第三章「テスト、そして神馬」/3


 

「―――クスクスクス」

 晩春の夜に堪えきれないといった笑い声が響いていた。
 下界では水田から奏でられるカエルの大合唱が続いているが、高低差五〇メートル近くの境内ではそれすらも遠い響きだ。
 荘厳。
 その一言で、この神代神社の境内は表される。
 伊勢神宮を筆頭とした、大社や神宮は周囲を威圧する威厳が節々に感じられ、訪れた人たちはその雰囲気に呑まれて、他の地方神社との違いを実感する。しかし、この神代神社は周囲を圧することなく、ただそこにあるだけで厳然たる【力】を放っていた。

「さすが、観光目的で廃れた神社庁とは違うね。神社庁の興味が薄く、だから、自由にできる地方神社の退魔師たちが持つ特有の気配だよ、これは」

 子どもはさも楽しそうに嗤う。

「九十九神を祀る神社、ね。確かに、これも九十九神だよね」

 子どもは昼間に触れていた神馬像を撫でた。
 確かに感じる、波動のようなもの。

「これは・・・・本当の神馬・・・・」

 石の身体になってはいるが、元々は違うものだったのだろう。

「動きたいよね〜、走りたいよね〜」

 そっと耳元で囁くように、静かに口ずさんだ。

「こんなとこで、子どもに触れられてるなんて、時にはボールをぶつけられたりして・・・・いやだよね〜。キミは誇り高き神馬様なのにさ〜」

 子どもが触れていた部分から石の色がどす黒く変わっていく。
 元々は鈍色だった石像がどんどん漆黒に喰われていく光景は常人が見ればおぞましかった。しかし、子どもはその様を平然と受け止め、むしろ嬉しそうに嗤ってみせる。

「さあ、行―――」


「―――そこで、何をしている?」


 背中からかかった声に、笑顔を顔に貼り付けたまま、子どもは振り返った。






神代カンナside

「―――すぅ・・・・」

 大きく息を吸い込み、吐き出す。
 そうして、空になった肺に少しずつ息をためながらカンナは弓を構えた。
 視界の中には20メートル弱前方に貼り付けられた約30センチの的だ。
 すでにその的には十数本の矢が刺さっていた。
 射掛けた矢全てがそれだが、カンナの身体には汗が浮いている。
 この稽古は矢を的に中てる技量ではなく、極限の集中力にまでどれだけ短時間で持って行けるかの、精神鍛錬だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 頬に汗が伝うほど、カンナは弓を引き続け、視線は的の中心に固定されていた。だがしかし、脳裏だけは的を捉えていない。
 先程起きた、神代家当主との諍い。
 ほぼ一方的に責められたカンナは彼女の言葉を振り切るようにして、境内の一角に建つ弓道場へと足を運んだ。
 彼女の祖父が健在だった頃、この弓道場を使って地域の子どもたちやそこで育った大人たちに弓道を教えていた。しかし、彼がこの世を去った今、弓道を教える人間はいない。
 ここの弓道、いや、弓術を学んだ人間で、師範や師範代レベルまで達したのはたったひとりだけだった。
 カンナもその域には達せず、その人物から定期的に教えを受けている。

「・・・・ッ」

 腕の張りが限界を訴え、カンナは右腕をそっと離した。
 すぐさま矢は弦によって打ち出され、的へと低い弾道を描いて飛んでいく。そして、タンッと小気味よい音を響かせて的に突き刺さった。

「ふぅ・・・・」

 全身の緊張を解き、カンナは用意していたタオルで顔を拭く。
 そうすることで、周囲の音が戻ってきた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 視線を壁掛け時計に向けてみれば、たった十数本放つのに、2時間も経ってしまっている。時間がかかりすぎだ。

「まだまだ、先輩には届かない・・・・」

 存命する神代流弓術の免許皆伝者はたったひとり。
 京都に居を構える、退魔師名門中の名門――結城宗家の直系である"風神"・結城晴也のみだ。
 瞬時に集中状態に入る彼は数十本を瞬く間に放つ速射術と高い命中率を誇っている。
 その流派こそ、カンナの実家――神代家に伝わる弓術なのだ。

「?」

 壁に弓を返そうとした時、何やら不穏な気配が弓道場に流れ込む。

(いや、これは・・・・)

 流れ込んだのではない、境内で発生した気配がここまで漂ってきているのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 カンナは弓を掴んだまま、矢筒の矢を訓練用から戦闘用に変える。そして、そのまま滑るように走り出した。
 静かに道場の扉を開け、境内に身を投じたカンナが見た者は、昼間に会った、どこか違和感が付きまとう子ども。

