第八章「冷戦の暁闇」/ 2
太平洋に浮かぶ地図にない火山島の集まり――鴫島諸島。 SMO太平洋艦隊の本拠であることから膨大な電力を必要とするこの島々は小型反応炉を利用した原子力発電を始め、火山島ならではの地熱発電。島である特性を生かした潮力発電。その他、風力発電や太陽光発電などクリーンエネルギーを用いた発電設備を実用化している。 そんな莫大な予算の下に築かれた施設の中に功刀が統括する私設研究所があった。 その名は加賀智研究所。 鴫島事変以前からこの地にあり、諸島の小島を丸々抱え込んだ大規模なものだ。 元々、この鴫島諸島には本島となる大きい島――鴫島以外名前が付けられていないが、この島は鴫島に勤務する太平洋艦隊員からこう呼ばれていた。 加賀智島。 研究所の名前から取った安易なものだが、その名を呼ぶ時、隊員の顔にはわずかな恐怖が見える時がある。 入り口は海水が入り込み、空洞になっている洞窟のみ。 その他は断崖絶壁で囲まれ、まるで難攻不落の巨城のようになっている。おまけに唯一の入り口が満潮時には完全に水没し、姿を消してしまうことから牢獄のようにも思えるのだ。 近くにいるのに全く情報が伝わってこない。 その事実に暇な大洋勤務の隊員たちは噂話に花を咲かせ、それが加賀智島の不気味さを彩っていた。 「―――入るワヨ?」 隻腕の少女が扉に手を掛けながら、その中に鎮座している少女に声をかける。 『―――すす、か。ああ、入ってくれ』 軽い電子音を鳴らし、開いた扉の奥は銀髪とコードがのたくう以外は無機質な部屋だった。 「のぶも一緒ヨ」 小柄なのぶは無言で中に入り、自分たちをまとめる1歳年上の少女を見遣る。 目の前の少女は数十を数える叢瀬のまとめ役であり、大人たちと唯一対等に話せる人物だ。 その容姿は生まれてから一度も切ったことのない銀髪に左右で色の違う瞳。 全身に付着した電気コードのため、外出はおろかその場から動くことすらままならない。だが、コードを流れて送られる膨大な情報を捌き、理解していく人智の域をはるかに超越した頭脳が彼女の異能であり、その脳は運動不足すら解消してしまう。 島の最深部の部屋に住み、そのずば抜けた才能と異能、そしてその奇抜な容姿から彼女はひとつの異名――"銀嶺の女王(Bright Empress)"を持ち、『エンペレス』というコードネームを持っている。 「よく来たな、お前たち」 相変わらず、大仰な椅子に座っているエンペレスはすすとのぶを一瞥し、動かすことのできる銀髪を脇に押しやり、2人のためのスペースを空けた。 「そりゃあ、女王様からの呼び出しだモノ」 すすはそのスペースに進み、笑みを含んだ物言いで久しぶりに会う友人に話しかける。 「ふっ、久しいな、すす。―――のぶも何ヶ月ぶりかの」 その言葉にのぶも「まさにそうだ」という感じで頷いた。 普段、エンペレスは他人と会うことはない。 会わずとも彼女に回線を繋いで会話をすることができるし、この最深部はいろいろ制限され、立ち入り禁止の場所も多い。 彼らの中では上位者の2人でも、大人たちが定めたルールに逆らえるほどの権限を持ってはいなかった。 「それで? わたしたちと会うからには、何か重要な話があるンデショ?」 すすが急かすように身を乗り出す。 「ああ、相変わらず待てない奴だな、すすは」 苦笑を含んだ返答に眉を顰めたすすだが、好奇心を抑えることはできないらしく、もう一度、「で?」と言った。 「のぶも、気になるか?」 エンペレスは黙っている――黙っていることしかできない――のぶに話を振る。 それにのぶは頷いた。 