第二章「初ライブ、そして初陣」/9


 

『―――念動力にて救出しろッ』

 突然の出来事に誰もが動きを止める中、椅央の言葉で全てが動き出した。

「警備隊も投入っ。瓦礫を退かしますっ」

 白衣を翻し、岩盤に取り付いた黒鳳に続いて次々と男たちが救出作業に入る。
 天井の崩落。
 それは絶望的な結果を予想させるに十分だった。だがしかし、椅央も黒鳳もそんな絶望から目を背け、ただただ助けるために指示を出し続ける。

「鴫島の病院へ連絡しろっ」
「救急ヘリの手配はできたか!?」

 その狂気とも言える熱意に突き動かされた職員たちは口々に言葉を交わし合い、自衛隊もビックリな災害救助能力を示した。
 元々、加賀智島は孤島なので救助隊の到着はどうしても遅れる。だから、こういった緊急事態の訓練はしっかりと行われていたのだ。

「見えたッ」

 最前線で念動力を振るって瓦礫を取り除いていた少女が声を上げたのは、崩落からわずか5分後だった。

「うぅ・・・・」
「生きてるっ」

 そんな時、椅央が操作する重機がドームに現れ、瞬く間に瓦礫を取り除く。
 そうして姿を現したのは鮮血に塗れてはいるが、未だ息のあるまどかと央葉だった。
 すぐに瓦礫から遠ざけられ、職員たちは二次災害が起こらないようにと作業を開始する。

「央葉は・・・・無事?」

 喧噪の中に消え入りそうなまどかの声が紡がれた。

『『『―――っ!?』』』

 己の身を全く気にする素振りはない。
 その第一声が己が守った子どもの安否を問うものだったことに言葉を聞いた者たち全てが震撼した。
 その弱々しい声音に籠もる強い想い――母性に圧倒されたのだ。

『・・・・ああ、無事だ。傷ひとつない』

 彼女の周囲に沈黙が居座る中、スピーカーを通して椅央が言う。
 瓦礫の崩落からまどかが抱き締めて庇った甲斐あって、央葉はどこにも怪我を負っていなかった。

「そう・・・・」

 まどかはそれを聞くとむくりと体を起こす。そして、脇に寝かされていた央葉に近付いた。
 その動きはもどかしいほどに遅い。しかし、誰もが手を貸すことを忘れて行動を見守った。

「ああ・・・・」

 血に濡れた己の手で央葉の頬を撫で、その頭を自分の腿に乗せる。

「よかった・・・・」

 心の底からと分かる安堵の吐息。
 息をついたまどかは虚ろな視線を彷徨わせ、それを黒鳳に固定した。そして、見る者を蕩かせる、幸せそうな笑みを浮かべる。

「椅央も・・・・」

 立ち尽くす黒鳳から視線をスピーカーに向けたまどかはゆっくりと語り出した。

「みんな、央葉を助けてくれてありがとう」

 優しく、何度も央葉の頬を撫でる。

「みんな・・・・みんな私たちの愛しい子どもよ・・・・」

―――椅央は、いや、【叢瀬】は忘れない。その強くも優しい柔らかな笑みを。

 その後、彼女は愛しい子たちに看取られ、静かに息を引き取った。






叢瀬椅央side

「―――ん・・・・」

 最初に感じたのは冷たさだった。しかし、すぐに頬に添えられた何かの温かさが全身に染み渡っていく。

(余は・・・・)

 ゆっくりと覚醒していく意識の中、椅央は考えた。
 装甲兵との無理な交戦の最中、実験区から飛んできた砲弾が命中したと言うことはすぐに思い出せる。しかし、あれだけの砲弾が命中したというならば、椅央が生きていることがおかしい。

(何が・・・・?)

