第二章「生きる伝説と狂神」/ 2
退魔界。 明治維新後の産業発展で妖魔の存在が一般人から忘れられ、それが定着した時期に、この言葉は生まれた。 表の人間が知る由もない裏。 科学の進歩と共に排他され、陰に隠された神秘。 精霊を扱う精霊術師。 法力や法具を使う僧侶。 陰陽道を学んだ陰陽師。 魔力を持つ魔術師。 神に仕える神官・巫女。 強い妖力を受けたがために異能を得た異体質能力者。 様々な能力を身に宿す者たちが主役で血生臭い話が絶えない世界だ。 この世界には法律と言ったものは元より、ジュネーブ条約やハーグ陸戦法規などといった戦場での決まり事はない。 必要とあらば容易に人を殺傷し、その生活を踏みにじる。 法は彼らを罰することはできない。 彼らを罰せれるのは彼らのみ。 裏のことは裏で。 それが、彼らの世界を支配する不文律である。 熾条一哉 side 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 夕食後、一哉は自分の部屋で物思いに耽っていた。 因みに球技大会はA組以外の1年生は壊滅し、痛手を被った上級生もその後のA組の攻勢で積極的な行動はできずに敗北した。 結局、A組は見事漁夫の利を得た形だ。 (―――俺の知らない裏、か) 水術師、鵺との戦いから10日。 どんな世界なのかさっぱり分からない。 分かるのは、渡辺家の本拠は琵琶湖の周辺だということと、裏世界でも大きな組織だということだけだ。 「・・・・はぁ」 (案外、自分の情報収集能力も役に立たないな・・・・) ―――コンコン 「ん?」 『―――私だけど・・・・入って、いい?』 扉の向こうからややくぐもった声がした。 「ああ」 「お邪魔しまーす」 そろぉ、という感じで扉を開けた瀞に苦笑する。 「早く入れよ。何度も入ってるだろうが」 「う、うん。・・・・でも、何か朝入るのと夜入るのとじゃ気分が違って・・・・」 のろのろと瀞がベッドに腰掛ける間、パソコンを休止状態にして向き直った。 「で?」 「うん。説明しておかないとと思って」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 空気が一瞬で入れ替わる。 時計の音がやけに大きくなり、外の音が聞こえた。 沈黙は互いの五感を敏感にさせるのだろうか、とかなりどうでもいい考えが浮かんだ時、瀞が口を開いた。 「私の使う水術、っていうのは<水>――水の精霊の力を借りるの」 「精、霊・・・・。それは万物の根源を成すとか言う四大元素のことか?」 四大元素。 西洋の考えで火・水・土・風の4つがこの世を構成するというものだ。 同じような考えは仏教にも見られ、この場合は四大種という。 「ううん。少し違うよ。私たちが<精霊>と定義したものは6つ」 <火>・燃え盛る劫火、全てを焼き尽くす紅蓮の炎。 <水>・清廉なる水流、全てを押し潰す紺碧の清水。 <風>・包み込む清風、全てを蹴散らす不可視の嵐。 <雷>・切り裂く稲妻、全てを穿ち抜く黄金の雷霆。 <土>・聳え立つ岩盤、全てを支える茶褐色の大地。 <森>・全生命の息吹、全てを育み護る深緑の巨木。 「ヒトには逆らえない自然のエネルギーを用い、また自分が属する<精霊>に害されることはない。だから、退魔界でも私たちは最強と呼ばれてるの」 業火に侵されることのない炎術師。 深海の水圧を物ともしない水術師。 鳥のような飛翔能力を持つ風術師。 超高圧電流を平然と受ける雷術師。 土砂崩れの只中でも不動の地術師。 動植物たちを味方に付ける森術師。 「<精霊>を操る能力は遺伝、つまりは血の繋がりなの。生まれた時より精霊に愛され、その意に従い、魔性を討ち、異形を狩る。それが精霊術師としての・・・・"本来"の在り方だよ」 「・・・・精霊については分かった。・・・・だが、だからといって"気"はどう説明するんだ?」 少年兵が軍人として恐れられた原因となった"気"。 