第八章「冷戦の暁闇」/ 1



 遠く離れた本州では冬真っ盛りという12月。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 薄汚れた白い粗末な服を着た年の頃12、3歳の愛らしい顔たちの子どもが断崖に穿たれた鉄格子の窓からじっと海を見ていた。
 視界にはここと同じような島が数個浮かんでいる。そして、その間を哨戒艇と思しき船体がいくつも航行していた。
 この諸島の名前は「鴫島諸島」。
 1年前、新旧の退魔組織が協力して押しかけ、苦闘の末に制圧した島だ。
 この鴫島事変は数百年を経たとしても裏の歴史に残っているだろう大戦である。
 以来、本島である鴫島は国営退魔機関――SMOが管理し、クラーケンや海坊主を筆頭にした海洋妖魔を討滅する部隊――太平洋艦隊の本拠地が置かれていた。

「―――のぶ」
「・・・・?」

 後ろから名前を呼ばれ、振り返る。
 そこには同じ格好をした少女――但し、左腕がない――が感情を押し殺した表情で立っていた。

「行くワヨ」

 そう言って彼女は踵を返す。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 のぶと呼ばれた少女は一度だけ、仲間がいる下を見遣り、すぐに少女の後を追った。






熾条鈴音 side

「―――ふぅ、復旧したのですの。あれほど荒れ果てていたのにまあ、んっんん〜」

 1週間前に約4ヶ月ぶりに開通した地下鉄。
 この町の玄関口――地下鉄音川駅から出てきた和服の少女は伸びをしながら言った。

「ええ、それだけ必要とされていたのでしょうねー、ふわぁ」

 軽い欠伸をしながら彼女の護衛に付いてきた青年が答える。

「ちょっと時衡、護衛がそのような態度でよろしいですの?」
「そうは言っても御嬢様。この音川町は言わば難攻不落の聖域。この玄関口はおそらく【結城】の監視下ですぜ」
「ふん、その【結城】が攻撃しないとは限らないですの」

 少女――熾条鈴音が無視できない可能性を口にした。

「それは有り得ないでしょう。鴫島事変以来、表に顔を出さない結城宗主に代わり、窓口になっている晴海氏は理知的な方で無闇に攻撃することはないはずっす」
「そうね。まあ、可能性の話は置いておきましょう。不毛ですから」

 鈴音も本気でなかったため、あっさりと話を切る。

「とりあえず、鹿頭の当主に会うですの。場所は特定できているのでしょう?」

 試すように側近を見上げた。

「それはもう。・・・・ですが、一哉様にお会いにならないので?」

 護衛――旗杜時衡は首を傾げながら訊く。

「ふん、私(ワタクシ)たちは熾条宗家から鹿頭家に遣わされた使者ですの。後見人か何だか知りませんが、用があるのは"鹿頭当主"ですの」
「・・・・はいはい」
「な、何ですの? その『我慢しちゃって』みたいな顔はっ」

 むっとした感じで時衡を睨みつけ、鈴音は歩き出した。

「御嬢様、そっちは一哉様の家ですよ。鹿頭家の家はこっちです」

 笑いを押し殺したような声。

「〜〜〜っ、案内しなさいですのっ」

 鈴音は顔が熱くなるのを自覚しながら踵を返す。
 その姿に時衡は笑いを堪えながら先導を始めた。



「―――これまた大きな土地を買いましたのね」

 鈴音がもう一度音川の地を訪れたわけは鹿頭家との今後の関係についての熾条宗家側の回答を鹿頭家に伝えるためである。
 覇・烽旗祭で講和し、独立を認めたのだが、それは鈴音の独断だった。だから、鈴音が本邸に帰還してからずっと熾条宗家の重鎮会議が行われていたのだ。そして、その結果がようやく出たのが一昨日の夜だった。

「まあ、村を形成していた彼らからは狭いのでしょうか・・・・」

 鈴音は鹿頭家が紀伊山地の村を去り、新しく本拠にしようとしている建設地区にいる。
 間違いなく豪邸が建ちそうだが、この資金は鹿頭家の戦死者数十名の保険金を始めとした莫大な遺産。
 さらに本格的に鹿頭家を傘下に収めた兄――熾条一哉の懐から出ている。
 鈴音も一応、戦いまでの数日間お世話になっていたので小切手で五千万円ほど寄付していた。