「―――よかった、気が付いた?」
「―――っ!?」

 耳朶を打つ声に意識が一気に覚醒した。
 ガバッと起こした身に激痛が走り、思わず顔を顰める。

「こ、これは・・・・」

 椅央たちが拠っていた装甲車は横転して爆発した痕があった。
 装甲兵たちはバラバラに倒れ、【叢瀬】たちは一部に集められている。そして、彼らを護っているのは蒼色の狼たちだ。

「もう、置いてくなんてひどいよ」

 頭上から聞こえてくる声に仰ぎ見る。

「あ・・・・」

 そこにいたのは漆黒の長髪を風に遊ばせ、狼を従える少女は確か熾条一哉より付けられた目付だ。

「けど、間に合ってよかった」
「どうやって・・・・?」
「ん? あの砲弾を水術で迎撃したんだよ。でも、衝撃波だけはどうしようもなくて・・・・結局、みんな吹っ飛んじゃった」

 さらりと大事を告げてくれる。
 さすがは水術最強渡辺宗家の当代直系次子。
 その無自覚の規格外っぷりには頭が下がる。

「・・・・皆、無事なのか?」
「うん。ちょっと、えーっとすすきちゃん、だったかな? 彼女が墜落して割とひどい打撲を負ってるけど、他のみんなは軽傷だよ」

 ほー、と長い息が自然と出た。
 張り詰めていた糸が切れたような虚脱感が椅央を襲う。

「とと、大丈夫?」

 元々、電線につり下げられて育った身だ。
 加賀智島を出て以来、自分の脚で歩くようにしているが、未だにふらつく。
 そんなふらついた体を瀞が優しく受け止めてくれた。

「無理しないで」

 耳元で囁かれる柔らかな声に緊張が緩む。だが、その緩みもすぐに引き締まった。

「え!?」

 ビクリと瀞が体を震わせ、目の前の光景を凝視する。
 研究区第一研究棟の窓という窓から黄金色の光が一斉に放射されたのだ。

「のぶ・・・・ッ」

 光の放射は一瞬で、再び辺りには闇が戻っている。しかし、椅央は胸騒ぎが抑えられなかった。

「くっ」

 震える脚に力を入れ、徐々に立ち上がる。
 よろよろと歩き、何とか瓦礫で体を支えた。

「・・・・ッ、新手か・・・・っ」

 装甲を擦り合わせながら3人の装甲兵が滑るように接近してくる。
 【叢瀬】の一部は意識を取り戻しているが、とても戦える状態ではない。

(どうする・・・・)

 機銃で牽制しようにも装甲車が横転した時に椅央が繋いでいた全ての回線は途切れてしまっていた。
 今のままでは迎撃できない。

(こうなれば、直接取り付き、一瞬で装甲の制御を奪えば―――)

「無理はダメって、言ったよね?」
「・・・・お前」

 敵と椅央の間を小さな背中が遮った。

「ここは任せて」
「しかし・・・・ッ」

 歩き出そうとした肩を掴む。

「守るよ、絶対に」
「―――っ!?」

 強い言葉と相反するような優しい笑みと共に告げられた言葉に椅央は胸打たれた。

「さあ、そんな装甲で体覆っても意味ないことを教えて上げるよっ」

 瀞も大地を蹴り、装甲兵と比べても遜色ない速度で肉薄する。
 予想以上に早い会敵に装甲兵は火器を使う暇なく白兵戦に引きずり込まれた。

「はぁっ」

 擦れ違いざまに軍用ナイフを引き抜いて飛び掛かってきたひとりを斬り裂く。そして、勢いを止めると同時に背後から振り下ろされたナイフを剣で受け止めた。だが、瀞の動きはそこでは止まらない。
 青白く光っていた刀身が一瞬で消滅し、たたらを踏んだ歩兵の首に再び現れた刀身を振り下ろした。さらに至近距離で小銃を使おうとした最後の歩兵に横合いから狼が突撃する。

