第二章「初ライブ、そして初陣」/2


 

「―――よく来たな」

 ひとりの修道女は膝をつき、手を合わせた状態で呟いた。
 彼女の体は偶像に向き、扉に背中を向けているというのに入ってきた人物を見抜いている。

「ん?」

 クイッと首を傾け、先程まで首のあったところを通過して正面に突き刺さったものを見遣った。

「ナイフ・・・・?」

 軍用ナイフなどと言う物騒なものではないが、あの勢いで喰らっていれば軽傷では済まなかったろう。



「―――へえぇ、伊達に宰相サマの懐刀だの噂されてねぇってか?」



 振り返った先にはまるでお手玉のように果物ナイフを放り投げている少女がいた。

「央華(オウカ)、ここは教会だ。静かにしていなさい」
「きひっ、カリカリすんなよ、ただの挨拶じゃねーか」

 と文句を言いつつも素直にナイフを仕舞う少女。

「央葉と、会ったそうだね」

 ドカッと不機嫌そうに椅子に座ったゴスロリ少女から視線を白衣の男に移す。

「央葉・・・・ああ、青木ヶ原であの気配を消してこちらを窺っていた者か。ふむ・・・・」

 修道女――ピュセルは顎に手を当て、当時のことを思い出した。

「なかなかに見事だったぞ。鬼族や地術師に気付かれないように木々の上を移動し、結界破壊の符を取り付けた手並みはな」
「元気そうだったか?」
「ふ、元気でなければ先程の所業はできぬよ」

 ピュセルはわずかに笑みをこぼしながら敵を讃える。

「はっ! 量産品風情が、まだ這いまわってやがったか・・・・」

 不機嫌そうに言い放った央華は立ち上がり、スカートをパンパンと叩いた。

「アンタ・・・・まさかその失敗作のことを訊くためだけにここに来たってのか?とんだ親馬鹿だな。くっだらねぇ」

 答えを聞かず、反転して扉へ歩き始める。
 馬鹿呼ばわりされた青年は苦笑し、その背中を追うために歩き出した。

「待て。私も訊きたい。・・・・何故、貴様が今この時、この教会を訪ねたのだ?」

 ピタリと止まったその背中に問い掛ける。

「見ての通り、私は神に仕える者。悩みがあれば聞こうではないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・近いうち、会うことになると思うから、だな」

 青年は詳しいことを語らず、自分を忙しなく呼ぶ少女の下へと向かった。そして、外で誰かに会ったのか、扉を閉めることなく少女と共に歩き始めた。

「ふん、予知能力を持つ貴様が『思う』、だと?」

 ピュセルは青年と入れ違いで本当に人が入ってきたので、続きは胸の内で呟く。

(それはもう、決定事項であろう)

「―――あの、この教会に配備された新しいシスターさんって貴女のことでしょうか?」
「はい、当教会に如何様な御用でしょう?」
「ちょっと浮気のことで相談に乗って欲しいのです」
「は、はぁ・・・・」

 少女から真剣な瞳で繰り出された突拍子もない相談内容に、さすがのピュセルも頬を引き攣らせた。






御嬢様の我が儘scene

(―――政くんが怪しい)

 そう思い始めて幾日が経とうか。
 放課後はすぐに部活かバイトに明け暮れ、それがなくとも夕食の準備で忙しい。
 それもこれも部活で一緒、バイトで一緒のこの女のせいである。

「何? さっきから」
「別に、何でもないです」

 今は学級委員の会合である。
 伝達事項は連休明けの統音祭について。
 出席者である心優は知っていることだが、この情報を一般生徒に下ろすことで来客数を増やそうというのである。

「何でもないってことはないでしょ。さっきがらじーってこっち見てきて」
「だから、何でもないです」

 朝霞はリボンを弄ると視線を会議に戻して言った。

「そう、じゃあ、だったらこっち見ないで」
「む」

 何やらその余裕の態度が癇に障る。

「ねえ、どうしてあそこでバイトしているんですか?」
「どうだっていいでしょう。あなたには関係ないこと」
「教えてくれたっていいじゃありませんか。あなたほどの家に住むならば生活に困っているわけでもないでしょう?」

