第七章「鬼と踊る後夜祭」/ 8



 東名高速道路。
 高速自動車道のひとつで正式路線名は「国土開発幹線自動車道第一東海自動車道」という。
 1969年に完成し、東京都世田谷区から愛知県小牧市までの約347qを繋いでいる。

「―――次のサービスエリアで少し休憩するぞ」

『『『了解』』』

 その下り車線を黒塗りの大型トラック3台を同じく黒塗りのBMWが先導する形で進んでいた。

「部隊長、近畿支部には連絡しました?」
「んあ? ああ、藤原部長も感謝してたみたいだぞ。近畿の特務は痛手を被っているからな」

 BMWの助手席に座る部隊長は若いながらも地方退魔の重鎮である青年を思い浮かべる。

「あいつも、本部特務第一部隊長だった時は難しいことを考えずにすむんだろうに。いやいや、出世はしたくないねー」

 頭の後ろで手を組み、座席に深くもたれかかった。
 BMW1台と大型トラック3台に乗る人員は約50名。
 彼らの部隊名は「SMO本部特務第三部隊」という。
 東京にあるSMO本部から地方で起こった大規模な裏事件を処理する武装部隊だった。

『―――えー、たった今入ったニュースです。今日午後6時10分頃、東名高速下り線で車16台による玉突き事故が発生しており、現在は通行止めになっています』

「後ろで、か。通りで後続が来ないわけだ」

 彼らの視界に映る他の車はない。
 一応、国家公務員である手前、制限速度を守っているため、前と距離が離れるのは良しとしても後ろから来ないのはおかしいと思っていた。

「ぅわぁ!?!?!?」

―――キキィィッッ!!!!!

 運転席の隊員が急ブレーキを踏み、急ハンドルを切る。
 後続のトラックたちも同様の操作をしたが、重量が違った。
 BMWを追い越し、3台はもつれ合うようにして前方で横転していく。

「な、なんだ!?」

 シートベルトに守られ、何とか怪我をせずにすんだ隊長は運転手に訊いた。

「ひ、人です。人が道路の真ん中に立ってましたっ」
「何ぃ!?」

 隊長はシートベルトを外し、車外へと駆け出す。

「マジか・・・・?」

 確かにブレーキによって擦れ、タイヤ跡がついた道にひとつの人影があった。
 軽装の鋼でできた鎧に身を包み、ブロンドの長髪を風に靡かせている。そして、その背中には十字架のような大剣が背負われていた。
 女は油断なき、鋭い視線をこちらに飛ばしている。
 その視線は敵意に満ちていた。

「誰、だ?」

 トラックからも武装した隊員たちが出てくる。
 誰も彼女が一般人だと思っていない。
 部隊を先に行かせたくないと思っている者。
 つまりは邪魔者としか。

「我が名はピュセル。故あって貴殿らをこの先に通すわけには参らぬ」

 身の丈を超える荷物を背負いながら轟然と告げる彼女は堂々としており、神々しくも、禍々しくもあった。

「戦闘準備っ」

 隊長は自らも異能の発動を準備しながら部下に告げる。
 本部特務隊は全て異能者で編成されていた。
 銃器も使うが、信じるものは己の【力】。
 こういう際には異能を用いるのが彼らである。

「無駄だ。そのような卑しき術、我には通じんっ」

 彼女の額が黄金に輝き出した。

「な、なんだ・・・・?」
「ええい、構うなっ。奴を殺せッ」

 接近戦を得手とする異能者たちが駆け出す。
 他の者は爆発する可能性のある車から離れ出した。

「覚悟っ」

 接近戦の者たちがピュセルを間合いに入れる。
 特務隊に入れる強大な異能者たちだ。
 その者たち数人が相手すれば彼の有名な精霊術師でも直系レベルでなければあしらえるものではない。

(もしや、これで終わりかもしれないな・・・・)