「そこで、何をしている?」

 子どもは昼間の神馬像に手を触れている。だが、違う。
 昼間の神馬像は禍々しい気など放っていなかった。

「あは」

 子どもは楽しそうに嗤いながら振り向く。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その姿に総毛立ち、カンナは訓練された動きで矢を番えた。
 鏃が突き刺されば無事では済まないと分かりつつも、それを覚悟して子どもの正中線を狙う。

「もう一度、問う。そこで、何をしている?」
「もう、済んだよ」

 子どもは簡潔に述べ、その小さな手で神馬像の鼻上を撫でた。
 それは、まさに馬を撫でる時に触れる場所だ。

「これで、終わりだよ」

 子どもは飛び上がるようにして馬を額に触れた。そして、その場所が闇に支配された瞬間、カンナは一切の躊躇無く、矢を放つ。

「おっとっと」

 毎秒六〇メートルで20メートル弱を疾走した矢を躱し、子どもは笑みを深めた。

「危ないなぁ。首に刺さっちゃうところだったよ?」

 子どもの軽口を無視し、カンナは次の矢を番え、言葉を放つ。

「貴様、何者だ?」

 神馬像の変化は封じられていたものが喚び出され、さらにその過程で変化を受けたに違いない。
 つまり、神馬は再封印するか、討滅するしか道が無くなった。
 だから、物事の優先順位は封印を解いた子どもにシフトする。

「答えられないなぁ」

 子どもは踊るようにして階段へと近付いた。

「く・・・・ッ」

 その歩みを止めるように前方向けて矢を放ち、警告する。しかし、子どもは全く気にすることなく歩みを進めた。

「今度は・・・・当てるぞ」

 凄まじい殺気が放たれ、並みの軍人なら気圧されるほどの威圧感が境内に満ち溢れる。そして、弓道場では苦労していた集中力が瞬時にその身に宿った。
 だが、今回はその集中力が災いする。

「前ばかり見てると危ないよ」
「何? ―――ッ!?」

 突如、横合いから叩きつけられた殺気に思わず身を強張らせたカンナは次の瞬間、宙を舞っていた。

「ぐ、あ・・・・ッ」

 玉砂利に叩きつけられ、数回バウンドしてようやく止まる。
 激痛に視界が点滅し、四肢の感覚が消失した。
 額から血が流れる感触の中、視界を立っていた場所に移す。

「あ・・・・」

 そこには先程まで石段の上に屹立していた神馬がいた。
 いや、神馬とは若干、姿が違う。

「じゃあ、がんばってね、巫女さん」

 子どもは無邪気にふりふりと手を振って闇にかき消えるように消えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 もう、驚くことも出来ない。
 子どもは数百年の間、封印し続けていたものをあっという間に解いてしまう技量を持ち、その封印されるほどの逸材を構成する因子を操作してしまうのだから。
 空間転移くらい、お手の物かもしれない。

「くぅ・・・・」

 体の節々が激痛を訴えるが、カンナは退くことはできなかった。
 神馬――もはや、妖魔と言ってもいいかもしれないが――が脱走することだけは避けなければならない。

「鎮守に・・・・連絡を・・・・」

 体勢を変えることで、額からの血が右目に入りそうになり、カンナは右目を閉じた。

(左目じゃなくてよかった・・・・)

 自由のきかない体が決められた動作をなぞるようによどみなく矢を番える。
 鏃が向くのは馬の姿に額から角を生やした、まるで天馬のような漆黒の馬。

<貴様ガ・・・・我ヲ、眠ラセタ者カ・・・・>

 直接脳裏に響くような思念にカンナは鋭い視線を返した。
 手負いになろうとも不退転の意志を持ち、一歩だけ間合いを詰める。

<最早、誰ニモ邪魔ハサレヌッ。我ハ自由ダッ>

 距離四〇メートルを詰めるために駆け出した神馬は玉砂利を蹴散らして石畳を踏み砕き、角の先端を向けて迫った。

「・・・・ッ」

 対して、カンナは一歩も退くことなく、ただ一点を見つめて引き絞った矢を放つ。
 両者の対決はその一合で決着が付いた。






穂村直政side

「―――あ〜、知ってると思うが、3日後から中間テストだ。お前らが高校生になってから、初めての定期テストだな」

 2ヶ月経ってもやる気の「や」も感じられない担任は頭をかきながら言った。
 因みに、最初の「知ってると思うが」が示すように彼の口から中間テストのことを聞くのはこれが初めてだったりする。

(いい加減だなぁ・・・・)

 直政はしっかりと勉強している。
 言うと意外がられるが、予習復習を欠かさない優等生なのだ。
 まあ、昔から泣きついてくる幼馴染みを持っていれば、十分反面教師として成長できるからなのだが。

(案の定、ってやつか?)

