第七章「鬼と踊る後夜祭」/ 5



「―――ふん。陰形鬼も水鬼も好き勝手暴れておるわ」

 隼人は戦場の状況を知って満足なのか不満足なのか分からないため息をついた。

「死傷者ですが・・・・やはり手強く、特に初戦で強大な炎術師に10人死傷しました」
「何!?」

 隼人はどかりと座っていた道場の上座を蹴るようにして立ち上がる。

「10人だと!? ホテル襲撃に次ぐではないかっ!」
「は、はい・・・・。しかし、相手も無傷ではなく、今は消息を―――」

―――ドオオオオオオッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「「―――っ!?」」

 2人は本陣としていた道場から飛び出した。そして、音源を見遣る。
 それは結界の中ならどこでも見られるものだった。

「おいおい・・・・」

 火柱。
 地上でならば校舎の3階部まで達する巨大な炎が立ち上っている。
 火元は校舎の屋上。
 ならば彼を追い詰めているということになる。

(奴はここで消しておかなければならない。例え幾人犠牲にしてもっ)

「おいっ。ここにいる20人をお前が率いて奴を討てっ。もう顔は分かってるんだろ?」
「はい。では・・・・」

 側近はすぐに護衛の中から精兵を選び抜き、戦場へと走っていった。
 彼は隼人の側近を務めるだけあって部族の中でもトップクラスの戦闘力を誇る。
 彼が20人もの戦士を連れれば大抵の者は討ち取れる。
 鹿頭村の襲撃手筈を整え、先陣を走ったのも彼なのだから。

「―――首領。残りの護衛配置っすが・・・・どうしましょう?」
「・・・・とりあえず、この周りだけ固めろ。俺たちは少しでも敵が固まり出したらそこを衝く部隊だからな」
「へい。じゃあ、各所に見張りもつけやす」
「ああ」

 隼人はどかりと道場の上座に座り直し、戦況報告を待つことにした。






熾条一哉 side

(―――動いたっ)

 一哉は道場を見下ろす木の上にいた。
 すぐそこの結界外では後夜祭の花火を打ち上げている文化祭の同志たちがいるが、杪の力で完全に隔絶しているので安心していい。

(・・・・よし、20人も減ったな)

 1人が率いる形で鬼族の大部隊が戦場となっている校舎群に向かっていった。
 目指すはやはり火柱の上がったあそこだろう。
 これで本陣にいる鬼族の数は一桁になった。しかし、どれもがただ者ではない気配を放っており、真正面からで勝利を拾うのも大変だろう。

(ここでもう一計、か・・・・)

 減った20人は案外離れた屋上で派手に戦っている緋を「開戦早々10人討った猛者」と勘違いしたはずだ。
 実はすでに一哉は疲労困憊で満足に動けるか分からない状態だった。
 思ったより術式は疲れるらしい。

【―――いちやっ。あかねはどうすればいいのっ!?】

 無駄にハイテンションだ。

【とりあえず、敵の援軍が来たらやり過ごしてこっちに来るか、危ない奴を助けろ】
【りょうかいっ。・・・・でも、中庭ですーちゃんと鹿頭当主が暴れてて・・・・ちょっと離れた校舎裏でしーちゃんが暴れてるよっ】

 これはどっちに行こう? と言うものらしい。

【・・・・瀞にしとけ。あの2人は喧嘩しつつも相性良さそうだからな】

(鈴音はプロだし)

【鈴ちゃんを信頼してるんだねっ。いい兄妹愛だよっ】
【人の思考を勝手に読まないように】

 しっかり釘を刺し、一哉は次第にばらける護衛陣を見て作戦を決めた。

(やっぱり各個撃破だろ)

 どうやら鬼族は本営としている道場を中心に五角形を描くように護衛を1人ずつ配している。
 本営には3人くらいと首領だろう。
 いきなり本営に突撃するのも手だが、すぐに囲まれて玉砕する。ならば相手の手足をもぐしかない。
 緋の報告ではどうやら自陣の精鋭は少々手こずっているようだ。
 もし、敵本隊が頃合いと見て、参戦すれば敗北しかない。

(まさに一撃必殺が必要だな)

