「九尾の狐」
九尾の狐。 中国の神話に登場する妖魔である。 紀元2~3世紀にかけて著された地理書「山海経」の「南山経」には「有獸焉 其?如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」とある。 これが最初の九尾の狐であり、以後、「周書」や「太平広記」などでは瑞獣として描かれている。 しかし、一方では殷の帝辛を誘惑して国を滅亡させた妲己、南天竺耶竭陀国の王子・班足太子の后になった華陽夫人という絶世の美女の正体が九尾の狐であったという記述もある。 彼女たちは悪女の代表。 昨今の漫画や小説、ゲームでもラスボス級の【力】を持って描かれる、妖狐の最終形態だ。 日本では白面金毛九尾の狐・玉藻御前が有名である。 「―――カンナは、玉藻御前を知っているか?」 サイパンから帰還した神代カンナは、サイパンで激突した九尾の狐・せんが神代神社にいる理由を訪ねていた。 答えるのは神代家当主・神代礼伊だ。 因みに件のせんは、お茶の準備をしている。 「玉藻御前。平安末期に存在した、九尾の狐」 当時の朝廷軍を壊滅させた大妖怪である。 また、この時に失った戦力を補完するために朝廷が頼りにしたのが、武士団である。 「それが、せんの祖母だ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 すでに聞いた話だ。 「九尾の狐は代々、他の鉢綜家に比べて弱い神代家を守ってきた」 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という中世最大の軍事力を保有した戦国大名ですら、神代家との戦を避けた。 かつて八万の兵力を撃破した玉藻御前の血縁が守っているのだから当然である。 「元々、神代家は朝臣だ。平安初期に結城宗家より分派して発足したことは教えたな」 神代家の初代は、結城宗家初代宗主の娘と伝わる。 元々、神代家の管理の力は、初代宗主の正室が持っていた。 その能力を色濃く継いだ娘が独立して生まれたのが、神代家だった。 「神代」の由来は「神の依り代」。 九十九神を中心に曰く付きの物品を管理し、その能力を使う一門。 それは正倉院を始めに多くの宝物を持つ皇族にとって、使い勝手の良い能力だった。 「平安時代を通し、その能力と九尾の狐を武器に神代家は代々天皇に近しい人材を輩出してきた」 「そんな歴史はどうでもいい」 神代家の繁栄が、玉藻御前によって崩壊したことは想像に難くない。 「まあ、聞け」 玉藻御前を輩出した神代家は討伐こそ免れたものの、政治に関わることはなくなった。 同時に結城宗家も遠ざけられ、朝廷は武士団の跳梁を許す結果となる。 「玉藻御前の娘、つまりはせんの母が九尾となったのは、平安末期だ。平治の乱から始まる戦乱を切り抜けられたのは、彼女の功績が大きいな」 歴代の九尾の狐の中で、最も長生きし、もっとも辛い時代を生きたせんの母。 そんな彼女も幕末に力尽きた。 「後を継いだのが、せん」 彼女が生まれたのは母親の最期が迫った幕末だった。 「若いのだな」 「―――驚いたか?」 せんがお茶を持ってきた。 意外と手際よく、礼伊やカンナ、央葉の前にお茶を置く。 「妾たちは、最速で百年程度で九尾となる」 一般的なキツネは約十年の寿命を持っているとされる。 九尾となる妖狐の一族は、尾を持ってから十数年後に次の尾が生える。 「妾は早熟でな。こやつが生まれた時、八尾だった」 せんは礼伊を見遣り、ニヤリと笑う。 「小さい時のこいつは、妾の尻尾でよく昼寝をしたものだ」 「そんな昔話はいい」 隣に座ったせんの肩を叩く礼伊。 なんだか親しそうだ。 (とても、そのしっぽを切り取ったとは思えない) 「・・・・それで? 何故、守り神とも言えるそやつの尻尾を切り取った? あまつさえ、SMOの研究機関に渡した?」 結果、実験が繰り返され、かなりの数の人命が失われた。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 カンナの鋭い言葉に、当事者たちは黙り込む。 「仕方がなかった、とは言いたくないな」 「そうじゃな、失敗した作戦だからの」 「作戦?」 カンナは眉をひそめた。 「SMOが人体実験をしている噂は、こちらまで届いていた」 「何せ人工的に能力を発現させる研究じゃからの」 礼伊は茶を口に含む。 その間にせんが説明した。 「当時、神代家の宝物庫や他家の宝物庫から宝具が盗まれるという事件が多発していた」 盗まれた宝具は武器として使用されていたというよりも、封印されていた物品が多い。 それらの特徴は、過去に異能者を生み出したことがある物品だった。 盗まれた物品の中には、異能者一族が神と崇めていたものもある。 