「そうか、ならば話そう」 話の内容はおそらく本州から来ていた者とのことだろう。 2人は妨げることなく、彼らの女王の言葉を待った。 「出陣だ。島の外に出ろ」 「「―――っ!?」」 エンペレスは満面の笑みで告げる。 それは叢瀬を名乗る全ての者にとって待ち焦がれた言葉だった。 渡辺瀞 side 「―――何が入ってるかなぁ?」 一哉と瀞が住むマンションの郵便受けは共通して1階ロビーにある。 そこで瀞が郵便受けの鍵を開け、中の郵便物を取り出した。 「・・・・え?」 取り出した二つの封筒。 その双方に≪雫に蓮の花≫が描かれている。 「【渡辺】から・・・・?」 蓮紋を雨粒のような下方が膨らんでいる円で覆った独特の紋章は渡辺宗家が使用している家紋だ。 「な、何だろ・・・・?」 宛先は渡辺瀞様、熾条一哉様両名と2人宛なのでここで開けることはできない。 もうひとつに至っては完全に一哉宛なので、瀞は気になりつつも部屋に帰って一哉と共に開けるしか選択肢はなかった。 「―――ただいまー」 瀞は部屋の鍵を開け、その中に体を滑り込ませる。そして、暖房器具で暖められた室温に安堵するようなため息を漏らした。 瀞はゆっくりと口元を隠すように巻き付けたマフラーを外しながらリビングへ通じる廊下を歩く。 じわじわと暖まる感触が心地よかった。 「―――どうしてあなたはまだいるのかしら? もう、用は済んだでしょう?」 「そういう貴女は自分の家でもないくせに何故お兄様の家にいるのですの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 リビングの光景を目にし、瀞は思わず立ち止まる。 「ど、どうして・・・・?」 その声が聞こえたのか、言い争っていた2人の少女は揃って頭を下げた。 「「お邪魔してます(の)」」 「・・・・いや、うん。いらっしゃい・・・・」 とりあえず、瀞は再起動して持っていたスーパーの袋をキッチンに持って行く。 「で? どういう状況?」 冷蔵庫に野菜を入れながら、避難してきた一哉に振り返らないまま訊いた。 「分からん。ただ、突然鈴音が訪ねてきたところに朝霞が来た。それからだな」 「ふっふ〜ん♪ あの2人、仲良いねっ」 一哉の腰に齧り付くようにしているのは守護獣――緋だ。 ご主人様大好きオーラを発散している彼女は実に幸せそうである。 「へえ。―――あ、そうそう。一哉、これなんだけど・・・・」 瀞は封筒を見せた。 「・・・・? 何だ、この紋章?」 「渡辺宗家の家紋。だから、この封筒は【渡辺】からなの」 「・・・・・・・・今更、何の用だ?」 瀞が本格的に音川に移住してから4ヶ月。 渡辺宗家は何の行動も起こしていないはずだ。 「両方とも一哉の名前が入ってるから一緒に開けようとしたんだけど・・・・?」 「・・・・ああ、分かった」 一哉は封筒――双方の名が書かれた方――を手に取り、その端に指を滑らせた。 「・・・・あ」 吐息のような声が瀞の唇から溢れる。 指がその端を撫で終えた時、封筒はその口を開けていた。 それは一哉の指先に灯った炎が封筒の細部だけ焼いたということ。 (また、炎術の使い方がうまくなってる・・・・) 一哉は個人戦闘力の向上のため、緋に炎術を習い出した。 おそらく、自身の弱さでいらぬ犠牲を出さぬためだろう。 師匠――時任蔡の死が、彼女と別れてから止めていた修練を再開させていた。 元々、勘だけで大技を使える一哉だ。 ちゃんとした師につけば飛躍的に炎術は向上するだろう。だが、緋は炎術の体系を理解しているのではなく、感覚で教えるので一哉の学習能力が問われる形となっている。 (一哉が・・・・熾条宗家に帰ったら、どうなるのかな・・・・) ふっとそんな考えが頭を過ぎった。 熾条宗家が史上最強になった理由は諸家の吸収である。 この表が発達しすぎた現代。 諸家は退魔だけでは生活できないほど退魔の仕事が減っていた。 そんな時代の流れから表に埋もれ、血筋だけ伝える一族が多くなっている。 それに着目した熾条は資金援助や仕事の斡旋。 術者の教育などを担い、諸家の生き残りを助けてきた。 こうして諸家は【熾条】という大木に縋るようになる。 そうして【熾条】は爆発的にその動員数を増やし、戦力を充実させたのだ。 今や熾条宗家は一〇〇人以上の動員数と高い訓練度を誇る旧組織随一と言ってもいい戦力を有している。 「えーっと、なになに・・・・」 ガサリと音を立て、一哉は封筒から一枚の紙を取り出した。 「あ、わ、私も見るっ」 慌てて一哉の隣によって手紙を覗き込む。 緋も器用に一哉の体をよじ登り、その顔を手紙に向けていた。 『拝啓、渡辺瀞様、熾条一哉様。 年の瀬も迫ってきた今日この頃、御両名は如何お過ごしでしょうか。 瀞様に至っては苦手な寒空の中、白い息を吐きながらも一生懸命に物事に取り組んでおられることでしょう。 さて、来る12月28日、渡辺家と水無月家との祝儀が執り行われます。 御二方にも御臨席いただきたく、この手紙をお送りした次第であります。 別紙が招待状となっております故、それをお持ちになり、渡辺家の門を叩かれれば、迎えの者が顔を現すでしょう。 是非、お越し下さい。 敬具』 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 瀞は凍り付いたように絶句する。 「・・・・祝儀? これって結婚式だよねっ?」 リビングで言い争う鈴音と朝霞、不思議そうに問うてくる緋の言葉も驚きという感情に支配された瀞には届かなかった。 「ああ、そうだな。結婚式だな」 ポンポンと投げやりに緋の頭を撫でる一哉。 「どうした、瀞?」 固まっている瀞に気付いたのか、一哉が覗き込むようにして瀞の顔を見遣る。 「あ、いや・・・・その・・・・結婚・・・・。瑞樹と、雪奈さんが・・・・」 渡辺瑞樹と水無月雪奈は婚約していた。 それは1年前の鴫島事変後に決定した水無月家を分家にするということからだ。 水無月家は特殊な水術を使う一族で有名だった。 それを取り込むことが決まった時、彼らは婚約したのだ。 政略結婚と言われるものだが、彼らはそれを受け入れ、あまつさえその言葉を弾き返すほどお互いの距離を詰めていた。 「そっかぁ。ふふ、そうなんだぁ」 ふわっと優しい笑みを浮かべ、自分のことのように嬉しそうに呟く瀞。 その表情に一哉は驚いたように顔を背ける。 「あ・・・・」 そんな一哉の挙動に気付く様子もなく、瀞は一大事というように表情をまた変えた。 「・・・・どうした?」 「ど、どど、どうしよ!? 着ていく服がないよ!?」 「お、俺だってないぞっ」 慌てた瀞は手頃な位置にあった一哉の襟首を締め上げて言う。 「うわわっ、どうしよ―――」 「―――貴女様のは御実家、渡辺邸にあるはずですの」 突然、横合いから声が来た。 締め上げた状態の瀞と締め上げられた状態の一哉は揃ってその方向に視線を動かし、声の主――鈴音を見た。 「お兄様は―――」 「―――別に制服で良いでしょう? あれは、はぁ・・・・冠婚葬祭全てをカバーできる一品じゃない、かしら」 その後ろからやや息切れした朝霞が姿を見せる。 「駄目です。制服なんて駄目ですのっ。お兄様の礼服は私が責任持って選んで差し上げますのよっ」 得意そうに踏ん反り返る鈴音は、どこか嬉しそうだった。 