 隊長の脳裏にそんな"甘い"考えがよぎった。

「―――ひゃはっ、させるかっ」
「―――ふっ」

 ズンッと地響きを轟かせてそれらは姿を現す。
 2メートルを超えるであろう巨体たちは隊員の攻撃――大型の西洋剣や鋼鉄の爪、強烈な拳など――を真っ向から受け止め、弾き返した。

「な、何!?」

 押し返された隊員たちはたたらを踏み、邪魔をした者たちを見上げる。

「ひゃはははははっ、僕らが相手してやるよっ。久しぶりの戦いだ」
「・・・・油断されるな。この者たちも一勢力を背負う精鋭たちぞ」
「はんっ、だから何だよ。僕が負けるわけねえだろっ」

 やや細身で滑らかな曲線が目立つ甲冑――というか、装甲――は銀色に輝いており、手の甲には楕円型の盾、右腕にはレイピア――但し、その者自体が巨体なため大きいが――が握られていた。

「それはそうだが、油断は禁物」

 諫めている方は同じく巨体であり、甲冑の色は黒。
 大型の盾と穂先の方に突起のある長棒を備えている。

「お、お前ら何者だ!?」

 隊長がやや裏返った声を出した。
 無理もない。
 接近戦の異能がことごとく彼らに防がれてしまったのだから。

「ああ? 今から死ぬ奴が知ってどうするよ?」
「な―――」

―――ダダダダッッッ!!!!

 絶句する隊長の代わりにサブマシンガンが火を噴いた。

「あん?」

―――カカカンッ!!!

 だが、その装甲に傷ひとつつけることなく弾かれる。

「おいおい、今更銃弾かよ。異能者だろ? サーカスみたく珍しい能力で僕たちを楽しませてみろよ、おいっ」

 一喝と共に重量を感じさせない踏み込みで白銀の巨体が手近なひとりに迫った。

「くっ」

 隊員は異能である筋肉強化系を発動し、重厚な西洋剣を叩きつけるようにして巨体を迎え撃つ。

「らぁっ」

―――ザンッ

「何ィ!?」

 武器の性能が分かっていないとしか言いようのない白銀の攻撃――レイピアによる振り下ろし――にて剛剣を切断し、その使い手を袈裟斬りにしてのけた。

―――ゴウッ!!!

 肩口から脇腹まで刀傷を負った隊員の体が炎上する。そして、その炎は苦しむ隊員をわずかな間で葬るに至るほどの火力だった。

「新宮!?」

 第三部隊の班長を務める青年が為す術もなく討たれたことに驚愕する。

「え、炎術か・・・・?」

 話では鬼族と戦っているのは炎術師一族らしい。
 SMOが自身の敵に攻撃しようとしているのを悟って潰しに来たと言うことだろうか。

「へっ、どうでもいいだろ。お前らに許されんのはただ僕を楽しませることだけだぜっ」

 再び白銀の体が沈むようにして突撃態勢を取った。

「リカルド、退けっ」
「―――っ!?」

 彼らの背後から殺気と景色を全て塗り潰すような黄金の閃光が漏れ出した。

「な、何だ・・・・?」
「くそ、忘れていたっ。あの女だっ」

 甲冑の巨体の後ろに隠れるようにして立っていた女がいたはずだ。
 彼女は異能を嘲弄し、額よりこれと同色の光を放っていた。

「ピュセル、お前、敵も味方もないのか!?」

 慌てて高速道路の防音壁の上まで逃げた白銀が声を荒上げる。

「ふん、邪魔をするなら踏み潰すまで。合戦では敵諸共少数の味方将士を撃ち殺すのは当然のことだろう」

 ピュセルは掌を突き出すようにして文句を言う白銀に返答した。
 その態度は横柄で、味方を味方と思わぬ発言だが、確かに言葉の内容はよくあることと言える。だが、その合戦は少なくとも数百同士がぶつかり合う大規模なものに当てはまるものだが。

