第八章「烽旗山、そして封鬼山」/


 

―――最初はただの暇つぶしだった。

「―――うわ、何だ、ここ?」

 あの頃の俺は豪奢な廊下にびっくりしたのを覚えている。
 病院で頼まれた通りに入った屋敷はこの世のものとは思えないほど輝いていた。

「うわーうわー」

 俺はようやく退院して歩けるようになった足で絨毯の上を走る。

「・・・・ん?」
「・・・・っ・・・・ッ」

 とある部屋の前を通った時、中から小さな声が聞こえてきた。

「だれか、いるの?」

 俺はドアを開けて中を覗き込む。

「う・・・・ぅぇ・・・・っ」

 すると、天蓋つきのベッドの上に座り込んでいる小さな背中が見えた。

「・・・・ッ、ふ・・・・っ」

 押し殺すように小さな嗚咽を漏らす少女。
 栗色の髪は日の光を反射して輝いていたのをよく覚えている。

「どうしたの?」
「ふぐ?」

 気が付けば俺は少女に話しかけていた。

「だ、だれ?」

 今思えば当然と思える疑問を放ち、少女は怯えたように後退る。
 じわりと目尻に新たな涙が浮かび出した。

「あ、あやしいやつじゃないよっ」

 それを見て、慌ててそう言ったが、実際不法侵入であったし、充分怪しい奴だ。

「・・・・うそ」

 当然の如く、少女も信じてくれなかった。

「ホントだよ。・・・・それで、どうして泣いてるの?」

 俺はベッドに近寄り、大胆にも少女の手を取る。

「・・・・ヤッ」

 パシッと振り払われたが、俺はめげずにもう一度握り込んだ。

「・・・・っ!?」

 少女の瞳にはっきりとした怯えが覗く。

「あ・・・・」

 俺は今まさに自分を怖がっていると分かって、その手を離した。
 少女は膝を立て、そこに顔を埋めてしまう。

「出ていってッ」
「う・・・・」

 涙を浮かべた冷たい視線を受け、俺は後退った。

「―――御嬢様? 如何なさいました?」

 部屋の外から聞こえた誰かの声。

「じゃ、じゃあ、また来るよっ」
「もう来ないで」

 即答の拒絶に思わず笑みが漏れる。
 彼女はこちらを無視せず、ちゃんと反応を返してくれた。
 心の底で人を求めているのか、それともただお人好しなのかは分からない。
 しかし、この時の少年は特に不快にも感じず、この出会いを大切にしようと思った。
 だから、少年は少女の言葉を意に介さずにこう告げる。

「絶対に、来るから」

 これが俺――穂村直政と少女との出会いだった。






穂村直政side

「―――あー・・・・」

 8月の一週目。
 ようやく夏休みという日常に慣れてきた穂村直政は、日差しが高く上った時刻に体を起こした。
 暑くなる時間に合わせてセットしておいた冷房が効き、不快感はない。
 だが、逆に言えば、この過ごしやすい部屋から暑い廊下に出たくない。

「懐かしい夢を見た・・・・」

 直政はベッドに座ったまま、カーテンを開けた。
 その窓からは、嘘みたいな豪邸が見える。
 唯宮邸だ。

(昔は人見知りだったなんて・・・・今の友人たちは信じないだろうな)

 唯我独尊。
 天真爛漫。

 彼女を表す言葉としてこれらを含むことに、誰も異論を挟まないだろう。

「何があいつを強くしたんだか・・・・」

 幼馴染と言いつつ、一緒の学校に通うのは今回が初めてだ。
 心優が通っていたお嬢様・お坊ちゃま学校が、外から見た華やかさだけでないことも知っている。
 家格で言えば上級の元貴族や歴史ある豪商もいるだろう。
 一般的に旧家に位置するこれらからすれば、唯宮家は戦後に急成長した、言わば成金だ。
 先の家柄の者とは確執がある。

「統世学園は・・・・いいところだな」

 そんなところで暮らしていた彼女が、何ら変哲もない統世学園に入学した。
 統世学園に金持ちの学生が入ることはよくあることだ。
 統世学園の破天荒な部活からは優秀な人材が輩出されている。
 これを発掘するために一族を送り込む企業もいるのだ。
 心優はこれを口実に入学した。
 それから4ヶ月、彼女の表情には常に笑顔があった。

