が膨大な数のヘビに襲われるという怪現象が起きた。
 それ自体は居合わせた"風神雷神"が対応し、一般人の被害は皆無であったが、石塚山に築かれていた封印の破壊。及び、ヘビを操っていたであろう術者の後ろにあった研究施設。
 研究員自体はすでに大半を討ち取っていたが、その背後関係は全くと言っていいほど闇に包まれていたのだ。
 事態を重く見た晴海は諸家を動員した大捜査を展開。
 今日はその集大成の日だった。

「まず、芳野家から御願いします」

 結城宗家の情報網は全国区と言われている。
 それは風術の特性だけでなく、全国に諸家が散らばっているからだ。
 その場にいずとも会話を盗み聞き、足取りを追う。そして、それが全国から結城宗家に届けられることにより、彼らの情報収集力は群を抜いているのだ。
 だが、それでも情報の真偽や深いところまでは伝わらない。
 結城宗家の日々の職務は寄せられた情報の中で要捜査と思われるものを見つけ出し、それを自ら動くか、諸家に処理させるかを判断する雑務の方が退魔よりもウエイトを占めていた。

「まず、研究所があった土地を保有している村上家の当主に話を聴いたところ、興味深い話が出てきました」

 宗家は戦闘能力を始め、様々な分野にその偉才を発揮するが、諸家はとある固有術式や特性を受け継いでいることが多い。
 この芳野家は空気の流れを操り、一種の酩酊状態にし、意識の深層に語りかけることを得意とする。
 それ以外はからっきしと言っていいほど弱いのだが、その能力を使って普通では調べられない秘密を調べることが可能という機密情報網構築の要とも言える一族だ。

「確かに公式でもあの場所は村上家が保有していますが、戦中に極秘で仮借されています」
「極秘? 国を誤魔化すほどの?」

 晴輝が首を傾げる。
 戦中と言えば軍国主義真っ最中。
 下手をすれば処刑されかねない。

「いえ、"国が誤魔化し"たんです」
『『『『『・・・・ッ』』』』』

 耳が痛くなるような沈黙が場を支配した。
 そうなると外界の音がよく聞こえるようになってくる。
 さらには風の流れが生むわずかな音まで耳に入ってきた。

『『『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』』』

 誰の手も汗ばみ、顔は強ばっている。

「・・・・それは、今も借りられていると言うことですね?」

 沈黙を破ったのは眩暈を起こして手を突いていた晴海。

「ええ、仮借用途は旧陸軍の生物実験でした」

 今も都市伝説として各地に残る生物兵器実験。
 それのオリジナルとも言えるべく研究所が彼の地にあった。
 もし、それを連合国軍総司令部――GHQが知っていれば、いったいどんな歴史が生まれていただろうか。

「戦後、公式では村上領だったのでGHQも調査をしていません。旧軍部も最後の抵抗のつもりが沈黙を守り続け、いつしか裏の軍区へとなっていました」
「・・・・となると、今そこを管理しているのは―――」
「新生退魔組織――SMOだろうな、間違いなく」

 脇の強弓――<翠靄>を握り締めながら晴也が結論を下した。

―――この事件、退魔界に激震を伴う、と。






クリスマスパーティー scene

 12月24日。
 この日、統世学園高等部は第二学期終業式を迎えていた。
 これから2週間ほどの年末年始休みに入る。
 段上では文化祭以後、新生生徒会の長――生徒会長が熱弁を振るっていた。

「―――今日はー、終業式である前にー、クリスマスイブです。ですから、とっととこんな式終わらせてー、生徒会企画であるクリスマスパーティーを開催しましょう」

 無駄に人差し指を突き上げて天を指す元・生徒会書記にて現・生徒会長。

「―――って、いきなり何を!? まだ式自体始まったばかりではないかっ」

 校長、教頭、生活指導といった教師連を代表する教員たちが立ち上がる。

「ふふん」

 マイクスタンドからマイクを引き抜き、コードを払うようにして後ろに流した。
 その表情には不敵な笑みが浮かんでいる。

「始まってれば終わることもできるんですぅ。私はこのパーティーで生徒の皆さんにいい方が見つかることを願ってるんですぅ。邪魔するんじゃねえっ」

 効果音が付きそうなほど鋭く彼らを指差した。

「なっ・・・・!?」

 生活指導の若い教師の顔色が変わる。

「お前、そんな不純な動機で―――」
「不純で何が悪いっ。学生生活の筆頭に来るヤツですっ。『勉学が本分』とかいう根性無しは出てこいっ。ひとり残らず断頭台に送ってやるっ」

