第五章「炎の一族」/ 9



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 香西は彫刻刀を持ち、ずっと木を削っていた。
 集中した大柄な体から発散される雰囲気は張り詰めたもので居合わせた者を否応なく、その場所に縛り付ける。

「おい、香西どうしたんだ?」
「分かんねえ、俺もここに帰った時からこうだった」
「香西くん、細かい作業できたのね」
「ホントね。でも、何してるんだろ?」
「訊けば?」
「嫌よっ」

 鹿頭家は今、音川の地理を覚えるために散歩を科せられていた。
 一哉曰く「地の利を確保しておいた方が後々便利だ」ということらしい。
 根城は未だ旧地下鉄音川駅。
 一応、一哉が現代兵法からの視点で防衛策を採っていた。

「・・・・むっ」
『『『―――っ!?』』』

 香西の声にビクゥ、と数人の肩が跳ねる。

「・・・・ど、どうしたんだろ?」

 恐々とひとりの女性が香西の手元を覗き込んだ。

「うわぁっ!? 香西さん、血、血ィ!」
「・・・・失敗してしまった」

 ダクダクと血を流す親指を無表情に見つめる香西は手拭いを探す。しかし、手を振った拍子に血が飛び、今まで作業していた木に付着した。

「―――っ!?」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 何とも言えぬ沈黙がフロアに満ちる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「うわ、落ち込んじゃったよ」
「血で汚れたのがいけないのね」
「ってか、やっぱ不器用なんじゃね?」
「不器用なのにあんなことを? ・・・・健気ね」
「それ、何か違うと思うぞ、絶対」

 ずーんと落ち込んだ影をまとった香西はすぐに復活を果たすと次の木を取り出した。
 辺りを見回せば木の残骸が転がっている。
 相当苦労しているようだ。

「ま、まあ、香西。次の頑張ればいいさ。・・・・何作ってるか知らないけど・・・・」

 ひとりが落ち込む彼の肩に手を置いて励ました。

「・・・・位牌」
「え?」
「位牌を作っている。これも菩提寺住職の務めだ」

 香西はせっせと不慣れな手つきで木を削り始める。
 その背中を他の者たちは見ることしかできなかった。
―――轟音が駅内を揺るがすまでは。






渡辺瀞 side

「―――うがぁッ! そうじゃないって言ってんでしょぉッ!」

 メガホン片手に「監督です☆」と巫山戯た文字を背中に書いた半被を着た少女がバシバシと壁をメガホンで叩きながら言った。

「瀞はもっと熾条に寄り添うのッ! そんな遠慮しなくていいから押し倒すくらいの勢いで行っちゃいなさいッ! 熾条も男なんだから小柄の瀞くらい抱き留められるわよッ! ねえ!?」
「まあな」

 一哉は肩を竦め、台本に目を落とす。

「ぅぅ・・・・ごめん」

 瀞は申し訳なさそうに小さくなり、一哉の方を見るが、絶対に気が付いているはずなのに目を合わしてくれなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」

―――ブブブ

「ん?」

 一緒に置いた荷物の中の一哉の携帯がバイブで揺れながら光を発している。
 何かを着信したようだ。

(まさか・・・・っ)

 一哉は無言でその内容を確認し―――

「・・・・・・・・・・・・悪い、ちょっと俺抜けるわ」
「あ〜、うん。分かった。戻ってくる時までには瀞に活入れとくわ」

 ヒラヒラと一哉の方を見ずに手を振る監督。
 その視線はまるで獲物を見つけた飢えた猛獣のように瀞を見ていた。しかし、瀞は一哉を眺め、それに気が付いていない。

「いち―――っ!?」

 一瞬の流し目。
 たったそれだけで身が凍ったように動けなくなった。

「しっずかぁッ! こうよ、こうっ」
「きゃああああっっ!!?」

 ドン、と衝撃。
 突然、横合いから飛びつかれた瀞は耐えることができずに飛びついた者諸共床に転がった。

「なぁ―――ってどこ触ってるのぉ!?」
「ムフフ♪ 瀞柔らかぁい―――ゲヘッ」

 至福の笑みを浮かべる監督はそのままの表情で崩れ落ちる。

「こ、杪ちゃん・・・・。ありがと」
「いい」

 ポイッと監督の少女を後ろに放り投げた。そして、瀞の腕を取って立ち上がらせる。

「来て」

 テクテクと歩き出す杪の先にドアに腕を組んでもたれかかっていた綾香もいた。



―――キィ〜

 やや油を差すことが必要と思える音を立てて屋上の扉が開かれる。
 秋風は開け放った者たちのスカートをはためかせた。
 少女たちの中で極めて長い髪を持つ者は乱れようとする髪を押さえた。

