第四章「疑心、疑惑、懐疑」/ 5
彼女の名前は松木奈津子と言った。 高校生の時に妖魔関連の事故に遭って異能者となってしまう。 彼女は事件を解決した異能者たちに救われ、またその異能を発揮できるところに就職した。 もはや彼女には安息な、異能と無関係な者といるのは苦痛でしかない。 異常性を理解し、さらにその見解を深めるための研究。 そんな偉大なことに向いている異能とそれをカバーする頭脳を持っていることを彼女は誇りに感じていた。そして、与えられた今回の研究は蛇――オロチの妖魔と蛇眼持ちの少女との関係究明だ。 オロチは中国地方で17人の人間を食い、鎮圧に向かった実戦部隊の内、2名を死に追いやった妖魔でこれを蛇眼持ちの少女が制御できれば多大な戦力になるというのだ。 その過程で彼女たち――研究チームは蛇眼のメカニズムを解明することが任務だった。だから、蛇の多い石塚山に結城宗家に断りなく、こっそりと研究所を建て近付く者は蛇眼持ちの少女が操る蛇で追い帰していた。 何人かが少女の側近である白い大蛇を目撃し、追撃した蛇に食い殺されているはずだ。 未だ解明に至っていないが、少女の能力は「蛇」の属性を持つ妖魔でも制御できるという仮定が成り立っていた。 やっと得られた小さいながらも所長の地位。 「―――所長ッ、何か飛んできますッ!」「高エネルギー確認。着弾しま―――」 ―――ドオオォォォッッッンン!!!!!!!!!!!! それは夢のように呆気なく終わった。 退魔界の厄災――"風神雷神"の死力の一撃は彼女たち――研究員が所属する組織が誇る対物理障壁レベルTを紙くずのように焼き切りながら貫通し、対物理攻撃耐久性外壁に覆われた外装を容赦なく木端微塵し、その中に隠された研究施設・資料・装置・研究員を根こそぎ粉砕してその猛威を示しに示した。 同時にそれは地下に眠っていたモノを呼び起こす結果となる。だが、その事実を彼女が確認することはできなかった。 スネーク・アイズ side 「―――どうしよう・・・・」 背後は一瞬で半分を吹き飛ばされた研究所があり、前方には強大な精霊術師たちが跳梁跋扈している。 護衛対象は先ほどの攻撃で討たれた。 蛇たちもどんどん減っていく。 すでにこの戦いで数百匹は犠牲になったであろう。 「・・・・・・・・・・・・シロ」 頬にすり寄ってくる側近の大蛇は優しい光を放つ眸をスネーク・アイズに向けるとそのまま前へと行こうとする。 「待って・・・・」 彼女はシロの意図を悟った。 時間を稼ぐから逃げろというのだ。 「ダメ・・・・シロっ」 <―――シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア> 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 彼女に影が落ちる。 先に行こうとしていたシロも慌てて戻ってきて彼女を守るように回り込んだ。 他の蛇たちよりもはるかに大きなシロがまるで子どもに見える大きさの影。 「あ・・・・あぁ・・・・」 10メートルを遙かに超える体躯。 赤く禍々しく輝く双眸。 どんなものも弾き返すとばかりに立派な鱗。 「・・・・あぅ」 妖魔の大蛇。 彼女に操れるかどうかが試された妖魔だ。―――そう、表向きは。 「―――スネーク・アイズ、帰るよ」 「ひゃっ」 突然の背後からの声は大人しい彼女の背を粟立たせるに十分だった。 「うっわ〜、ごめん。驚かせちゃったか」 額に手を当てて少々反省している。 「エ・・・・ローレライ」 先ほど出陣した同僚はボロボロだった。 どうやら発生した火災にやられたらしい。 「そうだ・・・・火災は?」 「あ〜、炎術師が制御奪って消して全部持って行ったんじゃないかな? ―――あそこに」 すっと指さした先には大爆発する前線だった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「封印は潰したよ。結界師も退けたけど、とどめは刺してない」 「・・・・うん。・・・・でも」 「ん?」 「聞こえた・・・・大きな音は、何?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え、っと。も・・・・スカーフェイスのお茶目を通り越して危険な遊びのせいだよ♪」 「―――っ!?」 ぞぞっときた。 艶やかな笑みなのにこめかみに青筋が浮かんでいるのが、たまらなく怖い。 「―――あ」 そう言えば先ほどの妖魔はどうしたのだろう。 