 これが心優のように扶養されているならまだしも、朝霞は正真正銘、屋敷の主だ。

「・・・・別にお金だけがアルバイトの目的じゃないでしょ」
「まさか、本当にお金がないんですか? あれだけの家をあれほどの速度で建てつつ? もしかしてあれで蓄えが尽きたとか?」

 勝機と見たか、心優は一気に叩き掛けた。

「たかが住居にお金を掛けすぎでしょう」
「・・・・自分で稼いだこともない"お子様"が何を言っても聞く価値ないわ」

 どうやら、朝霞も冷静に対応しきれなくなったらしい。
 言葉の節々にトゲが目立ち始めた。
 視線もめんどくさそうなものから若干、苛立ちが見え始めている。

「株くらいなら手を出してますっ」
「でも、それは座ってパソコンをポチポチするだけでしょう? 現場ってものを知らないじゃない」
「裁縫は得意ですよっ」
「意味違ってきてないかしら? もしかして、その頭は会話の流れも読めないの?」

 いつの間にかふたりは結構な音量で額を付き合わせて口論を始めていた。

「―――そこのふたりっ」
「「―――っ!?」」

 一喝と共にふたりの間を分銅が突き抜ける。
 間一髪で避けた分銅は机に当たるやその表面を打ち砕いた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その威力に蒼白になりながら心優は分銅の先を辿る。

「今、会議中だって分かってる?」

 そこには死神がいた。

「特にこの議題、公演する奴にはかなり重要なんだけど」

 大鎌を担いだ不正取締委員会のエース――山神綾香先輩は一動作で分銅を引き戻しながら言った。
 いつの間にか議題は当日の警備配置や公演者の行動にまで進んでいる。

「いい、もう一度言うわよ」

 先輩はふたりが反省したのを見て取るとあっさりと話題を転じた。
 その辺りの姉御肌が後輩と言わず、同級生から懐かれる原因だったりする。

「当日、最も警戒されるのがゲリラライブ。特に吹奏楽や一般参加者の発表である午前の部から軽音部などの午後の部への変更時間が危ないわ」

 ホワイトボードにはその変更時間が書かれていた。
 昼食時間に分類されるこの時間は人の出入りが激しく、注意が全体に行き渡らない。そして、その間に細工した愉快犯が午後の部早々に行動を開始する可能性があった。
 いや、その兆候はすでに現れているという。
 2−Aの結城晴也を中心にした決起班が幾度か不正委員と激突している。
 先輩曰く、「あの愉快犯がイベント事に行動を起こさないはずがない」と豪語しているため、不正委員会は厳戒態勢で会場の警備に当たるらしい。

「あの馬鹿、『イベントは俺のものだ』なんてあたしの前で言いやがったのよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それで、教室が阿鼻叫喚の有様になったのよね・・・・」

 先輩の後方に立っていたもうひとりが遠い目をして呟いた。

「あたしの前であんな宣言するなんて、宣戦布告もいいところだわ」
「宣言・・・・宣戦布告・・・・」

 何気なく、先輩の言葉を呟く。そして、得心がいったように心優は笑みを浮かべた。

「・・・・それはいいかもしれません」



 『八紘』。
 唯宮財閥が経営する唯宮クルーズが所有するクルーズ客船である。
 総トン数31,078tを誇り、全長197.3m、全幅25.2m、喫水6.8m、速力28kt/hの性能諸元を持つ。
 艦名である『八紘』は「天地の八方の隅」という意味を持つ。また、「紘」は「天地を繋ぐ綱」と言う意味だ。
 つまり、世界各国を繋ぐという想いを込められた客船だった。
 普段は兵庫県神戸市にある神戸港に係留されている。しかし、ゴールデンウィークという稼ぎ時には熊野灘を通過し、太平洋へと漕ぎ出していた。


「―――それで、どうして私たちはここにいるのかしらね・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「黒服に拉致られるのに慣れてきた俺が嫌だ」
「・・・・同じく」