 刀の柄を握る。

(出し惜しみなしの戦いになりそうだ)

 一哉は覚悟を決めた。
 もう完全に日常を忘れ、非日常の自分に成り代わる。

("東洋の慧眼"は知謀ばかり有名だったが、その作戦を自ら実行する武勇を兼ね揃えていたんでね)

 闇の中、不気味に嗤う一哉はまさに不正規戦の得手がするように、ゆっくりと闇に溶けていった。






対水鬼戦 scene

「―――はっ。全く効きませんのッ!」

 鈴音は迫り来る十数本の水触手を一気に焼却して叫んだ。
 続いて迫りくる、地を這うような低空の攻撃も袂から抜き放った棒手裏剣――炎を纏った――がその場に縫い止める。

「ハッ」

 掛け声と共にドムッと棒手裏剣の炎が増大し、後続諸共吹き飛ばした。
 炎を迸らせるために振り下ろした鉄扇――<星火燎原>を再び地面と平行になるように構え直す。
 まるで翼を広げているような形なので両肩で空気を切るように走っていた。

「いくら燃やされようと屁でもないねっ」

 斬っても燃やしても無尽蔵を誇る水触手は水鬼を中心に暴れ回る。だが、鈴音を傷付けるには至らなかった。
 両者、一進一退を繰り返す変化の少ない戦闘はもう十数分に達している。
 その間、鈴音は常人以上のスピードを維持するという驚異的なスタミナを発揮していた。

「いい加減、出し惜しみは止めなさいですのっ」
「お前に関係ないじゃん。僕は僕のしたいようにするっ。指図するんじゃないッ」

 水鬼は縦横無尽に水を操り、迫ろうとする鈴音を押し返す。
 イソギンチャクを思わせる水は鈴音を押し包み、握り潰そうと動くものと貫こうとするものの二種類があった。

「くっ」

 幾度目かの攻撃はやはりエネルギーの無駄遣いで終わる。
 鈴音は水鬼の外周を回るように駆けるだけで一向にその距離は縮まらなかった。

(くっ。このままでは私の体力が磨り潰されますの。ってか、あの馬鹿鹿頭は何やってるですの!? ・・・・あら、同じ文字が続きますの)

「へっ。【熾条】の次期宗主はこの程度かよ。ってことは【熾条】の術者は見つけ次第殺せるじゃんっ」
「あら、この程度の力で【熾条】を愚弄いたしますの? 愚かしいにもほどがありますの」
「何だと!?」

 仰け反って顔面すれすれで触手を躱す。

「第一、『水鬼』って首領は藤原千方ですの?」
「隼人だって言っただろ? お前馬鹿か? ま、俺たちから四鬼を連想するのは合ってるぜ。なかなかいい頭してるじゃん」

(ということはこのレベルほどの使い手がまだ3人もいる上、首領はこれ以上、ということですか?)

「ありがとうございます。そういうあなたはベラベラとご苦労様ですの」
「はあ?」

 これほどの力を持つ組織がどうして秘密裏にいられたのか、何か裏に大きなものを想像できる。

(これは帰ってから・・・・御義父様に報告しなくてはいけませんの)

 幾度目かの奔流。
 刀の刃で逸らし、体を動かして回避する。

「ハハッ、耐えるなっ。どこまで続くかなぁ?」
「『どこまで』ではなく、『いつまで』でしょう? そんな言葉も間違うなど、やはり鬼族は脳まで筋肉ですの?」
「う、うるさいなっ」

 パターンも単調だが、ある一定範囲内では不可解で物量戦に出る鉄壁の布陣。
 いつか獲物が倒れるのを待つ、冷徹な戦法である。

(どこかに突破点はありませんの? このままではただ時間を喰うだけですの)

 鈴音は多少焦り出した。
 この戦場に自分ほどの使い手は結城方に3人。鹿頭に2人(+1ぴき?)だ。
 鬼族の少なくとも5人は直系でしか相手ができない。そして、こちらの動員数を上回るのだ。

(劣勢にもほどがありますのッ)