「―――はふぅ」

 瀞はハードだった練習の疲れからか、床にへたり込むようにして座る。
 ここ数日の無理な演技に疲労はピークに達していたのだ。

「瀞。単刀直入に訊くわ」

 綾香は座らずにフェンスにもたれている。
 杪はまた何故かお茶の用意をしていた。

「熾条に、何かされた?」

 気持ちのいいほど単刀直入である。

「・・・・・・・・ううん、一哉は何もしてないよ・・・・」

 そう言いつつただでさえ鬱だった気分がもっと落ち込んだような気がした。

「そう・・・・。―――だったら何を言われた?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 綾香は追求の手を緩めない。
 是が非でも何があったか聞き出したいのだろう。
 それは杪も同じらしく、お茶を点てながらキラリと眼鏡を光らせていた。

「・・・・一哉が・・・・何かしてる」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 黙って聞いてくれる。

「でも・・・・私は知らなかったの。・・・・だから、だから問い詰めた」

 戦いたかった。
 戦いは嫌いだ。しかし、知り合いが、一哉が血を流すかもしれない戦いをしているのに、安穏と日々を暮らすのが嫌だった。
 自分には戦う力がある。
 だから、守られるのではなく、守るために使うと決めた。
 一哉は守られるような弱い人物ではない。それでも、自分の存在が少しでも彼の支えになり、また戦略の一端を担いたかった。

「でも・・・・ぅぅ・・・・」

 声に嗚咽が混じる。
 今日、一哉は普段通りだった。―――自分を避けている以外は。
 さらりと意識の外に置いている。
 それが暗黙の拒絶となって瀞を苛んだ。
 昨日の少女の『越権行為』と言う言葉が胸に深く突き刺さっている。

「うう・・・・うぅぅ・・・・っ」

 ポタポタと大きな瞳からこぼれ落ちた液体が屋上のコンクリートを灰色に変えた。
 それはだんだん面積を増やしていく。
 杪は言うことがないのか、ずずっと茶を啜る。
 香りの良い琥珀色。
 間違いなく玉露だ。

「熾条は瀞の応援を拒絶したのよね?」
「ぅぅ・・・・」

 コクリと頭を動かした。

「晴也から聞いたけど、あの中等部の女の子、生徒じゃないわ」
「・・・・・・・・・・・・外から頼ってきたってこと?」

 わずかに働く頭は綾香からの情報を的確に処理する。

「そうね。そして、言い訳に炎術師、と言ったことから、彼女も炎術師で・・・・熾条宗家が絡んでる可能性もあるって。それに熾条は対抗してるんじゃないか、ってね。それを根拠として晴也も言外に関わることを拒否されたわ」

―――例え、この地が結城の管轄でもね。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞は俯き、黙り込んだ。
 晴也も心配し、いろいろ動いていたのだろう。
 失礼だが、綾香にここまでの理論展開が出来るとは思えない。

「結城くんも・・・・断られたんだ・・・・」

―――じゃあ、私は断られて当然だね。

 そう言って静は自虐気味に笑う。
 この地で一哉と一番親しいのは晴也だ。
 彼らは高い情報処理能力で多くの情報を捌くことが出来る。
 おそらく、暗部情報部が作り上げた鉄壁と言われるセキュリティーも難なく突破するだろう。
 そんな彼らは視線のみで己らの言いたいことを判断できるほど親しい。
 それでもダメなのだ。
 急場でオロオロするだけの自分は邪魔者以外の何者でもない。