 鹿頭朝霞、叢瀬央葉、穂村直政、穂村亜璃斗の4人は西の方角に沈んでいく夕陽を手すりにもたれ掛かりながら黄昏れていた。
 4人が4人とも急に乗り込んできた黒服集団に拉致されたのだ。
 明日から5月の連休に入ると言うことでのんびりと帰宅していた時だったので全員制服だった。

「―――ようこそいらっしゃいまし―――いひゃいいひゃいっ」
「「おお」」

 ようやく出番かと思って出た瞬間、心優は朝霞に両頬を引っ張られた。
 涙ににじむ視界の向こうで穂村兄妹とリス一匹が感心したように目を見開いているのが見える。
 因みに央葉はどこからか電波でももらっているのか、夕陽に万歳したまま固まっていた。

(な、央葉さんはともかく・・・・っ)

「にゃにひゅりゅんれすかっ」
「それはこっちのセリフよっ」

(うわ、すごい、通じたんですか)

 自分で言いながらもその言葉が通じた事実に驚く。

「いきなり黒服差し向けてきて、思わず蹴散らしたら『頼みます、着いてきて下さい。じゃないと明日の未来がないんです』って全員に土下座された私の立場を考えなさいっ」

 朝霞は両頬から手を離したが、憤りは収まらないようで声を荒上げたままだ。

「け、蹴散らし・・・・ッ!? 確かに皆さん、どこかしら痛そうでしたけど・・・・。というか、打ちひしがれてましたけど・・・・」

(格闘術に秀でた大の男5人で向かわせたんですけど・・・・)

 武術を修めていると聞いていたが、まさかここまでとは。

「それで? つまんない理由だったらここから海に突き落とすわよ」
「ぼ、暴力は反対ですっ」
「大の大人5人をけしかけた人間が言う台詞かッ」
「いひゃいひゃいッ」
「話、進まない」
「いひゃっ」

 引っ張っていた手を乱暴に外させる亜璃斗。
 その容赦のなさにちょっと心優に苛立っていたのが分かる。

「と、とりあえず、予約殺到で乗りたくても乗れない豪華客船の旅を無償で提供します。さあ、これから会場で招待客だけのパーティーがありますから、皆さん着替えて下さい」

 そう言った心優の後ろにはいつの間にか十数人の人間が立っていた。
 彼らは心優の言葉の後、それぞれが担当する者の手を掴み、問答無用で引きずり出す。そして、それぞれの個室へと叩き込まれた。



「―――はぁ・・・・慣れないわ・・・・」

 朝霞はいつものポニーテールを解かれ、自然に背へと垂らしていた。

「それで、どうしてアンタたちがいるの?」

 朝霞は廊下の壁に背を預けて立っていた少年に問い掛ける。

「遊び、って答えるのはダメか?」
「愚問ね。アンタの行動には全て意味がある」
「ふ、頼もしくなったもんだ」

 熾条一哉は組んでいた腕を解き、壁から離れた。

「現穂村家当主――穂村直隆は一時期、唯宮財閥の執事長でな。その折に多くの執事やメイドを唯宮家に入れている」
「だから?」

 相も変わらぬ遠回しの言い方にイライラする。

「彼らは直隆氏が引退した後も唯宮家に残り、このようなパーティーの場では必ずと言っていいほど警備部門に顔を出している」

 そこまで言われれば朝霞でも分かった。

「・・・・御門宗家の生き残り・・・・」
「そう考えるのが打倒だろうな。調べれば御門宗家と唯宮家は昔、婚姻関係にあったそうだ。そのつてを使い、本拠を捨てた生き残りが唯宮家を頼ったとすれば・・・・」