 鈴音は四鬼が揃っていると勘違いしているが、劣勢といえる戦況なのは変わりない。

「と・に・か・く、安心しな。お前はここで倒れるんだ。後のことは心配しないでいいじゃんっ」
「私、【熾条】をもっと強くするという野望が御座いますの。残念ですが、ここで倒れるわけには参りませんの」
「へぇ、その強くする奴が俺に傷ひとつつけてないじゃん?」
「あなたも、ね」
「減らず口もいつまでかな!?」
「あら、今度はちゃんと使えましたのね。学習能力はあるようですの」

 水と炎。
 言葉と言葉。
 激化していく戦闘は文化祭最終決戦、緒戦での一哉によって破壊し尽くされた中庭をさらに崩していく。
 さながら倒壊したビルの瓦礫を塵となるまで磨り潰すかのように。



「―――あはははっっ。僕の水にそんな温い炎は効かないんだよっ」

 喜々として水を操る水鬼は反対側にいる朝霞にも牽制の水を放っているが、明らかに興味は鈴音に向いている。

(冗談じゃないわよっ。後からしゃしゃり出てきたくせにッ!)

 朝霞は怒りで柄を握り締め、申し訳程度に来る水を払い除けていた。
 視界の端を炎の閃光がかすめる。
 それは部下の者だろう。
 すでに戦いが始まって1時間が経過していた。さらに言えば朝霞が戦闘を開始してから30分近くだ。
 本陣の機能が停止しているために味方がどこでどんな風に戦っているのか分からない。だが、生徒会棟へ向かうように風が流れていることから結城が戦闘中なことは分かった。

「―――鹿頭もこの分じゃ雑魚の集まりだな。こんな奴らに手こずるなんて隼人も末期じゃん。この戦いの後、僕がアイツを倒して首領の座を奪ってやろうじゃんッ」
「はあ? 何言ってるのかしら!? 『熾条が弱い=鹿頭が弱い』の図式は気に入らないわッ」

 矛を刺突の構えに持って行き、その穂先から炎を撃ち出す。
 それは水鬼を守る水に阻まれたが、爆風を水鬼に叩きつけた。

「―――っ!?」
「そうですの。私は『熾条強い=鹿頭弱い』の図式を提案しますの」
「はあ!?」

 殺気剥き出しで鈴音を睨みつける。

「あら、私はホントのことを言ったまでですの。そんなに過敏になるなんて・・・・図星ですの?」

 ツンッと顎を逸らして思い切り朝霞を見下す鈴音。―――それでも水鬼の猛攻を凌ぎ、炎術が乱れないのはさすがと言えよう。

(コイツひとりに任せて私はどこか別の奴と戦おうかな―――ん?)

 半ば本気で考えていた朝霞は水鬼の握り締められた右手に違和感を感じた。
 左手は竹筒を持ち、忙しげに振り回されているが、右手には何も持っていないはずだ。それなのに、握り締める必要が―――

(あ・・・・。手のひらに握り込んでるのか。それなら見えないのも納得)

 触手の束を穂先で貫き、霧散させた納得できる考察にわずかに頷く。しかし、ここで新たな疑問が沸いた。

(・・・・何を?)

 普通なら隠し武器とかだろうが、水鬼は「水」だけあってあの竹筒しか使いそうにない。

(そう言えば・・・・)

 水鬼が鬼になる時、水の中で何かが光っていた。
 てっきり眼かと思っていたが、彼は一つ目ではない。

「とにかく・・・・仕掛けるしかないかしら」

 <嫩草>を振って火球を作り出し、次々と水鬼向けて撃ち放った。

「ええいっ。うざいわっ」

 ドバッとでもいうように今まで鈴音に向けられていた触手が朝霞を捕らえんと迫り来る。
 その膨大な数――というか壁――に無駄と知りつつも釣瓶打ちを開始した。
 目的はただ一点。

「寡兵でも戦力を集中すれば中央突破は可能なのよっ」

 水に何かを投げ込んだ時にできる穴を通るように、火球でこじ開けた空間に突撃した朝霞は同時に水鬼の右手目掛けて槍投げのように矛を投擲する。そして、背後に従えてきた最後の火球を竹筒に向けた。

「のおおおおおおおおお!?!?!?!?!?!?!?!?」

 過剰に反応して水鬼は猛攻から避ける。―――まず、右手から。

(優先度は右手の方が上なの―――っ!?)