「あの妖魔なら前線に向かっていったよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 彼女はばっと前線を見る。 そこには木々を薙ぎ倒して進むウワバミの姿があった。 「・・・・あ」 「だから、今のうちに逃げるよ。まだまだボクたちの姿を覚えられるわけにはいかないからね」 バキバキバキ、と木々がなぎ倒される音と倒れたことで地面が揺れる音がだんだん遠ざかっていく。 「ほら、動いて。あの蛇はきっと殿を引き受けてくれたんだよ。その意志を無碍にしちゃいけないよ」 ローレライは尚も大蛇を見つめたまま動かないスネーク・アイズにため息をつくとひょいっと彼女を抱え上げた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っっ!?!?」 「じっとしてよ。舌噛むからね」 暴れようとするスネーク・アイズをいともたやすく制してローレライは走り出す。 「・・・・・・・・・・・・・・ぁぅ」 涙目で見る彼女の視線と大蛇の視線が一瞬交差し、それ以降、大蛇は難敵との戦いへとのめり込んでいった。 熾条一哉 side 「―――晴也、これはどういうことだ?」 一哉は蛇たちを蹴散らし、一瞬の状況の変化について行けずに息も絶え絶えの友人に問う。 「いや、なに・・・・。目障りな建物を・・・・粉砕したまでさ。・・・・それより―――」 「ああ。山神だな」 一哉は一目で2人の健康状態を察していた。 晴也はただの疲労だが、綾香は明らかに毒に侵されている。 「どの蛇か分かるか?」 蛇さえ分かればどのような毒でどう対処するかが分かるはずだ。 「・・・・いや」 (まあ、そう甘くないか) 「吸い出すのも考えたんだけどよ。綾香の奴、噛まれてからも動き回ってやがった」 わずかな間で呼吸を調える晴也はさすがは歴戦の兵。 「何て言うか・・・・山神らしいな―――っと」 ―――メキメキメキ 「おいおい、何だよ?」 ―――バキバキキャ 「・・・・ウワバミだ」 ―――ズズーンッ 「チッ」 腹に響く轟音を聞いて一哉は日本刀――<颯武>を顕現する。 瀞のような神具使いは体内にそれを保管することが出来るが、あいにく一哉は出来ない。ただ、毎日持ち歩く物に転ずることが出来るので一哉は<颯武>を腕時計に変えていた。 「休んでろ。それか瀞の居場所を突き止めてくれ。あいつなら山神の毒も浄化するだろ」 「その他諸々もされねえか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫っ」 「無茶苦茶不安だなっ、その間ッ!」 異論をすっぱりと無視して一哉は戦場に入り込む。 (そういえば・・・・あんまりこいつを使ってないな) 元々、一哉に規定の剣術などない。 刀を使うのも一種の戦闘術だったので拘りがないのだ。 (まじめに修行するのもいいかもしれないな) とりあえず、切れ味でも試すか、と心の中で唱えた一哉は晴也を放って走り出す。 すでに蛇たちは撤退を開始していた。 何が起こっているか分からないが、とにかく前の大蛇を斃してから考えることとしよう。 ―――カシュン 驚くほど簡単に抜刀でき、手に馴染む<颯武>。 <颯武>の意味は「颯」は「殺」に転じ、「武」はそのまま武勇や武人を示す。 つまりは「武人殺し」の冠を持つ妖刀なのだろうと一哉は解釈していた。 「試し斬り、だな」 木の枝を伝うようにして一哉は急接近していく。 ただしあれほどの大きさなのだから妖魔なのだろう。 何が起こっても臨機応変に対応できるように常に回避行動をとれるようにしていた。 今回、一哉は逃走する生徒の最後尾を走っていたが、ふと瀞と委員長がいないことに気が付いた。そして、まだまだ未発達ながらも結界の発動を感じ取れるほどまでに達していた知覚がこれが自然状況ではないことを教えてくれたのだ。 隣に走っていた村上武史も委員長が消えたことに気が付いたようだが、好都合にも「万が一に備えて生徒たちについて行く」と主張したために一哉は単身反転し、まずは何故かごうごうと燃え盛る火の海へと飛び込んだ。 そこで見たものは体中を炭化させながらも穴を掘って地下に逃げようとする蛇たちの修羅場だった。 一哉はその後、すぐに火を制御して無駄な火災は止めて巻き起こった大量の煙の行方を眺める。そして、不自然に煙を寄せ付けないところがあり、そこへ向けて走り出した。 途中、目映い閃光が空を駆け抜けたことで確信を強めたのだ。