「これだけの家・・・・屋敷を建てるのですから、さぞ名の売れた建設業者なのでしょうね」

 工事用業者のトラックに書かれている文字を読む。
 どうしてこういうのは横書きのくせに右から書かれるのだろうか。

「―――って、鎮守建設ですの!?」

 時衡が「会談はお二人で」と席を外したためにひとりの鈴音は建築業者の名に驚愕した。
 鎮守建設とは退魔関係の建築では国内トップだ。
 建築物の対妖魔構造や術式を紛れ込ませるという本格建築を売りにし、その社長が結界師総本山――鎮守家の当主なのだから、それは誰だって飛びつく。
 だからか、やや高めの建設費でも利用が絶えない大企業である。

「驚きましたの。これでは私が援助しなくてもよかったのではありませんの?」

「―――それは無理じゃないかしら。これで遺産もスッカラカン。後見人が社長令嬢と知り合いだったからかなり割り引いてもらったのにね」

「・・・・ちゃんと、修行しているようですのね?」
「ふふ、久しぶりね」

 背後を取った鹿頭家当主――鹿頭朝霞は鈴音の隣に並ぶと自分が家主になる一軒家を見て言った。

「なんかさ、結界守るために戦ってもらったお礼とか、勘違いしてケガさせた治療費とからしいけど」
「私、あの方の考え方がどうも分からないですの」

 無口で破天荒な年上の少女を思う。

「同感ね。というか、私も分からないわ、あなたの思考。私たちに五千万もポイッと渡しちゃうお嬢様気質が。さすがは熾条財閥、といったところかしら」

 熾条宗家は裏では退魔業を続ける一方、幾つもの会社の大株主と言った財閥だった。

「田舎者に分かるほど下賤なものではないですの」
「あらぁ? 熾条本邸ってどこにあるのか分からないんじゃなかったかしら? だったら決して『都会』ではないわよねぇ?」
「だからといって紀伊奥地から出てきた山猿に理解されるほど私の心は単純じゃありませんの」
「や、やま!? 何よ、車なんて生物にすら見られていないじゃないっ」
「な!? 二つ名は関係ないでしょう!? そもそも二つ名を貰っていないあなたに言われる筋合いはありませんのっ」
「甘いわね。私は新星よ」
「はっ、すぐに世間の荒波に消える儚き存在ですのね? 納得したですの。あなたの向こう見ずはただの世間知らずでしたのね」
「何ですって?」
「蛙が大海に出ても無意味。井の中の蛙とは言い得て妙ですの」
「ふふ、天狗って折られるためにあれだけ立派な鼻を持ってるのね。あなたを見て納得したわ。あなたの鼻も私がへし折ってあげようかしら。さぞかしお似合いでしょうね」
「うふふ、それは面白そうですの。血を噴き出し、業火を身に纏うあなたの姿、まこと心躍る情景ですこと」
「ええ、ホントに。全身穴だらけのあなたを想像するだけでどうにかなってしまいそうよ」

 2人は留まることなく口論(?)を続け、闘志を増大させていく。
 そんな一触即発を前にしつつも建築業者――結界師たちは我関せずを貫き、一見普通に工事しながら土地や柱に術を編み込んでいった。

「御嬢様、用件忘れてませんか?」

 気になって近くで見ていたのか、時衡が背後から声を潜めて諫言する。

「・・・・全く、こういうことをしに来たのではないですの」

 鈴音は舌戦を中断し、着物姿に似合わないショルダーバッグからペットボトルのお茶を取り出して口に含んだ。

「単刀直入に申し上げますの」
「ええ」

 キリッと態度を改めた鈴音に朝霞も表情を引き締める。

「鹿頭の独立を認めるというのは熾条宗家の共通見解と相成りました。ですから、先日の私共の口約束は効力を発揮しますの」
「へぇ。案外あっさり認めたのね。まあ、どうせ変な理由付きじゃないのかしら?」

