短編「お見舞い」
「―――あっつ~」 梅雨が明け、セミが番を探すために本気で鳴き始めた週末。 期末テストを終えた鹿頭朝霞は隣町の神居市にある総合病院を訪れていた。 ここに入院する渡辺瀞を見舞うためである。 手には彼女の着替えを持っていた。 これまで寝間着が多かったのだが、リハビリで院内を散歩するために私服が必要だと頼まれたのである。 (もうすぐ退院かしら?) 二か月に及ぶ入院は精霊術師にとって長い。 それだけの重傷だったのだが、それが完治するのもすごいことだ。 「ふぅ・・・・」 空調管理された院内に入り、一息ついた。 体調を崩さない程度に冷房が利いていて、外よりマシだ。 半そでに七分丈のパンツルック、サンダルとはいえ、暑いものは暑い。 「あんたは暑くなかったの?」 手提げかばんから取り出した汗ふきシートを使う朝霞は、同行者を見上げた。 「いや、暑かったぞ」 同行者――熾条一哉は中でも外でも変わらぬ表情で言う。 「ただ中東の方が暑い」 「あ、そ」 時々忘れるが、帰国子女だった。 「不快指数は間違いなく日本の方が上だがな」 そう言った一哉は自動販売機コーナーに行き、スポーツドリンクのペットボトルを3本買ってくる。 「ほら」 「ども」 その内のひとつを渡された朝霞は近くの椅子に腰を下ろした。 「瀞さんの退院は近いのかしら?」 「まだだろ」 一哉はあっさりと答える。 「え、でも、リハビリなんでしょ?」 「リハビリが必要ってことは、まだ日常生活を送るにはキツイってことだ」 「まあ、そうだけど」 ベッドの上で優しく微笑む姿が普通になっていたイメージがようやく最近崩れ出したのだ。 それから比べれば退院は近いと思っていいのではないだろうか。 「あいつ、退院したら今まで以上に俺を監視しようとするだろうからなぁ」 一哉は立ったままペットボトルを開ける。 どうでもいいが、開け方は妹の鈴音そっくりだ。 「瀞さんならありえそうだわ」 離れていた分、はりきりそうだ。 「それが分かっているから、体に障らない程度になるまで退院させないつもりだ」 「・・・・もしかして、病院からは退院を進められているのかしら?」 「暗に示されてはいるな」 「はぁ・・・・」 過保護、とそう思った。 渡辺瀞と言う少女は見た目から受ける印象ほど弱くない。 いや、むしろ強い部類に入ると思う。 一本の筋が入っているイメージだ。 (その強さを支えているのが、熾条一哉と言う存在、か・・・・) ふたりの間に何があったのか、実はよく知らない。 家出した瀞を受け入れ、渡辺宗家の問題に介入して解決した、という記録は見たことがある。 だが、その出来事をふたりがどう思っているのかは聞いたことがなかった。 ただ言えるのが、瀞は一哉を信じ、一哉もまたそうであることだ。 (不思議なふたりよね) そこまで行けば依存関係になってもおかしくないのに、ふたりはそれぞれ独立した存在だった。 「さ、汗も引いたし、病室に行きましょ」 「だな、温くなるし」 一哉は瀞用の飲料を掲げて歩き出す。 「ちょ!? 置いてかないでくれるかしら!」 慌ててペットボトルをかばんに入れ、一哉の背中を追いかけた。 「―――瀞さん、朝霞です」 瀞の病室――個室――をノックし、声をかけた。 『あ、朝霞ちゃん? ちょうどよかった。入ってきて』 「はい」 カラリと扉をスライドさせ、朝霞は病室に入室する。 途端に鼻をかすめるいい香り。 病室は薬臭いと思われがちだが、それは診察室であって普段の病室は割と普通だ。 だが、個室となればいろいろアレンジできる。 瀞はスイレンの香りが出る香炉を持ち込んでいた。 「瀞さん、着替えです」 何故かベッドにはカーテンがかけられており、朝霞はその脇を回り込みながら着替えの入ったかばんを掲げる。 「あ」 そして、固まった。 「ありが・・・・・・・・・・・・え?」 