短編「早川空」


 

 早川家。
 それは弱小退魔組織の名前である。
 能力は遺伝系異能力であり、分類的には念動力だった。
 とりわけ珍しい能力でもなく、規模も2つの分家を持つ程度だ。
 主戦力は約10人。
 三重県に位置する本拠地も閑静な住宅街のちょっと外れと言った普通の場所である。
 主戦力に数えられる人間は、伊勢神宮に神人として勤めていた。
 退魔組織と言うよりは、裏の【力】を行使して神社に害なそうとする輩に対する戦力のひとつ。
 それが早川家だった。
 早川空はそんな早川家の嫡流であり、父は次期当主。
 自身はその跡を襲う予定だった。


「―――はぁっ・・・・はぁっ・・・・はぁっ・・・・」

 小学校で健脚を誇る空は、それを駆使して自宅裏の雑木林を駆けていた。
 周囲には結界が張り巡らされ、時折見える町の光は無縁なものになっている。

「あぅっ・・・・なんで・・・・っ」

 苔で滑った石に躓き、空は大きく地面に投げ出された。
 雑木林には荒い呼吸と草木をかき分ける音以外に聞こえない。
 そう、聞こえないのだ。
 あれほど聞こえていた戦闘音が。

「うぅ・・・・ぐす・・・・」



 6月のある日。
 突然の攻撃だった。
 一機の戦闘ヘリが突然黒闇を裂いて現れ、両翼下に吊り下げたミサイルで早川邸を攻撃。
 ものの数分で数名が死傷したことで、早川家は戦闘態勢に移行する。
 すぐさまヘリに向かって攻撃が放たれようとするが、それより先に五名の人間がパラシュートなしに降下した。
 地響きを以て着陸した黒ずくめは、装甲に全身が覆われる、一目見て奇怪と分かる出で立ちだ。
 当然、ヘリよりも彼らに攻撃が集中し、そのどれもが効かなかった。

 それから一方的な戦況だった。
 相手が使うのは、表の武器――銃だ。
 だが、護身用や威嚇用に使用される拳銃や速射性を重視した制圧用のサブマシンガンでもない。
 戦争に使用し、下手なバリケードごと人体を破壊する小銃だ。
 拳銃ならば得意の念動力でどうにかなる。しかし、小銃弾は威力が違いすぎた。
 止めようとする【力】に減衰を受けながら直進する弾丸は、次々と能力者を打ち倒す。
 襲撃からわずか十分後、早川家当主は時間稼ぎを命じた。
 その判断は、断固とした家名存続。
 見事な戦闘指揮を執り、絶望的な戦線を支える次期当主ではなく、その次の代を残す。
 つまりは、空を逃がすのだ。

 用意は周到だった。
 広間の地下にある脱出路から空を逃がし、さらに陽動として他の子どもたちを別経路で逃がす。
 別の子どもたちは逃げ切れば御の字だが、要は囮だった。
 対する大人たちは徹底的な持久戦に持ち込む。
 周囲のものを掻き集め、小銃に耐えうるバリケードを築いた。
 さらに装甲兵ではなく、小銃に【力】を向けたのだ。
 効果は抜群で、空を逃がしてから十分で、敵の小銃は沈黙した。
 だが、この戦闘停止が、空の聞いた無音ではない。
 早川家最後の戦力は門を破壊したミサイルの攻撃によってバリケードが四散。
 軍用ナイフを抜き放った装甲兵の突撃で沈黙から五分で再び沈黙したのだった。



「うう・・・・」

 小学生といえど、高学年である空には、それが何を意味するのかが分かる。
 早川家の主戦力は消滅したのだ。

(ヘリコプターに銃・・・・)

 近代兵器に身を包んだ裏の戦力と言えば、SMO以外にないだろう。
 となれば、新旧戦争に巻き込まれたのだろうか。
 だが、早川家は精霊術師や仏教のような旧勢力に属してはいない。
 由緒正しき伊勢神宮の神人だ。
 一般的に旧組織に属するとされる神社勢力にはふたつある。
 要するに、神代神社のようにどっぷりと旧組織に浸かった神社と伊勢神宮のような「日本国」を形成するために必要な神社だ。
 前者は新旧戦争に参加――積極的か消極的かはともかく――しており、後者は中立の立場にいた。
 前者は神力を使って退魔を行ってきた歴史があり、後者は政治のため、国を保つために神力を使ってきた歴史がある。
 故に明治時代に国営退魔組織ができた時に前者は反発、後者は無関心だったのだ。
 このため、後者の神社は新旧冷戦が熱戦になろうとも沈黙を保っていた。

