第五章「炎の一族」/ 1


 

「―――はぁ・・・・はぁ・・・・」

 ここは紀伊山地の奥地で、とある一族が暮らしている集落だ。
 その名は鹿頭(シシズ)村。
 特殊な結界で動物はともかく人間はまず迷い込んでこない。
 外界から隔絶され、まるで世間からも遠離ろうとする村。
 住人も数十人と少ないこの村は今―――劫火に包まれ、壊滅しようとしていた。

「・・・・はぁ・・・・くっ・・・・はぁ・・・・ッ」

 戦闘音が炎の中に響き渡る。
 そんな中、少女――鹿頭朝霞(シシズ トモカ)は炎をものともせず、焼ける屋敷の廊下を疾走していた。

(どうして・・・・ここが・・・・こいつらにっ)

「はぁっ」
「グフッ」

 曲がり角を曲がった場所に立っていた敵――異形に炎を叩きつける。
 敵は屋敷の塀を粉砕し、その奥――崖の向こうへと消えた。

(お父様、お母様、無事でいてっ)

 少女はこの村の村長である鹿頭晶のひとり娘だ。
 麓にある中学校から帰ってみれば村は劫火に包まれ、そこらかしこで乱戦が起きていた。そして、それは鹿頭側の劣勢で推移している。

「はぁっ!」
「「うおわっ!?」」

 少女の放った炎弾が廊下にいた敵を弾き飛ばし、目当ての部屋への進路を空けた。

「お父様、お母様っ」

 無惨にも破られた障子戸の奥を残ったひとりを弾き飛ばしながら見る。

「―――っ!?」

「―――よう、遅かったな、小娘」

 上座で呑気に酒をあおる男がいた。

「ここらの奴ら、みんな『お嬢が戻るまで持ち堪えろ』って必死だったぜ? 誰ひとり堪えられなかったがな」

 ニヤリと嗤う敵首領すら目に入らない。
 彼女の視線はただ、真っ赤に染まった家族たちを捉えて離さなかった。

「おと・・・・さま・・・・」

 腕を斬り飛ばされ、肩口から脇腹まで走る大きな傷を持つ父。

「・・・・かあ、さま」

 折られた右足と胸の中心に貫かれた痕を持つ母。
 それ以外にも顔見知りの使用人や親戚たちが大広間に物言わぬ物体となって転がっている。

「さあ、死合おうか、"最後の鹿頭"よ」

 男が横に突き刺していた大薙刀を持って立ち上がった。
 柄の長さは3メートル、刃渡りは1メートルの愛用の武器らしい。
 刀身はここに来るまでに斬った炎術師の血で濡れていた。

(さい、ご・・・・?)

 いつの間にか村の最奥であるここも争う音が消えている。
 それが意味するのは―――

「考えごとをしていると、死ぬぞぉっ」

 咄嗟に身を退いた目の前を巨大な質量が通過した。
 余波が前髪を揺らし、物体自体は壁を破壊する。

「どうして・・・・どうして!? あなたたちは―――」
「『50年前に我が一族らが滅ぼしたはず』ってか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ハハ、あいにくあの日は儂が腕利きの奴ら全部を率いて遠征してたのだ。遠征から帰ってみれば村は焼け爛れ、同胞たちは体を炭化させながら絶命していたっ」

 メキ、と男の拳が握り込まれた。
 他の兵士たちも怒りに身を猛らせている。

「確信した。遠征の数日前に戦った奴らの仕業だとなっ」

―――ダンッ

「―――っ」

 怒りに任せて叩きつけられた拳は壁の板張りに大穴が空けた。

「だから、血眼になって探し続けたさ。ここを潰せばそれに協力しただろう組織も潰してくれるわっ」

 ギラギラと目を血走らせ、男は恨み節を吐く。
 半世紀の間、追い続けた一族。
 それが炎術諸家――鹿頭家だった。

「娘、貴様が最後だ。逃げ仰せた者、不在だった者もいるだろうが・・・・鹿頭直系の血はここで絶える」
「・・・・そう、簡単にはいかないわよ・・・・」
「何?」

 少女は俯き、前髪によってその表情を窺い知ることはできない。しかし、溢れ出す【力】は確かに、このままで終われるような小さきものではなかった。

「はっ、面白いっ。この者たちでは手応えがなさ過ぎたっ」

 男は大きく手を振り、部下たちを下がらせる。

「周りは火事。炎術師にとっては最高の場所であろうっ!?」

 地の利はこちらにあった。だが、彼はそんな欠点を埋めて盛り上げるほどの実力を備えている。
 戦えば負ける。
 それは決定したこと。

(だけど・・・・それがどうしたってのよ・・・・)

