第五章「炎の一族」/ 8


 

 新生鹿頭家が誕生してから数日、十数台の自動車が音川町に入った。
 時間は遅く、この道を通っている車はほとんどない。

「―――ここか」
「はい。ようやく引っ掛かりました」

 先頭を走る車内の後部座席で窮屈そうに座る男が呟いた。
 それに反応した助手席の者は振り返らずに反応する。

「ここは8月に事件のあったところだな」
「ええ。その関係で国営退魔機関が先日までウジャウジャいたんですが、今は引き上げたそうです」
「ふむ、絶好の機会というわけか?」

 会話に加わらない運転席の女性は話も聞いていないのか、前の車との車間距離を神経質なまでに気にしている。

「鹿頭の残党も全て集結している頃合いだろうな」
「ええ。潜伏先を見つけ次第攻めますか?」
「ああ。それと同時に周りを固めろ。今度こそ逃がすな。ここはかなり隔離された町。かっこうの狩り場だ」

 男は舌なめずりし、拳を強く握り締める。

「・・・・だから、ここまで連れてきたのですか」

 一台に5人と考え、ここに連れてきているのは70前後だ。
 鹿頭討伐には百を超える数を動員したのだ。今回の残存勢力掃討作戦に前回の70%以上の戦力には多いと思っていた。

「それと・・・・鹿頭の村であの小娘を逃がした炎術師については?」
「分かりません。どこかの炎術師一族が援軍に来たのでしょうか?」
「・・・・・・・・鹿頭家以外に九州外にいる炎術師一族がいるのか?」

 炎術師=熾条宗家というイメージが確立しつつある。
 それだけ熾条宗家は諸家との同化政策を採っているのだ。

「ふむぅ。まあ、確かに土着感が強い【熾条】がここまで出張るわけないか・・・・」

 男は自分で言いつつも納得していない。

「【熾条】についても調べましょうか?」
「・・・・いや、止めておけ。"奴ら"を利用しても表面しか出てこんさ。せっかく鹿頭を探すのにも関わらずに済んだのだ。このまま関係ない方がいい」

 ふん、と不機嫌そうに座席に深く腰掛けた。
 丸太のように太い腕を組んでの仏頂面はかなり怖い。

「忍びの一族という噂ですからね。そう簡単には足はつかないでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・炎術最強熾条宗家、か・・・・。奴らが万が一出張るとなると・・・・我らも覚悟を決めなくてはな・・・・」

 退く気はない。しかし、史上最強と謳われる熾条宗家に完全に勝てると思うほど彼は楽観的ではなかった。



「―――また、前は団体ですのね?」
「そうですね、お嬢様」

 十数台の車を追走する形で白い乗用車は走る。

「それにしても・・・・普通の高校生として暮らしているとは・・・・」

 不機嫌そうに腕を組む助手席の少女。

「世界を回っている間はかなり苦労されたようですけど?」

 チラッと不満をありありと出している少女を見る運転手。

「しかし、未だ16。余生を過ごすには早すぎますの。私が問答無用で活を入れましょう」

 憮然とした面持ちで和服の少女は助手席に深く腰掛けた。

「・・・・お嬢様。本当にお一人で大丈夫ですか? 我ら鷹羽家は一応、琴音様からお嬢―――」
「くどいですの。いくら名を馳せた武人であろうと真正の炎の前には無意味ですの。父の話では炎術を教えていないようですから、苦戦するなどありえません」

