第二章「生きる伝説と狂神」/ 6


 

「―――雪奈様は無事、最奥に辿り着かれたそうです」
「分かりました。皆に臨戦態勢の触れを」
「はい」

 日も高くなり、水無月家当主が最終点検に守護神が眠る最奥へと足を踏み入れた。

(いよいよ、ですね)

 封印が決壊するのはおそらく今日中だ。
 明日、ここにいる何人が朝日を眺められるか。
 いや、それ以前に眺められる者がいるかどうか。

(全ては・・・・あの娘にかかっているのね・・・・)

 霧に包まれた湖上庭園を臨む渡辺宗家の本陣で真理は最前線に佇む姪をじっと眺めた。
 その双眸に彼女を前にした時の冷酷な色はなく、ただ憐憫と謝罪という弱々しい光しかない。

「―――兄さん・・・・」

 1年前、あの夏の日に、南の島で戦死した前宗主は真理の実兄だ。
 うまくみんなをまとめ、地獄のような戦いでも必死に指揮系統をはっきりさせようと躍起になっていた。
 健気で心優しい姪――瀞も初陣にしてはがんばっていたはず。だがしかし、あの戦いが、あの戦い以後の生活が決定的に彼女を変えてしまった。

(ごめんなさい・・・・)

 真理は瀞に何の不満も持っていない。そして、多くの一族が当初は彼女に責任を問うていなかったはずだ。しかし、真理が巧みに誘導し、瀞をあたかも「腫れ物」に仕立て上げたのだ。
 ただ、兄の影である妹としての立場と―――『ある者』からの指示だけが彼女を突き動かしていた。

「―――宗主」
「・・・・はい?」

 驚愕をわずかな間に押し殺す。
 いつの間にか、側に使用人が立っていた。

「お電話です」

 感情の読めない表情に、こちらを探るような視線。
 嫌悪感を感じながらも素知らぬ顔で問う。

「誰から?」
「"篝火"と言えば分かると」
「―――っ!? もしもし?」

 慌てて引ったくるようにして真理は電話に応じた。

『―――お久しぶり、ですな』

 受話器からはほんの2週間前、面を合わせて話し合った男の声。

「・・・・ええ。あなたもお元気そうで」

 予想通りの人物に真理は肺の空気を全て吐き出し、感情を整理する。

「ご活躍は聞き及んでおります。さすがですね?」
『はっは。まあ、平和な環境にいたわけではありませんから、鈍ろうにも無理ですな。それに今の私は使いでしかありませんし』
「・・・・ご謙遜を」
『ははっ。いやいや、人使いの荒い上司に扱き使われて仮病を使わねばやってられませんよ。・・・・まあ、すぐバレるんですがね』
「何用ですか? これ以上ないほど、私は責務を果たしていると思いますが? そして、今の瀞の状況はあなたも了承したはずでしょう?」

 いい加減、受話器の向こうで人を食ったような態度を取り続ける男に苛ついた。
 真理は受話器を握り締め、若干怒気の籠もった言葉を叩きつける。

「まだ、当家に何かあるのですかっ?」

 先程整理した感情などすでに理性の鎖を解き放っていた。
 ミシリとわずかに"気"が巡った手で握られた受話器が軋む。

『・・・・・・・・急場を前にし、仮面が外れるか』
「・・・・・・・・っ」

 未熟者と馬鹿にされた気がした。

『まあ、いいだろう。・・・・【渡辺】も今は大変だろうから』
「・・・・その大変な時に何です?」

 チラッと電話を持ってきた使用人を見遣る。
 先方にはこちらの動向など筒抜けなのだ。

『本来なら9年前の二の舞にならぬよう、救援部隊を組織するのだが・・・・』

(あなたは9年前に、この国にいなかったでしょうに)

 9年前だけではない。
 1年前も、電話の向こうの男はこの国にいなかった。
 あの戦いに彼がいれば犠牲者の数は一桁違っていたとさえ言われる伝説の人物。

『安心してください。―――私の息子がいますよ』

―――ドドォォォォンッッッ!!!!!!!!