 朝霞は呆れたように言った。
 大人の都合というやつだ。

「ええ。お兄様が後見役と言うことで『熾条の者が抑えている』と思うことにしたようですの。実際、お兄様が御義父様の指示に従うとは思えないですのに」
「確かに・・・・笑顔で使者を突っ返しそうね」
「それで済めばいい方ですの。最悪の場合、首桶が届きますのよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 否定できないのだろう。
 朝霞は曖昧な笑みを浮かべて沈黙した。

「まあ、今回のことでだいぶ、組織というものの見解が進みましたの。計画を進めるということは他人の計画を邪魔、もしくは否定するものなのですのね」

 ほっと息をつく鈴音。
 中学3年生らしからぬ疲れを感じさせるため息だ。

「あなたもだいぶ苦労しているのね」
「当然ですの。労せず立てるほど私の目標は低い位置ではありませんのよ」

 炎術最強、そして、史上最強熾条宗家の御令嬢にて次期宗主。
 不自由のない生活かと思えば、最強故の厳しさ。そして、誇り高さが逆に彼女を縛っている。
 なのに彼女はその縛りを自然に受け止め、一族郎党を率いようとしていた。

「―――私、あなたと友達になれるかも」
「は?」

 ポツリと自然に紡がれた言葉に間抜けな声を返す。
 ぽかんと口を開け、信じられないものを見るかのような目で見られても朝霞は自然と笑みを浮かべていた。

「背負う人の数は違うけど、同じ立場だからかしら。なんか、妙な親近感があるのよね」
「な、なななななっ」
「携帯の番号教えてくれるかしら? 連絡するし」

 朝霞が携帯をポケットから取り出す。

「何でそんなことを―――」
「"お兄様"、の動向も教えてあげるし」
「仕方ありませんの。但し、用がない場合は連絡しないでくださいの。私は忙しい身ですから」

 ごそごそと携帯を取り出した鈴音は朝霞と目を合わそうとしない。

「うっわ、180°転換したわ」
「うるさいですのっ」

 そんな年相応なところに朝霞は苦笑し、そんな朝霞を鈴音が睨んだ。






熾条一哉 side

 鹿頭家の屋敷ができるはずの土地には鹿頭家の菩提寺も建立されつつあった。
 その住職を務めるのは高野山で修行していた香西仁であり、すでに墓地自体は移動を完了している。
 そんな墓地の一角に「時任蔡之墓」と書かれた高価な墓石が鎮座していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そっと熾条一哉が新しい華をその墓前に置く。
 今日は"総条夢幻流"師範――時任蔡が鬼籍に入ってから四九日目。
 つまり、葬儀から7日ごとに行う法事、その最後の日だった。

「・・・・悪いな、時任家の宗教は分からないから、勝手に真言宗――仏教方式にさせてもらった」

 香西は覇・烽旗祭で戦死した鬼族のために首塚も作っている。
 それは今も香西によって丁重に管理され、学園の一角にひっそりと建っていた。
 それと同じように鹿頭陣営でただひとりの戦死者。しかし、部外者とも言える時任蔡も一哉の師匠、そして、鹿頭家の武術指南役として葬られている。
 だから、彼女の中国での立場は無視しているのだ。

「まあ、アンタなら気にしないよな・・・・」

 放任主義で適当だった彼女なら弔ってくれるのならば得体の知れないどこの風習かも分からない方法でも笑って受け入れることだろう。

―――ガサ

「・・・・瀞か」

 一哉は振り返り、所在なさ気に佇んでいる同居人を視界に収めた。

「え、えっと・・・・。邪魔して、ごめん・・・・」
「いや・・・・」

 何が気まずいのか、渡辺瀞は一哉と視線を合わそうとしない。

「どうか、したか?」
「・・・・ううん、別に」

 テクテクとゆっくりとした足取りで一哉の隣に来た瀞はそのまましゃがみ、手を合わせた。
 その黒髪を冬の風が弄ぶように靡かせる。
 寒そうに身を竦ませる姿にわずかながら笑みを浮かべた。

「師匠とは・・・・物心ついた時から一緒にいたよ。言わば育ての親って奴だな」
「・・・・うん」

 何故、話そうと思ったのだろうか。
 故人はすでに故人。
 現世において何の影響力も持たない。だから、物言わぬ骸なのだ。

「親父と三人で世界中を回ったよ。・・・・非合法なやり方で」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ふっと笑ったような気配が伝わったが、一哉は瀞の方を見なかった。