 少女は力一杯断言し、隣の運転席の中年男性に命じる。

「それよりもあなたは消息を絶った旗杜時衡を探し出しなさい」
「はっ」

 少女は目先の戦いよりも消えた側近の方を気にかけていた。






前哨戦は逃避から scene

「―――さて」

 文化祭準備が本格的になって数日。
 晴也は一哉、武史の"いつものメンバー"についで転校生のクリスをこの「密会」に招いていた。

「今回の件だが―――」
「はい」

 晴也の話を遮るようにし、クリスの右腕が高々と掲げられる。

「はい、クリス君」

 眼鏡――もちろん、伊達――を直しながら黒板を背にして晴也はクリスを指差した。

「何? この状況、ってか、そもそもどうしてオレはここにいるんだよ? 男だけの部屋にいるなんて耐えられないぞ、オレ」

 心底嫌そうな顔で言うクリス。

「減点1だ。我々は同志ではナイカっ」
「・・・・晴也、キャラ変わってるぞ」

 的確なツッコミを無視するとして晴也は続ける。

「まあ、クリスは今回が初参加だしな」
「ってか、俺も積極的に関わったことはない」

 一哉はいすに深々と腰掛け、腕組みをしていた。
 多少憮然としているのは劇の練習がハードだからだろうか。

「今回の秘策は完璧だぜ。何せ、この通り、不正委員会の宿直リストを手に入れた。3年やその他の要注意委員のいねえ日を選んで作業すれば直前まではバレやしねえッ」

 グッと拳を握り締め、己の計画性に酔いしれる晴也。

「で? 具体的に何するんだ?」

 こういう時の晴也の片腕であり、また実行犯である武史は己の負担を訊く。

「簡単だ。何をするかは―――」

 すすーっと自然に話しながら晴也は窓際へと寄っていった。
 それだけで一哉と武史は状況を理解し、同じように音もなく移動していく。そして、窓枠に足をかけた時、場の空気がいまいち読めないクリスは言ってしまった。

「どこ行くんだ、お前ら?」

 自然な問いだっただろう。しかし、それは灯油でベトベトになったボロぞうきんに小さな火の灯ったマッチを放り投げるに等しい。

「―――逃がさないわよ、晴也一味ッ!」

 状況の変化に気が付いたのか、教室に乱入してくる幾人もの影。
 その全てが武装している。

「え? 綾香ちゃん?」
「待避ッ。―――あ、クリスは自分で何とかしてくれ。―――冥福を祈る」
「もう死んでるのかよッ!?」

 薄情な言葉。
 晴也たちはすぐさま窓の外へと身を投じる。
 一瞬遅れて不正委員の武器がその場所を襲った。
 まさに紙一重。
 武器は彼らを捉えることはなく、晴也たちは無事に逃走に移る。

「くっ、追って」
「「「はいっ」」」

 逃げた3人を追って次々と不正委員たちは2階の窓から飛び降りていった。だが、不正委員の隊長である綾香は何故か残り、きれいな笑みをクリスに向ける。

「こんにちは、クリスくん」
「やあ、綾香ちゃん、こんなホコリっぽいところにどうしたの? ダメだよ、こんな汚いところにいちゃ、君が汚れてしまう」

 長い金色の髪の毛を掻き上げながらクリスは言った。

「ええ、ありがとう。でも、アンタがここにいた理由を言ってくれるとあたしはもっと喜ぶんだけど?」
「ははは、そんな怖い顔して襟首を絞めないでくれよ。ちょっと強引だなぁ」

 こんな状況で事もあろうに不正委員会のエース――綾香に間合いをゼロにされても笑っている神経は尊敬できるだろう。―――全く無駄だけど。

「ふうん、強引ついでに不正委員会の詰め所に行こうか♪」
「それはデートのお誘い?」

 にっこりとした笑みに同じく笑みを返すクリス。

「そうね。向こうではいっぱい女の子が待ってるわよ♪」
「へえ、それは待たせちゃ悪いね。急いで行こう、綾香ちゃん♪」

 その返事を聞き、綾香はクリスの腕を取って――拘束して――歩き出す。

「ふふ、楽しみだわ♪」
「そうだね、楽しい一時にしようね♪」

―――それから数日、統世学園広しと言えど来栖川クリスの姿を見た者はなかった。



 場所は転じて統世学園共通校域地上部。

「―――それで一哉」
「んぁ?」

 現在、不正委員から逃走中。
 これもフェイントを織り交ぜ、撒こうと努力している時に交わされている会話だ。
 綾香もすぐに捕まえられるとは思っていなかったらしく、伏兵を仕掛けていた。しかも、その数が3つというのに驚く。
 どれも絶妙なタイミングで武闘派――武史とはぐれたのは痛かった。

「あの中坊、だれよ?」

 クイッと晴也が親指で示した先を見遣る。
 そこには5人に追いかけられている2人を見て、目を丸くしている"中等部"の少女いた。

「お前もクラスの奴らと同じ口か・・・・」

 一哉は頭が痛くなったかのようにこめかみを押さえる。

「制服見て分かれるだろ。普通に後輩だ」
「ふ〜ん、あの容姿に該当する中等部生徒は現在過去に存在しねえはずなんだけどなぁ。それに先日、中等部の購買で制服が盗まれたらしいぞ」
「へえ、それは窃盗事件だな。初めて聞いた」

