第三章「テスト、そして神馬」/2
「―――ふ〜ん、ここが音川かぁ。一度来たけど、駅以外は知らないからねー」 新設された地下鉄音川駅からひとりの子どもが地上に降り立った。 中性的な顔たちと第二次性徴以前、特有の高い声からは性別は分からない。 ただ見目麗しく、無邪気な様は年上の女性に受けそうな感じだった。 「気をつけるのは【結城】くらいだけど・・・・この時間ならまだ学園だね。そこにさえ近寄らなかったら厄介なことにはならないね」 駅前を見渡せば、統制学園の制服を着ている者たちもいるが、結城晴也は弓道部。昨年まで在籍していた結城晴海は京都市内の大学に入学している。 だとすれば、子どもを探知できるのは結城晴也のみ。 「見つかっちゃっても逃げればいいけどね」 当代一の索敵能力を持つ"風神"を相手にするかもしれないというのに気楽な仕草で空を見上げた。 無邪気なその動作に周りの人間も春の空を見上げる。 「適当に散歩し〜よぉ」 その声に周囲が視線を戻した時、子どもの姿はどこにもなかった。 唯宮心優side 「―――はふぅ」 心優は満足そうな吐息と共に手に持っていた湯飲みを机においた。そして、お茶菓子に手を伸ばす。 今日は栗羊羹だ。 和菓子の素朴な甘さは洋菓子の甘さと違う。 何故、同じ砂糖だというのに違うのだろうか。 「ん〜」 そのほんのりとした甘さに舌鼓を打ち、心優は幸せそうな視線で働いている直政を見た。 (政くんも慣れてきたみたいですね) 動きにぎこちなさが消え、自然な笑顔を見せている。 「はぁ〜、幸せですね〜」 「―――その幸せな気分を抱えたままとっとと帰ったらどうかしら?」 「む」 幸せな気持ちに水を差された心優は不満そうな顔で声の主を振り返った。 「店員が客に対してなんて物言いですか」 そこには腕を組み、仁王立ちした朝霞が立っている。 「お客様が神様なんて妄言よ。マナーが悪い客を注意しないとそのほかのお客に迷惑」 「わたしのどこがマナー違反ですかっ」 「ひとりの店員をじっと見ていること。性別が逆だから問題視されにくいけど、立派なストーカーじゃないかしら」 「なっ」 言い負かされて悔しそうな顔をする心優に満足したのか、朝霞は心優の前に座った。 「それにしても、よく穂村を見るために通えるわね」 「あら、ここのお茶とお菓子、本当においしいですよ」 最近のふたりはいがみ合うだけでなく、意見交換をする者としての意識が芽生えてきたらしい。 最初こそ激戦を繰り広げるが、それ以降はなんだかんだで雑談をする仲だった。 「それより仕事は?」 「今は休憩時間。私は今日、閉店点検の担当だから」 「あれ? 政くんもそう言っていたような気がします」 心優は首を傾げ、真偽を視線で問う。 「間違いじゃないわ。穂村は私のペアよ」 心優は数秒の間、じーっと朝霞の顔を見て、一言。 「・・・・・・・・襲わないでくださいね」 「誰が襲うかっ」 思わず机を叩く朝霞。 「・・・・なに、また喧嘩してんの?」 そこにひょっこりやってきたのは直政だ。 和服姿でも違和感なく歩き、それだけで常人とは違うスキルを身につけたように見えた。 「あ、政くん。お邪魔してます」 「まいどどうも。ほれ、おかわりのお茶だ」 「ありがとうございます」 にこっと笑って湯飲みを受け取る。 (うん、適度な温かさが気持ちいい) 「政くん、先ほど閉店点検をすると聞いたんですけど」 「ああ、言ったな」 直政は席に座ろうとせず、机の傍に立ったまま頷いた。 「お帰りは何時頃になりますか?」 「? んー・・・・?」 「・・・・質問なら口でいいなさいよ、全く」 視線を向けられた朝霞は呆れてため息をつく。 「閉店が8時。その後にみんなで片付けに入って、最後の人が出るのが・・・・だいたい9時くらいじゃないかしら?」 「そんなに遅くまで・・・・」 心優は聞いた時間の遅さに目を見張った。 「遅いって・・・・今時、塾に行ってる人たちも同じくらいか、もっと遅いでしょ」 「そ、そうなんですか? でも、夜道危なくありません?」 明るい道ならともかく、音川町は「町」であることからそれほど街灯網が発達していない。だから、必ず暗い道が存在した。 ましてや朝霞が住む地域に向かう道はそのほとんどが水田や畑の傍で夜は暗い。 「私の場合、遅番だと家の者が迎えにくるし、たとえ歩きだとしても変質者如きに苦戦するほど柔じゃないわ」 「はー、世間の高校生は頼もしいですね」 「いや、その認識は間違ってる上に、心優も高校生だと言うことを忘れるな」 ペシッと直政に額を叩かれた。 