「ふっ」

 見事に組み伏せられた歩兵を狼ごと貫いた。

「つ、強い・・・・」
「相性がいいだけだよ。私の剣は物理攻撃への装甲なんて関係ないからね」

 あっという間に3人を昏倒させた瀞は剣――<霊輝>を体内に納める。

「あそこに行くんでしょ? 私も一緒に行くよ」

 狼たちは瀞につくものと【叢瀬】を守るものに分かれた。

「さ」

 手が差し出される。

「・・・・・・・・頼む」

 椅央はにっこりと微笑む瀞の柔らかな手を取った。






二振りの長柄scene

「―――だぁーっ」

 ドカンと大音響を立てて実験棟の瓦礫が吹っ飛んだ。

「全く、あの規格外の砲撃は何―――ッテェ!?」

 目の前に迫った巨大な拳を紙一重で避ける。
 たった今まで瓦礫に埋まっていた体は違和感なく動き、大きく飛び退さって距離を取った。

『御館様。どうやら、奴の耐久力も御館様に比するようですな』
「ってか、さっきの一撃はどう考えても致命傷なんだけどなぁ」

 槍を30センチばかり体内に打ち込めば、内臓や血管はズタズタなはずだ。

「さすがに俺もあれだとダメだろ」
『でしょうね』
「おーい、さっきお前俺に並ぶとか言ったろ」
『はて?』

 腕を組んで首を傾げる姿が憎らしい。

『来ますよ』
「・・・・ッ」

 ボコリと先程の砲弾と同じように胸が凹んだ。そして、一拍おいて口から砲弾が放たれる。

「ヘッ。何が来るか分かってたら避けれるぜッ」

 しっかりと弾道を見切り、崩落に巻き込まれる建物もないことを確認した直政は自信を持って砲弾を凝視し―――

「ぐぶはっ」

―――直撃を受けて吹き飛んだ。

『何やってるんですか!?』

 寸前で回避していた刹が慌てて駆け寄ってくる。

「・・・・いや、散弾って・・・・卑怯・・・・」
『死闘に卑怯も何もないでしょうに・・・・』

 ごもっとも。
 とにかく、散弾を喰らって吹き飛んだ直政は全身に焼け付くような熱さを感じながら立ち上がった。
 敵は砲撃を終えると一時停止しするのか、さっきの場所からは動いていない。

「ったく・・・・」

 攻めあぐむというのはこういうことを言うのだろう。
 攻撃を当てることはできるが、倒すことはできない。また、攻撃を喰らうには喰らうが、致命傷にならない。
 戦果は双方ともにあげられないので、結局戦いは膠着状態のまま続くことになる。

(この状況を脱するには―――っ!?)

『御館様ッ』
「分かってるっ」

 戦闘時に張り巡らせていた<土>の警戒網が侵入者を探知した。
 方位二一五、距離一〇〇の地点に降り立った数トンの物体はどう考えても敵だ。
 すぐさま視覚でもその情報を得ようとした直政は思わず反応してしまう声を聞いた。


「―――伏せッ」


 何の抵抗もなく地面に身を投げた直政の直上を無数の針が通過し、瓦礫に突き刺さる。

「そのまま左に転がれっ」

 従った結果、直政の左横2メートルに脚が振り下ろされた。そして、大地を震わせ、腹に響く衝撃を受けた直政は跳ね起きる。

「こ、こいつ・・・・」

 首を捻った状態の妖魔と目があった。
 その瞳に宿る憤怒と殺気に動きが縛られた直政はその尾が振り上げられていたことに気付かない。
 それに気付いたのは振り上げた尾ごと、爆音と共に妖魔の体が吹き飛んでからだった。

「な!?」
「何ぼーっとしてるの!?」

 妖魔の代わりに現れたポニーテールの少女は先程まで妖魔がいた場所に着地するなり吼える。

「せっ」

 直政の脇を灼熱の炎が通過し、後方で着弾した。
 それはいつの間にか背後に迫っていた人型の敵を爆発で吹き飛ばす。

「アンタはアンタの相手と戦いなさいッ」
「って、お前ボロボロじゃねえかっ」
「うっさい。ただ建物の下敷きになっただけよっ」

 朝霞の着ている服はところどころ破れており、その下から血が滲んでいた。しかし、鉾を握る力に弱さはなく、同じくらい強い光が瞳に宿っている。

「アイツには何人かが傷を負わされたわ。その落とし前、私が付ける」

 無造作に鉾を振るい、生じた炎が毒針を灼き尽くした。

「だから、アンタもあいつを仕留めなさい」

 もう何度も遠距離戦は繰り返しているのだろう。
 両者ともこの距離では決め手にならないことを悟っていた。

「アンタの場合、近付けば勝てるわ。後は確実に仕留めるまで油断しないことね」

 まるで見ていたかのように朝霞は言う。
 さすがは直政の武術の師と言えよう。

「自分の予想通りになると言う都合のいいことは考えない、か・・・・」

 先程の一撃を致命傷だと誰が決めた。
 客観的事実というのも確かだろう。だが、その客観的事実を破り続け、未だ戦場にあるのは攻撃した直政本人ではないか。

(戦果を第三者視点で見ることは大事だ。だがしかし・・・・)