 恐怖政治だ。

「な、なんてことを・・・・」

 きっぱりと宣告されては口をパクパクと開閉させ、絶句するしかなかった。

「っていうか、佐藤センセーは奥さんと高校時代から付き合ってたんでしょう?」
「いぃっ!?」

 追撃の言葉に悲鳴を上げ、彼は後退る。

「そんな人が私を阻むな、ですぅ。―――それではぁ、終業式は終了、ということでっ、OK!?」

『『『『『ウッス!』』』』』

 バッと大部分の生徒が親指を突き上げ、気持ちの良い笑みを浮かべた。



「―――てわけでパーティーかよ」

 一哉は別棟を占拠して進められたいたとしか思えない立派な会場を見て呟いた。
 異様な雰囲気で盛況だ。
 料理は料理関係の部活、同好会が鎬を削っている。
 オブジェは工作関係が、照明や音楽、その他諸々もその筋の部活動が担当しているようだった。
 その様はまるで統世学園部活総合発表会。
 非のつけようがない出来前である。

「うーん、私としてはさすがこの学園、って感じかな」

 瀞はふらふらと料理の置かれている場所に向かい、その料理を小皿に乗せていた。

(最初は驚きまくってたのになぁ・・・・。今はしっかりと順応しちゃって)

 パーティーは生徒会長の言葉通り、出会いをテーマにしているようで学年の垣根は取り払われている。
 その証拠に中等部の生徒もチラホラと見えた。
 一哉は何となくその流れに視線を投じ、自分に近寄ってくるポニーテール少女に気付く。

「なんだ、お前もいるのか」
「そりゃあね」

 中等部に編入していた朝霞はいつも通りややむくれたような表情で一哉を見上げた。

「今後の動きとか、全然聞いてないんだけど?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瞳は真剣である。
 2人を取り巻く空気が一変した。
 触れれば斬れると言うほど鋭いものではないが、不用意に近付こうという者が絶えるほど殺伐とした空気を放っている。

「まだ、拠点はできてないし。しっかり守りを固めるのも重要だとは分かってるわ。・・・・でも、じっとしてるのは性に合わないのよ」

 今、彼女の家は敷地前面に不可視の結界が張られ、工事の真っ最中。
 建設過程を見られることはその物件の弱点や特性を瞬時に見抜かれるので鎮守建設は常にこうして結界を張って作業する。
 だからか、彼らの手掛けた物件は一般人からすれば「いつの間に建っていた家」と認識されることが多いらしい。

「しばらくは待ちだ。ここで下手に動くと何を掘り当てるか分からないからな」
「・・・・どういうこと?」

 朝霞は自家に関わることなので執拗に問い詰めてきた。

「・・・・鬼族を匿った、鬼族をあそこまでの勢力に仕立て上げた奴が・・・・厄介すぎる」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 朝霞は不満げに黙り込む。
 危険は分かるのだろうが、気持ちが治まらないのだ。

「で? 待ってる間に何をする気? あなたのことだから、黙っているつもりはないのでしょう?」

 一哉の眸を見つめ、真意を探ろうとする朝霞。

「一応、鈴音も同じ視点で敵を追ってる。だが、奴は九州で【熾条】の実権を完全に握ってはいない。いざ、こちらから仕掛ける時の友軍くらいしか役に立たん」

 一哉はとある一点に視点を固定し、朝霞の顔を見ずに言った。

「なら、ここらの大勢力にも、こちらの話を通しておくべきだろ」
「・・・・なるほど」

 朝霞が視線の先を追うと、そこには結城姉弟と山神綾香の姿がある。
 彼らも一哉と朝霞の姿を認め、移動していた。

「よ、一哉」

 晴也が軽く手を上げる。

「なんか面白いネタねえか?」
「アンタはそればっかかッ」

 次の瞬間、綾香に頭を殴られた。

「熾条くん、ちょっといいかしら? そこの女の子も」

 そんないつもの調子のふたりを無視し、晴海が微笑みながら声をかける。しかし、その瞳はちっとも笑っていなかった。



「―――あれ? 一哉どこ行ったんだろ・・・・」

 瀞は何やら話しかけてくる男子たちをかいくぐり、料理が乗った小皿を持って戻ってきたが、そこに一哉の姿はなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・綾香たちもいない」

 キョロキョロと辺りを見回した瀞は目立つあのふたりもいないことに不安に駆られた。

「・・・・また、何か・・・・?」

 鬼族との戦いで瀞が生き残れたのは偶然とも言える。
 あの時の強い感情は一哉に認められたいから生まれたものと言えよう。そして今、一哉と共に歩いていける地位を手に入れた。だが、今度もあのような気持ちでいられるか分からない。

(前に一哉が言ってたなぁ)

 戦闘力の高低と戦上手は別物。
 戦場という魔地は容易に人の精神を食い破り、その者が持つ力量を発揮することを阻む。
 その魔力を精神で振り払った者のみが本来の力を発揮し、できぬ者は持てる力を出す暇もなく散っていく。
 それが戦場なのだ。