「・・・・ま、マズイ・・・・」

 話している間も女の放つ光は増していく。そして、その光は経験豊富な隊長からすれば死神が放っているように見えた。

「まあ、お主らも退けたのならいいだろう。―――さて、貴殿らよ、その方らの任もあろうが、主の導きだ。諦めよ」

 ピュセルは意識をSMOに移したようだ。
 威圧感が増し、ピュセルからの殺気が膨れ上がった。

「チィッ、迎撃だっ」

 さすがは本部の精鋭。
 奇襲で半ばが戦闘不能になり、接近戦部隊が一蹴されたと言っても戦意喪失に陥るわけがない。
 異能者とは自身の能力に絶対的な自信を持っているものだ。
 勇猛さにかけては旧組織に勝るとも言われる。―――蛮勇と称される類のものもあるが。

「主よ、あたら無垢なる魂を天に召すことをお許し下さい」

 手はSMOに向けているので十字を切ってはいないが、目を瞑って彼女は言う。

「―――Amen

 その瞬間、掌から直視に耐えかねる閃光が部隊の視界を覆い尽くした。






熾条一哉 side

―――ガンッ、ギギンッ、ドガッ、ズガンッ、ギィンッ!!!!

 ひっきりなしに鋼の衝突音が聞こえ、暗闇に包まれた道場に火花を散らす。
 それは膨大な力を有する鬼の力と、歴代トップクラスの"気"とがぶつかり合い、互いに食い潰して消えていく閃光でもあった。

「セッ」

 暴風雨のような大薙刀を躱し、一気に懐に飛び込んだ一哉は隼人の鳩尾辺りに掌を当て、"気"を発頸の要領で放出する。

―――ドゴンッ

 一哉ほどの"気"の総量を持ち、また、"総条夢幻流"を修めし者の発頸ならば常人なら致命傷だ。だが、一哉は追撃の手を緩めず、たたらを踏んだまま制止している隼人の首筋目掛け、<颯武>を振るった。

「甘いっ」
「意識あるのかよっ」

 ガッシリと薙刀の柄で防がれた斬撃。
 間近では楽しそうな笑みを浮かべた隼人の顔がある。

(怖ッ!)

 すっと押し込む力を抜き、相手の脇を通り抜けるようにして、間合いを取った。

「ふん。なかなかな攻撃をしおる。だが、意表を衝く戦法しか知らんのか?」

(その通り)

 流派など修めていないし。
 そもそも戦歴で一番多いのは敵が銃を携帯している場合だった。
 同じような近接戦闘武器を得物にする奴らと戦ったことなどほとんどない。

「ふっ。奇策を好む者、正攻法に沈むが真理なり」

 そう言って大上段に振りかぶった。

「―――ヌンッ」

―――ドガッ!!!!!

 大薙刀の刃が道場の床を叩き割る。
 その破片を細かく燃やしつつ、一哉は戦慄した。

(冗談だろ、おいっ)

 激戦に耐えきれず、道場の床は無事に残っているところの方が圧倒的に少ない。
 今、移動には床板の土台となっている木を伝っていた。

「ほれほれ、どうした炎術師っ」
「くっ」

 飛来した板が進路を阻み、背後に力の気配が湧き上がる。

「ラァッ」
「セィッ」

―――ガギンッッッ!!!!!!!!

 鋼と鋼のぶつかり合う音。
 でたらめに振るった<颯武>が見事、大薙刀の刃を抑えていた。

「ふっ。やるな。殺気だけで軌道を見切りおったか」
「いや、普段ならそれもできるんだが・・・・」

(今のは偶然です、はい)

 もちろん、そんなこと口には出さない。

「しかし、本当にホテル襲撃やらで仲間を討ったのか? 他愛ないにもほどがあるぞ?」

 薙刀を肩に担ぎ、訝しげな視線を寄越してきた。
 憎悪よりもやはり強い敵と戦うと言うことの関心が強いようだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は答えない。しかし、それは奇襲と正攻法の違いを小一時間ほど説明したくなったからだ。

(力で全て決する猪武者め)

