第二章「生きる伝説と狂神」/ 5
守護獣。 偶に精霊術師の中で優れた才能の持つ者が使い魔と共に生まれてくることがある。 その使い魔が生涯、術者に従うことから「守護獣」と名付けられた。 だが、その存在は伝説に近く、その確率は測定不可能と言われる。 守護獣の霊格は神獣レベルであり、強大な力を持つと同時に主人たる術者と厳しい制約が結ばれている。 如何に強大な術を以てしても術者を傷つけることは敵わず。 如何に弱き術でも術者の攻撃は防げず。 如何に無敵であろうと術者が死すれば寿命絶たれるなり。 如何に身を隠そうとも術者には無意味なり。 如何に想い隠そうとも魂同士の共振で思念伝わるなり。 守護獣は例が少ないために伝承が少ない。しかし、言えることは霊格が高いので高度な関係を築くことができるのだという。 熾条一哉 side 夏の日差しが等しく降り注ぎ、水面がそれを反射していた。 近くの林から届く蝉の声が聴覚を支配し、川のせせらぎがその隙間を埋める。 そんな夏真っ盛りの中、結界で世界から隔絶された河原で一哉と緋は向かい合っていた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 太陽光とは違う熱源――緋色の炎は緋を守るかのように顕現し、とある形を取っている。 それは周囲を熱波による陽炎で縁取られ、威風堂々とその雄姿を見せつけていた。 「―――ふぅ。どうかな? この熱量ならどんなものでも燃やせるよぉ」 大技に疲れたのか、やや声に張りがない。しかし、その言葉自体に嘘はないだろう。 「じゃぁ、いちや。行くよぉ? あかねの『ちゅうせいしん』を受け取ってね?」 緋が一哉を指差し、獰猛な炎が大気の塵を消し去りながら前に出た。 対する一哉は周りを炎が囲み、退路はない。 さらに、絶体絶命に追い込まれた一哉の脳裏には目の前の脅威を表す同意語が無駄に並んでいた。 (―――龍・・・・竜・・・・ドラゴン・・・・) 「―――ッ!?」 言葉と一緒に思い出した映像に『何かとても禍々しいモノ』が映る。 最早、迫り来る炎を一哉は知覚していなかった。 圧倒的な存在感。 禍々しいまでの鱗。 力強く獰猛さ溢れる翼と牙。 巨木やビルを薙ぎ倒すのではないかという尾。 それらを"思い出した"時、一哉の中でバギンッ、と何かが弾ける。そして、弾けたことによって聞こえた『声』を"気"に乗せて解き放った。 ―――ドンッ!!!!!!!!!!! 短い、しかし、轟音が一哉と緋の間に生じる。 それは一哉が"全ての炎を炎で焼き尽くした"音だった。 「―――はい?」 (炎を燃やす? ってか、これは・・・・なんだ?) 自分の"気"に呼応するモノたちの『声』。 歓喜に溢れ、狂騒を求め、戦意を灯したモノたち。 (これが・・・・精霊、<火>・・・・なのか?) どうやら緋の話では"気"を持っているということは精霊術師であると言うことらしい。そして、今まで使えなかったことに厳一が関係しているという。 一哉は混乱しつつも<火>らしきものたちを右掌に集中させてみた。 ―――ボッ 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おいおい」 (いったい・・・・何がどうなって―――っと) トン、と胸に衝撃。 「うう〜。いちやぁ。おかえりぃ。あかねの御主人様ぁ」 緋が懐に飛び込み、そのままグリグリと頭を押しつけている。 「お、おい・・・・」 「ぅぅ・・・・。ずっと探してたよぉ。グズ・・・・12年間、ずぅっと。ゲンちゃんがいちやを攫っていった、って帰ってきた時に聞かされて・・・・ショックで1年間も眠り込んじゃったよぉ」 「・・・・・・・・待て」 「ふぇ?」 何か聞き捨てならないことを聞いた。 「親父が・・・・俺を攫った?」 「? うん」 緋は目尻に涙を浮かべつつも素直にコクリと頷く。 「何で!?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さあ?」 当然の疑問にはカクリと可愛らしく小首を傾げるだけだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 気になる。