「統世学園、か・・・・」

 直政はため息をつき、最近ずっと考えていることを思い浮かべる。
 あの七不思議の戦いの後、統世学園は封鎖された。
 変電施設から放射された魔術が、生徒会棟を崩壊させたからである。
 表向きはガス爆発などにしているが、異常は明らかだった。
 速やかに対応して見せた統世学園は、裏とつながりがあると見える。
 そもそもが、学園内に封印があったのだ。

【―――封印を守るために、学園ができたのではないか?】
「・・・・・・・・人のモノローグに勝手に入らないでいただけますか? って、何回言ったんでしょうねぇっ!?」

 脳裏に響いた声は、御門宗家の守護神のものだ。
 本体は居間で、越中頭形金箔押天衝脇立兜に朱漆塗桶側胴具足の姿で飾られている。
 この地は聖域となっているので、氏子である直政の心も読めるのだ。

【それはさておき、統世学園じゃが・・・・】

 ツッコミを入れる直政を放置し、守護神は話し出す。

【古来より学舎は聖域として機能しておる】

 大日本帝国において、教育者は天皇の代弁者。
 戦後においても学校で起きることは学校が、ひいては教育委員会が処理してきた。
 このため、学校での出来事は学校関係者が語らぬ限り表に出にくい。
 そんな閉鎖的環境にあった。

【ただでさえ分かりにくく、学生でなければ容易に出入りできない場所に封印を置くには・・・・】

「最初から封印の上に作ればいい、ってか」

 そう考えれば、馬鹿でかい敷地も分かる。
 学校の範囲が大きければ大きいほど、不可侵域が広がるからだ。

「七不思議で言う、理事長の存在が謎だ、ってのも、この辺りかね~」

 統世学園の理事長は一度も公に現れたことがないことで有名だ。
 基本的なことは理事会が、学校内は校長が運営していた。

【それだけ大事な封印が破壊され、陸綜家はどう動くのか・・・・】
「さあ? 末端の俺には分かりゃしねえ」

 実際、情報は入ってこない。
 朝霞も何やら忙しいのか、連絡が付かなかった。

「―――川中島戦線が動いた」
「ぅお!?」

 襖を開けるなり、いきなり話し出した穂村亜璃斗に驚く。

「・・・・兄さん」

 驚いて思わず部屋の隅まで逃げた兄を、冷たい視線で見下ろす。

「おほん」

 その視線に、直政は姿勢を正した。

「で?」
「うん」

 宗主らしく、厳かに続きを促した直政の正面に亜璃斗は座る。

「山神本陣向け、SMOが迂回攻撃。これを察知した山神本隊は、全力でSMO本隊を襲撃した」
【まるで第四次川中島の戦いじゃの】

 武田信玄と上杉謙信の、最大の戦いだ。

「山神本隊はSMO本隊の機甲戦力をほとんど排除。戦車や装甲車を失ったSMOは総崩れになるも装甲兵で戦線を維持」

 元々、山神には電子機器を中心とした兵器は通用しにくい。

「そこに援軍が到着し、山神は"雷神"の攻撃で援軍を牽制し、四散した」
「四散?」

 首を傾げる直政。

「バラバラになって撤退したの」
【山神が負けた、か・・・・】
「うん。でも、SMOも残存する機甲戦力を失い、歩兵戦力のみとなった」
「歩兵じゃ、術者相手には辛いな・・・・」

 地術師ならばともかく、雷術師の戦闘力は精霊術師トップレベルだ。

「で、川中島戦線の局地戦として行った濃尾戦力の富山討ち入りも失敗したことで、装甲兵も足らず、SMOも川中島を維持するだけで精一杯」
【結果までそっくりじゃの】

 武田家も川中島――海津城を維持したことで、川中島をほぼ領有化したが、損害が大きすぎずにそれ以上進軍はできなかった。
 戦術的勝利は上杉家、戦略的勝利は武田家。
 だが、大戦略的に見れば引き分け。
 これが第四次川中島の戦いである。
 山神宗家対SMOも同様の結果となった。

「富山戦線で結城宗家との繋ぎを維持できてよかった」
「だな」

 そこでも負けていれば、山神宗家は孤立していた。
 尤も孤立しようとも、山神宗家は戦いを止めないだろうが。

「結城宗家はこの事態についに動くらしい」
【ほぉ? 繋ぎの結城が、矢面に立つのか?】
「いいえ、本当の矢面に立つのは渡辺宗家です」
「渡辺・・・・」

 直政は口の中で小さく呟いた。
 御門、凛藤に続き、壊滅しかけた宗家。

(渡辺先輩の実家・・・・)