手加減されたとはいえ、なかなかいい音が鳴る。 「それにしても、心優ほどじゃないけど、鹿頭もお嬢様なんだなぁ」 「「???」」 今さっきの言葉のどこに「お嬢様」を彷彿させるものがあったのだろう。 その思いは朝霞も共通なのか、首を傾げていた。 「どこが?」 というか、口に出して質問している。 「平然と『迎えが来る』って言うところが」 「? 事実だけど?」 朝霞の言葉に心優も頷いた。 帰りが遅くなるのだから、心配して迎えに来て当然だと思う。 「だぁっ。その、迎えに来る人がいるって時点でお嬢様なんだよっ」 「??? あんた、家族いないの?」 「いるわっ」 「何を熱くなってるんですか?」 「・・・・もういい、うぅ・・・・庶民でごめんなさい・・・・」 「「???」」 何故か直政はうなだれて仕事に戻っていった。 「―――はぁ、今日も堪能しました」 心優はあれから十数分して、朝霞の休憩が終わると同時に店を出た。 和風喫茶「花鳥風月」のいいところはやはり値段が安いところだ。 茶葉は産地直送であり、和菓子は店の手作りという材料費をことごとく抑えた結果は、学生でも気軽に通える店へと直結している。 この音川町はやはり統世学園なしに発展が望めぬほど、学生を中心に行政も考えられている。 その関係で、高校生でも入れる店を目指すことは大切だった。 「何より、仕事をする政くんが見られるなんて最高ですっ」 にこにこと見る人が前向きになりそうな笑顔で歩く心優。 「―――おねーさん、幸せそうだね」 そんな心優に横合いから声が掛けられた。 「え?」 心優はほんの少しだけ、顔を動かして焦点を合わせる。 さっきまで人影すら見いだせなかった場所に少年とも少女とも取れる、中性的な子どもが立っていた。 「え、と・・・・何か用ですか?」 「んー、用があって声をかけたわけじゃないけどー、ついでだから訊いてみようか」 「?」 無邪気な笑顔を浮かべ、こちらを見上げた子どもは小さな口を動かす。 「神代神社ってどこか知ってる?」 「神代神社って・・・・あの神代神社ですか?」 「? 他にもあるの?」 ふたりは「?」を頭に浮かべて同角度で首を傾げて見せた。 「いえ、音川町に神代神社と呼ばれる神社・・・・というかそもそも神代神社しか神社はありませんし・・・・」 心優は言葉を濁して考える。 神代神社は古くから音川地区に存在していた神社である。 多くの神社は有名な神宮や大社の分祀であるのにも関わらず、神代神社は昔からの祭神を奉っていた。 (・・・・てあら? 祭神は誰でしたっけ?) 聞いた覚えはあるが、あいにくと暗記系は苦手である。 (まあ、理詰めも苦手なんですけど・・・・) ちょっと自分の頭の悪さに鬱に陥りそうだ。 「おねーさん?」 「ハッ」 ひらひらと目の前で手を振られ、心優は我に返った。 「場所、分かる?」 「ええ、分かります。ただ、ここからだと少々道が複雑なので、一緒に行きましょう」 心優は子どもを促して歩き始める。 「うん、ありがとう、おねーさん」 子どももそれににっこりと笑顔を浮かべて応じた。 神代神社。 音川町唯一の神社だった。 心優が祭神を思い出せなかったのは無理もない。 神代神社は世で言う九十九神を奉っている。 数が示すとおり、神とされる群小のものたちを奉っている以上、いちいち神名を書くわけがない。だがしかし、その九十九神こそ、八百万の神々の大半である。 由緒正しさではそこいらの一祭神の神社に匹敵していた。 ただ、その事実を知るものはほとんどなく、ただの地方神社として埋没している。 ―――まるで、何かから隠れるように。 「ここ?」 長い長い階段を上り、ふたりはようやく神代神社の境内に辿り着いた。 ここからならば、音川町がほぼ一望できる。 中央にそびえる烽旗山。 南方に地下鉄音川駅を中心とする町並み。 それに対し、北方は石塚山系が居並び、昔ながらの町が形成されていた。 (わたしと政くんの家は南側、か・・・・) 地下鉄が開通してから発展してきた町にふたりの家はある。 あの辺りは区画整備されており、ここから見ても整然と家屋が並んでいた。 「あ、馬だ」 子どもが心優の手を振り払い、境内の中へと走っていく。 「この馬なに?」 子どもがパシパシと叩いているのは石でできた馬の彫像だ。 「ええっとですね・・・・」 キョロキョロと立て看板を探すが、残念ながらなかった。 