 間合いを計りながら現状を確認する。
 とりあえず目立ったケガはない。だが、激しい打ち合いによる腕の痺れが深刻だ。
 それに一撃一撃に相当の"気"を使っているので、その残量も心配だった。

(戦闘続行時間は約5分といったところか・・・・)

 それで討つのは無理だろう。
 それがこの襲撃の目的ではないが、あわよくば、とは思っていた。

「直系だというのに炎術も使わない。白兵戦も思ったよりも強くない。・・・・貴様、拍子抜けにも大概にせいよ」

 苛立ったように吐き捨てる。
 まるで湯気かのように怒気が湧き上がって見えた。

(ヤバイ・・・・)

 鬼族の首領は正面から撃破できるものではない。というか、絶対に正面から向かってはいけない人物だ。

(ならば―――)

「―――お前、どうして鹿頭を狙う?」

 話術しかなかった。

「貴様、長旅から帰れば変わり果てた同胞たちの姿。それを見て泣き叫ぶさらなる同胞を見て、憤りを感じるなと言うかっ!」
「その遠征先でしたことと何が違うんだ?」
「―――っ!?」
「戦って・・・・ひとつの集落皆殺しにしてきたんじゃないのか? それとどう違う。自分たちだけよくて他はダメ? どんな我が侭小僧だ」

 詭弁である。
 しかし、ここは真理を探究する学会の場ではない。
 あくまで戦場であって言葉は敵の心をえぐる刃だ。

「ふんっ。我らは鬼だ。ヒトとは違うっ」
「そうか。だったら人外の者として狩られる覚悟もできてるよなっ」
「ぐっ」

 同族間ならば話し合いという相互理解の場が持たれるが、異種間ならば敵対=戦闘だ。
 戦闘とは殺し合いであり、やるからには死の覚悟があるはず。
 ないのならばない者が悪い。

(よし・・・・)

 口でやりこめたことを確認した一哉は次の議題に入った。

「―――第一、50年前の戦いに参加したのは鹿頭だけじゃないだろ?」
「当然だ。女子供だけとはいえ、女の中にも剛の者はいたし、わずかながらも男衆もいた。鹿頭如きで全滅する鬼族ではない」
「じゃあ、どうして鹿頭を目の仇にする?」
「それは・・・・・・・・精霊術師だからだ」

 言い淀んだ。

(これは・・・・何か情報を聞き出せるか?)

 動きがなければ術に集中できる。
 口先で心の防壁を削りつつ、一哉は身の内で術式を構築していった。

「じゃあ、俺と河原で戦った奴らは何をしていた? どうして結界を壊してたんだ?」
「そ、それは・・・・恩返しというか・・・・持ちつ持たれつというか・・・・」

 隼人の視線が泳ぎ出す。
 どうやらこういう戦いは不慣れらしい。

「――――――――――――――――――――――――――――」

 すっと一哉の目が細くなり、鋭さを増した。

「―――いるんだな。鬼族に協力し、壊滅状態から救い出した第三者が」
「―――っ!?」

 喋りすぎたと思ったのだろう。
 隼人は大薙刀を振り上げたが、一哉は止まらない。

「なるほどな。本拠を失った勢力がその力を独力で回復できるわけがない。ましてや戦闘力を備え、鹿頭の隠れ家の結界を突破し、奇襲できるなんてよほど結界の知識がある奴が味方じゃないとな」
「・・・・儂らの中に結界に詳しい奴がいたらおかしいのか?」
「ああ。なら今この空間に張られている結界が、緻密な高位結界だとすぐに気付くだろうしな」
「高位、結界じゃと!?」