 今も尚、入院している渡辺瀞。
 その実家が動くとなれば、陸綜家がいろいろ忙しくても仕方がない。

「しっかし、山神先輩が動くと・・・・派手だね」

 直政は相好を崩し、天井を見上げた。
 直政は上田で彼女に会っている。
 彼女は一〇〇近い一般隊員を圧倒して見せた。
 だが、今回は山神の撤退を助けるため、彼女は単身でSMO川中島方面軍主力を相手にしたのだ。

「亜璃斗ー」
「ん?」
「山神先輩が相手にしたSMOの主力ってどのくらい?」
「・・・・装甲兵三〇〇、一般隊員五〇〇、機甲戦力三〇輌」
「ってどれくらい?」
「・・・・現代兵力換算で・・・・一個歩兵連隊+一個戦車大隊?」

 第二次世界大戦ならば数千名の兵力だ。

「マジで一騎当千か・・・・」
『何を言いましょう。御館様もそれくらい相手にできるはずです!』
「因みに煌燎城襲撃部隊以上」
『・・・・御館様、修練あるのみですぞ』
「調子よすぎだろ!?」

 あっさり態度を変えた刹にツッコミを入れる。

「・・・・だけど、事実だしなー」

 対軍に優れると言っても、実際に戦ったこともない。
 それに地術師が得意なのは要塞戦だ。

【直虎は・・・・】

 落ち込む直政に思わず、という形で守護神が口を挟んだ。

【直虎は守りだけでなく、攻めも得意だったぞ】

 御門直虎。
 直政の父親だ。

【直虎が目指したのは井伊兵部大輔直政だ】

 井伊直政。
 徳川四天王のひとりであり、常に先鋒を任された部将。
 四天王の中では最年少であり、仕官した時期も遅い。
 それでも武田家の遺臣を取り込み、最前線を駆け続けた。

『徳川家の得意な戦術は?』
「精鋭部隊で敵を受け止め、攻め疲れた敵を精鋭部隊と共に他の軍で叩き潰す」

 "野戦の名手"・徳川家康が戦略・戦術で唯一敗れたのは、三方が原の戦いだ。

「つまり、耐えるだけでなく、耐えた後の攻撃も、得意たれ?」

 亜璃斗がまとめる。

【そういうことじゃな】
『そのためには情報です。御館様、とりあえず、煌燎城へ行きませんか?』

 煌燎城。
 陸綜家の本拠地であり、かつての激戦地だ。

「あそこなら、何らかの対応を見られるかもしれない」

 亜璃斗も賛成のようだ。




「―――というわけでやってきたわけだけど」

 直政は大きく破壊された石垣や壁を見てため息をついた。
 戦いから1ヶ月以上経過しているが、ほとんど補修されていない。
 だが、それでも兵器関連は補充されており、戦闘力は維持されていた。

「あ」

 亜璃斗が声を上げる。
 その顔が向いている方向を見れば、何やら盛大に土煙が上がっていた。

<おお!? 久しぶりだな!>

 馬蹄の響きと共に直政の前に急停止したのは、神馬だ。
 因みにその背には神代カンナと叢瀬央葉を乗せている。
 慣性の法則に手綱を握ったカンナは耐え、ただバランスを取っていただけの央葉は吹っ飛んだ。