「う、うぅ・・・・ごめんなさい、分かり―――」 「―――その馬の石像は『神馬像』と言って、生きている神馬の代わりになっているものだ」 「「?」」 ふたりは突然聞こえてきた声に首を傾げてから振り返る。 「奈良時代より、馬を神社に奉納する風習があってな。その神社の祭神が乗るとされるのだが、奉納される側が世話できない場合があって、その風習も絵馬に置き換わっている」 言葉を放つのは白衣に緋袴といった巫女装束の少女だ。 「尤も神馬を飼っている神社もあるが、うちのような小さな神社はそのような余裕がない。だから、形代である『神馬像』を置くのだ」 「ふーん、じゃあ、本物の馬じゃないんだね」 子どもの言葉に少女は重々しく頷いた。 「あ、そうか。神代さんは神代さんですもんね」 少し驚いていた心優はそんな当たり前のことを呟いて再起動する。 「ありがとうございます」 ペコリと頭を下げ、心優はにっこり笑いかけた。 巫女装束の少女は心優のクラスメート――神代カンナだ。 そう言えば、この神代神社の一人娘だった。 夏祭りで神楽も踊る、歴とした(?)巫女として町内では割と有名だ。 「本物の馬はいないの?」 「いない」 子どもの素朴な疑問ににべもなく、きっぱりと否定するカンナ。 「これ、動かないの?」 「動かない」 「ふーん」 子どもに対する言葉とは思えないほど厳しいものだったが、子どもは対して気にした様子はなく、じっと神馬を眺めるだけだ。そして、カンナも何故か鋭い眼差しで子どもを見下ろしていた。 「なんだったんでしょー・・・・」 あれから心優は異様な空気に耐え切れず、適当なことを言って戦線離脱していた。 (知り合いだったのでしょうか? だから、あの子は神社に行きたがった・・・・?) そうすれば筋は通るが、そうではないような気がする。 「んー・・・・?」 腕を組み、うんうん唸りながら歩いていた心優は明らかに前方不注意であった。 「あぅ・・・・」 「・・・・あ」 結果、心優は見知らぬ人に突撃する。 向こうは気が付いて足を止めていたのだろうが、心優はその運動エネルギーの全てをぶつけ、そして、吸収された。 「む?」 相手が長身の女性であり、顔面が胸に吸い込まれたために心優には大きな打撃はなかったが、それでも衝突力はよろめくには充分であろう。だがしかし、彼女はその全てを受け流して見せ、結果、一歩も下がることなく、心優を支えた。 「す、すみません」 慌てて謝る。 表情に乏しい彼女は漢服という私服にしては奇抜すぎる服装をしていた。 「大丈夫」 彼女はそれだけ言うと地図らしき紙を片手に歩いて行く。 「はぁ〜、歩きながら考え事するのも考え物ですね・・・・って、これも考え事? ???」 思わず額に手を当てた心優は「?」に支配された。 「いけない。迷うのはわたしらしくありません。考えるのは面倒です」 直政が聞けば頭を抱えそうな台詞を吐き、心優は歩き始める。そして、曲がり角を曲がってきた女性と正面衝突して吹っ飛ばされた。 「にゅ!?」 「・・・・あ」 尻餅をついた心優を見下ろし、ぶつかった女性がぽつりと言葉を漏らす。 「いたたた。・・・・あれ? あなた・・・・」 ぶつけたおしりをさすりつつ立ち上がり、心優は女性を視界に収めた。 それは先程もぶつかった女性だ。 「あれ? でも、さっきあちらに・・・・」 そこまで口にして、心優ははたっと動きを止めた。 地図を見て行動し、そして、行った方向とは違うところから"戻ってきた"女性。 それはどう考えても――― 「ああ、迷子ですか」 「うぅ・・・・」 何気なく呟いた言葉は確実に女性の心を貫いてしまった。 「あ、え、えっと、どこに行きたいんですか? わたし、この町で生まれ育ちましたからたいていの場所は分かりますよ」 とって付けたような物言いだが、言っていることに嘘はない。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 女性はじーっと心優の顔を見つめていたが、数十秒後、おずおずと地図を差し出した。 「あれ? ここって・・・・」 「ここ、ですよね・・・・?」 目の前の建物と地図を見比べ、心優は確証を得るように女性を見た。しかし、女性も始めてくるのか、首を傾げる。 「ええい、聞いてみればすむこと」 心優はそう言って、建物――教会へと足を踏み出した。 (というか、同日に神社、教会と無宗教にもほどがありませんか、わたし) 「ごめんくださーい」 重厚な音を立てる扉を開き、冷房施設もないのにひやりとした空気を孕んだ建物の中に入る。