 頭上から水が落ちてきた。
 深入りしすぎたために避ける暇もない。

「うわっ、わあああっっっ!?!?!?」

―――ドンドンドンッ!!!!!

「―――何をやっているですのッ」

 3つの炎弾はあますことなく頭上の水を蹴散らし、朝霞の腕を引いて助け出した。

「全く、役に立つならまだしも・・・・足を引っ張るなんて最悪ですの」

 仏頂面で着物の裾をはためかせて距離を取る鈴音はドンッと押しやる。

「邪魔ですから。去るなり大人しく観戦するなりなさいな」

 うねうねと再び数を増やした水触手を睨みつける鈴音は周囲に炎を従えていった。

「ま、あそこで突貫し、もう少しでダメージを与えられそうだったことは褒めて差し上げますの」

 苦境に遭っても鈴音の態度は揺るがない。
 いろいろと反論したかったが、今そうすれば全く話が進まない上に永遠にその機会が失われるような気がした。

「・・・・アイツ、右手に何か隠してるのよ」

 鈴音の耳元にほんの囁き声で言う。
 それは自分でも聞こえるかどうか、だった。

「・・・・まさか、それを確認するために?」

 鈴音は驚いた風に振り返る。

「悪かったわね。その通りよ」

 憮然としてそっぽ向く朝霞にポツリと鈴音の呟きが届いた。

「どうにかして右手を開けさせますの。成功すれば・・・・頼みますの」
「え?」

 ドドドッと炎弾が放射される。
 同時に水も蠢き、大々的な総力戦に発展した。
 地を這うような低空から、鋭い弧を描いて頭上より、まっすぐのスピード重視の中空。
 鈴音と水鬼を結ぶ線を埋め尽くすように緋色の閃光が駆け抜け、触手とぶつかって眩い爆発を起こす。

「くっ」

 水鬼があまりの猛攻に呻いた。
 先程の戦い方ではない。
 これまでは絶対に体に触れさせないという意志を込めた、言わば綺麗な戦いだった。しかし、今は―――

「ハァッ!」

 鉄扇を一閃する。
 その銀光が赤光に代わり、レーザーのように水鬼を目指した。
 その代わり、着物の裾が尖った触手に貫かれる。
 大半は布だったようだが、肌にも掠っていたらしく血が足袋を朱く濡らした。
 それはこの戦いで初めて水鬼が初めて鈴音にダメージだ。

「グフッ!?」

 だが、レーザーのような炎が根こそぎ刈り取った触手の間を駆け抜けた数個の炎弾が大きく水鬼を吹き飛ばす。そして、鈴音はそれまでしていなかった追撃を始めた。

「・・・・あ」

 間抜けな声をわずかに開かれた口から漏れる。
 爆音がわずかに遠離った時、我に返った。

(アイツ、私に『よろしく』って・・・・。それって・・・・)

 信じられない面持ちで太刀を片手に炎を繰る鈴音を見つめる。

(【熾条】が【鹿頭】に共闘要請!?)

 両家の歴史を知る者からは絶対に信じられないことだ。

「ふふ・・・・」

 傍目から危ない笑みと声を漏らした。

「やってやろうじゃないかしらッ」

 咆哮と共に<嫩草>から炎が溢れ出す。
 今、炎を背負う朝霞の中には鹿頭の歴史に対する背徳感が沸々と闘志に変換されていた。



「―――っ!?」

 鋭く尖った触手の切っ先が刀を振り上げていたために露わになった鈴音の白い腕を傷付ける。しかし、鈴音は痛みを堪え、刀身に巻き付いた炎を放出した。

「どああああっっっっ!?!?!?!?」

 直系の【力】を以てしても、水鬼の肌を浸食することができない。だが、確実にダメージを与えていた。―――双方共に。

「へっ。持久戦止めて短期決戦ていう消耗戦かよ。・・・・いいぜ。付き合ってやる。鬼族との体力の差に絶望しなッ!」

 ドドドッと竹筒の口から破裂するように大量の水が湧き上がる。また、辺りに散っていた水滴も集まり出し、強大な水のタンクが水鬼の頭上に現れた。

「今までみたいな小出しじゃねえぜ。一気に行くッ」
「―――っ!?」

 言葉通り、今までうねっていた触手がまるで一本の槍かの如く速く、鋭く飛んでくる。

(一本ずつ弾いてたら間に合いませんの)