「・・・・とにかく、伊勢神宮へ・・・・」

 SMOといえど、伊勢神宮には手を出せない。
 対組織ではなく、対人に整備された伊勢神宮の戦力ではSMOに抗しうることはできない。だがしかし、伊勢神宮の「政治力」がSMOに対する抑止力だ。
 かつては同じ政権側の組織として、今は政権から見捨てられた組織であるSMOは、完全に政権と敵対しないために伊勢神宮を攻撃できない。
 だから、空は伊勢神宮を目指していた。
 突然、舞い降りた戦場の、唯一の出口として。


―――バラバラバラッ!!!


「―――っ!?」


―――そして、当然、知恵のあるものはそれを予見していた。


「あ、ああ・・・・」

 軍用のヘリは、世間一般にイメージされるよりもずっと静かだ。
 ましてや、誰かがなんらかの静粛性を向上させる術を使えば、聴力に訴えかける音を消すことも可能だ。
 故に空はいきなり頭上に現れたヘリに全く気付かなかった。

「あうあう・・・・」

 装甲兵が家を襲った時と同じ数だけ降り立つ。
 彼らは一様に軍用ナイフを構えた。だが、それだけではない。

「―――フフ、全く、嫌な仕事です」

 ヘリからではなく、空の進行方向から、新たな装甲兵を連れた小柄な男が現れた。

「高雄研究所からの新戦力とはいえ、このような作戦に投入されるとはね」

 何を言っているか分からないが、周囲と違う様子から、彼が指揮官だろう。

「・・・・・・・・・・・・」

 見たところ、装甲も着ていなかった。
 きゅっと落ちていた小石を握り込む。

「フフ、どうしてこう、旧組織の人間は勇ましいのですかね」
「―――っ!?」

 男の貌がぐにゃりと歪んで抜け落ち、別の貌が浮かぶ。
 途中で声色も代わり、ものの数秒で別人となった。

「それが蛮勇と知らずに」
「あぅっ・・・・」

 息をのんだ隙を逃さず、背後にいた装甲兵が空を組み敷く。
 こうなれば、念動力を起動させても意味がなかった。

「伊勢神宮宝物庫の守人・早川家。てっきり、その鍵はここにあると思ったんだけど、違うのかな?」

(SMOじゃないの?)

 彼らの狙いは宝物庫。
 それを聞いた瞬間、ずいぶん昔の事件を思い出した。
 宮内庁の能力者が守備していた施設を何者かが攻撃、守備隊を全滅させた事件だ。
 その捜査はSMOに委託され、主に本部の精鋭が動いていたはず。

「一応聞くけど、キミは何か知らないかな?」
「・・・・ッ」

 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた男が近づいてくる。
 それに生理的嫌悪を抱くも、どうしようもない。

「フフ、知らない、か。じゃあ、仕方ないね。きっとあの世に行く川原でみんな待っているから、そろそろ送ってあげ―――」

―――ドォッ!!!!

 彼の台詞を遮る、轟音と閃光。
 それは頭上をホバリングしていたヘリから発せられた。

「―――あはははははは!!!! 今日は墜ちずに墜としてやったゼ!」

 揃って見上げれば、燃え崩れるヘリの下で満面の笑みと共にVサインをする幼女。

「あ、あぶな―――」

 バランスを崩したヘリはその無垢な笑みを焼け爛れた鉄の塊で押しつぶそうとし、一瞬で燃え尽く。

「え?」

 闇夜に目映い光源が、一瞬で掻き消えたことにより、空の視界を闇が襲った。
 正確に言えば、暗順応の必要に駆られ、一時的に視界が失われたのだ。

―――ガギィッ!!!