 激しい怒りに反応し、<火>は急速に集まってきていた。
 漏れ出す"気"は少女のポニーテールをうねらせ、近くの柱を軋ませる。

「ほっ、なかなか愉しませてくれる」
「うるさい」

 もう意地である。
 持てる最大限の【力】を一族の仇にぶつけるのだ。
 精霊術は精神が強弱に大きく関係する。
 ならば今は限界以上の【力】を引き出すことが可能であろう。
 もしかすれば、憎々しい熾条宗家の直系術者レベルまで達することができるかもしれない。

「準備はいいかしら? 私の角は・・・・少し鋭いわよ」
「はっ、言いおるわ、小娘がぁっ」

 男の喝破によって周囲の無駄な炎が蹴散らされた。
 さすがは鬼。
 能力者最強とも言われる精霊術師と激戦を繰り広げた鬼族の首魁だ。

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 一触即発の雰囲気が立ちこめる中、わずかな喧噪が廊下で起こる。

「貴様、何者!?」
「言えませーん」

 廊下で上がった誰何の声と気楽な声が2人の耳に届いた時―――

「―――その勝負、待ったぁっ」

―――ドドンッ

「うわぁッ!?」「ムッ!?」

 飛んできた炎弾が2人の接触点に着弾し、爆風を周囲にまき散らした。
 全方位に同等の【力】が散布されたが、それが"炎術"によるものならば少女を傷つけるものではない。

「誰―――ってあッ!?」
「はいはい、ごめんなさいね」

 混乱を衝いて侵入してきた青年は少女の腕を取った。そして、そのまま少女を部屋から連れ出す。

「うわ!? 何!?」
「はいは〜い、今、君に死んでもらうと困るんでね〜。拉致らせてもらうんよ」

 少女をひょいっと小脇に抱えた青年は返り血に塗れた顔で言った。

「ふざけるなぁっ!!!!!」

 勝負を邪魔された少女が絶叫するが、彼は止まることなく、黒い影に先導されて崖を飛び降りる。

「ひゃああああああああああああっっっっ!?!?!?!?!?!?!?」

 悲鳴が山の中に響き渡った。

「なんと・・・・逃がしたか・・・・。いや、仕方ない。ずらかるぞ」

 男は未練がましく崖の下を見つめる部下に言い、鬱憤を晴らすように壁を殴り付ける。

―――ミシミシ

「んお?」

 火の手が周り、限界を超えた屋敷は男の一撃がトドメとなり、轟音を立てて倒壊した。






熾条一哉 side

「―――ふっ」

 きれいな太刀筋が空気を裂き、振り抜いた刀身が朝日を受けて照り輝く。
 太刀音は高らかに鳴り響き、一種の楽器のように聞こえた。

「今日はここまでにしておくか」

 額に浮かんだ汗を拭う。
 少年は納刀し、マンションの屋上から町を一瞥した。そして、刀を腕時計に変えて反転する。
 続いてキィ、と鉄扉が開く音。
 秋風がこれまでの演舞のような鍛錬の終焉を告げるように吹き荒れた時、少年の姿はすでになかった。
 少年の名は熾条一哉。
 近くの私立・統世学園高等部の生徒で先日、16歳になったばかりの1年生だ。
 ここ1週間は朝早くから住んでいるマンションの屋上で剣の鍛錬を行っている。因みに屋上の鍵は管理人との聞くに涙、語るに涙の舌戦が繰り広げれた末に手に入れたものだ。

「―――よう、熱心だな」
「・・・・珍しいところにいるな、師匠」

 一哉に話しかけたのは彼に"気"の扱い方と戦闘術を教えてくれた師――時任蔡だ。
 170センチ代と、女性にしては長身の体躯を部屋の扉に預け、口元も煙草を咥えていた。風に頭の後ろで結われた髪が揺れている。
 どう見ても待っていたらしい。