「小さい頃から実戦形式の修行を積み、その合間で知識の吸収。・・・・数年で経験の伴わない膨大な知識が増え、経験で裏打ちされた戦闘術を身に付けた」
「うん。・・・・一哉は強いよ、人間として」
「いや、師匠には敵わないな。事実、あの時、隼人を押していたんだ、あの人は」

 目を閉じれば今でも甦る師匠の雄姿。
 正面からかかっても勝てないと思わせた鬼族の首領――隼人、それを前にしても自分の戦闘スタイルを崩されることなく、圧倒的武威を見せつけた。

「まだまだ修行不足だって思わされたよ。中東で敵無しだったことも起因してかなり驕ってたんだな、って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞は何も言わずにそっと線香に火を灯す。

(そう、俺は大事なところで計算が合わないんだ・・・・)

 鬼族の本隊を動かし、隼人を裸にするまでは完璧だった。だが、彼の個人戦闘力は全く考慮せず、正面から向かった結果が当然のような苦戦。
 昔から過程は完璧だが、仕上げで狂うことが多かった。

("東洋の慧眼"が聞いて呆れるな)

 一哉は無意識に自嘲の笑みを浮かべる。しかし、それでも一哉は自暴自棄になることなく、鬼族と戦うための戦力――鹿頭を持ち、蔡の言葉を読み砕きながらもうひとつの敵を探っていた。

(でも・・・・あれからまた曇ってしまったのかな、俺の頭脳は)

 今の一哉はまるで覇気がない。
 やる気はあるのだが、前までは泉のように湧き上がっていた戦略が枯れ果てていた。
 さっぱり対鬼族の戦略が思いつかない。

(くそっ、これから、これからどうしたらいいんだッ!?)

―――くい

「? ・・・・あ、瀞か」
「・・・・さっきまで話しかけてくれてたのに、まるで忘れてたみたいな物言いだね」

(いや、正直忘れてた・・・・)

 むー、と不満そうな顔で見上げてくる瀞はじーっと一哉の眸の奥を見ているようだった。

「何だ?」

 まっすぐな瞳にやや気圧され、一哉は視線を外して訊く。

「―――泣かないの?」
「・・・・は?」

 一哉は思いがけない言葉に思わず視線を戻した。

「哀しいときはまず、泣くんだよ」

 そっと瀞が一哉の手を取る。そして、墓地から離れ、未だ木々が広がっている敷地へと歩み出した。

「まず泣いて・・・・それからの事を考えるの」

 林の中に入った瀞は<水>に働きかけ、結界を敷く。

「一哉が感じている自分への違和感。・・・・それは手順をすっ飛ばしてるからだよ」
「手順・・・・?」

 促されるままに手頃な岩にもたれかかった。
 瀞はその前に立ち、陽光を背に一哉を見下ろす。

「哀しみを内に閉じこめたままじゃ、一哉の頭は動かないよ。思考の大部分が哀しみに染まってるから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 包み込むような微笑を浮かべる瀞が何となく大きく見えた。

「その哀しみを憎悪に変えてもダメ。やっぱり大きな感情が邪魔をして"東洋の慧眼"と呼ばれたその戦略眼も動けない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・まるで全て分かっているような言葉だな」
「分かってるもん」

 ゆっくりと膝を付き、一哉の首の後ろに手を回す。

「・・・・おい?」

 そんな動作に戸惑いを覚え、かなり近くなった顔を見上げた。

「私もお母様とお父様が亡くなった時、周りに憚ることなく泣いたよ。でも、一哉は絶対に憚るよね?」
「だから、結界を張ったとでも言うのか?」
「うん」

 瀞はニッコリ笑い、腕に力を込める。

「お、おいっ」

 ぽふっと音を立てるような感じで一哉は瀞の胸に顔を埋めた。

「わ、私は・・・・っ、育ての親である蔡さんからも、実の親である厳一さんからも一哉を任されてるんだからっ」

 瀞もこの体勢に恥ずかしさを感じているのか、慌てながら言葉を紡ぐ。

「ほ、ほらっ、こうすれば顔は見えないし、嗚咽も聞こえないしっ」
「いや、それならお前が出ていけばいいんじゃ・・・・?」

 声を出す空間はまだある。だが、それはいざ泣き出せばもっと抱き寄せられると言うことだろう。

「そ、それだと一哉が泣いてるか確認できないじゃない」

(確かに。・・・・い、いや、そういうことではないだろうっ)