「お?」 瀞が笑みを浮かべて凍り付く。 さらに朝霞に遅れて着いてきていた一哉も止まった。 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」 チクタクと目覚まし時計の秒針が進む。 そんな中、先に覚醒したのは朝霞だった。 と言うか、一番ダメージが少なかったのだ。 (でも・・・・きれいね) 瀞がベッドのカーテンを閉めていたわけ。 それは着替え中だったからだ。 淡いピンクの下着を身に着けた瀞が、こちらのかばんを受け取ろうとベッドの上で四つん這いになっている。 白いきめ細かい肌は、陽光に反射して柔らかそうな質感を伝えていた。だが、その白い肌が急速に赤く染まっていく。 「え゙、ちょっと瀞さん!?」 それと同時に周囲の空気が急速に冷却されていった。 「キ・・・・ッ」 瀞の口から声が漏れた瞬間、朝霞はしゃがみ込んでズボンのポケットに手を入れる。 「キャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」 「どわぁ!?」 悲鳴と共に繰り出された氷狼が一哉を食い殺そうとし、咄嗟に反応した一哉が炎をまとった腕を一閃した。 双方とも慌てていたこともあり、激突の瞬間に【力】が弾ける。 それは病室を暴れまわり、窓ガラスを粉々に破砕した。 「げっ」 「あっ」 ふたりは備品を壊したことに顔を蒼くするが、荒れた病室はすぐに再生した。 「ナイスだ、朝霞」 「褒められても嬉しくない」 一瞬の攻防に反応した朝霞は、ポケットの中に持っていた結界符で中位結界を展開。 【力】の暴発が収まった瞬間に結界を解いたのだ。 だから、破壊された病室が再生したのである。 「う、ぅぅ・・・・」 病室の床に座り込み、汗を拭う一哉とは対照的に、瀞はふとんに潜り込んでいた。 「見られた、見られた・・・・」 「・・・・瀞さん、すごいアホみたいなツッコミですけど」 「・・・・何?」 「割と瀞さん無防備なんで、下着くらい家で結構見られているんじゃないかしら?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 瀞がふとんから顔を出し、一哉の方を窺う。 「いや、そんなことないぞ」 ホコリを叩き落としながら立ち上がった一哉は、いつもの無表情で言った。 「ぅわあああ!? ホントなんだ!?」 「・・・・いや、待て。何故にその結論に?」 「うまく隠せていたと思うのに・・・・」とか呟く一哉。 (その冷静さが取り繕ったようにしか見えないからじゃないかしら?) 少なくとも朝霞には分からなかったが、瀞には不自然だと思ったのだろう。 「ま、とりあえず、あんたは出てけ」 「・・・・了解」 話が進まないと思った朝霞は一哉に撤退を命じ、一哉もそれに素直に従った。 「―――ああ、その服か」 しばらくしてから病室に入ってきた一哉の反応に、朝霞は首を傾げた。 「見覚えが?」 「ああ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「って、続き言いなさいよ!」 黙った一哉にツッコミを入れる。 (瀞さんと違った意味で天然なんだから!) 言葉にするとふたりとも否定するだろうが。 「前に緋の服を買いに行った時、店員さんにペアで薦められたんだよ」 代わりに瀞が答える。 「緋とお揃いなの」 「・・・・それは母娘に思われたんじゃ・・・・」 「?」 小首を傾げる瀞と視線を逸らす一哉。 (ああ、あいつはそれが分かったから言わなかったのね) 朝霞に察せられたと分かったのか、一哉が咳払いする。 「リハビリは?」 「順調順調♪」 もう普通に歩いても問題ない。 「一哉は?」 「・・・・まあ、ぼちぼち」 「ぼちぼちって何よ?」 朝霞がツッコミを入れるが、ふたりは気にせずに会話を続ける。 