 鈴音は対処として最も果敢なものを即決という形で選択した。

(一気に燃やし尽くすしかありませんのッ)

 急速に鈴音に向かって<火>が集まり出す。そして、それは視える者にしてみれば竜巻だった。
 鈴音に辿り着いた<火>はその上に向かって渦巻き、顕現の時を待っている。
 同時に鈴音の意に従った<火>が各々の決められた場所へと散っていった。
 炎術の基本術式ながら有数の攻撃力を誇る術式。
 直系の【力】を以てして編まれたそれは<火>に歓喜の声を上げさせる。

(お兄様、これが本物の構成された炎術。あなたの即興では為し得ない威力を孕んだ真正術式ですのッ)

 心の内で兄―― 一哉に宣言した。

「"火幹流"ぅぅぅッッッッッッ!!!」

―――ドォォォォォォッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!

 鈴音のすぐ前で大きな火柱が上がる。
 それは水の奔流を真っ向から受け止め、噛み砕き、八つ裂きにした。

「さあ、今度はこちらから―――いない!?」

 緋色のカーテンが晴れた時、そこに水鬼の姿はない。

(どっしりと腰を据えて戦う術者タイプかと思っていましたが・・・・なかなか戦場を疾駆する戦士タイプですの?)

 こういう時は動かぬが吉、とばかりに鈴音は一切の動きを止めた。―――表面上は。
 精神では炎術をもうひとつ起動させようとしているのだ。
 さっと視線を走らせると朝霞も水鬼を見失っているようだ。

(使えませんの)

 どうして兄はあんなのを重宝しているのだろうか。

(まさか、人を見る目がないのでは・・・・?)

 朝霞と一哉に対してかなり失礼なことを考えている間にもうひとつの術式の準備は終わった。
 後はタイミング次第だ。

「どこへ行ったの、この卑怯者ッ! まさか逃げたんじゃないでしょうねッ、この弱虫ッ! いまさら臆病風に吹かれたのかしら!?」

(ナイス挑発ですの。さすがは兄が見込んだ方)

 先程、「使えない」と判定したはずなのにあっさり意趣返しする鈴音。
 こういう調子の良さは【熾条】の遺伝かもしれない。

「―――誰が弱虫だッ!」

 朝霞の近くにある花壇の影から水鬼が飛び出した。
 どうやら中庭の花壇の裏を利用して回り込んだらしい。

「―――っ!?」
「お前の方が弱いからな。邪魔者は先に倒させてもらうぜッ」

 竹筒から溢れ出した水は朝霞を押し包まんと―――

「―――舐めないでッ!」

 ドンッと矛の石突を地面に叩きつける。すると、そこから湧き上がった目映い緋色の炎が朝霞を包んだ。さらに朝霞は穂先を鈴音の方向に向けて突き出す。
 ドバッと重い液体が弾ける音を立て、包囲網の一角が崩れた。
 そこから朝霞は何の執着もなく逃亡を図る。しかし、それは水鬼に背中を向けるということ。

「へっ。改めて鹿頭当主―――」
「「――――――――――――」」

 咄嗟に動き出そうとしていた鈴音と全速前進にて危険区域を脱しようとする朝霞の視線がぶつかった。

(そういうことですの・・・・)

 焦ったために乱れた術式を整え直し、タイミングを計る。

「討ち取ったぁぁっっ!!」

 水鬼の発した水は鋭い切っ先を以て朝霞――正確には炎を纏う――を貫いた。

「ムッ!?」

 貫いた瞬間、炎はパッと散って消える。
 そこには串刺しにされた朝霞はいなかった。ただ、"何もない空間"を通り抜けた触手が空しく蠢いているだけ。

「な―――ど、どこに!?」

 "炎を纏う"という分かりやすい目印に目を奪われていた水鬼は気が付けなかった。

「―――セアァッ!!!!」
「―――っ!?」

―――炎を残し、脇に転がって触手をやり過ごした朝霞に。

―――ドゴォォォォッッッッ

「―――オブッ!?」

 左脇からの矛のフルスイングに水鬼は吹き飛ぶ。
 腰を殴打した<嫩草>の柄は見事にコントロールされ、宙を飛ぶようにして水鬼は鈴音の下へと数メートルの飛行を体験していた。