「り、理屈は分かったが、この体勢はどうにかならないのか?」
「・・・・ダメ」
「だ、だめなのか?」
「うん、ダメ」
「・・・・むぐっ」

 ぎゅうと抱き締められてしまった。
 これでは反論もできない。

「私は『復讐なんて不毛だ』とか何て言わないよ。これはもう、一哉が戦わないなんて選択は不可能なところまで事態が進んじゃってる」

 復讐をするためではないが、鬼族を追うことはすでに決定事項だ。
 そんな状況で蔡の敵討ちを忘れられるはずがない。
 瀞はそんな複雑な心情を完璧に把握していた。

「わ、私は・・・・あの時、宣言したように、戦うよ。・・・・一哉の敵と戦うよ。―――どんな辛い状態になっても私は一哉から離れない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ほのかに甘い匂いが鼻腔をくすぐる。そして、安心する温かさと柔らかさが一哉を包み込んでいた。

(・・・・こ、これは・・・・っ)

 何故か張り詰めていた気が緩み、幾十にも設けていた壁がその感覚に貫通される。そして、壁の向こう――心の底に存在していた甕が崩壊し、そこから感情が溢れ出た。

「わっ」

 思わず柔らかな体を抱き寄せる。
 折れてしまいそうな細い腰を抱き、自らも顔を押し付けた。

「戦闘では頼りにならないかもしれないけど・・・・でも・・・・」

 動揺はしたが、再び瀞は一哉の後ろに手を回す。

「――――――――――ッッッッッ」

 一哉を中心に"気"が吹き荒れ、<火>が所々で顕現した。しかし、それは瀞の放つ神々しいまでの"気"が<火>を上回る<水>を呼び寄せ、森林火災を防ぐ。

「支えになるから、ね?」

 衝動に明け暮れる<火>を<水>は優しく慰め続けていた。






闇に蠢く者 side

 東京に建つ漆黒のビルの一室。
 本来、そこにあるべき者たちはほとんどが退出し、部屋の主の客人や部下が部屋に詰めていた。

「―――フフ、あの女、死に際にそんなことを。フフフ」

 鬼族首領――隼人から時任蔡の遺言を聞いたスカーフェイスが含み笑いを漏らす。

「笑い事ではないぞ、スカーフェイス。奴は戦略家として名を馳せている。あれだけ丸分かりの遺言を残されれば、こちらの計画がバレるぞ?」

 「どう責任を取るのだ?」と真っ白のスーツを着た神忌が視線を送った。

「フフ、だからいいのでは? それこそ計画が成功した証と言えませんか、神忌殿」

 上役の叱責に堪えることなくスカーフェイスは不気味笑みを浮かべたままだ。

「まあ、な・・・・」

―――カチャ

「―――揃っているようだな」

 部屋の主――功刀宗源は部屋を見回して言った。
 その言葉に神忌やスカーフェイス、部屋の端に座っていたアイスマンなどが揃って功刀を見遣る。

「うむ、重畳」

 視線を受けて頷く姿は気迫と共に自然と人を惹きつける輝き――カリスマを持っていた。
 功刀はゆっくりと自分のデスクまで歩き、そのイスに腰掛ける。

「さて、今回集まってもらった件だが・・・・」

 すっと功刀が秘書の女性――サーラに視線を送った。

「はいなー」

 カチャカチャとパソコンを操作し、とある人物をスクリーンに映し出す。

「熾条一哉・・・・」

 隅にいたアイスマンが金髪を掻き上げながら言った。

「そうだ。今年3月に帰国して以来、目覚ましい戦功を上げている炎術師だ」

 熾条一哉。
 炎術最強熾条宗家を史上最強と謳われるまで強化した最功労者のひとり――"戦場の灯"・熾条厳一の嫡男であり、自身も中東では戦略家と知られ、"東洋の慧眼"と異名を取っている。
 謎の部隊壊滅後に帰国したが、熾条宗家のある九州ではなく、"風神雷神"が通う学園――統世学園高等部に入学した。
 そこで潜伏すること約2ヶ月。
 渡辺宗家を出奔した"浄化の巫女"・渡辺瀞と邂逅し、鵺を倒す。