着せ替え人形 scene 「―――勘弁してくれ・・・・」 時衡の車で京都市内――鈴音曰く、いい店は京都にある、ということらしい――まで移動し、それから数時間。 一哉は着せ替え人形と化していた。 「駄目です。こういうものは長く使うのですから、しっかりと選ばないとですの」 鈴音は楽しそうにその手に持っていた服を一哉に押し付ける。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 渋々と受け取り、それを一度置いてから着替えを――― 「オブッ!? な、なにを・・・・?」 信じられない面持ちで妹を見た。 「私が出ていくまで着替えるな、ですのっ」 顔を真っ赤にし、燃える拳――比喩ではない――を一哉の鳩尾にめり込ませた鈴音は怒ったまま部屋を出て行く。 ―――後には耐え切れず、膝から崩れ落ちた一哉だけが残っていた。 「―――ふん」 朝霞はどこか嬉しそうに一哉の礼服を選ぶ鈴音に鼻を鳴らした。 「どうしたの?」 別の場所で小物を選んでいた瀞が寄ってくる。 「どうして私がここにいなければならないのかしら?」 鈴音は一哉の礼服選び、瀞は自分の小物探し。 立派な目的があるが、自分には何もないのだ。 「あー、流れ的についてくるしかなかったしねぇ。・・・・暇なら、自分の着物でも選んでみれば? ここ、ホントにすごいよ」 「・・・・そんなお金はないのよ」 鹿頭家は土地買収に、本拠建設、菩提寺移築などで金を使い込んでいる。 戦死した者の保険金や紀伊山地の土地売却で幾分かの余裕が生まれたと思ったが、防御力を重視した結果に選んだ鎮守建設がその全てを奪い去っていった。 そこに後悔はないが、無駄金を叩ける状態ではないことは確かなのだ。 「そっか。じゃあ、お話でもしようか」 「・・・・自分のを選ばなくて良いのかしら? 私に構うことはないですよ」 流れで時衡の運転する車に押し込まれたことから今の状況が生まれている。さすがにここから音川に帰るのは無理だ。 「ああ、あの時は焦ちゃったけど・・・・実家にいっぱいあるの。・・・・無駄なくらい」 「・・・・ああ」 忘れていた。 タイムサービスを気にする主婦然とした少女だが、彼女は歴とした渡辺宗家当代直系次子。 立派な御嬢様である。 「それに、結婚式の主役は新郎新婦でしょ? 脇役が着飾ろうと関係ないよ」 心底嬉しそうに笑った。 それだけで瀞が結婚する2人をどれだけ大切にしているかが分かる。 「そう言えば、瀞さんって宗主候補だったのよね?」 「え? ・・・・うん、そうだよ」 小柄で華奢な少女だが、彼女は鬼族を相手にしても申し分ない戦闘力を持っていた。 彼女は時任蔡亡き今、鹿頭家の戦闘指南役――というか共に訓練している人――として、組み手やその他諸々で手合わせすることが多い。だから、高い技術を持っていることは分かっていた。―――それが殺し合いに発揮されるかは別として。 「もう、辞退したけどね」 「結婚する男の人が次期宗主なのかしら?」 「うん。現宗主の嫡男で渡辺瑞樹って言うの。今の【渡辺】が必要とする人材だよ」 「・・・・今の?」 瀞の言い回しに引っ掛かり、その部分の説明を求める。 「う〜ん、一哉が言ってたけどね。こういう生業をしている一族の家長にはふたつのタイプがあるんだって」 ひとつは実力がある者。 一族の中で最強を誇り、その組織運営に至っても確かな才を発揮する者。 もうひとつは一族の象徴的存在となり、言わば祭司として君臨する者。 「瑞樹は前者で私は後者。衰退してる渡辺宗家には瑞樹みたいな、みんなを引っ張っていける人が宗主の方がいいんだよ」 さばさばとした口調。 