「・・・・へぇ、やるな」
「ええ、相変わらず、見事な戦術ですね」

 この辺りで空の理解力を超えた。
 結果だけ言えば、いつの間にか現れた少年が日本刀を指揮官に振り下ろしており、その日本刀をかざした手を中心にした魔方陣が防いでいる。
 強大な戦力を利用した陽動と物理現象を利用した精神的奇襲。
 そんな高度な戦術が駆使されたと理解できない空は、これ以降、観測者ともなれず、ただの目撃者となった。
 だが、これだけは分かる。

「無事か?」
「あ・・・・あ・・・・」

 炎の怒濤で指揮官と装甲兵を押し返した少年は、その奔流を浴びても無傷だった空に問いかけた。
 安心させるような笑みを浮かべるでもなく、優しく触れて安否確認するでもない。
 ただの事務的な問い。
 しかし、それが明確な【力】を象徴するものとして、少年の存在を空に刻ませた。






「―――緋、そいつを頼む」
「任されたよ!」
「うわわ!?」

 突然、背後から羽交い締めにされた空は小さな悲鳴を上げつつも、緋に引きずられて距離を取った。

「とりあえず、ヘリを墜とされた借りは返したぞ」
「フフ、僕はあそこに乗っていませんでしたけどね。乗っていたのは、哀れな一般隊員のみです」
「あ、そ」

 ひとひとり、殺したが、敵対している以上、仕方がない。
 そもそも、あのヘリの操縦士は先程、早川邸で多くの命を奪ったのだ。
 同情する余地はない。

「ですが、どうして分かったのですか? ここに僕たちが来ると?」

 興味深そうに男が言う。

「簡単だ。と言いたいが、早川家だとは思わなかった」

 一哉は装甲兵が装備を調えるのを見逃しながら、一哉は言葉を続けた。

「高雄研究所から撤退したSMOは関ヶ原以西に引っ込み、関東一円と東海地方を死守した」

 以後、まとめ上げた戦力を使って、甲信越地方に侵攻。
 元々、甲府には戦力を残していたために、長野県南部は瞬く間に制圧した。しかし、川中島まで進んだところ、山神宗家の本隊に急襲されて壊滅した。
 東北地方も福島県南部を攻略したが、それ以上の北上は鎮守家の戦力展開を把握して諦めた。
 岐阜県以西は滋賀県守山市を本拠とする渡辺宗家が水口と米原に先遣隊を派遣しているために断念。
 残る勢力範囲を広げるには三重県しかない。
 三重県伊勢市には絶対不可侵の伊勢神宮があるが、動向不明の熊野大社、高野山が控える和歌山県に横やりを突きつけるには十分な場所だった。

「吉野の麻宮家が三重県に力を持っていたが、ミサイル攻撃で滅亡し、新旧戦争的に空白地帯となっていた」

 故にSMOが侵略するならば、三重県だと見ていた。

「フフ、見事な戦略眼です。ですが、戦力が見当たりませんが?」
「ああ、まさか早川家を襲うと思っていなかったが、こちらも手持ちが少なくてね」
「使い勝手のいい遊撃部隊は、両方ともサイパンですからね。あまり学園内で仲良くさせておくから、こんなことがあるのですよ、フフ」
「・・・・ああ、そうなんだよ。電話が海外電話になってひどく驚いたものだ」

 一瞬、一哉の目がきゅっと細くなったが、それに気付かせないように一哉は炎を操作する。
 それは同時に、男の顔を写し出した。

「また、違う貌なんだな」
「ええ、そうですよ。それが僕の異能ですからね、フフ」

 「全く弱いものですよ」と続ける男に、一哉は小さく毒づく。

「貴様のやっかいなところは、その頭だ」

(ただ、こいつはひとつ、ミスを犯した)

 学園内の人間でしか知らない事実を口にした。
 端から見れば、直政の幼馴染みである唯宮心優と鹿頭朝霞は、その双方の家が微妙な雰囲気である。
 片や大企業、片や名家。
 いろいろしがらみがあり、それは新市街地と旧市街地の土地的な確執にも発展していた。
 よって、外部からの調査で、心優と朝霞が仲がいい、転じて直政と朝霞が仲がいいとはならないのだ。

「まあ、戦力がないならば、僕は撤退させてもらいます」
「ああ、どうぞ」
「フフ、では、ご機嫌よう」

 一哉はそのまま、彼を見送った。
 ここで、彼を斃すことはできただろう。だが、そうしてはいけない理由ができた。

(ま、それも奴が逃げるための策かもしれないがな)