そして、視界の中央を占める大きなパイプオルガンを眺めた。 「また、お前か。ここは雑談をしに来るところでは・・・・」 教会内にいたシスターが振り返るなり顔をしかめる。しかし、すぐに心優の背後にいた女性に気付き、言葉を止めた。 「ふふん、今日はわたしひとりではないのです。道案内ですよ。文字通り、迷える子羊を導いたのです」 「文字通りだったらその女性が羊になるだろうが」 「・・・・おや?」 的確なツッコミに首を傾げる中、シスターがこちらに歩いてくる。 「っていうか、この地図の場所ってここでいいんですよね?」 「ああ、あっている。先方から連絡は届いていたが、なかなか来ないので心配していたのだ」 「よかった。さすがにこの辺りは来ませんからね」 心優はにっこり笑って手にしていた地図を女性に渡した。 「神の前で嘘をつくか。しょっちゅう来るだろうに」 「"ここ"、には来ますけど、この辺りの地図を見せられても分かりません。"ここ"以外は」 「・・・・本当にいつもここ目当てで来ているのか。礼拝だというならば嬉しいが・・・・」 「残念ながらわたしは無神論者のようです。先程痛感しました」 「胸を張って言うことか、全く」 やれやれと首を振ったシスターは威厳漂う雰囲気のまま、漢服の女性に向き直る。 「麟、久しいな。前に会ったのは去年の秋か」 「・・・・・・・・?」 しばらく考えていたのだろうが、分からなかったらしく、最終的に首を傾げた。 「はは、変わらないな、お前は。―――それで、今日は道案内だけか?」 シスターは首だけ心優に向けて訊く。 「はい。今日は帰ります。お友達と積もる話もあるでしょうし」 そう言って心優は優雅に一礼した。 ピュセルside 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 年に似合わぬ優雅さと気品を一瞬だけ見せた少女が重厚な扉を開けて去っていく。 そんな姿をシスター――ピュセルはじっと見つめていた。そして、目を閉じ、心優の気配が教会からある程度離れるまで待つ。 「・・・・うむ」 心優の気配が探知範囲から出たことを確認したピュセルは麟に向き直った。 「麟、あやつと出会ったのは偶然か?」 「そう」 「ふむ・・・・あやつはどうも、我らと波長が合うと見えるな」 「?」 「・・・・いや、今はどうでもいい。とにかく、"皇帝"のことだな?」 ピュセルはずばっと本題に入る。そして、"皇帝"という言葉を聞いてパニックになるであろう麟に一撃を入れた。 「・・・・ひどい」 叩かれた頭を抑えてじとっとした視線を送る。 「予防接種と同じだ。まあ、"宰相"から話は聞いている。"皇帝"が脱走したようだな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 教会内の空気が張り詰め、心優を相手にしていたような雰囲気はなくなった。 そこにあるのはただ冷徹な空気。 荘厳とはまた違った、凜とした教会になった中、ふたりはそのまま歩き出す。 「とにかく、昨夜からデュノワ数騎を町に放っている。しかし、相手が"皇帝"であれば見つけることは不可能だろうな」 「じゃあ、どうして?」 「あの"皇帝"がなんの騒ぎも起こさずにいられると思うか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 きょとんとした麟は次の瞬間、あわあわと慌て出した。 「さ、探す。隠密、隠密・・・・あた」 「貴様では隠密どころかさっきのように迷子になって運ばれてくることがオチだ」 ふりふりと叩いた手を振りながらピュセルは続ける。 「"皇帝"はおそらく、隠れん坊のつもりだろう。目的もなく、渦中の町で遊びたくなったに違いない。その考えに至った時点で騒動は避けらん。ならば・・・・」 ピュセルは教会の奥へと通じる扉を開けた。 そこは闇が支配していたが、扉を開けることで一条の光が差し込む。 その光に反応し、部屋の中には赤い光点が無数に広がった。 「この町一帯をカバーできるほどの数ならば我が用意する」 控えていた騎兵たちが一斉に整列する中、ピュセルはそれらに背を向けて麟に宣告する。 「ここは我に任せてもらう」 「でも・・・・」 「麟は"皇帝"を連れ帰ることのみを考えろ。"皇帝"が起こした事態は我が収拾する」 「・・・・・・・・ん」 決意が固いことを理解したのか、麟は他に何も言わずに頷いた。 |