あまり、宗主という地位に興味はなかったのだろう。 「・・・・私は、どっちなのかしら・・・・」 指導者か、象徴か。 「朝霞ちゃんは両方だと思うけど。まさに上と仰ぐには最適、って人」 「・・・・ふぇ?」 思いがけない評価に頓狂な声を出した。 「特殊な革のグローブで最高の炎術を引き出し、鬼族討伐という目標を掲げて家中をまとめ、<嫩草>という家宝を数代ぶりに使いこなす」 ひとつひとつ、指を折りながら言った瀞は朝霞に笑顔を向ける。 「立派な当主だよ、うん」 混じりっ気無しの言葉に朝霞は嬉しくて思わず緩んだ笑みを浮かべた。 「―――ふむ、さすがは私のお兄様。よくお似合いですの」 「・・・・どうも」 2時間ほど着せ替え人形になっていた一哉は反応するのもめんどくさいという面持ちで曖昧に頷く。 鈴音は十数着の和服を着させた後、店員に「例の物を」と言い、今一哉が着ている物を持ってこさせた。 つまりは最初から決まっていて、その準備ができるまで一哉で遊んでいたということらしい。 (さすがは親父を弄ぶ女の娘、ってか?) 自分にも同じ血が流れているはずだが、やはり性別で性質の開花の仕方が違うのだろうか。 「それで、お兄様」 「んあ?」 どうでもいいことへ思考が働いていた一哉は真剣味を含んだ鈴音の声に間抜けな声を返した。 「うお!?」 ムカついたらしく、炎の拳が繰り出される。しかし、それは反射神経で避けた。 どうやらこの着物は立ち回りもできるように配慮された一品らしい。 「真面目な話をしたいですの。とっとと間抜けな人格はひっこめ、ですのよ」 額に青筋が見えるのは気のせいじゃないだろう。 一哉は後々が面倒なので茶化すことなく、真面目になった。 それだけで試着室の空気が一変する。 「単刀直入に訊きます。―――お兄様はあれから、どこまで鬼族のことを調べられていますか?」 「・・・・正直、よく分からん。完全に秘匿されている。しかし、それが糸口だという勘も働いてるな」 隼人以下鬼族はすでに音川を撤退していた。だが、文化祭ではかなりの敵を葬っている。 ならば残された死体からは身元が、逃走経路からは目撃情報が出るはずだ。しかし、身元を調べようとすると免許証などを所得しているにもかかわらず戸籍がなかったり、数年前に死亡している扱いになっていたりと、誰1人、そこに存在していたという事実が得られなかった。 さらに目撃情報においては、逃走経路と思われる山道に取り付けられた災害用カメラ――土砂崩れなどの早期発見のため、音川町が山道に取り付けているカメラ――は"偶然に故障"し、後夜祭の深夜以降の映像はなかった。 どう考えても大きな力が背後から手を回した結果に違いない。 「・・・・同じです。お兄様よりはるかに広い情報網を持っている熾条宗家でも、同じ見解です」 2人は顔を寄せ合い、囁き声で会話していた。 いや、正直に言えば試着室にいても聞こえるか聞こえないかという声量。 熾条宗家は忍びの一族。 こういう技は刷り込み式なのかもしれない。 「鈴音はどんな勢力だと思う?」 「そうですね。全国に広く分布し、高い情報操作能力を持っていることを前提とすると・・・・信じられませんがふたつの組織しか浮かびませんの」 「俺も同じだ。だが、ひとつは違う。すでに鬼族と反目しているはずだからな」 「ええ、同感ですの」 それならばひとつしかない。 全国にその影響力と情報網を持ち、そうだと言うのに1ヶ月に及ぶ音川攻防戦で姿を見せなかった組織。 退魔行動に妄信と言っていいほどの執着を見せる組織であり、同地を管轄下に置く結城宗家と決して良い関係ではない組織。 