―――そこに殿たちがいると。 (―――まあ、大きな戦いは終わってたけどな) 一哉は<颯武>に"気"を注ぎ込む。 他の精霊術師が見れば目を丸くするだろうほどの総量を受け止めてもヒビすら入らない<颯武>。 「・・・・ッ」 勢いをつけて枝から大きく跳躍した。 大蛇はちょうど顔を上げるような形で急上昇してくる一哉を見つめている。その双眸と牙が獰猛に光った。 <―――シャアアアアアアアアアアアア―――っ!?> パックリと口を開けて一哉を迎撃しようとした大蛇が――― ―――ドガガガガガガガガッッッッッ 氷の弾丸を全身に受けて朱に染まった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」 ズズーンッ、と地響きを伴って倒れ伏す大蛇。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ? ホントに終わりか?」 大蛇はピクリとも動かない。 氷弾はあらかた全身の指揮系統――頭に集中していたようで即死状態のようだ。 以上より熾条一哉による検死結果。 死因――頭蓋骨陥没による脳挫傷。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺、立場ないなぁ・・・・」 寂しそうに呟いた。 いったい何のために引き返したのか。 これでは単に山火事を消し止め、山の中を楽しく走り回っていただけではないかッ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが無所属の宿命?」 遠い彼方で遊んでいるであろう守護獣に問うが、どうやら離れすぎていて届かないようだ。 「―――大丈夫、一哉?」 「・・・・瀞か。―――ああ、大丈夫だ。誰かさんが大蛇とやり合う前に斃してくれやがったから」 皮肉たっぷりの一言。それを瀞は――― 「いや、何かぶつぶつ呟いてるから早くした方がと思って。・・・・ハッ、まさか毒は霧状で精神を破壊するとか!?」 「・・・・・・・・何気にひどい」 「まあ、それより」 すっぱりと無視する瀞。 一哉はポロリと<颯武>を取り落としてガックリと項垂れた。 「一哉、そんなところで土と戯れてないで鎮守さん運ぶの手伝って」 「ああ? 委員長? どうして"ここ"にいるんだ?」 「うん、そうじゃないのかなぁ、って思ってたけど・・・・鎮守さんは鎮守家縁の人だったんだよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 当たり前ではなかろうか。 姓が"鎮守"なのだから。 一哉は意味が分からず首を傾げながらサラサラと長い髪を揺らしながら歩む瀞の背中を追っていった。 Epilogue 蛇の大群に襲撃されるというハプニングがあったが、けが人はなかった。 綾香は瀞の浄化能力で助かった。 後は驚異的な体力で復活している。 杪は晴也の見立てでは体の中で変な振動――音が鳴り続いているために神経が麻痺しているということだった。 よって対処法は綾香が耳元に雷をぶっ放すというもの。 杪はビクリと体を震わせ、瞳を開けるとそのまま無表情に意識を失い、そのまま夜まで目覚めることはなかった。 そして、夜。 夏の夜と言えば、そして、屋外と言えば――― 肝だめし 賛成圧倒的多数で決まったこのイベントは男子がまず女子を脅かし、次は逆。そして、選抜された脅かし役が籠もり、男女混合がスタートという三段重ね。しかも、どれもコースが違うという飽きないように配慮されている。 (―――余計なことを・・・・) 瀞は密かに企画者に怨嗟の念を送っていた。 今頃背筋に寒気を感じて鳥肌を立たせているだろう。 お化けとかが怖いわけではない。 瀞はそんなお化けを退治する退魔師だ。しかし、それ以前にあまり勝ち気ではない1人の女の子でもある。 お化け屋敷とはお化けが怖いから怖がるのではない。 人間によって恐怖を感じるポイントを押さえた実に「驚かす」ためのアミューズメント。緻密に計算された配置や音楽、空調や進路、そして、構築されている"怖いところ"という先入観。 それら全てを総合されれば強大な退魔師であろうともたやすく術中にはまるというものだっ(by渡辺瀞談) 「―――瀞ぁ、行くわよぉ?」 「う、ぅぅ・・・・」 綾香がちょこんと座り込んでいる瀞を迎えに来た。 先ほどまで毒で苦しんでいたというのに元気なことだ。 