「鵺と戦った時は何故か炎術を使わなかったですね、フフ」
「炎術を使わずに、鵺と・・・・? 化け物じみた戦闘力だな」
「でも、トドメはぁ、"風神雷神"がサしました」
「フフ、詳細は不明ですが、7月下旬には渡辺宗家の御家騒動にも出陣していますよ、フフフ」

 その後、8月に起こった地下鉄音川駅爆破テロ事件――表向きの名称――では重要人物として参戦。
 最深部で敵の総大将と激突していたらしく、彼は犯人と何らかの因縁があったらしい。

「ここまでは・・・・まだ許せる範囲だ。だが、次は・・・・」
「鬼族」

 黙っていたアイスマンが呟いた。

「オレ、見てたけど、あいつえげつねえわ。鹿頭家の戦力であそこまでの戦いを引き起こすなんてな」
「フフ、同感です」

 壊滅した鹿頭家をとりまとめ、再生する。そして、その戦力を以て一時は最凶の名を恣にした鬼族の大部隊を数週間に渡る激闘で押し返した。
 戦術ではなく、戦略を要する戦いでことごとく勝利を収め、いつの間にか主導権を握っていたのだ。

「それで、局長。この熾条一哉が?」

 神忌がデスクの上に両肘を乗せ、合わせた手を口元に寄せている局長――功刀に向き直る。

「ああ、それは貴様らも先程話していたのでは?」
「・・・・時任蔡、ですか?」
「そうだ」

 功刀は脇に寄せていた書類を手に取った。

「時任蔡。中華人民共和国諜報機関訓練士。数年前に一度行方不明になったが、3年前に復帰。大地の<気>を使い、ことに接近戦闘術ではトップクラスを誇っていたそうだ」
「なるほど。あの隼人殿と一騎打ち。フフフ、僕の薬の効果が出なければ、いつまで戦っていたか分かりませんね。フフ、全くしぶとい」

 薬の言葉にアイスマンがわずかに反応を示す。
 その表情に浮かぶのは嫌悪だった。

「ふん、とりあえず、この少年は複雑な中東の軍事情勢の中で偉才を発揮し、中国の諜報機関でも上位者から戦いを学んでいる。極めて危険な人物と言えよう」
「ですが、所詮組織に属さぬ個人でしょう?」

 神忌が功刀の顔色を見るように言う。

「ふん、奴の周りには鹿頭家という炎術師集団があり、"浄化の巫女"より渡辺宗家。"風神雷神"より結城・山神宗家。そして、九州からはるばる足を運ぶ妹――"火焔車"より熾条宗家。クラスメートには鎮守家次期当主もいる始末」

 つまり、一哉が彼らの計画に気付く=旧組織の代表たちも気付く。
 それだけやりにくくなるのだ。

「事が起こるのは万歳だが、初手から不利になるような始め方はいかん。よって―――」
「―――消す、ってか?」

 部屋の隅にいたアイスマンが立ち上がっていた。そして、ニヤリとここでは珍しい楽しそうな顔をする。

「それ、オレにやらせてくれよ。戦ってみたかったんだよ、アイツと」

 あまり自己主張することなく、気ままにしているアイスマンからの要求。
 それに功刀は一瞬考えるそぶりを見せた。

「駄目だ」
「―――っ!? 何故?」
「この作戦は秘密裏だ。貴様では派手すぎて、いらぬ騒動に発展してしまおう。―――神忌」
「はい?」

 功刀は握り拳を作るアイスマンから視線を外し、側近に顔を向ける。

「第一実働隊に任せる。連絡を取っておけ」
「坂上、ですか? ・・・・分かりました」

 神忌は一度だけアイスマンに視線を送り、部屋を出ようと立ち上がった。

「ああ、局長」
「? 何だ?」
「鴫島・・・・加賀智研究所に連絡を取ってもらえますか? ―――【叢瀬】を動かしましょう」
「「「―――っ!?」」」

 神忌の宣言に三者は同様に驚きを表した。










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