 案の定、隼人は目を剥いた。

「こっちには鎮守本家の方がいるからな」
「くっ・・・・いったいどんな効果が―――」
「安心しろ。ただの人払いと中位結界だから」
「っておいっ!」

 さっと目を逸らしてそうバラすと突っ込んでくる。
 もう完全に会話は一哉のものだ。

「相当大きな組織だな。こりゃ、戦争が起きるかもな」
「ぐぅっ。―――ここで貴様を殺らば問題ないわァッ!!!」

 ダンッと隼人が残りわずかな床板を蹴って間合いを詰めてくる。しかし、その頃には一哉の準備も終わっていた。

「―――"燬熾灼凰"っ」

 右腕を高々と掲げ、本日二度目の最高術式を降臨させる。

「な―――っ!?」

 思わずブレーキをかけた隼人は一哉の腕の先を見上げ、目を見開いた。

<―――ケーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!>

 大きく翼を広げる紅蓮の大鳥がいる。

「なんだと・・・・」

 圧倒的火力にさすがに隼人も後退った。
 "燬熾灼凰"。
 熾条宗家の中でも使える者は直系のみ。
 それも鍛錬が必要な文句なしの最上級術式だ。
 その火力は一瞬で道場の屋根を完全燃焼させる。
 瓦や鉄などもお構いなしだ。
 彼の存在はゆっくりと羽ばたきながら炎の粉を飛ばし、まるで一哉を守るかのように瞳のない目で隼人を睨めつけていた。
 神々しく猛々しい。
 強烈な殺気を叩きつけられながら、隼人は素直にそう思った。

「くっ」

 大きく飛び退さり、そのまま逃亡しようとする隼人に一哉は照準を合わせ、火鳥に命令する。

<―――ケーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!>

 大きく翼が広げられ、咆哮に乗せられた【力】――<火>が容赦なく地面を焼いた。
 羽ばたき、ゆっくりと上昇した火鳥は全身をさらに燃え上がらせ、攻撃のための【力】を蓄える。

「くっ、おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 逃げ切れないと見たのか、隼人は立ち止まり、大薙刀に渾身の【力】を込めた。
 刃が黒く染まっていく。

(無駄なことを)

 一哉は汗でしとどに体を濡らしながらほそく笑んだ。
 "燬熾灼凰"は会心の出来である。
 例え隼人の攻撃を受けようとも致命傷を避けることは無理だ。

「焼き―――っ!?」

 一哉の視界に隼人の後ろの茂みに潜む人物が入った。
 もちろん、そこは術式の射程上で隼人と違い耐火能力のないその人物は受けた瞬間、焼滅してしまうだろう。

(―――焼滅・・・・?)

「―――ッ」

<―――ケー・・・・>

 哀しそうな声で一鳴きした。すると、火鳥は陽炎のように揺らいで消滅する。

「何、だ・・・・?」

 先程まで目映い光源が支配していた一帯は術式発動以前よりも暗い闇へと変貌した。

「ぐ、ぁ・・・・」

 訝しげな言葉をかける隼人に対し、一哉にはズキリ、と嫌な音を立て、頭が悲鳴を上げる。
 痛むごとに浮かび上がる"知らない情景"


 突如として村に現れた異形のもの。
 それは当然のように村を蹂躙し、大きな墓標と変えた。



(―――こ、れは・・・・?)

 まるで甦るように鮮明に映ってきた。
 そのまま湧き水のように止まることがない。そして、それは先程と少し時間をずらして再び脳裏に映し出された。

「とりあえず、【熾条】の小僧。討たせてもろうぞ」

 隼人が大薙刀を振りかぶる。
 それに対し、一哉の思考は停止し、虚ろな眸へと変わっていた。
 このまま大薙刀が振り下ろされれば一哉の頭蓋骨は粉々にされてしまうだろう。

「些か腑に落ちんが、貴様はここで死んでおけ。貴様は危険すぎるわ」
「―――させるかっ」

 近くの茂みから蔡が身を躍らせた。そして、一哉と隼人の間に入る。


 綺麗な断面を見せる幼い腕を抱く一哉。
 辺りは焼き焦げる地面があるばかりで元が集落だったことすら窺わせない惨状。



「な!? 貴様、何奴!?」
「"総条夢幻流"師範――時任蔡っ。故あって弟子の私戦に手出しするっ。鬼族首領っ、悪いが付き合ってもらうぞぉっ」
「くぅ、たかが武芸者がぁっ」