 一哉に何の表情の変化もなかった。
 さすがは幼少から権謀術数を手掛けていただけはある。

「・・・・・・・・・・・・・・・・正直に言う気はねえのか?」
「さあな。まあ、嫌でも分かると思うが」

 すました顔で後ろからの投擲攻撃を避ける一哉。

「対応が違うだろ。知ってるのと知らないのとは」
「・・・・・・・・・・・・鬼族」
「な―――うおわッ!」

 炸裂弾が背後で爆発し、思わず晴也はたたらを踏んだ。
 その間に一哉は体勢を崩すことなく逃走を図る。

「ぅおいッ! ちょっと待てッ」
「結城晴也、お前が待てッ」
「神妙にお縄につけいッ!」
「ぎゃあ!? 止めてぇぇ!!!!」

 とうっと追いついてきた不正委員に飛びつかれ、晴也は一哉を追求するどころではなくなってしまった。



「―――な、何だったんだろう・・・・」

 突然、茂みから現れた一哉とその友人はすぐに物騒な武器を持った生徒たちに追いかけられていった。
 まるで警察から必死に逃げる現行犯だ。

「それはそうと・・・・どうしようか」

 残存の鹿頭家の戦力は朝霞を入れずに14人。
 戦力外と言うことで子供が2人いるだけだった。
 つまり、あの夜に実に30人近い炎術師が討たれたことになる。

「・・・・くっ」

 忌まわしい記憶が脳裏を占め始め、朝霞は歯を食いしばった。

(ダメよ。今は敵を斃すことだけを考えるのよ)

 一哉は強い。
 それだけは確かだ。
 難しいことは彼に任せ、自分は一兵卒として働くのもひとつの選択だ。でも、せっかくいい素材がいて尚且、自分はこれから家督を譲るまで鹿頭家を引っ張っていかなければならない。
 一兵卒レベルではいられない。

(学ぶんだ・・・・)

 どんなに嫌な宗家の人間でも器量がいいのだから、と何度も何度も言い聞かせる朝霞はこちらに向かってくる人影に気が付かなかった。

「―――あの」
「ふぇっ!?」

 ビクゥッ、と座ったまま飛び上がるという希有な技能を見せた朝霞は背後から声をかけた者を睨みつける。

「何の用かしら? 今私考え事してるんだけど?」
「あ、えっと、驚かせてごめん・・・・」

 睨みつけられた相手は少し身を小さくして謝罪した。
 本当に申し訳なさそうだ。

「ぅわぁ・・・・」

 一方、朝霞は睨みつけたことさえ忘れ、彼女に見入っていたのだが。
 彼女は統世学園の制服ではなく、和服の胸に胸当て、袴に足袋を履いている。
 そんなまるで弓道の格好をして額にははちまきが巻かれ、長く黒い髪は白い布で結われていた。

「えっとちょっと前、一哉に会いに来たよね?」
「・・・・え? あ、はい」

 思わず返事をしてから、ようやく警戒心が復活する。そして、いつでも立ち上がれるようにしながら問う。

「あなた誰かしら?」
「あ、ごめん。自己紹介まだだったね」

 彼女は己の失策を恥じ、頬をやや赤くしながら照れ隠しのように軽く「オホン」と咳払いをして言った。

「一哉の同居人――渡辺瀞です」
「どうきょ・・・・にん?」
「うん、同居人」

 呆然とする朝霞に大真面目に頷いてみせる瀞。

「・・・・・・・・へ、へぇ。アイツも高校生なのにねぇ・・・・」

(や、山の外はやっぱり・・・・違うのね・・・・)

 軽く都会――山奥に住んでいたため――に来て、最大のカルチャーショックを受ける。

「・・・・・・・・・・・・何となく勘違いしてるっぽいけど・・・・別に一哉の彼女じゃないよ、私」
「えぇっ!?」
「うん。やっぱり、勘違いしてたねぇ。それで昨日は一哉とどこに行ってたの?」
「えっと・・・・ってハッ」