「どうしたんだ?」
「師匠が弟子に会いに来て悪いのか、この野郎」
「というか、まだいたのか?」
「嫌なら嫌と言えッ。存在ごと否定することないだろッ!」

 ペイッと火の点いたままの煙草をこちらに放り投げる蔡。

―――ボンッ

「危ないじゃないか」

 一瞥で煙草を焼き払いながら一哉は部屋の鍵を開けた。

「どうぞ、コーヒーくらいしか出さないがな」
「よかった。お茶漬け出すとか言えば危うく正拳突き(発頸)をお見舞いするところだったぞ」
「物騒極まりないな・・・・」

 一哉はリビングに蔡を通してダイニングに行く。そして、そこで同居人――渡辺瀞の書き置きを発見。

『今日は綾香の家に泊まります。因みに朝に何やってるかは知らないけど先生からのチョーク投げ新技の実験台は決定らしいから覚悟した方がいいよ♪』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フンッ」

 証拠隠滅もとい、現実逃避から引きずり出す文字たちを抹消した。

「―――こら、やたらめったら術を起動させるんじゃない」

 リビングからの声。
 さすがに周囲確認は怠っていないらしい。

「砂糖は?」
「いらん。ブラックでいい」
「了。―――それで、何の用だよ」

 一哉は蔡の前にコーヒーを置いてその向かいに座る。

「うむ。実はな、厳一殿から―――」

―――パキャ

「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 カップの取っ手が取れてしまった。

「おっと、瀞に怒られるな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前、そんなに厳一殿が嫌いか?」

 蔡は頬杖をついて覗き込むようにして訊いてくる。

「いや、改めて言われるとそれほどでも・・・・。でも、こういう反応をするのが普通になってきててな」

 はは、と笑ってソファーに深く腰掛けた。

「いったいどんな関係なんだよ」

 ガックリと肩を落とす蔡。

「それで、親父が何て?」
「ああ。何かな、3日前にお前も帰国していることが宗家にバレたらしい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 熾条宗家。
 一哉の実家にて炎術最強の一族だ。
 確か九州に根強い勢力を持ち、今は宗家史上最強の戦力を有しているらしい。

「それで居場所がバレないように逃走したらしいんだが、わずか数十秒後、妻の琴音殿が分家の鷹羽家を動員して飛び出したそうだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先読まれまくりだな」

 厳一にしては失策だが、相手も相応の人物なのだろう。

「そうだな。確かに琴音殿は厳一殿のことをよく知っておられる。12年も音信不通だった夫を待ち続け、帰ってきた日には敷居を跨いだ瞬間ボコボコにして病院送りしたらしいぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「因みにその殴られた衝撃で後方に吹っ飛んだ厳一殿は百段以上ある石畳の階段を転げ落ちたそうだ」

 待ちに待っていた人を再び追い出すとはなかなかの恨みを感じる。
 これぞ夫婦の絆だろうか(←絶対違う)

「―――ん? ってそうか、その人は俺の母親に当たるのか」
「今頃気付いたのか?」

 呆れたように蔡はため息をついた。

「いや、母親というものに関心が長い間なくてね〜」

 一哉はすまして答えてコーヒーを口に含む。

(しかし、親父を病院送りに出来る女か・・・・)

 過去、一哉は何度も厳一を殺そうとした。

 メキシコからのアメリカへの密入国を敢行している時、厳一が誤って警報機を作動させ、ワラワラと出てきた国境警備隊の渦中に一哉を投げ飛ばして逃走。
 一哉が牢破りを成し遂げて最初に寄った町のレストランで悠々と食事していた厳一を見た時に殺意が湧き、そのままの思いで行動する。そして、10分後にはそのレストランは爆破テロにて消滅した。

 そんな中から無傷で這い出る厳一をどうやって・・・・。
 それだけが一哉の脳裏に展開され、どうして厳一が逃げ出したのかを全く考えなかった。

「まあ、私もそんなに厳一殿と話せたわけではないしな。ただ『気をつけろ』とだけ言っていたぞ」
「・・・・また、漠然とな。こっちは日々が戦いなんだけどな」

 クラスメートと。もしくは他のクラスと。

「ん? まあ、いいか。では、な」

 コーヒーを飲み干し、立ち上がる。

「あれ? それだけか?」
「ああ。お前も学校だろ? 早く行け」
「それは今まさに十三階段を前にしている死刑執行者の背中を押すのと同義だ」
「うん、私なら『後に仕事もつっかえてるんだ。とっとと死んでこい♪』と言って背中を蹴るな」
「鬼だな、あんたっ」