 チラリと視線を心優に向ければ、蒼褪めた表情で固まっている。
 おそらく、連絡がなかったから今初めて知ったのだろう。

(あ、こっち向いた)

 青白い顔のまま縋るようなまなざしを向けてきた。
 心優は興味の向いたことは真綿に水を吸収させるように血肉にしていくが、それ以外はからっきしだった。
 まさに容姿端麗、運動音痴、勉強嫌いと三拍子揃ったお嬢様である。
 最初はともかく、後ふたつが拍子というものに含んでいいかどうかは甚だ疑問だが。
 小さい頃から学校の違う、しかも御嬢様学校に通う心優に勉強を教えてきた直政は本当に優秀なのだ。
 その点では今回は元々、心優に教える前提でノートを取っているので、かなり楽だ。
 3日もあれば、赤点を免れるどころか、平均点くらいは行くかもしれない。

(それにしても・・・・)

 直政は周囲を見渡し、担任の話は耳半分で勉強に打ち込む生徒たちを視界に収めた。
 そこにポツンとひとつ、空白の席がある。
 そこは神代カンナの席だ。
 担任も何も言わずに欠席としていた。ということは連絡が来ていたのだろうが、それを生徒たちに知らせてはいない。

「―――くん? ・・・・さーくんっ」

 何故かすごく、気になった。

「政くんッ」
「ぅお!?」

 いきなり目の前に心優の顔が現れ、直政は情けない悲鳴を上げながら後方に転落した。

「いって〜。いきなりなんだよ、心優」

 尻餅をついた体勢で非難の視線を心優に向ける。
 いつの間にかホームルームは終わっており、教室に残っている生徒はまばらだ。そして、いつものことと割り切っているのか、直政と心優のやりとりに注目している者はいない。

「テストのことか?」
「それもありますが、今はそれではありません」

 心優は顔の前で指を振って見せた。そして、直政がその指に気がつくと、その向きをとある方向に指す。

「げっ」
「神代さんのことが気になってますね?」

 どうやら、見られていたらしい。

(ってか、その方向向いて思考を宙に飛ばしてたら当然か・・・・)

「そんな政くんには朗報です」

 何故か心優は自慢そうに胸を張った。

「わたしが委員長だからこそ、持っている情報ですよ? 惚れて下さいね」
「ここはツッコミどころだと俺の中が叫んでいるが、ここは無視して話を聞こう」

 喉元まで出撃していたツッコミの報復なのか、頭痛がする。

「失礼」

 こめかみを抑えて顔を顰めていた直政の右耳に顔を寄せる心優。
 ぴょんっとツインテールが揺れ、シャンプーの香りが鼻を掠めた。

「神代さん、昨夜事故にあったらしくて入院しています。今日はわたしがクラスを代表してお見舞いに行くことになっているんですけど、一緒に行きますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 今、さらっと重いことを言われた気がする。

「というか、それ言っていいのか?」
「はい。先生から信頼できる人なら連れて行っていいと」

 ポッと頬を染め、その両頬を両手で押さえた。
 身体をくねくねさせるオマケ付きだ。

「誰か、俺の前の変態を捕まえてくれ」
「変態とは何ですかッ!?」

 噛みついてこようとするのを頭を抑えることで阻止し、直政はふと思いついたことを訊いた。

「そういや、央葉の入院先とかは分かるのか?」
「? 央葉さんも入院してるんですか?」

 小首を傾げる心優は本当に何も知らないのだと分かり、直政は失策を悟る。

「いや、あいつも休んで長いだろ? もしかしたら入院とかしてるんじゃないかなーと・・・・はは」
「そう言えば・・・・先生も央葉さんのことは知らない風でしたよね・・・・」