一哉と同じ"気"を瀞の身にも宿っていた。 「一哉は・・・・」 瀞は言葉の途中で口を噤む。そして、数秒だけ目を閉じ、逆に質問してきた。 「・・・・"気"、か」 それは生まれた時から――かは分からないが、少なくとも物心ついた時からあった。 活性化させればそれはオーラのように全身を覆い、身体をより戦闘に特化した状態に作り替える。 速度や強靱さ、回復力が高まり、攻撃力も上がった。そして、応用として局部に集中させることで様々な現象を引き起こす。 例えば、拳で鉄棒を折り、爆発的な加速・跳躍を可能にした。 患部に集めれば止血が、物に触れればそれが強化される。 身体に宿る脅威的なエネルギー塊、だと一哉は考えていた。 「エネルギー塊、か。・・・・確かに使えば減って休めば回復していくし、気功の発頸と同じように相手に打ち込むこともできるし、ね。でも・・・・あ」 ―――♪〜♪♪ 瀞のポケットから着信を告げるメロディーが響き出す。そして、瀞は慌てて立ち上がった。 「? どうした?」 瀞は足がつかないために携帯を実家に置いてきたはず。 怪訝に思い、一哉は眉をひそめながら問う。 「も、もう遅いし、続きは明日にしない? きゅ、球技大会で疲れちゃったしっ」 「お、おいっ」 突然の物言いに目を丸くした。しかし、そうは問屋が卸さない。 「じゃあ、おやすみ、一哉」 「―――待てよ」 低い声と共にドアノブを掴んだ瀞の肩を押さえた。 ビクリと身を固くする瀞の耳元で囁くように言葉を紡ぐ。 「どうして俺と同じものをお前が持ってるんだ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞の答えはなかった。 背後からで俯いているために瀞の表情は分からない。しかし、何かを堪えるように震えていた。 「何とか言えよ」 「・・・・メ」 「あ?」 瀞が小さな声で何かを呟く。 言葉自体は聞き取れなかったが、何か決意の籠もった声だった。 「おい、今何て―――」 「やっぱり教えられないよっ」 バッと手を振り払うようにして体をこちらに向ける。 その瞳は大粒の涙を湛えていた。 「一哉は平和に暮らしたいから帰ってきたんじゃないの!? 知りたいのは分かるよっ。でも、その先を考えたことはある!? 知っちゃったら一哉は絶対帰れなくなる。裏で何かが動き始める。もう二度と戦いがない場所にはいられなくなるんだよ!? それでもいいの!?」 一息に言い終え、ポロポロと涙をこぼす。 「これ、いじょ・・・・いち、やの・・・・グスッ・・・・平穏を、壊せないよぉ・・・・ヒック」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 一哉は目の前で起きた感情の爆発を冷ややかな目で見ていた。 何故かイライラする。 目の前で訳も分からず感情を爆発させた瀞もそうだし、『分からない』という状況を作り上げている自分にもイライラしていた。 「勘違いするな」 「ふぇ?」 「俺は平穏など望んでいない」 帰国して以来、浮かべたことのない冷酷な表情が目の前の少女に向けられる。 「中東を去ったのはいらぬ柵を取り除きたかっただけ。俺はまだ、ぬるま湯のような平和に浸るわけにはいかない」 「いち、や・・・・?」 一歩、瀞は後退った。 一哉の眸の奥にはドロドロとしたものが燦然と輝いている。 まさに冷え固まった表面を突き破り、溶け出した溶岩のようだ。 「話せ、瀞」 「あ、ぅ・・・・」 細められ、炯々と光る双眸に見つめられた瀞は哀しそうに目を伏せる。しかし、次の瞬間にはその視線を敢然と迎え撃った。 「今みたいな一哉には教えられないっ」 瀞の内で急速に"気"が展開していく。 「―――っ!?」 大声と拒否の文句に驚いた一哉は反応が遅れた。 「しず―――」 再び肩を掴もうと一哉の手が伸びる。 「おやすみ、一哉」 指先が触れた直後、とてつもない冷気が全身を貫いた。 