統世学園生徒会長


 

 弓道。
 武道の競技人口の中で最大派閥を誇る、弓術から発展した武道である。
 弓術である小笠原流、日置流、本多流などが妥協の末に作り出した射法八節を基本とする。
 しかし、他の流派と対立しているわけではなく、他の流派を修めつつも競技に参加することが可能だった。
 協議内容としては近的と遠的があり、ほとんどの弓道場は近的場と呼ばれる形式だ。しかし、統世学園にはその両方がある。
 学園の特性故、弓術に偏りがちな弓道部だが、その知名度はひとりの部員によって全国区だった。






「―――はぁ・・・・仕事が多いです〜」

 唯宮心優は書類を放り投げ、生徒会室の机の上に突っ伏した。
 放り投げた書類が頭に降り注ぐが、それを無視して横を向く。

「せんぱ〜い、休憩しましょうよ」
「・・・・あんた仕事は早いけど根性ないわね」

 同じく書類仕事をしていた会計・山神綾香がため息をついた。
 今日の生徒会室には心優と綾香のふたりだけだ。
 副会長は塾の模試で生徒会長は部活である。

「いいじゃないですか〜。どうせ時間潰しなんですから」
「その時間潰しすら放棄しているじゃない」
「根性がないので効率重視を目指しています」
「前向きなんだか後ろ向きなんだか」

 再びため息をつかれてしまった。

「というか、マンモス校なのに生徒会メンバーが会長、副会長、会計、書記しかいないのは間違っています!」
「権力を持つ者が増えすぎると何するかわからないでしょ」
「確かに!」
「・・・・そこで力強く頷かれると、なんだかなぁと思うわ」

 綾香は前髪をかき上げながら三度目の溜息をつく。

「・・・・思うに、先輩がこの学園以外に転校すれば三日も経たずして退学になると思うんですよ」
「・・・・へぇ」
「そこで大鎖鎌を取り出すところが問題なんです!?」

 慌てて窓際まで逃げた。
 途中で自らが放り投げた書類を踏んで滑り、窓の外にダイブしそうだったがなんとか耐える。

「身投げする気? 死ねるわよ、そこからだと」
「あ、危なかったです・・・・」

 生徒会の上から二番目の階に位置する生徒会室は3階だ。
 死ぬかどうか微妙な高さだが、地面はコンクリートで間に木々もない。
 落下速度と言うよりも落下地点の材質で死に至る。

「ま、生徒会役員が少ないのは認めるけど」

 綾香は自分で入れた紅茶を口に含む。

「その分、生徒会下部組織が存在するんだから」

 他校では生徒会役員の事を執行役員と呼ぶところもある。
 これは生徒会で決めたことを実際に実行する機関でもあるからだ。
 だが、統世学園は違う。
 あくまで生徒会役員は行政権保持者であり、執行者ではないのだ。

「それでも仕事を割り振るのは面倒です」

 生徒会の下には委員会連、部活連の他に生徒会下部組織が存在する。
 生徒会下部組織とは委員会や部活に関わらない様々な仕事を実際に運営する組織だ。
 統世学園は役員を増やすよりも手足を増やすことで多数の生徒を統括しているのである。

「晴也なんて丸投げなんだけどね」
「会長はその下部組織出身者ですからよく知ってますもんね」

 「暗部とかいうわけのわからない部門の」と続けた心優はティーポットから自分の紅茶を注いだ。

「あたしは委員会連出身だしね。何の後ろ盾もなく入ったあんたは大変でしょうね」
「いやぁ、知名度だけはありましたから」
「軽音部、ね。一応、部活連所属ではあるけど、あそこは体育会系部活が幅利かせているから」
「体育会系部活と言えば、会長も体育会系ですよね?」

 確か弓道部だったはずだ。

「そ。弓道やっている時は大人しくていいんだけど・・・・」
「かっこいいって噂ですけど?」

 生徒会長・結城晴也は統世学園を代表する愉快犯だ。
 しかし、同時に弓道部のエースでもある。
 袴姿の真面目な姿は多くの女生徒に支持されていた。
 何かやってくれそうな期待から男子が、先の理由から女子が、大きな期待を抱いて生徒会長に選任した。

「実際にどうなんですか?」
「・・・・珍しいわね。あんたが他の男子に興味を抱くなんて」

 ちょっと視線を泳がせながら綾香が言う。

「恥ずかしがらずに教えてくださいよ」
「・・・・くっ、普段ほややんとしているくせに人の感情の機微には鋭いんだから」
「えっへんです」

 胸を張ってから綾香との距離を詰める。

「はぁ・・・・」

 その爛々と輝く瞳に嫌気がさしたのか、綾香はため息と共に話し出した。

「神代流弓術って知ってる?」






(―――相変わらず・・・・)

 ピンと張りつめた空気の中で、弦が矢を放つ音と的に当たる音だけが響いていた。だが、その速度がおかしい。
 普通は一射するのに数分をかけるのだが、場を支配する音は毎分何射とも言えるものだった。