 一哉は朝霞の側に立ち、声をひそめるように言葉を紡ぐ。
 ちょうど向こうには多くの招待客が歩いていた。
 それを先導する若者たちは唯宮家の人間だ。

「今はその戦闘力で有事の際に働く部隊になっている、と?」

 彼らの配置は素人のそれではない。
 「何かあるかもしれない」という甘い認識ではなく、「何かある」と確信した布陣。

「今でもこんな戦闘能力を保有しているのは心強い」

 それを人目見遣って笑う一哉に朝霞は詰め寄った。

「でも、今の"御門"直政に彼らを率いるほどの才はないわ」

 それはここ数日、直政を観察した判断だ。
 直政は現場の最前線で活躍するタイプである。
 戦場において最前線で敵大軍を迎え撃つ、そんな役割が彼には合っている。

「分かってる。実質的に指揮を執るのは妹になるだろうな」
「穂村亜璃斗、ね。あの娘、あの兄と同じ環境で育ったとは思えないほど肝が据わってるわ」
「御門家は直政が突出し、後の戦力は奴が築いた穴を確実に広げるために特化すればいいんじゃないかと俺は思うけどな」
「思う、じゃなく、するんでしょ?」
「さあ、どうかな」

(そのための下見のくせに・・・・)

 一哉の意見は朝霞の感覚と一緒だが、一哉の場合、それを分かっていてそうなるように誘導するのだ。

「ま、そっちはそっちで楽しむといい」
「? 別にすることないから付き合うわよ?」

 朝霞から離れ、廊下を歩いていく一哉の背に言葉を放つが、一哉はひらひらと手を振って歩みを止めない。

「―――あ、いたぁ。もう、どうして待ち合わせ場所にいないの?」
「悪い悪い、ちょっとな」

 一哉に話しかけたのは瀞だ。
 彼女も一哉と同じくパーティーに似合った格好をしている。しかし、一哉の場合、場違いにならない程度で尚かつ、目立たない配慮がされたものだった。

(瀞さん・・・・思いっきり注目浴びそうね・・・・)

 ただでさえ人目を集める容姿だというのに今夜はそれに磨きがかかっている。
 部外者扱いはしたくないのだろうが、いろいろ調べるのに彼女を連れていたのでは目立って仕方がない。
 おそらく、このパーティーで一哉は幾度も逃亡するだろう。そして、瀞はそれを追いかけるのだろう。

「南無・・・・」

 朝霞は家宰の仕草を真似て、ふたりに手を合わせた。

「―――今の・・・・誰?」
「―――っ!?」

 上質な絨毯は足音を隠し、平坦な声音は感情を隠す。

「が、学園の先輩よ」
「そう。2−A、熾条一哉と渡辺瀞。渡辺瀞は和風喫茶『花鳥風月』にてバイト中・・・・」
「さすが新聞部・・・・情報関係は強いわね」

(や、やりにくい・・・・。この娘、鎮守家の跡取りレベルに感情が読めないわ)

 後ろめたいことはないのに、何故か背中に冷たい汗が伝った。

「熾条宗家・・・・鹿頭家・・・・・・・・ふむ」

 口元に指を当て、思考に沈む亜璃斗。
 ドレスではなく、着物に着替えた彼女はメガネをキラリと光らせる。

「鹿頭朝霞」
「なに?」

 視線をこちらに向け、ゆっくりとした足取りで歩いてきた。
 その手には未だトンファーは構えられていないが、物理攻防力で言えば地術師は最強である。
 油断はできない。

「この船は私たちが掌握している。おかしなことをしないように。・・・・そう、後ろにいる人に伝えて」

(後ろ・・・・?)

 擦れ違いざまに言われた言葉に疑問符を浮かべている間に亜璃斗はさっさと会場へと向かった。
 その背中に追いかける者がいる。

「あれは・・・・」

 それは先程来客を案内していた若者だった。

「そう、そういうこと・・・・」

 朝霞は目を閉じ、背後へと声を放つ。

「どうやら、御門直政はともかく、穂村家は私たちを目の仇にしているようね」
「―――そのようだな。全く、乗客の靴底について持ち込まれた砂塵でも使って索敵しているのか? さすがは風術師に次ぐ索敵能力の持ち主だ」

 廊下の角から現れる一哉。
 その傍に瀞はいない。

「瀞さんは?」
「お守りを任せた。あいつも俺が何かしようとしてるって気付いているさ。いざとなれば、あいつに頼って逃げる」
「ここは海。ってことは水術師の領分、か・・・・」
「ああ」
「ふ、どうせ、アンタのこと。・・・・陽動でしょ?」