その物品が【力】の源であるのだから当然だ。 「SMOの人工能力者開発に使われたのだろうな」 当然、各勢力は奪還しようとした。しかし、事件は一族の恥であり、かん口令が敷かれていたため、旧組織間での水平展開はなされなかった。 故に奪還どころか所在地調査は暗礁に乗り上げる。 「そこで神代家が立ち上がったわけじゃの」 人化を中途半端に解き、耳と尻尾を出現させたせんは、8つの尻尾を撫でた。 「九尾の狐の尻尾を持って、SMOに掛け合う」 「尻尾をせんが追跡、研究施設の破壊」 『なるほど』 ずっと黙っていた叢瀬央葉がスケッチブックで発言する。 カンナもうまい作戦だと思った。 オマケにせんが神代家を見限り、脱走したというならば信憑性は増す。 「だが、どうしてそこまで?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 神代家にとって、せんは戦略兵器だ。 これを失うと言うことは、滅ぼされてもおかしくない。 作戦自体はいい。 だが、そこまでする必要もなかったはずだ。 「それは、そうせざるを得ない情勢だった、ということじゃの」 黙り込んだ礼伊にクスリと笑みを残し、せんが答えた。 『味方なら、どうして襲った?』 「味方と知らんかったからの」 央葉の問いにせんが答える。 「妾の【力】を持っている。つまりは新退魔機関の能力者。それが神代家の跡取り娘と一緒にいる」 普通ならば、正体を隠して接近していると思う。 「もう、自分が抱いたことのある赤子を、寿命以外で喪うのはたくさんだからな・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 太平洋戦争。 能力者の一部は、裏の戦争法規に抵触するために出兵が見送られた。 しかし、管理者一族は、物品さえなければただの人であるために兵が足りなくなった末期に出兵。 その多くが戦場に辿り着けず、海の藻屑と消えた。 「まあ、結果として、見失って研究所破壊工作は失敗したわけじゃの」 せんは肩をすくめる。 「ずーっと、研究施設を探しておったら、妖魔に間違われていろいろな退魔機関に追われたものだ」 『いろいろ?』 「SMOは元より、陸綜家にも追われたわ」 『なんで?』 央葉の素朴な疑問に、せんはチラリと礼伊を見遣った。しかし、腕組みした礼伊は黙ったまま何も言わない。 「こやつが童の尻尾を斬った折、瘴気に当てられて死に掛けたからじゃ」 「おい・・・・。黙っているのだから言うな」 「ほっほ、分かっていたが口は滑るものじゃ」 苦虫を噛み潰したような顔でせんを睨む。 悪びれもせず、巫女装束のたもとで口元を隠して微笑んだ。 『瘴気?』 「殺生石だ」 年配者は年配者で話し、年少者は年少者で話していた。 『殺生石?』 「・・・・玉藻御前を朝廷が討伐した折、その死体が石となった」 その石の周りで鳥獣が死に、何とかしようとした能力者も次々と死んでいった。 このため、殺生石と名付けられたのだ。 「大方、尻尾を切り落とした時、流れ出た血などに瘴気が籠っていたのだろう」 『・・・・先例があるなら、分かってたんじゃないの?』 「・・・・その通りだ」 央葉の尤もな問いに、カンナは視線を年配者に向ける。 そこには年甲斐もなく、じゃれ合っているようにしか見えないふたりに問うた。 「どうしてそこまでする必要が?」 探し物ならば、親戚の結城宗家に依頼すればよかったのだ。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 今度はせんも黙り込んだ。 しかし、すぐにニマリと笑う。 「おい、次代はなかなか頭の回転が速いな」 「茶化す―――っ!?」 ―――ドゴンッ!!! 境内の方で何かが落下する音がした。 伝わった衝撃から、境内の敷石は破壊されているだろう。 「攻撃か!?」 カンナは素早く立ち上がり、境内へ駆け出した。 それに央葉が続く。 「・・・・おい、お前何か知っているだろう?」 「・・・・ズズ、ようやく追いついたか」 茶を飲んで一息ついたせんは、やれやれと肩をすくめた。 「さ、行くぞ、小娘」 「ええい、もう小娘ではないというに・・・・ッ」 ぐいっと腕を引かれ、無理矢理立たされた礼伊が文句を言うが、せんは鼻歌交じりに境内へと連れ出す。 そこには顔面から境内の敷石に突っ込んだ何かと、それを見て、呆れ果てるカンナと、何も考えていない央葉がいた。 「・・・・知り合いか?」 カンナはとある一点を見ながらせんに訊く。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・残念ながら」 地面に埋まった顔を抜こうと、両手を地面について踏ん張る者の臀部で、金色の尻尾が揺れていた。 