(神代流弓術免許皆伝・師範代・結城晴也)

 神代カンナは道場の壁際で彼の横顔を見ながら思う。
 神代流からの名前の通り、カンナの実家で伝えられている弓術だ。
 先代師範はカンナの祖父であり、彼の死後、誰も師範の座についていない。
 カンナの将来設計には神代家の家督を継ぐと共に復活させたいと考えていた。
 だが、カンナは未だ免許皆伝に至っておらず、上級門下生の地位に甘んじている。

(先輩は・・・・ただひとりの免許皆伝者)

 カンナの叔母が現結城宗主夫人であり、晴也とは従兄妹同士だ。
 その関係もあってか、晴也は小さい頃から神代神社の敷地内にある道場に通っていた。
 風術師であることも手伝って、気流を読むのに長けた晴也は抜群の腕を見せる。そして、神代流の極意である速射をすぐさま修めて最年少免許皆伝者となったのは5年前だ。
 その頃には術者としての技量も上がっており、敢えて"気"を治めて矢を放つこともできるようになっていた。
 つまり、<風>が伝える気流の状態を敢えて聞かず、一般人と変わらぬ性能だけで矢を放てるようになったのだ。
 それでも晴也の技量は変わらなかった。
 それは晴也が風術師でなくとも優れた射手になれたことを示している。

(今も、か・・・・)

 晴也が挑んでいるのは遠的だ。
 遠い目標に向け、速射術を駆使している。
 それは集中力、腕の筋肉に多大な負荷をかけていた。
 術者として"気"を使った身体能力ならばできるだろうが、今の晴也は"気"を使っていない。
 結城晴也という少年から青年に変わろうとする肉体だけを使っている。
 それは技量だけでなく、身体能力も優れているということだ。

(全く、普段は楽をしようとするのに、弓道だけは辛い道を歩む人だ・・・・)

「だぁ!? ラスト外した!?」

 全身汗まみれになっていた晴也が100本目の矢を目標から大きく外した。
 乳酸が溜まって震える筋肉と汗のために狙いが逸れたのである。

「お疲れ様」

 カンナは立ち上がり、用意していた濡れタオルを渡した。

「サンキュ」

 タオルを受け取った晴也はそれで顔を拭いて一息つく。

「くそう、なかなか100本連続は達成できないな」
「遠的をそれだけ連続して行い、ほぼ全てを中てるだけでは満足できないのか?」
「おう、やるなら徹底的に、だ」

 ニカッと子供っぽい笑みを浮かべた。

「全く」

 そんな晴也にカンナは肩をすくめる。
 今のカンナには逆立ちしてもできないことを、まるでゲームか何かのように言う。

(確かに技量云々以前の話だが)

 カンナでも数本程度ならば遠的ができるであろう。だが、そもそも矢を遠くに飛ばすためには弦の復元力を強くしなければならない。
 それはつまり、弦を強く引かなければならない。
 高校女子の平均的身体能力であるカンナには荷が重すぎた。
 それに引き換え、晴也は何気に体格がいい。

「先輩、また背が伸びた?」

 カンナが少し背伸びしながら晴也の髪を撫でる。
 この時に晴也がやや背を丸めたことに気が付いた。

「お、分かるか? といっても1cmだけなんだけど」
「私は変わらなかった」
「お前も十分育っているだろ」

 ポンと逆に大きな手のひらを頭に乗せられる。

「・・・・確かに身長は平均以上だが」
「いや、そこじゃなく」
「? じゃ、どこだ?」
「あー・・・・いや、なんでもない」

 晴也の視線が顔より下に向いた気がするが、すぐに逸らされた。
 気になって視線を向け続けたが、晴也は咳払いとの後にこう告げる。

「じゃ、いつもの鍛錬すっか」
「はい、師範代」

 鍛錬のため、カンナは敬語に切り替えた。






「―――ふぉぉぉ・・・・ッ。確かにかっこいいです」
「・・・・ホントにね」

 心優と綾香はその一部始終を弓道場玄関の影から見ていた。
 ここへ来たのは偶然だ。
 書類を仕舞おうとしたら、そこの鍵がなかったのだ。
 書庫の鍵は生徒会長と副会長が持っているため、この場合は晴也から借りるしかなかった。
 ついでに"準備していた昼食"でもどうかということで、ふたりで連なって来たのだが。

(なんかすごいとこを見ました!)

