第二章「生きる伝説と狂神」/ 7
「―――ふぅ・・・・。気休めにはなったかしら」 瑞樹と一哉が一触即発の状態に陥った頃、雪奈はできうる限りの処置を終えて一息をついていた。 今までしていた作業は守護神の封印延命ではなく、破られた時に彼の【力】をできるだけ封じるための作業だ。 「はぁ・・・・。疲れたぁ・・・・」 若い娘とは思えぬ重いため息。 首を左右に傾け、肩の負担を少しでも減らそうとする。 「・・・・はぁ」 これから本戦が控えていることを考えると心持ち、足取りも重くなった。 ここは敵本陣とも言えるのだから早々退避しなければならないのだが、実際に封印は保っているので雪奈はトボトボと守護神が祀られる社の中を歩いている。 「いつ見ても、圧巻だわ」 渡辺宗家が守り、守られる守護神は今、その雄大な姿を幾十もの戒めで縛られていた。しかし、その戒めも老朽化し、もう弾けてもおかしくない。 限界の限界。 どんな状況でも封印の決壊はまもなくだった。 「・・・・さて、戻ろう」 くるっと背を向け、雪奈は出口に一歩踏み出す。 ―――パサッ 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 (今、いとも簡単に封印が解けたような音が・・・・) 脂汗が一気に噴き出し、背筋を冷たい汗が流れる。 ギギッとまるでさび付いたブリキのおもちゃのような感じで雪奈は振り向く。 その先には封印された守護神が――― 「―――っ!?」 目の前にいた。 「あ、・・・・」 <―――フシュー・・・・フシュー・・・・> 息遣い。 圧倒的なまでの存在感に立ちすくむ。 巨体からは【力】の波動と共に強烈な思念が放出されていた。 怒り、怨み、そして、痛み。 「うあ・・・・ぁあ・・・・うぅ・・・・」 この存在を今まで自分が抑えていたのが信じられないくらい強大な【力】に動きを封じられた雪奈は意味のない声を漏らすしかない。 <ウゥ・・・・ッ> ズシンと一歩、守護神は前に出た。 鋭い爪が木の床を削り、鋼をも押し返す毛並みが"柔らか"そうに揺れる。 「あぅ・・・・」 本能的に一歩、後退った雪奈の足が棚の角に引っ掛かった。 「う、うわっ!?」 バランスを崩し、後ろ向きに倒れる中、守護神が全身の毛を逆立てるのを見る。そして、硬直した雪奈の手が"何か"に触れた。 咄嗟に握り締めた"それ"を確かめる間もなく、腹に硬く冷たい角が触れる。 「ひぅっ!?」 <ウウウウウウゥゥゥゥゥッッッッッ!!!!!!!!!!!> 方向に乗せられた【力】が社を破壊し、角を介した【力】が雪奈の意識を打ち砕いた。 渡辺瀞 side 「―――うわぁ、何アレっ?」 緋は霧とその中の建造物を軒並み粉砕し、姿を現した巨体を指差した。 一哉も声を上げぬだけでかなり驚いているようだ。 「・・・・あれは我が一族、渡辺宗家が守護神と崇めるもの」 「・・・・・・・・敵意満々だが?」 「・・・・・・・・・・・・うん、そうだね。こっちを滅茶苦茶睨んでるね」 瀞は投げ遣りに答えた。 その答えを聞いて一哉は目を細め、探るようにして巨体を見る。 「緋」 「はいな?」 「奴の力量は?」 「間違いなく、ここの水術師より上だよっ」 きっぱりと緋は辛い現状を叩き付けた。 「結構大事?」 「かなり大事。・・・・それはともかく・・・・」 瀞は一哉に冷たい――と思わせたいような――視線を向ける。 「話って何? 言っておくけど、私を連れ戻すとか無謀な考えなら今すぐ帰―――」 「違う。そうじゃない」 「え?」 守護神を見つめていた一哉は瀞と目を合わせた。 「俺はお前に礼を言いたかっただけだ」 「お礼?」 小首を傾げる。 長く艶やかな髪がサラッと肩から流れた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞は黙って次の言葉を待つ。 「俺はこの4月まで一般人の暮らしを知らない生活をしてきた。