 一足先に朝霞とマンティコアがぶつかった。
 毒針の猛攻を炎で受け止め、牙や脚の応酬を鉾で捌いていく。
 誰もが無謀と言うであろう正面衝突。
 強大な戦力に真正面から立ち向かう意志は大事だが、それを実行するのは愚行と考える者も多いだろう。
 地の利を得て、確実に敵を葬れる時に勝負を挑むというのが戦略というものだ。
 それでも、真正面から戦った時の強さを知らない者は所詮、策に溺れて失敗することがある。

(敵が倒れるかどうか、それは俺が頭ではなく、目で見て決める)

 敵が邪魔な瓦礫を殴り祓い、その破片が直政に降り注いだ。

「倒したところを見てなぁっ」

 もはや破片ではなく瓦礫そのものが降り注ぐ中、直政は防御もせずに突撃する。
 瓦礫の雨を己の耐久力だけで乗り切った直政を狙う敵の砲撃態勢。
 明らかに接近を嫌がる挙動だった。

「さっき『存分にお使いください』って言ったよな?」
『ぃい!? そこはかとなく嫌な予感が―――』

 轟音を伴って発射される砲弾。

「コォー・・・・」

 それを避けることなく、直政は柄を握る力を強めた。

「はぁぁぁっ!!!!!!!!」
『ああああああ!?!?!?』

 思い切り砲弾に叩き込む。
 走り込んだ勢いを腰の回転に上乗せし、野球部もビックリなスイングを繰り出した。
 狙いは砲弾の下半分。
 着弾の衝撃波が瓦礫を吹き飛ばし、実験棟に亀裂を入れる。

「く、あああああっっっ!!!」

 全身をバラバラにしようとする反動が襲いかかる中、直政は踏ん張った。
 足を地に付けている限り、<土>は直政の味方だ。
 彼らは直政の意に応え、普段は大人しいが荒ぶった。
 直系の"気"に誘われた<土>は次々と顕現し、アスファルトを貫いて辺りに砂嵐を巻き起こす。
 凄まじい物理攻撃を喰らった砲弾は直進することができず、力の奔流に押し流されるようにして進路を変えた。

「よっしゃッ」
『無茶苦茶ですッ』

 敵は砲撃の反動で動けない。
 それはこれまでと変わらない。
 違うのはお互いの立ち位置。
 両者の距離は15メートル。
 これならば次の砲弾が来るよりも直政が取り付く方が早い。

『御館様、拳ですッ』

 自分がバット扱いされたショックから立ち直った刹の指摘通り、敵は砲撃を止めて肉弾戦に切り替えてきた。

「・・・・っ」

 唸りを上げて耳の横を通過した拳に震撼しながらも直政は槍を振るう。
 <絳庵>は十文字槍や鎌槍のように穂先に特別な形状はなく、ただただ刺突や斬撃に特化した槍だった。

「ラララララァッ!!!」

 突いては斬り、斬っては突くを繰り返す。
 血飛沫が舞い散り、直政の衣服を赤く染め上げた。
 血糊に柄を持つ手が滑りそうになり、穂先が赤黒く染まる。

『よっしゃ、そこだ。突け、突きまくれぇっ』

 刹が異常に興奮し、血を気持ちよさそうに浴びていた。

『攻め手を休めてはいけませんぞッ。情け容赦など犬畜生に食わせてから殺しなさいッ』

 赤黒い穴や切り傷が増える度に敵の体が揺れる。
 それはそうだ。
 一撃一撃が重く、深いものである。
 第三者から見ればオーバーキル以外何物でもない。

「ぐはっ」

 腹に膝を喰らった。
 体がくの字になって浮き上がる。そして、そこに組まれた拳が振り下ろされた。

「ぶっ」

 直政が大地に叩きつけられ、アスファルトがひび割れる。

「くっそ・・・・ッ」

 トドメとばかりに叩きつけられた拳を回避し、その腕目掛けて穂先を繰り出した。
 鋭い穂先が肌を破り、肉を裂き、骨を砕いて貫通する。
 悲鳴が夜空に響き渡り、報復の拳が振り下ろされた。