 しまった。
 心優が思考に沈んでいく。
 こうなれば、とある方法で無理矢理解決しようとするに違いない。

「分かりました。財閥の情報部―――」
「待った待ったっ。きっと事情があるんだ。人のプライバシーを無闇に曝いてはいけないぞっ」

 唯宮財閥の力を使われれば、央葉が裏の住人だとバレかねない。
 そんなことになれば、もしかしたら心優は央葉を偏見の目で見るかもしれない。
 即ち、人殺しと。

「? どうしました?」
「い、いや、何でもない・・・・」

 自分が思い浮かべた言葉で自分が傷ついていれば世話がない。
 御門宗家の宗主として歩むならば、この裏の世界こそ日常となるのだから。

「・・・・まあ、いいですけど。・・・・それで、どうします?」

 納得してくれたのか、小首を傾げて訪ねてくる心優。
 とりあえず、近すぎるその顔を鷲づかみにして、遠ざける。

「お、おお?」

 不満そうな声を出したが、すぐに気を取り直して自分の顔を掴む直政の手を握った。

「それでは行きましょうか」
「俺返事してないよね!?」
「あら? さっきのが了承の行動じゃなかったんですか?」

 心底不思議そうに首を傾げる。

「お前の判断基準は間違っている」

 丁寧に手を解放しつつ、直政は立ち上がった。

「ま、行くには行くよ。気になってたしな」
「むぅ・・・・」

 その事実は事実として嫉妬するのか、複雑な表情で黙り込む。

「で、どこなんだ、病院は?」

 いちいち構っていられないので、直政は先を促した。



「でっかい病院・・・・」

 直政と心優は地下鉄で隣駅の神居駅近くに建つ総合病院に赴いていた。
 神居市は開けた都市であり、複数の路線が交差した交通の要衝だ。
 田園が広く残る音川町と違い、いかにも都会だった。

「この病院は救急病院でもありますから、夜中に事故にあった神代さんはここに運ばれたんでしょうね」

 心優はさっさとナースステーションに足を運び、神代カンナの病室を訊く。
 こういった対外的な行動力は目を見張るものがあった。

「個室かぁ。すごいな。・・・・って、もしかしてひどいのか?」
「そこまでひどいとは聞いてませんけど・・・・・・・・・・・・」

 ピタリと心優は足を止める。
 先導されていた形になっていた直政は危うくその背中にぶつかりそうになった。

「お、おい、いきなり―――」
「シッ」

 鋭い声が直政を縛る。

「黙って下さい、政くん」

 振り向いた彼女の顔は仕事をしている時とそっくりだった。
 こう見えても、彼女は凄腕の経営者なのだ。

『―――全く、とんでもないことをしてくれた。お前は神代家の面汚しだよ』
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 思わずふたりは顔を見合わせた。
 声が聞こえてくるのがカンナの病室であり、「神代家」という言葉からも合っていることは間違いない。

『このことは報告せずとも向こうにバレておる。こちらのメンツを守るためにはこちらで解決しなければならんというのに・・・・ッ』

 やけにヒステリックな老婆の声。
 その声音から感じられるのは己の保身しかない。

『とりあえず、この件は新設された<鉾衆>に任せるしかないわ。ええい、忌々しいっ』

 老婆は一通り罵ると、気遣う言葉すら掛けずに病室を後にした。

「・・・・何だったんでしょう?」
「さあ? まあ、少し時間をおいた方がいいんじゃないか?」

 さすがにあそこまで言われれば凹むだろう。

(ん?)

 病院内と言うことでポケットの中で大人しくしているように言っておいた刹が何やら呼びかけるように暴れた。そして、それに反応して顔を向けた直政に語りかけるように見つめる。

「あー、心優。俺はこの間にトイレに行ってるわ」
「・・・・分かりました。わたしはあそこのベンチに座ってますね」

 言葉通り、心優は指差したベンチに向かって歩き出した。
 それを見届けた直政は足早にトイレへと向かい、個室の中へと入る。

「何だ?」

 個室の扉に背を預け、直政は刹を掌に載せた。
 すっかり、直政のマスコット化している刹は学園でも自由にのびのびしている。
 さすがに病院に堂々と連れ込むわけにはいかず、ポケットに突っ込んでいたのだが。

『老婆の言葉に気になる点がありました。というか、御館様もお気付きでしょう?』
「・・・・・・・・あの人が神代さんのことが嫌い、っていうのは分かったけど」
『・・・・・・・・・・・・はぁ〜』