 そう思い、一哉は踵を返す。

(どちらにせよ、情報を整理し、もう一度、奴に出会う必要がある)

 そうして、実現したのが、煌燎城攻防戦だった。




「―――あなたはそんな大きな門から、この少女を出し、我々に門の存在を教えた。・・・・・・・・そして、この娘を捨て石とした」
「ヒクッ」

 「捨て石」という言葉に空が喉を鳴らした。

「違う、と言えば?」
「信じますよ。一度捨てた人間を、ご丁寧に取り戻すなどあなたの戦略にはないはず。フフ、ですよね?」

 頭がいいもの同士の会話は、いろいろ飛ばされる。
 故に空は何が何だか分からず、首を傾げた。しかし、会話の内容から、自分gすていしではなく、一哉が助けに来てくれたのだと分かった。
 そう、あの実家が壊滅した時のように。

「ああ。最初は戦場から逃がしたつもりだった。買い物に行った先で保護するつもりだったが」
「それ以前に僕が見つけちゃいましたからね、フフ。おいしく情報は頂きましたよ」
「だから、か」

 煌燎城を侵すSMOの部隊に迷いはなかった。
 予め、ある程度の縄張りを知っていたからに他ならない。

「だが、まだ矛盾があるな」
「フフフ」
「空が煌燎城に入ったのはほんの少し前だ。故に縄張りの情報は分からない」

 それ以前に、小学校高学年の年で、縄張りを理解できるはずがない。
 だから、縄張りの情報をSMOに渡したのは、空ではないのだ。

「裏切り者は別にいる」
「フフ、そうです。・・・・っと」

 右耳からイヤホンを引き抜いたスカーフェイスは装甲兵をまとめてトラックに押し込んだ。

「フフ、残念ながら本日はここまでのようです」
「撤退か?」
「ええ、あなた方が待っていた方々が来られたようです。フフ、とばっちりで全滅は御免ですから」

 スカーフェイスは人質である少女を引きずり、自分もトラックに入った。そして、一哉が動かないと見ると、彼女の目隠しと手錠を素早く外す。

「それではお返しします」
「熾条、さん!」

 空は痛む体に鞭打ち、一哉向けて走り出した。
 一哉は肩越しにスカーフェイスが笑みを深めたのを見て、空の背後に炎の壁を作り出す。そして、着弾した弾丸を全て焼き切った。

「フフ! それではごきげんよう!」

 トラックが急速度で発進し、見る見るうちに遠ざかっていく。
 両者が攻撃することが可能だった、人質解放時で防御を選んだ一哉に、彼らを追撃することは不可能だった。
 こちらの態勢が整った時には射程外まで抜けている。

「チッ、食えない奴だ」

 一哉は体から力を抜き、空に視線を向け―――見た。

「熾条さん! ごめんなさい、ごめんなさ―――」

―――空の体が膨張したのを。


―――ドォォォォォォォン!!!!!!!!


 3つの爆発が同時に重なり、ひとつの爆発音となる。
 ふたつめは放置されていた自走砲が遠隔操作で一哉向けて砲弾を放った音。
 みっつめは一哉から迸った炎弾が発射された砲弾ごと自走砲を破壊した音。

「ああ・・・・・・・・」

 一哉は温度の低い視線で辺りを見回した。
 パチパチと大爆発した自走砲が辺りを赤く染め上げる。しかし、一哉は別の赤に染まっていた。

「失敗し、た・・・・な」

 よろりと揺らめき、膝をつく。
 じわりじわりと体から血が溢れ、地面を染めた。

「はぁ・・・・師匠が殺られた時もそうだったな」

 時任は事前に毒を仕込まれていた。
 ならば、空はどうだったのだろうか。
「毒じゃあ、俺を巻き込めないから、な・・・・」


―――ひとつめは、早川空の体内に仕掛けられた爆弾が爆発した音。


「・・・・失敗したが、裏切り者は血祭りに上げる」

 そう呟き、一哉は痛む体にむち打ち、傍に転がってきた血だらけの物を拾い上げる。
 それは、早川空の遺品だった。









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