「そうだよね・・・・。いくら【力】があってもそれを生かすだけの能力がないものね」

 素質は充分。しかし、それだけ。
 それを運用する実践力・実行力がないのだ。

「ああ、もうッ」

 イライラするっ、と地団駄を踏んだ綾香に杪は茶を勧めている。しかし、綾香は玉露を突っ跳ね、一瞬で間合いを詰めてきた。

「え? ―――っ!?」

―――ガシャンッ

 胸ぐらを掴まれ、フェンスに押しつけられる。
 屋上なので後がないのだが、そんなのお構いなしにフェンスが軋みを上げるほど、力一杯押しつけられた。

「―――分かんないの!? あたしは熾条宗家が関わってるかもしれないって言ったのよッ! 名実共に結城宗家最前線の晴也が関わったら、下手すると結城・熾条戦争に発展すんのよッ! だから、断られたのッ! でも、瀞は渡辺と距離を置いてるでしょッ!?」

 これは本当だ。
 瀞は渡辺宗家の相続権を辞退し、家を出た。しかし、養育費は未だ叔母に頼っており、その代金は大事の時、【渡辺】に戦力を提供する契約を結んで賄っていた。
 それでも、家を出たことには変わりない。
 つまり、瀞も一哉と同じ在野の精霊術師でその他、どんな組織にも関わりがないのだ。

「じゃあ、どうして私は拒絶されたの?」

 殺気こそ漂ってはいないが、充分相手を威圧する綾香の視線に目を泳がせながら、核心を訊いた。

「知らないわよッ。あたしは熾条じゃないのッ、そんなこと本人に聞いてこいッ!」

 綾香は瀞の縋るような問いを見事に一刀両断する。

「別に熾条は消えたわけじゃないしッ、家に帰ってこないからっても学校に来てるでしょうがッ! それはね、舐められてるのよ、アンタがッ! 『あれを言えば何も言ってこないだろう』って思われてるのッ。・・・・でも当たってるわね。たった一言で瀞は動けないんだもの」

 綾香は熱くなっていた頭が冷えたのか、ようやく瀞の胸ぐらから手を離した。
 拳を押しつけられていた胸元はうっすら赤くなっているだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・綾香は知らないからだよ。拒絶されるのを・・・・。小さい時からずっと結城く―――」
「知ってるわよ。拒絶されるような思いくらい」
「え?」

 俯けていた顔を上げた。

「あたしもね、捨てられるかと思ったことくらいはあるわ。でも、それをグジグジ悩んでてひどい目にあった。もう少しで取り返しの付かないことになるところだったわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 さっぱりと語る綾香の横顔を呆然と見遣る。そして、同時に綾香がどうして怒ったのかが分かった。

(このままだと・・・・もう戻れない・・・・?)

 一哉は他に家を持つのだろうか。
 もう、話しかけてくれないのだろうか。
 もう一緒にいられないのだろうか。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヤダ。このままなんてヤダ」
「―――なら行く」
「「うわっ」」

 突然、かかった声に2人して振り返る。
 そこにはいつの間にかお茶セットを片付けた杪が立っていた。

「駅方面へ疾走の目撃情報」
「え? 駅? でも、あそこは―――」

 閉鎖されているはず、と続けようとして気付く。
 "だからちょうどいいのだ"

「・・・・行く?」
「うん。もう分かったから、綾香の言いたいこと」
「そ。あたしも山神宗家の人間だから表だって戦えないけど・・・・何かあったら・・・・」
「うん。ありがと」

 ニコッと吹っ切れたような笑みを向ける瀞。
 それは杪にも向き、そして、迷いない足取りで扉へと向かった。

「絶対、一緒にいてみせるから」

 立ち向かうと決意した声。

「「がんばれ」」

 2人の声援を背に受け、瀞は意気揚々と出陣した。






熾条一哉 side

「―――何があった?」

 一哉は朝霞を伴い、駅の構内で待っていた鹿頭家の者に訊いた。

「鬼族の者が侵入してきて・・・・お互いを認識するなり戦闘になったんです」

 彼は痛みを堪えて答える。
 その右腕には真新しい血に染まった包帯が巻き付けられていた。
 鹿頭の者たちは朝霞に説明され、すでに一哉が協力することを是としている。だから、特に反感もないし、自分たちの潜伏やその他諸々の雑事を瞬時にこなした手腕に感心していた。

「・・・・バレたか。まあ、ここが一番この町で怪しいからな・・・・。トラップなどは?」
「ボロボロでしたからあっても突破したかと・・・・」
「耐久力を予想し間違えたか・・・・。まさか手榴弾の爆風でも戦えるレベルを維持するとはな」