 正直、晴也の真面目な顔もびっくりだったが、それ以上に驚いたのは友人・神代カンナの態度である。

(親戚のお兄さんと言えどあんな顔を・・・・・・・・)

 真剣な晴也の顔を、どこか得意げな表情で見つめるカンナ。
 まるで大好きなお兄ちゃんのかっこいいところを自慢げに見つめる妹のようだった。

(かわいすぎます。これがギャップ萌えと言うやつですか・・・・ッ)

 漫画だと心優はダクダクと鼻血を漏らしていただろう。

「しかし、会長は化け物ですか?」
「やっぱそう思うわよね」

 あんな速度で矢を放って、目的に中っているなんて信じられない。

「元々、弓矢ってのは速射性が高い弾幕射撃だったらしいんだけど・・・・」

 「指矢懸りとかいう戦法ね」と綾香は続けた。
「神代流はそこに命中精度も求めたの」
「でも、真ん中に、というわけではないんですね?」
「みたいね。的に中ればいい、って理論みたい」

 確かに矢ほどのものが体に中れば、たとえ急所でなくとも大ダメージだ。
 丸かった弾丸とは違い、古くから矢じりの形状が細工されていた矢は高い殺傷力を持っていたのだから。

―――くぅ〜×2

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 間抜けな音と共に真面目な雰囲気が霧散した。

「・・・・おなかすいたわ」
「はい。わたしのおなかはケーキを所望しています」
「メイン抜いていきなりデザート?」
「いえ、ある意味本日のメインともいえないでしょうか?」
「なるほどね」
「ってことで今これをぶつけましょう」
「同意するわ」

 腹の音を鳴らしたという乙女には恥ずかしい事実を忘れようと、ふたりは早口で会話する。

「・・・・で、それはどうやって作ったの?」
「唯宮財閥にかかればお茶の子さいさいです」

 心優はレジャーシートを広げ、その上に腹ばいになった。そして、用意していたものを肩に押し付ける。

「許可を」

 RPG-7もどきを構えた心優はスコープを覗いたまま呟いた。

「・・・・許可する」

 ノリノリな後輩に呆れつつ、応じてやる。
 因みにスカートで足を肩幅に開いて腹ばいになるものだから、後ろから見たらはしたない姿になっていた。
 そのため、綾香は敢えて心優の後ろに立ってやっている。

「ファイア!」

 本当に火薬を使っていたのか、爆発音と共に筒状の物体が発射された。
 それは本物のRPG-7とは違い、レーザー光誘導で晴也向けて飛翔する。そして、命中寸前で破裂した。

―――パァンッ!!!!

 パーティー用クラッカーが破裂したような音と共に色とりどりのリボンが指向性を持って発射された。
 それは狙い通り晴也向けて飛ぶ。そして、彼が一歩下がったことで教えを乞うていたカンナに真正面から命中した。

「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」

 四者四様の沈黙。
 綾香は呆れて天を仰いだ。
 晴也は真面目な顔を引っ込めてニヤニヤと笑っている。
 心優は半笑いのまま硬直していた。
 そして、色とりどりのリボンに襲われて尻餅着いたカンナは、手放していた弓と矢筒を引き寄せた。

「お〜ま〜え〜はーッ!?」
「ヒッ!?」

 怒髪天を突くとはこのことか。
 カンナは神速で矢を番えると、心優向けて射放った。

「ちょ!? それは矢じりありますよ!?」

 幸い、狙いが逸れて玄関の戸板に突き刺さったが、矢じりが数センチの厚みを貫通している。
 人体に中ればただではすまない。

「穏便に!? 穏便に!?」

 と言いながら逃げ出した。

「待て!」

 怒りが収まらないカンナは当然追いかける。

「あ、会長!」

 カンナが開け放った玄関の向こうで苦笑している晴也の姿を見て、叫ぶ。

「誕生日おめでとうございます!」
「お? おーありがとう」
「食堂でパーティー準備しているので、また!」

 言いたいことを言い終えた心優は蛇行した全力疾走で食堂への道を走り出した。

「・・・・ッ」

 その軌跡を追うように、カンナの矢が突き立っていく。
 運動音痴の心優だが、さすがにカンナも矢を放ちながらではなかなか追いつけない。
 心優は時々転んでいるが、いいフェイントになっているのか、狙いも定まらないようだ。
 というか体に絡まったリボンや「誕生日オメデトウ」の垂れ幕が邪魔になっている。

「カンナ、楽しそうだな」

 玄関までやってきた晴也は心優が投げ出した荷物を拾いながら言った。

「楽しそうなの?」
「他にどう見える?」

 晴也は紙袋の中から丁寧に折りたたまれた物体を取り出す。

「あ、それ誕生日プレゼントね」
「・・・・なあ、今何月よ?」
「5月ね。もうそろそろ夏日が普通になってきた5月29日」
「・・・・・・・・・・・・・・・・これ、マフラーなんだけど?」
「結構高かったのよ?」

 綾香はにこっと笑みを浮かべる。

「最高級カシミヤ製」
「結構じゃねえ!? 超高級品!?」
「巻いてあげるわ」

 晴也の手からマフラーを回収して迫る。

「暑いわ!」
「大丈夫よ。あの娘、PRに使うとか言って冷蔵室に撮影場所確保してるって言ってたし」
「冷蔵室!? というか撮影って何!?」
「これでモデルデビューね」
「俺の誕生祝いじゃねえのかよ!?」




 この年の冬もの特集に、晴也の写真が載ったとか載らなかったとかはまだわからない。









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