しかし、神出鬼没である厳一に連絡を取る方法もない。 (フフ、次会った時にまずは問答無用で捕らえるか。それから・・・・ククク) かなり危険で昏いことを考えていた。 「でも、いちや」 「あ?」 拷問方法を延々と考えていたところに水を差す声がかかる。 「どうして、これ使わなかったの?」 いつの間にか緋は荷物と一緒に避難させていた竹刀袋を抱えていた。 「・・・・いくら刀とはいえ、一瞬で終わりだろ。さらに使う暇もなかった」 「あかねの炎なんかじゃ、これ燃やせないよ? っていうか、熾条で燃やせる人がいないから、炎術師にこれを傷付けることは無理だよっ」 「・・・・刀、だよな?」 刀とは鉄を熱し、形を変えて作られる武器のことだ。 当然、ある程度の熱を加えれば変形するはず。 「これはゲンちゃんがいちやにプレゼントした家宝だよっ。そんじょそこらの日本刀と一緒にしちゃ、刀がかわいそうだよっ。―――はい」 「お、おう・・・・」 一哉は紐を解き、刀を取り出す。何てことのない、黒に微妙に青色が入っているような色の鞘。そして――― ―――キンッ 小気味いい音を響かせて濃い口を切り、スラリと刀身を顕わにした。 「・・・・・・・・へぇ」 刀紋はそれだけで業物と知れる見事な物。 きっとかなりの腕の刀鍛冶が打ったのだろう 更に言えば刀自体、しっくりとまるで何年も使い続けたように手に馴染んだ。 (そういや昔、親父に日本刀が欲しい、ってねだったことがあったか) それはもう何年も前。 日本を出て中国で暮らし、"気"の扱い方や戦闘術を学んでいた時だったように思える。 その時、厳一は眉をひそめて――― 『お前にはまだ重すぎるし、ナマクラじゃお前の"気"に耐えられない。今の儂たちは日本刀を使い捨てにできるほど裕福じゃない』 ―――ときっぱりと断られた。 それを覚えていたのだろうか。 ―――ヒュン 一振り。 全く違和感なく動く。 完璧。 それはこの一言に尽きた。 「―――名は?」 「<颯武(タチカゼ)>、だよっ」 渡辺瀞 side 「―――はぁ・・・・」 瀞はチャプリチャプリと押し寄せる波を見ながら、退屈そうにため息をつく。 「瀞様、気をお引き締め下さい」 「・・・・はい」 瀞は今、一族の最前線に立っていつ来るか分からない敵襲に備えていた。 (湖上庭園は静かなものなのになぁ) 早くこの精神的苦痛から抜け出したくてたまらない。 一族の過半数である十数人が瀞の背後で警戒に当たっているのだ。そして、時折視線を投げかけてくる。 ある者は期待を。 ある者は不安を。 ある者は嫌悪を。 ある者は―――殺意を。 「・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ」 今ここにいる中で敵と渡り合えるのは能力的に見ると瀞だけだ。しかし、瀞は戦意というものがない。 いざ戦闘になれば倒すどころか自分の身を守ることもままならないだろう。 (もし生き残れたら、出家しようかなぁ) そんな十代の娘とは思えぬことを考えていた瀞はぼんやりした視線を湖上庭園に送っている。 今回の戦いは存亡の危機を救うための戦いでもあるし、次代の宗主を決める戦いでもある。 当代の真理は自他共に認める「繋ぎ」の宗主であり、後継者が決まって政務が執れると判断した時点で宗主継承が行われることは渡辺宗家だけでなく、他の退魔組織にも知られている。 候補は瑞樹と瀞の2人だ。 指導力にはまだ、期待しない。しかし、今の渡辺に欲しいのは渡辺宗家を代表する戦闘能力を有した者だ。 昨年の戦いでの損害が甚大な上、生き残りにも潜在能力はともかく、代表と言えるべき術者がいない。 これが今の渡辺宗家だが、それ以前から凋落が始まっていたかもしれない。―――渡辺瀞がこの世に生まれ落ちた時から。 (忌み娘か・・・・) 渡辺瀞は今から十五年前の3月3日に当時の宗主だった祖父――渡辺静虎の嫡孫として生まれた。 父は静虎の嫡男である静昌。 母は静昌の従姉妹である真穂。 その2年前に瑞樹は静昌の妹――真理と分家術者の子どもとしてすでに誕生し、類い希な水術の才を示していた。