 侮れん、と一哉は平気そうに呟くが、内心は焦っていた。
 手榴弾の爆風は横一方からのものだったが、その先にはすぐ壁がある。
 衝撃が跳ね返り、左右から圧縮するように調節していた。
 それを切り抜け、尚且戦闘までできるとは信じられない。

「・・・・タフだなぁ」

 思わず呟いた声音に隣の朝霞が眉を跳ね上げた。

「ちょっと、大丈夫なのかしら? 太鼓判を押したんでしょ?」
「さあ? とにかくここから移動した方がいいのは確かだが、普通に出れば鬼族の大軍団と鉢合わせ、ってことがあるからな」

 一哉はぐるりと辺りを見回す。
 どうやらほとんどの鹿頭術者が帰還しているようだ。
 これならすぐに移動できる。

「ここからさらに下に下りる。下は瓦礫諸共焼却してあるから歩きやすいだろ。そこから線路を伝って、途中にある作業員入り口から地上に出ろ。それと―――」


「―――このようなところで地下組織を作ってどうするつもりですの?」


『『『―――っ!?』』』

 バッとその場の全員が飛び退くようにして声の主を捜す。―――但し、一哉は明確な殺気からある方向から視線を逸らさずにいた。

「誰!?」
「あなたのような小娘に名乗る名などありませんの」

 未だ処理されていない瓦礫の向こうの通路から和服姿の少女が下りてくる。
 年の頃は朝霞と同じ――高校生と言うには少し幼い感じだ。

「それに時衡、あなたは何をしているのですの? 私(ワタクシ)は心配して捜索部隊をも設けたというのに」

 少女が睨みつけるように鹿頭の者から一歩退いて立っていた時衡を見遣る。

「お、お嬢様・・・・。何故ここへ?」

 時衡の表情は思い切り引き攣っていた。
 いつも表面はともかく、中身は冷静な彼には珍しい。

「ってか、お嬢様ってことは・・・・」
「はい。私は熾条宗家当代直系次子――熾条鈴音ですの。一応、現時点では次期宗主の地位にいるのですのよ」
「「宗家・・・・」」

 一哉と朝霞の呟きが漏れる。
 前者は何の感情も含まれず、後者は怨嗟に満ちていた。

「時衡、説明してくださる? あなたは『熾条の将来に関わる極秘任務』ではなかったのですの? どうして私が捜していた対象を鹿頭の者たちと共謀して護衛しているので?」

 鈴音は右腕を下に傾け、袂から滑り降りてきた扇子を一振りする。するとそれは大きな鉄扇に変貌した。
 返答によっては殴り捨てるという態度。

「これは・・・・事情があるのです・・・・」

 明らかに時衡は腰が引けていた。
 これが直系と傍系の違いなのだろうか。

「ええ。あなたは【熾条】に忠実な術者ですの。さあ、事情は後で聞きますから、まずはそこの者を連れてきなさい」

 鈴音の視線は一哉を射抜いている。
 まるで連れてこればそのまま殺すというような眼光に一哉は呆れて肩を竦めた。

「話が見えないが・・・・なるほど。俺の下に宗家の術者が来ればやることはひとつだな」
「・・・・俺は違うっすよ」
「ああ。分かってる。―――しかし、情報では鷹羽家のはずだが?」

 一哉も応戦できるように腕時計を<颯武>に転じている。

「・・・・どのようにそれを知り得たのか、非常に興味がありますが、今は不問にしますの。その問いに端的に答えるならば、直系を捕らえるのは鷹羽は無理ですの。だから、私が直々やってきたわけですの。分かりましたか?」