「ぐあ・・・・ッ」

 槍を引き抜くことなく、そのまま柄で拳を受け止める。
 ズシンと響く打撃はひび割れていたアスファルトを砕き、直政は膝を付いた。
 さすがに全身が熱く、腫れているような感覚がする。

『止まるなーっ』
「・・・・ッ」

 軍扇を取り出して振っている刹に励まされ、直政は思いきり<絳庵>を引き抜いた。
 直政の攻撃が重ければ、敵の攻撃も重い。
 こうなれば、どちらの耐久力が優れているかの根比べだった。

『御館様、ただ敵を傷付けるだけが戦いではありませんぞっ。急所狙ってけぇっ』

 敵の両拳は地面を叩いている。
 ただでさえ前傾姿勢の敵はまるで首を差し出すかの如く、頭を下げていた。

「はっ」

 ドッと鈍い音と共に穂先が肉に埋まる。
 ダバダバと落ちてくる血を省みず、直政はさらに力を入れた。

「らぁっ」

 思い切り槍を前へと振り切る。
 貫くとはまた違った、裂くという感触を噛み締め、直政は敵の喉を半ばから掻き切った。
 まるで噴水のように吐き出された血は夜空を染め上げる。
 離れた位置で瞬く炎の光をその表面で反射して輝くその赤はやがて重力に捕まって落下を始めた。
 同時にグラリと巨体が揺れ、前方へと倒れようとする。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 豪雨のように降り注いだ血潮の中、槍を振り切ったまま直政は動かなかった。
 自らを押し潰そうとする巨体を見ることなく、直政はポツリと呟いた。

「"槍衾"」

―――ドッ

 地面から伸びた石槍の束が敵の腹を打ち、敵の姿勢を強制的に後方へと弾き飛ばす。
 星光を遮っていた巨体が消え、血の雨が止んだ。
 轟音を伴う地響き。

「・・・・ッ、はぁ・・・・はぁ・・・・」

 背中から倒れて動かなくなった敵の側で直政も片膝を付く。
 吸っても吸っても酸素は全身に行き渡らず、嫌な汗ばかりが体から噴き出した。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 あの青木ヶ原での戦いのような爽快感はない。

『お見事です、御館様。敵を討ち取りましたな』

 討った。
 そう、殺した。
 おそらくは人であったであろう者を己の手で殺したのだ。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」

 普通の人間であれば致命傷になるであろう傷は両手の指では足りないほど、もしかすれば足の指を足しても足りないほど刻みつけた。
 最後の一撃など、首の半分ほどを斬ったであろう。
 五体のどこも欠けてはいないが、五体のどこも傷を負っていない場所などないという死体。
 それを作り上げたのが直政自身だ。
 必要だったことは分かっている。
 人を殺すことも覚悟をしていた。だがしかし、夢中で槍を振るっていた時、自分も刹と一緒に"血を心地よく浴びていなかったか?"


―――カラン

『御館様?』

 扇で小躍りしていた刹は<絳庵>を取り落とした直政を訝しげに見遣る。

「刹・・・・俺は・・・・」

 泣き笑いのような表情で己の中にあった感情を伝えようとした直政は―――

『御館様ッ』

―――側頭部に衝撃を受けて吹き飛んだ。

「ぐ、は・・・・ッ」

 未だ倒壊せずに建っていた実験棟に叩きつけられた直政は脳を揺らされ、朦朧とする意識の中、倒したはずの敵を見遣る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ついてね〜」

 ビクンビクンと死の淵にある痙攣。
 それはあの巨体に破壊の限りを尽くさせていた。
 そのとばっちりを見事に食らったのだ。

「あ、ヤバ・・・・」

 ダウンしたせいで今までのダメージが一気に噴き出す。
 急速に視界が狭まり、手足の感覚がなくなってきた。

(まあ、いいか。・・・・倒したし・・・・)

 打撃のせいでさっきまで何を考えていたのか完全に吹き飛んでいる。

『あ・・・・』

 トス、と左腕に何かが突き刺さったのは<絳庵>を回収した刹が戻ってきた時だった。

「い・・・・てぇ〜・・・・」

 眠りに落ちそうだった思考が回復し、直政は痛みの原因を見遣る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 二の腕に刺さる、一本の針。
 記憶が正しければこれは―――