「そっか~」 「・・・・そうだな」 「まぁた、隠れて悪いことをしているんだと思ってたよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「もう! そこで黙らなかったら誤魔化されてあげたのに!」 バシバシとベッドを叩きながら抗議する瀞。 わずかに頬も膨らんでおり、不満をいっぱいに表わしていた。 「謀略は俺の代名詞、じゃダメか?」 「確かに何も企んでいない一哉は一哉じゃないけど・・・・」 (確かにそう思うけど、はっきり言うわ) 朝霞は一哉と瀞の距離感に驚く。 これでまだ知り合って一年とか、どれだけ密度の濃い生活をしてきたのだろうか。 「じゃ、朝霞ちゃん、これよろしく」 「はい?」 手渡されたのはデジカメだ。 手のひらサイズで瀞が重宝しているものである。 「そんでもって、一哉はここね」 瀞は一哉の手を引き、ベッドに座らせた。そして、瀞はその後ろに回って両肩に両手を置く。 ちょうど一哉の頭の上から瀞の顔が覗いている状態だ。 「えっと、撮れと?」 朝霞の質問に瀞が頷く。 「瑞樹が見舞いに行けないからせめて写真を送ってくれってさ」 瑞樹とは瀞の従兄――渡辺瑞樹のことだ。 現渡辺宗家の宗主で、対東海道方面SMO最前線を任されている若き英傑である。 (瀞さんのこと、溺愛していたわね・・・・) すでに結婚している身だが、従妹への愛情は別枠のようだ。 「で、何故に俺も写るんだ?」 「え?」 「・・・・何も考えてないのか?」 「え・・・・いや、逆に写らない理由もないと思うけど・・・・?」 小首を傾げる瀞は、本当に不思議そうだ。 「・・・・後で呪いの手紙が来るかもしれん」 「大丈夫!」 「さすがにそんな余裕ないか」 「一哉ならそんな呪いは燃やせる!」 「呪いを否定しろよ!」 (天然だ・・・・) しかも、一哉に対する絶対的な信頼の上に立った、天然だ。 「はいはい。撮りますよ」 一哉にツッコミを入れさせるほどの漫才を見ていたい気がするが、胸やけもしてきた。 さっさと終わらせるに限る。 「・・・・・・・・少しは笑ったらどうかしら?」 朝霞はレンズ越しに見る一哉の表情を見て言う。 「・・・・さっきの話を聞いて笑えるか」 (そりゃごもっとも) 「ダメだよ、笑わないと」 一哉の後ろから手を伸ばした瀞が、彼の両頬を摘んだ。 「こりゃ、ひゃめひょ」 「あはは。何を言っているのか分からないなぁ」 伸ばすのではなく、むにむにと揉みこむように指を動かす瀞が悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「朝霞ちゃん、撮って撮って~」 「こりゃ!?」 「アイマム」 楽しそうに笑う瀞に釣られ、朝霞も笑みをこらえながらシャッターボタンを押した。 ~後日談~ 「―――へぇ、瀞ちゃん楽しそうね~」 水無月雪奈は瀞から送られてきたメールを見て呟いた。 そこには写真が添付されている。 「ほら、瑞樹くん。見て見て」 屋敷にいたころはほとんど笑わなかった少女が、今は幸せそうに笑っていた。 彼女にその笑みを与えたであろう少年は瀞に頬を掴まれながらも大人しくしている。 (この写真は熾条の方でも物議を醸しそうね) 「って、瑞樹くん?」 振り返れば夫の姿がなかった。 しかし、彼の愛刀の代わりにメモが置かれている。 『ちょっと憂さ晴らしに岐阜の敵でも潰してきます。夕ご飯までには帰るから』 「・・・・ッ!? ちょ!? 誰か止めて!」 結局、雪奈の制止は間に合わなかった。 渡辺瑞樹は単身で出撃、岐阜方面SMO部隊を襲撃する。 旧組織が攻めてくるとすれば大軍と判断していたSMOに対して奇襲となり、大損害を与えた。 特に来る侵攻時に用意していた機甲戦力が軒並み水害に遭って戦闘不能になったことが、後の戦況に影響することとなる。 |