「後は頼んだわよ、熾条っ」
「ご心配なく、ですのっ」

 見事に計算された戦術。
 そして、これが一哉から学んだのであろう熾条一哉流戦略――「釣り野伏せ(改)」
 己の策がうまくいったと思わせて転覆させる、極悪非道・効果覿面の必勝戦法だ。

「くそぉっ」

 水鬼が鈴音に向かって水を放つ。

―――ドオオオオオオッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 同時に湧き起こる近くの屋上での火柱。
 その光が中庭を包み込み、昼間同然に染め上げた。

「―――なっ!?」

 そんな中、またもや攻撃目標が水鬼の視界からゆらりと歪んで消失する。

「―――夢幻一刀流・・・・」

 触手が通過したことで鈴音がいた辺りの空気がゆらりと流れた。
 そこで水鬼も気が付く。
 彼女は一歩も動いてはいない。そして、自分は完全に彼女の間合いに入ったことを。

「くっ」

 回避行動に移る水鬼。

(もう、遅いですのッ!)

「―――"外式・幻夏緋牡丹"」

―――ザンッ

 鈴音の鉄扇――<星火燎原>は見事、水鬼の右腕を一刀両断した。

「アあ゛ああ゛あアあ、ア゛あああ゛アアッッっッッっ!?!?!???!?!?!」

 絶叫が水鬼の口から溢れ出る。しかし、それは腕を両断された痛みではなく、斬り飛ばされた腕の行方を追ってのものだった。
 斬撃は斬り上げだったので、腕は高く空を舞い、水鬼の後方――朝霞の方向へと血の筋を引きながら飛んでいる。
 届かぬと分かっているはずなのに"竹筒を捨て"て左腕を伸ばす水鬼。
 その顔が絶望に彩られていた。

「はぁぁぁぁっっっっ」

 朝霞は両手で柄を握り、矛を振り上げて待つ。
 その漆黒の穂先はいつもと持ち方を変えているため、飛んでくる腕に向いていた。

「ヤ、ヤメ―――」
「はぁッ!」

―――ドシュッ

 無骨で骨張った手を鋼の穂先が貫く。
 まるで鶏の足の骨のような指を切り裂き、切り落として穂先はきつく握り込まれた『モノ』に到達した。

―――キシッ・・・・・・・・パァンッ

 何やら球体の表面耐久力が鋭い穂先に陥落する。そして、穂先の後に潜り込んできた炎によって手ごと爆砕した。
 砕けたのは青色の珠。

「あ・・・・あぁ・・・・」

 カランッと膨大な水を排出し続けていた竹筒が地面に落ちる。しかし、水平になった口からは何も出てこなかった。

「あ・・・・あぁ・・・・ぁ・・・・うぅ・・・・」

 水鬼からも覇気が抜けている。
 最早彼は抜け殻だった。

「さようなら、ですの」

 絶望で四つん這いになった水鬼の背後で鈴音がすっと<星火燎原>を振り上げる。

「はぁっ」

―――サシュッ

 勢いよく振り切られた鉄扇は朱く濡れ、水鬼の首は容易く胴と分かれていた。
 水鬼の首からはまるで噴水のように血が噴き出し、鈴音を染め上げる。しかし、勝者となった鈴音は敗者の血に怯むことなく、その死を受け止めた。

「―――あふ・・・・」

 血の噴出が止まった時、鈴音が水鬼の遺体の側に膝をつく。

「だ、大丈夫かしら!?」

 わたわたと朝霞が近くに寄ってくる。
 その表情が滑稽で少しおかしかった。

「うる、さいですの。こんなの掠り傷ですの。っていうかこっち見るなですのッ!」

 "外式・幻夏緋牡丹"を放つ時、鈴音の姿が消えたのはそこから鈴音がいなくなったのではない。
 ただ刀身が纏う炎があまりの高温なために蜃気楼が発生し、一時的に水鬼の目を惑わしただけだったのだ。
 つまりは鈴音の体は最後の猛攻で至る所に傷を負っている。