「国営退魔組織――SMOしか、ないな」 「・・・・・・・・同意見ですの」 国営退魔組織――SMO。 防衛省の極秘機関であり、国家機関として情報管制や戸籍改竄などはお手の物という国内最大退魔組織である。 「それに・・・・師匠の遺言にも合致する」 時任蔡の遺した言葉――『旧組織に相対する者』だ。 旧組織とは精霊術師の宗家、結界師の鎮守家など、一族単位で行動する旧家や陰陽道や密教、神道などのように古くから伝わる術体系を習得し、それを管理する組織のことを言う。 対してSMOは明治維新後にできた新体制退魔組織の筆頭というか、そのものであるという認識が強い。 現在、新旧対立――冷戦は最高潮に達していると言われ、新組織成立時に勝るほど危険な関係と言っていいのだ。 「・・・・でも、SMOも被害を被っているですの」 「・・・・ん?」 「東名高速での事故、ご存じで?」 試すような視線。 「いや、さっぱり」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」 ガックリと肩を落とした鈴音はぼそぼそと説明を始める。 「これは後夜祭があった日のことですの」 東名高速を西下中のSMO特務第三部隊は音川町に現れた鬼族討伐を担っていた。しかし、その途中、何者かに襲われ全滅するという惨事となったのだ。 「これは明らかに鬼族に味方する者の仕業です」 「・・・・なるほど。しかし、潰したのは鬼族自身じゃないのか? 奴らは音川に来たのが全てではないだろう?」 「ええ、ですが、相手は特務隊。鬼族と言えど全滅させることは不可能でしょう」 「特務隊って何なんだ?」 素朴な疑問をぶつけてみた。 「簡単に言えば異能者だけで構成されたSMO精鋭部隊ですの。通常の部隊は銃器を主力に退魔活動を行いますが、彼らはその異能を生かして戦います」 「・・・・当たり前じゃないのか?」 異能を持っているのだから、異能を使う。 至極当然なことだし、まさか通常の部隊に異能を持っていない人間がいるとは思わなかった。 「我々――旧組織にはそうですの。・・・・そういうことでは伊賀と甲賀の関係に似ていますね」 「・・・・忍者の?」 「ええ。熾条宗家は戦国時代までは忍びの一族として名を馳せていましたから。そういうのには詳しいですの」 最も有名な忍び集団と言えば伊賀忍者、甲賀忍者だろう。 伊賀忍者は大陸から伝わった集団戦法を得手とし、甲賀忍者は諏訪を源とする日本古来の術を使うことで発祥から違う。 伊賀忍者は多数で行動し、味方を犠牲にしても任務を達成する。 甲賀忍者は単独で行動することが多いので生きて帰ることを念頭に置く。 さらに伊賀忍者は体術を基本とした集団戦法。 甲賀忍者は己の習得した術法を使う。 一対一では甲賀忍者の方が強いことが多い。 「ですが、これは一般論ですの。伊賀忍者の中には術法が使える者もいるし、その術法だけ、ひとりで甲賀忍者と渡り合う伊賀忍者もいたはず」 「なるほど。つまり、SMOは国内最大の動員数を誇っているのは異能者ではない者も隊員であるから。そして、彼らの戦法は銃器に頼った集団戦法。だが、中にはやはり異能者がいて彼らは俺たちに匹敵する強さを持つ者もいる」 「そうですの。そして、特務隊とは選ばれた強力な異能者たちが異能の特性を生かした集団戦法を会得した精鋭部隊のことですの。私自身が出陣してもひとりでは為す術もなく討たれるかもしれないんです」 鈴音の戦闘力は旧組織でも随一だろう。 "風神雷神"ほど派手ではないが、堅実な戦いで多くのタイプと戦っても対等に戦うことができると一哉は捉えていた。 