渡辺瀞 side 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞は10日前と同じようにマンションを見上げた。 違うのは雨と彼女の手にある旅行カバンぐらいだろうか。 そっと目を閉じる。 一緒に住んでいたのは2週間くらいを思い出した。 撒けぬ追手に憔悴していたところに差し伸べてくれた手。 当然の同居に嫌な顔をしなかった一哉。 統世学園の破天荒さと初めてできた友人。 "今"を楽しそうに生きる生徒たち。 実家にいた頃には考えられなかった楽しい日々。 (でも・・・・さよならだね) 荷物を持ち直した時、気配に気付く。 「―――別れは済みましたか?」 「・・・・瑞樹」 振り返った先に立っていたのは数人の部下を従えた従兄だった。 彼は微笑んでいるが、他の者たちの目は冷ややかだ。 「裏切り者」「疫病神」「一族の恥」など彼らが思っていることが透けて見えるようだ。 「瀞、話は車の中で。状況は一刻を争います」 「分かったよ」 車の後部座席に座るなり、心配と安心を綯い交ぜた視線を寄越してきた。 「さて、瀞」 「・・・・何?」 「心配しましたよ。母からあなたのことを聞いた時は自らの手であの男を殺しに行くところでした」 さっと瀞の顔が蒼褪める。 「そ、それは・・・・」 「本当に何もされませんでしたか? 如何に親が"戦場の灯"と言えど年頃の男です。何より日本で育たず、ゲリラなどやっていたそうですね? そんな低俗な輩と―――」 「一哉はそんな人じゃないっ」 言葉を遮るように大声を出した。 「瀞・・・・」 「すっごく優しくしてくれたし、学校にも行かせてくれた。・・・・お願いだから、一哉の悪口言わないで・・・・」 「・・・・すみません」 頭を下げる瑞樹。 瑞樹も優しい。 一族で孤立していた瀞に変わらず接し続けてくれたのは瑞樹だけだった。 1年ほど前に正式な分家として迎え入れられた水無月家当主――水無月雪奈もそうだが、 幼少よりずっとというのは瑞樹だけ。 「・・・・ごめん。キツいこと言ったね」 「いえ。・・・・では、お話ししましょう。我らが守護神のことを」 「・・・・うん」 精霊術師には全属性共通の伝説がある。 それは彼ら一族の生誕説話であり、精霊術師とはどういうものかを教育するためなど外部の者には囁かれているが、当人たち――特に宗家に属する者たち――からすれば紛れもない真実だ。 精霊術師には一族を見守る神――即ち守護神が存在する。 一族の始祖は太古の昔にこの神によってとある【力】を与えられた。 そう伝えられている。 だが、それは真実だ。 少なくとも渡辺宗家には”守護神”と言える、妖魔とは違うナニかが存在していた。 「―――封印は限界です。いえ、むしろよく保ったと思います。本来なら去年、あの厄災から1ヶ月後に解放されていたはずですから」 瑞樹は耐えるように窓の外に視線を向けた。 1年で、あの出来事を過去にすることはできない。 それは瑞樹も、瀞も同じだった。 1年前、退魔界は地獄の底へと叩き落とされた。 南太平洋の火山島で起きた戦い。 精霊術師を始め、多くの能力者や関係者が投入され、四桁を超える死傷者・行方不明者を出した大戦。 その甚大な犠牲者の中にはふたりの父親の名もあった。 終戦後の渡辺宗家は宗主――瀞の父――や幹部数名を失い、死傷者の数も多く、戦力は戦前の4割まで低下していた。 史上最弱まで堕ちた渡辺の不幸は続く。 長年封印されていた守護神が目覚め、今にも破られそうになったのだ。 封印主が討ち死にし、戦力が激減した渡辺に強大な守護神を迎撃することは不可能だと断じた新宗主――瑞樹の母――は同族の水無月家を取り込んで新たな封印――時間稼ぎ――を施す。 それによって当面の危機を脱し、戦力増強に努めたのだ。 「正直、今の渡辺でも勝つことは難しいです」 車は高速に入り、どんどんスピードを上げる。 「ですが、瀞。あなたの―――」 「また、いっぱい死ぬよ」 「死ぬでしょうね。