しかし、瀞は両親とも直系術者とあり、一族総じて期待を寄せていた。 病院ではなく、聖域である湖上庭園で産ませようと静虎が考えたほどの期待っぷりだった。 だが、それは完全に裏切られることになる。 瀞が産声を上げると共に聖域の主が【渡辺】に牙を剥いたのだ。 瞬く間に数人の分家が物言わぬ骸に変えられ、静虎と静昌、真理の共同戦線でなんとか押し返す。 この時、静虎は重傷を負い、3年後にその傷が元でこの世を去った。 次の宗主――もう1人の祖父――母の父であり、父の叔父――も瀞を迎えに行く途中、目の前で事故死した。 元々身体の弱かった母もその数年後に病死。 父も昨年、戦死した。 相次ぐ直系の死。 任務に赴いたまま帰らぬ分家。 封印せざる得なかった守護神。 それらは全て瀞が生まれたことに起因する。 だから、分家内では忌み娘や、それを発展させた"縄加の魅子"とも言われている。 発音は同じだが、意味が違う。 「渡辺を縛る縄を追加した化け物の子」という、恨みに満ちた名だ。 渡辺に連なる全ての者が抱いていたものが表面に溢れ出したのは昨年、鴫島事変の犠牲者を弔う、葬儀の席だった。 その日、渡辺邸はひっそりとしていた。 数日前、意気揚々に出立した三〇余名の内、無事に門扉を潜ったのは8名。 残りは重傷を負って入院したか、戦死したかである。 一気に住人の四割近くを失ったのだ。 戦力に至っては六割強。 壊滅どころの騒ぎではない。 新たな指導者は犠牲者の弔いを急務とし、帰陣3日後には全ての手配を終えていた。 「―――瀞は最後に入りなさい」 「・・・・はい」 真理は返事を聞くと喪主として先に入っていく。 瀞はやや俯いてそれを見送った。 遠地での戦死なのですでに死者は火葬され、骨壺に入れられている。 (・・・・お父さん) 瀞の腕には白磁の骨壺を入れた箱が抱えられていた。 "前"宗主であり、瀞の実父――渡辺静昌のものだ。 「・・・・っ・・・・っっ」 あの日から今日まで何度も泣いたはずなのに、また瞳が潤み出す。 中からもすすり泣く声が聞こえてきていた。 「・・・・っふ、・・・・ぅぇ・・・・」 大声を出したいが、立場や他の者の気持ちを考えて声を殺す。 これで二親等範囲内の血族はいなくなった。 「―――瀞、入りなさい」 中から張り詰めたような宗主の声が届く。 涙でぼやける視界で必死に畳を踏み締め、部屋に入ろうとし、瀞は思わず足を止めた。 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 誰もが彼女を注視し、その視線がまるで言葉のように瀞に襲いかかる。 (やってくれたわね、宗家に仇なす忌み娘) (【渡辺】という木に寄生した白蟻め。遂に屋台骨まで食い破りおったか) (何が最強の浄化力だ。それとも俺たちが不浄の者とでも言うのか) 彼らの瞳は、こう語っていた。 ―――お前が死ねばよかったのに。 「―――っ!?」 地獄から生還した―――してしまった瀞は向けられる感情に戦慄する。 『『『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』』』 濃密なまでの怨嗟が部屋に満ちようとも、誰も声を立てて責める者はなかった。 仮にも主筋の者であり、今は葬儀であるからだ。 だが、雄弁に語る視線と後ろめたさがさして強くない瀞の精神をズタボロにした。 葬儀以後の瀞は抜け殻のようだった。 表の人たちは父を喪ったショックからと思っているだろう。しかし、それの正体はその頃から、いや昔から瀞の深層域に潜んでいた孤独だった。 近しい家族を喪い、一族の大半に忌避される孤独感は、例え瑞樹や雪奈が気に掛けようと拭い去れるものではない。 また、瀞はこの孤独な状況に納得していた。 忌み娘であるという自覚はあるのだ。 そうたらしめる出来事が多すぎるし、実際に彼女の誕生日は凶兆が頻発している時期だった。 だから、守護神との決戦が近付いていることを知った瀞はこれ以上、自分の運命に一族を巻き込めないと思い、逃亡を決行する。 そして、その先で熾条一哉に出会ったのだ。 