『『『『『―――っ!?』』』』』

 前方からではない。
 思っても見なかった後方――正門からの轟音。

「何事ですか!?」
「は、はいっ。屋敷の門が・・・・ば、爆破されましたっ」

 別の使用人がわたわたと駆けながら報告した。

「何ですって!? あれは耐衝撃術式の塊だというのに・・・・」

 蒼白になり、思わず電話機を落としかけ、それで気付いた。

「―――っ!? もしもしっ!?」
『ツーツーツー』

 無情にも電話は切られていた。だが、これで真理は誰の仕業か、どうやって門を破ったのかを把握することができる。

「・・・・耐衝撃術式も、最高の攻撃力の前には無意味、ですか・・・・っ」

 歯噛みした真理の言葉は南中に達した空と―――

『―――あ〜はっはっは、あっかねちゃんぜっこーちょーっ!』

 脳天気な声と炎に蹴散らされる番犬たちの悲鳴に消えた。






襲撃 scene

「―――重厚な門だな・・・・」
「仮にも退魔界を背負う家柄だしっ」

 一哉と緋は渡辺宗家本邸の前にいた。
 城門とも言える門は道路より五段の石段を登ったところにある。
 高さ3メートル強、横幅5メートル強。
 長い年月を経た木材にしか出せない色が安易に近寄ってはならない雰囲気を醸し出していた。

「どうやって入るの? チャイム押す?」

 緋の視線は門の隣――通用門に向けられる。
 そこには場違いを意識してか、目立たない色でチャイム――呼び鈴があった。

「・・・・いや、押しても開けてくれないだろ」
「んぅ?」

 分かっているのかいないのか、首を傾げるだけで「押してみたい、押してみたいっ」という感情を隠そうとしない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(さて、どうしてものか・・・・)

 熾条一哉は熾条厳一の長男として生まれた。
 3歳の時、何らかの理由で厳一に連れられて出国。
 中国、中東諸国などを転々とし、体術などを中心にいろいろな技能を身につける。
 そして、今日。
 一哉は共にこの世に生まれ落ち、自身の半身とも言える守護獣――緋龍・緋によって身体と記憶から忘れ去られていた炎術を取り戻した。
 それは今までちょっと過去が後ろ暗い帰国子女の男子高校生から一哉は一変させる。
 千年を遙かに超える歴史で最強と謳われ、炎術師の最高峰に君臨する熾条宗家。
 その直系である伝説の戦術家――"戦場の灯"・熾条厳一がの嫡男にして当代直系長子。
 それが退魔界における熾条一哉の立場である―――らしい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふむん」

 緋から聞いたことが本当ならば、この門を破ることは簡単だった。しかし、本当だからこそ、それはしてはならない。
 『熾条宗家の直系術者が渡辺宗家本邸への不法侵入』など許されるはずがないのだから。

「・・・・いちや?」

 黙っていることを訝しんだのか、歩み寄った緋が覗き込んできた。

「・・・・決まってるな」
「え?」

 一哉は薄ら笑いを浮かべ、己が生家を冷笑する。

「俺は熾条宗家など知らない。俺はただの熾条一哉だ」

(悪いな、親父。だが、いろいろ世話焼いてくれたんだから、尻拭いももちろんセットだよな)

 全身の"気"を呼び起こした。そして、右腕を左肩近くまで持っていく。

「っていうか、俺は元々組織とか一族とかが、大嫌いなんだ、よっ」
「よっ」

 心を読んでいたのか、まったく同じタイミングで2つの炎は重厚な門と激突した。

―――ドドォォォォンッッッ!!!!!!!!

 周りの民家から人が飛び出してくるだろう轟音。

「ふふん♪ あかねたちが揃えば無敵なのだっ」

 不可侵の象徴だった門は扉が半ば吹き飛ぶ形でぽっかりと道を空けている。

「うわっ、置き去りなんてヒドイッ」

 勝ち誇る緋を無視し、一哉はすでに邸内に侵入していた。
 やけに広い庭の向こうに一階建ての母屋が日本建築の凄みを以て君臨している。

「これが・・・・瀞の生まれ育った家――水術最強渡辺宗家の本邸、か。・・・・建物は威容だが、どうしたんだ?」

 侵入者に対する迎撃態勢がまるで整っていなかった。
 それ以前に人の気配がない。

『ワンワンワンッ』

「ん?」
「いちや、犬さんだよっ。ワンワン吼えて、どうしたのかな?」

 鳴き声の方向を向いた緋ははしゃいだ声を出した。

「ってあれは、ドーベルマン・・・・」

 最強の犬種とも言われ、警察犬や番犬に最適。

(金持ちの家にはいるもんなんだな。・・・・って)