瀞も親父から聞いたなら知っているだろ?」 「・・・・・・・・うん」 「瀞はその普通の生活を教えてくれた。お前に会うまではどうやって人と付き合うのか分からず、少し演技をしていたからな。それを自然な形で溶け込ませてくれたのは瀞、お前だ」 一哉が頭を下げた。 「感謝してる」 「え!? えっと、そんなことないよ。私はただ―――」 「じゃ帰るか、緋」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぇ?」 あっさり台詞を断ち切られ、瀞はどこか呆然とした面持ちで呟いた。 台詞の後でも閉じられない口がどこか間抜けに見える。 「え? それだけ? もう帰っちゃうの?」 「? それ以外に、何か?」 拍子抜けしたような瀞の声に、一哉も不思議そうな返事をした。 「いや、それだけを言いに渡辺宗家に攻撃を仕掛けたの?」 「ああ。まあ、俺も出自が分かって少しはこの国に愛着が湧いたからな。やっぱり、永住するなら気分のいいところじゃないと」 「そうそう。生活するなら楽な人の傍じゃないとっ」 一哉の言葉に緋もよく分からない例えで同意する。 「ってわけで。俺も目的果たしたし、後はがんばれ」 「グットラックだよっ」 一哉は背を向け、腕にまとわりついてくる緋を無視する形で歩き出した。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 胸にいろいろな感情が渦巻き、全く統制を取ることができない。しかし、今何かしなければきっと後悔する。 「・・・・・・・・・・・・・・・・っ」 唇を噛み締め、俯いていた顔を上げた時、2人は指揮を執る宗主の隣を通ろうとしていた。 「―――待ってッ」 「「?」」 悲痛な呼びかけになっただろう。 だが、呼び止めた本人は考えていた。 ―――いったい何を話すというのだろうか。 「―――何だよ?」 一哉は振り返って瀞の言葉を待っている。 このままもう少し無言でいれば一哉は去ってしまうだろう。一哉はそういう性格だ。 「私は・・・・怖いの、戦いが」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞の意志とは関係なく、声が滑り出る。 「私が戦うところでは絶対に死傷者が出る。そうやっていっぱい私の周りで死んでいった。・・・・・・・・・・・・私を護って」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 黙って聞いてくれていた。 「今回、私も参戦しなくちゃならない。瑞樹がどんなに強くても、守護神を倒すことはできないから」 「お前なら倒せるのか?」 一哉の視線は圧倒的な攻撃に苦戦する瑞樹を捉えている。 ここまで轟音が届くのだからそれは戦闘ではなく、抵抗だった。 「トドメを刺すことはできるよ。・・・・・・・・でも、倒せたとしても、最後に立っているのは私だけ。たぶん、瑞樹は私を庇って死んじゃう・・・・」 それは明確な予感。 これまで何度も経験した近しい者の死の気配だった。 「・・・・でも、一哉は私を『守る者』と見ずに『対等』に戦ってくれるでしょ?」 「だな。俺は差別が嫌いだ」 「だったら―――」 勇気を出そうと思う。 幾多の戦いを乗り越えたであろう歴戦の兵士。 能力者でありながら軍人だという異端者。 守護獣という伝説を麾下に収める強大な術者。 「私と―――」 そんな一哉だが、彼自身は家出少女に声をかけ、気を失った少女を介抱してくれた優しい少年だ。 「・・・・一緒に・・・・戦って下、さい」 ずっと封じてきた言葉をやっとの思いで口にした。そして、あまりの緊張でめまいを催しながらも上目遣いで一哉の様子を伺う。 瀞が封じていたわけはその言葉を向けられた相手は必ず死ぬという予感とそれに見合う事実があったからだ。 それは一哉も分かっただろう。 こういうことに関しては恐ろしい嗅覚を持っているのだから。 「―――緋。