「―――委員長も、行こ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 目が覚めてから何やら無表情でずーんと背後に暗雲を立ち籠めさせていた杪も立ち上がる。 眼鏡がややずれていた。 憔悴しているのではなく、落ち込んでいるのだ。 それほど、結界が破られたのがショックだったのだろう。 「鎮守さん、間に合わなくてごめんね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 フルフルと気にするなとばかりに頭を振ってからすっと視線を向ける杪。そして、無に彩られた表情で言った。 「どうにかできた?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 黙るしかない。 瀞が後少し早ければ確かに止められたかもしれない。しかし、絶対ではない。 杪も結界師の総本山――鎮守家の御令嬢。 決して弱いわけではない。というか、確実に強いであろう。 それを一蹴する相手に何かを守りながら勝利を拾うことが出来るであろうか。 「委員長は誰かと戦ってたのよね? 特徴さえ言えば晴也動かして結城宗家の情報網を使えるけど?」 綾香が妙な空気を悟って話題を変えてくれた。 結城宗家の情報網は近畿圏最大だ。 確かに一個人を見つけ出すくらいなら容易だろう。――― 一般人ならば。 「・・・・特徴、不明」 「「え? 火事が起こっちゃうほど激しく戦ってたんじゃないの!?」」 すでに三人は肝試しの行程に入っていた。しかし、話に夢中で周囲に気を配る=気にしすぎて怖くなるという状況に陥っていない。 脇に小川が流れ、チロチロと音を立てて石の間を流れている。 「不明・・・・顔も、性別も、何も・・・・」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 故に気配に敏感な瀞でさえ気が付かなかった。 「幻術・・・・?」 「ううん、たぶん違う。神経を麻痺させたんなら記憶を混濁させることもできるんじゃないかな・・・・?」 瀞は自信なさげに首を傾げる。黒髪がさらりと流れ落ちた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 3人は完全に思考に沈んでいる。それを狙って――― 「「―――必殺」」 小さな声と共に"それら"は3人目掛けて放たれる。 ―――ペチョ×3 「「ひうあッ!?」」「―――っ!?」 頬に感じた冷たい感触に3人は飛び上がった。そして、そのまま着地に失敗して態勢を崩し――― 「「うわあああっっ!?!?」」「・・・・ッ」 ―――バッシャァンッ!×3 「―――ふははははっ。どうだ、コンニャクの感触はっ。暗闇の中、懐中電灯を照らしながら枝に黒糸をくくりつけるのは骨だったぞッ」 カッカッカ、と腰に手を当てて踏ん反り返りながら高笑する晴也。 枝に乗りながらと言うのが地味にすごい。 暗闇でコンニャクの柔らかい感触と冷たさは恐怖というか心臓に悪いくらいに体が反応する。 恐怖とは操作できる"感情"だが、反射だけはどうにもならない。脳を介さない体の行動には"意志"など入り込む余地はないからだ。 「しかも、夏の薄着で川に落ちれば―――っどあ!?」 バジィッと晴也に雷撃が襲いかかった。 「綾香!? それに渡辺さんも地味にその周りに浮く氷は!? ってか委員長っ、結界張って人払い+防音効果って!?」 「おい何かやばそうだから、俺はお前を犠牲にして俺は逃げるぞっ」 少し離れた枝から馬鹿みたいに声を上げる一哉。 「「ふふふふふふふふふ」」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 怖いくらいに綾香とシンクロする。 心情では表情を変えない杪も一緒だろう。 「「いや、皆さん怖いですのことよ?」」 タジタジと枝の上で狼狽える男子2人を地上からずぶ濡れで服を肌に張り付かせながら睥睨する女子3人。 無言に視線だけが交差した。 「「退避っ」」 堪らず背を向け逃走に走った男子方2人を見て女子方も動く。 「―――殺れ」 「「――――ッ」」 ―――バリバリドガガッッッッ!!!!!!!! 「「ギャアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!」」 天を衝くような悲鳴も高名な結界師の結界を突き破ることは出来ず、石塚山系は静かな夏の夜を演じていた。 |