 ギョッとして一哉はドーベルマンに向き直る。
 数は7ひき。
 どれも戦意旺盛で怯える様子はなかった。

「これは・・・・殺ってもいいっていう指令が出てるな」

 重心を落とし、腰に帯びた日本刀――<颯武>の柄を握る。

「追っ払おうか?」

 殺気を迸らせるドーベルマンに物怖じせず、緋は無邪気に笑っていた。

「できるのか?」

 もしかしたら、瀞が可愛がっているかもしれないのであまり手荒なことはできない。しかし、任務に忠実な彼らを追っ払うのは正直骨だった。

「まっかせてよっ。―――ほぅれっ」
「っておい」

 緋が掌から放った炎は今まさに飛び掛からんとしていた彼らの鼻先に着弾する。
 犬たちは思わぬ熱量に驚いたようだが、すぐに自らを鼓舞するように吼え出した。

「遊んであげるっ」

 次々と体の周りに炎を出現させる緋は逆に犬たちに飛び掛かっていく。

「あ〜はっはっは、あっかねちゃんぜっこーちょーっ!」

 ドカンドカン、と炎弾を発射した。

『キャンキャンッ』
「・・・・任せた」
「イエーッ」

 叩きつけられる熱量と閃光に耐え切れきれず、逃げ出したドーベルマンたちを追いかける緋を尻目に一哉は奥へと入り込む。

「―――玄関だ、急げっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 途中、武器を持った数人と鉢合いそうになったが、冷静にやり過ごした。そして、彼らが来た方を見るため、庭の林――と思うほど広く木がたくさんある――に上る。

「あれは・・・・」

 眼下には琵琶湖が広がり、その湖岸に集結する人たちがいた。
 まるであの霧から来る何かを迎撃するような布陣である。
 数は見たところ五〇弱。
 彼らの身に宿る能力を考えれば、まずまずの人数と言えた。

「いた・・・・」

 湖に臨む最前線に艶やかな黒髪を風に遊ばせている少女がいる。
 瀞は遠目に見ても突然の襲撃に戦(オノノ)いていた。

「さて、行くか」

 するすると木から下りる。
 背後からの爆音はまだ続いていた。

【緋、いい陽動だ】
【よーどー? まあ、褒められたからいっかー】

 呑気に緋は暴れ回っている。
 それでも何も殺していないという事実が緋の非凡さを表していた。

【一頻り遊べば、こっちに来いよ】
【はーいっ】

 守護獣と術者にしかできない意思伝達方法で会話する一哉は何食わぬ顔で混乱している湖岸に歩み出る。

「な、何者!?」
『『『『『―――っ!?』』』』』

 早速見つかった。
 混乱に乗じる作戦失敗。
 水術師たちは色めきつつも臨戦態勢に入る。
 そんな中、振り向いた瀞の顔が蒼白になった。

「い、一哉・・・・」
「おー、瀞。2日ぶり・・・・1日ぶりって言うのか? 日本語はよく分からんが。―――あの時はどーも」

 軽い調子で紡いだ精一杯の嫌味。

「おかげでこの世界、退けないところまで行き着いた」
「―――っ!?」

 一哉の輪郭を覆う緋色の火焔に戦慄して後退る。

「お・・・・思い、出したの・・・・?」

 その言葉を聞き、一哉はニヤリと口元を歪ませた。



「―――へぇ、知ってたのか。俺が炎術師だってことと・・・・失ってたことを」
「―――っ!?」

 瀞は自分が口を滑らしたことを悟った。
 一哉はわずかな手がかりで真相に辿り着けるほど頭が切れる。
 そのことを完全に忘れていた。

「まあ、それは今関係ない。親父が何か告げたくらい、予想はできていた」

(何で!? 何で一哉がここに!?)