 一哉打倒の絶好の機会を邪魔された隼人は大薙刀を振り上げ、蔡向けて特攻した。

「貴様、その武器に誓い、己の命を懸けられるか?」
「当然だぁっ」
「ならば、何も問うまい」

 杖を正眼に構える蔡。

「参るっ」


 何より灰色の雲を湛え、雨を降らす。
 その雨が、鮮血に染まったその体を洗い流していた。



 その視界にまるでスクリーンに映るかのような現実味のなさで人物――時任蔡と隼人が相争っている。
 初撃で隼人を吹き飛ばし、次々と地脈から<気>を取り込み、人体の急所という急所に小さい<気>をぶつけていた。
 それごとに破砕音が轟き、隼人は後退する。
 猛攻にかけては息もつかせぬ早業を発揮する師匠は万力の鬼族相手に優位を示していた。






時任蔡 side

「―――むぅっ、ぐぉっ、つぁっ、ガッ」

 蔡は機械的に、効果的に、爆発的に攻撃を続ける。
 迎撃に繰り出される大薙刀は無駄に威力を使い果たし、虚空に散らしていた。

「くぉぉぉぉっっっっ!!!!!」

 わずかに体勢が整った隼人が渾身の斬撃を向ける。しかし、それは罠であり、あっさり躱わした蔡の杖が隼人の額を打った。

「ガッ」

 近距離戦闘では蔡が一枚も二枚も上手だ。
 一哉と同じ"総条夢幻流"だが、それは"気"の扱いのみで、戦闘術ではない。

「セッ」

 蔡は蔡で独自の戦闘術を修めている。
 それが独特の能力――気功使いと相まって、絶大な戦闘力を誇っているのだ。

「ぐっ」

 ここが勝負所とばかりに攻め立てていた蔡の動きが―――止まった。

(な、何だ!?)

 いきなり鉛のように体が動かなくなり、胃の中から急激に体温が上昇する。

(くぅ。まさかあいつに盛られたか!?)

 蔡は捕まっていた時の敵を思い浮かべた。
 あのニマニマした笑みはこれを予見してのことだったのかもしれない。
 見事に謀られた。
 緩慢になった意識の中、思考力だけは鋭敏になる。

(アイツは・・・・まさか"これ"が、目的・・・・っ!?)

 歪む視界の中、隼人の大薙刀が猛攻の隙間を縫って迫っていた。
 無意識の内に体は流れ、飛び退く。しかし、完全に避けきれるものではなく、空を切った刃に変わって伸びた石突きが左胸の上、鎖骨の下辺りを突かれた。

―――ドゴォォォォォォォッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!

「が、ぁ―――」

 まるでボールのように弾き飛ばされる。
 その先には頭を抱え、うずくまっている弟子―― 一哉がいた。
 その姿を見て、初めて会った時のことを思い出す。

(中身はまだまだ・・・・あの頃のままか・・・・)

 蔡は勢いを殺すことなく、一哉にぶつかった。



「―――メチャクチャだな」
「はい。・・・・普通の事態で、数時間でこうなりますかね?」
「間違いなく、特務関係だな」

 何者かに襲撃されたという集落に部下たちを連れたって乗り込んだ時任蔡は周りを見ただけでそう判断した。
 それは間違ってもいなかったし、間違えるはずもない状況だったが。
 地面や残った家屋を朱く染める液体や所々には布をかぶせられた山。

「で、生き残りっていうのは?」
「こっちです」

 集落はすっかり破壊され、特に中心部には何も、木材や生物体、金属類に至るまで何も残っていない空間に―――少年はいた。
 部下たちはサブマシンガンや拳銃を彼に突きつけていたが、蔡はすぐに止めさせる。
 圧倒的なまでの【力】を持った気配がその行動を敏感に感じ取っていたからだ。
 後から分かったが、それは一哉の父である熾条厳一だった。そして、もし蔡の制止が1秒でも遅ければ攻撃していたらしい。
 聞いた時は背中に冷や汗が流れた。
 何故ならその時点で自分は消滅していたのだから。
 焼け野原で呆然としていたのはもちろん一哉だった。