「はふぅ」

 トン、と壁際に並べてある椅子に腰掛けた。

(私、やっぱり戦いには向いてないのかな・・・・)

 従姉妹の渡辺瑞樹曰く、瀞の精霊術師としての技量はかなりのものらしい。しかし、いざ戦場に出てみれば分家の世話になることが多かった。

(やっぱり、頼りなく思ってるのかなぁ)

 「頑張ってるんだけどな・・・・」と呟き、会場の天井を仰ぐ。
 周囲はざわめきに満たされており、誰もが楽しそうにしていた。
 そんな様をぼーっと眺める。

(・・・・・・・・つまんない)

「・・・・はぁ」
「―――どうかしたのかい?」
「え? ・・・・あ」

 声をした方に向いた瀞は小さくを声を漏らした。

「ヤッホー、久しぶりだね」

 爽やかに笑っていたのは2年生の神坂栄理菜だ。
 演劇部のエースとして文化祭でも主役を務めていた。

「・・・・先輩」
「ふふ、相変わらずかわいいね」

 すっと細い指先が顎のラインを撫でる。

「ぅきゃ!?」

 ビクッと体を震わす瀞。

「ははっ、驚きすぎだよ」
「・・・・もう、先輩は相変わらずですね。・・・・格好も」
「ん? 何か変?」

 神坂は腕を上げたりして自分の格好を見下ろした。
 演劇部の衣装なのだろう。
 どこからどう見ても王子様の姿だった。

「どこもおかかしくはないと思うけど」

(うわぁ・・・・)

 内心で少々引きつつ、瀞は引き攣った笑みで「そうですね」と返す。
 正直、突っ込むのに疲れた。

「それで、先輩はどうしたんですか?」
「ん? 顔見せにね。時々認識させないと演劇部勧誘の件を忘れられそうだから」
「ぅ・・・・」

 にこっと笑顔を向けられ、思わず呻く。

「だいじょうぶ、無理にとは言わないから。心の片隅でも良いから覚えておいて」

 ファンが見たら卒倒しそうな笑みを浮かべる神坂。

「それはそうと・・・・文化祭の劇、見たよ」
「え? そ、そうなんですか」

 恥ずかしそうに頬を染め、身をすくめた。

「うん。すっごく上手だったよ。うん、まさに惚れたね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと」

 どう返答していいか分からない、というように沈黙する瀞を級友が見つけたようだ。

「―――おーい、瀞ぁ」

 名前を呼ぶ後輩を見遣った神坂は「よっ」と掛け声と共に立ち上がる。

「じゃあね。友だちと仲良く過ごしなよ」
「あ・・・・」

 言葉を遺し、未練ない仕草で立ち去った神坂はすぐに人混みに消えていった。

「瀞ってば。―――あ、もしかして誰かと話してた? 悪いことしちゃった?」

 気まずそうに視線を逸らすクラスメートに瀞は微笑みを向ける。

「ううん、大丈夫。その人も用事があったんだって」

 自然と浮かんだ微笑みにはもはや哀しみや寂しさはなく、純粋に楽しみを含んだものだった。

(一哉がまた何か隠してたら聞き出せばいいや。ふふふ、一哉クン、キミは私の手からは逃れられないのだよ)

 何だかんだで自分に甘くなってきている一哉を自覚している瀞はニマリと悪女――というか、統世学園の女子特有――の笑みを浮かべる。

「ほらほら、ずっと休学してた望月くんのライブをやるって」

 有名人らしき人のライブに心奪われている女子生徒は瀞の邪悪な笑みに気が付かなかった。



「―――フフフ、皆さんお久しぶりです。お待たせいたしました」

 段上ではマイクとギターを持った軽音部の1年生――望月要が話していた。
 そんな会場をわずかに笑みを浮かべた神坂が通り抜けていく。

(いやぁ、やっぱり悩める乙女は可愛いね)

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 うんうん、と頷いて進む神坂の足が止まった。

「―――よお」
「・・・・アイスマン」

 キザに片手を上げて挨拶する少年に神坂は憎々しげに呟く。

「おいおい、仲良くしようぜ、"学園では"な」
「ふん」

 神坂は鼻を鳴らし、周囲を探った。
 やはりというか、不思議な力場を感じる。

(結界・・・・? 恐ろしく緻密だね。・・・・結界師、風術師でも気付くかどうか・・・・)