 刹が掌の上で前足を広げて肩を竦めて見せたので、容赦なく掌を裏返してやった。

『ああ!? 私の高貴な手足が汚れた!?』
「とか言いながらその手足でしがみつくなっ」

 すぐに後悔した。

『ま、気を取り直して・・・・・・・・おそらく、神代カンナ殿は裏の人間ですね。そして、彼女が討伐するはずだった者に返り討ちにあった』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『神代家の戦力はカンナ殿のみであり、討伐を担当する者は老婆があまり快く思っていない「鉾衆」とやらに任せることになった、というところですね』
「まあ、神代さんは神代神社の巫女だし、神社だから退魔とかやっててもおかしくはない・・・・のか?」
『近年では逆に珍しいと思いますね』

 江戸時代までは神社は地方にとって退魔機関の拠点だった。
 一族で退魔をなす者たちは集落を形成するか、大名お抱えになるかである特定の場所に戦力を集中させていたが、神社は散在し、そのひとつひとつに一定の戦力が駐屯していた。しかし、明治時代になり、神仏習合などで力のなかった退魔機関は滅亡し、広く浅い戦力配置が難しくなる。
 その関係で、SMOの前身が生まれ、現在の神社は大社などの大きなところを除き、大半は一般人が経営する"ただ"の参拝場所だ。
 もちろん、神を奉っているのは本物だが、退魔を生業にすることはなくなっていた。

『続けている家系もあるでしょうが、戦力は一門衆に限定され、自由に動ける学生が中心になります』
「大人は家を存続させるために働く、ってか?」
『ですね』
「・・・・まるで、うちと一緒だな」

 穂村家の主戦力は直政と亜璃斗だ。
 直隆は退魔ではなく、唯宮家の執事をこなすことで生計を立てていた。

『・・・・没落した名家なのかもしれませんね』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「はい、これが今日のプリントです。あと、こちらがノートです。本日で、全てのテスト範囲が終了しました」

 心優と直政は合流するなり、カンナの病室へと入っていた。
 カンナは肋二本と鎖骨を骨折し、全身に打撲や外傷を持っている。しかし、相変わらず、眼力はすごかった。
 それを相手にしても、心優はひるむことなく、微笑みを浮かべている。

(すごいやつだよ・・・・)

 常人なら、同じ部屋にいるだけで汗をかきそうな威圧感だ。

(血筋と言うより、環境だろうなぁ)

 幼い頃から狸ばかりの社交界を渡り歩き、今では唯宮財閥の経営陣のひとりである心優はカンナの眼力にもおののくことはなく、涼しく受け流して話を進めていた。

「そういえば、中間テストはどうするんですか?」

 中間テストは3日後である。

「・・・・このままでは受けられないだろうな」

 カンナが初めて声を発した。
 女の子にしては低い声に落ち着いた物言い。
 その声音にはテストが受けられないことに何も感じていないようだ。

「そ、それは・・・・留年の危機ではないですか・・・・・・・・」

 心優は高校生から留年があると知り、テストに戦々恐々していた。だからこそ、それに直面しているカンナの境遇に恐怖する。

「わ、わたし、ちょっと学園に電話してきますっ」
「あ、おいっ」

 心優はひとりで暴走し、携帯を片手に病室を飛び出した。そして、見事、直政はひとり取り残される。

(き、気まずいッ)

 カンナは無言だが、直政のことをじーっと見ていた。
 その眼力の故か、睨みつけられているように感じ、直政は愛想笑いを浮かべつつも腰が引けている。

「穂村直政」
「は、はい!」

 突然名前を呼ばれ、びくりと直政は肩を震わせた。

「いや、この話をする時は"御門"直政、と言った方がいいか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その緊張も、続いた言葉によって別のものに塗り変わる。
 刹の予想通り、裏にも通ずる人間だったが、『御門』の名前を知っているとは思わなかった。

「頼みがある」
「・・・・どうぞ」

 頼まれる方だというのに、冗談でも「焼きそばパン買ってこい」とか言われれば従ってしまいそうな威圧感だ。

「私にこの怪我をさせたものを討伐してほしい。それもできる限り早くだ」
「・・・・それは、<鉾衆>とやらが討伐する前に、ということ―――イッタ!?」

 いつの間にか肩に上っていた刹が齧歯類の特徴である前歯で直政の首筋に噛み付いた。
 思わず直政は刹を捕まえ、前方――カンナの方へと投げ飛ばす。

「何しやがるッ」
『敵か味方か分からぬ相手にこちらの情報をポロッと漏らしてどうするっ』

 怒りに対し、怒りで応じられ、直政は怯んだ。
 思えば、先程の発言は直政が結果的とはいえ、盗み聞きしていた事実を伝えたと同義だ。

「・・・・あぅ」

 それに気が付き、カンナに目を向ければ、鋭い視線が直政の両目を射抜いていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 カンナが腕を組む。
 それだけで倍加された威圧感に冷や汗をかきながら言い訳を探した。しかし、全面的に悪い以上、謝る以外にない。