せんの出したままの尻尾と同じ毛色、毛並だ。 『んーっ!!!』 地面の下からくぐもった幼い声が聞こえる。 「全く・・・・」 せんはため息をついて、その者の元へと近づいた。そして、無造作にその尻尾を掴む。 『ふぎゃっ!?』 驚きの声を発して尻尾を振ろうとするも、せんに掴まれた尻尾はびくともしなかった。 「不出来すぎる、ぞ」 掴んだ尻尾を起点に、ズボッと引っこ抜く。 「ぷは!?」 境内の石畳から顔を出したのは、尻尾と同じ金色の髪を持つ、10才ほどの少女だった。 顔たちは非常に整っており、将来が楽しみな逸材である。 「・・・・同族か?」 尻尾といい、彼女の頭でピコピコと揺れる耳といい、せんにそっくりだ。 ついでに言えば、顔たちもどこか似ている。 「不肖の娘じゃ」 「ほぉ、いつの間に」 「そやつの能力の元になった尻尾を取り返した後、再生させようとしたのだが・・・・」 能力開発に【力】が使われ、すっかり別物になっていた。 だから、せんの体はその尻尾を拒絶したのだ。 「というわけで、余った【力】で娘を作った」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 カンナと央葉はお手軽な子孫の残し方に絶句する。 「それで貴様は8本のままなのだな」 そう、九尾の狐は、先代の尻尾から生まれる。 そのため、子を成せば、その分親の【力】が低下する。 故に、普通は一子。 数百年に一度の出来事のはずだが、せんは生後二百年ほどで子を成した。 やや早いと言えよう。 「ああ、そういえば、お前」 『?』 央葉が首を傾げて応じる。 「名前は?」 『叢瀬央葉』 「・・・・・・・・・・・読めん。これが巷で有名なキラキラネームとかいうやつか?」 まあ、普通は読めないだろう。 名前の読み自体は普通の名前なのだが。 『むらせ ひろのぶ』 「学園では『なかば』と呼ばれているがな」 『【叢瀬】では「のぶ」と呼ばれてる』 「・・・・・・・・・・・・・・・・奇怪じゃの~」 読み方とあだ名に対してだろう。 「ううむ」 チラリと娘を見下ろすせん。 娘は引っ張られた尻尾を涙目でさすっている。 「まあ、同じ妾と同じ尻尾を元に産まれたのだ。貴様たちは兄妹のようなものだからの」 「・・・・お兄ちゃん?」 『妹?』 じっと見つめ合うふたり。 「というか、叢瀬も尻尾と耳が出ているぞ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・自由自在に出し入れできるようになったのだな」 無言で引っ込めた央葉に溜息をついた。 「よし、こやつの名前は『ひろのぶ』から取り、『ひろ』にしよう」 「決めてなかったのか・・・・」 礼伊が額に手を当てて、首を振る。 完全に呆れていた。 「娘と二人暮らしでは呼び方には困らなかったのでな」 ポンポンと娘の頭を撫でる。 「今日からお前の名前は『ひろ』だ」 「ひろ? ・・・・ひろ」 不思議そうに首を傾げたが、噛み締めるように己の名を呟いた。 「それから、目の前にいる若い娘が、お前が仕える相手だ」 「・・・・ッ、・・・・よろしく」 カンナと目が合うと、慌ててせんの後ろに隠れ、おずおずと顔を出す。 十分すぎる威厳に委縮してしまったようだ。 「さらに、隣の・・・・なぜか女装している奴はお前の義兄だ」 「・・・・よろしく」 同じ格好で央葉を見るが、瞳には親近感が湧いていた。 「分かった。分かったから、とりあえず、耳と尻尾を隠せ」 「ひぅっ」 視界の端に参拝客が映った瞬間、カンナは参拝客とひろの間に体を割り込ませた。 だが、境内の中心に空いた穴は隠せない。 「―――あー! 巫女さん発見!」 聞き知った、よく通る声が境内に響く。 見れば、クラスメートの唯宮心優がこちらを指差していた。そして、そのままこちらに駆け出す。 途中には穴が。 「わきゃっ!?」 案の定、見事に足を引っ掛けて転んだ。 「ったく」 助け起こすために彼女の下に向かいながら、カンナは顎で奥に引っ込むように促す。 それに「ふん」と鼻を鳴らした礼伊が踵を返した。 これにせんが続き、さらにはひろが続く。 「で、お前は何しに来たんだ?」 (ひろといい、心優といい、悪いタイミングで来る。何故、九尾の狐の尻尾を切り落とすという暴挙に出たのか、もう一度訊くのは難しいだろう) 倒れた心優の腕を引き、立ち上がらせた。 「いえ、先程教会でお祈りしたので、お祈りついでに神社でもしようかと」 「八百万の神々に呪い殺されてしまえ」 ちょうどここには、その一員たる九十九神たちが多数いるのだから。 「宗教を股がけして願掛けをするんじゃない」 「大丈夫ですよ」 「・・・・何故だ?」 嫌な予感がする。 「わたしは無宗教派ですから!」 「とっとと帰れ!」 |