(―――抜け殻、か? 無理もないな)

 蔡は辺りの惨状を思い出し、幼き精神が壊れてもおかしくないと思う。
 一哉の腕には同年代と思える腕が抱えられていた。
 その断面から流れ出た血が彼を凄惨に彩っている。

「―――おいお前、口きけんだろ? ここで何があった?」

 横柄な物言いで詰め寄る調査員。
 そんな彼に反応することのない一哉の虚ろな眸はただ灰色の雲を映すガラス玉の印象を与えた。

「おいって」

 ガシッと無骨な手が一哉の小さな肩を掴む。そして―――

―――ジュッ

―――調査員の腕が焼滅した。

「―――ぎゃああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?」
『『『『『―――っっっ!?!?!?』』』』』

 虚ろな眸がまるで"何か"を流し込んだかのように爛々と輝き出し、彼の周囲に陽炎が生じる。
 一哉の劇的な変化に思わずその場の全員が後退った。
 その後、一哉は腕を抱えて立ち上がる。

『『『『『―――っ!?』』』』』

 ズザッと包囲網も広がり、やがてばらけ出した。
 一哉の発するあまりの殺気に怖じ気づいたのだ。

(く、マズイな・・・・)

 蔡は調査員が暴走する危険性を悟った。

「総員退避。ここは私に任せろ」
「し、しかし・・・・」
「隊長命令だっ」

 一哉の放つ殺気はすでに少年が放つものではなくなっている。
 これ以上この場にいれば、彼を傷付けずに保護することは不可能になるはずだった。

(私ならば、まだ戦える)

 蔡は退却する調査員を見送り、改めて一哉と向かい合う。

「さあ、少年。かかってきたまえ」

―――それから中国でふたりの姿を見た者はいなかった。



「―――あ、・・・・ツツ、ゲフッ」

 ボダダッとかなりの量の血液が喉を逆流し、口内に溢れる。
 全身がバラバラになるような痛みが走っていた。しかし、そんな痛みすら感じなくなっていく。

「あ、ぅ・・・・」

 蔡はぼやける視線の中、下敷きになりつつも支えてくれた弟子を見遣った。しかし、弟子は師匠の血に塗れようとも驚きはない。
 衝撃で頭痛が消えたのか、ただ静かに消えゆく生命の炎を見続けるだけだった。

「いいか・・・・一、哉・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 反応はない。だがしかし、これがこの弟子を構成する側面でもある。

「私・・・・仇は、ゴフッ・・・・あいつ、を朝霞に討・・・・せること、だよ」

 左腕に力が入らなかった。
 完全に砕けた肩の骨が神経を傷付けているようだ。

「あんた・・・・その手、伝いを・・・・すればいい、から」

 未だ動く右手を腕に抱き留めるようにして支えてくれる弟子の左頬に伸ばした。
 思い出す、初めて会った時のことを。
 まるで抜け殻のような姿は年を経ても変わらない。

「・・・・できる、よな・・・・? お前は、私の・・・・自慢・・・・弟子、だか―――ゴボッ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 蔡の口から溢れ出た血に反応し、わずかに眸の奥が揺れた。そして、何かが一哉の奥底に向かって沈んでいく。

(ああ・・・・すまないな、女童)

 蔡は瀞に謝った。
 先程の眸の動きを見るのは二度目。
 それは決していいものではない。

(まあ、今度は一気に全ての闇を祓ってくれ)

「それと、な。・・・・鬼族とは、別に・・・・厄介な、相手が・・・・い、る・・・・」

 だんだん視界に薄もやがかかり、指先の感覚もなくなってきた。だから、蔡は言葉少ないが、弟子には充分なヒントを残す。

「―――お前、たちに・・・・相対、する者・・・・」

 指が一哉の頬を滑り、パタリと手が地面に落ちた。










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