「・・・・ごめん」
「・・・・・・・・別に、いい。それよりもだ。知っているならば話が早い」

 カンナは首を振ってため息をつき、憤りや不満を吐き出した。

「聞いての通り、神代家当代は<鉾衆>とやらを好ましく思っていない。また、<鉾衆>は襲撃に向いた戦力であり、町中を駆け回る目標を捕捉することは難しい。しかし、地術師は隠れた敵を探し出して討つのは得意分野だろう?」

 その通りだ。
 風術師には劣るものの、地術師の索敵能力は高い。

「だから、私は穂村家に討伐を依頼したい」
『・・・・報酬は?』

 何となく、応じた刹の気持ちが分かった。

「私が知っていて、御門直政が知りたいと思っていることに答えよう」

 ぐらりと揺れた。
 きっと彼女はいろいろ知っている。

『<鉾衆>とやらが動き出す、予想日時は?』

 ベッドに降り立った刹は浮かれることなく、勝利条件を絞り込んでいく。

「明日以降」
『とういうことは、出来うる限り、今夜ですか・・・・』

 必要なことを聞いたのか、刹は直政の肩へとよじ登った。

『御館様、ここは人海戦術に出るしかないでしょう』

 ひそひそとカンナに聞こえぬように耳に囁く。

「ってことは、亜璃斗に協力してもらうか。・・・・いや、人数なら鹿頭にも・・・・」

 現在のところ、直政が援助を頼めるのは妹である亜璃斗と友人であり、武術の師である鹿頭朝霞だ。

『鹿頭家は今回止めましょう。まずは家中統一です』
「家中統一って・・・・」

 カンナに背を向け、小さな声で応じていた直政は眉をひそめた。

「別に喧嘩してないぞ?」

 最近、微妙に余所余所しいが、険悪ではない。

『そういうことではなく、どうやら穂村家は御館様に対して隠し事をしているようです。それを暴き、御門家を盤石なものにしなければ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 刹は先の戦いから鹿頭家に関わりすぎないように注意していた。
 鹿頭家に関わらなければ、先の戦いは回避できており、衰退したとはいえ、御門宗家は名門である。
 今でこそ利害が一致しているが、鹿頭家は無理矢理先の戦いに直政を参戦させている。
 それは御門宗家として活動しているのが直政だけだからこそできた芸当だった。

『御館様が私たちと出会う前、亜璃斗とは共に退魔に励んでいたとおっしゃられましたが、我々が穂村邸に移り住んでから、退魔どころか巡回すらありません』

 穂村直政が御門直政としての顔を持つことで、普通の兄妹としての関係に主従というものが割り込んだのは事実である。

(もしかしたら・・・・)

 「兄」が急に「主」となったことに戸惑っており、だから、最近余所余所しいのだろうか。
 家中統一、とまではいかないが、兄妹のコミュニケーションを図る意味では今回の依頼は好都合かもしれない。

「・・・・神代さん」

 直政は振り返り、窓の外を見ていたカンナを呼んだ。
 声に応じ、白髪が混じる髪を揺らしながら、カンナは直政に視線を合わす。
 刹との会話は聞こえていただろうが、窓の外を見ることで「聞こえていない」というアピールをしていたカンナは静かに答えを待っていた。

「引き受けるよ、その依頼。できれば今晩に決着をつける」
「・・・・礼を言う」

 カンナはゆっくりと頭を下げる。

「ただいま帰りましたー」

 ちょうどその時、やり遂げた感満載で心優が帰ってきた。

「神代さん、あなたはテスト当日、病院で受けることを許可されました」
「え!?」
「ふぅ、担任経由ではなく、唯宮財閥に息子さんが勤務している教務主任に直接切り込んだわたしの戦略的勝利ですねっ」

 汗もかいていないのに額をぬぐう心優。

(きょ、脅迫だ。脅迫に違いない・・・・)

 さらりと財閥令嬢さを見せつけた心優はにっこりと満面の笑みでカンナに言う。

「だから、しっかり勉強してくださいね」
「・・・・って、お前もだろッ」
「きゃんっ」

 恐れおののいていた直政は反射的に心優の頭を叩いてツッコミを入れた。









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