俺は水の上を歩くような芸当は持っていないが、炎術でどうにかなるのか?」 それでも、静の縋るような眼差しに当然のように頷き、こちらに向かって歩いてくる姿に思わず泣きそうになった。 「あ、ありが―――」 「―――瀞、【熾条】の者を参戦させるのですか?」 ビクリと瀞の肩が跳ねる。 背後からの声は静かながら、殺意にも似た不信感が込められていた。 「宗、主・・・・」 振り向いた瀞は思わず後退る。 彼女の目の前には宗主以下、渡辺の術者が集結していた。 術者たちが自分たちを中心にして半円を描いていることに戦慄しする。 それは文句なしの攻撃陣形だからだ。 「もう一度、問います。【熾条】の者を参戦させるのですか?」 最後通告。 ザリッと術者の靴の下から砂を噛む音が聞こえた。 (戦いになる―――ッ) 「あ、う・・・・」 それでも言葉を返すことができない。 一哉が何と言おうとその体には熾条宗家の血が色濃く流れている。 別に渡辺宗家と熾条宗家の関係が良好というのではなく、あくまで疎遠だ。 当然、一族の総領たる宗主が見過ごすはずがなかった。 (どうしようどうしようどうしよう???) 「―――瀞」 自失に陥りかけていた瀞の意識を一哉が肩をポンと叩くことで浮上させる。 「いち、や・・・・?」 「言いたいこと言えよ。顔色窺ってばかりだと・・・・後悔するぞ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 一哉は分家たちが出す殺気を毛ほども感じていないように見えた。 「俺たちもだんだん、そういうのがなくなったからこそ、平穏な生活ができたんだろ?」 上目遣いになっている瀞と視線を合わせ、ポンポンと頭を撫でる。 「一哉・・・・」 平穏。 そう、この2週間はまさにその一言に尽きた。 「うん」 ふっと笑みを洩らす。 (そうだ、私はもうひとりじゃない) 光を失いかけていた瞳が力を取り戻し、手探りで探し当てた一哉の手を握り締めた。 「確かに、一哉は熾条宗家の人間です。でも―――」 『『『―――っ!?』』』 まっすぐ、分家の集合体や宗主が見たことがないほどまっすぐな視線が彼らに注がれる。 「私たちだけじゃ、勝てません」 初めてと言えるほど珍しく、瀞は宗主の目を見てきっぱりと告げた。 「私たちの術は通じないけれど、一哉の・・・・炎術ならきっと通じます。一哉は国内最高級の炎術師なんですから」 渡辺宗家の力では勝てない。しかし、それは能力者最強の精霊術師が勝てないわけではない。 一哉はきっと分かっている。 これは相性の問題なのだと。そして、この戦闘力ではなく、統率力と政略眼の優れた宗主も。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 誰も言葉を発しない沈黙の時が数分続いた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあいいでしょう。熾条宗家は瀞を匿ったという罪をこの少年を遣わすと言うことで償ったと、そう考えましょう」 瞑想していた真理はふっと息を吐いて呟く。 『『『宗主っ!?』』』 宗主の物言いに分家たちが色めき立った。 「仕方がないでしょう。滅べば終わりですよ。つまらない意地で滅亡したとあってはご先祖様に申し訳が立ちません」 分家たちの不満も分かるのだろうが、それを首を振ることで否定する。 元より世代の繋ぎの宗主である真理は宗家の尊厳よりも存続を選んだのだ。 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 「ここは熾条宗家の"善意"を受けるとしましょう」 「素直じゃないな」 「組織とはそういうものですよ」 茶化しにかかった一哉をさらりと躱す。そして、自分の意見がこうも簡単に受け入れられるとは思っていなかった瀞を見た。 「瀞、頼みましたよ。瑞樹もあまりもたないでしょうから」 瀞にふわりと宗主は微笑む。 