 一哉にツッコミに蔡は不敵に笑って言う。

「がんばって担任教師の攻撃をかいくぐれ」
「何で知ってるんだ!?」

 蔡は一哉の少々慌てた様子を満足そうに眺めていた。

「ホントに、がんばれよ」

 ふっと優しく笑い、蔡はドアへと向かって歩いていく。

「なあ、どうして親父と連絡が取れたんだ?」

 素朴な疑問をぶつけた。

「さあ? それは厳一殿に訊いてくれ。突然、私の携帯に連絡を入れてきたあの人に」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわぁ」






渡辺瀞 side

「――― 一哉のバカ」

 渡辺瀞は窓の外――校門を見ながら言った。

「・・・・瀞。微妙に怨嗟を感じるから止めてよ、その声」

 瀞の呟きに友人の山神綾香が少々顔を引き攣らせながら返す。

「だって、朝起きたらいないし、書き置きもないんだよ? 待ってれば帰ってくるかと思ってたけど全然帰ってこないしっ」

 机に教科書を置いた。
 バンッと音が鳴る。

「うぅ〜」
「う〜ん、全然心当たりないの? 例えばあそこで何やら熱心に携帯を弄ってる問題児関係で」
「濡れ衣だぞぉ」

 綾香に親指で示された結城晴也は顔を顰めながら訂正した。

「そもそも、俺と一哉は学校外で会うような関係じゃねえ」

 そうなのだ。
 学校いつもたいてい一緒にいる一哉と晴也は同じように一緒にいる瀞と綾香のように放課後に遊んだり、休日に出掛けたりはしない。
 学校だけの友人、という関係だ。

「あ、委員長。おはよう」
「・・・・・・・・おはよ」

 テクテクと規則正しく歩みを進めていたA組学級委員長――鎮守杪はズレかけていた髪留めを直しながら答え、すぐに歩き出して自分の席に座った。
 鞄から急須と茶葉を取り出し、教室の隅に設置されている湯沸かし器の元へ向かう。そして、コポコポとお湯を注ぐと湯気が眼鏡を曇らせた。

「う〜ん、相変わらず群れようとしないわね」
「群れって・・・・」
「―――ほ〜い、ホームルーム始めるぞぉ」
『『『ハイッ』』』

 すでに恐怖政治が敷かれているA組のホームルーム開始は早い。
 担任――橘冬美が教室に踏み入れた瞬間、いや、扉に"手をかけた"瞬間から反射神経の許す限りの行動で全員が席へと爆走する。謂われのないチョーク攻撃を回避するために学習したことだ。

「―――ん〜、渡辺。熾条は?」
「知りません。起きたらいませんでした」

 一切のフォローなし。

「そうか。ってことは来たら職員室に来るように言ってくれ」
「分かりました。引きずってでも行かせます。ええ、どんなにボロボロでもね♪」
『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 この発言から「今日の瀞は少々機嫌が悪い」というのがクラスの共通見解となった。
 曰く、「いつもの笑顔の下に隠れた真実が怖い」とのこと。

「―――それじゃあ転校生だな」

 さらりと危ない笑みを称える瀞から視線を逸らして先生は不意打ち的発言をした。

「え? 新学期からじゃなく、9月の終わりから?」
「ああ。さて、入れ。そして、勝手に名乗れ。私は職員室へ帰ってチョークの点検をせねば」

 何という放任主義。
 先生は転校生を放っていってしまった。

「―――えーっと・・・・いいんすか? あの先生で」
『『『むしろ好都合♪』』』

 グッと親指を突き出すA組生徒。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 今日初のクラス異口同音にたじろぐ転校生。

「―――自己紹介」
「うおっ」

 杪は転校生の後ろに立ってボソリと呟いた。さりげなく後ろに立つ辺りにそこはかとなく悪意――この場合、悪戯心という――を感じる。

(遊ばれるね、この人)

 転校生の容貌は金髪碧眼で長身。一見、外国人、というか外国人にしか見えない。

「―――どうも、目麗しい貴婦人の皆様。オレの名前は来栖川クリス」
『俺たちは?』
「野郎は視界に入るな。―――それではお近づきの印に―――」

―――ドガガァァァァッッッ!!!!!