 声を能力の媒介にする彼女にはライブの音が薄い膜を通し、若干ぼやけて聞こえた。

「くく、相変わらず惚れ惚れするほどの戦闘スキルだな」

 一目で術の有無を見破った同僚に楽しそうな笑い声を上げ、アイスマンは金髪の髪を掻き上げる。

「初音」
「―――はい、ご主人様」

 神坂の背後の空気が一瞬蠢き、それが晴れた時にはメイド服を着込んだ少女が前で手を組んだ状態で立っていた。

「・・・・ボクをどうするつもりかな?」

 アイスマンと初音。
 どちらも強大な戦闘力を有している者に挟まれた神坂はそれでも気丈に訊く。

「別に。ただ、過度の接触は身を滅ぼすぜ。・・・・裏切り者の誹りを受けてな」
「へえ、心配してくれるんだ」

 嫌味を含んだ口調に初音が不安そうな表情を見せるが、主――アイスマンは涼しい顔だった。

「悪いけど、無用だよ。ボクはボクのやりたいようにやる」
「そーかい。まあ、わかっちゃいたけどよ。まあ、一応組織の人間としての忠告だ。聞き流してくれ」

 じゃあな、と手を振りながら彼は背を向ける。
 その背を初音がペコペコと頭を下げながら追いかけた。

「・・・・何がしたいのかな、あいつは」

 神坂栄理菜ことローレライは首を傾げる。
 結界が消えた時、パンケーキを顔面に受けて吹っ飛ぶ彼の背を追う初音の姿はなかった。






坂上部隊 side

「―――ここが主要施設の・・・・成れの果て、か」

 結城の術者が捜査し、そして、放置された石塚山の研究所に数十人の人間が訪れていた。
 SMO監査局第一実働部隊三〇人は廃墟と化した施設に野営地を作っている。
 そんな中、隊長――坂上準は"風神雷神"の一撃を受け、半壊した主要設備の前に立っていた。
 坂上はSMO統一の黒いスーツに黒いガウンを羽織っている。
 その袖には白線で縁取られたニオイスミレ――バイオレットとも――がスミレ色で描かれていた。
 スミレの花言葉は『誠実』。
 これは組織内の不忠者を探す、または裏切り行為への抑止力となる監査局員の紋章だ。

「ここが松木奈津子、最期の地・・・・」

 ポンと壁に手をつき、知り合いの最期の地を訪れた感傷に浸る。

―――ガラガラガラッ

「うお!?」

 堆く積もった瓦礫が崩れ、危うく生き埋めになるところだった。

「とんでもねえな・・・・」

 この施設はSMOの開発部門が裏で研究し、一定の成果を収めていた『対精霊術』の技術がふんだんに使われている。
 それが遠距離から、しかも、一撃で貫通された。
 鎧袖一触。
 多少の対精霊術如き、直系の前では紙くず同然なのだろうか。

(俺たちは・・・・"ソレ"を相手にすんのか・・・・)

 その絶望感に天上が崩れ落ち、ぽっかりと開いた穴から覗く空を思わず仰ぐ。

「―――隊長」
「あ?」

 声の主に視線を向けると開発部門が製作したプロテクターを着込んだ副長が危惧の表情を浮かべていた。

「この任務は監査局とは関係のないもの。そのガウンは脱いでくれませんか?」
「・・・・そうだったな」

 今回、実働部隊が戦うのは裏切り行為、情報漏洩をしているSMO隊員ではない。

「あいつらの様子はどうだ?」

 ガウンを脱ぎながら、トラックの方を見遣った。
 そこにはとある島の研究施設から連れてきた、今作戦の要である2人が乗っている。

「協力的ですね。データとしての戦闘力は凄まじいですから。手綱となるあの装置がなければ我々は壊滅しているかもしれません」
「抵抗はしねえだろ。俺たちに何かあればあの島の奴らは神忌殿たちによって皆殺しとなるんだからな」

 坂上はネクタイを整えながら寒そうに身を縮めた。

「さすがに山の中は寒ぃな」
「ですが、結城の探査からの逃れるのはここしかありません。・・・・それでも、しばらくは、でしょうが」
「ああ」

 全国に情報網を持つSMOは結城がこの地の調査をしていたことを知っている。
 だから、様々な妨害を仕掛けてきたが、ここを引き払ったということはこの地を所有していたのがSMOだと知ったのだろう。

「忙しくなるぞ、これから」
「ええ」
「だが、その前に・・・・」

 近い将来、いずれ訪れるであろう新旧の対立。

「危険な芽を摘んでおかないと、な」

 優れたる戦略家に必要なこと。
 それは己の手足となる兵力と行動指針となる敵の情報。

「奇襲を掛ける。未だ誰が敵か分かっていない若造にな」

 ガウンを翻して袖を通さずに肩に掛け、本隊向けて歩き出した。
 その背には鮮紅色で描かれた糸輪と三本の剣が踊っている。
 陽光に晒してはいけないモノを常闇から常闇へと血祭りに上げる剣――国営退魔機関・SMOの紋章である≪血輪に三剣≫。
 闇の、さらに闇を司る彼らはゆっくりと、しかし、確実にその剣を研いでいた。










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