そこに理解と期待と―――信頼が見えた。 宗主が自分を疎んじていないと分かって瞳が潤み出す。 「はい、任せてください」 早足で湖へ向かった。―――しっかりと一哉の手を引いて。 熾条一哉 side 「―――さて、戦うのはいいが、俺は水の上を歩くなんて曲芸はできないぞ」 「え?」 軽々と水の上を歩き、一哉を湖の中に連れ込んだ瀞は膝辺りまで水に浸かっている一哉を見て、「あっ」と呟いた。 「ご、ごめん。そうだったね」 前方では瑞樹が敵と水上で入り乱れた戦っている。 「緋。こういう時便利な炎術ってあるか?」 ここは炎術の先達である守護獣に助けを求めた。 「あるにはあるけど。いちやにはまだ無理。帰ったら練習しようねっ」 緋はニッコリ笑い、右手を天に掲げる。そして、その指先に精霊を集中させた。 「覚えておいてっ。これが炎術の補助――空間操作の応用技――"炎獄"だよっ」 そう言って指先から炎が溢れ出す。 「うおっ。・・・・ってあれ? 熱くないな」 「"炎獄"の炎は不燃の炎。異種能力者との共同戦闘も可能なのが特徴なのだよっ」 ビシッと瀞向け、Vサインを繰り出す緋。 「っといちや。いくら炎術師でもこんな不安定な炎に立つのは―――」 「何か言ったか?」 「エェッ!? なんか普通に立ってるよっ。すごいよっ。完璧だよっ。無意識? 無意識なんだねっ? 炎の上に立つってものすごい集中力とコツがいるのにっ」 両腕を上げるという大げさな仕草で緋はびっくりしていた。 「とりあえず、トドメってどうやって刺すんだ?」 それをさらりと無視し、トドメをさせると言った瀞に訊く。 これが分からなければ戦術の立てようがないからだ。 「角があるのが分かる?」 「んー」 一哉は瀞に言われて改めて敵の観察に入った。 基本形態は亀。 それもゾウガメと呼ばれる種類だった。 しっかりと足場を築く太い脚。 幾重の守りを重ねた陣のように不可侵だろう甲羅。 しかし、ひとつだけ、違うものがあった。 それは鼻先に突き出た角だ。 まるで一角獣のような立派な角は全くその体躯に相応しくなく、さらに言えば異質なものだった。 「気付いた? あの角が守護神を変質させて暴走させている源。あの邪気の固まりに私の全力の【力】を解放すれば、勝てるッ」 「なるほど。要するに俺の仕事はあいつにお前の渾身の一撃を喰らわせるチャンスを作ることか?」 「・・・・そうだね」 「そうか、じゃあ―――」 一哉は倒壊した湖上庭園の方を指差す。 「迂回してあそこに潜め。まあ、奴が気付く可能性の方が高いが、俺とあの坊ちゃんで食い止められるだろ」 炎の上に立った一哉は悠然としていた。 不利な戦いに対する気負いもなく、自然体でいる姿に彼が歴戦の兵だと嫌でも実感させられる。 「気を付けて」 「ああ」 すらっと無駄のない動きで刀を引き抜いた一哉はそれを大上段に振り上げた。そして、その刀身にまとわりつくように緋色の粒が集まってくる。 (<火>ってこんなに綺麗なんだ・・・・) 視認できるほどの精霊を無造作に集める器に感心しながら、瀞は水を蹴った。 目指すは湖上庭園跡。 (雪奈さん・・・・っ) 安否が気がかりな女性を思う。 新参者と蔑まれるような視線から実力を以て水無月家を守ってきた1歳年上の少女。 彼女は考え込むことの多い瑞樹を支え、よきパートナーとして傍らにあった。 「―――っ!?」 封印の残滓から解放されつつあるのか、守護神の【力】が高まっている。 彼の周囲に水属性の妖魔――河童や水蛇のようなもの――が現れ、湖岸向けて進軍し始めていた。 「―――皆の者、迎撃だっ。瑞樹様の援護はできないが、邪魔な妖魔どもを打ち払うことが俺たちにはできるっ」 『『『『『オオオオオオオォォォォォッッッッ!!!!!!!』』』』』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瞬く間に激突した両勢は激しい干戈を交え、死闘を演じ始める。 