「――― 一哉、どうしてるかなぁ・・・・」 こうして、一哉のことを思い浮かべ、瀞は戦意を奮い起こそうとする。しかし――― 「あ、あぅぅ・・・・」 それは平和な生活が思い出され、逆効果になっていた。 覚悟を決めし者 scene 「―――瑞樹くん」 「何ですか、雪奈」 モクモクと食事していた雪奈はチラッと視線を走らせ、物思いに耽る瀞を見た。 「瀞ちゃん、男の子のことを考えてるわ」 「ふぶっ」 「きゃあっ!?」 瑞樹が思い切りお茶を噴き出す。 「・・・・ちょっと?」 「す、すみませんっ」 慌ててハンカチを取り出し、お茶が滴る雪奈の顔を拭こうとした。 「ちょっとちょっと落ち着いてっ」 「・・・・はっ」 ようやく大胆な行為をしていることに気が付いたのか、珍しく頬を赤らめる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 釣られて雪奈も赤くなった。 初心な2人である。 「オ、オホン。それで、雪奈は何が言いたいのですか?」 咳払いで戦場に似つかわしくない妙な雰囲気を振り払った。 「え、ええ。瀞ちゃんがあそこまで執着している男の子ってどんな子かしら、って」 「・・・・・・・・・・・・っ」 「ああほら、拳から力を抜いて」 (本当に瀞ちゃんのことが大切なのね) これも一種のシスコンなのだろうか。 「し、失礼・・・・」 ニギニギと何度も握っては開けを繰り返し、何とか力を抜く瑞樹。そして、キッと表情を改めた。 「同居人は瀞と同い年。名は熾条一哉と言います」 「・・・・熾条って、まさかっ!?」 さっと雪奈が表情を変える。 「そう。我が【渡辺】と違い、史上最強と謳われる熾条宗家です」 九州に門を構え、見る者を魅了して止まない紅蓮の炎を操る者たち。 先代の時世から全国各地に点在していた他の一族を援助、転居させていた。 今ではほとんどの炎術師が九州地方で暮らしている。 それらを統べるのが熾条宗家だ。 家柄は【渡辺】と同等だが、保有する戦力は比べものにならない。 もし、戦争になれば藪に火が点いたように一斉に防衛線が燃え広がるに違いない。 「喧嘩、売ったの?」 万全の態勢で臨んでも抗しがたい【熾条】に手を出すなど自殺以外ない。 「瀞は聡い娘です」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 本人の意志はともかく、【熾条】の子と同居していると言うことは【熾条】の庇護下にあったと言うこと。 帰還命令を瀞が拒否すれば、ちょっとしたいざこざが生じるかもしれない。 末端同士ならともかく双方とも直系だ。 戦争への大義名分は完璧。 それを瀞は回避したというのだ。 「【渡辺】を怨んでいる訳じゃないのね」 「・・・・ええ。安心しました」 一族に嫌気が差し、逃げ出した瀞が【渡辺】を怨んでいれば、今ここは紅蓮の業火に沈んでいたかもしれない。だけれども、瀞はそうしなかった。 実際、その一哉は【熾条】に認知されていない。また、当時は炎術が使えなかった。だから、瀞は『一哉を守るため』に抵抗しなかったのである。だが、結果的に渡辺宗家も救っていた。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 2人はさりげなく瀞を眺める。 これでも気配に敏感な瀞は「見られている」ということに気付いただろう。 「僕はこの戦いで皆の見方が変わることを望んでいます。それに・・・・この戦いには瀞の存在が不可欠なんです」 そう言うと瑞樹は万年霧に覆われている湖上庭園を見遣った。 「そうね。・・・・でも、いいのかしら。あの娘に神殺しなんかさせて」 当代で最も守護神に愛されている瀞。 彼女は生まれながらの巫女である。 「もう一度言いますが、瀞は聡い娘ですよ。・・・・本当の『魔物』を見極めるくらい、造作もない。ですが・・・・」 優しい眼差しがやや不安なものに変わった。 「瀞は優しすぎるのです」 この戦いに、渡辺宗家は死者が出ることを前提にしている。 「戦場に等しく降り掛かる死が・・・・自らの責だと思うほど」 じっと湖を見つめる瀞の膝はわずかに震えていた。 |