 自分が守ったはずの一哉がここにいるという事実が理解できない。
 混乱する瀞を尻目に、ようやく分家の術者たちが騒ぎ出した。

「貴様ッ、熾条の小僧だな!?」
「ああ、そうだ」
「このっ、ノコノコと―――」
「待ってください」

 思いがけない熾条の侵攻に我を失っている分家たちを瑞樹が押しとどめる。

「どういうことですか? 戦争になりますよ? それともその首を自ら届けていただけたので?」

―――態度は横柄なものだったが。

「いや、俺はちょっと瀞に用があってな」

『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 数名の術者が無言で瀞と一哉の間に体を割り込ませた。そして、全員が殺気を含んだ視線を一哉に向ける。

「ふん」

 しかし、一哉はその殺気を物ともせずに鼻で笑い、こちらを見遣った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・どうして、来たの?」

 正直、瀞は一哉が何をしたいのかが分からない。だから、本人に直接問い掛けることにした。
 自然と口調が批難めいたものになるのは仕方ないだろう。何のために手紙を残したというのだ。

「言いたいことがあってな」
「はい?」
「まあ、ゆっくりと話したいからな。―――ってわけで邪魔だ」

 一哉は腰の刀の鯉口を切り、全身から殺気を迸らせる。
 それは兵(ツワモノ)であるはずの分家の集合体をはるかに上回るものだった。

「―――っ!?」

 瑞樹は身の危険を感じて身構える。
 それは彼だけでなく、分家たちも臨戦態勢から戦闘態勢に移行した。

「い、いちや・・・・」

 数十人の戦士に囲まれた一哉を助けようにも瀞の発言力と一哉の所行で諦めるしかない。しかし、救いの神は唐突に現れた。

「―――ジャッジャーンッ! あかねちゃん、ただいま参上♪ イエイ♪」

『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』

 全員の動きがまるで停止ボタンを押されたかのように固まる。
 無邪気な珍入者の声に張り詰めた空気は一瞬で霧散した。

「緋、ドーベルマンは?」
「うん? 小屋に引きこもっちゃったっ。―――って何気に全員集合!? いちや何余裕かましてんのっ! 各個撃破するんじゃなかったのぉ!?」
「思ったより鋭くてな。すぐにバレた」

 一哉はカラカラと笑う。しかし、他の者は笑えるはずがなかった。緋とかいう少女は宙に浮いているのだから。

「守護、獣?」

 それしか考えられない。だが、その存在はあまりにも突飛すぎる。
 伝承上、いたらしいということは分かっているが、実際に確認されたのは初めてではなかろうか。

「何だ、見ただけで分かるものなのか」

 あっさり一哉は肯定した。

「ホント守護獣なの!?」
「ふふん、そうさー、あかねは一哉の守護獣さぁ。格好良く言うとね〜」

 緋はふわりと一哉の横に舞い降り、一哉の腕に自分のそれを絡みつける。

「炎術最強熾条宗家直系術者たる熾条一哉が守護獣――緋龍・緋。これがあかねのプロフィール。趣味は旅行とアリの巣燻りぃ」
「緋、龍!?」

 確か【熾条】の守護神が炎龍だったと思う。
 つまり、緋はその眷属であるというのだ。
 ただの動物の霊格高とは比べものにならない。正直、一哉に命じられれば街ひとつを瞬時に壊滅させることも可能なのかもしれない。
 と、瀞は考えるが、すぐにそれは無理だと思い至る。
 緋――守護獣は現界するのに多くの【力】を失っている。今までの力は一哉から分けてもらっているものだ。
 守護獣は術者の体内で生を受ける。
 それは神獣を体内に宿して生まれるということはそれに応じた器を有しているということ。
 つまりは精霊術の基礎となる"気"の総量がとてつもないということとなる。

(うわぁ・・・・)

 一哉は確かにそうなのだろう。
 よくよく考えてみると門を破ってきたのだ。―――退魔の名家である渡辺宗家の門を。
 当然、耐震動性、耐衝撃性などのありとあらゆる防御作用が付加されている材質で作られ、さらにそれを幾十もの防衛法で保護していた。
 それを一蹴。
 つまりは膨大な費用をかけて築き上げた城門はたった1人――と1ぴき?――の何気ない一撃で吹き飛んだのだ。

(化け物・・・・)