 突然、転校生は弾けたようにして教卓を跳ね飛ばし―――

「うおっ!?」
「きゃあ!?」

 前の席を蹴散らしながら後ろの席――瀞の方まで飛んできた。

『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 生き残りの生徒は転校生という弾丸を喰らった同志を哀しそうに眺め、下手人を見る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 委員長――杪はいつも通り、無表情で突き出していた手を引っ込めた。そして、わずかに寒そうに体を震わせる。

『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 どうやら正拳突きを背後からかましたらしい。

(―――うわ〜、なんだか期待の籠もった視線を感じるぅ)

 彼は瀞の机の近くに倒れている。必然的に瀞に視線が集まっているのだ。―――話しかけろ、という期待と共に。

「―――え、っと・・・・。大丈夫?」

 恐る恐る声をかける。もちろん、腰は引けていていつでも逃げ出せるようにしていた。―――しかし

「だいっじょうぶさァァッッ」
「きゃっ」

 バネ仕掛けのように突然、何の脈絡もなく立ち上がる。そして、瀞の手をとってブンブン振り回す転校生。

「いやぁ、君みたいな可愛い娘に心配してもらえて嬉しいよっ」
「え、えっと・・・・。―――あ」

 たじたじとなって困り果てる瀞。
 そんな彼女の視界に見慣れた少年の姿が映った。
 彼は担任の先生と校門辺りで接触し、そのまま校舎へと爆走してくる。

『―――待てッ熾条ッ!』
『死ぬと分かっていて待つ奴はいませんっ。そんな奴はただの自殺願望者ですっ』
『遅刻者はみんな自殺願望者だッ』
『無茶苦茶!? っていうか容赦なしっ!? 言い訳は言わせてもらえないんですか!?』
『いいだろう』
『昔の武術の師匠と話し込んでたんです』
『うむ、遺言はしかと聞き咎めた』
『咎めたのか!? ってか遺言かよッ』

 先生の気を逸らすために用いていた敬語も使う余裕がないらしい。
 一哉は迫り来るチョークを見事なフットワークで避けながら校舎へと走り込んだ。

「そんな優しい君にオレは心打たれた。是非、オレと―――」

 視線は外を向いているというのに気付かずに瀞に話しかけ続けるクリス。
 その頭は深々と下げられていた。

―――カシャーンッ

『―――くおっら、公共物を破壊するなッ』
『破壊したのはチョークっ。俺は悪くないっ』
『生徒は教師の泥を被るものだっ』
『そんな独裁教師論は捨ててしまえッ!』

―――ズドドドドドッッッ!!!!

 地響きを伴う足音。
 それとともに凄惨な戦闘音がここまで届いてくる。

「―――夢の世界へ旅立とうじゃないかァァァッッッ」

 もう誰も来栖川――クリスの言葉を聞いていない。
 ドン――杪ですらも机の下に潜り込んでいるのだ。
 そんな余裕はない。

―――トパパパパパパパッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!

『―――ってか、ものすごい音鳴らしてチョーク射出するやつぁ何だ!?』
『ふ、機械工作部第三班に作ってもらったチョーク射出機・・・・21号だ』
『何だよ、その半端な数っ』
『仕方ないだろ。試作品第20号までは100発でおシャカになるんだから』
『・・・・いったいどこの組織を武力鎮圧する気だっ!』
『そうだよなぁ。これは組織鎮圧。多人数用だよなぁ。ってことでっやっぱ、お前にはやっぱりこれが一番ッ』

 ポイッと3階の窓から捨てられる哀れなチョーク射出機21号。
 その弾倉から引き抜いていたチョーク3本を先生は右手の指の間に挟むようにして足を止めた。
 完全に投球ホームだ。

「マズイ。障害物が・・・・っ」

 一哉の焦りの声が教室まで届く。
 すでに教室までの廊下は一直線。
 廊下の端から端まで届くと言われる先生の投擲力の前では今の一哉は格好の的だ。

「ふははははっ、滅びよ、生活態度不優良者ッ!」
「何の―――ぎゃっ」

 一哉は超低空ヘッドスライディングを敢行。しかし、先生もさる者。
 3本のチョークで一哉の後頭部・腰・脚を狙っていたらしく、脚を標的にしていたものが滑り込んだ一哉の後頭部に命中。
 後の2つが―――

「―――っんぎゃッ!?」

 唯一机の下に避難していなかったクリスに命中していた。

―――ドォッ

『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 全員がそぉっと机から這い出して倒れた一哉とクリスを見遣る。そして、杪が代表して―――

「黙祷」

 きっかり1分黙祷したクラスメートは『遺体』の搬出役を誰に決めるかを議論し始めた。










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