それを背にしても、瀞は止まらずに駆け続けた。 渡辺瑞樹 side 「―――フッ」 気合一閃。 水流が渦巻くようにしてできた刀身は氷塊の攻撃を削ることによって回避する。 そのまま守護神向けて斬りかかろうとするが、地面――水面を揺るがす震脚によって阻まれた。さらに水面を突き破って起立する槍が瑞樹を貫こうとする。だが、それを体勢を崩しつつも刀を振るうことで撃退した。 「はぁ・・・・はぁ・・・・ふっ」 休むことなく突撃を再開する。 瑞樹と守護獣、その間数メートルの距離で高度な戦闘が繰り広げられていた。 (雪奈・・・・ッ) そんな激闘が続く中、瑞樹は邪気の根源たる角についた血痕だけを見る。さらに崩壊した湖上庭園に雪奈がいないことも確認していた。 悪い想像だ。しかし、間違っていないであろうという確信があった。 あの角で雪奈は貫かれたに違いない。 「――――ッ」 水の剣と氷塊が正面から打ち合った。 砕け散った氷の粒にも注意して払い除け、次の攻撃に備える。 (―――ん?) <水>が今、援軍たる瀞が水の上に降り立ったと伝えてきた。 「ようやく、来ましたか・・・・」 正直複雑だ。 従姉妹の瀞が戦闘に向いていないということ。だが、瀞以外に守護神を鎮められる者がいないということ。 どれをとっても悔しく、やるせない気持ちを抱かせるには十分だった。 「―――ん?」 今度は訝しげな声を出す。 ―――ゴゥッ その原因は視界の端より迫り、あっという間に戦場を呑み込まんとする炎の舌。 全くの害意なく、さらには熱気もない炎の奔流は水面を覆い尽くすかのように展開して視界を緋色に染め上げた。 <―――グゥゥ・・・・・・・・> 守護神も訝しげに唸る。 (隙アリッ) 彼の視線が湖岸へと逸れた時、瑞樹は従ってくれる<水>に指令した。 「行きなさいッ」 水の槍が宙を駆け、さらには槍に成り得なかった水滴が弾丸もかくやという速度で守護神を目指す。 一気呵成。 好機を逃すかというべく攻めに転ずる瑞樹。 一瞬遅れて猛攻に気が付いた守護神の咆哮。 さて、何故に瑞樹が<水>の守護神に<水>をけしかけることができるのか。 それはただ単に鼻先に生えた角に宿る邪気が守護神と<水>との共感を妨げているからにすぎない。しかし、おそらくはその角こそこの厄災の元凶だと瑞樹は気が付いていた。そして、その元凶が瑞樹の命を繋いでいる。 元凶の角がなければ戦うことはなかった。しかし、戦った今、その元凶が瑞樹を生き長らえさせている。 だが、それも長くは続かないであろう。 守護神が瑞樹に対して優勢であることに変わりはないし、さらに言えば体力や精神力が違いすぎる。 このまま行けば間違いなく瑞樹は敗れるのだ。 (―――とにかく、なんとか懐まで瀞を導く手立てさえ見つけなれば―――っ!?) 思考で緩んだ攻撃に守護神は反撃を開始する。 一瞬で数多の槍を構成する<水>の制御を奪い取り、さらには反転させて瑞樹を目指させる。 槍を構成させる暇のない、反射に近い速度。 それは瑞樹の、術者の身体能力を以てしてでも躱すことのできないスピードだった。 「くっ。―――なっ!?」 貫かれる、という苦悶から許される限りの驚愕を表す。 瑞樹の視界の端に膨大な数の精霊たちが猛威を振るっていた。 <グォッ!!> 守護神が瑞樹に向けた<水>を迎撃に放ち、横槍とも言える攻撃に備える。しかし、<水>に減退されても、精霊術中持久的攻撃力最強の<火>は時間をかけ、<水>の防壁を食い破った。 <ヴォォッ!?!?> ―――ドゴンッ!!!!! 守護神の巨体が低重心にも拘わらず、炎の直撃を受けて宙を舞う。 「―――さあ、いちやのデビュー戦ですっ。場所は水術最強渡辺宗家本邸、相手は渡辺宗家の皆さんが崇める守護神っ。これ以上のシチュエーションがあるのでしょうかっ。そして、いちやはどんな戦いを見せてくれるのかっ、非常に楽しみですっ!」 脳天気な声はこの状況を全く危機と捉えていない強者の証だった。 |