 瀞は恐怖で冷え切りながら、そう心で呟いた。

「ひ、怯むなっ」
「そうだ。こいつを血祭りに上げ、軍神への手向けにするんだっ」
「如何に直系と言ってもこの数を相手にはできないしょうっ」

 恐怖に身を竦ませていた分家たちが一斉に態勢を立て直す。

「だから、待ちなさい」

 瑞樹が分家たちを抑え、一哉に向き直った。

「・・・・お前、直系か?」

 一哉は隙のない立ち振る舞いにやや警戒心を抱いたらしく、わずかだが、重心を下げている。

「ええ。瀞の従兄弟で瑞樹と申します。音川にて瀞を匿った方ですね?」
「ああ」

 礼儀正しく瑞樹は挨拶した。そして―――

「そうですか。では―――死んでください」

 何の躊躇なく振るわれた腕により、左右から水流が襲う。

「うわっ、何て爽やかな死刑宣告ッ」

 一哉は軽く後ろに飛んで避けながら戯けた。

「とりあえず、僕の鬱憤を晴らさせていただきますよ」

 瑞樹は<水>を集めて剣の形にする。
 剣と術の混合技。
 これが瑞樹の戦闘スタイルだ。

「・・・・・・・・やっぱり戦わないといけないのか、はぁ」
「いちやぁ、がんばってっ♪」
「手伝えよ」
「ヤダッ」
「っんな力一杯否定すなッ」

 一哉と守護獣だという少女は余裕のつもりか、少々アブない笑みを浮かべる瑞樹を前にしてでも軽口を交わしていた。

「どこまで巫山戯ている気ですか?」
「あ? いや、さすがにあんた相手に巫山戯はしない」
「だったら―――っ!?」
「あんただったら殺す気でいってもおつりが来そうだしな」

 ニヤリと嗤う。
 その瞬間、不可視なものが湖岸を駆け抜けた。

『『『『『―――っ!?』』』』』

 一哉の笑みを見た数人の術者や火器保持者が得物を取り落とす。そして、ほぼ全員が背筋に寒気を催した。

(何て、殺気・・・・)

 蛇睨み。
 そんな言葉が浮かぶほど、一哉はこの戦場の空気を支配する。
 強大な殺気は攻撃――太刀筋や狙い――を悟らせやすい。しかし、一哉の殺気は周囲を支配するもの。
 つまり、自分の全方位から押し包むようなものなのだ。一撃一撃の殺気など気にもならない。

「なかなか、やるようですね・・・・」

 表情を多少引き攣らせつつも、瑞樹は前に出た。

「さて、覚悟して下さい」

 刀を八相に構え、正面に一哉を捉える。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 一哉は無言で重心を落とし、居合の構えを取った。

「「・・・・ッ」」

 互いの闘気が弾け、両者はほぼ同時に地を蹴り―――

「―――待ってッ!」

 どこか悲痛な叫びなら、2人は無視して戦い始めただろう。何故悲痛かは「知り合い同士が戦う」の一点に尽きるからだ。だが、今の叫びは違った。

「瀞、どうしました?」

 悲痛ではなく焦燥。
 瀞の視線は死闘を繰り広げようとした2人の男ではなく、湖面に浮かぶように見える湖上庭園に向いている。

「まさかっ!?」

 瑞樹が一哉に背を向け、湖上庭園を凝視した。
 そこから伝わる、禍々しい気配を察し、瑞樹は身を震わせる。

「―――瑞樹、【熾条】の者は後回しにしなさい」
「母上」
「宗主・・・・」

 分家の者たちが数人の術者を連れた真理を視界に収めた。

「皆の衆、いよいよ始まります、渡辺の命運をかけた戦いが。各々、自分にできることを精一杯にやり遂げ、決して死んではなりませんよッ」
『『『『『―――っ!?』』』』』

 瑞樹は前線に向かう。
 その意識から一哉はすでに消えていた。

「水無月嬢はどうした!?」
「どうして何も知らせない!?」
「まさか・・・・」
「滅多なことを言うんじゃないっ」

 庭園を覆っていた霧には全く神気が感じられなくなっていた。
 本来ならば水無月家当主――水無月雪奈が封印決壊を告げに戻ってくるはずなのだ。

「雪奈は大丈夫です。それより、皆さん、援護をお願いしますッ!」
『『『オウッ!』』』

 許嫁を信ずる若き戦士の声に二十数名の術者が声を以て応える。
 ちょうど、戦意が頂点に達した時、湖上庭園の中心部――社が木端微塵に砕け散った。

「皆の者、油断するなッ。全力を以て迎え撃て。―――我らが守護神をッ!」

『『『オオオォォォォォ――――――ッッッッ!!!!!!!!!!!!!!』』』

 渡辺宗家が名と誇り、命と琵琶湖の湖岸全土の命運を握って―――吼える。
 その最前線に立つは当代直系長子――瑞樹と次子――瀞の2人だった。










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