これは渡辺の全戦力を投入した総力戦ですから」 淡々とした物言い。 瑞樹は一族の苦難を受け入れ、戦うことを決意している。 「怖くないの?」 「・・・・怖いですよ。僕もまだ17歳です。未練はあります。・・・・でも」 眸の奥に不撓不屈の精神を宿らせ、瑞樹は宣言した。 「逃げたくはないんです、己の運命に。―――例え、神殺しという大罪でも」 それから会話がないまま、2人を乗せた車はとある屋敷に停まった。 滋賀県の象徴――琵琶湖を西に臨む純日本建築の豪邸だ。 重厚な門の向こうには石畳と玉砂利が敷かれ、夜には灯籠が灯される大きな庭が広がっている。そして、その奥に土台の表面を白石で覆った石垣に一階建ての母屋が鎮座していた。 千数百年前からあり、彼の織田総見院信長も手出しできなかった退魔界の古豪。 水術師の頂点に立つ渡辺宗家の本拠地である。 「―――母上、戻りました。瀞も一緒です」 『分かりました。・・・・今そこに?』 襖の向こうから渡辺宗家のトップ――叔母の声がした。 「はい。―――さ、瀞」 「・・・・うん」 そっと襖に手を伸ばす。 二週間ぶりに帰る実家の空気は淀んでいた。 (本当に・・・・限界なんだ・・・・) 膨大な【力】の気配を瀞は湖上から感じ取っている。 「失礼します」 カラリと開けた先には40歳前後の女性がいた。 渡辺真理。 現渡辺宗主にて瑞樹の実母だ。 1年前、ボロボロになった渡辺の態勢を整え、今でも退魔界の重鎮としての地位を維持できているのは彼女の政治的手腕によるところが大きい。 「よく戻りましたね」 「瑞樹が来て、抵抗できるわけないです」 「ええ。最終手段でしたから」 ふわりと微笑む真理は年を感じさせない美しさがあった。 「今集められたのは37名の術者に30名前後の火器保有者です。術者は私が直卒しますから、あなたは瑞樹と共に本体を攻撃しなさい」 瀞が参戦することは決定事項とばかりに話を進め始めた。 今ここにいる以上、反論できないし、そもそも反論する気もない。 全てを渡辺存続に捧げる真理が瀞に逃げ道を残しているわけがないのだ。 この二週間は骨休め。 これからは唯々諾々に従うしかない。 反抗した先に待つ絶望を見ないために。 (一哉・・・・私が護るからね) 数人の分家の監視下にあるだろう一哉を思う。 もし、瀞が何らかのアクションを起こせば分家は容赦なく、抗するほど力のない一哉を討つだろう。 数人の分家とはいえ、瀞1人に勝るものではない。 総力戦とは持てる全てのカードを使い切らねばならない。 真理は戦力では、数より質を選んだのだ、史上二人目の最も<水>に愛される者を。 「此度の戦いで次期宗主が決まるでしょう」 「宗主なんて・・・・」 渡辺の直系――嫡流――は真理を除けば瀞と瑞樹しかいない。 だから男である瑞樹が、というわけにはいかなかった。 血統=実力の方程式が成り立つ能力なのだ。 最も優れた者が宗主に就くという実力至上主義。 その主義に従えば2人の実力は特化する部分は違えど、拮抗していると言える。 「私は親とはいえ、公平に判断します。ですから頑張ってくださいね」 以後は事務的な話となり、夜も遅いということで瀞は退出した。 「―――はぁ・・・・」 トボトボと歩き慣れた廊下を歩く。 分家の面々は湖岸の陣地構築に忙しいのか、その多くが出払っていた。 「あれ?」 縁側の廊下に差し掛かった時、瀞は思わず声を上げる。 そこには誰より湖岸に、いや、湖上にいなければならない人物が座っていた。 襟が赤い白衣に緋袴。 長い髪は白い布製のリボンでまとめられ、後ろに流されている。 憂いを帯びた美貌が雲の合間から差す月明かりに照らされた。 (やっぱり、大人っぽいなぁ。・・・・ひとつしか違わないのに) 童顔の瀞に対し、その少女は顔たち、雰囲気が大人びて見える。 「雪奈さん」 「わっ。・・・・あ、なんだ、瀞ちゃんか。驚いたわ」 「す、すみません」 この家に帰ってから、気配を無意識に消していた。 