 にっこりと見る者を魅了する華やかな笑顔を見せるが、目は全く笑っていなかった。
 その証拠に明確な殺意が一哉に襲い掛かっている。

「・・・・へぇ。因みに俺は帰るつもりはない。せっかく、【熾条】との集団戦を期待して鹿頭の要請に応えて戦力を確保したんだからな」
「ふぇっ!?」

 信じられない、というように目を見開いてこちらを眺めてくる朝霞に酷薄な笑みを向け、戯けるように言った。

「世の中、ギブ・アンド・テイクだ。俺はお前の敵討ちに協力する。お前らは俺の自由のために戦う、だ」
「全く、聞いてないんだけ、ど?」

 利用されていたことに怒ったのか、微妙に語尾が揺れている朝霞。

「言ってないからな。交渉には気を付けろよ。後でいろいろな変化に対応できなくなるからな」

 徐々に目が据わっていく朝霞の頭をポンポンと撫でながら続ける。

「後、交渉は自分のペースを乱すな。絶対に自分のものにしてから話を進める。これ、基本だから覚えておくように」

 あくまで宗家の娘は無視。
 ここは挑発するに限る。
 冷静さを失ってくれなければ苦戦する相手だろうから。

「―――それで?」
「・・・・・・・・えーっと」

 向こうは向こうで詰問の最中のようだ。

「まさかあなたも揺れてる分家当主の方々と同じではないのでしょう?」

 流し目をする少女。
 一哉は改めてこの相対した少女を観察する。

 150センチ半ばくらいの背におかっぱ――とも言えなくもない微妙な髪型に華の細工がされた簪(カンザシ)を刺している。
 着ているものは蒼く落ち着いた色合いの小袖とその上に紫の布――和服の知識がないので何かは分からない――を羽織っている。
 手には鉄扇。足元は足袋に草履だが、慣れているだろうから不安要素にはならないのだろう。
 さらに次期宗主と言うからには炎術もお手の物なのだろう。

「えっと・・・・。その前に一哉様は帰還する気がないと―――」
「あんな者の意思など関係ないですの。この輩には【熾条】に帰り、一生私の手駒として働いて貰いますの。ええ、下っ端の如く」

 ひどい言われようだ。

「うわっ、それってひどくないですか? 一応、お嬢様の―――」
「肉親だから何ですの? むしろ肉親だから私に尽くしなさい。ってあなたに言ってもどうしようもないじゃないですのッ」
「って、どうして俺は逆ギレされてる・・・・? そもそもあの聡明なお嬢様はどこへ・・・・?」

 時衡は疲れ果てたのか、壁に背を預けて虚空を眺め始めた。

―――ピピピ

 一哉のズボンのポケットから軽い電子音がする。
 それを変わらぬ表情で見つめ、鯉口を切った。

「「―――っ!?」」

 口論していた鈴音と時衡はその音に敏感に反応する。
 さすがはプロだ。

「どうでもいいが。第一警戒網にひっかかった。グズグズしてたから大軍さんの御到着だぞ」

『『『―――ッ!?』』』

 鹿頭の者たちはすぐさま戦闘状態に移行する。しかし、未だ訓練不足で集団戦闘のことを叩き込んでいないので陣形を調えるとか、援護系と前衛系が分かれるとかそういうのはできていない。
 ただ、武器を持っただけだ。

「え? 何ですの?」

 急に殺伐とした周りをきょとんとする。しかし、すぐに駆け寄ってくる殺意の奔流に気が付いたのか、唯一味方だと判断している時衡の下へと駆け寄った。

「どういうことですの? いつの間に抗争に発展しているので!?」
「だから、これが事情です。それについては鹿頭当主に聞いてください」

 旗杜家は熾条宗家の先鋒である。
 鈴音がいるならば前に出て戦わなければならない。
 その意識が鈴音に対する態度をぞんざいなものにしていた。

「鹿頭当主? 誰が―――ってあなた?」

 キョロキョロと緊張に顔を引き攣らせている鹿頭の術者を見回し、1人、鹿頭家を象徴する漆黒の矛――<嫩草>を担ぐ同い年くらいの少女を見つけたのだろう。

「確か、鹿頭家当主は男でもっと年上の方のはずですけど・・・・」
「戦死したわよ。ええ、あいつらに村を焼き尽くされてねッ」

 大嫌いな宗家の人間に話しかけられ、ムカついた朝霞は<嫩草>を乱暴に振り回して答えた。

「はい? ―――って・・・・」
「―――炎術師ッ! これで終わりだッ!」

 4つの通路の内、2つから鬼族の部隊が飛び出してくる。そして、姿を見せるなりその辺のコンクリ片―― 一抱えほどの――を投げつけてきたのでそれを迎撃する炎が吐き出され、一瞬にして爆音轟く戦場へと旧地下鉄音川駅は早変わりした。










第五章第八話へ 蒼炎目次へ 第五章第十話へ
Homeへ