 思わず答えかけて我に返った。
 慌てて口を押さえるが遅い。

「やっぱり、一緒にいたんだぁ」

 「はぁ〜」と深いため息と共にガクリと肩を落としている。
 さりげない追求を回避するには先程の会話の内容が強烈すぎた。

「何なのかしら、あなたは?」

 警戒心を強めながら訊く。
 無意識に布で包んだ<嫩草>の柄を握り締めていた。

「うん? これくらいの話術は統世学園に通ってれば身につくよ。―――例え中等部でもね」

 予想通りの展開なためか朝霞は背筋に冷たい汗が流れたのを感じる。

(バ、バレてるのかしら・・・・。でも、ホントに何者なのかしら、こいつっ)

「えっと、次なんだけど―――」

 朝霞はゆっくり立ち上がり、そのまま間合いを取った。そして、握っていた矛の鞘を外し、漆黒の刀身を露わにする。
 ここまでは統世学園では別に珍しいことではない。
 刃物などの凶器を持ち歩いているのは己を律することが出来る武芸者のみだからだ。
 そんな彼らが殺傷事件を起こすはずがない。
 そう、周りの連中は考えていた。

「・・・・何か、この後の質問を思い切りすっ飛ばして答えてくれたね・・・・」

 再びガックリと肩を落として瀞は悲しみに沈む。

「言ってくれればいいのに・・・・」

 どうやらこの人も同じ世界の住人のようだ。
 そうでなければあの一哉が自分の家――本拠に置くはずがない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ジリジリと間合いを計る。
 一哉の片腕と言っていい人物なのだから相当な手練れのはず。
 それと同時に自分たちのことを知らされていないということは信用してはいけない。
 朝霞は気が付いているだろうか、今自分が行っている思考展開が一哉のそれを真似ていることを。

「えっとそんなに警戒しなくていいと思うんだけど・・・・」

 闘気を感じ取ったのか、瀞は矛先を見つけたままやや腰を落とした。

「私はただ、一哉がまた黙って何をしてるのかなぁって思っただけだから」
「それは同居人としては越権行為じゃないの?」

 挑発。
 情けない、彼らの関係を知らないのに何を知ったような口振りだろうか。

「あ・・・・・・・・うん、そうだね・・・・・・・・・・・・」

 ズーン、と頭の上に重石を乗せられたように沈んでいく瀞。
 どうやらピンポイントで言ってはいけない部分を直撃したらしい。
 その隙を衝き、逃亡を図る。

「ぅぅ、私はやっぱり図々しいのかなぁ・・・・」

 さめざめと心の中で滂沱しているであろう声が背後からした。
 何気にトラウマを植え付けたような気がするが、今は己の身を第一にしようと考え、罪悪感に蓋をする。―――良くも悪くも一哉に感化されている朝霞だった。






参戦交渉 scene

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと、嫌がらせ?」

 その日の夕食での第一声がこれだった。
 一哉は縋るように目の前に座る瀞を見る。

「さあ? それは自分の心の中に聞いてくれるかな♪」

 ニッコリと小首を傾げられてしまった。

「・・・・・・・・・・・・うん、何もないな。俺は何も悪いことをしていない」

 胸に手を当て、黙考した一哉はそう結論付ける。
 どうせ、ホールなのに調理班も手伝うことになり、その料理を作って"初めて"故に失敗したのだろう。
 瀞は初めての料理をこの上なく失敗した後、普通に作れるという希有な能力を保有しているのだ。
 暮らし初めて数週間でこの地獄に苛まれ、泣く泣くオアシスと称する一品だけ成功料理を混ぜることを確約させた。
 その後に耐え切れず、パンを買い置きし、それを食料としていたことがバレ、危うく三途の川を渡りかけたのだ。―――渡し賃を持っていなかったので門前払いされたが。

「ってかオアシスはどれだ?」

 見た感じ、全滅だ。
 キョロキョロと食卓を見渡す一哉に瀞はニコニコと含みのある笑顔を浮かべて己の言いたいことを告げる。

「ああ、一哉はどうしてこうなのかなぁ」

 呆れてため息をついてみせるが、背後に背負う怒気は隠せていない。
 ははは、と乾いた笑みを浮かべながら手はいつも以上のスピードで口に食料――たぶん――を運んでいた。

(ヤバイ。何故かは知らないが、こいつメチャクチャ怒ってるぞっ。やっぱりあの説明なしの外出+外泊か?)