『ひゃほーーーーーい』
「吹っ飛びながらスケッチブックにペン走らせて書いて見せても誰も見ねえよ!」
「・・・・兄さん、ちゃんと見えてる」
「・・・・お?」

 腕を組んで首を傾げる直政に、呆れた口調が届く。

「お前たち、いつでもどこでも平常運転だな」
<よいよい。若者はそうあるべきだ>

 カンナは呆れたため息をつき、ゆっくりと鞍から下りた。

「ものすごい速度で走っていたけど、乗馬うまいの?」

 亜璃斗の質問にカンナは鞍を撫でながら答える。

「こいつも九十九神でな」

 「どんな状況でも主を落馬させないという効果がある」と続けた。

「ある意味拷問だな」
「まあ、拘束具の一種らしいからな」
「えー・・・・」

 そんな九十九神からあっさりと下りるカンナ。

「で、どうした? ここにお前らを呼び出す奴はいないが?」
「ほとんど出払っているの?」
「ん、熾条緝音と風御門飛依がいるだけだ」

 陸綜家の事実上トップと煌燎城の守備隊長だ。

「・・・・というか、それ以外はいるの?」
「・・・・ああ、そういえば普段からいないな」

 他の幹部である宗主たちはもちろん、大半の人間はいない。
 ここは陸綜家の本拠地ではあるが、ある意味戦闘要塞なのだ。

「誘き寄せて殲滅するための、要の城・・・・」

 城にはいろいろある。
 経済目的の城、相手の行動を制限するための城。
 これらは主に交通の要衝に作られる。
 一方で、完全に戦闘用の城がある。
 平時には何の役にも立たないが、いざ戦いになれば敵に出血を強いるもの。
 敵が無視できず、だが、攻め取っても何の意味も無い城。
 後者が煌燎城だ。

『ここにいた戦力はどこにあるのですか?』

 そう、誘き寄せて殲滅するほどの戦力はどこにあるのか。

「<鉾衆>の主力は、統世学園にいるぞ」
「・・・・やっぱり」

 呟き声とも言える音量で、直政は声を漏らした。

「・・・・何も聞いていないのか?」
「聞いてない」

 亜璃斗が代わりに答える。

「ま、そうか。指揮系統が混乱するし、それを正している時間もないからな」
「時間が、ない・・・・?」
「ああ、封印が完全に解けるまでの、な」
「封印・・・・」

 やはり統世学園には何かあったのだ。
 それが七不思議調査の夜に破壊されたのだ。

「あの夜、何があったか覚えていない・・・・」
「そういうものだったらしいぞ」
「え?」

 聞けば誰も詳細を覚えていないらしい。
 ただ事実として、音川結界群なるものが破壊され、統世学園の敷地に封じられていたモノが復活する。

「詳しいことを知っているのは、熾条一哉だけだ」
「あいつだけ・・・・」

 また、ろくでもないことをしたのだろうか。

「なあ、神代さん、何が復活するか、知っているのか?」
「・・・・ああ」

 カンナは重い口調で肯定する。

「それは、何?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 亜璃斗の問いに、カンナはゆっくりと言葉を紡いだ。

「鬼だ」






「―――ふぅ・・・・」

 統世学園のとある一角で、水無月雪奈はため息をついた。
 それは疲れを吐き出すもので、熱を吐き出すものだ。

「お疲れ」

 その背中に、一哉は声をかけた。

「悪かったな。戦闘準備があったんだろうが」
「全くだよ。まあ、水無月家は前線に出ないから」

 水無月雪奈。
 渡辺宗家宗主・渡辺瑞樹の妻であり、水無月家当主。
 水無月家は水術師の諸家ながらも、分家のひとつに迎えられた家であり、ひとつの技能を持つ。
 それは封印の強化ないし封印から溢れ出す【力】の浄化だ。

「どのくらい保つ?」
「・・・・今日一日。明日は・・・・ダメなんじゃないかな」
「十分。一日の時間があれば、どうにか・・・・する」

 雪奈は一哉の言葉を聞き、きょとんとした。

「・・・・くすくす」
「何だよ」
「いや、瀞ちゃんから聞いていた、『自信満々な一哉』じゃないから」
「・・・・さすがにこれはなぁ・・・・」
「・・・・・・・・ま、神様をどうにかした君には相応しいんじゃない?」

 一哉が見上げたものを、雪奈も見上げる。

「この季節は呪われているのか?」
「さあ?」

 昨年の今頃、一哉は渡辺宗家の守護神と戦った。
 そして、今年は―――

「歴史から消された、鬼、か・・・・」
「討伐した歴史を語られることのない鬼」

 雪奈が首を振る。

「ううん、討伐できなかった鬼。総力を挙げても封じることしかできなかった、鬼」
「隠しに隠し、悠久に渡って封じられてきた鬼、か・・・・」

 巨体に幾十もの結界という鎖をまとい、それでも圧倒的【力】を放つ。
 幾度もの戦いを経た肉体は、鼓動に波打ちながらも、まだ眠っていた。

「この地は、戦の烽火台や旗があったから、烽旗山」

 「だが、その語源は―――」と、苦虫を噛み潰したような顔で続ける。

「そして、鬼が封じられているから、封鬼山」

 一哉の呟きが聞こえたのか、『鬼』がゆっくりと目を開け、その濁った眸で下界を睥睨した。









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