 朝霞は下から覗き込むようにして一哉の眸を見た。

「・・・・と、いうと?」
「あの富士の樹海で私を陽動に使ったように・・・・今回の主役は央葉、でしょ?」

 叢瀬央葉。
 直政のクラスメートだが、歴とした裏の人間だ。
 精霊術師を凌駕するように作られた人工能力者であり、各種隠密行動の技術を叩き込まれたエキスパートである。

「私たちの繋がりはともかく、あの子との繋がりはそう簡単にはバレない。どこまで利用する気?」
「おいおい、人聞きが悪い。今回の謀、全てはあの女王様が主導する作戦を助けるためだぞ」
「・・・・まさかあの作戦に?」
「使えるなら、な」

 一哉は会話は終わりとばかりに踵を返した。

「何をするつもり?」
「ふむ、機関室でも吹っ飛ばしてみるか?」

 振り返りはしなかったが、朝霞には<火>の高まりが分かる。

「冗談でもそう言うこと言わないで」
「ふっ。とにかく、今日はお前に関係ない。存分にパーティーを楽しむがいい」
「・・・・楽しめるんでしょうね」
「それは主催者次第だ」

 今度こそ一哉は歩み去った。



「―――なあ、央葉。お前のそれって間違ってねえ?」
「?」

 直政はいち早く着替えを済ませ、会場に赴いていた。
 そこには警備についているのか、顔見知りの使用人たちの姿がある。しかし、彼らはいつものようにふざけた態度だが、どこか真剣味が漂う雰囲気を持っていた。

(何か・・・・あるのか?)

『どこがおかしい?』
「いやだからっ」

 央葉の真剣なボケに考え始めた思考がツッコミに取り付かれる。

「お前男だろ!?」
『それはどうかな』
「意味わかんねえよっ」
『どうしろっちゅうねん』
「その格好をどうにかしろぉっ」

 と、じゃれ合う"男女"。
 そう、また、央葉は女装をしていたのである。
 いや、正確に言えばさせられていた。
 ご丁寧に胸パットまで入っており、どこからどう見ても『女の子』だ。

「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」
『ハァハァハァ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ〜」

 もはやツッコミ気力がない。
 それを見て取ったのか、央葉は移動を開始しようとした。

「待てよ。どこ行くんだよ」
『ちょっとそこまで』
「はいはい。ご丁寧な誤魔化しはいいから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 直政が腕を掴むと央葉は素直に歩くのを止める。

「周り、けっこうすごい人だからひとりでいると緊張するだろ?」

 さすがは唯宮財閥の招待客。
 政財界の大物やスポーツ選手、芸能人などが訪れている。だが、今日は一般客も宿泊客としているので彼らの人数は五〇弱と抑えられていた。
 だからこそ分かる。
 唯宮財閥が親唯宮系と判断した者たちだけが選ばれたと言うことが。

(そういや、今日は唯宮家が主催って言っても、心優が、だったか・・・・)

 学園の成績は常に超低空飛行を続けているが、経営に関する経験は抜群である。

(となると・・・・親心優、ってことか?)

「ん? なんだ、この嫌な予感は・・・・・・・・・・・・・・・・って、央葉いねえっ」

 いつの間にか央葉が消えていた。

「―――直政くん」
「ん? どわぁっ」

 振り返った先には顔見知りの女性が立っている。そして、いつの間にか直政は囲まれていた。

「ごめんねぇ。御嬢様がお呼びなのよ。っていうか、早く来てくれる?」

 親切そうに見えてものすごくめんどくさそうなのはいつものことだが、それでも包囲網に一点の綻びもないのもいつものことだ。そして、そう言って連れて行かれることもいつものことなのだ。

(いい加減、この慣れはどうにかしないとな・・・・)

 でも、すでに慣れてしまったものをどうにかするのは難しい。

「んー、どうしよう・・・・」
「―――何か悩み事ですか?」

 連れて行かれた舞台傍で直政の背後から声が掛けられた。

「一番どうにかしなければならない元凶だが、一番どうにもできないと思う」
「? よく分かりませんが、わたしにできることならやりますよ?」
「じゃあ、俺に関わらないでくれ」
「無理です」
「おおいっ」