「馬鹿っ。ひどい傷でしょう。あなた、私に散々迷惑かけるなって言ったのにこんなとこで意地張って私に迷惑かけるでくれるかしらっ」

 一喝して自身の炎を篝火にして鈴音の容体を看た。

「あ〜あ、高価な着物ボロボロにして」

 無惨にも引き裂かれ、戦闘前までの艶やかな物ではなくなった着物。

「いいのです。これくらい、【熾条】にとって端金ですの」
「・・・・あなた、いつかそれで資産食い潰すわよ」
「ふん。損害以上の利益を得ればいいのですの」
「うわ、改める気ないわ、コイツ」

 そう言って朝霞は髪をまとめていたリボンを解き、未だ流血する傷口を縛った。

「―――ッ。手当なんて必要ないですの。これくらい、すぐに止まりますのよ」

 それは確かだ。
 鈴音は一哉ほどではないしも直系術者としてあまりある"気"を有している。

(お兄様は規格外ですの。何せ守護獣を従わせているのですから)

「でも、あなたかなり術式使ってなかったかしら? それで治療に回すだけの"気"が残ってる?」
「う・・・・」

 これも確か。
 必殺技としている"外式・幻夏緋牡丹"は鈴音のオリジナル術式にて膨大な"気"を必要とするのだから。

「とにかく、あなたはしばらく休憩してなさい。私はすぐに動けるレベルだから」
「死ぬ気ですか、貴女は」
「は?」

 鈴音はすぐにでも戦場に駆け出しそうな輩に言う。

「敵は水鬼のようなレベルの者が後、3人もいるのですよ? 単独行動は命取りですの」

 ゆっくりと膝に力を入れ、立ち上がった。
 生意気だが、こういうのを飼い慣らしてこそ意味があると思う。
 熾条と鹿頭の軋轢。
 それが鹿頭が再び熾条に従うということが自分の功績で成されれば自分はさらに宗主に近くなる。

(そのためには・・・・死なすわけにはいかないですの)

 自分でも最悪な理由だと思う。だが―――命を救ってやるには変わりない。

「―――3人もいないわよ」

「―――え? 今何と?」

 さらっとした口調で信じられないことを言った。

「だから、3人もいないって言ったのっ」
「どうして分かるですの?」
「首領・・・・隼人、だっけ。とにかくそいつは自分の思い通りに動くか分からない奴を何人も連れ込むような奴じゃないの」

 断定された言葉。
 その根底には一度だけ遭ったことのある者だけが知るものがあるのだろう。

「アイツは信用した者しか・・・・身内しか大事なことを任せない。きっと水鬼たちが来たのは【結城】が参加するから。だから、いてももう1人。しかも、ソイツは"風神雷神"かもう1人の直系が相手してる。だから、私が校舎に入って戦っても出てくるのは普通の鬼族だけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(恐怖の記憶は残りやすいと言いますが・・・・それを判断材料にしてしまう割り切りの良さは褒めて差し上げますの)

「・・・・でも、いくらそんな規格外がいなくても・・・・幹部は、いるのよね」

 朝霞がとある一点を見て固まった。
 闇の中でも分かるほど蒼褪めている。

「―――驚いた。水鬼を討ち取っているとは」

 本当に感心した声が中庭に響いた。

「久しぶりだな、小娘。あの夜以来か?」
「ええ本当に、私も会いたかったわよっ」

 爆発的に燃え上がる朝霞の炎。

「こちらは大人数でとあるところへ移動中だが・・・・遊んでやるか」

 男の後ろには20人ほどの鬼族が並んでいる。

「望むところよ。そっちこそ、念仏はすませたかしら!?」

 朝霞が漆黒の穂先を鬼族に向け、鈴音が鉄扇を構えた。
 こうして中庭はこの夜で三度目の戦乱の舞台となる。そして、始まりを告げるかのように轟音と閃光が中庭を突き抜けた。










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