「―――あああああああ!?!?!?」


 そう遠くない位置から聞こえる朝霞の声。
 それは驚愕の一色に染まっていた。
 そう、記憶が正しければ、この針は、毒針―――

「・・・・ッ」

 グラリと先程とは違う原因で視界が揺れる。

「・・・・ッ、この邪魔よッ」

 こちらに走り寄ろうとした朝霞がマンティコアの妨害を受けたのか、激昂した彼女の叫びが聞こえた。
 耳朶を打つ爆音と視神経に焼き付く閃光の中、直政はその勇姿を焼き付ける。

「はっ」

 爆炎の中、振り回される尾を見切り、潜り込んだ懐では蹴撃を退けた。しかし、焦った攻撃はリズムを狂わせ、数合の後、朝霞は正面に誘い込まれる。
 マンティコアの特徴である三本の大きな前歯を武器に、マンティコアの口が大きく開けられた。

(ヤベエぞ・・・・)

 朝霞の体勢は崩れており、とても回避できる状態ではない。
 何より、これまでの戦いで傷を負いすぎているのか、部活時の勢いがなかった。

『げッ』

 それでも諦めない朝霞はものすごい手に出た。
 これまで肌の鉄壁さに歯が立たなかった鋒が初めて肉をえぐる。

『嘘でしょ!?』
(おいおい・・・・)

 大きく開けた口の中へと消えた穂先は留まることなく、腕までも口の中に消えた。

「これは効くでしょッ」

 激痛の悲鳴に振り飛ばされそうになりながらも朝霞は武器を手放さない。
 口が閉じられれば鉾どころか、腕さえも食い千切られるというのにだ。

「でも、これで終わりじゃないわッ」

 鉾を伝った血が朝霞の手を濡らした時、直政は朝霞の全身から"気"が迸ったのを見た。
 同時にマンティコアの瞳に憤怒が戻り、筋肉が躍動して口を閉じようと動き出す。

「爆ぜろッ」
「『―――っ!?』」

 口が閉じきるより早く、<嫩草>の術式が発動した。
 さすがのマンティコアも体内で起きた大爆発には抗えず、体が大きく膨れ上がる。
 憤怒に染まっていた瞳が白濁し、再び大きく開かれた口から断末魔を吐き出したマンティコアは次の瞬間には無数の肉片となって弾け飛んだ。

「あぅ・・・・」

 自らのその爆発の衝撃に吹き飛ばされ、肉片と共に直政の側に落下する。

「たたた・・・・って、大丈夫!?」

 もはやマンティコアの血なのか、自分の血なのか分からないほど真っ赤になった朝霞が倒れた直政を抱き起こした。

「えげつ、ねえな・・・・」

 毒が回りつつあるのか、唇がピリピリしている。

「・・・・ッ、流れ弾に当たるなんて何て馬鹿よ。この大馬鹿ッ。どうして防げないの!? 地術師でしょう!?」
『ハッ、そうです。毒如きで死ぬなど・・・・とんだ初陣首ですぞッ』

 朝霞の壮絶な奮戦に圧倒されていたのか、刹が思い出したように詰め寄った。そして、目元に乗っかり、直政の視界を奪う。

『視界を妨げ、毒の流れに注視すればあるいは・・・・』
「あ〜、回っていくのが分かる〜」
『しまった逆効果かッ』
「あんたら今際の状態でもノリは変わらないの!?」


「―――大丈夫だよ」


「え?」

 直政と刹が馬鹿なやりとりをしていると朝霞の背後から声がかかった。
 直政からは朝霞が邪魔で、いや、それ以前に刹のせいで姿は見えない。しかし、何となく聞き覚えのある声だった。

「毒なんて私にかかれば大丈夫。・・・・ちょっと退いてくれるかな?」
「あ、そうですよね。毒なんて・・・・ってえー!?」

―――ドスッ

「ガッ」

 身を貫く衝撃にビクリと体が跳ね、その動きで刹が吹っ飛ぶ。そして、戻った視覚で腹を見下ろせば、そこには青白い刀身が突き刺さっていた。

「あれ?」

 急速に体温が下がる。

『御館様ァッ!?』

 刹の声を最後に、直政の意識は冷気に囚われた。









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