 即答に思わず裏拳を叩き込むようにして振り返る。

「うん、やっぱり政くんのタキシードは似合いますね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「政くん?」

 振り返った先にいた心優はウエディングドレスだった。
 ご丁寧に両手でブーケを持ち、その表情はヴェールによって隠されている。

「お嬢、どうやら直政くんはあまりの綺麗さに声が出ないようですよ」
「そ、そうなんですか。う、嬉しいです」

 心優は一頻り照れた後、直政の腕をそっと取った。

「じゃあ、行きましょう?」

 どこへ、という疑問を口にすることなく連れ出されたのはステージ。
 そこで心優は用意されていたマイクスタンドからマイクを引き抜き、雑談に興じていた来客者へと呼びかける。

「ぅわ・・・・」

 自然と視線が直政と心優に集中し、直政は緊張で身動きが取れなくなった。


「皆さん、突然のパーティーにお越し下さりありがとう御座います」

 その声は緊張の欠片もない、リラックスしたものだった。

「我が財閥が誇る豪華客船『八紘』の乗り心地は如何でしょうか。船長以下、航海要員は皆様が不快感を抱かれぬよう細心の注意を払って航行しております」

 その姿は嫌でも「財閥の令嬢」を印象づける。

「さて、今回、わたくしがこのパーティーを主催致しましたのはただひとつのためでございます」

 どこまでも「公」の心優は言う。

「今日は皆様に紹介させていただきたい者がおります」

 心優は数十人の招待客の中からひとりの少女を見遣った。
 その少女は料理にも手を付けず、腕を組んで壁に背を預けている。

(亜璃斗は・・・・)

 視線を巡らせる限り、亜璃斗の姿はない。
 亜璃斗だけでなく、彼女の祖父が連れてきた使用人たちの姿もいつの間にか消えていた。

(央葉さんまで消えてる・・・・でも・・・・)

 一番伝えたい二人は揃ってる。

「この人が気になりますよね?」

 ぎゅっと逃げようとする腕を掴み、そっと寄り添った。

「この人は穂村直政くん。わたしの幼馴染みです。そして―――」


「―――誰にも渡したくない、失いたくない人です」


 そう、政くんが最近怪しいなら、これまで以上に押していけばいい。
 政くんの周りの人への宣戦布告。
 それが心優がパーティーを企画した理由。



「はっ、馬鹿らしい」

 児戯に等しい『宣戦布告』を受けた朝霞は壁から離れ、会場を後にする。
 その瞬間、死角から飛んできた小石を掴み取った。

「何処へ行く?」
「別に。ちょっと会場にいにくくなっただけよ」
「そう」

 全然納得していないのに頷く亜璃斗。
 その証拠にメガネをトンファーへと変える。

「二度目ね、戦うのは」

 朝霞もイヤリングに手を伸ばした。
 何故か今は戦いを避ける気にはならない。
 どうしてかむしゃくしゃする。
 あの鬼族との戦いで短気は抑え、慎重に行動しようと心懸けていた。

「心優は言った。『失いたくない』と」
「そうね。『取られたくない』ではなくて、ね。あの娘、どこまで知ってるのかしら」
「・・・・心優は何も知らない」
「そうかしら?」

 左手を一閃し、<嫩草>を召喚する。

「唯宮財閥。唯宮家は御門家と親しかったそうね」

 すっと亜璃斗の目が細められた。

「今度こそ決着を付ける」

(いいえ。勝てないわ。アンタがここで私と戦うことはアイツの予想通り・・・・)

 戦場を用意されたことに本来ならばむかつくべきだが、今は逆に有り難い。

「手加減、できないから」
「元より必要ない」

 狭い廊下に展開された結界の中、ふたりの少女はお互いの武器を激突させた。
 人知れず行われた戦いは短時間で終わる。
 それは、ふたりとも収まりのつかない感情をぶつけ合う、不毛なものだと分かっていたからだった。









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