幼少から意識的に消していたために習得してしまった技能のひとつだ。 「いや、謝ることはないけど。―――元気にしてた?」 「・・・・はい。雪奈さんは・・・・少し痩せました?」 「そう見える? 最近体重測ってないから分からないわ」 少し疲れた笑みを浮かべた雪奈は以前よりもやつれて見えた。 「無理、しないでくださいね?」 瀞は相手の体を思い、気遣いの言葉をかける。 「今、無理しないといつするの?」 しかし、雪奈はそれを一蹴した。 「え?」 じっと見上げられる。 その意志の強い瞳に全てを見透かされそうで怯んだ。 「私の無理がみんなを・・・・瑞樹くんを生かしてると思うと疲れも吹き飛ぶわ」 「・・・・・・・・っ」 何て強い言葉なのだろうか。 己を犠牲にし、その結果を喜んでいる。 嫌がらず自分から行う雪奈は強者のオーラを持っていた。 「でも・・・・」 それは行う側であり、そんな雪奈を心配しているからこそ――― 「瑞樹くんは辛いよね」 「・・・・はい」 水無月家。 水神を和ませ、雨を降らせる"雨乞い"をする祈祷師一族として名高い。 神を相手にしてきた歴史と先祖返りと言われる雪奈の【力】を求め、十年ほど前から宗家とは交友があった。そして、激しく衰退した宗家は財政難と人手不足で喘いでいた水無月家を約1年前に吸収。 内なる敵への備えとしたのだ。 「瑞樹は・・・・雪奈さんのことを、本当に大切に想ってますから」 さらに雪奈はその水無月家の当主であり、瑞樹の許嫁だ。 明らかな政略結婚だが、2人とも互いに気を許し合っている。だから、無理をする雪奈を瑞樹が心配しているはずだ。 「ふふ。でも、瑞樹くんは分かってくれるわ。ううん、渡辺の直系として、宗主の息子として・・・・彼は分かるしかないのよ」 だから、苦しんでるんだろうけど、と続け、雪奈は視線を庭に戻す。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 雪奈の言葉。 それは無自覚だったが、それ故、瀞の心を深くえぐった。 直系の責務を蜂起し、逃げ出した自分。 一族よりも自分を選び、それでも一族に縛られている自分。 敵と相対する勇気もないのにただ流れに身を任せるだけの自分。 (・・・・かっこ悪いよ、ね) 直系とは即ち当主家だ。 一族の存続と名のためにある責任職。 それが渡辺直系に化せられた使命である。 それを瑞樹は、そして、同じ当主の雪奈は全うしていた。 初志貫徹。 徹頭徹尾。 不撓不屈。 様々な自分とは相反する言葉が脳裏に浮かぶ。 (私は・・・・何がしたいんだろう・・・・) 「―――雪奈様」 「ええ、今行くわ」 毅然と立ち上がった雪奈は瀞に背を向けた。しかし、すぐに立ち止まる。 「瀞ちゃんはこの二週間で何を学んだのかしら?」 「え?」 「何か変化しているはずよ。・・・・だって―――」 くるっと振り返り、笑みを以て言った。 「前より、いい顔してるわ。―――支えがあるような、ね」 ??? 渡辺宗家本邸、湖上庭園が最奥――【三加三乃也之呂(ミカミノヤシロ)】 出雲大社と同じく大社造りで完全に陸から切り離されて水上にある。 庭園全域を包む結界とは別の結界で覆われ、立ち入る者は新設された神主一族のみ。 渡辺の術者でも畏れて近寄らず、神域にて絶対不可侵。 迷路のように張り巡らされた回廊は結界が作り出す濃霧の中、冥界への入り口かと思わせる。 <―――ウ・・・・ヴヴ・・・・> その奥から響く、深い怒りを孕んだ唸り声。 古より湖岸に割拠した者たちが崇め、守りし【モノ】の御声。 それも今ではいろいろな意味での恐怖対象でしかない。しかし、湖岸に集結した渡辺宗家全戦力は死の恐怖に晒されながらも誰1人、背を向ける者はなかった。 様々な防衛措置が取られた湖岸に覚悟を胸に布陣し、彼らは来たるべく戦いに備える。 人知れず、裏の世界にも知れないというほど静かに、渡辺宗家は滅亡の危機に瀕していた。 |