その彼女が敵わないという特務隊。 「構成人数は?」 「30〜40くらいじゃないですの? よくは知りませんが、トラックの荷台にたくさん詰めるそうです。あの自衛隊のように」 「・・・・ああ、なるほど」 鈴音の言葉でうまく想像ができ、思わず手を打ち合わせる。 「話を戻しますの。―――仮にSMOが鬼族を匿っている組織だとして、そんな強い特務隊を犠牲にできますか?」 「・・・・ふむ。・・・・いや、待て待て。鬼族が特務隊を全滅させられない理由は聞いてないぞ。鬼族ですら多数だ。多数対多数で個人戦闘力が鬼族の方が上なら―――」 「はい。十中八九、鬼族が"勝ち"はするですの。ですが、"全滅"するほど力の差はありませんことですの」 敗退と全滅は違う。 全滅とは『退く間もなく』敗北するということでその戦力差が歴然としていなければ生まれない戦果だ。 「それに現場の状況から集団戦闘ではなく、本当に短時間で全滅させたらしいですの。道路の封鎖状況や防音壁の破損状態、その他諸々の事情からSMO監査局、情報統合局は―――『旧組織からの攻撃の可能性、極めて高し』という見方が大勢を占めているようですの」 鈴音はチラッと朝霞たちがいるであろう方向を見遣った。 「鹿頭の件が纏まったのもこの情報が入ったから。いざ、新旧戦争が始まれば、鹿頭はお兄様の手先として戦局に無視できない影響を与えるでしょうから。この情報が入らなければ今頃、まだ大広間で分家の当主たちと押し問答を続けていますの」 「小田原評定かよ」 いつまで経っても降伏か交戦かで結論のでないまま開戦になってしまった関東の雄――北条家を皮肉った言葉である。 「・・・・まあ、これでSMOも消えてしまいましたの」 振り出しに戻った、とでも言うようにため息をついて首を振る鈴音。 「―――いや、そうでもないだろ」 「え?」 きょとんとこちらを見る鈴音に苦笑を含みながら言った。 「宗家のように絶対的権力を有する者が率いる組織は外も内も強い。だがな、国家機関のように巨大で合議制な組織は内部にいろいろなものを抱えてるんだよ」 「・・・・派閥」 ボソリとした声で答える。 「そう。もし、鬼族を匿ったのがSMO自体ではなく、一派閥だとすれば? そして、その派閥はSMOと同じく旧組織を敵としているならば?」 鈴音の顔色が変わった。 「仲間である鬼族を護りつつ、敵対派閥の持つ特務隊を攻撃。そして、実行犯を旧組織にしてしまえば・・・・」 「ああ、戦力を保持したままSMOが旧組織を攻撃する大義は手に入る。―――鈴音、覚悟しとけ。俺の推測が正しければ、奴らは・・・・本気だぞ」 「・・・・どちらにしろ、特務隊を葬った者は【熾条】の敵ですの。ならば双方諸共裁きの業火で焼き払うまでですの」 鈴音には莫大な量の<火>が付き従っている。 その精霊たちが主の意に賛成するように瞬き、それを平然と受け止める鈴音は覇者の器を有していた。 (我が妹ながらさすが。・・・・だが、日陰者の俺や親父のようじゃなく、意気揚々と陽向を歩いている) 幼少より次期宗主として英才教育を受け、その志を身に宿している。 そんな彼女ならばこれから訪れるかもしれない戦争でも、正しく一族を率いることだろう。 (こいつが宗主になれば、うまく問題をさばいていくだろ) 急激に膨張した熾条宗家は諸家と分家間での諍いが絶えないと聞く。 譜代と外様という関係を修復できるのは本人たちもそうだが、妥協案・折衷案を提示する宗主なのだ。 (提案の一代目、実行の二代目、解決の三代目、ってか) 一哉は優しい笑みを浮かべ、豪語して部屋を去る鈴音の後ろ姿を眺めていた。 |