 鹿頭村からは一日で帰れずに車の中で一泊している。
 今の空気はA組生徒がカモを追い詰める時に酷似していた。
 周りの環境は人間を成長させる有効な条件である。呑み込みの早い瀞はすでに習得済みということか。

「一哉が分からないはずがないのになぁ」

 プクッと不満そうに頬を膨らます。

(時々思うが、仕草が子どもっぽくありません?)

 顔立ちからも瀞は綾香のように「綺麗」、と賞賛されるのではなく、「可愛い」と言われる。
 先日の配役決めでもそれを以てノックアウトしたらしい。

 渡辺瀞  1年A組所属
 身長153センチに最近、臀部を隠すくらいまで伸びた、艶やかで漆黒の髪。
 顔立ちは全体的に小作りで色白。大きなくりくりと愛らしい黒瞳、ふっくらと柔らかそうな頬、小さく赤い唇、髪飾りなどのアクセサリー類は一切なし。密かに手櫛である程度整う癖のない髪が自慢らしい。
                      非公式校内女子データランキング委員会


 ↑が語るような感じが瀞の容姿に関するプロフィール情報だ。
 因みに委員会は身体測定のデータを盗もうとしてセキュリティーに引っ掛かり、不正委員会が抱える情報セキュリティー対策部によって突き止められた。その後、綾香率いる実戦部隊によって誅伐されたという運命を辿っている。
 噂では綾香によって唆されたA組女子が先陣を切った。
 因みに最先鋒は大鎖鎌振り回す少女と徒手空拳の長い黒髪少女という地獄コンビだったらしい。

「いやぁ、いい感じに染まってきたか?」

 一哉は最後の一口を何とか食べ切って言った。
 その言葉に瀞は実に爽やかな笑みを以て答える。

「明日からご飯なしね♪」
「すいませんごめんなさいもう言いません」

 あっさり棄却した。
 食欲とは三大欲のひとつである。
 人質にされれば堅牢な城壁すら無に帰してしまう。

「分かればよろしい」

 ふふん、と偉そうに胸を反る瀞。

「じゃ、ごちそうさま」
「はい、お粗末様―――ってそうは問屋が卸さないよ」

 逃走失敗。
 「じぃ〜〜」と見つめているだろう瀞に仕方なく、気分を入れ替えて振り返る。

(いったい、どんなお叱りを受けるのやら)

「―――今何してるの?」

 たった一言。
 それだけでダイニングは氷河期に舞い戻ってしまった。



「―――知ってどうする?」
「う・・・・」

 思わぬ冷たい視線にたじろいたように呻く。
 今の一哉の顔には何も浮かんでいない。しかし、こういう顔は一度見たことがあった。
 8月の地下街。
 容赦なく自分に炎弾を放った一哉。
 でも、少し、ほんの少しだが、何かが違った。だから、勇気を振り絞るようにして言った。

「もちろん手伝うよ。近くにいて蚊帳の外はイヤ」

 瀞は「さあ、来い」とばかりに不退転の意志を瞳に灯す。
 一筋縄でいかないことは分かっている。
 簡単ならばそもそも蚊帳の外に追いやられることはないのだから。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 チッチッチ、と時計の針だけ進む。

(あれ? 即否定されないってことは脈あり?)

 キラリと瀞の瞳が光った。
 やはりあれから二ヶ月近い生活で一哉の心に少しでも入れた証拠だろうか。
 瀞は嬉しくなって期待を胸にもう一度、訊いた。

「何をしてるの?」

 再びの問いに一哉はハッとしたように瀞と視線を合わせる。
 そこで一哉が自分から目を逸らしていたことに気が付いた。

「ねえ、い―――」
「―――これは炎術師の問題だ。水術師が口を出すな」

 機械的な感情を感じられない口調。

「・・・・え? 今、なんて・・・・?」
「お前は関わるな」

 一哉はそう言って後ろを向く。そして、歩みを自分の部屋から玄関へと変えた。
 そのまま振り返ることなく視界から消える。

「俺、しばらく留守にするから」

―――バタン

 扉が閉まる音がやけに心に残った。

「ふ・・・・うぅ・・・・」

 漏れる嗚咽。
 寸前で紡がれた言葉が皮切りとなり、瀞は泣いた。―――期待を裏切られ、そして、壊れた日常を惜しんで。










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